サピオ4/09号(小学館)。小林よしのりは依然として東京裁判・パール意見書に関して吠えている。知らなかったが、彼によると、太平洋戦争研究会編・東京裁判「パル判決書」の真実(PHP、2006.12)はとんでもない本で、編者と区別されている執筆者・森山康平(1942-)は南京大虐殺30万人説、「三光作戦」実在説を採る別の本を出している「まるでシーラカンス」(p.57)の人物のようだ。PHP研究所の出版物の中に、なぜそんな「左翼」又は「自虐」丸出しの者の書いたものが混じるのだろう。
小林はいろいろとよく読んでいる。というのは、「中島〔岳志〕のような保守オタクも、森山〔康平〕のようなシーラカンスも、保阪正康や半藤一利あたりの連中も、みんな同じ穴の狢である」と書いている(p.60)。半藤一利は昭和史の専門家の如く振る舞っているが、その著の昭和史・戦後篇は骨格のないつまらない本だし、九条の会への賛同者の一人で九条護持論者だ。保阪正康と半藤一利を並べて位置づけてくれるとは、小林と私は(そのかぎりでは)同じ感覚で、親しみ?を覚える。
あまり言及したことはないが、井沢元彦の多数の著書の愛読者でもある。
井沢もサピオにしばしば登場するが、上掲号には「いまからでも遅くはない/北京五輪をボイコットせよ」を書いている。
その中で、井沢は中国は「帝国主義思想にとらわれた『19世紀の国家』なのである」と断言する(p.95)。当然の見方だと思うが(その説明もある)、こう明瞭に書かれると却って新鮮だ。そして、「中国というのは巨大な泥舟」で、「どんなに大きなエンジンを積もうが、いずれ沈むことは間違いない」と締め括る(p.97)。
一部に「市場経済」を取り込んでいても、社会主義・共産主義を標榜する、共産党=国家権力の国が永続せず、いずれソ連や東欧諸国のように<崩壊>するのは、マルクス主義者の言葉を借用すれば、<歴史の必然>だろう(北朝鮮も同様)。
日本共産党もいずれ「沈む(=消滅する)ことは間違いない」。同党は1970年前半に「70年代の遅くない時期」に<民主連合政府(の樹立)を>とか言っていたが、現在では「21世紀の遅くない時期に」へと変えているようだ。「21世紀の遅くない時期に」とは、2050年までなのか、それとも-残り1/3が「遅い時期」だと考えて-2065年くらいまでなのか。そのどちらにせよ、日本共産党自体が「21世紀の遅くない時期に」存在しなくなっている(消滅・解体している)と予想される。その瞬間を何とか生きて体験したいものだが、はたして。
小林はいろいろとよく読んでいる。というのは、「中島〔岳志〕のような保守オタクも、森山〔康平〕のようなシーラカンスも、保阪正康や半藤一利あたりの連中も、みんな同じ穴の狢である」と書いている(p.60)。半藤一利は昭和史の専門家の如く振る舞っているが、その著の昭和史・戦後篇は骨格のないつまらない本だし、九条の会への賛同者の一人で九条護持論者だ。保阪正康と半藤一利を並べて位置づけてくれるとは、小林と私は(そのかぎりでは)同じ感覚で、親しみ?を覚える。
あまり言及したことはないが、井沢元彦の多数の著書の愛読者でもある。
井沢もサピオにしばしば登場するが、上掲号には「いまからでも遅くはない/北京五輪をボイコットせよ」を書いている。
その中で、井沢は中国は「帝国主義思想にとらわれた『19世紀の国家』なのである」と断言する(p.95)。当然の見方だと思うが(その説明もある)、こう明瞭に書かれると却って新鮮だ。そして、「中国というのは巨大な泥舟」で、「どんなに大きなエンジンを積もうが、いずれ沈むことは間違いない」と締め括る(p.97)。
一部に「市場経済」を取り込んでいても、社会主義・共産主義を標榜する、共産党=国家権力の国が永続せず、いずれソ連や東欧諸国のように<崩壊>するのは、マルクス主義者の言葉を借用すれば、<歴史の必然>だろう(北朝鮮も同様)。
日本共産党もいずれ「沈む(=消滅する)ことは間違いない」。同党は1970年前半に「70年代の遅くない時期」に<民主連合政府(の樹立)を>とか言っていたが、現在では「21世紀の遅くない時期に」へと変えているようだ。「21世紀の遅くない時期に」とは、2050年までなのか、それとも-残り1/3が「遅い時期」だと考えて-2065年くらいまでなのか。そのどちらにせよ、日本共産党自体が「21世紀の遅くない時期に」存在しなくなっている(消滅・解体している)と予想される。その瞬間を何とか生きて体験したいものだが、はたして。