前野徹という人のことを知らなかった。知ったのは昨年以降、いく冊かの本を買ったからだ。1926年生まれで今年2007年02月08日に亡くなった。享年81歳。
同・戦後六十年の大ウソ(徳間書店)は2005年07月刊なので、79歳のときの、彼の最後の著書だった可能性がある(その年齢で著書を刊行できること自体に感心するし、羨望しもする)。
この本のはしがきで彼は、「本気で国の将来を憂えはじめた」のは竹下登内閣(1987.11発足)以降で、「決定的となった」のは、細川護煕、村山富市両首相の日本=「侵略国家」発言だった、と書く。そして、「抑え難い憂国の情」がこの本を書かせた重要な理由だとする(p.5、p.9)。
主としてこの本から引用するが、細川首相発言はこうだった。1993.08.10(現在問題になっている河野談話の直後。細川首相就任記者会見)-先の戦争は「侵略戦争で、間違った戦争だった…。過去の歴史への反省とけじめを明確にする」。
同年08.23(所信表明演説)-「わが国の侵略行為や植民地支配などが、多くの人に耐え難い苦しみと悲しみをもたらした」、「深い反省とお詫び」を表明。
同年11.06(韓国訪問中)-「日本の植民地支配で…姓名を日本式に改名させられ、従軍慰安婦徴用などで耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて、心から反省し陳謝する」。
羽田孜短命内閣を経ての村山首相が、その出身政党からして、細川首相と同旨の見方をしていたことは言うまでもないだろう。1995.06の国会決議では「侵略」や「謝罪」の言葉は盛り込まれなかったようだが、同年08.15の首相談話では、「植民地支配と侵略…痛切な反省の意…、心からのお詫び…」との言葉が入る。
前野をして憂国の情を「決定的」にならしめた、これらの首相という公職者の発言内容には、「植民地支配」とか「侵略」とかの概念の意味は厳密にはどういうものだろう、という疑問だけ記して、ここでは立ち入らない。
改めて記憶を新たにしてよいと思われるのは、細川内閣の成立過程だ。すなわち、この内閣は反自民・非共産の従来の野党連立内閣で、自民党(又はその前身政党)が加わらない戦後初めての内閣だった。そして、なぜかかる内閣ができたかというと、小沢一郎、羽田孜、渡部恒三らの旧自民党グループが同党を離党し、新生党を結成して(その直前に武村正義らも離党して新党さきがけを結成した)宮沢内閣不信任案を可決させ、解散後の総選挙で細川らの日本新党と新生党が「躍進」したからだった。
この十数年前の一種の「政変」において、この人物がいなければかかる変化もなかった、と言き切れる政治家を一人だけ挙げるとすれば、それは、小沢一郎だろう。自民党からの相当数の議員の離党と選挙後の多数政党間の「連立」工作は、小沢こそが実質的には先頭を切り、小沢こそが最も練達に行ったのだ、と思われる。
細川談話(・発言)は彼が1938年01月生まれで、じつは殆ど戦後教育しか受けていない(しかも彼は7年弱の「占領」下の、日本(軍)=悪という教育をまるまる受けている)ことによることも大きい、と思われる。過去の日本を批判し反省することが「進歩的」で「良心的」だとの想いを無意識にでも植えつけられた世代ではなかったか、と思う。
だが、そうした人物が首相になれたのは、彼自身の力というよりも(彼は国会議員としての経歴は短いものだった)他の力、すなわち、小沢一郎という政治家の力だったのではなかろうか。
以上のような意味では、細川の日本国首相としての「侵略行為や植民地支配」謝罪発言は、小沢一郎がいなかったら、生まれなかったのではないか、とおそらく確実に言える。
細川連立内閣と羽田内閣が終焉したのは、日本社会党が小沢一郎に従っていけなくなったからだった。言い換えると、小沢が日本社会党軽視又はいじめをしたからこそ両内閣は潰れ、ギリギリの接戦を経て、今度はいわば「小沢抜き」の自社さ連立政権(村山内閣)ができたのだった。
当時の自民党総裁は河野洋平で、彼自身にマルクス主義・共産主義はともかくも社会民主主義程度には抵抗感が殆どなかったように思われることも、この新連立内閣成立の背景の一つだろう。だが、やはり、村山内閣成立に対しても、消極的な意味で、重要な影響を与えたのは小沢だったと思われる。小沢一郎こそが、社会党を自民党の側へと追いやったのだ。
とすると、村山首相談話(およびその後の橋本龍太郎首相談話)を生んだ不可欠の人物は、小沢一郎だった、と言えるだろう。
1993年以降の政界の「混乱」の原因と責任は小沢一郎に帰する所が大きいと考えるが、日本の首相又は内閣が「贖罪」的見解を明瞭に表明し始めたのも、じつはかつての小沢一郎の行動と無関係ではない、と言ってよいのだ。
むろん諸談話に小沢が直接に関与したことはないのだろう(あったかもしれないが、そのような情報は記憶にはない)。だが、彼が全く無関係とはいえないことは、上に述べた通りだ。
さて、小沢の1993年以降の政治的行動はいったい何だったのだろう。結果的には、日本を一つも良い方向に前進させはしなかったのではなかろうか。
今、彼は民主党の代表だ。そして、選挙戦術的思考のみをして、ともかくも民主党の議員数増大のみを目標としているようだ。そこには彼が本来もっていたかもしれない、国家観も政策論も何もないのではないか。国益という観念は「民主党益」のために消失しているのではないか。
かつて小沢が果たした役割を考えると、彼が当面目標とする方向に一緒に向かうのは、つまり、民主党を現在よりも大きくさせるのは(とりわけ自民党よりも多数の議席を民主党に与えるのは)きわめて「危険」だ、と私の直感は囁いている。
前野徹
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