秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

前衛

1837/2018年8月-秋月瑛二の想念③。

 一 「知」的作業は何らかの「価値」をもち得るので、対価を受けることは当然にあり得る。そのこと自体を問題視しているのではない。
 ただ、指摘しておきたいのは、対価という「金」は自分自身や自分に頼る「身内」が食って生きていくための資力そのものなので、<食って生きて>ゆくために「知」的表現内容を微小とも(または大きく?)変えるというのは、十分にあり得る、ということだ。
 この原稿のままでは編集者は「いい顔をしないかもしれない」、この雑誌の読者には支持されそうにない、この新聞の読者層が関心をもってくれるだろうか、反論・批判が山のように編集部に届くとイヤだなあ、等々。
 こういうことを一切考慮しないで、日本の<言論人>・<評論家>たちは「自由」に、「独立」して、「知」的表現活動を行っているだろうか。
 誰でも最低限度<食って生きる>ことを考えるだろうから、このこと自体もまた、一概に非難することはできないだろう。
 しかし、読者としては、そういう考慮もして原稿を書き、「知」の作業をしている論者もいる、ということを意識しておくべきだろう。
 固有名詞は挙げないが、私にはつぎの趣旨の文章の記憶があって、印象に残っている。
 一つ。ある人が、某新聞紙上で<~と私をネットで批判する人がいるが、その当時は、これの他に見解発表媒体はなかったのだから、仕方ないではないか、という旨を書いていた。
 二つ。別のある人が、既発表のものを集めた某単行本の中で、この当時はこれが発表できるギリギリの線でした、という旨を書いていた。
 要するに、発表媒体を何とかして持ちたい「言論人」もいること、「知」的作業の発表内容を雑誌によって<自主規制>している「言論人」も明瞭に存在している、ということだ。
 そうした「言論」の内容が、完全に<自由>なものになっているはずはないだろう。
 関連して、前回に触れた、自己を<差別化>するための言論という例も思い浮かべることができるが、固有名詞を挙げるのがこの稿の目的ではない。
 別に「知」というものの虚像性には触れたい。
 ともあれ、現に世俗の世界で行われている「知識」や「理解」あるいは「評論」の作業は、生きているヒトの行動として、人間・ヒトの本能や限界から全く自由というわけではない。少なくとも、この秋月瑛二の書きものとは違って、「金」=対価や「名誉・顕名」と関係があるかぎりは。
 二 議場での議長席や演壇・演説者台から見るとたしかに、議場の「左翼」と「右翼」(およびその中間)という感覚が先立つだろう。
 だが、前回の述べ方には不十分さがある。すなわち、ヒトは二本脚を持ち、左右の二本の腕を(ふつうは)持つので、そうでなくとも<右と左>の感覚は本能的にあるだろう。
 そして、第一に、脚で地上に立つということ自体、下へと働く強い「引力」とそれがない「上」の区別の意識もまた、本能的に内在させていると思われる。
 第二に、脚で歩くのは「前を向いて」だから、人間の眼が前方しか見えない(真後ろが見えると怪人だろう)結果として、見えない「うしろ」の感覚も、要するに「前と後」を区別するという意識も、本能的に持つものと思われる。
 この第二の点は、重要なことだ。つまり、<前進と後退>、<進歩と退却>という意識は相当に強く人間に根ざしていて、前者をこそ、つまりは<前進>や<進歩>を後者と違って「良い」ものとする思考は、かなり本能に近いように見える。
 「前進」と題する機関紙をもつ政治団体もあるようだし、日本共産党中央委員会の月刊雑誌は「前衛」と題する。
 逸れかかるのかは止めるが、こうなってくると、<進歩>か後退・保守または反動かは、そもそも言葉の上で最初から勝負がついているようなものだ。
 もともと、「前進」は、前へと「進む」のは、ヒト・人間にとって必要不可欠で、「良い」ものにほとんど決まっているのだ。
 元に戻って、さらに続けよう。
 こうして、少なくとも三次元(左右・上下・前後)の意識を人間は本来有しているはずなのに、<右か左か>、<(共産主義を含む又は容認する意味での)民主主義かファシズム・軍国主義か>という左右線的、二項対立的思考がなおも強いように思われるのは、いったいどうしてだろうか。最も単純な「発想」を選びたいのかもしれない。
 <アベ政治を許さない>のか否か、<安倍政権の敵か味方か>(産経新聞社『月刊正論』のある号の目次・冒頭)という発想も全く同じのようなものだ。
 もっとも、月刊正論編集部はたぶん2016年末か2017年初頭に、公式に?四象限からなる「思想」チャートを示したことがあった。ヨコ軸とタテ軸を使う、線的思考ではない、平面的(二次元的)思考での整理だと言える。
 その内容の欠陥にいささか驚いて、私なりの四象限チャートをこの欄に示したこともある。
 それぞれを確認するために、ここで区切ろう。
 別の論脈だが、「自分」と「他者」、「自分たち」と「それ以外」、<内と外>、<味方と敵>。
 これらはかなり本能に根ざしているだろう。しかし、<内と外>や<味方と敵>という二分を狂熱的に意識してしまうと、いったいどうなるだろう。こんなことにも触れたい。

1786/「前衛」上の日本共産党員⑭-2018年05月号。

 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2018年05月号による。
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 山内敏弘/一橋大学名誉教授-安倍九条改憲。
 西谷 修/立教大学特任教授-安倍改憲。
 丹羽 徹/龍谷大学教授-教育無償化論。
 田中 隆/弁護士-安倍改憲と改正手続法。
 鈴木達治郎/長崎大学核兵器廃絶研究センター長-核。
 桜田照雄 /阪南大学教授-カジノ実施法案。
 斉藤敏之/農民連副会長-卸売市場法。
 大日方純夫/早稲田大学教授-明治150年と自由民権。
 中村晋輔/弁護士-米兵殺人国家賠償。
 佐貫 浩/法政大学名誉教授-教育政策と新自由主義。
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 以上。別の号につづく。

1783/「前衛」上の日本共産党員⑬-2017年10月号。

 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2017年10月号による。
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 小林 武 /沖縄大学客員教授-辺野古・法治主義・憲法。
 徳田博人/琉球大学教授-辺野古・法治主義・憲法。
 中野晃一/上智大学教授-安倍政権。
 渡辺 治 /一橋大学名誉教授-安倍政治。*またもや登場。
 岩見良太郎/埼玉大学名誉教授-アベノミクス。
 中山 徹 /奈良女子大学教授-アベノミクス下の大型開発。
 山田博文/群馬大学名誉教授-アベノミクス・シムズ理論。
 牧野富夫/日本大学名誉教授-安倍政権・働き方改革。
 立石雅昭/新潟大学名誉教授-柏崎刈羽原発再稼働。
 長澤成次/千葉大学名誉教授-地方自治体の社会教育行政。
 格地悦子/相模原市民-公民館活動。
 宮永弥四郎/教育研究者-貧困。
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 *以下、別の号につづく。 

1587/党と運動②・レーニン-L・コワコフスキ著16章2節。

 前回のつづき。
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 第2節・党と労働者運動-意識性と自然発生性②。
 党がたんなる労働者の自然発生的な運動の機関または下僕であるなら、党は、社会主義革命の用具には決してなることができない。
 党は、それなくしては労働者がブルジョア社会の地平を超えて前進することができない、あるいはその基礎を掘り崩すことができない、前衛、組織者、指導者そして思想提供者(ideologist)でなければならない。
 しかしながら、レーニンはここで、決定的な重要性のある見解を追加する。//
 『労働者大衆が自分たちで彼らの運動の推移の中で独立したイデオロギーをもつか否かという問題は想定し難いので、唯一の選択はこうだ-ブルジョアのイデオロギーか、それとも社会主義のイデオロギーか。
 中間の行き方は、存在しない--なぜなら、人類は『第三の』イデオロギーを生み出さなかったし、階級対立によって引き裂かれている社会には非階級のまたは超階級のイデオロギーは決して存在し得ないからだ。<中略>
 しかし、労働者階級運動の自然発生的な発展は、ブルジョアのイデオロギーに従属させる方向へと進む。<中略>
 労働組合主義は、労働者がブルジョアジーによってイデオロギー的に隷従させられることを意味する。
 そのゆえにこそ、我々の任務、社会民主党の任務は、<自然発生性と闘うこと>だ。』
 (全集5巻p.384〔=日本語版全集(大月書店, 1954)5巻406頁〕。)(+)//
 『自然発生性への屈従』という教理、または khvostizm (tailism, 『追従主義』)は、経済主義者-マルティノフ(Martynov)、クスコワ(Kuskova)その他-に対する、レーニンの主要な攻撃対象だった。
 労働者はよりよい条件で自分たちの労働力を売却できるように闘うかもしれないが、しかし、社会民主党の任務は、賃労働それ自体をすっかり廃棄してしまうために闘うことだ。
 労働者階級と全体としての資本主義経済制度の間の対立は、科学的な思想(thought)よってのみ理解することができ、それが理解されるまでは、ブルジョア制度に対するいかなる一般的な政治闘争も存在することができない。//
 レーニンは、続ける。このことから、労働者階級と党との間の関係に関して、一定の結論が生じる。
 経済主義者の見地によれば、革命的組織は労働者組織以上の何ものでもなければそれ以下の何ものでもない。
 しかし、ある労働者組織が有効であるためには、広い基礎をもち、その手段について可能なかぎり秘密をなくしたものでなければならず、そして労働組合の性格を持たなければならない。
 党はそのようなものとしての運動とは同一視できないものであり、労働組合と同一視できるような党は、世界に存在していない。
 他方で、『革命家の組織は、先ずはかつたいていは、革命活動をその職業とする者たちによって構成されなければならない。<中略>
 このような組織の構成員に関する共通する特徴という見地によれば、労働者と知識人の間の全ての明確な差違が消失するに違いない。<中略>』 (+)
 (同上、p.452〔=日本語版全集5巻485-6頁〕)。
 このような職業的革命家の党は、労働者階級の確信を獲得して自然発生的運動を覆わなければならないのみならず、その原因または代表する利益が何であるかを考慮することなく、専政に対して向けられた全ての活力を集中させて、社会的抑圧に対する全ての形態の異議申し立ての中枢部に、自らをしなければならない。
 社会民主党はプロレタリアートの党だということは、特権階層からのであれ、その他の集団からの搾取や抑圧には無関心であるべきだ、ということを意味しはしない。
 民主主義革命は、そのうちにブルジョアジ革命を含むが、プロレタリアートによって導かれなければならないので、専制政治を打倒する意図をもつ全ての勢力を結集させるのは、後者〔プロレタリアート〕の義務だ。
 党は、暴露するための一大宣伝運動を組織しなければならない。
 党は、政治的自由を求めるブルジョアジーを支援し、宗教聖職者たちへの迫害と闘い、学生や知識人に対する残虐な措置を非難し、農民たちの要求を支持しなければならない。そして、全ての公共生活の領域で自らの存在を感知させ、分離している憤激と抗議の潮流を、単一の力強い奔流へと統合しなければならない。これは、ツァーリ体制を一掃してしまうだろう。//
 党は、このような必要性に対応するために、主としては職業的な活動家によって、労働者または知識人ではなくて自分をたんに革命家だと考え、その全時間を党活動に捧げる男女によって、構成されなければならない。
 党は、1870年代のZemlya i Voila の主張に沿う、小さい、中央集中型の、紀律ある組織でなければならない。
 陰謀のある状態では、公然の組織では自然のことかもしれないが、党内部に民主主義的諸原理を適用することは不可能だ。//
 党に関するレーニンの考え方(idea)は、横暴(専制的)だとかなり批判された。今日の歴史家のいく人かも、その考え方は、社会主義体制がのちに具現化した階層的で全体主義的(totaritarian)構造をうちに胚胎していたと主張する。
 しかしながら、レーニンの考え方はどの点で当時に一般的に受容されていたものと異なるのかを、考察する必要がある。
 レーニンは、エリート主義であるとか、労働者階級を革命組織に取り替えようと望んだとか非難された。
 レーニンの教理は知識階層または知識人たちの利益を反映している、そして、レーニンは政治権力が全体としてプロレタリアートの手にではなく知識人の手にあるのを見たいと望んでいる、とすら主張された。//
 党を前衛と見なすという、主張されるエリート主義に関して言うと、レーニンの立場は社会主義者の間で一般的に受容されていたものと異ならない、ということを指摘すべきだ。
 前衛という考えは<共産党宣言>にやはり出てくるのであり、その著者たちは、共産党を、全体としての階級の利益以外に関心を持たない、プロレタリアートの最も意識的な部分だと叙述した。
 労働者運動は自然に革命的な社会主義意識へと進化するのではなく、教養のある知識階層からそれを受け取らなければならない、という見方は、レーニンが、カウツキー(Kautsky)、ヴィクトル・アドラー(Viktor Adler)およびこの点でサンディカ主義者と異なると強調するたいていの社会民主党の指導者たちと、分かち持つものだった。
 レーニンが表明した考え(thought)は、基本的には、じつに自明のことだった。どの執筆者も、<資本論>も<反デューリング論>も、そして<何をなすべきか>をすら著述できなかっただろうほどに、明白だったからだ。    
 工場労働者ではなく知識人たちが社会主義の理論上の創設をしなければならないことは、誰も争うことのできないことだった。『意識を外部から注入する』ということでこの全てが意味されているとのだとすれば、議論すべきものは何もなかった。
 党は労働者階級全体とは異なるものだという前提命題もまた、一般的に受容されていた。
 マルクスは党とは何かを厳密には定義しなかったというのは本当だけれども、マルクスは党をプロレタリアートと同一視した、ということを示すことはできない。
 レーニンの考えで新しいのは、労働者階級を指導し、労働者階級に社会主義の意識を吹き込む、前衛としての党という考えではなかった。
 レーニンの新しさは、…。
  (秋月注記+) 日本語版全集による訳を参考にして、ある程度変更している。
 ---
 改行箇所ではないが、ここで区切る。③へとつづく。
 

1284/日本共産党員学者・森英樹の癒らない妄言ぶり。

 日本共産党であることがほとんど明瞭な森英樹(名古屋大名誉教授、憲法学)が、日本共産党機関誌(正確に書くともっと長いのだろうが割愛する)・前衛の2015年6月号の巻頭近くで何やら縷々語っている。
 ・いわゆる安保法制についての今年3月20日の与党合意に関して、オウムという「狂信的カルト集団」に「引きつけて」、安倍晋三または安倍政権について、次のように「おぞましい印象」を語る。
  「狂信的な憲法嫌悪の首相とその一味(安倍一族!)が、いよいよその本性をむき出しにして大量殺戮の道をひた走り始めた」(p.30)。
 現在の政権・政府について、「大量殺戮の道をひた走り…」とは尋常ではない。さすがに大学名誉教授ともなると、創造力が平均人以上に豊かであるらしい。
 ・論理が逆ではないかと疑わせる、次のような叙述もある。
  「日本が、日本人が丸ごとどこかの国や武装勢力の敵になってしまう集団的自衛権行使容認」には国民的な批判が寄せられた(p.47)。
 「集団的自衛権行使容認」が「どこかの国や武装勢力」の行動の原因になるかのごとき書きぶりだが、それこそ頭の中が<倒錯>しているのではないか。しかし、森英樹が日本・日本人を敵とする「どこかの国や武装勢力」なるものを想定しているらしいことだけは興味深い。
 ・昨年7月1日の閣議決定による集団的自衛権行使容認がかつて(1985年)の政府解釈・内閣法制局答弁を変更する<解釈改憲>だ(立憲主義違反だ?)との批判があるが、森は正しく<解釈改憲>は初めてではなく警察予備隊・保安隊・自衛隊の設置の過程でも行われた(「元祖・解釈改憲」)と指摘している(p.42)。したがって、森英樹はそれ以上に深くは立ち入っていないが、今回の憲法解釈変更のみを取り出して<解釈改憲>だと騒ぐのは、憲法施行後の、とくに九条に関連する度重なる政府解釈の変化の歴史を無視した、又は敢えて見ようとはしていない議論だということを知る必要がある。
 ・上の点はまあよいのだが、森が最後に次のように言うのは、何を寝ぼけたことを、という感じがする。
 森によれば、中国・北朝鮮等の脅威から日本を<何とか守ろう>とする立場と>、「戦争・武力行使・武力による威嚇と軍事力を根底から否認する」立場
があるのだ、という。そして、集団的自衛権行使容認を支える前者ではなく、後者の立場に立つ、それが「原点からの批判をぶれることなく維持・展開する」ことになるのだ、という(p.51)。
 よくもこうヌケヌケと語れるものだと思う。
 日本共産党の「原点」は「戦争・武力行使・武力による威嚇と軍事力を根底から否認する」立場だったのか。この政党も(?)日本国憲法に対する立場をいつからか(いずれ確認したいものだ)変えていることはほぼ周知のことだ。
 日本国憲法制定時に現九条に反対して反対票を投じた政党は日本共産党だけだった。野坂参三は1946年6月28日にこう述べたとされる-「…侵略された国が自国を護るための戦争は…正しい戦争といってさしつかえない」、「戦争一般抛棄」ではなく「侵略戦争の抛棄、こうするのがもっと的確ではないか」。
  <自衛戦争>という戦争を容認し、そのための武力行使も容認するのが、この時点での日本共産党の立場だった。これこそが日本共産党の「原点」ではないのか。一般論としても、日本共産党幹部・党員たちば、現実性はほぼ皆無だとしても、日本共産党単独又は中心の政権ができれば、そのときになお存在しているだろう「自由主義」(資本主義)国家からの圧力・干渉・武力介入を抑止するために、<軍隊>(国防軍)を設置・活用しようと考えるのではないのか?
 二枚舌は使わない方がよい。それとも、100歳を超えてから除名したかつての日本共産党幹部・野坂参三のかつての発言などは現在の同党とは無関係だ、とでも主張しているのだろうか。 

0805/日本共産党・宮本顕治による丸山真男批判(1994.01.01、1994.03.27)。

 資料・史料-日本共産党・宮本顕治による丸山真男批判(1994.01.01、1994.03.27)

 1、宮本顕治への『赤旗』新春インタビューでの丸山眞男批判部分…『赤旗』1994年1月1日号、『日曜版』1月16日号
 //学問の世界での日本共産党の働き―「丸山理論」への本格的批判

 それとの関係で、私たちは理論的にどう前進したか、思想や理論の問題ではどうかということも考えてみる必要があります。昨年は、学問の世界でも、日本共産党が、有数の働きをした一年だったと思うんです。
 まずいえるのは、丸山眞男の日本共産党にも戦争責任があるという、近代政治学の立場からの日本共産党否定論にたいする批判、反論です。丸山氏の議論は、たまたま、日本共産党が「50年問題」で混乱している時期に世間を風靡(ふうび)した学説です。これにたいして、日本のインテリゲンチアのなかで若干のしっかりした人は学問的にも「丸山理論」を承服しないで、正論の立場から奮闘し彼を批判したことは十分記憶されなければならないと思います。しかし、当の日本共産党が、ああいう状況だったために、十分に反論しきれなかった。
 私も、1957年の鶴見俊輔氏らとの対談で「共産党の戦争責任」なる主張を正面から批判していますが(『中央公論』対談「日本共産党は何を考えているか」、『宮本顕治対談集』〔新日本出版社、1972年〕所収)、党としてそれにきっちり反論するというような状況にはなかったわけです。その後、党として丸山氏の議論が歴史の階級闘争の弁証法を理解しない誤ったものという批判はおこなってきました。志位和夫同志の「退廃と遊戯の『哲学』」(1986年)でもそれに言及しています。
 そういうなかで、昨年、初めて丸山眞男氏にたいする全面的、本格的な批判が「赤旗」評論特集版(1993年5月31日号)で展開されました。さらに、『前衛』(1993年12月号、「丸山眞男氏の『戦争責任』論の論理とその陥穽」)で批判しました。若い人が一生懸命論文を書いて、しかもただ丸山氏の「共産党戦犯」論の批判だけでなく、彼の学説の背景、彼に影響をあたえたドイツの学者の学説はどういうものかを調べて、丸山氏はドイツでさえいえなかったようなゆがめた共産党批判を行っているということまでをちゃんと書いています。堂々たるものです。
 「赤旗」評論特集版の長久理嗣論文―「社会進歩への不同意と不確信、『葦牙』誌上での久野収氏の議論について」も、集団的労作ですが、「共産党の戦争責任」をうんぬんした丸山眞男氏の議論をはじめて本格的に批判したものです。丸山氏の議論というのは、要するに、日本共産党は侵略戦争をふせぐだけの大きな政治勢力にならなかったのだから負けたのだ、したがって、侵略戦争をふせげなかった責任がある、“負けた軍隊”がなにをいうか、情勢認識その他まちがっていたから負けたんだと、そういう立場なんです。これにたいして長久論文は、世界の歴史の決着はこの問題でどうついたかをはっきりさせました。
 日本共産党の存在意義そのものにかかわることですが、戦後の憲法論争や世界史の結論からみれば、日本共産党の立場こそ先駆的だったのです。けっして日本共産党は負けたのではありません。歴史をつうじて、第二次世界大戦の結末をつうじてあきらかになったことは、日本共産党が先駆的な展望をしめしていたということです。しかも実際の勝ち負けという点から見ても、日本共産党はいわば大きく日本国民を救ったといえる、日本歴史の新しい主権在民の方向と展望を示す、そういう基礎をつくったんだということを書いたのです。
 これは当然の結論ですが、これが丸山氏の議論のいちばんの盲点になっていました。日本共産党は非転向といっても、みんな捕まり、軍旗とともに投獄された、結局、負けたじゃないか、というような誤った議論を論破する仕事を若い人をふくめて集団的におこなってきたのは、戦前史における日本共産党の役割をめぐる日本の学問のゆがみを正すことに貢献したといえます。//

 2、宮本顕治の第11回中央委員会総会冒頭発言での丸山批判部分『赤旗』1994年3月27日号

 //新しい理論的探究――丸山眞男の天皇制史観への反撃
 わが党はいろいろな新しい理論的な探究もいたしましたが、その一つが、丸山眞男の天皇制史観の問題です。この丸山眞男・元東大教授の天皇制史観はなかなかこったもので、それを近代政治学として裏づけているものであります。つまり、天皇制は無責任の体系である、責任がとれない体系であるというものです。それだけならともかく、その天皇制に正面から反対した日本共産党にも、実は天皇制の「無責任さ」が転移しているのだというのが、丸山の天皇制史観の特徴であります。
 これは、1950年代に展開されたもので、党中央が解体状態で統一した力をもたなくて、こういう党攻撃にたいしても十分な反撃ができなかった、いわば日本共産党が戦闘能力を失うという状況のなかで、丸山のような見解が学界を風靡(ふうび)したわけであります。何十年かたちまして、日本の現代論についてみると、党から脱落したりあるいは変節したような連中が、丸山眞男の天皇制論をもってきて、いまだに自分たちの合理化をやっているということがわかりました。革命運動のなかに天皇制的精神構造があるというようなことをいいまして、いろいろな攻撃をくわえてきたわけであります。
 丸山眞男の一番大きな誤りは、歴史を大局的に見ることができないということです。戦時中に日本共産党がかかげていた「天皇制反対」とか「侵略戦争反対」反共攻撃、ただ日本共産党が大衆をどう動員したかということではなくて、ひろく世界の戦争とファシズム反対という、世界の民主主義の潮流と合致していたのです。戦後の日本も世界もその方向に動かざるをえなかった。そこに日本共産党の先駆性があるわけです。
 それを彼は、日本共産党の幹部たちも雄々しくたたかったけれども、結局は、「敗軍の将」であって、「政治的責任」を果たさなかったと攻撃している。「死んでもラッパを離しませんでした」という木口小平の話のような結果ではないかという嘲笑(ちょうしょう)をした。そういう丸山の理論にたいして、50年代当時は十分な反論ができませんでしたが、いまはちがっております。
 何十年かたっておりますが、やはり非常に大事な問題です。しかも学界ではその後、丸山眞男をこえるような天皇制論をだれもやっておりませんから、これが一番の権威になっているのです。したがって、さきほどあげた丸山眞男の一番の盲点を中心とした反撃が大事です。『前衛』では昨年の十二月号に若い党の研究者がしっかりした論文を書きましたが、五月号には丸山の天皇制史観に焦点をあてて学問的にも充実した別の若手研究者の論文が発表されようとしております。//

 (*出所-宮地健一のウェブサイト内)

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