秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

公務員

2043/松下祥子・阿児和成・近藤富美子②。

 恐るべき「行政」、行政担当者、の実態がある。
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 行政機関情報公開法(平成11年法律42号。略称)は「行政文書」をこう定義している。
 第2条第2項本文「この法律において『行政文書』とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。ただし、次に掲げるものを除く。」
 「行政文書」なるものには地図・写真や「電磁的記録」も含む、というのがこの定義の仕方のミソだ。その際、「電磁的記録」も必ずしも一般的用語でないかもしれないが、それを「…その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録」と定義して、「知覚」・「認識」をいわば法律用語または法的概念として用いている。
 しかして、「知覚」や「認識」という行為が厳密に何を意味するかのさらに厳密な定義はない。
 ここでの「知覚」や「認識」という語法は私の何となくのこれらの語の理解の仕方に近いので、違和感はない。しかし、哲学的には?、あるいは脳神経生理学的には?、当然にこれらの正確な意味が問題になるはずだ。類似語に、「意識」、「感知」、「認知」、「理解」などがある。
 しかし、そのような言葉の厳密化を循環させるとキリがないので、法律用語としては、または「電磁的記録」をさらに定義する際に使う言葉としては、ギリギリ「知覚」と「認識」でとどめた、ということだろう。法律の適用・運用としては、この程度でおそらく十分なのだ。あとは健全で適切な<社会的感覚>または<社会的常識>に委ねている、ということだろう。
 ついでに、上の法律が「開示」を義務づけられない情報類型の一つとして定めるいわゆる「個人情報」(にかかる行政文書)の原則的・一般的な定義はつぎのとおりだ。
 第5条本文<略>
 同条第1号本文「個人に関する情報(<中略>を除く。)であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等(文書、図画若しくは電磁的記録に記載され、若しくは記録され、又は音声、動作その他の方法を用いて表された一切の事項をいう。<以下略>)により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照合することにより、特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)又は特定の個人を識別することはできないが、公にすることにより、なお個人の権利利益を害するおそれがあるもの。ただし、次に掲げる情報を除く。」
 ここでは「記述等」が原則的には「…に記載され、若しくは記録され、又は音声、動作その他の方法を用いて表された一切の事項」とされ、「等」が曖昧なまま「一切の事項」に包み込まれているとともに、「記載」・「記録」・「音声、動作その他の方法を用いて表された」もの、というこれら自体がなおも曖昧さを残した規定の仕方をしている。
 「記述」、「記載」、「記録」、「表された…」。これらは一体どう違うのか?
 文学的には(または文学趣味的には)、あるいは人間の「表現」にかかわる行為態様の分類という関心からは、さらに厳密な議論をすることが可能であるのかもしれない。
 しかし、<個人情報>を限定するための条文上の書きぶりとしては、上の程度で十分だろう、という判断を立法者は(そして法律案作成者は)したのだろう。
 あとは、健全で適切な<社会的感覚>または<社会的常識>に委ねているわけだ。
 同じことは、上の定めの中に出てくる、「照合」と「識別」についても言えるだろう。
 「識別」とは特定の個人の「識別」(英訳すると動詞はきっとidentify)を指しているのだから、きわめて重要な概念ではある。しかし、これをさらに詳細に記述することができない、またはそうしても実際上の意味がない、ということなのだろう。
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 <要旨>という言葉、概念がある。
 これは、法律用語、法的概念(または法学上の専門用語)ではないだろう。その意味では、一般的な、または日常的な用語であり、言葉、概念だ。
 もっとも、種々の判決例(を掲載した雑誌類)を見ていると、判決文自体の上下に<判旨>との注記があって、傍線(下線)と連動させていたり、判決文紹介の最初に、「判旨」とか「要旨」とか「判決要旨」とかと題されて、当該判決の<要旨>が記述されていることがある。
 また、例えば「原審判決の要旨」とか「この最高裁判決の要旨」とかは、裁判実務にかかわる情報の流通に際して、法学系論考の執筆や法学教育の場を含めて、かなりよく用いられるようでもある。
 しかし、ある判決の作成者(裁判官たち)が自らその判決の<要旨>なる文書をまとめることはないものと推測される。少なくとも、最高裁判所の判決については。
 下級審の判決であっても、その内容をメディア等に発表する場合に、その内容・「要旨」の作成は裁判官ではなく、裁判所の書記官が行っているのではなかろうか。
 よく知らないことが多いが、そうした文書を作成したり、注記を施すのは、当該判決の作成の過程にかかわった(最高裁の場合には)最高裁判所調査官であり、判決例を掲載する雑誌の編集者だったりするものと思われる(公的とされる雑誌・裁判例集の場合は、調査官・書記官が関与しているかもしれないが、民間の雑誌・裁判例集での判決例の「要旨」作成にまで携わっていないはずだ)。
 ともあれ、「要旨」は一般的・日常的な用語ではあるが、裁判や法的実務にかかわって、ある程度はよく使われている言葉かもしれない。
 だが、「要旨」とは、いったいどういう意味なのか。
 これは結局は、健全で適切な<社会的感覚>または<社会的常識>で判断するしかないと思われる。そして、各種「国語」辞典での意味記述・解説が、最も安直かもしれないが最も有力な手がかりになるだろう。
 とくに出典を明記しないが、<要旨>という語は様々に、しかし核心部分は一定して、その意味が説明されている。つぎのとおりだ。
 ①「主要な内容。あらまし。大要、サマリー。
 ②「述べられていることの主要な点。また、内容のあらまし。
 ③「講演・研究発表・論文などに述べられる(述べられた)事の、大事な部分を短くまとめたもの。
 ④「肝要な趣旨。大体の内容。
 ⑤「内容のあらまし、述べられているものの内容の主要な点を短くまとめたもの。
 国語辞典類に見られるこのような<要旨>という日本語の意味の説明のされ方からすると、健全で適切な<社会的感覚>または<社会的常識>と言ってよいものを前提とすれば、物理的・算術的な意味で、原文よりも<長く>なっている文章は、原文の<要旨>では、-あくまで通常はと丁寧に留保を付けておくが-あり得ない。
 だが、行政担当者の中に、しかも「法務」ないし「法規」関係の行政実務を担当している行政公務員の中に、上の意味で「あり得ない」言葉の用い方をする者、または そのような「あり得ない」言葉の用い方を擁護する者、あるいは少なくとも明示的にはそのような言葉遣いを何ら問題視しない者、がいるとなると、そもそも日本語の用い方に根本的な間違いがある点で、恐るべき「行政」、恐るべき行政担当者、の実態が存在する、と言えるだろう。さしあたりは、あくまで通常は、と丁寧に留保を付けておくが。
 憂うべきであるのは、決裁文書の<改竄>にとどまらない。
 (つづく)

1295/安保法制の議論-リスクある公務をするのは自衛隊員だけか。

 〇前回の補足または追加。
 ・2015.05.23閉会の「太平洋・島サミット」でパラオ等々の首脳たちは安倍内閣の<積極的平和主義>による平和・安全保障政策を肯定的に評価したとされる。
 安倍晋三らが「ネオナチ」ならば、このサミット参加首脳たちも「ネオナチ」なのだろうか。日本共産党は答えてほしい。
 ・満州事変発生は1931.08、日独伊三国同盟締結は1940.09。日本共産党・不破哲三が「戦争」という場合の戦争とは<15年戦争>を指しているのだとすると、ドイツ・ナチスと「腕を組んだ」とは言い難い期間も含まれている。
 日本共産党・不破は、もう少しは丁寧に論じなければならないのではないか。
 ・「ネオナチ」とは要するに「ヒトラーの戦争は正しかった」と考える者のことらしいが、「ヒトラーの戦争」の意味・範囲を明確にしておらず、<ヒトラー=安倍ら>というイメージだけを作りたいようだ。安倍首相も含めて、あるいは「日本会議」や「神道政治連盟」の役員や会員を含めて、「ヒトラーの戦争は正しかった」と考えている者はどの程度いるのだろうか。いわゆるホロコーストまでも含むのだとすれば、「正しかった」と明言できる者はむしろ少ないように思われる。
 いずれにせよ、デマゴギーというものは、概念の意味が明確ではなく、論理もいいかげんだ。前回に取り上げた、デマゴーグ・不破哲三の議論もその一つだろう。
 〇安保法制の整備にかかわって、自衛隊員に対する<リスク>の高まりを問題にする「左翼」論調が少なくない。民主党・岡田克也もそれに加担しているようだ。
 自衛隊員が「殺し、殺される」可能性が高くなる、というような表現がなされることもあある。確認しないが、朝日新聞はさっそくこのような言い方をしているに違いない。名うての「左翼」活動家になってしまっている山口二郎も、奥平康弘=山口二郎編・集団的自衛権の何が問題か(2014、岩波書店)の中の「安倍政治の戦後史的位相」と題する文章の中で、つぎのような表現を用いている。
 憲法九条は「戦争に動員された個人が生命を失うという事態を永久に起こさない」という意味をもった。安倍晋三らは憲法九条によって「欠陥国家」になっているのを改めて日本を「まともな」「近代国家」にしようとしている。そのために、「国民に死ねといえる国家を作るという本当の狙い」を隠して、「積極的平和主義」という「新語法」を「取り巻きの学者たち」に使わせている(p.3-4)。
 何ともオドロオドロしい言い方だ。とりあえず自衛隊員が「死ぬ」または「殺される」リスクに言及されることが少なくないことについて、以下のような感想をもつ。山口は「戦争にに動員された個人」という言い方をしているので、一般国民ではなく、やはり自衛隊員を主としては念頭において上のようなことを述べているのだろう。
 第一に.自衛隊員の危険性に焦点があてられているということは、反面では、今次の安保法制の整備による一般国民に対する危険性、リスクの高まりを野党又は「左翼」もさほど意識してはいないことを意味しているだろう。これは興味深いことだ。
 と同時に、-個別的自衛権の問題ではあるが-中国や北朝鮮による日本の国土・国民に対する直接攻撃の可能性もまた意識しておかなければならない。危険があるのは、自衛隊員だけではない。一般国民もリスクに直面しているのであり、自分たちだけは「安全だ」、危険な仕事をする自衛隊員たちは<可哀想だ>などという意識で安全保障の問題を議論してはいけない。
 第二に、自衛官に特化してそのリスクを論じるのは、ある意味では自衛官・自衛隊員に対して失礼だとも言える。
 産経新聞5/20の「正論」欄で、西原正は、「確かにこれまでより危険度は高くなる」としつつ、次のように言う。
 自衛官は「事に臨んでは危険を顧みず、身ををもって責務の完遂に務め…」と服務宣誓しており、「自衛官の防人としての誇り」を精神的支柱としている。「危険なところに送るな」というのは「自衛官を侮辱しているとさえ言える」。
 第三に、「公共」、すなわち国家・地域や国民・住民のために生命に対するものも含む危険性のある中で仕事しているのは、自衛官・自衛隊員に限らない。
 警察官も消防官・消防隊員も、朝日新聞の社員やほとんど文章だけを書いているような学者・評論家の類よりは、はるかに危険な任務についており、職務上・公務上の理由で生命を落とす可能性は一般国民よりは高い。
 警察官や消防官・消防隊員に限らず、台風、地滑り、地震等々を原因とする自然災害から国土や国民の<安全>を守るために、河川等々の土木関係公務員や、場合によっては一般公務員ですら、生命・身体の危険を顧みず仕事をすることがある。そのような例は、生命を落とした町村役場職員があることも含めて、東日本大震災時に見られたことだ。
 しかるに、自衛官・自衛隊員に対するリスクのみを今次の安保法制にかかわって論じるのは、より日常的に、一般国民よりは高いリスクの中で仕事をしている行政公務員に対して失礼だろう。
 自衛官・自衛隊員に限らず、法律(および条例)にもとづいて危険な職務を遂行することを地方公共団体を含む「国家」によって要求されている公務員はいくらでもある。
 そのような、国家・法律による(またはそれにもとづく上司の個別の命令による)リスクある職務に就いている公務員の存在をまったく無視するようなかたちで、自衛官・自衛隊員のリスクのみが語られるのは、やはり何らかの<政治的>狙いがあるように思われる。
 自衛隊員が「殺し、殺される」可能性が高まるとか語っている野党あるいは「左翼」の人士たちは、朝日新聞の記者も含めて、本当に心から自衛隊員とその家族のことを心配して、発言したり、文章を書いているのだろうか。<偏頗>と<偽善>の匂いが、なきにしもあらずだ、と感じる。

1120/斉加尚代(毎日放送)・橋下徹(大阪市長)の質疑全文③完-2012.05.08。

 斉加尚代(毎日放送)・橋下徹(大阪市長)の質疑全文③完
 2012.05.08 
<資料・史料>


 〇斉加 じゃ、最後にお訊きします。市長が中原校長だったら、中原校長と同じことをしますか?
 〇橋下 当たり前ですよ。職務命令で起立・斉唱というのが出てるんじゃないですか。子どもたちに、音楽の課題を与えて、歌いなさいと言ったときに、唇をチェックしない音楽の先生がいますか。それがダメなんだったら、教育委員会が、起立をするだけという命令に切り替えたらいいんですよ。君が代を歌うときには起立だけでいい、という命令にしたらいいじゃないですか、教育委員会が。
 〇斉加 もう一つ、じゃあ、何のために歌うのか、教えていただけますか。これは一般論として。
 〇橋下 われわれが答えるべき問題じゃない。あなたが、何も取材もしていないしね、勉強不足なのにね、それは、取材する側としてはちょと失礼ですよ。あまりにも、勉強不足。あなた、この方はどこの記者の方なんですか? <他記者の発言あり> で、市政担当でも何でもないでしょ。まったく、だって、それが事実から何にも知らないんだもん。
 〇同僚?記者 条例上問題ないのはよく…。
 〇橋下 そしたら、おたくの方から、記者の方から、ちゃんと知ってる方から訊いて下さいよ。
 〇同上同僚?記者 いや、取材はよくしてて、分かってるんですが、ちょっと、訊き方にちょっと問題があったのかもしれませんけど…。
 〇橋下 だって、何にも分かっていないだもん。
 〇同上同僚?記者 条例上問題がないのは分かってるんですが、…。
 〇斉加 それは私も分かってます。
 〇同上同僚?記者 アンケートの結果でね、やはり口元チェックについては、…過半数がですね、ちょっとやり過ぎだと思うと、だから条例上問題がなくとも口元チェックはやり過ぎだと思うというのが、やはり校長の、過半数の校長のご意見で、実際、問題ない、当然だというのはわずか3人しかいらっしゃらなかったんで、やはり一般論的には問題だなとお考えても、いいんじゃないですか、ということをお訊きしたいんです。
 〇橋下 全然、問題はないと思いますよ。それは世間一般に確認してもらったらいいんじゃないですか。問題があるんだったら、教育委員会が命令の内容を変えないと。起立・斉唱命令を出したんですもん。全教員に対して。じゃあ、われわれ命令出してね、何でもいいですよ、市民のみなさんに命令出しますよ、うー、例えばタバコ・ポイ捨て禁止の条例でも何でもいいです、そのときに、タバコのポイ捨てをしたときにね、ポイ捨て禁止の条例になってるのに、いやそれは、ふつうに捨てるのならいいですよ、そこまではやり過ぎです、そんなこと取り締まったらダメですよなんて言えますかね。
 〇同上同僚?記者 まぁ、例えば、陰に隠れてこそっと見てて、捨てるの待って言わなくても、捨てるかもしれなかったら先に注意するとか、いろんなやり方があるというような、そんな裁量の範囲内の話かな、と。
 〇橋下 法の適用に裁量を求めていいんですか?
 〇同上同僚?記者 でも、この…斉唱に対して校長のマネージメントの範囲というのがあるじゃないですか。
 〇橋下 そしたらね、範囲の中だったら、それぞれの個人の主観といいますか、その裁量の範囲内でしょ。やり過ぎかどうかなんていうことを、コメント出すこと自体が失礼ですよ、それは。裁量の範囲内じゃないですか。
 〇同上同僚?記者 だから、明らかにダメですと、こっちが断言しているんじゃなくて…。
 〇橋下 いや、ダメだ、ダメだ、と訳の分からないことばかり言ってるじゃない。範囲内だったら、何にも問題ないでしょ。
 〇斉加 私も範囲内…<不明>。
 〇橋下 だから、それだったら、教育委員会が、しっかりそういうことをね、言ったらいいじゃないですか。口元のチェックまでしたらダメですよ、とか。
 〇同上同僚?記者 ダメですよとまではもちろん言えないと思うんです…。
 〇橋下 それじゃ、やってもいいわけじゃないですか。
 〇同上同僚?記者 そうです。やっても別にいいんです。
 〇橋下 じゃあ、あとはやり過ぎかどうかなんてのは、それぞれの校長の判断なわけでしょ。
 〇同上同僚?記者 そうなんです。で、そこの判断のところを、やはり過半数の人がやり過ぎだと思うというふうに答えているので、それについていかがですか、と…。
 〇橋下 それは、人数、関係ないじゃない。裁量の範囲だったら。そういうふうに思う人もいれば、そういうふうに思わない人もいる。それぞれ尊重しましょうというのが裁量の範囲内でしょ。そんなところでアンケート取ったって、意味ないじゃないですか。裁量の範囲内なんですから。裁量の捉え方なんですから。そんなところでアンケートで40何人がやり過ぎだと思うということ言って何の意味があるんですか。裁量の範囲内なんでしょ。
 〇斉加 ですから…。
 〇橋下 だから、やる校長もいれば、やらない校長もいるわけだから、どっちがいい悪いなんてことを評価してはいけないでしょ、それは。ダメなんだったら、ダメって言っておくべきなんであってね。裁量の範囲内なんだったら、やる校長もいれば、やらない校長もいる。中原校長だってね、あなた、取材も何もしていないと思うけれども、あの校長だって教育委員会とやりとりをやって、そのやり方を、ほんとに創意工夫というか、頭を悩ましたんですよ。3秒間、式を乱さないように、後方からパッと各校長〔ママ〕の口元を見た、その場で指摘はしない、式を乱すから。別室に行って、あなた歌ったか歌ってないかということを、確認した。そこで歌ってましたよと言った人は、別にお咎めなしですよ。そこまで追及しない、彼は。歌っていないと認めた人を教育委員会に報告したんですよ。何が悪いんですか、それの。歌っていないことを、ちゃんと管理、マネージメントしてるわけじゃないですか。あなたの質問の趣旨は、一貫して…。最後はもうブレ始めている。じゃあ何のために質問してるのか、言ってくださいよ。質問の意図がわからない。
 〇斉加 わかりました。
 〇橋下 まず、事実関係も勉強していない。
 〇斉加 じゃあ、中原校長のやってらっしゃることを、私は何も評価はしていません。ただですね、中原校長が私はこれを裁量権でやりましたとおっしゃったんだったら、私は納得します。けれども、教育委員会から命じられてとおっしゃって、教育委員会が口元チェックまで命じていないと思うんですね。
 〇橋下 何を言ってるんですか。裁量を誰が与えたんですか。中原校長に、最初に、始源的に、オリジナルに権限があるんですか? 誰がその裁量を与えたんですか、そしたら。中原校長が、そのマネージメントをする権限を与えたのは、誰ですか? 言って下さい。法の授権の話です、これは。もう、原理・原則の当たり前の話も分かっていない。教育委員会が、口元のチェックをしてもいいし、やらなくてもいいし、やることも、その権限を与えたのは教育委員会の職務命令ですよ。職務命令に従ってやったというふうに言って、何の問題があるんですか。
 〇斉加 まったく問題はない。まったく問題ないです。
 〇橋下 じゃあ、何を訊いてるんですか?
 〇斉加 何…。どういうことですか。
 〇橋下 何の質問なんですか。何の問題もないんだったら、何を質問してるんですか、そしたら。
 〇斉加 でも、アンケートの結果は、それについて、市長のおっしゃったように素晴らしいマネージメントとの結果にはなってませんので、そこをお訊きしたいんです。
 〇橋下 全然それは、校長がそれぞれそういうふうに判断してるだけじゃないですか。素晴らしいマネージメントでいいじゃないですか。その範囲内できちっとチェックをした。歌ってないと言う人をちゃんと報告してるじゃないですか。それマネージメントですよ。条例作って、歌ってない人を放置してたら、全然法の意味がないじゃないですか。起立・斉唱という条例を作った。歌ってない人をきちんと報告した。その報告の仕方は、式を乱さずに、本人の思想良心を害することなく、本人に歌っていませんということを認めさせて、報告させたんですよ。こんな完璧なマネージメント、どこにあるんですか。言って下さい。じゃあ、あなたのところの社内のルールはありますか? 社内のルールはあるのか、まず訊いてます。社内のルールはある?
 〇斉加 それはあるに決まってるじゃ…。
 〇橋下 チェックはしないの? そしたら。ねぇ、MBSへ行ったら、トイレに入ったら、ここでタバコ吸うなとか禁煙とかいろいろありますけど、それはチェックはしないの?
 〇斉加 時間の無駄ですので…。
 〇橋下 無駄じゃない。それは重要なの。ルールは作って、チェックはしないの、MBSは?
 〇斉加 チェックはしますけれども、チェックの仕方はいろいろ…。
 〇橋下 チェックの仕方はいろいろあるけれども、教育委員会の裁量の範囲内でしょ。中原校長は、教育委員会が口元のチェックはしてもいいし、しなくてもいいし、そのあたりのことは教育委員会が裁量を与えたんでしょ。その範囲内でやっていることを、何が問題があるんですか。完璧なマネージメントじゃないですか。思想良心を害したわけでもなく、本人に強制させたわけでもなく、本人に認めさせた。式典と違うところに出させて、そして式典でのチェックは3秒間だけの、パッとした一律の、目視というか、目で視ただけ。そして別室に寄せて、連れてきて、歌ってますか、歌いませんでしたか。最初何人か呼んできたらしいですよ。歌いましたという人に対して、それを否定するようなことを彼はしなかった。歌ったと本人が言ったんだったら、それでいい。口元が動いていようが、動いていなくとも、心の中で歌っていたんだったらそれでいいと彼は判断した。完璧なマネジメント。他の40何人の校長というのは、そういう法律のね、そういう知識がないから、強制しちゃいけないとか、一律にやっちゃいけないとか、四の五の言ってますけれども、彼は、緻密に緻密に論理を構成して。こんなの、裁判所に行ったって、あなたのように勉強不足の記者がいくら質問したって、こんな論理は崩せませんよ。僕らは、これは緻密に緻密に、誰からも、どの法学者に言われても、破綻しないような論理を組み立ててきている。組み立ててきたんだから。そんな勉強不足のね、そんなのが、何を言ったって、無理なの。もしそれを言うんだったら、教育委員会の方に、どういう命令を出したのか、各校長に与えた権限はどの範囲内なのか、しっかり勉強してからやらないと。
 〇斉加 あの、最後の質問なんですけど…。
 〇橋下 いやいや、もっとね、報道がね、誤った情報を伝えるから、中原校長は、社会的に、非常にね、大変な状況になっている。
 〇斉加 あ、そうなんですか。
 〇橋下 当たり前じゃないですか。ネットでも見て下さいよ。あなたみたいな、そんな頓珍漢な記者がね、いろんなことを報道するから。ネット見て下さいよ。
 〇斉加 でも、メールを見て公表してもいいとおっしゃって下さったのは…。
 〇橋下 彼の覚悟ですよ。
 〇斉加 それは橋下さんがお勧めになられたんですよね。
 〇橋下 勧めじゃないです。二人で考えて、この馬鹿げた、このような状況を何とか正さなければならないということで、僕がお願いをして、それで彼も合意をしてくれて出した。どういう状況になるかというと、案の定、あなたみたいな頓珍漢な記者が、事実関係も知らずに、ワンワカワンワカ吠えまくって…。こうやって話したら、あなたの論理、もう無茶苦茶じゃないの。何も、質問していることが何も伝わって来ない。誰が聞いても頓珍漢です。あのー、ホームページにまた出すから、いいけれども。自分で、頓珍漢さ加減、分かってないの? じゃあ結局、質問を整理して、一から質問して、もう一回。何が訊きたかったんですか、僕、さっぱり分からない。
 〇斉加 じゃあ、一番訊きたかったことを最後にお訊きします。あの、子どもたちにですね、卒業式・入学式で君が代を歌うということは何の目的ですかと訊かれた場合、どういうふうにお答えになれますか?、
 〇橋下 子どもたちに、われわれ、義務課してませんよ。
 〇斉加 いえいえ…。
 〇橋下 教員に課しているんです。
 〇斉加 じゃあ、教員、先生が歌わなければいけないのはどういう理由かっていうことを、子どもたちに分かるようにお伝えいただけますか。
 〇橋下 国歌だからですよ。式典だからですよ。君が代、歌うときに、起立斉唱するのは当たり前のことじゃないですか。国歌斉唱、式典で国歌斉唱って言ってるんですよ。何で、卒業式や入学式で、国歌斉唱という儀式があるんですか。まず、そこ、答えて下さい。それをまず言って下さい。
 〇斉加 今の、子どもたちにはちょっと分かりにくいと思うんですけれども、どういう理由かを教えて…。
 〇橋下 じゃあ、入学式や卒業式で、国歌斉唱という、そういう儀式は要らないんですね。それこそ、大相撲でも、ワールドカップのサッカーの試合でも、国歌斉唱ということは要らないんですね。
 〇斉加 あの、公立学校で国歌を歌ってるというのは、それほど世界的に見ても多くはないと聞いてますけれども…。
 〇橋下 公立学校で、世界的に見てとか、そうではなくて。でも歌っているところもある。ある国によっては、ある国というか、ある地域によっては、映画を見終わった後に、そこに国歌が流れる場合もある。いろんな式典で国歌が歌われることもある。公立学校とか、式典とか、そこはさまざまじゃないですか。
 〇斉加 市長の今のご説明だと、それは、当たり前のことですね、というご説明だと思うんですが、子どもたちに分かるようにもっとご説明いただけないですか。
 〇橋下 それは各学校で親に訊くべきじゃないですか。そんなのは常識です。じゃあ入学式や卒業式で国歌斉唱しなくていいのか。そんなふうに考えられるかどうかってことですよ。それはもうふつうの感覚。理屈じゃないんです。
 〇斉加 それじゃ、親に訊けと言った子どもは市長に訊いてるんですってなりますよねぇ。
 〇橋下 いや、そしたら親が、国民として親が言ったらいいじゃないですか。もう、卒業式や入学式で、もう国歌は歌わなくていいよっていうふうに親が言われるんだったら、子どもたちは歌わなくていいですよ。僕たちが言ってるのは、教員に対して言ってるんですよ、公務員に対して。公務員なんだから。彼らは、公務員で、日本のために、日本の国家から税金をもらって、国家のために仕事しているんだから、キッショキッショ〔?〕の式典で、国歌を歌うの、当たり前じゃないですか。そんなこと言い出したら、日本の国歌斉唱の儀式、全部、理由を問うことになりますよ。国民に対しては義務は課しません。歌うかどうかは自由です。子どもたちも自由。親がどうしても歌いたくない、いろんな考え方がある。うちの子どもは歌わなくていい、着席しろと言うんだったら、それも自由です。公務員に対して言ってるんだから、子どもたちに対して、という話とは違うでしょ。われわれが言ってるのは、条例で決めてるのは、公務員に対してルール化してるんですよ。話が無茶苦茶。国民に対する義務じゃないわけ。
 〇斉加 いや、そうじゃなくて、先生に無理やり歌わせることについて、子どもたちにどうご説明されるか、ということを…。
 〇橋下 公務員だから。当たり前です。公務員だからですよ。大阪市の職員も、採用の任命式のときに歌わせましたよ。公務員ですから。きちんと日本国家のために働いてもらわなきゃ困るんですから。憲法、条例、法令にもとづいて…。国民とは違うんです。憲法、法令、条例にもとづいてしっかりと職務をまっとうする、それが公務員なんです。公務員の歌は何ですか、社歌は何なのか。国歌じゃないですか。
 〔一部省略〕        
 〇斉加 もうこれで最後にしますけれど、13年前、野中広務さんが、一律強制はしないとあれほどくどく言ったのにと、大阪は大きなマイナスの一歩を踏み出したと、つい先日おっしゃったんですよ。
 〇橋下 強制は国民にはしていません。
 〇斉加 公務員も…。
 〇橋下 公務員は、だって、社歌なんだから。それは自由じゃないですか。社歌を歌う、大阪市の市歌というのもありますよ。どういう歌をきちんと歌うのか、僕の組織の感覚では、公務員だから国歌を歌ってよ。当たり前じゃないですか。
 〇斉加 じゃあ、歌えない方は退場すればいいと…。
 〇橋下 そうです。公務員を辞めればいいんです。そういう、歌いたくないんだというんだったら、公務員じゃなく、民間の企業に行ったらいいじゃないですか。MBSなんか行ったらいいですよ。社歌も何もないんだし。〔省略〕
 〇斉加 フフフフフ…。まぁ、あの、このくらいにしておきますけど…。
 〇橋下 このくらいにしておきますけどって、失礼な言い方は何ですか。吉本の新喜劇でもですね、もうちょっと丁寧な対応をしますよ。
 〇斉加 どうも、ありがとうございました。
 〇橋下 これ、ちょっとどうですか、みなさん。この質問の仕方。これくらいにしときますけどもって。
 〇斉加 いや、噛み合わないなというふうに、私もちょっと感じましたので。
 〇橋下 だって、勉強していないんだもの。
 〇斉加 いや、市長が、私が答えていただきたいことに、お答えいただけないこともありましたので。
 〇橋下 だって、事実関係、何も勉強していないんだもの。答えようがないじゃない。命令の主体も、命令の対象者も分かってないし、一律に強制してどうなんですかって、教育委員会が決定してるんじゃない。全教員に対して、歌いなさいよって職務命令を出したんじゃない。そんなことも知らないで、一律に強制が、一律に強制がって、一律に強制したのは教育委員会じゃないの。
 〇斉加 それは知ってますよ、だから…。
 〇橋下 だからそんなの、知ってるも何も、それを質問でね…。知ってますよって、今、後づけで言ってるのはみんな分かってる。
 〇斉加 後づけじゃなくってですね…。
 〇橋下 結局、だからもう全部ね、おたくが考えていた論理というのはおかしいというのは分かっている。まぁ、本人はね、納得されないけれども、ここでもう明らかになったから、いいです。こういう場でね。もう、MBSも、おたくみたいな頓珍漢な質問が出て、何がおかしいのかよく分かったんで。
 〇斉加 ありがとうございました。
 〇橋下 はい。
 <おわり。青太字は掲載者。忠実な再現に努めたが、聴き誤っている可能性か全くないとはいえない。>

0734/田母神俊雄・田母神塾(双葉社)を全読了-日本の「防衛」。

 田母神俊雄・田母神塾-これが誇りある日本の教科書だ(双葉社、2009)をようやく全読了。
 日本の政治家・国民の<軍事・防衛>に関する知識は乏しい。
 ・「専守防衛」・非核三原則・武器輸出(禁止)三原則は改めるべきだ。
 ・ニュークリア・シェアリング・システムを日本も導入すべき。以上、田母神の主張に納得。
 ・自衛隊を「軍隊」と認めないでおいて(「軍人」はいない筈なのに)<文民統制>を語るとは、そもそも笑止千万の旨の指摘も面白い(p.217)。
 かりに朝日新聞的「左翼」の見解を歴代内閣の見解に反して公にした行政公務員(とくに事務次官等の上級官僚)や自衛官がいたとし、かつそのことで<更迭>等の意に反する実質的制裁を受けたすれば、朝日新聞は、公務員にも「一市民」としての「内心の自由」・「思想・信条の自由」そして「表現の自由」があるとして、その公務員を擁護し、政府の側を徹底的に批判するのではないか。
 いわゆる田母神俊雄論文の執筆・公表は「一私人」としての行為だと昨秋に政府は認めていた(その上で、その地位にふさわしくないとした)。
 人権派(公務員の「人権」についても)のはずの朝日新聞はなぜ、公務員たる田母神俊雄については、公務員も「一市民」としては持つ「内心の自由」・「思想・信条の自由」そして「表現の自由」(それぞれ歴史認識を含む)を持ち出して、政府・防衛相を批判しなかったのだろうか。
 国歌伴奏拒否音楽教員(公務員)の方を朝日新聞は擁護し、東京都教委・校長の側の<強制>を批判したのではなかったか?
 言うまでもなく、自分たちに都合のよい<言論>しか実質的には許容しないという、都合の悪い<言論>は<言論>自体を許容しないという、<全体主義>的意識を(それは<ご都合主義にもつながる)朝日新聞が持っていることによる。
 ・①周辺に中国・北朝鮮のような危険な国のない英国・フランス・ドイツにおいて、日本と比較しての軍事費の多さは次のとおり(p.239の資料による。1ドル=129円=約0.9ユーロで計算。英・仏は核保有国でもある)。
 人口一人当たり「国防費」-日本293、英779、独318、仏603(ドル)。
 対GDP「国防費」-日本0.944、英2.4、独1.1、仏1.9(%)。
 ②A「現役総兵力」数(万人。p.238)-中国225.5、北朝鮮110.6、そして日本24.0。
 ②B「海兵力」=海兵隊・海上自衛隊員数(万人、p.239)-中国160、北朝鮮100、韓国54、台湾20、そして日本14.9。
 むろん在日米軍の存在も考慮する必要はあるが(在欧米軍もある)、日本の<安全>は心もとないのではないか。
 ・「防衛出動」には、武力攻撃事態国民安全確保法(略称。いわゆる有事立法の一つ)9条により事前に国会の承認が必要とされる。真の<有事>・<非常事態>において、これでは間に合わないだろう。またそもそも、<反戦平和>の気分の国会議員が過半数が占めていれば「承認」がなされないこともありうる。「防衛出動へのハードルをもっと下げるべき」との主張(p.212)に同感。
 ・日本へのミサイル攻撃があった、又は明白に予測されるときにその「基地をたたく」ことは「法理的には自衛の範囲に含まれ、可能」との首相答弁(1956.2.29)はまだ生きているとされる。しかし、現実には、今の自衛隊の情報等の能力では、外国の「基地をたたく」のは不可能らしい(p.215-220)。
 例えば、日本には北朝鮮の精細な地図(地下の状態等立体面を含む)等(建物の高さ・強度等の情報)がないようだ。日本の<安全>は心もとないと思われる。

0319/泥棒の巣-社会保険庁。

 社保庁職員による着服あるいは横領は、たまたま公務員としての不適格者が多かった、では済ませられない。また、「たまたま」でもないだろう。
 「犯罪者」のすべてが少なくともかつて、上部団体を自治労とする組合員だったとは言わないが、組合員もいたに違いなく、かつ組合の幹部がおそるべき実態をいっさい知らなかったとは考え難い。
 反(資本主義的)権力・反「保守」権力者たちにとっては、政治と行政が円滑に効率よく、国民のために機能してもらっては困る。年金制度が問題なく、あるいは問題ができるだけ少ないままで運営されては困る。自由主義・「保守」主義の政治・行政を混乱させ、麻痺させ、自由主義・「保守」主義では困るとの印象を国民大衆に与える必要があるのだ。そうした<社会主義>幻想の尻尾を残した反権力・反資本主義国家「主義」のためならば、総計数億円が国庫から消えたところで、何の痛痒も感じない。そうした確信犯的「犯罪者」や知らぬ振りをした組合幹部がいたはずだ。
 国家組織内に巣くう「白蟻」。当然にすみやかに駆除し、かつ刑罰という制裁を課す必要がある。金額が微少だとかの理由で告発もされずまだ公務員の身分を持っている者がいるだろうと思うが、将来の日本年金機構に採用されてはならないのは当然のことだ。  --------  メモ-サピオ8/22・9/05合併号の共産党特集を読んだ。

0265/2/27君が代伴奏命令拒否懲戒処分取消訴訟最高裁判決。

 やや旧聞だが今年2/27、君が代伴奏命令拒否懲戒処分取消訴訟で東京都側の勝訴が確定した。最高裁判決を支持したい。この判決に関しても、関心を惹くことはある。
 1.原告音楽教諭は「君が代は、過去の日本のアジア侵略と密接に結びついて」いると考えているらしい。簡単に「過去の日本のアジア侵略」と理解してよいのか、いつから「侵略」になったのか既に満州事変からかさらに日清・日露戦争もそうだったのか、原告はきちんと理解しているのだろうか。始まりの時点に誤りがあれば、またそもそも全体として「アジア侵略」と称し得ないものであれば、原告が前提とする理解・歴史認識自体が誤りであることになる。
 2.かりに1.の前提が正しいと仮定して、そのことと君が代とがどういう関係があるのか。君が代が「アジア侵略」と「密接に結びついている」という感覚は、前者が後者の象徴として用いられたということなのだろうが、理解し難い。読売の要旨によると藤田宙靖裁判官は「君が代に対する評価に関し、国民の中に大きな分かれが存在する」と書いたらしいが、かかる認識は妥当だろうか。かりにそうだとしても、国民代表議会制定の法律によって国歌を君が代と明定していることとの関係はどうなるのか。擬制でも、国民の多数は君が代を国歌と見なしていると理解すべきではないのか。過去の歴史を持ち出せばとても現在の国歌たりえないものは外国にもいくらでもありそうだ。
 ともあれ、原告は戦後の悪しき歴史教育の、あるいは「一部の教師集団が政治運動として反「国旗・国歌」思想を教員現場に持ち込んできたこと」(読売社説)の犠牲者・被害者だともいえる。その意味では実名は出ていないが気の毒な気もする(尤も、仲間に反「国旗・国歌」思想を吹き込む積極的な活動家だったかもしれないが)。
 3.判決は学習指導要領を根拠にしており、従って私立学校についても今回の判決はあてはまりそうだが、公務員であることを理由とする部分は私立学校教員にはそうではない。懲戒処分取消訴訟という行政訴訟の形もとらないはずで、私立の場合はどうなるのかは気になる。但し、学校長の命令が特定の歴史観・世界観を否定したり強要するものではないとする部分は私立学校の場合でも同じはずで、命令拒否を理由とする何らかの懲戒は私学でも許されることになるように思われる。尤も、これも採用又は雇用時点での契約にどう書かれるのかによるのかもしれない。
 60年以上前のことで多大のエネルギーを司法界も使っている。南京事件も「慰安婦」問題も一体何年前の出来事なのか。今だに引き摺っているとは情けないし、痛憤の思いもする。

0127/土橋悦子-船橋市立西図書館「焚書」事件。

 迂闊にも昨年になって知ったのだが、船橋市職員(司書)で当時は市立西図書館に勤務していた土橋悦子という女性職員が、(冊数が多い順に)西部邁、渡部昇一、福田和也、西尾幹二、長谷川慶太郎、小室直樹、谷沢永一、岡崎久彦、日下公人、坂本多加雄、井沢元彦、藤岡信勝、高橋史朗、福田恒存、一団体(所謂「つくる会」)の、同図書館所蔵の著書計107冊を除籍・廃棄した( リストから外して捨てた)。
 うち個人8名等が慰藉料請求訴訟を提起したが、第一審・控訴審ともに請求棄却だった。但し、例えば1審判決は土橋は「原告…に対して否定的評価を抱いていた」、「他の職員に対して原告らの著書を書棚から抜いてくるよう指示して手元に集めた…」、「本件除籍等は、原告つくる会らを嫌悪していた被告A(土橋)が単独で行った」と認定し、市との関係では土橋の行為は「違法」と明言 していた。
 最高裁は2005年7月14日の判決で、「公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは、当該著作者が著作物によってその思想、意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なう」、「公立図書館において、その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は、法的保護に値する人格的利益である」として国家賠償法上も違法となるとし損害賠償請求が認容されるべきものとして破棄差戻した。
 これを受けて東京高裁は2005年11月24日に原告一人3000円+法定利息という少額ながら市への請求を認容した。
 土橋悦子は公務員である。が、人の「思想」・「主張」によって不利に「差別」的に取扱った。「嫌いな」主張者に市の施設(水道や公園等)の利用を拒み、極論すれば市立病院で意図的に不利に扱って死なせることに等しい。
 この人のしたことは、公務員に対する根本規範(職務の公正・中立性)を侵害することの明白な極めて重大で「深刻」な非違行為だ。船橋市長は懲戒減給処分しか土橋にしていないようだが、甘過ぎ、私は懲戒免職処分に値すると思う。
 被害者が「一定」の方向の人々らしいから言うのではない。逆の方向?の人々でも問題の本質は同じ。 右か左かの問題ではない。不正義か正義か、悪か善か、「歪んで」いるか「真っ当」かの問題だ。
 ところで、私は、日本共産党の党員は、彼(彼女)が真面目な党員であればあるほど、明確に日本共産党と反対の立場に立って日本共産党を論難している者が自分の傍らで(他に誰も見ていない場所で)脳梗塞でも心臓麻痺でもいいが何かの原因で死に至りそうになったとき、あえて(救急車を呼ぶ等の)助命措置をとらないのではないか、と想像している。「党の敵」に対しては、日本共産党の微笑に隠された冷酷さ・残忍さが露わになるのではなかろうか。
 日本共産党ではなく、ソ連共産党、中国共産党、朝鮮労働党なら、上のようなことはむしろ当然のことで、現実にあったことだろう(毛沢東が周恩来が癌に罹っているのを知っても一切治療させなかったという話を最近何かで読んだ)。
 マルクス・レーニン主義によれば、「労働者階級」の中にも存在しうる左右の日和見主義者、共産党内部にも存在しうるそのときどきの権力者に対する抵抗者・少数派は「人民の敵」として <抹殺>されてよかった。そうでないと「労働者階級」の権力(プロレタリアート独裁)、その中核の「党」を築き、守ることはできないからだ。
 <人民の敵は(その思想のゆえに)殺してもよい>という考え方は、容易に、<人民の敵が著した本は(その思想内容のゆえに)廃棄してもよい>との考え方に直結する。後者は、生命を抹殺するよりは遙かに寛大な措置だ。
 社会主義国ではなかったからだろう、その信念に基づいて<人民の敵が著した本は(その内容のゆえに)廃棄してもよい>との考え方を実行に移したのが、船橋市役所職員(当時市立西図書館勤務)の土橋悦子だった。
 この人は「何となく左翼」ではなく、日本共産党か又はその他の「左翼」的組織の構成員だろうと推測される。そうでないと、公務員の立場よりも自らの「思想」を優先して、図書館内の気にくわない者(「人民の敵」)の書物を廃棄するという行為にまでは至らない、と思うのだ。

ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
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  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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