産経新聞9/13の山田慎二「週末に読む」は、相当にレベルが低い。
某書(草野厚という底の浅そうな政治学者の本)を援用して「疑似政権交代の限界」を指摘し、< 国民への大政奉還>が求められる、と主張する。
もともと全体的に村上正邦・平野貞夫・筆坂秀世(元共産党幹部)の鼎談本・自民党はなぜ潰れないのか(2007?、幻冬舎新書)を肯定的に紹介・言及しているのも奇妙に感じるが、基本的に問題なのはつぎの点だ。
第一に、これまでの自民党(と一部の小政党)内における総裁の交代、従って首相(内閣総理大臣)の交代を「疑似政権交代」と理解して疑っていないが、重要なことを看過している。
執筆者は「先進国」で本来の「政権交代」がないのは日本だけで、特定政党の「権力独占」は「北朝鮮や中国のような国家しかない」と書く。
この人は日本の政治状況の歴史の、他の「先進国」との違いをまるで判っていない。
すなわち、日本において、1990年代初めまでは、日本の野党(少なくとも第一党)は日本社会党という社会主義(・共産主義)を(全体がどの程度本気だったかどうかは別として、あるいは少なくとも一部の勢力は)目指していた政党だった。この政党は、日米安保に反対し、1960年頃には「アメリカ帝国主義は日中両国人民共同の敵」だと北京で委員長(書記長?)が声明したような政党だった。
このような安全保障政策の野党(第一党)に「政権」を任せることができなかったからこそ、この点では聡明だった日本国民は日本社会党への「政権交代」を許さず、結果的には同じ自民党の(を中心とする)長期政権が続いたのだ(但し、日本社会党に1/3以上の議席を与えてきたのは大きな過誤だった)。
「世界の先進国」を見ると、戦後早くから、「左翼」又は「革新」であっても、反共産主義・反コミュニズムを明確にした、かつ自国の軍備を当然視する<健全な>野党が存在したのだ。だからこそ、そうした諸国では「疑似」ではない「政権交代」もあったのだ(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツを念頭に置いている)。
山田慎二の上記の文章はこの点をまるで判っていないようだ。
第二に、上記の鼎談本での発言から<国民への大政奉還>が必要との旨を最後に述べている。
「一票」を投じることは「大政」の「奉還」を意味せず、有権者(「主権者」とも厳密には異なる)国民の選挙権行使にすぎない。それに何より、「国民」という概念のこのナイーブな使い方は、「国民目線」とか「国民が主人公」とかのアホらしい(無内容の、又は国民大衆に「迎合」した)言葉・語句と同列のものだろう。
産経新聞にこんな文章が載るのだから、他は推して知るべし、と言うべきか。
山田慎二なる者が産経新聞の(論説委員等の)記者だったら、こんな内容のつまらない文章を書かないでほしい。
山田慎二なる者が武田徹・山崎行太郎のような頼まれ原稿執筆者なのだとしたら、産経新聞はこんな者に原稿を依頼しないでほしい(武田徹・山崎行太郎については言うまでもない。既述)。
せっかくの講読代がもったいない。
イヤなら読むなと言うかもしれないが、読んでみないとわからない文章・記事もあるのだ(今回取り上げて山田慎二なる氏名をたぶん記憶したので、次回からは読まないように用心しよう)。
なお、八木秀次批判のつづきを止めてしまったわけではない。
八木秀次
一 あらためて引用しておくが、諸君!2008年7月号(文藝春秋)p.262で、八木秀次はつぎのように書いた。
「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである。皇室典範には『皇嗣に、……又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、……皇位継承順序を変えることができる」(第三条)との規定がある。祭祀をしないというのは『重大な事故』に当たるだろう」。
中西輝政の「同妃〔現皇太子妃-秋月〕の皇后位継承は再考の対象とされなければならぬ」との一文(上掲誌p.239-240)とともに、100年後も200年後も活字として残るはずの、<歴史的な>文章だ。
上の文章は「遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」蓋然性又は現実的可能性に言及して、皇室典範上の「皇位継承順序を変えることができる」要件の解釈を示している。字数の制約のためもあるかもしれないが、論理・意味ともに不可解又は曖昧なところもある。しかし、既述のことだが、間違いないのは、上において、八木秀次は、現皇太子妃殿下の現況を理由として(あるいは援用、これに論及、言及して)現皇太子の皇位(天皇たる地位)継承資格を(明確に否定はしていなくとも)疑問視している、ということだ。そうでないと、皇室典範三条に言及し、その一部の文言に関する解釈をとくに示しておくことの意味はないだろう。
上の文章を含む雑誌は6月初めに出版されているので、執筆は4月末から5月半ばあたりだったのだろうと推察される(雑誌の出版実務に詳しくはない)。
二 先月・8月に竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP、2008)という対談本が出ている(竹田恒泰の月刊WiLL上の西尾幹二批判論文も転載されている)。八木の「あとがき」の期日は7月15日になっている。
その中で二人で西尾幹二を批判している部分があるが、八木秀次の諸発言を読んで、唖然とせざるをえなかった。
まず基本的なことをいえば、この本が内容とする対談は上記の諸君!(文藝春秋)の発売やそのための八木の執筆の時期よりも後である筈であるにもかかわらず、自らが上のように近い過去に明言した、ということ、をその内容も含めて、この本の中でいっさい述べていない(!)ということだ。
まるで竹田恒泰に相当に同調しているような発言の仕方をしている(完全に同じだとは言わない)。八木秀次という人は、適当に(自分の本意を隠して)対談相手に合わせることができる人なのだろう(すでに言及した中西輝政との対談本(PHP)でもそれを感じることがあった)。
結論的なところを推測するに、私は詳しくない「つくる会」分裂・変容の過程で生じた(原因か結果かは知らないしそれがここで述べていることと直接の関係はない)反西尾幹二感情を基礎にして、皇太子妃殿下問題を中心とする<皇室>問題では反西尾幹二で<共闘>できる竹田恒泰を対談相手として選んだのだろう。
後述するが、新田均も月刊正論10月号(産経新聞社)で明示的に認めるように、竹田恒泰と八木秀次では皇太子妃殿下(→皇太子・皇位継承)問題に関する考え方は同じではない。というより、むしろ明確に対立する立場にあるとすら言える。そうした二人が連名で本を出すのだから、その共通性は<反西尾幹二>意識にある、としか考えられない。
三 <反西尾幹二>意識が八木自身のこれまでの発言等とも照らして正当なものであれば、批判することはできない。
だが、八木の西尾幹二に対する批判は、公平に見て、その<仕方>も内容も、適切ではないところがある。<反西尾幹二>感情の過多が原因ではないか。
一円の収入にもならない文章を懸命に書いてもほとんど無意味だと感じてきているので、一気に書いてしまわないで次回に委ねる。
そういえば、福田内閣になり<教育>が大きな政治的争点でなくなった後、この「日本教育再生機構」はいったい何をしているのだろう。
月刊正論9月号(産経新聞社)によると、「日本教育再生機構」は某シンポの主催団体「教科書改善の会」の「事務局」を担当しているらしい(p.272の八木発言)。「教科書改善の会」という団体の「事務局」が「日本教育再生機構」という団体だというのは、わかりにくい。組織関係はどのように<透明>になっているのだろうか(ついでに、このシンポは、あの竹田恒泰とあの中西輝政・八木秀次が同席して「日本文明のこころとかたち」を仲よく?語っているのでそれだけでも興味深い)。
二 西尾幹二対八木秀次等という問題よりも本質的で重要なのは、西尾が「あとがき」の副題としている「保守論壇は二つに割れた」ということだろう。
何を争点・対立軸にして「割れた」かというと、小泉内閣が進めて安倍内閣も継承した<構造改革>の評価にあるようだ。これはむろん、アメリカの世界(経済)戦略をどう評価し、日本の経済政策をどう舵とるべきか、という問題と同じだ。この点で、小泉内閣等に対して厳しく、アメリカに批判的だったのが西尾幹二で、小泉内閣・安倍内閣、とくに後者にくっつき?、そのかぎりで<より親米的>でもあったのが八木秀次等だ、ということになる。
西尾幹二と八木秀次はどうやら、西尾が小泉純一郎についての『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』を出版した頃から折り合いが悪くなったようだ(上掲書p.82-83)。
西尾によると八木秀次は「権力筋に近いことをなにかと匂わせることの好きなタイプの知識人」で、八木は、安倍晋三が後継者として有力になっていた時期での小泉批判を気に食わなかった(戦略的に拙いと思った?)らしく思われる。
個人的な対立はともあれ、上記の問題に関する議論は重要だ。「保守論壇は二つに割れ」て、<保守>派支持の一般国民が迷い、方向性を失いかけるのも当然だろう。
八木秀次は<より親米>の筈なのだが、中西輝政との対談本では中西輝政の<反米>論に適当に相槌を打っている。もともと、佐伯啓思が論じてきたような<アメリカニズム>あるいは<グローバリズム>についての問題意識自体が、おそらくはきわめて乏しかった、と思われる(法学者とはそんなものだ)。
今日の混迷、見通しの悪さも上記の問題について「保守論壇」に一致がないことを一因としている。はたして「保守」とは何か。あるいは<より適切な保守>とは、現実の政策判断(とくに経済・社会政策)について、<アメリカ>とどう向き合うべきなのか? 日本の<自主性・国益(ナショナリズム)>と対米同盟(友好)関係の維持(反中国・反北朝鮮というナショナリズムのためにも必要)はどのように調整されるべきなのか。
実際に見てみると、全く無関係ではないが、発刊日近く(「あとがき」は2007年6月下旬)以前の西尾幹二の雑誌掲載諸論稿をまとめたものだった。
二 新しい教科書をつくる会の組織問題については西尾のプログで何か読んだ記憶はあったが、安倍晋三内閣をめぐる動きの方に関心が強く、また同問題は自分とほとんど(あるいは全く)関係がないと思っていた。
現在でもほとんど(あるいは全く)関係がないのだが、西尾幹二による、上掲本の中の八木秀次批判はスゴい。p.73~p.165は「つくる会」問題で八木秀次批判が中心になっている(他の箇所にも八木秀次(ら)批判の文章はある)。
混乱を大きくする意図はないが(いや、一般論として、かりに意図はあったとしてもこんなブログメモにそんな実際の力はない)、若干の引用メモを残しておこう。
・(2005年)11月半ばからの八木秀次の「会長としての職務放棄、指導力不足は意識的なサボタージュで、彼によってすでに会は…分裂していた」。
・八木は自分で2副会長(工藤美代子、福田逸)を指名した。この二人と遠藤浩一(つまり5人中、西尾幹二と藤岡信勝以外)に「背中を向け、電話もしな」かった。5人の副会長の中で「孤立した」のではなく、「自らの意志で離れて」別のグループに擦り寄った。だが、何の説明もなかったので3副会長(遠藤、工藤、福田)は「怒って辞表を出した」。
・それでも八木は「蛙の面に水」。「都合が悪くなると情報を閉ざし、口を緘するのが彼の常」だ。
・「彼は黙っている。語りかける率直さと気魄がない」。
・「自分がしっかりしていないことを棚に上げて、誰かを抑圧者にするのはひ弱な人間のものの言い方の常である」。
・要するに八木は「思想的にはどっちつかずで、孤立を恐れずに断固自分を主張する強いものがそもそもない人」だ。(以上、p.79-p.80)
・八木秀次は某の日本共産党在籍歴というガセ情報を流して「反藤岡多数派工作と産経記者籠絡」に利用した。また、八木の周辺者(又は八木本人)から奇怪なファクスが送られてきた。
・八木の「藤岡排除」の「執念には驚くべきものがあった」。(以上、p.81-82、p.84)
・「他人に対しまだ平生の挨拶がきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の『言論力の不在』、表現力は一見してあるように見えるが、心眼が欠けている。/…言葉を超えて、そこにいるその人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない」。
・「そういう人だから簡単に怪文書、怪メールに手を出す。今度の件で保守言論運動を薄汚くした彼〔八木秀次〕の罪はきわめて大きい」。
・そうした八木をかついで「日本教育再生機構」を立ち上げる人々がいるらしいが、「世の人々の度量の宏さには、ただ感嘆措く能わざるものがある」。(以上、p.89-90)
とりあえず今回はこの程度にしておく。八木秀次はこうした西尾による批判に対して反論又は釈明をきちんとしたのだろうか。こうまで書かれるとはタダゴトではない(と常識的には感じる)。
西尾幹二をこの問題で全面的に支持するつもりはないし(判断材料が私にはたぶん欠けている)、西尾「思想」の全面的賛同者でもないのだが、西尾による八木秀次評、すなわち、「言葉を超えて、そこにいるその人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない」という文章には同感するところが大きい。
八木秀次の本も文章もいくつかは読んでいるし、月刊正論中のコラムも読んでいるが、「確かな存在感」はない。また、ハッとするような論理の鋭さも、広くかつ深い思想的造詣も感じることはできない。
すでに書いたことだが、その八木秀次が中西輝政との対談本『保守はいま何をなすべきか』(PHP、2008)で<保守の戦略>を語ろうとしたり、<保守思想の体系化>をしたい旨を語っているのを読んで、とてもこの人の力量でできることではないと思った(そして、内心では嗤ってしまった)。また、八木秀次の問題性にはこのブログで何回かつづけて触れた(「言挙げしたくはないが-八木秀次とは何者か」というタイトルだったと思う)。
そのような意味との関係でも、上の西尾幹二の八木秀次に関する文章も興味深く読んだ。
三 ところで、最近の月刊正論9月号(産経新聞社)誌上の論稿に言及した新田均に対しても、西尾幹二は上掲の本で批判している(p.89)。そして、「つくる会」問題にかかわっても、新田均はどうやら八木秀次を支持する、そして西尾幹二に反対する立場にあったようだ(p.86)。ということは、今回の皇室・皇太子妃問題よりも以前から、西尾幹二と新田均は対立していたようだ。
それはそれでもよいのだが、だとすると、新田均は、皇室・皇太子妃問題にかかわって西尾幹二のみを批判するのは公平ではない。大仰に言えば<党派>的だ。何回か言及したように、八木秀次も(中西輝政も)「君臣の分限」をわきまえないような、西尾幹二と類似の主張をしているのだから。
月刊正論9月号(同)では、神社神道系と思われる<保守派>の新田均による「皇太子さま『御忠言』の前に考える・君と臣の分限について-それは本当に皇室と日本の弥栄を願ってのものだろうか」(p.120~)が、田中卓や葦津珍彦の論を援用しながら、西尾幹二を実質的には相当に厳しく批判している。
田中卓が月刊日本7月号に書いたところによれば(私は未読)、西尾幹二は皇室の中に彼にとって不適当と思う人物がいれば放逐させ、天皇制度自体の「廃棄」も辞さない、「天皇抜きのナショナリズム」論者らしい。
私は西尾幹二を八木秀次などに比べてはるかに尊敬できる<思想家>だと思っているが(「保守」と冠するかどうかは自信がなくなってきた)、これまた孫引きになるが、新田均によると、西尾幹二はかつて次のように書いたことがあるらしい。
・自分(西尾)は天皇については「怨恨もなければ、なんら愛情もないという無関心な感情」で、「天皇制に対する感情は希薄」だ(論争ジャーナル、1967年12月号)。
・「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」(撃論ムック217(号?))。
これにはいささか驚いた。
後者は西村幸祐責任編集・撃論ムック217号・中国の日本解体シナリオp.139-141(オークラ出版、2008.07)で、より長く引用しておくと、次のとおり。
「私〔西尾〕は…天皇問題に関心の強いほうでは」ない。「日ごろ無関心なのが、むしろ保守の証しだと言っておきたい」。「現実に私は天皇と聞いて感涙にむせぶ種類の人間」でも「政治的反発を覚える者」でもない。「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」。だが、「…天皇制度はつねにわたしたちの歴史意識に触れてくる重大な問題の一つ」で、「突如として人に薦められて」、「皇太子ご夫妻の問題について危機を感じていた」こともあって「皇室問題について論じることになった」。日本では西洋や中国とは異なり「王権が権力を一切もたない代わりに、静かなる宗教、神としての信仰の対象にもなっている」。この点について「比較王権論という視点から」「一つの仮説」を出したのが「最大の目的」だった。
新田均の紹介するほど単純ではないが、しかしやはり…、というところだろうか。
西尾幹二は月刊WiLL9月でも「もう一度だけ(これで最後)」の発言をしている。当初の厳しい、そしていくぶん奇矯な、皇太子妃殿下批判からすれば、天皇制度・皇族一般の話へと変わってきており、皇太子殿下はどうかご留意を、というニュアンスが強くなっていると感じている。だが、上のような意識が基底にあるのだとすると、年齢上は年下になる皇太子ご夫妻に対する、西尾の<対等な>又は<教え諭すような>物言いの仕方も不思議ではないと思えてくる。そして、西尾幹二に対してすら、戦後の<合理的>教育にもとづく思考方法、<天皇制度>に関する教育や社会風潮の影響が及んでいる、と深く慨嘆せざるをえない。
近年の皇室問題、率直に言って<皇太子妃殿下問題>については、西尾幹二と八木秀次・中西輝政は、月刊諸君!7月号(文藝春秋)上の記述では、<共闘>又は<統一戦線>を組んでいるようでもある。
だが、二年ほど前の(一年半前?)新しい教科書をつくる会問題では、西尾幹二と八木秀次・中西輝政はそれぞれ対立するグループに属するようだ。何をやっているのだろうねぇ。<保守派>のおエライさんたちは?!。イヤ、八木秀次は<保守派>のおエライさんたちの一人とは決して考えてはいない(そして、いけない)。
元に戻ると、西尾幹二に数回(4回?)も皇室問題に関して執筆させ、福田和也が皇太子・皇太子妃両殿下の将来を楽観視しているのを産経新聞紙上のコラム(週刊誌ウォッチング)で疑問視していた月刊WiLLの編集長・花田紀凱もまた、まさしく戦後の教育と社会風潮のもとで、「畏敬心」を微塵も感じない、ジャーナリスティックな<天皇(制度)>観又は<皇室>観をはぐくんできた一人に間違いないように思える。この人による月刊WiLL(ワック)よりも(西尾幹二も八木秀次も登場するが西尾批判をする新田均も出ている)月刊正論の方がまだマシで、多面的で多様だ。
西尾幹二は上掲の撃論ムックの中で、「突如として人に薦められて」とか「雑誌WiLLの話に乗り」とか書いている。昨今の皇室・皇太子ご夫妻問題にかかわる<騒ぎ>に、この花田紀凱が棹さしているのは確かなようだ。
日本も、日本の<保守>派も、崩壊しかかっている、溶解しはじめている、という恐怖(・懸念)をもつ者は私一人ではないのではないか。
現法制のもとで法的に又は法論理的にある可能性は、一般国民について適用のありうる<名誉毀損罪>又は<侮辱罪>を皇族個人に対する<名誉毀損>・<侮辱>について適用することだ。
(現行)刑法第230条と第230条の2は次のように定める。
1 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀 [き]損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
第230条の2(公共の利害に関する場合の特例)
1 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
侮辱罪に関する規定はもっと簡単だ。
「第231条(侮辱) 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。」
これら名誉毀損罪・侮辱罪によって保護される利益の主体の中に少なくとも「天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣」が含まれることは、次の条文によっても明らかだ。
「第232条 (親告罪)
<天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣>以外の皇族の場合は当該皇族(皇太子妃を含む)個人が「告訴」することが可能だと解される。上の規定は内閣総理大臣等による代理告訴に関する規定であり、上記特定の皇族以外の皇族の個人的・人格的利益が保護されようとはしていない(=名誉毀損や侮辱の対象にはならない)、とは解されない。
もちろん(代理を含む)告訴には事前の警察・検察との調整が必要だろうし、内閣総理大臣の<政治的>判断も必要なので、戦後ずっとそうだったと思われるが、<天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣>を含む皇族に対する「名誉毀損」や「侮辱」について告訴がなされることは今後もないだろう。皇室関係の文章を書いている文筆家(売文業者を含む)や関係雑誌・書物を出版する出版社は、そのような知識くらいはもって、執筆し出版しているのだと考えられる。
だが、現実に告訴される可能性がないからといって、皇室について何を書いてもよいというわけではないことは、すでに示唆したとおりだ。良心・良識感覚による自律が必要になってくる。
上のようなことをふまえて再度話題にするが、諸君!7月号(文藝春秋)誌上での次の八木秀次の文章はどう評価されるべきなのだろうか(p.262)。
「遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである。皇室典範には『皇嗣に、……又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、……皇位継承順序を変えることができる」(第三条)との規定がある。祭祀をしないというのは『重大な事故』に当たるだろう」。
「皇位継承順序を変える」ということは文脈上明らかに現皇太子から(その「皇嗣」性を否定して)別の方に「皇位継承順序」を移すことを意味する。これは、現皇太子は皇位継承適格性を欠いていると言っているに等しい。将来の「天皇」適格性を否定している(遠慮して書いても、疑問視している)、と言っても同じだ。
しかして、その根拠は? 八木秀次は刑法第230条の2の第一項又は第三項にいう、「真実であることの証明」をすることができるのか。
便宜的に八木秀次に限っておくが、同誌上の中西輝政の文章も現皇太子妃殿下に対する「名誉毀損」又は「侮辱」に客観的には当たる可能性が高い。
勝手な推測だが、西尾幹二の現皇太子・現皇太子妃両殿下に対する月刊WiLL(ワック)誌上での論調が後になればなるほど、厳しくなくなっている(いちおうはすべて一読している)のは、基礎的な事実の認定が不十分な中で(いかに皇室の将来を憂慮しての心情からであっても)特定の皇族個人を非難するのは「名誉毀損」又は「侮辱」に客観的に当たる可能性があり、皇室・宮内庁等が<法的>問題化する可能性が100%ないわけではない、ということを誰かにアドバイスされたからではないだろうか。
別のことをついでに書いておくが、<世すぎのための保守>派、<稼ぐための保守>派、<生活のための保守>派(「派」には文章書き等の個人も編集者・出版社も含む)、には嘔吐が出る。<左翼>についてと同様に。
いかなる「政治的」組織・団体とも無関係の私にはいかなる義務も責任もない。当然に、一円の収入にもならないこのブログへの記入も含めて。
佐藤優は、月刊・正論7月号(文藝春秋)に、―②の最後の「南朝精神」を取り戻せ旨の主張は私には理解不能だが(反対との趣旨ではない)―こんなことを書いている(p.214)。
①「女帝論という形で皇統を内側から壊す危険性がある人権思想、近代的範疇である遺伝子理論によって万世一系を解釈する試みなどの背景には、人間の理性に対する全面的信頼を基礎として、皇室を『設計』し、『構築』しようとする思想が存在する。このような設計主義、構築主義が日本国家を内側から蝕んでいる」。
②「皇室を人知によって改革するなどという 合理主義に冒された発想を捨て」、「南朝精神を有識者がとりもどすことが喫緊の課題」だ。
①の中にある、「近代的範疇である遺伝子理論によって万世一系を解釈する試み」とは八木秀次のそれを指しているだろう(なお、神武天皇や2代~8代天皇実在説に立っても、神武天皇から今上天皇まで「万世一系」かどうかは、安本美典の関心の外にあるテーマだが、別の議論が必要だ)。
他に、園部逸夫らが委員として関与した、皇室の将来に関する有識者懇談会の報告書(正式名称を確認していない)を批判しているだろうことは、たぶん間違いない。
皇太子妃問題(?)に関する最近の一部の有識者の発言も、「設計主義」、「構築主義」、「合理主義」として批判の対象としているのか(又はそうなるのか)否かを、訊ねてみたいものだ。
なお、佐藤優が引用する南朝側の北畠親房の文章の一部は次のとおり。
「人はとかく過去を忘れがち」だが、「天は決して正理をふみはずしていないことに気づくだろう」。何故天は現実を「正しい姿」にしないのかとの疑問を持つ者もいようが、「人の幸・不幸はその人自身の果報に左右され、世の乱れは一時の災難ともいうべきものである」。「天も神も」いかんともし難いことはあるが、「悪人は短時日のうちに滅び、乱世もいつしか正しき姿にかえる」。これは「昔も今も変わることなき真理」だ(「神皇正統記」日本の名著9(中央公論社、1971)p.445)。
御厨貴・「保守」の終わり(毎日新聞社、2004)の中に「『保守』の終わり」という計8頁の小論がある(p.72~、初出2004.07)。
これによると、<保守>(自民党)-「改憲、安保賛成、占領改革是正」と<革新>(社会党)-「護憲、安保反対、占領改革受容」という対立が55年体制の形成過程で明瞭になり、佐藤栄作政権終焉までは続いた。その後<保守>の側に革新・変革を唱える内閣も出現し、1993・94年の細川護煕内閣・羽田孜内閣は反自民「改革」を掲げ、つづく村山富市社会党(=<保革>連立)政権と日本社会党の崩壊によって「革新」イメージは喪失する。「革新」という対抗相手を失った<保守>も内実が曖昧になる。小泉純一郎内閣以降、「改革」対「抵抗」との枠組みができたかに見えるが、与野党において「改革」・「抵抗」の双方が顕在化して実態は<保革>対立よりも複雑だ。
「改革」に対抗する「保守」のシンボル化はもはや困難で、その意味での「保守」は終わった。
「改革」万能の状況下で、これに対抗する議論が語られている。第一は、「改革」の基準を「グローバル・スタンダード」ではなく「新たなジャパン・スタンダード」に求めること、第二は、「改革」への怨念をナショナリズムの地平に拡げること。この二つが出逢って<新たな保守>が誕生する可能性がある。
その場合も二つの可能性がある。一つは、感情論ではない「明快な論理」をもつイデオロギーとして<保守>が構築される。二つは、感情論に包まれた、「破壊衝動を秘めたイデオロギー」として<保守>が蘇生する。
以上が簡単な要約だ。
思うに、かつての「安保賛成」対「安保反対」等の<保守>・<革新>の対立軸は、親自由主義(資本主義=市場経済主義)と親社会主義の対立でもあった。また、「改憲、占領改革是正」対「護憲、占領改革受容」で示されていたのは、基本的にはアメリカとの同盟を維持しつつも対米自立性の確保(対米従属からの脱却)を目指すかどうか、という対立でもあった。
これらが、現在でも重要かつ有力な対抗理念であることは疑いえないと思われる。第一に、共産主義に厳しいか甘いか、第二に、アメリカへの従属性を現状でよいとするかどうかは、簡単に何という概念・シンボルで表現しようとも、対立理念であり続けている、と考えられる。ついで、第三以降が、経済政策における自由主義傾斜(「自由」志向)か社会民主主義傾斜(「平等」志向)か、ではないだろうか。
さらにまた、御厨貴は何ら触れていないが、神道や日本的仏教に対する親しみの程度、天皇・皇室に対する態度もまた、日本に独特の大きな対立軸として存在している、と思う。
計8頁の小論に多くを期待しても無理だが、<保守>とは何かについて、議論のタネは尽きないはずだ。八木秀次のいう<保守>思想の「理論化」・「体系化」など、たかが一人でできる筈がない。
この八木の指摘については、すでに何回か言及した。
ここでは、あらためてその論理の杜撰さを、より詳しく述べる。
二 1 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人々(PHP、2008)で、八木はまず、こう言っている。
皇太子「妃殿下のご病気の原因が宮中祭祀への違和感にあるという説にはそれなりに信憑性があるのは事実です…」(p.205)。
皇太子妃殿下が数年にわたって宮中祭祀に<陪席>しておられないのは、皇太子殿下のご発言等から見て事実のようだ。また、妃殿下の心身または体調にすぐれないところがあることも事実のようだ。
だが、上の如く、八木もまた、「妃殿下のご病気の原因が宮中祭祀への違和感にある」とは断定的には認定していない。あくまで、「それなりに信憑性がある」とだけ自ら述べている。「それなりに信憑性がある」とは、厳密には<たぶん>・<おそらく>の類の推測・憶測であり、その程度が高い方に属する(と判断されている)場合に使われる表現だと思われる。
2 ところが、「遠からぬ将来に……祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」という「皇室の本質に関わる問題が浮上…」と八木が書くとき、「それなりに信憑性がある」ということが、断定的事実へといつのまにか発展・転換している。「祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」との表現は、現皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられるということを疑い得ない事実として前提にしている。
ここに、八木の論理の杜撰さ・いい加減さ、あるいは論理の<飛躍>の第一点がある。
三 以上のことは、現皇太子妃殿下に関する事柄で、皇太子殿下ご自身に関する事柄ではない。にもかかわらず、八木は、将来における「祭祀に違和感をもつ皇后」の誕生と「祭祀をしない天皇」の誕生とを何故か同一視しているようだ。
「祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生…」というふうに使い分けている、同一視していないとの反論がありうるが、これは当たっていない。
何故なら、八木はその直後に、皇太子妃ではなく皇太子にのみ関係する、「皇位継承の順序を変えることができる」要件の解釈について語っているからだ。
現在、皇太子殿下が皇位継承の第一順位者であることは言うまでもない。八木は現皇室典範に従って論じようとしているので―現皇室典範の有効性や合理性を疑う論者もありうるので、その場合は別の議論の仕方をする必要があるが―、現皇室典範の関係規定を引用しておく。
皇室典範第2条第1項「皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。一 皇長子 二 皇長孫 …<略>」
皇室典範第8条「皇嗣たる皇子を皇太子という。…」
1 つまり、八木はいつのまにか、皇太子妃殿下の「祭祀」への「違和感」問題を皇太子の<皇位継承適格性>問題へとを発展させている。ここには見逃すことのできない、大きくは第二の、論理の杜撰さがあり、論理の<飛躍>がある。
「祭祀をしない」ことが、「皇位継承の順序を変えることができる」要件に該当するかを論じるためには、そもそも現皇太子が「祭祀をしない」天皇になるのかどうかを認定していなければならない筈だが、このキー・ポイントを八木は脱落させている。
八木の頭の中を想像すると、現皇太子妃殿下は「祭祀に違和感をも」っており、「祭祀に違和感をもつ」皇后が「誕生する」という問題があり、そのことは同時に、皇太子妃殿下=将来の皇后を<守る>(<護ろうとされる>)皇太子=将来の天皇が「祭祀をしない」こと、つまり「祭祀をしない天皇」の誕生につながる、というのだろう。
だが、どう考えても、上の論理には無理がある。かりに現皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられることが100%の事実だとしてすら、なぜそのことが、「祭祀をしない天皇」の誕生の根拠になりうるのか?
皇太子妃ではなく皇太子殿下については、宮中祭祀に長期間列席されていないとの情報はない、と思われる。
現皇太子が「祭祀に違和感をも」ち、「祭祀をしない天皇」が誕生することがほぼ絶対的に確実であって初めて、皇室典範3条が定める「皇位継承の順序を変える」可能性の要件該当性を論じることができる筈だ。
しかるに八木は、「祭祀をしない天皇」が誕生することがほぼ絶対的に確実だとする根拠を何も示していない。皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられる、という100%事実だと認定されてもいないことを(自ら「それなりに信憑性がある」とだけしか述べていないことを)、根拠らしきものとして挙げているだけだ。
ここにはきわめて重大な論理の<飛躍>がある。むろん、きわめて杜撰な思考回路が示されてもいる。
再び書くが、かりに現皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられることが100%の事実だとしてすら、なぜそのことが、「祭祀をしない天皇」の誕生の根拠になりうるのか?
ことは皇位継承適格にもかかわるきわめて重大な問題だ。天皇家を、あるいは皇位というものを、大切に考えている筈の八木秀次は、なぜこんな無茶苦茶なことを言い出しているのか。現皇太子、皇位継承第一順位者、将来天皇になられる(皇位を継承される)蓋然性がきわめて高い御方に対して、きわめて失礼・非礼なのではないか。
2 さらに厳密に考えると、宮中祭祀の少なくとも重要部分の主宰者は天皇ご自身であり、皇太子でも皇后でもない、ましてや皇太子妃でもない、とすれば、現皇太子が天皇として「祭祀をしない」か否かは、現皇太子が皇位を継承されて天皇におなりになって初めて判明することだと思われる。
そもそも皇太子でいらっしゃる段階で「祭祀をしない天皇」になると断定することはできないし、その蓋然性・可能性を想定することも厳密にはできない。消極的な予想してもよいのかもしれないが、しかし、現皇太子は天皇になられて、宮中祭祀を立派に行われるだろう、と私は想像・推定している。現皇太子が「祭祀をしない天皇」になると、少なくともその可能性が高いと、何故、いかなる理由をもって八木は主張するのか。
三 上のような諸点がクリアされないかぎりは、そもそも、「祭祀をしないこと」は皇室典範3条が定める「皇位継承の順序を変えることができる」要件の一つとしての「皇嗣に…重大な事故があるとき」に該当するかどうかを論じようとしても、全く無意味なことだ。
にもかかわらず、八木はこの問題にもさらに踏み込んで、<該当する>と結論的判断を示してしまっている。ここに、論理の杜撰さ、<飛躍>の大きな第三点がある。
相当にヒドい論理の<飛躍>だ。
上記のように、①宮中祭祀にとって天皇こそが本質的・不可欠で、皇太子といえども<付き添い>者・<陪席>者であるにとどまるとすれば-但し、たぶん失礼な言葉になるが、実質的には将来に備えての<勉強>・<見習い>という要素が皇太子についてはあるものと思われる-「皇嗣」(皇室典範3条)の段階ではまだ「祭祀をしない」天皇になられるか否かは分からないのだ。
②「祭祀をしない」天皇になられるだろうとの予測をかりに関係者(とくに皇室会議構成員)ほぼ全員がもつようになってはじめて、ギリギリ皇室典範3条の問題になりそうに見えるが、現状はそのような状況にはない。皇太子殿下は、現況において、宮中祭祀を<欠席>されていることは基本的にはないはずだ。
③反復になるが、皇太子妃(将来の皇后予定者)が「祭祀に違和感をもつ」か否かは、皇太子=皇嗣の宮中祭祀への対応の問題とは別の問題だ。この二つを八木は何とか、レトリック又は<雰囲気>で結びつけようとしている(そこで論理の杜撰さが露わになり、論理の<飛躍>を必要とするに至っている)。
宮中祭祀が基本的には天皇ご一身の行為であるかぎり、現皇太子=将来の天皇の祭祀行為への積極的対応と、皇太子が現皇太子妃=将来の皇后を<守る>(<護ろうとされる>)こととは、何ら矛盾しない。
竹田恒泰いわく-皇太子妃殿下が皇后になられたときにまだご病気であれば、「無理に宮中祭祀にお出ましいただく必要はない。またそれによって天皇の本質が変化することもない」。
西尾幹二、中西輝政とともに八木秀次は、<取り返しのつかない、一生の蹉跌>をしてしまったのではないか。
皇室に入ってきた<獅子身中の虫>=<左翼>を排除するため、という正義感に燃えて、八木は今回冒頭に引用のことを書いたのかもしれない。しかし、主観的善意が適切な具体的主張につながる保障はむろん全くない。
八木秀次が、皇太子妃の現状を批判的に問題にし、それを飛躍・発展させて現皇太子の皇位継承適格性を否定することまで明言したことは、皇室に関する混乱が発生し拡大することを喜ぶ<天皇制度解体論者>をほくそ笑ましただろう。そのかぎりで、八木は<保守的「左翼」>とも、<底の浅い保守>とも評されうる。そのくらいのインパクトのある文章を月刊・諸君!7月号に書いてしまった、という自覚・反省の気持ちが八木にあるのかどうか。
上の点は、では誰が皇位を継承するのか、現皇太子殿下の皇太子たる地位はどのようにして否定(「廃太子」?)するのか、新しい皇太子はどのような根拠と手続でもって定めるのか、等の複雑な問題を生じさせるのだが、渡部昇一はそういった点には立ち入らず、いわば<思いつき>で発言しているようなところがある。
2 そのような<思いつき>発言は、皇室典範にかかわって述べられる、次にも見られる、と思う。
「あの〔占領〕時代に作られた法律はすべてご破算にして、一度、明治憲法に戻るべきです。その上で、日本国憲法のよい部分を入れ込めばよい」(上掲誌p.47)。
上のことの厳密な意味、そしてそのために採るべき手続について、渡部昇一はきちんと考えているのだろうか。
こんなことを書くのも、1年余り前に触れたことがあるが、渡部昇一は<日本国憲法無効論>の影響を受けていると見られるからだ。上では現憲法無効論のみならず、いわば<占領期制定法律無効論>も述べているようだ。 <日本国憲法無効論>は、①その正確な内容を理解するかぎりでは、「無効」概念の使い方を誤っている、②現国会による<無効決議(宣言)>を必要とする点で、将来の新憲法制定(現憲法改正)を却って遅らせる機能を果たす(また、現憲法を「無効」と考えている国会議員は現在一人もいないと思われる)、という大きな欠点をもつもので、とても採用できるものではない。
なお、これを支持していると見られる者に、兵頭二十八(軍事評論家)、畠奈津子(漫画家)がいる。
二 1 八木秀次・日本国憲法とは何か(PHP新書、2003)を全部は読んでいないが、八木秀次は<日本国憲法無効論>には立っておらず、問題点・限界を指摘しつつ「改憲すべきはどこか」(p.206-)等を論じていると見られる(p.180に<日本国憲法無効論>への言及があり、好意的ニュアンスもある。しかし、p.181には大日本帝国憲法「改正無限界論」に立てば現憲法は「有効に」成立している、「改正限界論」の帰結が<日本国憲法無効論>と所謂<八月革命説>だ、との叙述もある。何より、国会による<無効決議(宣言)>の必要性などには全く触れるところがない)。
また、<日本国憲法無効論>の立場の者のブログの中で、八木秀次や百地章等は現憲法を有効視する(その上で改正を目指す)論者として厳しい批判(・攻撃)の俎上に乗せられていた記憶もある。
2 そういう八木秀次ならば、渡部昇一が<日本国憲法無効論>者か、少なくともそれに影響を受けている者だくらいのことは知っているだろう。あるいは、むしろ、知っておくべきだろう。現実問題としては<日本国憲法無効論>の力は小さく、無視又は軽視をして、<小異を捨てて大同につく>のでよいのかもしれない。しかし、八木秀次は憲法学者(の筈)なのだ。渡部昇一について、<日本国憲法無効論>の少なくとも影響を受けている者だとの認識とそれにもとづく対応があっても何ら不思議ではないと思われる。
3 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人々(PHP、2008)には、渡部が現憲法無効を主張するような部分はなかったように思われる。だが、稲田朋美は「渡部先生が説明されたことへの反論ではないのですが」と述べつつ、講和条約11条についての渡部昇一とは異なる解釈を堂々と述べたりしている(p.139-140)のに対して、八木が渡部昇一の所説・議論に異を唱えている部分は全くなさそうだ(この点は、中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP、2008)での中西輝政に対する態度と同じ。なお、中西は<日本国憲法無効論>者ではない)。
また、「鼎談を終えて」に見られる八木秀次の渡部昇一の評価はきわめて高いものがある。八木は次のように書く。
「渡部先生はいつもながらの大旦那の風格で、泰然として」話に応じて「下さった」、「私は最近、渡部先生の若い頃の著作を読むことが多いが、その該博な知識と見識には敬服するばかりである」(p.266)。
渡部昇一が「該博な知識」の持ち主であることを否定しないが、八木秀次は、渡部が<日本国憲法無効論>の少なくとも影響を受けている者だとの認識をもって、「見識には敬服するばかりである」などと書いたのだろうか。憲法学者にとっては、現憲法の有効・無効はその出発点的論点の筈だ。腑に落ちない。上のような認識がなかったのか、それとも、認識していながら、年輩の渡部に(儀礼的・表面的にのみ?)賛辞を送ったのか。
ともあれ、八木秀次の書いている(語っている)ことに奇妙さ・不思議さを感じる点が、ここにもある。
一 今年の2/04にすでに言及したが、小林よしのり責任編集長・わしズム25号(2008冬号)は「デマと冷笑の『テレビ』」を特集テーマとしていて、八木秀次は、「テレビキャスター&コメンテーター『思想チェック』大マトリックス」という論稿を寄せている(p.56-p.61)。
そこではテレビのキャスター・コメンテイターを、ヨコ軸をリベラル←→保守、タテ軸を自立←→国際協調に置いて、「思想」によって大きく四グループに分けて図示している(「程度」の数値化を含む。p.58-59)。
上の2/04ではさほど強くは指摘しなかったが、「表を見ていてスッキリしないところが残るのは、『国際協調』の意味の曖昧さ」で、<保守>についてはこれの強いのが<親米・日米同盟堅持>であるのに対し、<リベラル>についてはこれの強いのが<アジア外交重視>とされている。同じ「国際協調」と言っても全く異質なものを、同じであるかの如く捉えて「マトリックス」を作っているのだから、率直に言ってデキはあまりよくない(余計ながら、「保守思想」の理論化・体系化をしようとする者がこんな<遊び>仕事をしていてよいのだろうか)。
また、録画して見ているのかも知れないが、このように表にできるまで、多くの番組のキャスター・コメンテイターの諸発言をチェックする「ヒマ」があったものだと妙な点に関心しもする。
二 さて、今回述べたいのは、上の「大マトリックス」に関する細かなことではない。まず、四つのうち、あるいは八木は<保守>の筈だから<保守+反米・自主防衛>(第一群)と<保守+親米・日米同盟堅持>(第四群)の二つのうち、八木自身はいずれのグループに属すると自分を位置づけていたか、ということだ。
このように<保守>を単純に二分すること自体に問題がある可能性はある。しかし、八木自身が行っている分類なので、さしあたりこれによる。
結論的に言って、八木秀次は<保守+親米・日米同盟堅持>グループに自らを位置づけているようだ(以下、たんに<親米保守>)。その根拠は次のとおり(以下、すべてp.61)。
①この<親米保守>を「現実的な保守の立場」と説明する。
②この<親米保守>グループに入れている辛坊治郎(日本テレビ系)につき、「その発言は常に共感をもって聞くことができる」、辛坊は「朝日新聞を批判し、…産経新聞を好意的に取り上げる」、と明記して支持・同調の姿勢を露わにしている。
③同じく<親米保守>とする橋本五郎(読売新聞)の発言を肯定的に引用する。
④櫻井よしこを<保守+反米・自主防衛>(第一群)の中の<親米保守>に近い所に位置づけ、「『闘う保守言論人』の第一人者だが、近年は自立を志向する感もある」とコメントする。「…だが、…自立…感もある」という書き方は、やや距離を置いている印象を与える。
三 これに対して、中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP、2008)では、八木は巧妙に(?)<親米・日米同盟堅持>の立場を強く表明することを避けている。八木自身の考え方が変わったか(微調整をしているか)、対談相手の中西輝政に(そのときだけ?)<合わせている>か、のいずれかではないだろうか。
興味深いのは、上の対談本のp.142-151だ。この10頁の間、喋っているのは殆どか中西輝政で、かつ中西は<反米>的または<侮米>心情を述べている。そして、八木秀次はとくに反論しようとはしていない。
これ自体興味あるテーマだが、中西輝政は、西部邁や佐伯啓思が何故アメリカを徹底的に問題視してアメリカに対抗する議論をするのかよくわからなかったが、「ようやくわかってきた」、問題視するのは「間違っていない」と理解するようになった、と発言している(p.146。かかる疑問は私も佐伯啓思についてもったことがある)。
そして、中西は、「価値観では『侮米』、戦略的には『親米』」だと明言する(p.147)。「価値観」次元の問題と「戦略」とを区別しているのだ。そしてそもそも中西が「戦略的」という言葉を使ったのは、八木の「現実政治の国際政治を見た場合、とりあえず日米同盟が有効であるという……〔原文ママ〕」との発言に対して「まったく戦略的なものですね」と反応したことに始まる(p.144)。
以降の八木はほとんど聞き役で、西部邁は「価値観でも反米、戦略的な発想でも反米」だ旨の、中西に迎合するような(?)西部邁批判を挿んでいるのが目につく程度だ(p.147)。
やや反復になるが、八木秀次が上のわしズム25号に見られるように<親米・日米同盟堅持>を「現実的な保守の立場」と考えているのなら、中西輝政に少しは抵抗してでも積極的にその旨を述べるべきではなかったのだろうか。あるいは、わしズム25号で、「価値観」(「思想」)次元の問題と「戦略」とを区別しないで、<保守>を<反米・自主防衛>と<親米・日米同盟堅持>に単純に分けてしまったことを反省的に自覚して<沈黙>していたのだろうか。
ともあれ、八木秀次の対米姿勢は、<保守>派の中でも曖昧なのではないか、と思う。また、八木の「経済の問題も、日本の保守としては、経済学者に任せておけばすむ話では、どうもなくなってきていますね」(p.154)との発言は、<規制緩和>・<構造改革>の問題を「経済学者に任せて」、<保守>としての自分は問題関心をもって考察・検討してこなかったことの告白に他ならない、と思われる。
私自身がどうなのかは、ここでは問題ではない。八木秀次に、「保守思想」の理論化・体系化をする資格・能力があるのか、八木は将来の<保守>のリーダーの一人になれるほどの人物なのか、<保守>の立場から適切に「教育再生」を議論できる能力・知見がある人物なのか、私は相当に疑問に思っている。
その直前に八木は、アメリカの建国神話は「嘘っぱちだらけ」です、と述べている。このことの関係でも、昨日に書いたように、上の発言は、日本神話上の「神武天皇」は本当は実在していない、しかし「神話」なのだからそれを「ウソ」だと指摘しても「意味がない」、という趣旨だと思われる。八木はほぼ間違いなく「神武天皇」非実在説に立っている。
しかし、安本美典、安本を支持する立花隆のように、「神武天皇」実在説に立ち、神武天皇に関する「神話」上の伝承の中に史実(事実)の存在を認めようとする人々もいる。
竹田恒泰は孝明天皇研究家ということなので古代史研究の専門家とは言えないだろうが、竹田恒泰・旧華族が語る天皇の日本史(PHP新書、2008)も「神武天皇」実在説を主張している。
上の書は「神武天皇は実在した」との節名をもち(第二章内)、戦後さかんに唱えられた「非実在説」が「広く浸透しているのが現状」だとしつつ、「東征伝説は真実と考えよ」等と主張している(p.65-69)。
竹田恒泰は戦前の皇国史観のように(?)日本書記等の「神代」の記述を丸ごと真実と信じよ、と主張しているわけでは全くない。いずれかの時期に「初代」の天皇が実在していたことに間違いない、非科学的・非合理的と感じられる記述の中にも「一定の真実」が「含まれている場合がある」(p.67)という立場から、上のような主張をし、「非実在説」に決定的な根拠があるわけでもない等と述べているのだ。
竹田の上の本の「主要参考文献」には、安本美典の著書はなく、安本の雑誌論文が一つだけしか挙げられていないことからして、竹田はとくに安本美典説の影響を受けたわけではないと見られる。
なお、初代~九代の天皇の各在位年数をすべて「十数年と見なすと…」と、安本と同様の発想をして神武天皇の活躍時期に論及しているのが興味深いが(p.70)、安本は天照大神~21代(雄略)までの平均在位年数を「9.56年」としているようだ(天照大神=卑弥呼を神武天皇の5代前とする。安本美典・大和朝廷の起源(勉誠出版、2005)p.277)。
2 八木秀次は、「最近の研究によれば」、として「天武天皇・持統天皇の時代、七世紀の終わりあたりに日本の『国のかたち』がようやく固まったと見るようです」と述べた(一部前回と重複。同ほか・日本を弑する人々(PHP、2008)p.247)。
昨日は、「最近の研究」とは誰々のどのような研究かは気になったものの、「国」とか「国のかたち」あるいはそれの「固まり」の意味の理解の仕方は多様でありうると考えて読み飛ばし、(上記の「神武天皇」うんぬん以外は)「天武天皇・持統天皇の時代」や「継体天皇」の時代以前の諸天皇(+神功皇后)に一切言及がないことを奇妙に思っただけだった。
しかし、再び安本美典が引用している別の学者の叙述を読んで、上の八木秀次の叙述の内容も、いささか勉強不足であり、戦後「左翼」の古代史(・天皇制度史)学の影響を受けている、と感じた。
私なりに言えば、①「天武天皇・持統天皇の時代」になされた重要なことは(隋(589-618)・)唐(618-907)に倣った<律令体制の整備>であり、国家(行政)機構の整備・強化等に関して重要な意味があっただろうことを否定しないとしても、中国(隋・唐)の影響を受けて(又はそれを積極的に継受して)七世紀末又は同後半に「『国のかたち』がようやく固まった」と理解するのは、いささか主体性を欠く日本「国家」の歴史の(自虐的ですらある)捉え方ではないか、②「天武天皇・持統天皇の時代」以前には、日本には「国のかたち」は全く又は殆どなかったのか、<大王(オホキミ)>や<大和朝廷>という概念自体がある程度の国家(行政)機構・仕組みの整備を前提にしている筈だが、八木はこれを否定するのか、という感想又は疑問を抱く。
安本美典・大和朝廷の起源(勉誠出版、2005)の「はじめに」のp.6-7に、次のような長山泰孝(大阪大学名誉教授)の文章(2003年のもの)が引用されている。一部を省略又は要約して再引用する。
「今の古代史は非常識」だ、つまり、「律令国家によって初めて国家というものが成立したというのはこれは常識と合わない」。「隋と正式に国交を交わし」た「それ以前の推古朝」は何なのだ、「国家ではないのか」ということになってくる。/「ずいぶん国家の成立が押し下げられてきている」。「自分の国の歴史の発展をできるだけ遅く考えたいというのが、戦後の歴史学の出発点だったところがあった。そこからつくられた情念だったわけ」だ。/「最近、考古学の方」がいうには「三世紀の少なくとも中頃には国家は成立している」。「文献史学」では空白のままきて「不思議なことに六世紀のわずか一〇〇年の間に全部出そろう」。/「まったく記紀を無視する戦後の歴史学が今問題であって…」。
いろいろな歴史理解はありうるだろう。だが、この長山泰孝だと、八木秀次のように(「最近の研究によれば」としてであっても)「七世紀の終わりあたりに日本の『国のかたち』がようやく固まった」らしい、とは発言しないのではないか。
3 近現代史に限らず、すべての日本史の時期について、戦後にマルクス主義歴史学者が活躍したことは周知のことだ。古代史(学)については、石母田正(いしもだ・ただし)という、日本共産党員ではないかと思われる学者の影響力が大きかった。言及したことのある直木孝次郎も、親マルクス主義の「左翼」だ。
従って、天皇制度や「国」の成り立ちに関する古代史学なるものは疑ってかかっておいた方がよい。上で長山泰孝も指摘又は示唆しているように、現にある<天皇制度>の権威を高めることのないように、その歴史は実際よりも短くされるか又は軽視されている(あるいは神話=ウソとして完全否定されている)可能性がある。また、日本「国家」の権威・特性・歴史的な古さ(長さ)を強調することにならないように、その成立・「確立」の時期は「押し下げられてきている」(長山)可能性がある。
さて、「最近の研究によれば」、「七世紀の終わりあたりに日本の『国のかたち』がようやく固まったとみるようです」と発言する八木秀次は、長山が「非常識」とする<左翼>古代史学の影響を受けてはいないだろうか。
古代史についてもマルクス主義者とそうでない者の<闘い>というものは客観的には存在している。まさかとは思うが、日本の近現代史(学)はともかく古代史(学)についてはそのような対立はなく、中立的・客観的に学問が展開している、とでも八木秀次は考えているのではないかとすら憂慮してしまう。
ともあれ、歴史認識問題は、近現代史についてのみあるわけではない。不用意にでも<左翼>日本史学(>古代史学)の影響を八木秀次が受けているのだとすれば、その八木が<保守思想の理論化・体系化>をしたい旨を語っているのだから(中西輝政=同・保守はいま何をすべきかp.131)、また、この人は<保守系>の(筈の)「日本教育再生機構」とやらの要職を務めているらしいのだから、<ことはまことに重大で、由々しき問題だ>と思われる。
一 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人々(PHP、2008)の中で、八木は、改正教育基本法が「我が国と郷土を愛する…態度を養う」ことを理念の一つと定めたにもかかわらず、今年(2008年)3月の学習指導要領改訂には法律改正の趣旨が反映されていないと批判的に指摘している(p.245-)。産経新聞の3/19「正論」欄でも、「わが国の伝統と文化を語る上で重要な天皇も、…中学校では社会科公民で『…〔略〕について理解させる』と記述するにとどまり、改善点はなく、天皇への敬愛の念についての言及もない」などと批判している。
「日本教育再生機構」の理事長でもあるという八木は、きっと、日本という「国」の成り立ちや天皇(制度)の歴史-<古代史>ということになろう-についても該博な知識とそれらの「教育」に関する適切な見解をもっていそうだ、と言えそうだ。
二 しかし、中西輝政=八木秀次・保守はいま何をなすべきか(PHP、2008)の中で、私には奇妙と思えることを述べている。
「日本の神話を読んで『神武天皇は実在したのか』『百二十五歳まで生きるわけがない』と言っても意味がない」。「建国神話とは、建国の精神に立ち帰ることで国民がまとまればいいわけですから」(p.231)。この二つめの「」は度外視しよう。
上の一つめの「」の、①「神武天皇は実在したのか」、②「百二十五歳まで生きるわけがない」、と言っても「意味がない」とは、いったいいかなる意味なのだろうか。ここで彼は、何を主張したいのだろうか。
常識的には、日本(建国)神話の<真実性>を論じても(あるいはその<虚偽性>を指摘しても)「意味がない」、という意味であるように読める。「神話」は「神話」として<理解>すればよい(又は<物語>として「信じ」ておくべきだ)、というような意味だと思われる。
八木は、①「神武天皇」の実在性と②初期の諸天皇の<生存年数>を論じても「意味がない」と発言している。そして、明言はないが、どうやら、①「神武天皇」は実在しない(つまりこの点の神話はウソだ)、②生存年数「百二十五歳」の天皇は存在しない(つまりこの点の神話はウソだ)と八木は理解しているものと推察される。少なくとも、このように解釈されてもやむをえない発言の仕方をしている。
そうだとすると、重大な疑問が生じる。すなわち、①の「神武天皇」の実在性の問題と、②同天皇を含む初期の諸天皇の<生存年数>(又は<在位年数>)の問題とを、こうして同次元の問題として論じるべきではない、と思われるからだ。一括して議論している八木は誤っている。つまり、古代史に関する知識が十分ではない。
ここで述べようとしていることについて、安本美典・日本神話120の謎-三種の神器が語る古代世界(勉誠出版、2006)の「はじめに」には、なかなか興味深いことが書かれている。あの、「左翼」の立花隆が、2005年に、安本美典の別の本、安本・大和朝廷の起源-邪馬台国の東遷と神武東征伝承(勉誠出版、2005)を読んでの感想を、次のように某週刊誌に書いた、というのだ。以下、上の第一の著のp.8-9の引用からさらに一部引用する。
「この本〔上の第二の2005年の著-秋月〕を読むまでは、私も通説に従って、神武天皇などというものは、神話伝説上の人物にすぎず、リアルな存在では全くないと思っていた。/しかし、この本を読んだ後はちがう。神武天皇伝説の背景には、骨格において伝説に近い史実があったにちがいないと思っている。/…私はこの本によって、古代史にまつわる多くの謎のモヤモヤがきれいに整理され、取りのぞかれた思いがして、大筋これで結構と思っている」。
八木秀次の古代史・日本神話・初期天皇に関する知識は、この2005年時点の立花隆以前の状態にあるのではないか。私が安本美典の諸説を知ったのはたぶんん20年程度以前のことだが(なお、安本美典・神武東遷(中公新書)は1968年刊)、神武天皇にあたる人物は実在しただろう、大和盆地への「東遷」伝承は相当に史実を反映しているだろう、と(安本美典の説得力ある議論の影響をうけて)思っている。
従って、第一に、「神武天皇は実在したのか」と言っても「意味がない」ということは全くなく、<実在した>と断固として主張してよいのだ(もっとも、安本説ではないが「崇神天皇」等との同一人物説等もある。だが、この説も「神武天皇」にあたる人物の実在を否定することにならない)。
一方、初期の天皇の「生存年数」(=寿命)が記紀において異様に長く書かれていることはよく知られている。神武天皇は日本書記によると127年(古事記によると137年)、その他、開化天皇115(63)、崇神天皇120(168)、垂仁天皇140(153)等々。
なぜこのように(神武天皇の即位が紀元前660年となるように)長くしたのかには辛酉革命説等の諸説あるが、これらの常識的に見て長すぎる寿命(生年・没年)の記載は<信じられない>・<ウソだ>と言って何ら差し支えない、と考えられる。
従って第二に、「百二十五歳まで生きるわけがない」と言っても「意味がない」ということは全くなく、むしろ「意味がある」。
八木はこの生存年数について、ひょっとして「神話」として<理解>すればよい、又は<物語>として「信じ」てよい、と言うのかもしれないが、そのような<公教育>をしても、小学校も高学年くらいの生徒になれば<理解>も<信じる>こともできず、「建国神話」によって「国民がまとま」ることをむしろ妨げることになるものと思われる。
以上のとおり、八木秀次の古代史・天皇の歴史に関する知識と見解は怪しいものだ、というのが私の感想だ。
三 中西輝政=八木秀次・保守はいま何をなすべきか(PHP)に再び戻ると、もう一点、やや奇妙に感じたことがある。すなわち、中西輝政は日本史を学ぶ「最終目標」は「神話が体得できる」ことだと言っているが(p.228)、八木はこの指摘を「学ぶ」優先順序のごとく理解しているのではないだろうか、ということだ。
もう少し詳しく紹介すると、八木は、「国のかたちがはっきり現れる時代」(「継体天皇から聖徳太子を経て天武天皇に行き着く流れ」)から「歴史を見て」、「学んでいった後で」、「最後は神話に行き着く」と述べている。渡部昇一・稲田朋美との上掲共著p.247では、日本の「国のかたち」が「ようやく固まった」「天武天皇・持統天皇」の時代の「建国の精神」の内容を述べており、この時期をまずは「学ぶ」ことが重要だと考えているようだ。
「学ぶ」順序などは些細な問題かもしれないが、関心を惹くのは、「天武天皇・持統天皇」の時代又はそこまでに至った「継体天皇」の時代以前について、八木は何も語ろうとしていない、ということだ。「応神天皇」やその母とされている「神功(じんぐ)皇后」にも一切の言及がない。
日本の「建国の精神」でもよいし、日本人の「精神」・「心持ち」でもよいが、それらを知るために、「継体天皇」の時代以前に関する記紀等の叙述をこのように軽視してよいのだろうか。仏教が伝来するまで日本(人)に特有の<心情・信条の体系>だったと思われる<神ながらの道>=<神道>に立ち入らないかぎり、日本人の「精神」・「心持ち」、そして「建国の精神」も理解できないのではないか。
安本美典は反マルクス主義者であり、「津田左右吉流の文献批判学」の批判者であり、(私の造語だが)「反アカデミズム」者でもある。その安本・日本神話120の謎(上掲)p.21の表現によると、戦前に迫害された「津田の諸説は、第二次大戦後の、懐疑的風潮の中で、はなばなしくよみがえ」り、「わが国の史学界において、圧倒的な勢力をしめ」、そして「戦時中の、神話の全面肯定から、全面否定へと、はげしいうつりかわり」を見せた。
八木秀次の精神世界は、今も戦後の神話「全面否定」論の影響を受けつづけているのではなかろうか。安本がいう、ギリシャ神話・旧約聖書物語よりも「日本神話へのなじみがすくない世代」(上掲書p.21)に属したままなのではないだろうか。
ふつうの日本人、とくに若い世代であれば、上のことは珍しくもなく、批判するのは酷かもしれない。だが、「保守はいま何をすべきか」と大上段に振りかざし、「国…を愛する」態度や天皇に関する<教育>について発言している八木が、今回記した程度の「日本の神話」に関する知識と関心しか持っていないとすれば、ほとんど<詐欺>に等しいのではないか。
なお、八木の、天皇の宮中祭祀に関する知識が不十分である(又は誤っている)と見られることについては、すでに述べた。
「孤高型の『俺が一番知っている、俺の言うことを聞け』という保守ではなく、一般の方々ともつながりながら、だいたいのところで一致するのであれば広く手を携えていこうというタイプの保守。それが…求められている…。…『とりあえずこの問題では一致できる』ということであれば、別の問題では一致できなくとも、今は手をつなごう、協力しようということもあっていい」(p.113-4)。
だが、八木は、このような姿勢・感覚を一貫して維持しているのだろうか。次のようなことも語っている。
1 「自称『保守』だらけ」で「保守のハブル化」がある(p.132-3)。こうした表現の仕方は、「『保守』と称する人」の増大を、歓迎している様子ではない。
2 「ネット右翼」の一部を典型として「眉をひそめたくなるほど過激なことを、汚い言葉で言う人たち」も増えている(p.133)。
3 「言論人の中にもその手の人たち」が出現している、「比較的、転向者が多いようですが」(p.133)。
「その手の…」とは、前の文の「眉をひそめたくなるほど過激なことを、汚い言葉で言う」ということを指しているのだろうが、具体的にはいかなる人々を指しているのかは分からない。問題だと思うのは、<転向者>という言葉を使っていることだ。
転向者という語はひょっとすれば<左翼用語>ではないかとも思うし、そうでなくとも好ましいニュアンスの語ではないだろう。新しく<保守派>になった、または新しく<保守>陣営に入ってきた者たちを、八木は「転向者」と表現しているのだ。そこには少なくとも暖かさはないように見える。
4 「キャリアの浅い保守」には既成左翼に対する新左翼のような感覚があり、「ナショナリズム」については大丈夫だが、「日本の国体」問題になると「途端にものすごく怪しくなる」(p.133-4)。
5 「バブルの保守言動」・「底の浅い保守思想」が「多少淘汰されて、本物が残っていく」との期待をもつ。
とりあえず、以上の5点は、冒頭の八木の言葉と首尾一貫しているだろうか。これらはすべて、少なくとも<広い>意味での<保守>の一部に対する批判であり、<転向者>や「キャリアの浅い保守」や「底の浅い保守」に対する嫌悪感をむしろ示しているように思う。そして、自分は古くからの<保守>本流だとでもいうが如き、自らの<特権化>心情・<特権意識>を感じることもできる。
<転向者>や「キャリアの浅い保守」や「底の浅い保守」の人たちとも、「だいたいのところで一致するのであれば広く手を携えていこうという」保守が「求められている」のではなかったのか? あるいは、「『とりあえずこの問題では一致できる』ということであれば、別の問題では一致できなくとも、今は手をつなごう、協力しようということもあっていい」のではなかったのか?
上の5では「協力」どころか、バブル化したという「保守」の一部の「淘汰」をすら語っている。内容的にも問題があると思うが、同時に、こんなことを語れる<傲慢さ>にも驚かされる。
この本の中では八木の西部邁の名を挙げてのに対する批判的コメントがある(p.147)。ここの部分は、八木秀次のアメリカ観は一貫しているか?ともかかわるので、別の回でも触れるだろう。
二 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次(PHP、2008)の中で、八木は、通常は<保守>派と見なされている何人かの人々を、氏名を明示して批判している。
槍玉に挙げているのは、岡崎久彦(p.43-44)、岡本行夫(p.51)、西部邁(p.88-89)、村田晃嗣(p.95-97)ら。
八木による批判の当否をここで論じたいのではない。指摘したいのは、この人は、通常は<保守>派と見なされている人々であっても、簡単に名指しして批判できる人であり、かつその熱心さは、<左翼>又は<左派リベラル>を批判する場合の熱心さと変わらないようだ、ということだ。争点は何か、そして批判の当否こそが重要だろうことは分かっているが、八木秀次という人物を理解する上で、上の点は記憶されてよいものと思われる。
そしてまた、今回の冒頭で引用した、「だいたいのところで一致するのであれば広く手を携えていこうというタイプの保守」をこの人は本当に希求しているのだろうか、という疑問も生じるのだ。
三 これまで、朝日新聞や同関係者、日本共産党や同関係者、あるいは<左翼>と見られる者については遠慮なく批判の文を書いたが、<保守派>の人たちへの配慮や遠慮は無用だ、と最近は感じてきた。なぜなら、―厳密には完璧な理由にはなっていないが―八木秀次だって、書店で販売される本の中で堂々と<保守派>の人たちを<言挙げ>しているからだ。こんなブログサイトで遠慮してもしようがない。従って、八木秀次を名指ししての<検討>は、まだ続ける。
二 以下は、前回のつづき。
皇太子妃(雅子妃殿下)を批判・攻撃し、制度上の何らかの提言までしているのが、中西輝政、八木秀次、そして西尾幹二の3人。全体の56から見ても、また20の中でも、<異様な>(少なくとも<少数派>の)見解だ。
私的に内々にご意見申し上げる、というのとは全く異なり、月刊雑誌を利用して、<世論>の一部として現皇太子妃等に圧力を加えていることに客観的にはなるものと思われる。主観的な善意の有無はともかく、現皇太子妃(雅子妃殿下)の心身によい影響を与えるだろうか? 攻撃だけが目的ならばそれで執筆者は目的を達しているのかもしれないが。
1 西尾幹二は首相あて質問・要請文のスタイルで書いているが、月刊Will5月号(ワック)での文章と併せて読むと、ここに明瞭に位置づけられる。
西尾幹二は、①小和田家が皇太子妃を「引き取るのが筋」との旨を書いた(月刊WiLL上掲p.39-40)。これは、常識的には現皇太子妃は<離婚(離縁)せよ>ということを意味するだろう。
また、②「秋篠宮への皇統の移動」との提言も「納得がいく」と明記した(同上p.42)。
この②は法律としての現皇室典範2条の定め(長男が最優先の皇位継承者の旨等)に反し、かつすでに所謂立太子された皇太子殿下がいらっしゃるので、同3条(皇位継承順序の変更)の要件に該当するとする「皇室会議の議」が必要となる。
本来はこういう話題をこの欄で取り上げるのはそれこそ畏れ多いことで恐懼の至りだが、すでに月刊雑誌上で公表されている以上、このブログ欄でだけ隠しても意味がない。以下、同じ趣旨で記録に残す(すでにこの欄で一部書いたことと重複する)。
2 中西輝政は、①現皇太子妃の「皇后位継承は再考の対象とされなければならぬ」と明記する(諸君!上掲p.239-240)。
再考して、現皇太子妃の<「皇后位継承」を不可とすること>は、基本的には、皇太子殿下との離婚か、皇太子自体が天皇位を継承しないこと、によってしか実現しない。
「離婚」は<左翼>・<フェミニスト>を喜ばせるだろう。「皇室会議の議」を要すると思われるが、皇族同士の離婚の例があるかどうかは知らない。後者の「皇太子自体が天皇位を継承しないこと」も簡単ではないことは、「秋篠宮への皇統の移動」について上に記したとおりだ。
中西は、②「皇太子妃におかせられては、…特段のご決意をなされるようお願い申し上げたい」とも書く(p.239)。「特段のご決意」の意味・趣旨が不明だが、「宮中祭祀」に列席することか、それとも<離婚>のことなのか(後者は西尾幹二がいう小和田家による「引き取り」とほぼ同じ)。
なお、中西は、③皇太子妃が「宮中祭祀のお務めに全く耐え得ない」のが真実なら「ことは誠に重大であり、天皇制度の根幹に関わる由々しき大問題である」(p.239)と書いて、このことを①・②の前提にしている。また、「皇族」、「平成の皇室」という語を使っているが、これらの人的範囲は明確にされていない。
3 八木秀次は、つぎのように書いた。
「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上している」。そして、皇室典範3条が定める皇位継承順序の変更可能な要件の一つである「重大な事故があるとき」に、「祭祀をしない」ことは該当する、という解釈を示した(p.262)。
既述のように、「皇室の本質」という場合の「皇室」の意味・範囲は明確にされていない。
また、「祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する…」というのは、いったいいかなるニュアンスを含む文章だろうか。「祭祀をしない天皇」と「祭祀に違和感をもつ皇后」とは全く意味が異なる。「いや少なくとも」という語で簡単につなげてよいものだろうか? 思考・論理の曖昧さが垣間見える気がするのだが…。
三 以上の3人の見解は、つぎの竹田恒泰の文章が適切なものだとすると、前提自体がそもそも欠けている。
そうだとすると、中西、八木そして西尾は、<取り返しのつかない、一生の蹉跌>をしてしまったのではないか。
竹田恒泰の叙述を再掲する(月刊Will7月号(ワック))。
・「天皇の本質は『祭り主』であり、祈る存在こそが本当の天皇のお姿」だが、「皇后や東宮妃の本質は『祭り主』ではない」。
・皇后等の皇族が宮中祭祀に「陪席」することはあり「現在はそれが通例」だが、あくまでも「付き添い役」としてであり、新嘗祭等に内閣総理大臣が陪席するのと同様だ。「大祭」に際して「全皇族方が…陪席」するのは「理想」かもしれないが、「天皇は『上御一人』であり、全ての宮中祭祀は天皇お一人で完成するのが本質」だ。「皇族の陪席を必要」とはしないし、「皇族の一方が陪席されない」からといって「完成しないものではない」。
・「歴史的に宮中祭祀に携わらなかった皇后はいくらでも例があ」り、「幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった。そもそも皇后の役割は宮中祭祀ではない、まして東宮妃であれば尚更」だ。
・東宮妃(=雅子妃殿下)が皇后になられたときにまだご病気であれば「無理に宮中祭祀にお出ましいただく必要はない。またそれによって天皇の本質が変化することもない」。
この竹田の理解は(上の三人のそれと比べると)より正確又はより適切なのではないか。かりにそうだとすると、西尾幹二、中西輝政、八木秀次は<いったい何を大騒ぎしているのか??>。
今上天皇による宮中祭祀の場合の美智子皇后を「標準」と考えるのは歴史的には正しくないし、明治維新以降の宮中祭祀の慣例もまた絶対に遵守すべき「皇室」のルールではないだろう。明治期以前に、もっと長い長い、天皇による祭祀の歴史があり、皇后や皇太子妃がどのように関与するかについては多様な形態の歴史があったものと推察される。
他人事ながら、自らを恥ずかしく思わないのか、と感じるのは、中西輝政だ。中西は、「ことは誠に重大であり、天皇制度の根幹に関わる由々しき大問題である」と書いてしまった(八木秀次もほとんど同じだが)。中西は「真実であるなら」と留保(条件・仮定)を付けたと弁明するかもしれないが、かりに「真実」だったとしても、竹田恒泰の言を信頼するかぎり、「天皇制度の根幹に関わる由々しき大問題」などと大仰に言うほどの問題ではないのだ。
先月だったか、産経新聞に小さく、櫻井よしこが所長(理事長)の国家基本問題研究所が提言を発表したとかの報道があった。ウェブ上の情報によると、中西輝政はこの研究所の「理事」らしい。上記の諸君!特集の56人の中で中西と同じ見解とは思えない考えを書いている「理事」の遠藤浩一や「副理事長」の田久保忠衛がいるようなので、中西輝政が提案しても、上のような中西見解が、この研究所全体の提言にはならないだろう。だが、「国家基本問題」の所在を見誤ったと思われる中西は、―余計なお世話だとは思うが―「理事」を辞めてもよろしいのではないか。
あと、15人残っている。さらに続ける。
一 再び、月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の「われらの天皇家、かくあれかし」という大テーマのもとでの諸文章について。計56人の文章を全て読み終えた。その際に、現皇太子妃(雅子)妃殿下の現況についての何らかの言及のある文章の数を調べてみたが―区別がむつかしい場合もあったが―20だった(56人の36%)。
56人の中には外国人2人を含み、またこの56人(又は外国人を除くと54人)でもって現在の日本人の天皇・皇室論や<皇太子妃問題>(なるものがあるとして)についての見方の平均的なところを把握できるかというと、その保障はないだろう。ただし、諸君!(文藝春秋)という雑誌はどちらかというと<保守系>のはずで、文章執筆の依頼もどちらかというと<保守系>の人物に対してなされたのだろう、と言えるものとは思われる(むろん半藤一利や保阪正康がしばしば登場するなどの例外はある。7月号についても同様)。
二 さて、20の中には、皇太子妃問題を想定して、皇太子妃を責めることなく、天皇制度の解体・崩壊に言及するものが2つあった。執筆者は、森暢平と原武史。
森暢平は皇太子妃の療養以後皇室は大きく変質したがじつはもっと前から変質していたのだとし、「皇室は国民の規範」たることが困難になり、「象徴天皇制の終焉」がすでにあった、とする。そのことの要因は「メディア環境の変化」でもあり、「現在の在り方を根本的に考え直さないと、ある時、一気に瓦解する可能性さえ秘めている」、と書く。
上の最後の文は天皇制度の将来を心配しているようでもあるが、天皇・皇室についてのジャーナリステイックな書き方、「サブカル化する平成皇室」というタイトルからして、天皇・皇室制度を貴重なものとして断固守ろうというという気分の現れではないように思われる(誤っていれば、ご容赦を)。
三 一方、原武史に天皇・皇室に対する<悪意>があることは明らかだ。もともと朝日新聞社や岩波書店から本を出すこと自体、この両者は他社とは違って<思想チェック>をしているので原武史の「思想」的又は「政治」的立場はほぼ明らかだが、原武史・昭和天皇(岩波新書、2008)のp.12にはさっそくこんな文章がある。-「天皇が最後まで固執したのは、皇祖神アマテラスから受け継がれた『三種の神器』を死守することであって、国民の生命を救うことは二の次だった」。米軍による日本本土攻撃が予想された時期に「三種の神器」を自らのすぐ側に置こうとされたようだが、それを「国民の生命を救うことは二の次だった」と解釈するところには、原武史の、(昭和)天皇に対する<悪意>・<害意>を感じることができる。
1 「宮中祭祀の見直しを」と題する諸君!7月号上の原の文章はヒドいものだ。この人は日本経済新聞記者の時代があったようで、ジャーナリステイックな、<面白い>・<話題をまき起こす>文章を書けても、研究者・学者らしい文章を書く力は充分には持っていないように見える。奇妙な点を列挙してみる。
①農耕儀礼と結びついた祭祀=「瑞穂の国」のイデオロギーは、日本の都市化・農業人口の減少(1970年で20%を切った)によって「社会的基盤」を失った(p.244)。
何故このようなことが言えるのか、何故「社会的基盤」を失ったと言えるのか、さっばり分からない。余りに単純な発想をしてもらっては困る。専門家ではないので正確には書けないが、A狩猟民族に対する農耕民族の違いや特性が今なお論じられることがあるが、かりに食糧自給率の低さが問題になるほどに農業の衰弱が現在あるのだとしても、弥生時代以降、農業=主として稲作によってこそ日本人は「生き」、「生活」でき、そして社会と国家を形成したのだとすれば、そのような日本人と日本「国家」の成り立ちにかかわる記憶を将来に永続的に伝えていくためにも、祭祀の意味はある(それが「伝統」の維持というものだ)。
また、B現代では農業が主産業ではなくなっていても、今日的な諸産業、あるいは社会にかかわる「人間の仕事」のすべてを代表するものとして「農耕」を理解し、「農耕儀礼」を通じて、自然の恵み(「運」も含めればどんな産業にだって「自然」又は「偶然」・「宿命」を逃れられないだろう)を祈り、収穫=成果の多大なことを祈り願う、ということはなお充分に意味があるものと思われる。
ともあれ、まるで他説を一切許さないような単純な決めつけをしてもらっては困る。
②皇居(お濠)の「内側」=「農耕儀礼」、「外側」=都市化のギャップが大きくなっている。解決方法は、「内側」を「外側」に合わせるか、「外側」を「内側」に合わせるしかない。どちらもしなければ、「いずれ重大な局面が訪れることになるに違いない」(p.245)。
「いずれ重大な局面が訪れることになるに違いない」とは天皇(制度)を心配しての言葉でもあるかもしれないが、突き放した、そうなっても=天皇制度が解体・廃絶しても(自分は)構わない、という意見表明である可能性もある。
その前に書かれていることも、大学教授とは思えないほどに論理が杜撰だし、天皇(家)の研究者にしては天皇制度の歴史的・伝統的意味を意識的に無視している。
すなわち、「内側」と「外側」を合わせる必要はない、というもう一つの選択があることが分かっているのに、それに言及していない。「内側」を「外側」に合わせる議論は、国家・国民のための祭祀行為を行っている天皇とそれを支える天皇家を、<ふつうの一般的家庭(の特殊なもの)>にしてしまうものだ。<「瑞穂の国」のイデオロギー>なるものの射程範囲はよく分からないが、それはそれで維持すればよいし、宮中祭祀の中に<「瑞穂の国」のイデオロギー>では説明がつかないものも現にある筈なので、「新たなイデオロギーを構築する必要」もない。
またそもそも、「内側」と「外側」のギャップが大きくなったことを自然の、不可避的な現象の如く理解しているようだが、例えば「内側」の祭祀行為を天皇家の<私事>扱いして学校教育できちんと教えない、マスメディアもきちんと報道・説明しない、といった、原武史も育ってきた<教育・社会環境>にも重大な一因がある、と思われる。こうした面には、原は全く言及していない。
2 週刊朝日2007年3/09号を読んでいないので、同じ諸君!7月号上の八木秀次の文章から借りるが、上に述べている「内側」と「外側」の矛盾が皇太子妃の心身に影響を与えていると理解しているようであり、具体的にはA「神武天皇は本当に実在したと考えられるか」、B「天照大神の存在を理屈抜きで受け入れられるか」等、皇太子妃には簡単には受け入れられない→「信じ」られなければ「祈り」もできない(=宮中祭祀への違和感)、ということから、→適応障害→治すために宮中祭祀の簡略化又は廃止、という主張を原はしているようだ(p.261)。
他にもあるのだろうが、上のAとBくらいならば、何故「信じる」ことができないのかが、よく分からない。日本書記等の記述が全て事実を正しく描写しているとは思えないが、時期はともかくとしても、「神武天皇」とのちに称されたリーダー(+祭祀主?)が「東遷」して大和盆地で大和朝廷の基礎を築いた程度のことは、充分にありえたことだ。また、卑弥呼=天照大神説もあるように、神武天皇に先だって、天照大神とのちに称される日巫女(ひみこ)が祭祀上の中心になってより小さな地域を「国」としてまとめていた、という可能性を完全に否定することはできない。
おそらくは、妃殿下の内心の推定というかたちをとりつつ、上のAとBは、原武史自身がもつ疑問なのだろう。日本の戦後の日本「神話」教育の欠如は、ついに原武史という大学教授が神武天皇・天照大神の存在を完全に否定する(存在を信じることができないとする)ところまで行き着いた、ということだろう。記載のすべてが真実ではないにせよ、すべてが天武朝を正当化するために作られた虚像=ウソと理解する必要はなく、何らかの史実を反映をしている部分が十分にあり、またウソの場合ではなぜそういうウソが書かれたのかも研究されてよい、というのは今日の日本古代史研究の常識なのではないか。
3 原武史はそもそも、世襲天皇制度という<非合理>なものを気味悪く思い拒否感を持っているにすぎないのかもしれない。善解すれば、<非合理>なもの(祭祀=農耕儀礼を含む)を捨てて、「新しいイデオロギー」を構築して再出発を、という主張なのだろうが、これはやはり実質的には<天皇制度解体論>だ。朝日選書(『大正天皇』)、岩波新書(『昭和天皇』)、週刊朝日、そして最近の月刊現代(講談社)…、なるほど、この人は明瞭な<左翼>出版社とともに活動している。
渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人びと(PHP、2008.06)を、全読了。中西輝政=八木秀次の対談本より面白い。
何よりも、稲田朋美とはこんなに知識がありこんなに語れる人物なのか、と感心した。衆院福井一区の人たちは、この人をずっと当選させ続けなければならない。
書いたことがあるように、司法試験合格者(従って弁護士・裁判官等の専門法曹)のたいていは日本の歴史、天皇制度の歴史、天皇・皇室の現況等などの知識をもっていない(軍事問題の知識も当然に、ない)。そんなことに関心をもっていれば、試験早期合格は覚束ないだろう、と思われる。にもかかわらず、稲田の知識・理解・見解はいったいいつ・どこから得たのか、不思議に思うほどだ。国会議員として現実感覚にも優れ、八木秀次よりも「上」の人だろう。
必ずしも一般的ではないだろう私の見解と同じ理解を、稲田が示してくれている論点が少なくとも二つある。
第一に、講和条約(1951。翌年4/28発効)11条の「-を受諾し…」の「-」につき「(東京)裁判」ではなく「(諸)判決」の意味で、そう訳すべきという主張がかなり(<保守>派の中には)あるようだが、「裁判」でも「(諸)判決」でも本質的に変わりはない旨を書いたことがある。
稲田朋美も、どちらに訳そうと「第11条の解釈に変わりはないと考えている」と明言している(p.140-1)。そして、なぜこの「受諾」条項が置かれたかというと、同条の全体から見て、戦犯とされ有罪(拘禁)判決を受けた者の現実の「拘禁」状態を維持することを(国際社会に復帰するために)対外的に<約束>しておくためだった、と理解しているが、稲田も殆ど同じことを述べている(p.141)。
参考までに同条を掲げる。
第11条「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷のjudgementsを受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。」
そして、この条文にいう「…一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基」き、「拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる」ということが、1000名以上の「戦犯」について、後年に実際に行われたのだ。そしてその中から、のちに大臣になった者まで現れたのだ。
上の「judgementsを受諾」は、基本的には上のような趣旨(=拘禁刑の執行の「約束」の論理的前提)しかない。諸判決の細かな事実認定・評価に日本国家が永久に拘束されるいわれは全くない。
論じるとすれば、「judgements」とは判決主文だけなのか判決理由を含むのか、だと思うが、稲田によると、政府答弁(2005.6.02)は、判決理由も含むとしているようで(p.140)、かつ稲田もこれに異議を唱えてはない。判決主文だけなのか判決理由を含むのか、というのは論点ではないのかな、となお感じてはいるが。
関連して思い出すのは、安倍内閣時代に、民主党の岡田克也が、条約の法的効力は(国内)法律に優先する、という学生時代か司法試験勉強中に憶えたのだろうことを持ち出して、だから(東京裁判遵守の)講和条約の方が国内法律による赦免や犯罪者扱いしない等の措置よりも重たい(優位に立つ)という旨を主張して安倍首相に対して質問していたことだ。一般論としての効力関係はそうだとしても、問題は、そもそもの講和条約11条の存在意義・意味の解釈に分かれがあることにあるのに、ズレた質問をしている、と感じたものだった(岡田は、当時の野党も含めて賛成した、東京裁判「戦犯」を犯罪者扱いしないことを前提とする法律制定・改廃は国際法違反で無効とでも主張するのか?)。
第二は、これまで書いたことがなく、昨年に憲法九条が同条二項も含めて憲法改正権の限界の中に含まれるかにつき、常岡せつ子という憲法学者らしき者の「大ウソ」について何回か書いたあと、4月頃に天皇制度に関係のある書き込みをしていて考えたことだ。すなわち、日本(・天皇制度)の長い歴史から見て、<天皇制度>の廃止をするような憲法改正は許されない、つまり憲法改正権の限界を超えるのではないか。
現憲法1条は「…この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定していて、立花隆をはじめとして、「日本国民の総意」でもって(憲法改正により)廃止(廃絶)できると解釈する者も多いようだ。憲法改正権の限界を論じる中で天皇条項におそらく全く言及していない憲法学説も、少なくとも通説又は圧倒的多数説は、そのように解釈しているのかもしれない。
だが、稲田朋美は次のように明言している。-「憲法一条の象徴天皇を憲法改正の対象とすることは許されないと私は思っています」(p.207)。
これには肯定的な意味で、驚いた。私もそのように主張したい。そして、憲法学界は、この論点もまともに論じるべきだ、と言いたい。
「…この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という部分は、現憲法の制定者がそのように=日本国民の総意に基づくものだ、と理解して、天皇を国家と国民統合の「象徴」と位置づける、という意味だけのことで、「日本国民の総意」によって<どのようにでもなる>と解釈するのは、政治的に歪んだ、他国にはない日本国家の特性を完全に無視した議論(解釈)だ、と考えられる。
稲田は上の見地から、自民党の憲法改正草案の「象徴天皇はこれを維持する」との文言も不適切だと指摘している(p.207-8)。その理由も含めて、尤もだと支持したい。
だが、稲田朋美の発言のうち一つだけ違和感をもったのは、この人が「二千六百五十年以上」続く天皇制度・皇位継承等と、何度も強調していることだ(p.208-9)。
中国の文献を信頼して日本の古代文献は信用しないというのでは全くないが、神武天皇即位が「二千六百五十年以上」前だったと<信じて>もよいが<事実>だったと認識はできないだろう、と思っている(但し、のちに神武天皇と称されたような人物の不存在までを主張するつもりはない)。この点はまた別の雑談の機会にでもさらに書くが、旧皇族の後裔・竹田恒泰も、同・旧皇族が語る天皇の日本史(PHP新書、2008)の例えばp.69-71で、神武天皇は「二千六百五十年以上」前に即位した、この頃に活躍した人物だった、とは一切書いておらず、むしろ三世紀前半(1750年余以前)説を有力な考え方の一つとして語っている、ということだけ記しておきたい。
中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP、2008.06)を読了したが、後味はよくない。第一は、すでに書いたように、天皇・皇位・皇室を重視する発言をしているこの二人が、別の雑誌では、揃いも揃って、特定の皇族を実質的に攻撃する<左翼が喜びそうな>ことを書いていることにある。中西よ、八木よ、<保守>とは「ふくよかな」ものではないのか?
第二に、二人の議論の水準が高くない。中西輝政の発言が2/3か3/4くらいはある印象で、八木秀次は「仰る通りです」と挿む程度の「対談」部分も少なくない。実質的には、中西輝政の一人話(講演)で、相槌を打つのが八木の役割の如き(それだけとは単純視しないが)本のようだ。
内容的にも、例えば最後の方で、<保守>は日本近代史にかかわりすぎたので(「建武の中興」を含む)日本の歴史を広く勉強し認識することが重要という<心構え>が述べられている。だが、読者に役立つような参考文献は挙げられておらず、古事記・日本書記・太平記等の「現代語訳」でもじっくりと(苦労して)読め、というつもりだろうか。また、そもそも日本史学界は戦後に圧倒的にマルクス主義者が支配したはずで、ヘタに日本史関係の本を読むと、公言はむろんされていなくとも実質的にはマルクス主義的歴史観に立った日本の歴史を勉強し認識してしまうことになりかねないが、そのような日本史学界への警戒の言葉などどこにも一つもない。ある意味では無責任な<放談>の類の本なのだ。
第三に、時間的には第一、第二のあとで感じたのだが、何となくヘンな本だ、という印象は次のようなことにあると思われる。
政党であれば、自らの組織のために今後又は当面「何をすべきか」を議論して方針としてまとめて(文書化して)いくのだろうが、<保守>陣営にはそのような組織はない。同じことだが、<保守>派が何らかの団体を作っているわけでもない。あるかもしれないが、それは、<保守派>の一部の人たちの組織・団体であるか、特定の政策目的をもった組織・団体だろう。<左翼>の側にだって、実質的な(中国共産党、北朝鮮・金日成、アメリカの一部にも通じた)ネットワークはあるかもしれないが、一つの組織・団体のもとに集結しているわけではない。従って、<左翼はいま何をすべきか>というタイトルの本を<左翼>と自認する二人ほどの者が刊行するとはとても考えられない。
しかるに、不思議なことに、なぜか<保守>に関しては、中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP)などという本が刊行されているわけだ。
これに何故違和感を感じたのか。中西輝政と八木秀次の二人が<保守>の一人としての<私はいま(今後)何をなすべきか>を公表する又は語り合うのならばよい。
しかるに、なぜ、この二人は、「保守はいま何をすべきか」を論じる資格があるのか。<保守>の世界にも論客は多数いるので例えば30名ばかりを集めて、「保守はいま何をすべきか」を論じて一冊の(シンポジウム)記録にすることは考えられなくはないと思うが、たった二人で、この二人が、なぜ平然と「保守はいま何をすべきか」を語っているのか。このタイトルにふさわしい結論が出ると考える方がおかしい(その意味では、何かの期待をしてさっそく入手した私も馬鹿だ)。
むろん中西と八木には、自分は「保守」だとの自信があるのだろうが、まるで二人が<保守>を代表しているかの如きタイトルの付け方は(<左翼はいま何をすべきか>という本の刊行が想定し難いということの他に)、きわめて傲慢だ。それに既述のように、いろいろなことに触れられてはいるが散漫で、理論的にも資料的にもさほど有用な本になっていない(税込み1500円以下の本でこのタイトルの本を出すのだから、PHP研究所の蛮勇もスゴいものだ)。
第四は、八木秀次にかかわる。「あとがき」によると安倍首相退陣表明後に八木は「再起を期そう…。作戦の練り直しだ」と諸君!2007年11月号に書いたらしい(その当時私もたぶん読んでいる)。そして、この中西輝政との対談本は「再び”保守”が立ち上がるために行った『作戦会議』の記録」だ、という(p.242)。
八木秀次は何か大きな勘違いをしているのではないか。
「作戦会議」と言えるほどの内容になっていないと思われることは別として、ひとつは、なぜ、<保守>の作戦会議に(そういうものが仮にあるとして)八木秀次が加わる必要があるのか、だ。表現を変えれば、八木秀次にはなぜ、<保守>陣営全体の「作戦」を考える資格があるのか。この人はそれほどの人物なのか、という疑問だ。
ふたつは、本当に<保守>陣営全体の「作戦」を考えるならば、税込み1500円以下の本で大学に所属する二人が語りあってまともなものが出来る筈がない。そして、①本当の、真剣味を帯びた「作戦」ならば、「本」にして市販することなどはしない。日本の「左翼」も、中国共産党も金日成もアメリカ人等も簡単に入手できる本を出版して、真の<保守の作戦>を明らかにしてしまってよいのか。そんなことはしないだろう。インテリジェンスに詳しい中西輝政は、この点は理解しており、所詮は公にできる程度のことしか喋られないことは前提としていると思われる。だが、「再び”保守”が立ち上がるために行った『作戦会議』の記録」だなどとのたまう八木秀次は、「作戦」とは本来は敵に<秘匿>されていなければならないことが、頭の中に全く入っていないのではないか。
②本当の、真剣味を帯びた「作戦」ならば、大学所属の二人によってなどではなく、現在であれぱ当然に安倍晋三や(敢えて書かないが)某や某等々の政治家、経済界の某、某、マスコミ界(新聞、テレビ、出版社)の某、某等々の幹部、朝日新聞の中にもいる<保守>の某等々を中心にして錬られるべきだ。「評論家」業も営む者は、せいぜいアドパイザーたる役割を果たす程度に理解しておいた方が実際にも即しているように思う。しかるに、八木はなんとも軽く?言う。この本は、「再び”保守”が立ち上がるために行った『作戦会議』の記録」なのだと!
ついでに-八木秀次は憲法学者ならば、もう少し現在の憲法学界の実情を報告してほしいし、日本的に物故者(又は現役引退者)に限ってもよいが、有力な戦後の憲法学者の「憲法思想」を批判的に分析してもらいたい。それは「憲法」学のみならず日本の国家・社会の全体にかかわるのだ。宮沢俊義、小林直樹、芦部信喜…。東京大学に限っても、総括的な検討がされてよい学者は多数いると思われる。樋口陽一はまだいちおう現役だと思うが、八木は樋口陽一が書いて一般国民も読んでいるような文章・その内容を批判的に検討したことがあるのだろうか。そのようなものがきちんとあると、私ごときがこの欄で樋口陽一を取り上げる必要はなくなる。
表向きだけ、又は「健康で文化的な最低限度の」生存の手段だけが「憲法学者」という業で、実態は<保守>活動家・運動家に堕しているならば、「憲法学者」としての彼に期待することは何もない。
一 産経新聞「正論」欄6/05の八木秀次「宮中祭祀廃止論に反駁する」は基本的趣旨に反対ではないし、月刊・諸君!7月号でも奇妙な言説を吐いている原武史については、別に批判的コメントを書く。
但し、八木秀次の主張はどの程度の正確な理解をもって、厳密な言葉遣いでなされているのか、疑問とする余地がある。
他の本や雑誌原稿と同様かもしれないが、八木は、「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」と書く。「宮中祭祀」をしない「皇室」は「皇室」でなくなる、という具合に。
だが、そうなのか(天皇と皇室は同じではない)。また、「皇室」という語によってどこまでの皇族を指しているつもりなのか。この後者の点は明確にしていただかないと、趣旨が正確には伝わらないと思われる。
どうやら、「皇室」の中に皇太子・皇太子妃を含めていることは明らかなようだ。では、秋篠宮と同妃は「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」という場合の「皇室」に含めているのか。また、成人して未婚の場合の眞子・佳子各内親王は「皇室」に入るのか。さらに、常陸宮と同妃の問題もあるが、寛仁親王(ヒゲ殿下)・同妃や成人後に未婚の場合の彬子・瑤子各女王は含められているのかどうか。
二 皇室典範に「皇室」という言葉はないが、「皇族」という概念はあり、その範囲が決められている。皇室典範5条によると「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王」が「皇族」と定められている(皇太子は親王のうちのお一人、皇太子妃は親王妃のうちのお一人だと考えられる)。
天皇とこのような「皇族」を合わせたものが「皇室」なのだとすると、かつ八木秀次が「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」として「宮中祭祀」に「皇室」(「皇族」)全員の列席を求めているのだとすると(少なくとも「宮中祭祀」に違和感を持ってもらっては困ると考えているのだとすると-以下同じ)、常陸宮・同妃(華子妃殿下)、秋篠宮同妃(紀子妃殿下)はもちろん、寛仁親王(ヒゲ殿下)・同妃はもちろん成人後の(婚姻するまでの)眞子・佳子各内親王、彬子・瑤子各女王までもが「宮中祭祀」の参加・列席を求められていることになる(なお、<成人後>と限定しているのは、幼児時代にまで求められはしないだろうという常識的発想からする、私の勝手な推測にすぎない)。
はたして今日の実際の宮中祭祀に、これらの人びとは(皇太子妃を除いて?)参加・列席されているのか?
特定皇族の「宮中祭祀への違和感」を八木秀次は憂慮し(かつ批判?)しているようだが、その「皇族」又は「皇室」の範囲を明確にし、かつ彼が問題にしている人物以外の方々は宮中祭祀に参加・列席しているのかくらいはきちんと調べたうえで議論してほしいものだ。
三 皇室典範による「皇族」の範囲の定め方とは別に、「内廷皇族」と「内廷外皇族」という区別もある。
皇室経済法4条1項によると、「内廷費は、天皇並びに皇后、、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃及び内廷にあるその他の皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるものとし、別に法律で定める定額を、毎年支出するものとする」。
この規定は「内廷費」に関する定めだが、ここに列挙されている、いわば天皇陛下の直系の家族が<内廷皇族>だ(妃を含み、婚姻した旧内親王や皇太子以外の旧親王は含まないものと思われる)。
一方、条文は省略するが、「内廷費」ではなく「皇族費」が支出されている皇族を<内廷外皇族>という。<宮家皇族>とも言うらしい(園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社、2007等々)。誤っていれば失礼だが、婚姻して独立の宮家を立てられた秋篠宮と同妃・お子さまたちは、上の条文の内容からすると<内廷外皇族>に当たるものと考えられる。皇族がいらしゃる場合の秩父宮家・高松宮家・三笠宮家の人びとの場合は勿論こちらになる。
さて、八木秀次が「皇室」というとき、<内廷皇族>のみを指しているのかどうか。もしそうならば、その旨を明記しておくべきだろう。そして老齢で病気の可能性もある太皇太后、皇太后やまだ幼年である場合の「皇太孫」や「内廷にあるその他の皇族」に対しても、、「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」という理由で宮中祭祀への参加・列席を求める趣旨なのかどうかを知りたいものだ。
四 八木秀次は月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の文章の最後に皇室典範三条を持ち出して、「祭祀をしない」ことは「重大な事故」に「当たるだろう」、という<法解釈>を早々と示した(p.262)。
皇室典範3条は次のとおり。-「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。」
この規定は明らかに「皇嗣」に関する定めだ。そして(言葉からして容易に判るが)「皇嗣」の意味に関する規定に次のものがある。
皇室典範8条「皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。」
この定めでも明確なように、現在において「皇嗣」とは皇太子殿下お一人であり、同妃は「皇嗣」では全くない。
しかるに何故、八木秀次は「皇嗣」に関する上の条文に言及して、「祭祀をしない」ことは「重大な事故」に「当たるだろう」と書き記したのか?
何らかの誤解をしているか、皇太子妃殿下ではなく現在の「皇嗣」=皇太子=将来の天皇が「祭祀をしない」ことを想定して、上のような<法解釈>論を展開しているとしか考えられない。
ではいっいたどこに(妃殿下ではなく)皇太子が将来において「祭祀をしない」こととなる兆候がある、というのだろうか。また同じことだが、皇太子殿下は「宮中祭祀への違和感」をお持ちになっているのだろうか。そう推測(憶測)しているのだとすれば、その根拠はいったい何か。
上に述べたことの充分な根拠もなく、「重大な事故があるとき」に該当するものとして「皇位継承の順序を変えること」まで八木秀次は提案している。これはじつに<怖ろしい>ことだ。一介の一国民が「皇嗣」たる皇太子殿下について「祭祀をしない」ことは「重大な事故」に「当た」るので、「皇位継承の順序を変えること」ができるのですよ、と言っているのだ。おそらくは充分な根拠もなく「皇位継承」の順序についてまで口を出しているのだ。
以上。述べたかったことは基本的には二点。第一、八木秀次は平均的国民よりも天皇・皇室制度について詳しいはずだが(天皇(制度)について八木は前回触れた中西輝政との対談本・保守は何をすべきか(PHP、2008)でも何度も触れている)、「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」という場合の「皇室」の意味・範囲が明らかにされていない。
第二、八木秀次は皇太子=皇太子妃という(学者、いや普通人でもしないような)混同をしているのではないか、そうとでも考えないと、今の時期に「祭祀をしない」ことによる「皇位継承の順序」変更の(少なくとも可能性の)主張をできるはずがない。
かつまた、このような主張は非礼であり、少なくとも時期的に早まりすぎている。
これらは、研究者・学者という一面ももつ八木秀次ならば容易に(論理的にも概念的にも)理解できる筈だ。単純な活動家・運動家に堕していないかぎりは。
今回に書いたことを含めても、書いている趣旨の不明瞭な、かつ天皇・皇室にかかわる正確な知識がないと見られる八木秀次は<保守>のリーダーには(リーダーの一人にも)絶対になれない、ということは明瞭だ。傲慢にならない方がよい、と感じる。
渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人びと(PHP、2008.06)につづいて中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP、2008.06)も入手して、読む時間が足りない。また、書く時間があればこれらを読んでしまいたい。だが、いずれも途中まで読んだだけだが(座談なので、すぱやく読めてしまう)、後者から一部抜き出して、関連するコメントを書いておこう。いちおう、後者についての第一回になる。
上の中西輝政と八木秀次の対談本の大切なポイントではないかもしれないが、<進歩(革新)派>から<保守派>への「改宗派」や所謂「すべて派」〔説明省略〕に対する皮肉らしきものを述べたあと、中西輝政は言う-「非常に過度な攻撃性を示してしまうというのは、まだ本来の保守になりきれず、『反左翼』『反リベラル』にとどまっている」。また、八木秀次も続ける-「本来保守というものは、ふくよかなものであるはずです」(p.105)。
別の箇所で、中西輝政はこうも言う-保守とは思想ではなく感覚・心。「だから賢(さか)しらに論(あげつら)うという試みを過度にすると、かえって保守から離れるという側面」がある(p.131)。そして、八木秀次は「保守思想」の「理論化、体系化をすべき時期」ではないか(p.131)、「底の浅い保守思想」の淘汰(p.134)、「保守思想」の整備(p.135)等と言及しつつ、本来は「保守から離れる」ことになるかもしれないが(p.131)、などとも言っている。
これらのやりとりにとくに反対するつもりはない。却って、むろん二人が意識している筈もないが、このブログ欄が<反朝日新聞・反日本共産党>とのみ語って「保守」という語を使っていないことや、樋口陽一らを「賢(さか)しらに論(あげつら)う」ということをしてきたようで、やや耳に痛い気もする。
だが、この二人が日本の<保守>主義界を代表している筈はないし、この二人がそのように自分たちを位置づけているとすれば、傲慢だろう、とも思う。また、八木秀次が発言していることの中には私には彼には荷が重すぎると感じることもあるが、この点は別の回に書く。
思い出すのは、月刊・諸君!7月号の特集「われらの天皇家、かくあれかし」の中に計56あった文章の中の、中西輝政と八木秀次のものの内容だ。
全員のものをまだ読み終えていないが、西尾幹二が別の雑誌で述べていた結論的なことと、表現は違っても、同趣旨のことを述べていたのがまさにこの二人だった。
そして、竹田恒泰を信頼するかぎりは、この二人の文章は、現時点では、率直に言って<妄言だ>。よくぞ、「神道と皇室に対してどういう態度をとるのか」、この点を「素通りして日本の保守はない」(中西輝政。上の対談本p.135)と言えるものだ、という気がしている。
この問題に前回に触れて述べたようなことに対して、<では皇室(の重要部分)が「左翼」に乗っ取られてよいのか、「左翼」の浸透を許してよいのか>という反論があるかもしれない。それを想定して、いちおう再反論しておこう。
竹田恒泰の言を信じれば、皇太子妃が宮中祭祀に列席されようとされまいと宮中祭祀の本質に変化はない。天皇(と将来の天皇・皇太子)こそが大切なのだ。天皇陛下が「左翼」に乗っ取られない限り、<天皇制度>はまだ生きており、「日本」も存続している。
私には事実関係の確定のための資料も能力もないが、―以下、本来は書きたくないことに入ってしまうが―万が一、皇太子妃が(祭祀の意義を認めることのできないような)「左翼」心情の持ち主なのだとすれば、もう遅いのではないか。それを阻止するためには、皇太子のご婚姻前の段階ですでに警告・警戒の発言を八木や中西は(西尾幹二も)しておくべきだった、と思う。今では、一国民としては(憂慮しつつも?)「静かに見守る」他はないのではないか。
また、皇室の<外>からの<世論>(月刊雑誌上の意見も含む)の圧力で、皇太子妃たる地位の適格性を論じ、あまつさえ変更の趣旨を含む意見を述べるというのは、きわめて不謹慎なことだ、と思う。このことは、たんに皇室への敬意という心構えのみの問題ではなく、<世論>(月刊雑誌上の意見も含む)という圧力によって皇族の地位が変動されることがありうるという先例を作ってしまえば、逆に<左翼的世論>が皇室内の問題・皇族の地位に具体的に介入してくることは目に見えている、という趣旨の方をむしろ多く含んでいる。
上のことくらい、中西輝政、八木秀次、西尾幹二は理解できないのだろうか。じつに嘆かわしいことだ、と私は感じている。「賢(さか)しらに論(あげつら)うという試みを過度に」行っていることにはならないのだろうか。
ということもあって、中西輝政と八木秀次が日本の<保守>主義界を代表している筈はないし、この二人がそのように自分たちを位置づけているとすれば、傲慢だろう、とも思っている。もっとも、彼らが上掲の本で語っていることの80%は理解できるし、かつそのうち90%くらいは支持できる(読んだ限りでは皇太子妃問題に言及していない)、ということも追記しておこう。
この欄の今年(2008年)1/12のエントリーのタイトルは「まだ丸山真男のように『自立した個人の確立』を強調する必要があるのか」で、こんなことを書いていた。以下、一部引用。
佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)p.197-8によると、「日本社会=集団主義的=無責任的=後進的」、「近代的市民社会=個人主義的=民主的=先進的」という「図式」を生んだ、「『市民社会』をモデルを基準」にした「構図」自体が「あらかじめ、日本社会を批判するように構成され」たもので、かかる「思考方法こそ」が戦後日本(人)の「観念」を規定し、「いわゆる進歩的知識人という知的特権」を生み出す「構造」となった。
佐伯啓思・現代民主主義の病理(NHKブックス、1997)p.74-75によると、丸山真男らにおいて、「日本の後進性」を克服した「近代化」とは「責任ある自立した主体としての個人の確立、これらの個人によって担われたデモクラシーの確立」という意味だった。
憲法学者の樋口陽一も佐藤幸治も、丸山真男ら<進歩的>文化人・知識人の上記のような<思考枠組み>に、疑いをおそらく何ら抱くことなく、とどまっている。
文字どおりの意味としての<個人の尊重>・<個人の尊厳>に反対しているのではない。だが、<自立した個人の確立>がまだ不十分としてその必要性をまだ(相も変わらず)説くのは、もはや時代遅れであり、むしろ反対方向を向いた(「アッチ向いてホイ」の「アッチ」を向いた)主張・議論ではなかろうか。少なくとも、この点だけを強調する、又はこの点を最も強調するのは、はたして時代適合的かつ日本(人)に適合的だろうか。
有数の大学の教授・憲法学者となった彼らは、自分は<自立した個人>として<確立>しているとの自信があり、そういう立場から<高踏的に>一般国民・大衆に向かって、<自立した個人>になれ、と批判をこめつつ叱咤しているのだろう。
かりにそうだとすれば、丸山真男と同様に、こうした、<西欧市民社会>の<進んだ>思想なるものを自分は身に付けていると思っているのかもしれない学者が、的はずれの、かつ傲慢な主張・指摘をしている可能性があるのではないか。
憲法学者が戦後説いてきた<個人主義>の強調こそが、それから簡単に派生する<平等主義>・<全国民対等主義>と、あるいは個人的「自由」の強調と併せて、今日の<ふやけた>、<国家・公共欠落の・ミーイズムあるいはマイ・ホーム型思想>を生み出し、<奇妙な>(といえる面が顕著化しているように私には思える)日本社会を生み出した、少なくとも有力な一因だったのではなかろうか。
以上。すでに1月に書いていたこと。
同じようなことは繰り返し書いているもので、上に出てくる佐藤幸治にかかわることも含めて、<個人主義>の問題に1年半前の昨年(2007年)1月頃には、別の所で、こんなことを記していた。再構成して紹介すると、つぎのとおり。
八木秀次・「女性天皇容認論」を排す(清流出版、2004)は皇位継承問題だけの本かと思っていたら、1999-2004年の間の彼の時評論稿を集めたものだった(07.1/06)。この本のp.167-171は、1府12省庁制の基礎になった橋本内閣下の行政改革会議の1997.12.03最終答申に見られる次のような文章を批判している。
行政改革は「日本の国民になお色濃く残る統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別し、自律的個人を基礎とし、国民が統治の主体として自ら責任を負う国柄へ転換すること」 に結びつく必要がある。「日本の国民がもつ伝統的特性の良き面を想起し、日本国憲法のよって立つ精神によって、それを洗練し、『この国のかたち』を再構築」することが目標だ。戦後の日本は「天皇が統治する国家」から「国民が自らに責任を負う国家」へと転換し、「戦時体制や「家」制度等従来の社会的・経済的拘束から解放され」たが、今や「様々な国家規制や因習で覆われ、…実は新たな国家総動員体制を作りあげたのではなかったか」。
類似の認識は2003.03.20の中教審答申にもあるらしいが、八木によると行革会議の上の部分の執筆者は、「いわゆる左翼と評される人物ではない」、「近代主義者」の京都大学法学部の憲法学者・佐藤幸治らしい(07.1/12)。
上のように、1997.12の行革会議最終報告は「自律的個人」を基礎に「統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別」して「国民が統治の主体として自ら責任を負う」国のかたちへ変える必要を説いた。「様々な国家規制や因習で覆われ」た、「新たな国家総動員体制」のもとで、「自律的個人」が創出されていない、という認識を含意していると思われる。また、上の報告書は「個人の尊重」をこう説明している。-「一人ひとりの人間が独立自尊の自由な自立的存在として最大限尊重」されるべきとの趣旨で、国民主権とは「自律的存在たる個人の集合体」たる「われわれ国民」が統治主体として「個人の尊厳と幸福に重きを置く社会を築」くこと等に「自ら責任を負う理を明らか」にしたものだ(八木p.168-9)。
「自律的個人」の未創出という認識は、日本では<近代的自我>が育っていない、と表現されてもきた。加賀乙彦・悪魔のささやき(2006、集英社新書)は「『個』のない戦後民主主義の危険性」との見出しの下で戦争中も現在も日本人には「流されやすいという危うさ」があり(p.78)、「自分の頭で考えるのが苦手な国民」だ(p.82)等と言う。これは日本人の「自律的個人」性の弱さの指摘でもあろう。
だが、加賀のように、「人権」も「個人の自由」も闘いとったのではない「ガラスの民主主義のなかで」は「個は育ちません」(加賀p.79-86)と言ってしまうと、日本人は永遠に「自律的個人」、自分の頭で考え自分の意見を言える「個人」にはなれない。日本人の長い歴史の変更は不可能だからだ。
丸山真男等の「戦後知識人」の多くも日本社会の脆弱性を「個人主義」の弱さに求め、「個人の確立」あるいは「自律的個人」の創出の必要性を説いていたように思う。そのかぎりで行革会議最終報告の文章は必ずしも奇異なものではない。
しかし、思うのだが、日本人は本当に「自律的個人」性が弱く、かつそれは克服すべき欠点なのだろうか。<特徴>ではあっても、「克服」の対象又は「欠点」として語る必要はないのではないか。行革会議最終報告は、「自律的個人」をどのように創出するかの方法又は仕組みには全く触れていないと思われる。弱さ・欠点の指摘のみでは永遠の敗北宣言をするに等しくないか(07.1/11)。
八木秀次は、行革会議報告の既引用部分等を、今日でも「様々な国家規制や因習で覆われ」た「新たな国家総動員体制」のもとで「自律的個人」が創出されていない、かかる「個人」を解放すべく「『国のかたち』を変革する」必要がある旨と理解する。そして、これは「有り体に言えば、市民革命待望論」だ、今からでも「市民革命を起こして市民社会に移行せよ、という主張」だと批判し、佐藤幸治氏のような「いわゆる左翼」ではない人物でさえ「結局はマルクスの発展段階説の虜となり、無自覚なマルクス主義者」になってしまうことに注意が必要だとする。
たしかに、伝統・因習から解放された「個人の自立」や民主主義・国民主権の実質化の主張は、日本共産党の考え方、ひいては戦前の、コミンテルンの日本に関する「32年テーゼ」と通底するところがある。日本は半封建的で欧米よりも遅れており、フランス等のような「市民革命(ブルジョア民主主義革命)」がまだ達成されていないことを前提として、民主主義の成熟化・徹底化(そのための個人の自立・解放)を主張し、「社会主義革命」に急速に転化するだろう「民主主義革命」を当面は目指す、というのは、日本共産党の現在の主張でもある(フランスの18世紀末の状態にも日本は達していないとするのが正確な日本共産党の歴史観の筈だ)。
佐藤幸治等の審議会関係者が「革命」を意識して自覚的に「自律的個人を基礎に」と記したとは思えない。そして、おそらくは日本共産党というよりもマルクス主義の影響を受けた社会・人文諸科学の「風潮」を前提として政府関係審議会類の文書が出来ていることを、八木は批判したいのだろう(ちなみに、行革会議答申後に内閣府にフェミニスト期待の「男女共同参画局」が設置された)。八木秀次は、所謂「体制」側も所謂「左翼」又はマルクス主義の主張・帰結と同様のものを採用している、との警告をしていることになる(07.1/13)。
まだ続くが、長くなったので省略。
この欄でも上の今年1/12の他に、佐伯啓思の他の書物等に言及する中で<個人主義>(「自立的個人」)問題には何度も触れてきた。だが、飽きることなく、樋口陽一らの単純な<西欧的>図式・教条への批判は今後も続ける。
いくつか感想を述べる。
一 皇太子妃殿下問題(?)-と書くのも失礼のような気もするが容赦いただきたい-に関して、私の意見・気分に最も近いのは、次の竹田恒泰の言葉だ。
「騒ぎ立てるのではなく、静かにお見守り申し上げるのが日本国民としてのあるべき姿」ではないか(p.228)。
この文の直前の「…など、報道されていることが仮に事実だとしても、その程度で皇室の存在が揺らぐようなことはあり得ないと私は断言する」、もきちんと読むべき(そして感得すべき)文章だと思う。
二 なぜかかる立場をとりたいのかの理由の(すべてではないが)きわめて重要な一つは、田久保忠衛が異なる文脈で述べている文章を借りると、皇室内部の問題について騒げば騒ぐほど、「世界に例のない皇室に反対する向き」が「さぞかし喜んで」しまう、なぜなら「『天皇制打倒』などと叫ぶ必要もなくなるから」(p.226)、ということだ。
皇太子妃殿下問題(?)による皇室内部の混乱、論壇や世論の沸騰・混乱こそ、「左翼」、とりわけ「<天皇制度>解体論者」が望んでいることだと考えられる。正面から表明していなくとも、「左翼」>反・天皇主義者たちがほくそ笑んでいる姿を想像できそうな気がする。
皇室に関する一切の議論・論評をしてはいけない、とは勿論主張しない(所謂「お世継ぎ」問題・女系天皇の可否問題は重要だ)。しかし、推測・憶測等にもとづく特定の皇族への批判・攻撃あるいは問題提起等は、主観的意図がどうであれ、皇室や<天皇制度>を支持する人々を離反させ、国民の間に亀裂を生み、結果として<天皇制度>廃止・解体につながっていく危険性を秘めている(その方向は「左翼」、とくにマルクス主義者=反「天皇制」主義者が切望していることだ)、ということに留意しておくべきだ、と思う。
ということから、西尾幹二論文については5/27に書いただけであえて済ましたのだった。
三 今回は上記のような特集も出たので感想を述べざるを得ないが(そしてすでに述べているが)、上のような見地からすると、尊敬している西尾幹二に対して厳しい言い方になるが、次のような笠原英彦の西尾に対する反応は尤もだと感じる。笠原は次のように述べる。
西尾の皇室観は「実に卓越」したものだが、「読み進むうちに…正直いって驚いた」。「氏の根拠となる情報源は何処に。いつのまにか西尾氏まで次元の低いマスコミ情報に汚染されていないことを切に祈る」。西尾の論調は、「格調高くスタート」し、「おそらく」を連発し、「思いっきり想像を膨らませ」、ついに妃殿下を「獅子身中の虫」と呼んで、「噂話の類まで権威づけてしまつた」。
笠原英彦は私も所持している中公新書・歴代天皇総覧(2001)の著者だが、竹田恒泰とほぼ同様に、西尾は「憂国の士であるが、過剰な心配はご無用」と書き、「天皇といえども十人十色」と続けている。おそらく、皇后も、皇太子も、皇太子妃も「十人十色」ということになるだろう。
四 皇太子妃問題(?)に言及している執筆者(過半数というわけではなさそうだ)には、かつての私と同様の、皇室祭祀・宮中祭祀に関する理解・知識の不足があるように思われる。
5/27に触れたことだが、竹田恒泰(同・「西尾幹二さんに敢えて注〔忠?〕告します/これでは『朝敵』といわれても…」(月刊WiLL7月号(ワック))によると、次のとおり(5/27の一部反復になる)。
「天皇の本質は『祭り主』であり、祈る存在こそが本当の天皇のお姿」だが、「皇后や東宮妃の本質は『祭り主』ではない」。皇后等の皇族が宮中祭祀に「陪席」することはあり「現在はそれが通例」だが、あくまでも「付き添い役」としてであり、新嘗祭等に内閣総理大臣が陪席するのと同様だ。「大祭」に際して「全皇族方が…陪席」するのは「理想」かもしれないが、「天皇は『上御一人』であり、全ての宮中祭祀は天皇お一人で完成するのが本質」だ。「皇族の陪席を必要」とはしないし、「皇族の一方が陪席されない」からといって「完成しないものではない」。「歴史的に宮中祭祀に携わらなかった皇后はいくらでも例があ」り、「幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった。そもそも皇后の役割は宮中祭祀ではない、まして東宮妃であれば尚更」だ(月刊WiLL7月号p.41)。
竹田はさらに、次のように言い切っていた。
東宮妃(=雅子妃殿下)が皇后になられたときにまだご病気であれば「無理に宮中祭祀にお出ましいただく必要はない。またそれによって天皇の本質が変化することもない」。
かかる理解とそれにもとづく見解が適切なものだとすると、皇太子妃殿下が長期にわたって宮中祭祀に列席されていないことが事実なのだとしても、それは、中西輝政がいうほどに「ことは誠に重大であり、天皇制度の根幹に関わる由々しき問題」(p.239)なのだろうか。
また、八木秀次も「祭祀に違和感を持つ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題」と書いているが(p.262)、これも適切な理解なのだろうか。
美智子皇后がご立派すぎているのかもしれない。だが、竹田恒泰によると、前述のとおり、「幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった。そもそも皇后の役割は宮中祭祀ではない、まして東宮妃であれば尚更」なのだ。
従って、中西輝政の「あえて臣下の分を越えて」の提言(p.239-240)も、正鵠を射ていない可能性があるのではないか。八木秀次の皇室典範三条の解釈論(p.262)も不要か、又は少なくとも早すぎるのではないか(なお、雅子妃殿下は「皇嗣」ではなく、また「立后」の時期ではまだない)。
五 他にも、上記特集には、感想を付し又はコメントしたい文章がある。回を改める。
書きたい(そして具体的に予定している)テーマは他に五、六はあるが、いかんせん、書く時間が足りない。
月刊・文藝春秋4月号(文藝春秋)の<総力特集>は<天皇家に何かが起きている>で、6名による座談会もある。
保阪正康の発言をできるだけ読まないようにして通読したが、なるほど、先日に八木秀次による批判に言及した原武史は、「たとえば祭祀をすべてやめるような抜本的な改革をしなくてはうまくいかないのではないか」(p.111)などと、たしかに発言している。
同号には偶然なのかどうか、佐藤優による原武史・昭和天皇(岩波新書)の書評も掲載されている。
佐藤は正面からこの本を批判はせず、日本国家の将来を考えるための「知的刺激に富んだ材料を提供」しているなどと末尾の方で書いている。だが、基本的スタンスが原武史とは異なることは、佐藤優が自分の考え方を示す次のような文章でわかる。
・「評者は、天皇がこのような超越性に対する感覚をもっていることが日本人が生き残る上で大きな役割を果たしていると考える」。(「このような」とは簡単には、昭和天皇がアマテラス・伊勢神宮への祈願・祭祀と戦勝・敗戦を結びつけていたことを指す。)
・「恐らく筆者〔原武史〕が本書で述べたい結論とは反するだろう」が、「評者は、祭り主としての天皇に対する意識をわれわれが回復することによってのみ、日本国家と日本人が二十一世紀に生き残ることが可能になると思う」。
・この本の材料を咀嚼して「二十一世紀の日本がもつべき神話についてよく考えてみる必要がある」。
これらは原武史の見解とは異なるのだろう。21世紀・将来の日本(国・人)にとっての<天皇制度>の具体的なありように関する佐藤優の考え方と私のそれが一致しているとは限らないし、佐藤優がその多くの著書で書いていることの中には私には理解が困難な所もあるが、<「祭祀を伴う天皇」制度>の継承・維持という点では、私は原武史よりもはるかに佐藤優に近い意見・立場だ。
雅子皇太子妃に関する問題に立ち入る気は全くない。が、上のようなことを書いていると、月刊WiLL5月号(ワック)で西尾幹二が、「何をしてもいいし何をしなくてもいい」皇室になった「暁には」、「天皇制度の廃止に賛成するかもしれない」(p.43)と書いているのを読んで驚いたことを思い出さずにはおれない。
八木秀次も同旨を指摘していたことだが、(神道的)祭祀を伴わない<天皇(・皇室)制度>は概念矛盾で、<天皇(・皇室)制度>とはそもそも(日本の歴史的・伝統的な考え方・方法によって)国・祖先のための祭祀を行う、という意味が付着しているものだろう。天皇(・皇室)にかかわる歴史・伝統について<明治期以降のもの>だとしてその歴史的伝統性を否定し揶揄しようとする歴史学者もおり、たしかに明治以降にのみ生じたこともあると思われる。だが、<国・祖先のための祭祀を行う>ということは天皇制度の成立以降の(おそらくはさらに「卑弥呼」の時代にまで遡る)長い、連綿とした伝統だろう。そして、そのような伝統の付着したものとして日本国憲法は「天皇」制度を存置した、という憲法解釈も十分に成立する筈だ。
そのような<天皇(・皇室)制度>を維持するのかどうか、どのようにして維持するのか、が今日、あるいは近い将来に日本人の全てに問われる(問われている)、ということだろう。本来は、こうした「問い」が発せられること自体が避けられている方が望ましいと思うが。
原武史・滝山コミューン1974(講談社、2007)には、二回触れたことがある。
この本は日教組の影響下にあったと見られる「全国生活指導研究協議会」に属する教員による「学級集団づくり」に対して批判的なので、著者はどちらかというと<保守的>又は<反左翼>的だと思っていた。
サピオ4/23号(小学館)の八木秀次「天皇『9時-5時勤務制』まで飛び出した宮中祭祀廃止論の大いなる誤り」(p.83-85)によると、この宮中祭祀廃止論の中心的主張者は明治学院大学教授・原武史らしい。なお、<宮中祭祀>自体が広く知られていないが、八木によると、宮中三殿といわれる「賢所」・「皇霊殿」・「神殿」で行われる祭儀のことで、「大きなものだけで年間30近くある」とのこと。
「天皇は先祖を祀る『祭祀王』としての性格を持ち、それこそが天皇の本質的要素と言っても過言ではない」(p.83)。
「祭祀王」という概念がどの程度一般化しているのか、適切なのか(=「王」という語を用いてよいのか)は疑問だが、八木の指摘する趣旨は、そのとおりだろうと私も考える(また、その祭祀とは<神道>によるものでないかと思うが立ち入らない)。そして「宮中祭祀廃止」論は<天皇制度>の否認論と殆ど同じことだろう、と思われる。
八木によると、「原氏が抱く昭和天皇、いや、天皇制への嫌悪感」は原武史・昭和天皇(岩波新書、2008.01)の「全編からたちのぼってくる」という。その具体的例示も紹介されているが、ここでは侵略する。
興味をそそられたのは、冒頭に示した本を書いたのと同じ著者が昭和天皇を批判し、天皇制度を「崩壊させる道筋をつける」(八木、p.85)議論を展開している(らしい)ということだ。と同時に、さすがに岩波書店の岩波新書だ、と思いも強い。究極的には<天皇制度を「崩壊させる」>ことは(それは日本が「日本」でなくなることを意味するのではないか)、この出版社の社是、出版活動の(政治的)大目的の一つだと理解しておいて誤りではないだろう。
岩波新書といえば、中央公論3月号(中央公論新社)の<特集・新書大賞ベスト30>の中の座談会で、宮崎哲弥は、<岩波新書らしいもの>を出せと注文をつけ、西山太吉・沖縄密約につき「単行本でいい…。新書で出す必要性が感じられない」と述べつつ、「これぞ岩波新書」をあえて探せばとして藤田正勝・西田幾太郎、丸山勇・カラー版ブッダの旅の二つを挙げ、「岩波らしい」ものとして豊下楢彦・集団的自衛権とは何か、二宮周平・家族と法の二つを挙げている(p.129-130。出版年月の調査は省略。いずれも未読)。
宮崎哲弥のいう「これぞ岩波新書」とか「岩波らしい」ということの意味は必ずしも明瞭でないが、何となく雰囲気は理解できる。そして、「これぞ岩波新書」と「岩波らしい」は必ずしも同じ意味ではなく、原武史・昭和天皇は上の二つとともに「岩波らしい」の方に位置づけられる書物のような気がする。
追記-4/09夜に佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版)を全読了>。
この本の読書ばかりしている訳ではないので(仕事もある)、最初の方はもう忘れかけている。丸山真男に対する厳しいかつ明晰な批判は別の機会に触れよう。
4/07に鷲田小彌太・「戦後思想」まるごと総決算(彩流社、2005)というのを買って第一部の3の最後、p.64まで(4の「天皇制、あるいはその政治と倫理」の前まで)一気に読んだ。佐伯著とともに戦後(思想)史を(も)扱う点で共通する部分があるが、鷲田著は直球一本の短い・断定的文章が連続している感じで、佐伯の文章、論理展開が直球・カーブ・シンカーあり、たまには捕手との相談あり、たまにはマウンドでの沈思黙考あり、という印象であるのと比べると、失礼ながら(比較する相手が悪いのか)相当に<粗い>。鷲田小彌太は決して嫌いな書き手ではないが。
さて、佐伯啓思の上の本のほとんどは何と無く納得して読めるが、一点だけ気になることがある。それは、瑣末なことでもなさそうだ。
p.19にこうある。「冷戦の崩壊は、社会主義に対して蜃気楼のような漠然たる希望を託した左翼の幻想を一晩で吹き飛ばした」。<左翼の幻想>はまだ残っていないかと問いたくなるが、この文はとりあえずまぁよいとしておこう。
p.80の次の文章(要約)はどうだろうか。
<「アメリカの歴史観」には「典型的な啓蒙主義的理念」、「西欧近代の進歩主義を代表する理念」がある。これは「左翼的思想」と言ってよく、少なくとも「無条件の進歩を疑うという西欧保守主義とは全く異なった思想」だ。そして、ソ連崩壊後はこの「左翼的思想」を掲げた国はアメリカになった。その「左翼的国家」との同盟に「国益を全面的に委ねる」日本の「保守派」は日米間で「価値を共有する」とまでいうが、これでは「何が保守なのか」分からなくなってしまう。>
上の文章は気になりつつも読み続けていたら、p.239辺り以下(~p.243)にもこういう文章(要約)があった。
<アメリカの「ネオコンの価値観」は「自由・民主主義」・「市場経済」・「隠されたユダヤ・キリスト教」。これらを日本人は「共有」していない。日本はアメリカの「啓蒙主義的なメシアニズムという進歩的歴史観」を「信奉」してもいない。にもかかわらず、小泉・安倍両首相は「価値観を共有している」ことを根拠として「日米関係」の「緊密化」を唱え、「保守主義者」がアメリカ的歴史観を支持するとは「何とも奇妙な光景」だ。アメリカ的歴史観は「東京裁判」に現れているが、その「東京裁判史観」を否定してきた「保守派」が「安易に、日米は価値観を共有している、などというべきではない」。>
なかなか興味深い論点が提示されている。佐伯啓思が<グローバリズム>追従を批判する、<反米・非米>の保守主義者であることをここで問題視するつもりはない。かかる批判(矛盾・逆説の指摘)は<親米>保守派に向けられているのだろう(そういえば八木秀次は<親米>保守派を「現実的」保守とか称していた)。
だが、日米間の<価値の共有>をこうまであっさりと切って捨ててしまうのはいかがなものか。
佐伯啓思について気になるのは、ソ連崩壊によって社会主義・マルクス主義は「崩壊」してしまった、という強固な認識に立っているように見えることだ。p.243には、「マルクスが失権した後」、最「左」は「ヘーゲル」になり、この「ヘーゲルとコジェーブの進歩史観にもっとも忠実なのがネオコンのアメリカという事態」になった、とある。かかる「左」=「進歩主義」(のはずのもの)を日本の<左派>が批判し、<保守>が支持している、という「奇妙な光景」がある、というわけだ。
いくどか書いたことがあるが、アジアには中国・北朝鮮という「社会主義」(←マルクス主義)を標榜する国々があり、「冷戦」は終わっていない。ソ連・東欧「社会主義」の崩壊により終焉したのは欧州(又は欧米)内での「冷戦」だ。日本には「日本共産党」という社会主義・共産主義社会を目指すことを綱領に明記する政党が国会内に議席を占め、佐伯啓思が所属する大学にも京都府委員会直属の日本共産党の「大学支部」がちゃんと?まだ残っている筈だ。
日本は近隣に中国・北朝鮮という国々を置いて生きていかなければならない。その際に、中国・北朝鮮と欧米と、<価値観>が(相対的に)より近いのはどちらなのだろうか。
むろん、佐伯が強調するように、アメリカ(や欧州)と日本は「価値観」が全く同じではなく、全く同じにすることもできない、ということはよく分かる。平均的日本人以上に、その点は私も強く感じるに至っている。アメリカ産の<戦後民主主義の虚妄に賭ける>とか書いたらしい丸山真男はバカに違いない、と考えている。
だが、日本の政治家が近隣の「社会主義」国家(<侵略>国家・<拉致>国家だ)の存在を意識し、とくに<正規の軍隊>を持てないという憲法上の制約の中で、(中国・北朝鮮と比べての)アメリカとの<価値観の近さ>を強調し、<価値観外交>を展開する、あるいはインド等をも含めた<自由の弧>構想を描く(麻生太郎元外相)ということが、なぜ上のように厳しく批判されなければならないのか。
政治・外交は戦略であり方便だ。全く同じ価値を共有していなくとも、アメリカと100%完全に異質の文化・価値を持っているわけでもなかろう。その場合に、中国・北朝鮮に対抗するために<価値観の共通性>を(むろん厳密な学者の議論としては問題があるかもしれないが)強調して、何が悪いのか。
<戦後レジーム>の問題性・限界を意識していた筈の安倍晋三が、日本(人)はアメリカとべったり全く同じ価値観をもつ国(人)だなどと考えていたとは思われない。麻生太郎も同様。
佐伯啓思の論理それ自体はよく理解できる(つもりだ)。西欧近代(進歩主義)の一方の鬼子のソ連が消滅して、もう一方の鬼子のアメリカが(かつてはソ連に隠れて分からなかった)進歩主義=「左翼」国家として登場している、という。
上のこと自体はかりにそれでよいとして、しかし、佐伯啓思の眼(頭)には、アジアに厳然として残る「社会主義」国家、マルクス主義の思想潮流はどの程度の大きさをもって映っているのだろうか。<西欧近代>又は<自由・民主主義>の限界の露出のみが現代の(国家および思想の)状況だとは思われない。まだマルクス主義・「社会主義」との闘いは続いている。マルクス主義者・「社会主義」者は、<親>・<シンパ=共感者>も含めて、しぶとくまだ生き残っている、と私は考えている。彼らのいう<自由・民主主義>の欺瞞を暴くことも、また中国・北朝鮮における<自由・民主主義>の欠如を衝くことも、戦略的には何ら責められないのではないか。
<西欧近代>に淵源をもつ本来は非日本的な<自由・民主主義>価値観の欺罔を批判することも大切だろうが、やはり<西欧近代>に発する<社会主義>的価値観と闘うことも依然として重要ではないか。究極的には、日本も属する<自由主義>を採るか、中国・北朝鮮が立脚する<社会主義(共産主義)>を採るか、であり、この対立は、反米か親米かよりもより重要な、より大きな矛盾なのではないか。
とこう書いている私は「進歩主義」に毒されているだろうか。そうとは自覚していない。問題は、上の方で引用した言葉を使えば、ソ連の崩壊は「左翼の幻想を一晩で吹き飛ばした」と簡単に言い切れるかどうか、だ。この点の認識の違いが、佐伯啓思の一部の論理に違和感を覚えた理由だろう。
追-二カ所、校正ミスを発見している。
①p.138-「共産主義ルネサンス」→正しくは「共和主義ルネサンス」。②p.170後から5行め-「傷づけられた」→正しくは「傷つけられた」。
<マスメディアと政治・民主主義>に関心をもつ者として、「デマと冷笑の『テレビ』」を特集テーマとするわしズム25号(2008冬号、小林よしのり責任編集)はいずれの記事・論稿も興味深い(少なくともその予感がする)。
八木秀次「テレビキャスター&コメンテーター『思想チェック』大マトリックス」も面白く読んだ(p.56-p.61)。
三、四点のことを感想文的に書いておく。
第一に、政治的に公平、意見対立問題はできるだけ多くの角度から、等ゝと規定している放送法の定めは、日本のテレビ局には「ほぼ有名無実」で、テレビ朝日は…を除き「放送法違反」、「TBSに至っては放送法を無視している」と、あっけらかんと断言している。八木を批判しているのではない。そのような<違法>(法律違反)状態をほとんど誰も<法的には>問題にしない、または問題にできない状態が奇妙だ。
第二に、新聞よりもテレビ(とくに地上波テレビ)の一般世論への影響力の方が大きいという指摘も、そのとおりだろう。かつ、テレビ局のワイドショー作成者にとって最も権威がある(あるいは番組作りのために依拠している)新聞は、各テレビ局の系列新聞ではなく朝日新聞だという記事又は文章をどこかで先日読んだことがある。想像するに、こうした番組作成に関与しているのは25歳~45歳くらいの(多くは)男性でないか。現在45歳以下の、マスコミ(テレビ局)に入社するような心性・性格の者たちがどのような<世界認識>・<歴史認識>・<日本認識>を身に付けているか(身に付けてきたか)は従って、世論または社会のムード形成にとってきわめて重要な要因になっているはずだ。調査・分析できるといいのだが。
第三に、八木が指摘するように、新聞と異なり文書として残らないテレビ放送は、体系的・総合的な批判的分析がし難いものだろう。TBSのニュース23にはきちんとしたウォッチャーがいてこの番組に関する文春新書も出ているが、また朝日新聞やNHKに限っての批判的観察の連載記事をもつ雑誌もあるが、多くのニュース番組・ワイドショーはきちんとした国民的「監視」体制の対象から抜け落ちているのではないか。だとすると由々しい事態だろう。(それにしても、TBSのサンデー・モーニングの関口宏はいつまで続けるつもりなのだろう。じつはこの半年間ほど観ておらず録画もしていないが-イヤになったので-まだこの人が司会をしているようだ。)
第四に、キャスター・コメンテイターの、四つの象限に分けての紹介・分析が八木論稿の「ウリ」で、参考になる。
四つの象限とは、ヨコ軸をリベラル←→保守、たて軸を自立←→国際協調に置いてできる4つのゾーンだが、八木によると、リベラル・国際協調(第三)が筑紫哲也を筆頭に最も多く、三宅久之・辛坊次郎らの保守・国際協調(第四)がそれに次ぐ(第二のリベラル・自立は太田光のみ、第一の自立・保守は勝谷誠彦・橋下徹・桜井よしこの3人)。
参考にはなるのだが、しかし、表を見ていてスッキリしないところが残るのは、「国際協調」の意味の曖昧さのゆえだろう。すなわち、第一と第四の「保守」における「自立」と「国際協調」の区別は、明瞭に「反米・自主防衛」と「親米・日米同盟堅持」の意味だとされているが、第二と第三の「リベラル」における「自立」と「国際協調」の八木による区別は、「反米」か「親米」かではないように見える。東アジア諸国との外交優先という立場も「国際協調」の中に含まれていると理解できるからだ。「国際協調」派であっても、アメリカ最優先とアジア優先(そしてむしろ反米の場合もある)では全く異なるだろう。この点が、せっかくの「大マトリックス」の価値を減じている。
ところで、ここでの対象は(テレビに登場する)キャスター・コメンテイターだが、文化人・論壇人まで含めるとどうなるのだろうか。
八木秀次自身がどこに位置するのかも興味深いのだが(本人は書いていない)、たぶん「現実的保守」と表現している第三の「保守」・「国際協調」=「親米・日米同盟堅持」なのだろう(なお、八木は桜井よしこにつき「闘う保守言論人」の「第一人者」だが「近年は自立を志向する感もある」とコメントしている)。ここに岡崎久彦も入りそうだ。
一方、第一の「保守」・「自立」=「反米・自主防衛」には西尾幹二、西部邁、小林よしのりが含まれそうな気がする(後の二人には西部=小林・アホ・腰抜け・ビョーキの親米保守(飛鳥新社、2003)という本もある)。
佐伯啓思は「反米」か「親米」か。どちらかというと前者のように私には彼の論述が読めるが、しかし、上の二つは程度問題で、かつ佐伯に限らず、対米問題は具体的問題に応じて議論する必要があるだろう。例えば、「自立」論者も(私もある意味ではこの考え方を支持する)、日米安保条約の即時廃棄を主張しているわけではあるまい。
「昨年に読んだ本なので言及したことはなかったが、いずれも1997年刊の佐伯啓思・現代民主主義の病理(NHKブックス)、同・「市民」とは誰か-戦後民主主義を問い直す(PHP新書)は「戦後」・「民主主義」を考えさせてくれる知的刺激に満ちた本だった」。
これらの具体的内容は紹介していないが、佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)も、ほぼ同時期の「知的刺激に満ちた本」として挙げておく必要がある(他にもあるだろう)。
この本のある程度詳細な内容紹介をする意図も余裕もなく、メモ程度になる。
p.181以下が書名と同じ「現代日本のイデオロギー」との論文だが(月刊正論1997.01~06初出)、戦後日本の「進歩」主義、丸山真男・大塚久雄らの「進歩的」文化人・知識人(大江健三郎を筆頭に?その片割れ又は後裔は現今でもまだ跋扈している)の思想・思考の(「トリック」(p.198)を含む)論理構造を分析・剔抉(てっけつ)していて、面白く、有意義なものとして読める。
もともと佐伯啓思は上掲の現代民主主義の病理の中に「丸山真男とは何だったのか」という節を設けていて(こちらの本のp.74以下)、こちらの方が詳しいかもしれない。
講談社の本による佐伯の表現によると、「日本社会=集団主義的=無責任的=後進的」、「近代的市民社会=個人主義的=民主的=先進的」という「図式」を生んだ、「『市民社会』をモデルを基準」にした「構図」自体が「あらかじめ、日本社会を批判するように構成され」たもので、かかる「思考方法こそ」が戦後日本(人)の「観念」を規定し、「いわゆる進歩的知識人という知的特権」を生み出す「構造」となった(p.197-8)。
NHKブックスによる佐伯の叙述によれば、丸山真男らにおいて、「日本の後進性」を克服した「近代化」とは「責任ある自立した主体としての個人の確立、これらの個人によって担われたデモクラシーの確立」という意味だった(p.74-75)。
陳腐な内容の引用になったかもしれないが、書きたいことは以下のことだ。
私自身が確認したのではないが、この欄でも言及したことがあるように、八木秀次によれば、憲法学者の佐藤幸治は、行政改革会議答申(省庁再編に具体的にはつながった)の中で、<自立した個人の確立>の必要性を強調していた(記憶に頼っているので微細な表現の違いがあるだろうことはご容赦いただきたい。次の段も同じ)。
また、私自身の記憶のみに頼れば、憲法学者の樋口陽一は日本国憲法上の「個人の尊重」規定を重視し(参照、第13条第一文「すべて国民は、個人として尊重される。」)、樋口と対談したことのある井上ひさしは、<個人の尊重>または<個人の尊厳の保障>が最も大切または最も基本的なこととして印象に残った旨を何かの本に記していた。
書きたいことは容易にわかるものと思われる。憲法学者の佐藤幸治も樋口陽一も、―この二人は学界でも相当に有力な二名のはずだが―丸山真男ら<進歩的>文化人・知識人の上記のような<思考枠組み>に(疑いをおそらく何ら抱くことなく)とどまっている、ということだ。
文字どおりの意味としての<個人の尊重>・<個人の尊厳>に反対しているのではない。
すなわち、<自立した個人の確立>がまだ不十分としてその必要性をまだ(相も変わらず)説くのは、もはや時代遅れであり、むしろ反対方向を向いた(「アッチ向いてホイ」の「アッチ」を向いた)主張・議論ではなかろうか。少なくとも、この点だけを強調する、又はこの点を最も強調するのは、はたして時代適合的かつ日本(人)に適合的だろうか。
佐藤や樋口が明言しているわけではないが、有数の大学の教授・憲法学者となった彼らは、自分は<自立した個人>として<確立>しているとの自信があり、そういう立場から<高踏的に>一般国民・大衆に向かって、<自立した個人>になれ、と批判をこめつつ叱咤しているのだろう。
かりにそうだとすれば、丸山真男と同様に、こうした、<西欧市民社会>の<進んだ>思想なるものを自分は身に付けていると思っているのかもしれない学者が、的はずれの、かつ傲慢な主張・指摘をしている可能性があるのではないかと思われる。
縷々論じる能力と余裕はないが、憲法学者が戦後説いてきた<個人主義>の強調こそが、それから簡単に派生する<平等主義>・<全国民対等主義>と、あるいは個人的「自由」の強調と併せて、今日の<ふやけた>、<国家・公共欠落の・ミーイズムあるいはマイ・ホーム型思想>を生み出し、<奇妙な>(といえる面が顕著化しているように私には思える)日本社会を生み出した、少なくとも有力な一因だったのではなかろうか。
だとすれば(仮定形を続けるが)、<日本的なもの・日本の問題>に大きな関心を向けることなく、高校以下の学校教員を通してであれ国民に一定の<イズム>を<空気>のごとく押しつけてきた戦後憲法学の専門家たち(知識人・文化人)の責任も―一部の人にとっては主観的には善意に行われたとしても、その<行きすぎ>の弊害をもたらした結果に対して―また大きいものと思われる。
「保守思想」とは「その国の精神的伝統を救い出し、ニヒリズムに浸される現代社会と戦うための精神の態度」。
「「保守」を名乗ること自体がアカデミズムの異端者となることであり、無視されるか批判されるかを覚悟することでした。しかし、社会主義の崩壊…の中で真に求められるのは、その国のありように即した「保守思想」しかない、ということは明白になって」きた。
異論はない。政治的<ニヒリズム>あるいは一種のアナーキー的雰囲気が日本に漂っていることは私も感じる。ただ、日本の「精神的伝統」、あるいは日本という「国のありよう」とは、具体的には何か、という問題は――これを佐伯が意識していないとは無論考えていないが―残る。日本の歴史的伝統・文化というものも漠然とは理解できるが(「天皇」制度も関係する)、はたして、多くの「保守」思想・主義への賛同者に一致があるのかどうか。
繰り返すが、<「保守」を名乗ること自体がアカデミズムの異端者となることであり、無視されるか批判されるかを覚悟することでした>。
こういう事態・学問的風土が戦後ずっと存在し、形成されてきた、というのは怖ろしい、戦慄すべきことだ。
少なくとも政治学、歴史学、教育学、法学(とくに憲法学)といった学問分野は今でも、かかる異様な状態にあるのだろう。そのような<恐怖体制>を敷いてきた、戦後の学者たち(中心はマルクス主義者=コミュニストだったことは疑いえない)を、各分野について、個々の個人名を明示しつつ、総括的に糾弾する時期が早晩くることを強く期待している。
佐伯はまた書く。「私は、ほとんど学者や研究者とのつきあいはありませんが…」。
<群れる>ことが好きな学者連中も多いと思われるのに、珍しいタイプだ。たしかに、佐伯は、他の<保守>論壇の人に比べて、何らかの会・団体、あるいは何らかの「運動」に参加又は関与することは少ないか全くない、という印象はある。
これも善し悪しは一概に言えず、あるいは個性によることで、積極的に参加又は関与することを批判することもできない。
いずれにせよ、佐伯が、個性的な、独特の論理・視覚・思考型をもった優れた論客の一人であることに、私も反対しない。1949年生まれのこの方の、今後の一層の活躍を期待する。
ところで、産経正論大賞受賞者となると、「正論」欄執筆者でもすでにそうなのだろうが、「産経文化人」とのレッテルを貼られそうだ。どのようにレッテルづけされようと本人たちは気にしなくてよいし、気にもしていないだろうが、このブログサイト上で「産経文化人」を<右から>批判するグループ又は人々がいることに初めて気づいた。
後者の人々は、憲法学者の中の異端的<右派>の八木秀次、百地章らも<さらに右からの>攻撃の対象としているようだ。
そのような「産経文化人」攻撃、「保守的」憲法学者攻撃をして生きて「楽しいですか?」と、いつかもっと詳しく書いてみたい。
以上、佐伯受賞に関しての若干の感想程度。
(一時期以降、すべて「氏」等の敬称を省略することとした。「氏」と付けたい(付けるべき)人、付けたくない人、両方が存在し、かつどちらにしようか迷ったりすることもあったので、簡明さ・単純さを優先することにした。他意はない。)
雑誌・諸君!11月号に載っていたからこそ読んだのだが、保阪正康「『安倍政権の歴史観』ここが間違っていた」はヒドい。内容は、週刊金曜日に掲載されても不思議でないものだ。
7月参院選の結果につき、安倍の「歴史認識、それにもとづいての言語感覚そのもの」が否定されたと「分析する論の方が説得力をもっている」、と保阪は「分析」する。こういう議論は初めて読んだ。
きっと保阪は、個人的には詳細かつ真っ当と思っている立派な「歴史認識」をお持ちなのだろう。朝日新聞から文藝春秋まで舞台を広く活躍しておられるようである、この日本史(とくに昭和時代)関係<文筆芸者>は(本当の「芸者」さんには失礼になった。詫びる)、今後の政界のことには一言も触れず、この論稿では安倍前首相を悪しざまに罵っている。表現は一見穏やかでも、罵詈雑言に近い。「独裁的な独りよがりの体質」、「反時代的な言語感覚」-この2つは最後の4行の中に出てくる。
言論は自由だが、文藝春秋・諸君!編集部(編集人・内田博人)は、なぜこんな人のこんな文を載せるのか?
同号の八木秀次「艱難辛苦の福田時代が、日本の保守を本物にする」は、なるほどといく度か肯んじつつ、読み終えた。
同号の中西輝政よりは先に言及した彼の月刊WiLLの方が面白く、優れていると感じた。もとより、福田康夫や多くの自民党議員に対する批判・皮肉・疑問はそのとおりで、反対するつもりは全くないが。
朝日新聞の若宮啓文ら、そして北朝鮮・金正日は、勝利の雄叫びをあげているのではないか。朝日社内では今頃、祝杯を飲んでいるのだろう。
今日に至ったのも、もともとは参院選の結果にあり、その結果をもたらした不可欠の要因は、<異様な>朝日新聞等の報道ぶりにあった。8月以降も<安倍憎し>で凝り固まった<安倍降ろし>の報道を続けたのは朝日だった。
週刊朝日は、ふつうなら、「自民党惨敗(大敗)」との見出しでよさそうなところを、表紙に、安倍首相の顔の写真にかぶせて「安倍惨敗」と大きな見出しを打ったのだった。異様な反安倍報道は(政治家はこれを口が裂けても言わないようであるし、同業者も、花田紀凱等々の一部の勇気ある-といっても私にはふつうに思えるが-人々を除いては言及しない)後世の歴史に、マスコミの<腐敗>あるいは<犯罪>として記録されるだろう。
朝日新聞が進めたい方向に進んだら、日本はおかしくなる。参院選の結果がすでにそうだったのだが、真剣に考えると、きわめて憂慮すべき事態だ。「日本」ははたして存続し得るのか?
文明には、あるいは国家には、全世界史的に見ても、栄枯盛衰がある。日本は、1990年前後に国際・国内環境が質的に変化したことに気づかないままの視野狭窄症の者ばかりが政界や言論界・マスコミ界をリードしたために、<衰亡>の過程を着実にに歩んでいるのではないか。これを阻止することを安倍政権には期待したのだったが…。
「日本」なんて、「(国民)国家」なんてどうでもよい、個人の尊厳と「地球市民」であることの方が大切だ、と考えている朝日新聞の要職にあるような人々には、何も言うことはない。<マスコミはナショナリズムの道具ではないのだ>と叫びながら、「日本」と「日本国家」が弱体化し消失していくのを、喜んで眺めていたまえ。
ところで、コミュニズムを支持しているわけではないが、自民党の(これまでの基本的な)安倍政権の方向・理念にも反対する、という塊として存在する潮流を、何と称し、どう性格づければいいのだろう。
八木秀次・日本を愛する者が自覚すべきこと(PHP、2007)は「フランクフルト学派」と言っている。又は、これの強い影響を指摘している。産経9/03の正論欄で渡辺利夫は「ポストモダン思想」と称している。
素人ながら筆者には、上の後者は広すぎ、前者は狭すぎるような気がする。だが、どちらにせよ、戦後レジームこそが、あるいは「日本国憲法」体制こそが生んだ思想・思潮・心性であることに間違いないだろう(単純ではないが、これに外国のポスト・マルクス主義思想が影響を与えているのだろう)。
長くは書かない。産経9/01の正論欄で佐伯啓思は、参院選での安倍首相への逆風三つのうち一つを「サヨク的勢力」と称していた。正確には、「憲法改正論や教育改革論を回避して、問題を年金記録に矮小化しようとした『サヨク的勢力』。これにはサヨク的メディアだけではなく、民主党も含まれる」と書いていた。
この「サヨク」を甘く見ていた、勢力減退気味の「サヨク」が反安倍の総抵抗をした、等々の分析を私はひととおりは読んでいる(逐一は紹介しない)。
この「サヨク」あるいは「サヨク的勢力」はいったい、いかなる(たんに反-ではない、積極的な)主義・思想・理念を、いま、掲げているのか?。民主党のそれも含めて、私にはさっぱりわからないのである。
「私が犯した最大の間違いは、旧ソ連・中国などの社会主義国を本当に理想を追求している国だと思い込んだことである。…20歳前後…に気づくことができた。社会主義と言われる国々は、人間性を否定する最悪の独裁国だと気づいた」。
戦後1970年代くらいまでにかかる幻想をもった(思い込んだ)人々は、悪びれることなく正々堂々と誤っていたことを認めるべきだし、そのことこそ讃えられるべきだ。
日本には「変節」・「裏切り」という言葉もあって、いったん社会主義・マルクス主義にシンパシーを持った(又は共産党・社会党に接近した、さらに入党した)人がそれらから離れることについて本人が自らを精神的に苛むことがありうる。
しかし、疑問をもちつつ社会主義・マルクス主義(日本共産党・社民党)から離れられない人こそ、勇気・正義感がないのだと悟るべきだ。社会主義・マルクス主義は実質的には「宗教」だから、離脱に何らかの苦痛・葛藤が伴うことはありうるが多少はやむをえない。
とくに20歳代、30歳代の若い人たちよ。「科学的社会主義」(=マルクス・レーニン主義)の政党に、かけがえのない、一度しかない一生を賭ける必要は全くない。まだ人生はやり直せる。
日本共産党からすみやかに離れた方がよい。あなた自身と日本・世界のためにも。そう、心から訴える。日本共産党とその追随者に未来はない。
自民党新憲法草案の前文の中に、「…平和主義…は、不変の価値として継承する」との文言がある。
この前文改正案は要点を箇条書きしたような出来のよくない文章で成り立っていると感じるが、それはともかく、このように「平和主義」を継承する、と書きつつ、周知のように、同草案九条の二では「…自衛軍を保持する」と定めている。
この案も前提としているだろうが、平和主義と軍隊の保持は矛盾するものではない。
いつぞや阪本昌成の言明を紹介したように、「平和主義」の中にも<非武装による平和主義>もあれば、<武装・軍備による平和主義>もあるのであり、「平和主義」を自衛戦争の放棄や非武装(=軍隊不保持)主義と理解するのは、特定の(偏った)理解の仕方にすぎない。
(このような曖昧な「平和主義」という概念を前文の中に書き込むかは再検討されてよい。平和を愛好する、平和を志向するということ自体は殆ど当たり前のことだし、阪本昌成氏が指摘していたように-後述の常岡氏のように-「誤解」へと意図的に?導く人々も生じうる。)
さて、常岡せつ子の朝日新聞への投書が話題にしていた憲法改正の限界の問題だが、野中俊彦=中村睦男=高橋和之=高見勝利・憲法Ⅱ〔第四版〕(有斐閣、2006)p.397は「限界説に立った場合、…内容的には、…国民主権、…人権尊重主義ならびに平和主義の諸原理があげられる」(野中俊彦・法政大学教授執筆)と書いている。
また、伊藤正己=尾吹善人=樋口陽一=富松秀典・注釈憲法〔新版〕(有斐閣新書、1983)は、「基本原理」である「国民主権と基本的人権の原理が憲法改正の限界をなすという説、ないしすすんで平和主義の原理を含めてそう解する説が支配的」で、「憲法改正」条項も含める説が「有力」だ、と書いていた(樋口陽一・東京大学名誉教授執筆)。
4/25の17時台に「日本国憲法は三大原則か六大原則か」と題してエントリーしたのだが、上の二つの本は、「三大原則」とされるもの、すなわち国民主権・基本的人権保障・平和主義が憲法改正の限界の対象になる旨を書いている、と言える。
この4/25の段階では憲法上の「原則」が何かは「憲法改正の「限界」とは無関係に語られているのではないかと思われる(あくまで私の理解だが)」と書いていた。同時に、八木秀次氏が「三大原則」は1950年代に「護憲派勢力」が憲法改正によっても変更できないものとして「打ち出した」と述べているとも紹介していたが、「私の理解」は少し足らなかったようだ。
だが、上の二つの本もたんに「平和主義」と書いているだけであり、具体的にその中に九条二項が含まれることを明示してはいない。少なくとも、九条一項のみか、九条二項も含まれるのか、という議論がなお生じる書き方になっている。
常岡せつ子は、上のような叙述をする本があるのを知っており、かつ改正できない「平和主義」の中には九条二項も含まれるという、いわば<非武装の平和主義>という特定の理解に立って、九条二項の削除は憲法改正の限界を超える(範囲外だ)と主張したものと推察される。
しかし、明瞭ではないが、かりに上の二つの本が改正できない「平和主義」の中に九条二項を含めているとしても、そのような考え方が「通説」かどうかは別の問題だ。
第一に、通説と明瞭に言えるためには、例えば上の二つの本が、より明確に九条二項に論及し、明確に改正不可の旨を書いている必要があるだろう。
第二に、上の二つとは異なり、明瞭に九条二項は憲法改正の対象にならないことはないとするのが「通説」である、と明記する芦部信喜、辻村みよ子の本があり、平和主義・九条二項に何ら言及しない佐藤幸治の本もあることは既に書いたとおりだ。
従って、常岡せつ子が「大ウソ」をついた、という判断に何ら変わりはない。
この人は、1.憲法の基本原理は改正できない、2.その基本原理の中には「平和主義」も含まれる、3.「平和主義」の条項には九条二項も含まれる、という、八木によれば「護憲派勢力」が1950年代に「打ち立てた」戦略にそのままのっかった、それぞれ議論になりうる論点についての特定の単純な理解にもとづいて「通説」だと主張してしまったのだ。
そのような考え方もありうるのだろうとは思う。しかし、そのことと、そのような考え方が「通説」だと喧伝できるかどうかは全く別の問題だ。
公正かつ慎重であるべき学者・研究者が自己の特定の単純素朴な理解が「通説」だなどという<大ウソ>をついてはいけない。
なお、常岡せつ子が<九条の会>賛同人として寄せている長文の「メッセージ」は以下のとおりだ。
「「国民一人ひとりが九条を持つ日本国憲法を、じぶんのものとして選び直す」ことが必要だという「九条の会」アピールに心から賛同いたします。ただ問題は、九条をどのように解釈した上での九条の「選び直し」かという点にあるのではないでしょうか。昨今のマスコミの論調は、例えば六月三〇日付の朝日新聞の社説にもありますように、戦後憲法学界が積み重ねてきた「九条は一切の戦争を放棄している」という九条解釈を敢えて無視し、憲法学界が従来解釈改憲であるとして批判してきた政府の九条解釈に則った上で、「自衛隊が海外で武力行使する」ことを可能にするような「改正」には問題があるのではないかというものにシフトしてきているように思われます。九条にどのような意味を読み取るかという点において〝発起人〟の皆様の間で何らかの合意がなされているのでしょうか。それとも九条解釈を問題にすることは、むしろ「立場を超えて手をつなぎ合う」ことへの障害になるとお考えなのでしょうか。私自身は九条は集団的自衛権はもとより、個別自衛権も放棄していると理解した上で「九条の選び直し」が必要と考えております。」
産経5/11によれば(izaなし)、島根県教育委員会は、八木秀次が理事長の日本教育再生機構が主催の島根県内での3月のタウンミーティングの後援依頼を拒否した、という。
同記事によると主催者側は、島根県教委はジェンダーフリー等の講演は後援しているのにと判断基準を問題にしている。県教委は、八木氏の「主義主張」や日本教育再生機構のパンフの記述内容を問題にしており、一方、八木氏は「思想差別」と憤っているようだ。
この記事だけからすると、フェミニズムに立つジェンダーフリー関係集会についての後援例があるのだとすると、島根県教委の後援する・しないの基準は合理的ではない。それに今回は主催団体の冊子(パンフ)までチェックしているようだが、従来の全ての後援例について主催団体の冊子(パンフ)を事前にチェックしてきたのだろうか。そうでない事例があるとすれば、「平等」・「公平」な行政とはいえない。
なお、島根県教委は日本教育再生機構のパンフが日本を「国の中心に一系の天皇をいただいてきた伝統の国」としていることを問題視したようだが、象徴天皇制であっても、「国の中心」という表現は誤りではないだろう。また、八木らの団体は政府が進めている教育改革を民間の立場から「応援」するものの筈だ。
島根県教委はいったい何を考えているのか。島根県教組(組合)の意向を気にしているのだとすれば、この県の教育委員会事務局も心理的に教員組合の「不当な支配」の下にあるのではないか。
島根県議会の中にいるだろう「まっとうな」議員たちは、県教委の「後援」の運用についてもしっかりと監視し、問題があれば注文をつけるべきだ。
大和撫吉・日狂組の教室(晋遊舎、2007.06)は簡単に読了。
最後の八木秀次の論稿を読んで改めて感じたのは、教育行政にとっての村山富市社会党首班内閣誕生の犯罪的な役割だ(p.158あたり参照)。
最後の頁に、八木はこう書く。「大学の教育学部は左翼の巣窟でもある」(p.160)。
新潟大学教育人間科学部の世取山某は全くの例外ではないのだ。やれやれ。日本史学(+西洋史学)、政治学、社会学、法学の中のとくに憲法学、経済学の一部、の辺りが「左翼の巣窟」と思っていたが、「教育学」もそうだとは私には盲点?だった。
日教組問題全体についていえば、その運動方針・実際の活動内容等を批判していくことも大切だが、私は日教組(・全教)の教員活動家よりも、日本の教育にとって責任のより重い者たちがいる、と考えている。
それは、戦後、日教組を「理論武装」させ、指導し、唆した、多くは大学に在籍したと思われる、教育学、歴史学、法学、経済学等々の専門をもつ、マルクス主義者たち、又は社会主義者たちだ。
時代によって変わっている筈だが、大内兵衛などは戦後すぐに労働組合運動全体を「指導」したに違いない。
現在でも、日教組系と全教系に分かれているかもしれないが、多くの大学教員又は「知識人」と称される者が教員の「反社会的」あるいは「歪んだ教育」運動を指導し、嗾しているのではないか。
かつては教育問題に限らない講和問題・安保問題で、「平和問題談話会」に集った知識人・文化人たちが大きな役割を果たした。かつてのこの会等のメンバー名をきちんと特定して記録しておきたい、と思っている。
現在についても(再述すれば、日教組系と全教系に分かれているかもしれないが)、個々の組合員又は指導部よりも実質的責任は大きいとも言える「学者」たちの氏名リストを何とか作れないものかと考えている。
5/10発売の週刊新潮5/17号の高山正之のコラムのタイトルは「学者か」だ。慰安婦問題のデタラメ証言を「信じるのは学者だけだろう」で終わっているのだが、日本を悪くしてきているのは、かなりの部分、大学の「学者」様ではないか。肩書などに欺されてはいけない。
日本の社会系・人文系の学界にはまだマルクス主義の影響が強く残っているようであることに、すでに言及したかもしれない。とりあえず私がそう感じるのは(たぶんに推測を含んでいるが)、日本史学と政治学だ。
法学界のうち、少なくとも憲法学界も含めてよいだろう。前々回に一部紹介した渡部昇一の書評文の中には、「…憲法九条のおかげだ」という「嘘に学問的装いを与えてきたのは東大の憲法学教授たち」だとの文もある。
その書評の対象だった潮匡人・憲法九条は諸悪の根源のp.250には東京大学に限らない、次の語句もある-「前頭葉を左翼イデオロギーに汚染された「進歩派」学者の巣窟ともいうべき日本の憲法学界…」。そして、「学界の通説」を代表する芦部信喜氏は「自衛隊は…九条二項の「戦力」に該当すると言わざるをえないであろう」と述べて「明白な自衛隊違憲論」に立っているとする(p.252。なお、芦部は1923-1999で故人)。また、改憲を説く憲法学者は少なく、樋口陽一は「とりわけ先鋭的に「護憲」を奉じている」と書いている(p.253)。この二人は東京大学教授だった。樋口の論の一部には言及したことがあるが、芦部(および現役東京大学法学部教授の長谷部恭男等)の論も含めて、今後言及することがあるだろう。
「「進歩派」学者の巣窟ともいうべき日本の憲法学界」と称される中では、別冊正論Extra.06・日本国憲法の正体(産経)に原稿を寄せている憲法学者はごく少数派に属するに違いない。八木秀次、百地章の2人、憲法「無効論」の小山常実氏を含めて3人だ。こうしたタイトルの現日本国憲法に批判的な特集に(但し、呉智英氏は九条護持論者だ)、編集部を除く20人の執筆者(巻頭は櫻井よしこ)のうち憲法学者が2~3名しかいないというのも、現憲法に批判的な憲法学者が少ないことの現れかと思える。
上にいう「進歩派」とはマルクス主義者、親マルクス主義者、少なくともマルクス主義憲法学者に敵対はしない者をおおむね意味していると、大まかには言えるだろう。
上には名前が出ていないが、これまでに言及したことのある阪本昌成(現在、九州大学教授)も、少数派に属する憲法学者のようだ。
阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー〔第二版〕(有信堂、2004)は<反マルクス主義>に立つことを次のように書いている(1998年の第一版も所持しているが、文末の表現を除いて同一内容だ)。ここまで明瞭にマルクス主義を批判している憲法学者がいることを知り、驚くととともに安心もした。
「マルクス主義とそれに同情的な思想を基礎とする政治体制が崩壊した今日、マルクス主義的憲法学が日本の憲法学界で以前のような隆盛をみせることはないはずだ(と私は希望する)。…。
マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと、そして、それに同調してきた人びとの知的責任は重い。彼らが救済の甘い夢を人びとに売ってきた責任は、彼らみずからがはっきりととるべきだ、と私は考える。…本書は、マルクス主義憲法を批判の対象としない。なぜなら、マルクス主義は、もはや古典的リベラリストにとっての「論敵」ではないからだ。それでも彼らは、<社会的弱者を放置するなかれ>という平等主義を、社会主義に代わるスローガンとして掲げ続けるだろう。
マルクス主義者の失敗の最大原因は、経済自由市場のメカニズムを信用することなく、確固とした正義(彼らにとっては、イデオロギーではなく「科学」であると思われたもの)が市場の外にあるとの前提のもとで、その正義の鋳型に沿って国家と社会を設計主義的に作り上げることができると過信した点にあった。計画経済、基幹産業の国有化、集団農場政策等がこれであった。これらは、自由市場の「見えざる手」をあざ笑うかのような成果を見せたように思われた。が、全面的に失敗した」(p.22-23、以下省略)。
マルクス主義は消滅したように見えてもルソー的平等主義を主張するかぎり必ず復活してくる旨の中川八洋の指摘を思い出す。「設計主義」とは、マルクス主義(共産主義)を批判する際にフォン・ハイエクが用いた概念だった。
この阪本昌成の現憲法に対する態度は、正確には(まだ彼の本を十分には読んでいないので)知らない。しかし、現憲法「無効」論者の小山常実はさしあたり別として、「マルクス主義的憲法学」が(少なくとも従前は)隆盛の中での、八木秀次、百地章、そして阪本昌成各氏を、私が何をできるかは分からないが、少なくとも精神的・心理的には、強く支持し、応援したいものだ。
現時点での最も大きい対立軸は共産主義者(又はその追随者。朝日新聞、立花隆、社民党等々)と「自由主義者」(反共産主義者)との間にあるのであり、現憲法についての有効論者と無効論者との間にあるのでは全くない、と考えている。
私の憲法に関する「立ち位置」は、今のところという留保を慎重に付けてはおくが、安倍晋三首相と同じだ。
自民党案に全面的に賛成するわけではなく、「9条の2」というような<枝番号>付きの条項を挿入しないで、新たに条数は振り直すべきだと思うし、その他にも気になる改正条文案はある。
しかし、今の日本国憲法を有効な憲法と見つつ、その改正(とくに九条)を希望し、主張する点では、安倍首相と何ら異ならない。
改憲に賛成するのは、現在の国際状況も理由の一つだが、また現憲法の「成り立ち」にはかなり胡散臭いところがあるからでもある。安倍首相はしばしば、現憲法は「占領下」に作られた、憲法を「自分たちの手で書きあげる」といったフレーズを用いているが、推測するに、主権が大きく制限されていた時期に作られた憲法には(無効とまでは言わないにしても)そのこと自体に大きな問題があることを示唆しているように思う。
このような基本的考え方は、おそらく、(勝手に名を出して恐縮だが)八木秀次、百地章らの(少数の?)憲法学者とも共通しているだろう。本を読んだことがないのだが、西修も挙げてよいかもしれない。それに、櫻井よしこ、中西輝政、岡崎久彦等々の多数の方とも同様だろう。
というわけで、私はとりあえずは自分の「立ち位置」を全く疑っていない(かかる「立ち位置」を「日本国憲法」無効論の立場から批判したい者は、私などよりも、八木秀次、百地章、櫻井よしこ、中西輝政、岡崎久彦等々の各氏、さらには現憲法の有効性を前提として改正案をとりまとめた自民党、憲法改正国民投票法案に賛成している自民党等の国会議員全員、そして安倍晋三首相・安倍内閣閣僚全員を「攻撃」していただきたい)。
かかる「立ち位置」に反対で、九条を護持しようとするのが日本共産党が重視している「九条の会」等だが、立花隆も九条護持論者だ。
立花隆は、日経BPのサイト内に4/14付の「改憲狙う国民投票法案の愚/憲法9条のリアルな価値問え」と題するやや長い論稿を掲載している。
もっとも7分されているうちの6までは、九条発案者は幣原喜重郎かマッカーサーかという問題にあてられ、幣原発案説に傾斜したかの如き感想を述べつつ、自ら長々と書いたくせに「私はそのような議論にそれほど価値があるとは思わない」、「いま大切なのは、誰が9条を発案したかを解明することではなく…」と肩すかしを食わせている。
そして最後の7/7になってようやく「憲法9条のリアルな価値問え」という本論が出てくるのだが、その全文はこうだ。
「9条が日本という国家の存在に対して持ってきたリアルな価値を冷静に評価することである。/そして、9条をもちつづけたほうが日本という国家の未来にとって有利なのか、それともそれをいま捨ててしまうほうが有利なのかを冷静に判断することである。/私は9条があったればこそ、日本というひ弱な国がこのような苛酷な国際環境の中で、かくも繁栄しつつ生き延びることができた根本条件だったと思っている。/9条がなければ、日本はとっくにアメリカの属国になっていたろう。あるいは、かつてのソ連ないし、かつての中国ないし、北朝鮮といった日本を敵視してきた国家の侵略を受けていただろう。/9条を捨てることは、国家の繁栄を捨てることである。国家の誇りを捨てることである。9条を堅持するかぎり、日本は国際社会の中で、独自のリスペクトを集め、独自の歩みをつづけることができる。/9条を捨てて「普通の国」になろうなどという主張をする人は、ただのオロカモノである。」
この文章は一体何だろう。最後の最後になって、結論だけを羅列し、その根拠、論拠は一切述べていないではないか。これでよく「評論家」などと自称できるものだ(「知の巨人」なんてとんでもない。末尾の、異見者への「ただのオロカモノ」との蔑言も下品だ)。
過日、九条のおかげで平和と繁栄を享受した旨の呉智英の産経上のコラムを、中西輝政の議論を参照・紹介して批判したことがあるが、かつて「知の巨人」だったらしい立花隆も、平然と(かつ根拠・論拠を何ら示すことなく)「9条があったればこそ」、「苛酷な国際環境の中で、かくも繁栄しつつ生き延びることができた…」と書いている。かかる九条崇拝?はどこから出てくるのだろう。
かつて書いたことを繰り返さないが、カッコつきの「平和」と「繁栄」は憲法九条ではなく、日米安保条約、それも米軍が持つ核兵器によって生じ得た、というのが「リアルな」認識だと思われる。
立花氏はまた奇妙な文も挿入している。-「9条がなければ、日本はとっくにアメリカの属国になっていたろう。」
この文の意味と根拠を、どこかで詳論して欲しいものだ。私にはさっぱり理解できない。
ともあれ、九条二項の削除を含む憲法改正を実現するためには、立花隆氏のこのような議論?を克服していく必要がある。また、影響力のある論者が書いていることには注意を向けていなければならない。
毎日新聞の4/26付社説は、集団自衛権行使不可との憲法九条解釈によってこそ「戦後、日本は戦争に巻き込まれず平和を守ることができたという主張は根強い」と書いている。これは憲法九条自体ではなくその「解釈」にかかわることだから、立花隆の論よりはまだマシだ。
それに同社説は、「一方でこの制約は日米安保体制や国際貢献活動の上で、阻害要因になっているという指摘がある」と続けていて、立花隆の論調よりもはるかに冷静で公平だ。
「首脳会談で集団的自衛権の解釈変更や憲法改正が対米公約になるような踏み込んだ発言は慎んでもらいたい」とも書いているが、かかる指摘自体に大きな問題があるとは思われず、某朝日新聞の社説に漂う「やや狂気じみた」、又は「奇矯で、感情的な」雰囲気と比べれば、少なくともこの社説は、遙かに良い。
朝日新聞がこの程度まで「冷静に」又は「大人に」なってくれればいいのだが(…だが、無理だろう)。
もはや古い本だなと思いつつ、渡部昇一=小林節・そろそろ憲法を変えてみようか(致知出版社、2001)を何気なく捲っていたら、渡部のこんな発言が目に入った。
「改悪にならないようにするために…日本国憲法の三大原理である国民主権主義と平和主義と基本的人権の尊重を強化し、私たちの幸福を増進させる方向性の改憲を改正と呼ぶ」と訴え続ける必要がある(p.222)。
この部分は渡部昇一にしては(いや彼だからこそ?)不用意な発言だ。平和主義の中には現憲法九条二項も含まれてしまう可能性がある。また、憲法学者の小林がこの本のもっと前で話したことをふまえているのかもしれないが、日本国憲法の「三大原理」として国民主権主義・平和主義・基本的人権の尊重を挙げるのは陳腐すぎ、かつ疑問視もできるものだ。
こんな基本的なことを話題にするつもりはなかったのだが、八木秀次・日本国憲法とは何か(PHP新書、2003)によると、高校までの社会科の教科書ではたしかに上の3つが憲法の三大原則と書かれている、しかし、1947年に政府が作った、あたらしい憲法の話(中学校副読本)では、憲法前文が示す原則として民主主義・国際平和主義・主権在民主義の3つを挙げ(基本的人権の尊重は入っていない)、本文の項目では、民主主義・国際平和主義・主権在民主義・天皇陛下(象徴天皇制)・戦争の放棄・基本的人権の6つが同格で説明されている(いわば六大原則)、大学生向けの憲法の教科書では必ずしも一致はない。
そして、八木によるとこうだ。1954年に成立した鳩山一郎内閣が自主憲法制定(憲法改正)を提唱したことに危機感をもった「護憲派勢力」が、かりに改憲されるとしても改正できない原則として、上記の三大原則を「打ち出した」のであり、その意味で「政治的主張という色彩が強い」(象徴天皇制は原則とはされないので、天皇制度自体の廃止は可能とのニュアンスを含む)。
自称ハイエキアンで憲法学界の中では少数派ではないかと勝手に想像している阪本昌成(現在、九州大学教授)の広島大学時代の初学者向けの本に、同編・これでわかる!?憲法(有信堂、1998)がある。
この本の阪本昌成執筆部分なのだが、八木の叙述とはやや異なり、「教科書も新聞も、大学生向けの憲法の教科書も」上記の三大原則を挙げる、とする(p.35)。
上の部分の見出しがすでに「インチキ臭い「3大原則」」なのだが、彼は、「日本国憲法の基本原則は、「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」といった簡単なものではな」く、次の6つの「組み合わせ」となっている、とする(p.37-38。()内は秋月)。
1.「代議制によって政治を行う」(代議制・間接民主主義)、2.「自由という基本的人権を尊重する」(自由権的基本権の尊重)、3.「国民主権を宣言することによって君主制をやめて象徴天皇制にする」(国民主権・象徴天皇制)、4.「憲法は最高法規であること(そのための司法審査制)を確認し、そして、「よくない意味での法律の留保」を否定する」(法律に対する憲法の優位・対法律違憲審査制)、5.「国際協調に徹する安全保障をとる」(国際協調的安全保障)、6.「権力分立制度の採用」(権力分立制)。
単純な三大原則よりは、より詳細で正確なような気がするではないか(?)。それに、単純な「民主主義」というだけの概念が使われていないのもよい。また、たんに「基本的人権」の尊重ではなく「自由という基本的人権」とするのがきっと阪本昌成的なのだろう。
なお、日本国憲法の「原則」をどう理解するかは、それが、-八木が示唆しているように-憲法改正の「限界」論(憲法改正手続によっても改正できない事項はあるのか、あるとすればいかなる事項又は「原理」か)と無関係である限りは、さして重要な法的意味があるわけではない。そして、通常は、3つであれ6つであれ、憲法改正の「限界」とは無関係に語られているのではないかと思われる(あくまで私の理解だが)。
憲法の問題は関係文献に逐一触れていると切りがないところがあるのだが、重複を怖れず、ときどきは言及することにする。
何げなく有田芳生のサイトを見ていたら0912付の最後に「安倍の改憲を含む戦後の枠組み解体路線には断固として与しない」とあった。改憲問題は別として、「戦後の枠組み」とは一体何を意味しているのかが問題だ。常識的にみて、「戦後」の全てが良かったか悪かったかという問いは、従って「解体」に一括賛成か反対かの選択は無意味だろう。むろん、「進歩」があったことを否定しないが、しかし、有田の詳しいオウム事件・サリン事件や悪質少年犯罪事件はまさに「戦後」が生み出した現象でないか。「解体」との結論にならないとしても憲法・教育も含めた「枠組み」の妥当性を疑ってみること自体は大切だろう。
渡部昇一=林道義=八木秀次・国を売る人びと(PHP、2000)を読了し、西尾幹二=八木秀次・新国民の油断(PHP、2005)を通読した。
フェミニズム・ジェンダーフリー論の帰結のヒドさに愕然とした。有田は後者で紹介されている「自由な」教育も「解体」しないで維持したいのか。また、後者によると、エンゲルスは『…起源』で家庭内で夫は支配者でブルジョアジ-、近代家族は「プロレタリア-ト」たる妻の「家内奴隷制」で成立とまで書いていた。なるほど、マルクス主義とフェミニズムは「個人」のために「家族」を崩壊させる理論なのだ。そして、男女平等といった表向き反対しにくいテ-ゼが利用されて、「家族」の解体がある程度進行してしまっていることも感じる。その結果が、親の権威の欠如(=親子対等論)等々であり、「家族」の崩壊はオウム事件、悪質少年犯罪等と、さらに晩婚化・少子化とも決して無関係でないと考えられる。結局はマルクス主義の影響によってこそ、日本社会は大切なものを喪失してきたのだ。まさに「悪魔の理論」といえる。
昨日は古書2冊のみだったが、今日は古書・新本併せて10冊以上が届いた。「栗本慎一郎の脳梗塞になったらあなたはどうしますか」(2000、たちばな出版)を一部読んでいると、脳梗塞ももはや他人事ではないという気がしてくる。読売編集の「検証戦争責任1」(2006.07、中央公論新社)は4刷のものが手に入った。今日あたりの新聞では、大増刷・第5刷の広告を見たように思う。
読売の作業を、某著名人はチマチマした本質的でないものと批判していた。それはともかく、60年以上前に終わった戦争の見方・総括とも関連して、いまわが国はいわば<国論の分裂>状態にあるようだ。忙しく仕事をし、一紙程度の新聞とテレビを漫然と見ていたかつてはさほど強くは意識しなかったのだったが。
岩波新書がすでに少なくとも2冊ある「憲法再生フォーラム」や、吉永小百合様を巻き込んでの、岩波の冊子がすでに少なくとも3つある「憲法9条を考える会」などは、すでに近い将来の<決戦>を意識して活発に?活動しているようにみえる(どの程度彼らの主張が読まれているかは知らないが、新田次郎の次男坊による短い、イヤ読みやすく内容の濃い本に完敗していることは間違いないだろう)。
一方、憲法問題をも含んでいるだろうが、「日本教育再生機構設立準備室」なるものができ、08月05日には「八木秀次ともに日本の教育再生を考える夕べ」とやらが開催され、安倍晋三官房長官から祝電を受け、櫻井よし子等が「激励の挨拶」をしている。分裂・消滅した「…つくる会」的団体の再結集・再構築のように見える。
国論分裂過多で右往左往して亡国したかつての某国のようにならないためにも、言論リーダーたちの責任は重い。いや、この秋月瑛二の責任だって??!!
秋月瑛二も給与生活者なので、本来の仕事がある。今日もした。ある仕事の前半の実質的に40%はほぼ終わり、後半に突入しているが、明日には終えてしまいたいものだ。
どうやら今日は散歩なしに終わりそうな気がする。まずい。
- 2007参院選
- L・コワコフスキ
- NHK
- O・ファイジズ
- PHP
- R・パイプス
- カーメネフ
- ケレンスキー
- コミンテルン
- ジノヴィエフ
- スターリン
- ソヴェト
- ソ連
- ソ連解体
- トロツキー
- ドイツ
- ニーチェ
- ネップ
- ヒトラー
- ファシズム
- フランス革命
- ブハーリン
- ボルシェヴィキ
- ポーランド
- マルクス
- マルクス主義
- メンシェヴィキ
- ルソー
- レシェク・コワコフスキ
- レーニン
- ロシア革命
- ワック
- 不破哲三
- 中国
- 中国共産党
- 中川八洋
- 中西輝政
- 丸山真男
- 九条二項
- 佐伯啓思
- 保守
- 全体主義
- 八木秀次
- 共産主義
- 北朝鮮
- 大江健三郎
- 天皇
- 安倍内閣
- 安倍晋三
- 安倍首相
- 小学館
- 小林よしのり
- 小沢一郎
- 屋山太郎
- 岩波
- 左翼
- 慰安婦
- 憲法九条
- 憲法学界
- 憲法改正
- 文藝春秋
- 新潮社
- 日本会議
- 日本共産党
- 日本国憲法
- 月刊WiLL
- 月刊正論
- 朝日新聞
- 桑原聡
- 樋口陽一
- 橋下徹
- 櫻井よしこ
- 民主主義
- 民主党
- 江崎道朗
- 池田信夫
- 渡部昇一
- 産経
- 百地章
- 皇室
- 石原慎太郎
- 社会主義
- 神道
- 立花隆
- 竹内洋
- 自民党
- 自衛隊
- 花田紀凱
- 若宮啓文
- 菅直人
- 西尾幹二
- 西部邁
- 読売
- 諸君!
- 講談社
- 辻村みよ子
- 週刊新潮
- 遠藤浩一
- 阪本昌成
- 鳩山由紀夫