秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

全国一宮

1423/美しい日本05ー高く登る神社の石参道。

 陸奥一宮・塩竃神社(+志波彦神社)へは二度訪れた。一度目は仙石線の本塩釜駅からタクシーで、東の方から志波彦神社の近くにまで運んでもらい、帰路は塩竃神社・社務所の南につづく石段を降りた。
 この石段降りは雨模様で石が少し濡れていたため、一歩ずつ緊張した。降りてから再び本塩釜駅までは歩き、鉄道で松島が見える方に向かった。そのとき、行きは簡単にタクシーに頼ってしまったことで完全な参拝ではなかったような気がし、つぎのときは、きちんと石の参道を上がって参拝しようと思った。
 今度は東北線の塩釜駅から歩いて、塩竃神社の森の下にくると、頂の最終部分が何とか判断できる程度に、まっすぐに上に登っていく、石の参道が見える。鬱蒼とした木々に囲まれて、左右平行の石段がまっすぐに登っていく姿は、美しい。
 司馬遼太郎・ワイド版街道をゆく26巻(朝日新聞社、2005)p.247には、「ふもとの町から一直線に石段がきずかれている。/『高いですなあ』と、多少はひるんだ」、とある。
 極端に長いことはないが、老輩には、そこそこに厳しい。200段くらいだっただろうか。
 なお、志波彦神社という神社が社殿の向きを変えて隣の敷地内にあるのだが、なぜこの別の神社と併せて実質的には一つになっているのか、その複雑な背景・理由は、きっと何かで読んだはずだが、分からない(憶えていない)。
 但し、一つではなく二つの神社のご朱印をいただくことになるので、一社ぶんの300円ではなく400円か500円のご志納金だったことはなぜか( ?)憶えている。
 山の途中まで一直線に石の階段が参道として上がっている景色としては、千葉県/安房の国の洲崎神社のそれも印象に残った。専門の宮司さんはいないようで、電話をするとご朱印のために事業用の小型車で、社務所までやってきてくれた。その間に、石段登りをしてその上にある小さな社殿で参拝したのだが、石段は塩竃神社のそれよりも幅狭いが、高さはたかい(したがって段数も多い)。
 降りようとして前方を見ると-下方は傾斜のある、持つところが何もない石段だ-、東京湾かその付近を、タンカーがゆっくりと移動していた。天気もよく、青い空のもとでの古びた社務所、県道、そして船のうかぶ海が一望に見えて、清々しく美しかった。
 このとき、神社の多くのように、社殿も石段も南を向いているのだろうと思っていた。
 ところがその日のうちにでも分かったが、社殿は西向きで、石段は東から西へと下っていた。神奈川県と向かい合っていたことになる。見たタンカーは外洋を悠々と航行していたのではなく、東京湾に入る準備をしていたのかもしれない。
 なお、各旧国の「一宮」がどれかについては争いが残っているようで、安房については、洲崎神社の前に訪れた安房神社の方が大規模だし、名前からしても一宮らしい。
 しかし、源頼朝が挙兵してまず向かいの安房の国に上陸したとき、上に書いた洲崎神社で戦勝を祈り、<この宮こそ安房の一宮だ>とか言ったらしい。そんな由緒があって、全国一宮会は安房神社と洲崎神社の二つを安房の国の一宮としているらしい。
 神社の由緒書、案内文などは読んでも忘れることが多い。熱心な頃は、毎週のように出かけたのだから当然だろう。それでも、上の洲崎神社についての上のようなことは、由緒書をもらったそのときか、館山駅に近いホテルで読んでか、記憶として定着してしまった。
 思いを外国に馳せると、欧州の教会は、中小の街であれば、街の中心の広場にあることが多いだろう。鉄道で教会の尖塔が見えれば、そこは市街地の中心であることが想定できる。
 ドイツのゲッティンゲンでもフライブルクでも、フランスのシュトラスブールでも同じ。
 パリのセーヌ川の中島・シテ島の東にノートルダム寺院はある。マドレーヌ教会もコンコルド広場の北方近くなので中心部といえる。ウィーンのシュテファン大聖堂は同市の中心にある、と言ってよいだろう(ベルリンは ?と考えてみたがはっきりしない)。
 なぜこんなふうに話を広げたかというと、日本には街の中心部の広場そばに神社がある、ということはまずない。高く登っていく石段の先に社殿があるという神社の位置は、欧州の=キリスト教の宗教施設とは、大きく異なるのではないかと感じる、からだ。
 日本の「神」は人々の暮らしに気を遣って、あるいは遠慮して、人里から少し離れた、多くは少し高い場所を選んだ、ということなのかどうか。

1421/美しい日本03-神社仏閣の位置02。

 上州一宮・貫前(ぬきさき)神社を訪れたとき、最寄り駅から県道か市道へと登って横断したのち一挙に下って境内に入っていく、という高低差に驚いた。正確には、上がっていかずに下っていく、という神社の位置に驚いた。
 というのは、神社も寺院も、参拝口にある楼門または山門までもふつうはそうだろうし、とりわけ楼門・山門から本殿・本堂までは同じ平地上か、後者が前者よりも少しは高い場所に位置することが圧倒的に多いと思われるからだ。そのような例はいくらでも思い出せる。
 ひょっとすれば、貫前神社の楼門と本殿は同じ高さにあったのかもしれないが、楼門まではかなりの傾斜を下らなければならなかった。珍しいな、という感覚を持ったのは確かだ。
 そういう位置関係でこれまたほぼ正確なと感じるほどの記憶とともにに思い出すのは、寺院では、京都・泉涌寺(せんにゅうじ)だ。山門までタクシーで登り、または歩いて登りきって、山門をくぐり抜けると、何と石砂の参道が明らかに下っていて、本堂かそれらしきものの屋根が、両脇の叢林の間に、下方に見える。
 のちに、同寺の本堂および拝観対象の建物へは、山門まで登らなくとも、ほぼ同じ高さにある地点(今熊野観音寺への参道へと同じか近い)から歩いた方が近くて早いことに気づいた。だが、泉涌寺の最初の訪問では、立派な山門までとりあえず行ってしまうのも無理はないだろう。
 上の二つに比べると微細な変化だが、出雲大社の大鳥居から本殿方向へも、最初は少しずつ下っている。そのような<さがり参道>は、出雲大社の、いくつかの不思議の一つであるらしい。もっとも、そのような高低差を意識していないと、まったく気づかない程度のものだが。
出雲大社の場合、建造時の人々が意識的にそうしたのかは知らない。だが、これ以外の上の二つについては、意識的にそのように作られたとしか思えない。神社本殿は「南」面しており、寺の本堂は「西」面しているようだが、南または西の方向に高く隆起した土地があることは、建造時から明白だったはずだろう。そして、なぜそのような場所に立地させたのかは私には分からない。
 なお、泉涌寺は観光寺院ではないこともあり、何やら清々しく感じられる。かつまたこの寺は御寺(みてら)とも呼ばれ、天皇・皇室ときわめて関係が深い。周囲にはいくつかの天皇の御陵があり、これらは今は国有地・宮内庁管理だが、かつてこの寺が何代かの天皇の菩提寺であったことが(文献で確かめる必要なく)明らかだ。
奈良時代の天皇を除く今日までの全天皇の位牌に対して、毎朝、法要・供養が続けられていると聞いて、気の遠くなるような思いをしたことがある。
 なぜ奈良時代の(正確にはたしか天武以下の)諸天皇だけは、除外されているのか。歴史好き、逆説好きの人ならば想像できるだろうが、テーマから逸れるので、省く。

1266/神社・仏閣めぐり-護国神社巡拝はいかが?

 神社仏閣・社寺(寺社)と一括りにいうが、寺院については四国遍路88をはじめ西国33・坂東33・秩父34の札所めぐり(四国遍路以外はいずれも観世音菩薩=観音信仰による観音菩薩を本尊とする寺院巡拝だ)等々があるのに対して、神社についてはきわめて少ない。
 もともとは「ご朱印」というのは納経の証明書のごときもので仏教に由来するものだと思われ、神道・神社にはなじみがなかったものかもしれない。それでも、いつ頃からなのだろう、神社でも、たいていは、「ご朱印」がいただけるようになっている。なお、神社も寺院も全国一律に300円の「ご志納」が代金になっていることは興味深く、これは安いだろう(あらかじめ印刷されていて捺印と参拝日付だけの記入にとどまる場合は200円であることもある)。500円出しておつりは要らないつもりでも必ず返金があることも興味深い(但し、例外はあるし、賽銭の追加のつもりでと言えば受領してもらえることもある)。
 寺院については上記の観音霊場めぐりの他に、薬師霊場巡拝、不動尊聖跡巡礼等々が各地方(おおむねプロック単位)でかなり多く存在している。北海道についてはよく知らない。
 神社についても、例えば「東京十社めぐり」という元准勅祭社巡拝もあり、専用の御朱印帳もある。個人的なことを書くと、亀戸天神社の一つだけを除いて、あとの九社はお参りをして、ご朱印もいただいている。他に、京都市内に限っての、京都五社、京都八社などもある。他にも、比較的狭い地域での神社めぐりがセット(?)されていることはあるものと思われる。
 四国、関西、関東といった広い地域での神社めぐりのコースはないようなのだが、より広く「全国一の宮めぐり」というものがある。これにはB5版の比較的大きい専用の御朱印帳が用意されており(購入でき)、「新一の宮」を加えて、沖縄・那覇、対馬、壱岐、隠岐、佐渡、会津から札幌まで、地域は日本全国に広がる。これだけの広さのある仏教寺院めぐりはないだろう。「新一の宮」を含む「全国一の宮」の数は長野県の諏訪大社四社や京都の下鴨・上賀茂の二社をどう数えるか、若狭姫神社を含めるか等の問題がありむつかしいが、御朱印帳の一頁に別々に記載されている神社数は108のはずだ(薩摩国には二、紀伊国には三、安房国には二など複数ある場合が少なくないので、旧国数や現在の都道府県数よりも多い)。
 神社についてはこれくらいのもので、あとは個人的に全国の護国神社めぐりをすることが考えられ、ガイドブックも近年になって発売されている。それによると、全国に52の護国神社がある(靖国神社は含まない)。原則として各府県に一つあるが、北海道には三つ(札幌・旭川・函館)、兵庫県には二つ(神戸・姫路)、広島県にも二つ(広島・福山)あり、なぜか神奈川県には(靖国のある東京都にも)ない。但し、残念ながら、専用の御朱印帳は発売・販売されていない。ついでに書くと、釧路護国神社があることも知っているが(但し、ご朱印はいただけなかった)、公式には?ガイドブックに掲載されていない。
 したがって、唯一専用の朱印帳がある、広い地域での神社巡拝セットは「全国一の宮めぐり」だけなのかもしれない。集客?のためといっては失礼だが、いろいろなアイデアが工夫されてよいかもしれない。
 なお、関西(三重県を除く)には神仏霊場巡拝といって、90の寺院・60の神社、計150の社寺がそれぞれの(札所のごとき)番号をもち、ぶ厚い専用の御朱印帳もあるものがある。これは寺院と神社の両方を巡るもので、かなりユニークな(そして私にはよいと感じられる)ものだ。
 ここで思い出したが、神社についても、後醍醐天皇ゆかりの神社(吉野神社、神戸の湊川神社など)については専用の御朱印帳がある。また、氷川神社、津島神社、各地の八坂神社などの素戔嗚尊を祭神とする神社は「全国清々会」という団体を作っているようで、専用の御朱印帳(但し、個別の神社名の記載はない)もある。
 以上のようなことを書いてるのも、ロクに仕事をしないで、全国の寺院・神社を、ふつうの?人に比べればたくさん訪れていると思っているからだ。その経験から、日本の宗教や日本の歴史や日本人の心情・精神等々について、いろいろと感じることが少なくない。いずれ、おりにふれて、より具体的なことをこの欄に記していってみよう。
ギャラリー
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  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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