「第17章・皇帝家族の殺害」の試訳のつづき。
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第15節/この事件からの示唆。
(01) Ekaterinburg の悲劇以後の時代にチェカが奪い取ることになる数万人の生命を思えば、またその継承者が殺した数百万人のことを思えば、11人の囚人〔前皇帝とその家族〕の死は、異常な規模のものだったとはほとんど言えない。
しかしそれでも、前皇帝、その家族、補助者たちの虐殺には、深い象徴的な意味がある。
自由(liberty)に偉大な歴史的時代があったように—Lexington やConcord の闘い、Bastille への突撃—、全体主義(totalitarianism)についてもそうだ。
虐殺が準備され、実行されたやり方には、それは最初は否定されたあとで正当化されたのだが、それにまつわる独特のおぞましさがある。以前の国王殺しとは際立って区別する、そして二十世紀の大量虐殺の前兆だったと印象づける、そういう何ものかがある。
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(02) まず何よりも、不必要だった。
ロマノフ家は進んで、実際に幸福に、積極的な政治世界から退き、捕獲者であるボルシェヴィキの全ての要求に屈従していた。
彼らは確かに、誘拐されることや自由な世界に連れていかれることに反対でなかった。しかし、収監状態、とくに責任追及や裁判がないままでの拘禁の状態から逃れたいと彼らが望むことを、処刑を正当化するためにEkaterinburg のボルシェヴィキが指し示したような「犯罪の企て」だと見なすことはほとんどできない。
いずれにせよ、かりにボルシェヴィキ政府が実際に彼らが逃亡して反対派の「生ける旗印」になることを恐れたのだとすれば、そのときは、彼らをモスクワに連れてくるまさに適切な時期だった。Goloshchekin からすれば、3日後に皇帝家族の持ち物とともにEkaterinburg を経って列車でモスクワに向かうことに何の困難もなかった。
彼ら皇帝家族は、モスクワにいれば、チェコ軍団、白軍その他のボルシェヴィキ体制への反対派の手に届かなかっただろう。
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(03) これが行なわれなかった理由が探し求められなければならない。それは、時間不足、逃亡の危険、あるいはチェコ軍団に捕われるといった偽りの言い訳にではなく、ボルシェヴィキ政府の政治的必要にあった。
1918年7月、ボルシェヴィキは、多方面から攻撃を受け、支持者の多くから見離されて、運命のどん底へと沈んでいた。
継続する任務放棄を断固として阻止するため、ボルシェヴィキは血を必要とした。
トロツキーが亡命中につぎのように事件を回想したとき、こうしたことの多くは承認されていた。
トロツキーは、17年前に、前皇帝の妻と子どもたちを片付けるとのレーニンの決定と同意見だった—トロツキーに個人的な責任はなく、従って正当化する必要のない行為だ。
「決定は、好都合だけではなく必要だった。
この制裁が苛酷であることによって、誰に対しても、我々は容赦なく闘い続け、どこにも止まらないだろうことを、示した。
皇帝家族の処刑は、威嚇し、脅かし、見込みがないという感覚を敵に植えつけるだけではなく、我々の党員たちに刺激を与え、退却することはあり得ない、目の前にあるのは全面的な勝利か全体的な破滅かのいずれかだ、ということを示すためにも、必要だった。」(注109)
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(04) ある次元で言うと、トロツキーによる正当化には良い点がなかった。
かりに敵の中にテロルを、味方の中に忠誠性を注ぎ込むために、前皇帝の妻と子どもたちを殺したのだとすれば、ボルシェヴィキはその殺害行為を大声で明瞭に言明しただろう。にもかかわらず実際には、当時に、そしてその後10年間、ボルシェヴィキは否定した。
しかし、トロツキーの恐るべき告白は、深い道徳的、心理的意味では、正しかった。
Dostoevsky の「悪霊」の主人公のように、ボルシェヴィキは、動揺する支持者たちを集団的犯罪の絆で結びつけるために、血を流さなければならなかった。
ボルシェヴィキが良心の咎めを感じる犠牲者たちが無実であればあるほど、ボルシェヴィキ党員はそれだけ強く、退却も逡巡も妥協もあり得ないこと、指導者に絶対的に拘束されていること、を認識せざるを得なかった。そして、指導者とともに、代償を無視して「全面的勝利」を目指して行進するか、それとも「全体的破滅」へと沈むか、のいずれかだけを選ぶことができた。
Ekaterinburg の虐殺は、公式には6週間後に始まった「赤色テロル」の始まりを画するものだった。「赤色テロル」の犠牲者たちの多くは、犯罪を冒したゆえにではなく、トロツキーの言葉では彼らの死が「必要とされた」がゆえに処刑された、そういう人質たちだったことになる。
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(05) 冒したことを理由としてではなく死が「必要とされた」がゆえに人々を殺害する、ということを政府が誇るとき、我々は、全く新しい道徳の王国に入っている。
ここに、1918年7月16-17日の夜に起きた出来事の象徴的な意味がある。
政府の秘密の指令によって行なわれた皇帝家族の虐殺は、人類を初めて、意識的なジェノサイドの出発点に立たせた。皇帝家族はその背景にもかかわらずきわめて普通で、何の罪もなく、ただ平穏に過ごすのを許されることだけを望んでいたのだったが。
ボルシェヴィキが彼らを非難して死に追いやったのと同じ理由は、のちにロシアやその他の国で、数百万の名もなき人々に対して適用されることになる。新しい世界秩序に関するあれこれの設計をたまたま邪魔した、というだけの人々に対して。
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第15節、終わり。第17章全体も、終わり。第18章は<赤色テロル>。



























































