秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

侵略戦争

1693/帝国主義と革命③-L・コワコフスキ著18章5節。

 この本には、邦訳書がない。何故か。
 日本共産党と「左翼」にとって、読まれると、極めて危険だからだ。
 <保守>派の多くもマルクス主義・共産主義の内実に関心がないからだ。
 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 =レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 第2巻/第18章・レーニン主義の運命-国家の理論から国家のイデオロギーへ。
 前回のつづき。
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 第5節・帝国主義の理論と革命の理論③。
 誰が侵略者であるかは問題でなく、実際、攻撃(offensive)戦争と防衛戦争の違いはなかった。そして、軍事活動の基礎にある階級の利益こそが重要だった。
 この点に関するレーニンの言明は多くあって、かつ完璧に明白だ。現在の後継者たちによって、さほど多くは引用されないけれども。
 『戦争を防衛戦争と侵略(agrresive)戦争に分けるのは馬鹿げている』。(+)
 (1914年10月14日の演説。全集36巻p.297〔=日本語版全集36巻「『プロレタリア-トと戦争』についての公開報告」331頁〕。)
 『国際関係上の全ての個別現象に対する社会民主党の態度を考察して決定する唯一の規準は、戦争の性質が防衛的か攻撃的かではなく、プロレタリア-トの階級闘争の利益、あるいは-より十分に言えば-、プロレタリア-トの国際的運動の利益だ。』 (+)
 (『好戦的軍事主義と社会民主党の反軍国主義的戦術』、1908年8月。全集15巻p.199〔=日本語版全集15巻186頁〕。)
 『あたかも問題なのは、誰が最初に攻撃したか?で、戦争の原因は何なのか? その目的は何なのか? どの階級が遂行しているのか?、ではないようだ。』 (+)
 (ボリス・スヴァラン(Boris Souvarine)への公開書簡、1916年12月。全集23巻p.198〔=日本語版全集23巻215頁〕。)
 『戦争の性格(反動的であれ革命的であれ)は、攻撃したのは誰かや『敵』がどの国に設定されているかに関係はない。
 <どの階級>が戦争を遂行しているのか、いかなる政策をこの戦争は継続するものなのか、による。』 (+)
 (<プロレタリア革命と変節者カウツキー>、1918年。全集28巻p.286〔=日本語版全集28巻305-6頁〕。)//
 かくして、『侵略』は戦争の階級的性格を隠蔽いるのに役立つブルジョアの詐欺的な観念だ、ということだけではなく、自分の国家で組織される労働者階級は、資本主義国家に対する戦争を遂行する全ての権利をもつ、ということが分かる。定義上は、労働者階級は抑圧された階級の利益を代表し、正義(justice)は彼らの側にあるのだから。
 レーニンは、この結論を出すのを躊躇することはない。
 『例えば、社会主義が1920年にアメリカやフランスで勝利し、そのとき日本や中国が、まあ言おう、彼らのビスマルクたちを-最初は外交的にだけでも-我々に向けてくれば、我々はきっと、彼らに対する攻撃的な革命戦争に賛成するだろう。』 (+)
 (『第二インターナショナルの崩壊』。全集21巻p.221注〔=日本語版全集21巻217頁注(1)〕。)
 1920年12月6日の演説で、レーニンは、アメリカ合衆国と日本の間でやがて戦争が勃発せざるをえない、ソヴィエト国家はいずれか一方に反対して他方を『支持する』ことはできないが、その他方に対する『決勝戦』を闘わせて、自国の利益のためにその戦争を利用すべきだ、と明言した。
 (全集31巻p.443〔=日本語版全集31巻「ロシア共産党(ボ)モスクワ組織の活動分子の会合での演説」449-450頁〕。)
 1918年3月の第七回党大会では、『大会は、党中央委員会が適切な時機に至ったと判断するときには、あらゆる講和条約を破棄しまたどの帝国主義国家に対してであれ全世界に対してであれ宣戦を布告する権限を党中央委員会に対して与える』との意味を持つ決議を提案した。 (+)
 (全集27巻p.120〔=日本語版全集27巻「戦争と講和についての決議にたいするトロツキーの修正案に反対する発言。3月8日」118頁〕。)
 これがブレスト=リトフスクの雰囲気で草せられていた、というのは本当だ。しかし、応用については概括的で、レーニンの教理と完全に合致している。
 プロレタリア国家は定義上資本主義国家に真反対に向かい立つ(vis-avis)ので、また、侵略の問題は戦争を判断するに際しての重要性がないがゆえに、事態が示すときはいつでも、プロレタリア国家には明らかに、資本主義国家を世界革命のために攻撃する権利と義務がある。資本主義と社会主義の間の平和的共存がレーニンの見解では不可能なので、ますますそうなのだ。
 既に引用したが、1920年12月6日の演説で、彼は、こう述べた。
 『我々は戦争から平和へと移行させたが、戦争は戻ってくるだろうことを忘れなかった、と私は言った。
 資本主義と社会主義がともに生きている間は、両者は決して平和裡に生活することができない。』 (+)
 (全集31巻p.457〔=日本語版全集31巻「…モスクワ組織の活動分子での会合での演説」464頁〕。)//
 こうしたことが、社会主義国家の外交政策の簡素なイデオロギー上の基盤だった。
 新しい国家は定義上、歴史を指導する勢力を代表した。攻撃しようと自衛しようと、それは、進歩の名のもとで行動していた。
 国際法、仲裁、軍縮会議、戦争の『違法化(outlawing)』-これらは全て、資本主義が存続しているかぎりでの欺瞞だ。そして、のちには、これらは必要でなくなるだろう。戦争は社会主義のもとでは、資本主義のもとでは不可避であるがごとく、不可能だからだ。//
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 (+) 日本語版全集を参考にし、ある程度は訳を変更にした。
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 第5節、終わり。第6節の表題は、<社会主義とプロレタリア-ト独裁>。

1689/帝国主義と革命②-L・コワコフスキ著18章5節。

 この本には、邦訳書がない。Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism. =レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 第2巻/第18章・レーニン主義の運命-国家の理論から国家のイデオロギーへ。
 前回のつづき。
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 第5節・帝国主義の理論と革命の理論②。
 レーニンが第二インターナショナルの指導者たち〔カウツキーら〕を言葉上は革命的で行動上は修正主義者だと批難したのは、疑いもなく正当(right)だ。
 彼だけが、権力奪取のことを真剣に考えていた。そして、さらには、彼はそれ以外のことを何も考えていなかった。
 レーニンの立場は、明確だった。すなわち、権力というものは、それが政治的に可能であればいつでも、奪取しなければならない。
 彼は、生産力が社会主義者の蜂起の地点にまで成熟しているかどうかに関する理論上の推計に耽ることはなかった。彼の推計は、全てが政治情勢に関係していた。
 レーニン自身は、言葉上の決定論者(determnist)で、行動上は現実政治家(Realpolitiker)だと、正当に批難され得ただろう。
 頻繁にではないがときどき、彼は決定論者的なカテキズム(catechism, 公教要理主義)を繰り返した。
 (『歴史上に起きることは全て、必然的に起きる』-『ズュデクム(Suedekum)のロシア版』、1915年2月1日。全集21巻p.120〔=日本語版全集21巻「ロシアのジュデクム派」113頁〕。〕(+)
 しかし、この決定論は自分や他人が、共産主義の根本教条は勝利すべく歴史的に強いられていると確信するのに寄与しただけで、独特な政治行動のいずれにも適用されなかった。
 レーニンは、全ての国は資本主義の発展段階を経て進まなければならないという、マルクス主義の基礎の一つだと見なされていた考えすら、投げ捨てた。
 1920年7月26日のコミンテルン第二回大会で、つぎのように宣言した。遅れている人民たちは、先進諸国のプロレタリア-トとソヴェト権力の助けによって、資本主義の『段階』を回避(bypass)して、直接に社会主義へと進みうる(might)だろう、と。
 (じつに、このことがなければ、ロシア帝国に属する数ダースの未開部族や小数民族対してソヴィエトの国家権力を行使するのを正当化するのは困難だっただろう。)//
 そうして、レーニンは、『経済的な成熟性』にではなく、もっぱら革命的な情勢の存在にのみ、関心をもった。
 1915年の論文『第二インターナショナルの崩壊』で、この情勢の主要な特徴を、つぎのように明確にした。
 (1) 『低層階級の者』が従来どおりに『生活するのを望まない』だけではきわめて不十分だ。『上層階級の者』が従来どおりに『生活するのができない』ことがまた必要だ。
 (2) 被抑圧階級の苦痛と欲求が、尋常でない程に高くなること。
 (3) 『上記のことの結果として、自立した歴史的活動に自ら加わろうとする<中略>大衆の活動力が著しく増大すること』。
 しかし、『すべての革命的情勢が革命を生み出すとは限らない。
 革命は、上述の客観的な変化が主体的な変化を伴なう情勢からはじめて発生する。この主体的変化とは、革命的階級が古い統治を破壊するか揺るがすかするに足りるほどに強い革命的大衆活動を行う、という能力のことだ。』(+)
 (全集21巻p.213-4〔=日本語版全集21巻208-9頁〕。)//
 レーニンが叙述した状勢は戦争時に、とくに軍事的な敗北の際に発生しそうだ、というのが容易に見てとれる。
 このことから、彼は怒った。資本主義は戦争を回避し、そしておそらくは革命的情勢が発生する機会を排除するだろうとの見解に対して。
 かくしてまた、革命家たちは帝国主義戦争で自分たちの国が敗北するのを狙い、そしてそれを国内の戦争(内戦)に転化させるべきだ、とのレーニンの欲望も、生じる。//
 レーニンが政治権力の問題に頭を完全に奪われていたことは、つぎのことを意味した。すなわち、いわゆる『ブルジョア的平和主義』のいかなる痕跡からも完璧に自由な、唯一の社会民主党の指導者だった。-彼にとって、この『ブルジョア的平和主義』というのは、資本主義の革命的廃棄なくして戦争を放棄したいという希望であり、戦争が勃発したならば国際法の方法でそれを終わらせようという試みだ。
 ブルジョア的平和主義の兆候は、戦争の階級的性格を無視して、侵略(aggression)という観念(concept)を用いることだった。
 戦争は、国家の用語法によってではなく、階級の用語法で理解されるべきものだ。戦争は二つの国家組織体の衝突ではなく、階級の利害の産物だ。
 レーニンはしばしば、クラウセヴィツがこう述べたのを引用した。『戦争とは、別の手段による政治の継続にすぎない』。
 そして、この格言によって、ナポレオン時代のプロイセンの将軍〔クラウセヴィツ-秋月〕は『戦争に言及する弁証法の主要命題』を定式化したとされた(同上、p.219〔=全集21巻214-5頁〕。)(+)
 戦争とは、階級利害を原因とする対立の宣告だ。この対立を解消する戦争的手段と平和的手段との違いは、純粋に技術上のもので、この違いに政治的な意味合いはない。
 戦争は『たんに』、別の時代にはそれによらないで目標を達成できた手段であり、階級の利害とは別の、特別の道徳的または政治的な性質を持たない。
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 (+) 日本語版全集を参考にして、ある程度は訳を変更した。
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 段落の中途だが、ここで区切る。③へと、つづく。

1427/保守とは何か-月刊正論編集部(産経)の<欺瞞>。

 一 何となく現在の日本の基本思潮・政治思想の4分類を思い浮かべていたときだったことにもよるが、月刊正論3月号(産経)によるたった一頁のマップを素材に、いろいろなことが書けるものだ。
 本当はもはや広義での<保守>(反共産主義)内部での分類や対立・論争に、あまり興味はない。昨年2016年4月のこの欄で書いたように、日本の<保守>というものに、うんざり・げんなりしているからだ(だからといって勿論、<反共産主義(・「自由」)>の考え方を捨てているわけではない)。
 とはいえ、あらためて記しておきたいことがあるので、前回からさらに続ける。
 既に、月刊正論編集部のマップについて「笑わせる」、と書いたことにかかわる。
 二 反共産主義こそ保守だ、という見地に立って保守(反共産主義)か否かを分ければ、<保守>はかなり広く理解されることになる。そのかぎりで、<保守には、いろいろ(諸種・諸派が)あってよい>、ということになる。
 かなり緩やかな理解なのかもしれないが、総じてこの程度に理解しておかないと、<保守・ナショナル>だけでは、例えば憲法改正もおぼつかない。また、<保守・ナショナル>だけが、産経新聞・月刊正論の好きな自民党・安倍内閣を支えているわけではない(同内閣をより支えているのは、産経新聞のではなく、より読売新聞の読者たちだろう)。
 だが、かりに<日本の国益と日本人の名誉>を守るか守らないか、これに利するか反するか、という基準によって<保守>か<左翼>かを分けた場合、産経新聞主流派と月刊正論編集部は、間違いなく<左翼>だ
 すでに、月刊正論編集部が<自虐>に対する<自尊>派だと産経新聞を位置づけていることについて「笑わせる」と書いた。
 産経新聞主流派(阿比留某も)や月刊正論編集部の基調は、戦後70年安倍談話を基本的に支持・擁護しているからだ。
 例えば阿比留瑠比は最近(ネットで見たが)、2016年安倍談話・日韓最終合意文書に対する「感情的な反発」が理解できない、とか書いている。そのような主張こそが、私には理解できない。
 子細に立ち入るのは面倒だから、この欄ではそのまま全文(と英訳文)を掲載しておくにとどめたが、上記安倍談話の例えば以下は、村山談話・菅直人談話と同じ趣旨で、1931年~1945年の日本国家の行動を<悪いことをした>と反省し、謝罪するものではないか ? そして、従来の内閣の見解を今後も揺るぎないものとして継承する、と明言しているのではないのか ?。
 渡部昇一や櫻井よしこもそうだが、産経新聞社には、ふつうに日本語文の意味を理解できる者はいないのか。
 ①第一次大戦後の人々は「国際連盟を創設し、不戦条約を生み出し」、「戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれ」た。/「当初は、日本も足並みを揃え」たが、……「その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試み」た。「こうして、日本は、世界の大勢を見失ってい」った。
 ②「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となってい」った。「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行」った。
 ③「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはな」らない。
 ④「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」。「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」。/「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓」った。
 ⑤「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してき」た。…。/「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないもの」だ。
 いちいち立ち入らないが、④は、「事変、侵略、戦争」(・武力の威嚇や行使)、「植民地支配」は「もう二度と」しない、ということであり、つまりは、かつて、不当な「事変、侵略、戦争」や「植民地支配」をした、ということの自認ではないか。
 ⑤は、「先の大戦」の日本国家の行為について「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」することは、安倍晋三内閣の立場でもある、ということの明言ではないのか。
 「痛切な反省と心からのお詫び」とは、常識的に理解して<謝罪>を含むものではないのか。<悪いことをしました。強く反省して、詫びます>と安倍首相率いる安倍内閣は、日本社会党員の村山富市らと同様に明言したのだ。
 この言葉を、例えばいわゆるA級戦犯者や「英霊」は(かりに「霊魂」が存在するとすれば)、どういう気持ちで聞くと、阿比留某ら産経新聞社の幹部たちは想像するのか、ぜひ答えていただきたい。また、このようなかたちで国家・日本と国民・日本人の「歴史」観を公式に(内閣として)表明してよいのか、ぜひ答えていただきたい。これは、現在および将来の、日本国家・国民についての<歴史教育>や「国民精神」形成の内容にもかかわる、根本的な問題だ。
 レトリック的なものに救いを求めてはいけない。
 上記安倍談話は本体Aと飾りBから成るが、朝日新聞らはBの部分を批判して、Aの部分も真意か否か疑わしい、という書き方をした。
 産経新聞や月刊正論は、朝日新聞とは反対に、Bの部分を擁護し、かつAの部分を堂々と批判すべきだったのだ。 
上の二つの違いは、容易にわかるだろう。批判したからといって、朝日新聞と同じ主張をするわけではない。また、産経新聞がそうしたからといって、安倍内閣が倒れたとも思わない。
 安倍内閣をとにかく支持・擁護しなければならないという<政治的判断>を先行させたのが、産経新聞であり、月刊正論編集部だ。渡部昇一、櫻井よしこらも同じ。朝日新聞について「政治活動家団体・集団」と論難したことがあったが、かなりの程度、産経新聞もまた<政治活動家団体>だろう(当然に、読者数と売り上げを気にする「商業新聞」・「商業雑誌」でもある)。
 何が<自尊>派だ。「笑わせる」。そのような美しいものではない。
 短期的にも長期的にも、同安倍談話は、<日本の国益と日本人の名誉>を損ねた、と思われる。ついでにいえば、上の③のとくに女性への言及は、同年末の<日本軍の関与による慰安婦問題>について謝罪する、という趣旨の日韓合意の先取り的意味を持ったに違いない(そのように受け止められても仕方がない)ものだつた。
 これを批判できない産経新聞・月刊正論編集部がなぜ、上の限定的な意味での<保守>なのか。上に述べたかぎりでの論点では、明らかに、朝日新聞と同じく<左翼>だ。
 三 というわけで、月刊正論編集部によるマップの右上の記載は、全くの<欺瞞>だ。つまり<大ウソ>だ。
 マップの上に「保守の指標」として「反共」のほかに3つを書いているが、産経新聞・月刊正論編集部は、第三にいう「戦没者への慰霊」にならない安倍内閣談話を支持した。したがって、自らのいう「保守」ではない。
 また、第一の「伝統・歴史的連続性」とは何か。
 例えば、明治維新を支持・擁護する前提に立っているような<保守>論者が多く、櫻井よしこのごとくとくに「五箇条の御誓文」なるものの支持・擁護を明言する者もいるが、明治維新とは、「伝統・歴史的連続性」を保ったものと言えるのだろうか ? 江戸幕藩体制から見て<非連続>だからこそ「新しい」もので、教科書的には「五箇条の御誓文」はその新理念を宣明したものではなかったのだろうか ?  要するに、「歴史的連続性」とは何を意味させているつもりなのか。なお、日本の歴史は、明治維新から始まるのでは全くない。
 第二の「国家と共同体と家族」の意味も、詳細な説明がないと、厳密には不明瞭だ。
 例えば、渡部昇一や櫻井よしこにも尋ねたいものだが、「保守」だという産経新聞主流派や月刊正論編集部は、明治憲法期の、旧民法上の「家族」制度を復活させたいのだろうか。
 いやそのままではなく、基本的精神においてだというならば、「基本的精神」も不分明な言葉だが、簡単に「家族」と、編集部名で軽々しく記載しない方がよいと思われる。
 現憲法の婚姻関係条項をどのように改めるのか、さらに正確には、現民法の婚姻・家族条項(いわゆる「親族法」部分)をどのように改めるつもりなのかの草案またはイメージくらいは用意して、「家族」について語るべきだろう。このことは、たんに現憲法に「家族」という言葉がないこと等を批判しているだけだとも思われる、<保守>派にも、つまり渡部昇一や櫻井よしこらにもいえる。<精神論>・<観念論>だけでは役に立たない、ということを知るべきだ。
 四 無駄なことを書いてしまった、という気もする。だが、何かを表現しておかないと、生きている徴(しるし)にならない。

1351/資料・史料ー安倍晋三首相・戦後70年談話。

 安倍晋三首相/戦後70年談話 2015.08.14
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 平成27年8月14日 内閣総理大臣談話

 [閣議決定]
 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
 そして七十年前。日本は、敗戦しました。
 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 平成二十七年八月十四日
 内閣総理大臣  安倍 晋三
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1318/政治・歴史・個人01。

 歴史(認識)と政治の関係について、いっとき考えた。
 結論は、第一、なるほど政治的目的をもって(この中には外交目的も含む)適切とはいえない歴史認識を示すことによって政治・外交がうまくいけばそれでよいと、現実的なまたは当面する政治目的を優先させてよいとする考え方もあるのかもしれない。
 だが、しかし、第二に、いくら例えば外交の相手方(国)を喜ばすことによって当面の政治的目的を達成したとしても、当面のそれのために、正しい、あるいは客観的に合理的な歴史認識を汚してしまうことは、長期的に見ても、日本国家のためにはならない、というごくふつうのものだった。
 少なくともその誤った歴史認識にもとづいて日本国家が過去を謝罪し、<日本は悪いことをしました>と認めるようなものであるならば。
 そしてとりわけ、それが国家を代表して内閣の長たる内閣総理大臣によって明言されるとすれば。
 安倍晋三首相は、昨年(2015年・平成27年)8月、そして12月、いったい何のために誤りを含む歴史認識を示してしまったのだろう。秋月瑛二はうんざりしてますます憂鬱になっている。こんな歴史理解をする政権のもとで、自分は生き、そしてやがて死んでいかなければならないのか。
 憂いは深い。ひどくいやな時代だ。

1210/江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾(展転社、2012)の第一章・第一節の1。

 江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾/迫り来る反日包囲網の正体を暴く(展転社、2012)の「第一章・知られざる反日国際ネットワークの実態」の「第一節・中国共産党と国際反日ネットワーク」(p.14-47)を要約的に紹介する。この本は先月末か今月初めに読了している。

 アメリカでの慰安婦問題を利用した「反日」運動については、古森義久が産経新聞8/31付の「緯度経度」欄で、「米国にいる日本攻撃の主役」と題して、基本的なことは明らかにしている。
 古森の文章によると、「韓国ロビー」→「カリフォルニア州韓国系米国人フォーラム(KAFC)」のような新参団体が表面に出るだけだったが、「真の主役」は、「中国系在米反日組織の『世界抗日戦争史実維護連合会』(抗日連合会)」だった。米国各地での「慰安婦像」設置を「今後も推進する」と宣言しているらしい。また、「抗日連合会の創設者で現副会長のイグナシアス・ディン氏」は、「慰安婦像に関する中国共産党直轄の英字紙『チャイナ・デーリー』の長文記事で、設置運動の最高責任者のように描かれていた」。「米国下院の2007年の慰安婦決議も抗日連合会が最初から最後まで最大の推進役だった」、等々。

 上記団体は中国共産党と親近的な関係にあるらしいことが重要だろう。

 さて、江崎道朗著の上記部分は月刊正論2005年7月号掲載論考の改題・大幅加筆修正らしいが、古森のものよりも詳しい。

 「日本の戦争責任」をむし返し、「日本に謝罪と補償を求める」在米中国人グループは1987年に「対日索賠中華同胞会」準備会を結成し、1991年3月に正式結成した。主目的は「対日賠償請求運動」の盛り上げだったが、同月に「南京大虐殺」に絞った政治団体・「紀念南京大屠殺受難同胞連合会」も結成した。

 上はニューヨークを中心にしていたが、中国系が多いカリフォルニアにも飛び火し、1992年5月に(古森義久が上記記事で言及していた)「抗日戦争史実維護会」が結成された。その目的は江崎が「」付きで引用しているところによると、つぎのとおり。

 「大戦中の近隣諸国に対する日本の残酷な暴行の事実を日本政府に認めさせ、中国人民に謝罪し、その犠牲者と家族にふさわしい補償を実施させる。更にまた、日本が再び不当な侵略行動を開始することを阻止するために、アメリカ、中国、日本その他の諸国で、過去の日本の侵略に対する批判が高まるよう国際世論を喚起すること」。

 この「抗日戦争史実維護会」は1994年6月に他7団体とともに「全米華人の天皇への抗議と賠償請求公開書簡」を発表した(内容はここでは省略)。江崎の表現によると、彼らの「日中友好」とは、「日本が一方的に譲歩して賠償」をし、「日本の侵略を伝える歴史資料館を建て、今後、永久に中国の属国であり続けることを、日本が中国に誓う」ことを意味する。

 上の公開書簡以来中国系反日団体は統一行動をとるようになり、1994年9月にはワシントン・スミソニアン博物館の原爆展計画に対して、日本が被害者であることだけが強調されているとして、「日本侵略史観に基づく原爆投下容認論」を議会請願し、「抗日戦争史実維護会」のメンバーの一人は元米国軍人の力も借りて、上記博物館の「企画展示委員」に選ばれた。

 香港でも1988年に「香港紀念抗日受難同胞連会」が結成され、近年のそのHPは「日本軍国主義による尖閣侵略」を非難している。この団体を母体に2003年、尖閣問題に特化した「保釣行動委員会」が設立され、2012年6月には「世界華人保釣連盟」を結成した。2012年8月に尖閣に上陸を強行した中国人はこの団体の中心的活動家。

 カナダでも中国系カナダ人を中心に「第二次大戦史実教育擁護協会」が結成された。この団体は1997年6月、韓国系・フィリピン系等のカナダ在住者団体とともに、「日本政府による歴史歪曲と検閲に対抗して戦っている家永教科書裁判に対する支援キャンペーン」を実施した。

 世界の30ほどの中国系・韓国系・日系団体が結集して1994年12月に(古森義久が上記記事で「主役」とした)「世界抗日戦争史実維護連合会」が結成された。この団体は、カリフォルニアでの1994年12月の「『南京大虐殺』五十七周年世界記念会議」を後援した。この会議には「活動家」である大学教授・ジャーナリスト・作家なと300人が参加した。そして、「日本人および日本政府への宣言」を採択した。その要求内容は少なくとも次の5項目。
 ①中国人民への公式謝罪の声明と(中国共産党・台湾両政府への)文書提出、②日本の歴史教科書の誤りを正す、③中国・日本に慰霊の記念碑を建て、事実を刻む、④全被害者への合理的補償、⑤関連公文書公開・「過去の日本軍閥の罪行を天下に明らかにする」。

 ようやく第一節の約半分に達した。こういう団体が、在米韓国人団体が表面には出るかもしれない「慰安婦像」設置運動を支持すること、実質的に「主役」になってしまうことは論を俟たないだろう。
 なお、たしか青山繁晴がテレビで述べていたと思うが、カリフォルニア州のサンフランシスコ市長とオークランド市長は、いずれも中国系らしい。
 後半についてはなおも続ける。<歴史をめぐる情報戦争>の真っ最中だという自覚・意識が日本人には必要だ(もちろん日本政府にも)。

1200/橋下徹慰安婦発言と産経新聞。

 橋下徹慰安婦発言に関連する産経新聞の記事をウェブ上で探してみた。

 〇5/28に、<「河野談話」の撤廃を求める緊急国民集会>が開かれた。先輩同胞が「女性を性奴隷にした、などという罪を着せられていることはもっとも屈辱的なこと」等の佐波優子発言はもっともなことだが、他にも興味深い発言がなされている。以下はごく一部。

 ・一色正春-「橋下さんの陰に隠れているが、正直な発言をして日本維新の会を除名された西村真悟代議士を救わねば、正直者がバカをみることになってしまう」。

 ・黄文雄-「橋下市長の発言には100%賛成。西村真悟先生の発言に関しては120%賛成だ」、慰安婦問題に関して「マスコミも政治家も偽善的だ」。

 〇5/23付の「直球&曲球」欄で宮嶋茂樹はこう書いている(もちろんかなり省略している)。

 「国会のセンセイ方。半年前の総選挙のときは、…、橋下徹・大阪市長にすり寄っとったのに、“落ち目”と見るや、韓国人や“ジェンダーフリー原理主義者”に、くみしてまで手のヒラ返すか」。「そもそも“従軍慰安婦”なるもんは、頼まれもせんのにどっかの新聞が、どこぞで見つけてきて作り上げた『強制連行された慰安婦』を日本まで連れてきたんや」。

 「日本の大新聞もこの問題、批判するんやったら、傘下に置くスポーツ紙はフーゾクの記事や広告を一切、載せたらアカンで」。

 産経新聞には「傘下に置くスポーツ紙」はなかっただろうか。いや産経は「大新聞」ではないか?

 〇政治部編集委員の阿比留瑠比は、5/16付で、秦郁彦の助けも借りながら、「橋下発言検証『大筋正しいものの舌足らず』」と題して、論点をつぎの4つに整理し、つぎのようにまとめている。

 ①強制連行-1997年3月に「当時の平林博内閣外政審議室長」が国会・委員会で「強制連行を直接示す政府資料は発見されていない」と答弁。第一次安倍内閣は2007年3月に「軍や官憲による強制連行を直接示す記述も見当たらなかった」とする答弁書を閣議決定。「橋下氏は政府の公式見解を述べたに等しい」。

 ②各国の慰安所-GHQ下の東京、ベトナム戦争時の米軍や韓国の慰安所の利用や管理からして、「橋下氏の『なぜ日本の慰安婦制度だけが取り上げられるのか』との問題意識はもっともだ」。

 ③侵略の定義-橋下は「学術上、定義がないのは安倍晋三首相が言われている通り」と発言したが、「第一次安倍内閣は平成18年10月、『『侵略戦争』について国際法上確立されたものとして定義されていない』とする答弁書を閣議決定」。

 ④風俗業の利用・慰安婦の「当時の」必要性-「真意はともかく、秦氏は『政治家なら内外情勢を勘案し、何か主張する際には裏付けとなる証拠を示すなどもっときめ細かな配慮をすべきだった』と指摘」。
 以上のように見ると、①~④のうち、橋下徹発言に問題がある(=批判されてしかるべき)可能性があったのは、④だけであることになる。

 しかして、産経新聞は、橋下徹発言について、肝心の「社説」上ではいかなる主張をしたのか。次回に扱う予定だ。

1197/六年半前と「慰安婦」問題は変わらず、むしろ悪化した。これでよいのか。

 この欄への書き込みを始めたのは2007年3/20で、第一次安倍晋三内閣のときだった。当初は毎日、しかも一日に3-6回もエントリーしているのは、別のブログサイトを二つ経てここに落ち着いたからで、それらに既に書いていたものをほとんど再掲したのただった。

 当時から6年半近く経過し、内閣は再び安倍晋三のもとにある。かつて安倍内閣という時代背景があったからこそ何かをブログとして書こうと思い立ったと思われるので、途中の空白を経て第二次安倍内閣が成立しているとは不思議な気もする。
 不思議に思わなくもないのは、定期購読する新聞や雑誌に変更はあっても、政治的立場、政治的感覚は、主観的には、6年半前とまったく変わっていない、ということだ。

 当時に書いたものを見てみると、2007年3/21に、「憲法改正の発議要件を2/3から1/2に変えるだけの案はどうか」という提案をしている(5回めのエントリー)。たまたま谷垣禎一総裁時代に作成された現在の自民党改憲案と同じであるのは面白い。但し、この案には、政治状況によっては、天皇条項の廃棄(「天皇制打倒」)も各議院議員の過半数で発議されてしまう、という危険性があることにも留意しておくべきだろう。

 同年3/25、16回めに、「米国下院慰安婦問題対日非難・首相謝罪要求決議を回避する方法はないのか!」と題して書き、同年4/12、63回めでは、「米国下院慰安婦決議案問題につき、日本は今どうすべきなのか?」と再び問題にしている。

 上の後者では、岡崎久彦や「決議案対策としての河野談話否定・批判は『戦術として賢明ではない』」等との古森義久の見解を紹介したあとで、「河野非難は先の楽しみにして、当面は『臥薪嘗胆』路線で行くしかないのだろうか。私自身はまだスッキリしていないが。」と書いている。
 この決議案は採択され、河野談話は否定されておらず、慰安婦問題という「歴史」問題は、まだ残ったままだ。残るだけではなく、さらに悪化している、とも言える。そして、「私自身はまだスッキリしていない」。今年の橋下徹発言とそれをめぐるあれこれの「騒ぎ」のような現象は、今後も間違いなく生じるだろう。

 急ぎ、慌てる必要はないとしても、自民党、安倍晋三内閣はこのまま放置したままではいけないのではないか。
 「歴史認識」問題を犠牲にしても憲法改正(九条改正)を優先すべきとの中西輝政意見もあるが、「歴史認識」問題には「慰安婦」にかかるものも含まれるのだろう。

 これを含む「歴史認識」問題について国民の過半数が一致する必要はなく、例えば<日本は侵略戦争という悪いことをした>と思っている国民も改憲に賛成の票を投じないと、憲法改正は実現できないだろう。

 しかし、河野談話や村山談話をそのまま生かしていれば、第二次安倍内閣は<固い保守層>の支持を失うに違いない。今のままで放置して、「臥薪嘗胆」路線で行くことが賢明だとは考えない。憲法改正を追求するとともに、河野談話・村山談話等についても何らかの「前進」措置を執ることが必要だと思われる。

1093/産経新聞と現憲法九条1項-「侵略」戦争のみを放棄。

 一 あらためて現憲法九条の解釈問題に触れる。
 というのは、産経新聞社の憲法九条関係の「専門」記者または論説委員の知識・勉強不足を、再び感じることがあったからだ。
 先月の2/05と2/20の二回、<芦田修正>にかかる石破茂と田中某防衛大臣のやりとりに関連したコメントを記した。
 そのときはあえて立ち入らなかったのだが、産経新聞の2/09社説「芦田修正/やはり9条改正が必要だ」には、九条1項と2項の関係についての、不思議な文章もあった。
 すなわち、「歴代内閣は自衛隊は『戦力』ではなく必要最小限度の『実力』とみなしてきたが、極めて分かりにくい解釈である。/芦田解釈を認めないまでも、このような考え方を政府は一部受け入れており、安全保障の専門家ですら合憲の根拠が奈辺にあるかを把握するのは容易でない。/戦後日本はこうした解釈により、『武力による威嚇又は武力の行使』の放棄と『陸海空軍その他の戦力』の不保持を規定する9条の下で自衛隊の存在について無理やりつじつまを合わせてきた」。
 「…政府は一部受け入れており」も、意味が不明だ。とくに
奇妙なのは最後の一文で、自衛隊に関して、1項の「武力による威嚇又は武力の行使」の放棄と2項の「陸海空軍その他の戦力」の不保持を「無理やりつじつまを合わせてきた」という説明の仕方は、私には趣旨が理解できない。自衛隊の存在は、九条1項とは関係がない、あるいはそれと抵触しておらず、もっぱら九条2項の「軍その他戦力」概念との関係が問題になるにすぎないからだ。
 1項は「戦争」放棄条項と称されることが多い。この社説の言うような、「武力による威嚇又は武力の行使」の放棄を少なくとも第一義的な目的としたものではない。そして、これと2項の矛盾?を「無理やりつじつまを合わせてきた」とはいったいいかなる意味なのだろうか、社説執筆者は憲法九条(1項と2項の関係も含む)の「政府解釈」をきちんと理解しているのだろうか、という疑問をもった。
 この点では、翌日の読売新聞社説の方がはるかにマシで、簡潔ながら要点をおさえていた。すなわち、「原案は9条1項で侵略戦争を放棄し、2項で戦力不保持を明記していた。2項の冒頭に「前項の目的を達するため」を挿入した。/これにより、自衛の目的であるならば、陸海空軍の戦力を持ち得るとする解釈論が後年、生まれることになる。/だが、政府解釈は、芦田修正を自衛隊合憲の根拠としてこなかった」。詳細にここで立ち入らないし、ある程度はのちに述べるが、この読売社説の文章は奇妙ではない。
 問題はおそらく、端的に言って、現憲法九条1項の理解にある。読売社説はすでに原案で「侵略戦争を放棄し」と書いているが、産経新聞においては、この点自体があやしい。すなわち、九条1項は「すべての」戦争を放棄していると、とりあえずは読んで(解釈して)しまっているのではないか。あるいは、表面的な字面に惑わされて、九条1項にいう「武力」概念と自衛隊の存在との間に問題がある、とでも安直に読んで(解釈して)いるのではないか。
 二 九条1項は自衛目的の戦争を含むいっさいの戦争(等)を放棄している、という理解(解釈)は憲法学者の中にもあるし、吉永小百合もまた、これを前提とする文章を、岩波書店刊行のブックレットに書いている。
 月刊WiLL4月号(ワック)の雑談話中の久保紘之も、ある意味では通俗的解釈については正確に、「前項の『戦争放棄』を補強して、そのために『戦力放棄』をすると読まれた」、芦田修正の含意は一部の者の「密教」となり、「民衆レベルでは『戦争も戦力も放棄』が顕教となっ」た、と語っている(p.100)。九条1項の意味や政府解釈等をどの程度正確に理解しているかは疑わしいが。
 また、産経新聞3/14付の投書欄には、「民衆」の一人の次のような主張が掲載された。じつは、この投書の内容を読んで、この文章を書きたくなった。
 投書者は、次のように言う。―自民党の憲法改正原案が「『国権の発動としての戦争を放棄する』との現行憲法第9条を維持している」のは残念だ、これを残すと「自衛のための戦争さえも」否定する根拠になりはしないか。現9条の「戦争放棄条項」を破棄すべきだ。
 こういう主張の投書を産経新聞が掲載したということはおそらく、投書欄担当者は<一理ある>と考えたからだろう。
 この投書者も(産経新聞の担当者も?)、9条の「戦争放棄条項」によって「すべての」・「いっさいの」(自衛戦争を含む)戦争が放棄されている、またはそのように解釈される可能性がある、ということを前提にしている。
 三 この欄にすでにいく度か書いてきたことなのだが、憲法学界の「通説」らしきもの、及び「政府解釈」をいちおうはきちんと知っておく必要があるだろう。
 現在の東京大学の憲法学教授・長谷部恭男の教科書はつぎのように叙述している。-9条1項について「通説は主として国際法上の慣用に基づいて、『国際紛争を解決する手段として』の戦争、〔…武力威嚇・武力行使〕の放棄は、侵略目的による戦争〔等〕の放棄を意味するにとどまるとする」(第4版、p.61)。
 ここにいう「国際法上の慣用」を含めて、現役教授4名による現憲法注釈書である別の本は次のように書いている。-「通説によれば、九条一項が『国際紛争を解決する手段としては』永久に放棄するとした戦争は、一九二八年の不戦条約が『国際紛争解決ノ為戦争に訴フルコトヲ非トシ』て放棄した『…戦争』を意味する」、従って「少なくとも」「自衛戦争・自衛行動や軍事的制裁措置までは放棄していないということになる」(高見勝利執筆、同ら・憲法Ⅰ第4版(有斐閣、2006)p.165)。
 これらにいう「通説」と(憲法制定時は別としても)警察予備隊や自衛隊設置等のあった一九五〇年代以降の「政府解釈」とは同じだ、と理解して差し支えない。なお、かつての宮澤俊義や現在の樋口陽一は「すべての」戦争放棄と解釈した、または解釈したがっているので、「通説」と同じではない。
 以上のように、九条1項におけるキーワードは「国権の発動としての戦争」ではなく(これは「戦争」と同義かほとんど等しい)、「国際紛争を解決する手段としては」にある。そして、この語句による<限定>があるがゆえに、自衛戦争(自衛のための戦争)を九条1項は放棄(否認)していない、とするのが学界の「通説」であり(といっても厳密には諸説があるのだが、上の二著はあえて「通説」と言い切っているので従っておく)、「政府解釈」でもある。
 ではなぜ「自衛(目的の)戦争」も否定されるかというと、それは九条2項の存在による。すなわち、1項のみでは「自衛戦争」は否定されていないが、2項によって「…軍その他の戦力」の不保持が明記されているために、自衛目的であれ「戦争」を行うための「戦力」を保持できず、従って「自衛戦争」を行うことが実際には不可能だ(否定されている)、ということにになっているのだ。

 <芦田修正>の語句は、結果としてはまたは実質的には無視されて解釈されている、と言ってよいと思われる(この点は詳論を要するが、省略する)。そして最近に書いたことを繰り返せば、「自衛」のための「戦力」も保持できないが、自衛権はあり、「自衛」のための最小限度の<実力行使>はできる、そのための組織が(「戦力」ではない)自衛隊だ、ということに、「政府解釈」によれば、なっている。
 国民・「民衆」レベルで、「国際紛争を解決する手段としては」という語句に着目することを期待するのは無理かもしれない。しかし、天下の大新聞?・産経新聞の社説等の執筆者あたりだと、上の程度くらいの知識を持っておくべきだろう。アホ丸出しとまでは書かないが、産経新聞2/09社説は、上のような趣旨を理解して書かれたのだろうか。また、3/14の投書欄担当者は、上のようなことを理解したうえで、一読者の投書を掲載しているのだろうか。
 四 数年前に桝添要一が責任者またはまとめ役となって作成された自由民主党の改憲案においても、現憲法九条1項はそのまま残されていた。現九条2項は削除され、現在の九条1項が「九条」全体に変わり、そのうえで、新たに「九条の二」が設けられて「自衛軍」の保持が明記されていた。今回の自民党の憲法改正原案もまた、これを継承していると考えられる。
 すなわち、<侵略戦争>はしない(放棄する)、という意味で、(自民党においてすら?)現九条1項はそのまま残されるのだ。
 この点を正確に理解したうえで、改憲案に関する報道もなされるべきだろう。
 すでにこう書いたことがある―「九条を考える会」という呼称はゴマカシだ、正確に<九条2項を考える(護持する)会>と名乗るべきだ、と。岩波書店あたりを実質的に事務局としていると推察される「九条を考える会」は(むろん奥平康弘という憲法学者を含む呼びかけ人たちは)、上のような「通説」や「政府見解(解釈)」を知っているにもかかわらず、九条1項の意味をあえて曖昧にし、九条1項がすでに「すべての」戦争を放棄し、そのための具体的な手段として九条2項がある、という(九条1項だけですでに「戦争」一般が放棄されているという)通俗的な、「民衆」レベルでの<美しい?誤解>によりかかって、会の名称とし、運動をしているのだ。
 改憲政党の自民党ですら、現九条全体の破棄・削除を主張しているのではない。改憲政党の自民党ですら?「侵略戦争」を是としているのではない。自民党が主張しているのは、現九条の全体ではなく、後半・2項の削除(と「自衛戦争」可能な自衛軍保持の明記)だ。少なくとも大手新聞社の憲法担当の関係者は、この程度のことは<常識として>知っておくべきだろう。
 産経新聞には、古森義久、黒田勝弘、湯浅博等々の、「正論」欄メンバー以上に博学でかつ現実的な議論のできそうな人物が少なからずいることを知っている。それにしては、憲法あるいは憲法九条関係の記事は、どうもあやしく、お粗末であるような気がする。
 投書者に責任はないだろう。だが、上のような投書を投書欄の最右翼に掲げる感覚は、必ずしも適切ではないように思われる。現憲法九条の解釈論議をまき起こしたいという趣旨ならば理解できなくはないが、自民党の改憲原案への疑問としては正鵠を射ていない。産経新聞社には、憲法九条を含む憲法諸条項の「政府解釈」(多くは内閣法制局見解)をまとめた本(刊行されている)や少しは分厚い憲法の注釈書・教科書のいく冊かも置かれていないのだろうか。そうであるとすれば、まことに空怖ろしい。
 お分かりかな? 産経新聞社の関係者のみなさん。一ブロガーにこんな書き方をされるとは、少しは恥ずかしいのではないか?

0782/資料・史料-2006.08.13「戦争責任」朝日新聞社説。

 資料・史料-2006.08.13「戦争責任」朝日新聞社説

 平成18年8月13日
//朝日新聞社説
  「「侵略」と「責任」見据えて 親子で戦争を考える
 「日本は侵略戦争をしたの?」「A級戦犯って、なあに?」「首相が靖国神社に参拝すると、なぜ問題になるの?」
 子供に問われ、困っているお父さん、お母さんも多いことだろう。
 戦後61年の夏。今や親も子も戦争を直接には知らない。しかし、戦争の体験がないからこそ、わだかまりなく歴史を見つめることもできる。
 日本の敗戦で終わった、あの戦争は何だったのか。その責任は、だれにあるのか。いろいろな本を手がかりに、親子で語り合ってみてはどうか。

 ●満州事変から泥沼へ
 最近は、左右のイデオロギーにとらわれずに戦争を直視する本が目につく。
 たとえば、評論家の松本健一さんの「日本の失敗」(岩波現代文庫)という本がある。1945年の敗戦に至るいきさつを豊富な資料で追っている。
 日本は明治維新の後、日清、日露の戦争に勝つ。朝鮮半島を植民地にし、中国に進出していく。
 15年近くも続く泥沼の戦争の始まりになったのは、日本軍が仕掛けた31年の満州事変だ。日本は現在の中国東北部にあたる満州を占領し、満州国を建てる。37年からは中国と全面戦争に入った。
 松本さんは、日本が第1次大戦中に中国への野心をむきだしにした「21カ条の要求」が転機だったと見る。米国との対立も深まり、41年に日本は「自存自衛」と「アジア解放」を掲げて、米英などとの「大東亜戦争」に踏み切った。これが戦後、「太平洋戦争」と呼ばれる。
 日本のアジアへの侵略だったのか、自衛の戦争だったのか。今も論争が続いているところだ。
 朝日新聞の4月の世論調査で、あの戦争の性格を聞いたところ、「侵略戦争」という答えが31%、「自衛戦争」が7%、「両方の面がある」が45%だった。両面性があるにせよ、侵略性を重視する人が多いということだろう。
 「大東亜戦争」は、中国への侵略戦争の延長・拡大だった。そうとらえる松本さんは「満州事変が世界戦争の序曲の役割を果たしたのは、それがまぎれもなく『侵略』であったからだ」と書く。
 私たちも同感だ。あの戦争で日本人は300万人、アジアで2千万人が亡くなったといわれる。日本の侵略を認め、それがもたらした惨状を見つめるところからしか、「戦後」は始まらない。

 ●大きかった戦争への憎悪
 こうした侵略戦争の罪を問うたのが、極東国際軍事裁判(東京裁判)だった。A級戦犯のうち、太平洋戦争を始めた東条英機元首相ら7人が絞首刑になった。
 東京裁判は、勝者の一方的な裁きだった。東条元首相らが問われた「平和に対する罪」は、終戦直前に戦勝国が定めたものだ。そうした問題はいくつもある。これをどう考えるか。
 作家の保阪正康さんは「昭和の戦争を読み解く」(中公文庫)で「勝者が裁くとはこういうことか、なるほど西洋文明とはこういう形の裁きを行うのか、と私たちは冷徹に見ればいい」と書いた。その上で、「六十年を経て改めて、あの時代と関わった国民一人一人が政治・軍事の裁判を行ってみたらどうだろうかと提言したいほどである」とつづる。
 もし日本人が自ら終戦直後に裁判をやっていたら、どうなっていたか。ベストセラーになった「昭和史」に続く「昭和史 戦後篇」(平凡社)で、作家の半藤一利さんはそう自問し、「もっとずっと多くの死刑判決が出たでしょう」と答えている。それほど戦争に対する悲惨な思いや憎悪が大きかったというのである。
 いま戦争責任を改めて問えば、どうなるだろうか。
 まず、罪の軽重はともかく、A級戦犯になった人たちの責任は免れまい。軍人や政治家として、中国を侵略し、その延長上に、無謀な太平洋戦争を進めた。その結果がおびただしい犠牲である。
 軍人ではほかに責任を問われるべき人もたくさんいるだろう。たとえば、満州事変を起こした中心人物だった石原莞爾元参謀らである。
 政治家では、軍人以外でただ一人死刑になった広田弘毅元首相よりも、日中戦争を始めた時の近衛文麿首相の方が、責任が重いのではないか。2度も首相を務め、戦争の拡大を防がなかった。戦犯容疑者になって服毒自殺したため、本人の貴重な言葉が法廷で語られなかったのは残念なことだった。

 ●天皇や新聞の責任
 実質的な権限はともあれ、昭和天皇は陸海軍を統帥し、「皇軍」の兵士を戦場に送り出した。終戦直後、何らかの責任を問う声があったのは当然だが、東京裁判には出廷さえ求められなかった。その権威が戦後の統治に必要だと米国が考えたからである。
 だからこそ、天皇は戦後の新憲法のもと、平和国家の象徴として生きることを重い任務として自らに課したのだろう。
 新聞も戦争をあおった責任を忘れてはいけない。失敗を再び繰り返さないことで罪を償うしかないと考えている。
 過去の歴史を素直に学べば、おのずと答えは出てくるはずだ。そんな共同作業を現代の親子に勧めたい。//

 *ひとくちコメント-「朝日新聞の4月の世論調査で、あの戦争の性格を聞いたところ、『侵略戦争』という答えが31%、『自衛戦争』が7%、『両方の面がある』が45%だった」とする。この叙述(・数字)はいわゆる<村山談話>が示す「(あの)戦争」観を国民の過半数が支持していないことを実質的には意味すると考えられるが、この社説より二年余り後、田母神俊雄論文の内容につき、朝日新聞社説は「ゆがんだ考え」と断定し、そんな考えの持ち主が「自衛隊組織のトップにいたとは。驚き、あきれ、そして心胆が寒くなる…」と書いた(次回に掲載)。

0627/黄文雄・「日中戦争」は侵略ではなかった(ワック)の旧版、小林よしのり・パール真論(小学館)等。

 2008年秋の読書メモ。
 〇占領期以降に関心を限定しないと知力?が耐えられないので戦争自体や戦時中のことには興味をあえて向けないようにしている。だが、たまたま9月くらいに最初の一部を読んでしまったため読了しようと読み続け、
読了したのは田母神俊雄論文に関する報道の直前か、直後。偶然としかいいようがない。
 黄文雄・日中戦争知られざる真実-中国人はなぜ自力で内戦を収拾できなかったのか(光文社、2002)だ。
 この本の「新版」にあたり、章の構成は違うが中身は全く又はほとんど同じなのが、黄文雄・「日中戦争」は侵略ではなかった(ワック、2005)。こちらも所持しているが、上の旧版の本を読んだ。
 内容の紹介は省略する。<「日中戦争」は侵略ではなかった>という新タイトルで結論的趣旨は明らかだろう。
 当時に中国(清→中華民国)という一つの統一国家・政権があり中国人というまとまりのある「国民」がいた、という錯覚に陥っている人も現在の日本には多いと思うが、少なくとも国民党・蒋介石、共産党・毛沢東、(時期にもよるが)親日・汪兆銘(汪精衛)という3つぐらいの「権力」があって<内戦>をしていた、ということがよく分かる。
 また、この当時(「日中戦争」の時期)に日本軍が大陸にいたこと自体をすでに<侵略>の証左と感じ、それを「常識」視しているような(馬鹿馬鹿しい)日本人もひょっとして多いのではないかと危惧するが、日本軍の「満州」駐在にせよ、上海(租界地区)駐留にせよ、当時は条約等にもとづく全くの合法的なものだったことを(あえてこんなことを書かなければならないことこそ悲しいが)確認しておく必要がある(ちなみに、<侵略>戦争・行為が<違法>だということが当時において国際法上<確定していた>とも言えない)。
 〇先月になって、50頁ほど読んで(傍線という、読んだ痕跡が初めの方にあった)、中途で放ったまま読了していないことに気づいたのが、佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)。
 さらに読み進めているが、読了はまだ。すでに最近に何点かについては言及した。だが、既読の範囲内でもこの欄で紹介・言及していない興味深い叙述は多い。今後この欄でも触れていきたいものの、時間・エネルギーとの兼ね合いがむつかしい(すなわち、ここに書いているくらいなら、読み進めた方が個人的には意味がある、時間的パフォーマンスは高い、とも感じる)。
 〇ずっと前に「要約・解題」を目的とする文章部分のみを残して読んで(見て)しまい、その後、気儘に読んでいたのが、小林よしのり・パール真論(小学館、2008・06)の上記「要約・解題」部分である同書21章「解題・パール判決書」。
 第21章の計115頁のうち、時間的間隔を空けつつ、昨日の夜までに76頁分(p.311あたりまで)を読み終えた。
 この本は貴重な・重要な歴史的意味があるように思う。そして、第21章は「パール判決書の全体を要約・解題」(p.236)したもの。この点はちっとも悪くはないが、「要約」と「解題」のいずれであるのかが分からない又は分かりにくいと感じられる部分があるのが玉に傷だ。別途、両者を明確に区別して、「要約」のみの文章のあとにまとめて「解題」を付す、又は「要約」中に番号を付して「解題」的注記を挿んでいく、日本語文だけの(つまりマンガ部分のない)本を出版したらどうか。
 それにしても、所謂「東京裁判」判決は日本国家にとって(良きにつけ悪しきにつけ)重要なものの筈であるにもかかわらず、多数意見も含めて(さらには「起訴」の文章も付いているとなおよいが)、日本の外務省あたりは、この「判決」の公式の翻訳書(日本語文書)を作成していないのだろうか。だとすればきわめて不思議で、奇妙だ。
 きちんとした翻訳書(日本語文書)があれば、ややこしい英文を見なくとも容易に内容は分かるはずだろう。パール「判決書」につき、民間の研究会による、「東京裁判史観」に毒されたような解説付きの、小林によれば誤訳も多い翻訳本しかない、という状態は(本当にそうだとすれば)きわめて異常だ。
 戦後史アカデミズムというものがあるとすれば、共同作業でよいから、所謂「東京裁判」判決(パール「反対意見」書その他の個別「意見」書を含む。できれば「起訴」(訴因)の文章も)の全文を可能なかぎり正確に邦訳し、本にまとめてほしい。元来は国・外務省がしておくべき作業の筈だと思われるのだが。
 雑誌論文も含めてまだ「読書メモ」の対象はあるが、今回はここまで。

0265/2/27君が代伴奏命令拒否懲戒処分取消訴訟最高裁判決。

 やや旧聞だが今年2/27、君が代伴奏命令拒否懲戒処分取消訴訟で東京都側の勝訴が確定した。最高裁判決を支持したい。この判決に関しても、関心を惹くことはある。
 1.原告音楽教諭は「君が代は、過去の日本のアジア侵略と密接に結びついて」いると考えているらしい。簡単に「過去の日本のアジア侵略」と理解してよいのか、いつから「侵略」になったのか既に満州事変からかさらに日清・日露戦争もそうだったのか、原告はきちんと理解しているのだろうか。始まりの時点に誤りがあれば、またそもそも全体として「アジア侵略」と称し得ないものであれば、原告が前提とする理解・歴史認識自体が誤りであることになる。
 2.かりに1.の前提が正しいと仮定して、そのことと君が代とがどういう関係があるのか。君が代が「アジア侵略」と「密接に結びついている」という感覚は、前者が後者の象徴として用いられたということなのだろうが、理解し難い。読売の要旨によると藤田宙靖裁判官は「君が代に対する評価に関し、国民の中に大きな分かれが存在する」と書いたらしいが、かかる認識は妥当だろうか。かりにそうだとしても、国民代表議会制定の法律によって国歌を君が代と明定していることとの関係はどうなるのか。擬制でも、国民の多数は君が代を国歌と見なしていると理解すべきではないのか。過去の歴史を持ち出せばとても現在の国歌たりえないものは外国にもいくらでもありそうだ。
 ともあれ、原告は戦後の悪しき歴史教育の、あるいは「一部の教師集団が政治運動として反「国旗・国歌」思想を教員現場に持ち込んできたこと」(読売社説)の犠牲者・被害者だともいえる。その意味では実名は出ていないが気の毒な気もする(尤も、仲間に反「国旗・国歌」思想を吹き込む積極的な活動家だったかもしれないが)。
 3.判決は学習指導要領を根拠にしており、従って私立学校についても今回の判決はあてはまりそうだが、公務員であることを理由とする部分は私立学校教員にはそうではない。懲戒処分取消訴訟という行政訴訟の形もとらないはずで、私立の場合はどうなるのかは気になる。但し、学校長の命令が特定の歴史観・世界観を否定したり強要するものではないとする部分は私立学校の場合でも同じはずで、命令拒否を理由とする何らかの懲戒は私学でも許されることになるように思われる。尤も、これも採用又は雇用時点での契約にどう書かれるのかによるのかもしれない。
 60年以上前のことで多大のエネルギーを司法界も使っている。南京事件も「慰安婦」問題も一体何年前の出来事なのか。今だに引き摺っているとは情けないし、痛憤の思いもする。

ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
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  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
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  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
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  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
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  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
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  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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