産経4/11の文化面に佐々木徹という追手門学院大学教授の「三島由紀夫と司馬遼太郎-二人の作家の現代への遺言」との一文が載っている。
 3月から読売に加えて産経も毎日講読し始めたのだが、産経にはけっこうよい記事がある。読売・朝日の数分の一しか読者がいない小さな全国紙になってしまているのは惜しいことだ。上の一文も、切り抜いて残しておいたものだ。
 三島由紀夫(1925-70)と司馬遼太郎(1923-96)は没年はだいぶ違うが、生年は2年しか変わらず、同時代人(大正末生まれ)だった。
 ここでは三島由紀夫にのみ言及するが、1970年11月15日の自決の際の「檄文」は-私は当時は恥ずかしくもまともに読んでおらず、その意味を考察することもなかったのだが-改めて、何度も何度も想起されてよいものだ、と考える。佐々木氏が引用してはいないが、その一部を私なりに番号を振って引用すると、こうだった。
 1.「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった」。
 2.「法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである」。
 3.「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」。
 1.の前半の言辞には共感を覚えるところがある。重複するが、まさしく、「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た」のではなかったかのだろうか。
 さらに後段も当時では鋭い指摘ではなかったか―「政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆく…」。
 また、佐々木氏は要旨のみを紹介しているが、三島は、1970年の07.07の産経新聞に「私の中の25年」と題する、後からみれば遺稿的な文章を書いていた。その中には、次の文章もあった。とくに第三文は、かなり有名だと思われる(三島由紀夫・文化防衛論(ちくま文庫、2006)の中に所収)。
 「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなってきているのである」。
 さらに、佐々木氏によれば、1966年に三島はテレビ・インタビューに対してこう答えた、という。
 「人間の生命は不思議なもので、自分のためだけに生き、自分のためにだけに死ねるほど、人間は強くない」。
 そして、次は佐々木氏自身の文章だ。-三島は「自分を超える大義あるいは理想」について語った。「戦後民主主義の教育は自分を第一とするように教えてきたが、その結果、ニートのような生命力の減退、肉親殺害にまでいたる自己主張をもたらした」。
 戦後あるいは「戦後民主主義」の総括、そして「戦後体制(レジーム)からの脱却」はやはり必要だと感じている。