遠藤浩一や稲田朋美が1カ月前あたりからすでに明確に主張しているように、また産経7/16の自民党・伊吹文明インタビュー記事も前提としているだろうように、総選挙実施が物理的・事務的に可能になった段階で、すみやかに総選挙(その前にいずれかの内閣による衆議院解散)を行えるように準備すべきだ。
産経7/16社説が明言するように、菅直人の発言は「日本の最高指導者の発言として、あまりに軽く、国の統治を任せることはできない」。「閣僚とも調整せず、唐突にかつ独断で基本政策を変えることは、首相としての資質が欠落していると断じざるを得ない」。
菅直人の地位の正当性(・正統性)の淵源は2009年総選挙の結果にあるが、それによる衆議院の構成(・民主党の占拠比率等)が現在の<民意>と乖離していることは明々白々だ。表面的・建前的な<民主主義>論を採用してすら、実質的には、すでに菅直人の地位の正統性(・正当性)はなくなっていると見るべきだ。
朝日新聞の社説子は忘れているか、忘れているフリをしているだろうから、1年前頃の同紙の社説をあらためて引用または紹介しておこう。見事に、<(総選挙を通じた)民意>を重視していたのだ。
2010年6/02(鳩山由紀夫辞任表明直前)―
「昨年の政権交代の大義は、…首相の座を『たらい回し』してきた自民党政治との決別」だった。「政治の質を根本的に変える試みの意義は大きい」。「そうした政治の流れから誕生した首相を退陣させようというのなら、早期に衆院解散・総選挙を実施し、有権者に再び政権選択を求めるべきではないか。それなしに『たらい回し』に走るのは、民主党の自己否定に等しい」。
翌日6/03の社説(鳩山辞任表明後)―
「歴史的な政権交代の意義を無駄にはできない。今回のダブル辞任が『平成維新』の出直しに資するなら、必要な通過点だと考えるべきだろう。/問題はすべてこれからである」。新内閣は「…一定の判断材料を国民に示したうえ、なるべく早く解散・総選挙をし、信を問うのが筋である」。
上の二つの間にある矛盾とそれを隠蔽しようとする姑息さには一年前に触れたので、もはや繰り返さない。
上の二つで何とか共通しているのは、<解散・総選挙>の必要性の主張だ。
上の6/03の社説にいう「なるべく早く」という朝日新聞の主張はその後いったいどうなったのか?という疑問は当然に湧く。いちおうは昨年6月3日にはこう言っておきながら、菅内閣の支持率が(とくに尖閣問題発生の昨秋以降)下落傾向にあったためか?、朝日新聞は再び<解散・総選挙>の必要性を説くことはなくなった。
皮肉を込めて言うのだが、朝日新聞よ、昨年の6月初めの<原点>に戻って、あらためて<民主主義(民意=総選挙重視)の旗手>ぶりを示してみたらどうか。
昨日に書いたことも併せてみて、あらためて、朝日新聞の<ご都合主義>、いいかげんさ、首尾一貫性のなさ(自分たちの望む政治情勢を実現するためにならば、論理的な一貫性などは無視する姿勢)を感じて、気持ち悪くなる。この、目的のためならば手段(>論理・主張・概念)はどのようにでも変え、どのようにでも選択する、という感覚は、「左翼」の、そしてコミュニスト(共産主義者)に独特のものでもある。