すでに誰かが池田信夫に「助言」しているだろうが、気になるのでこの欄でも記しておく。
 札幌地裁805号法廷2022年5月31日判決について、池田は「泊原発の判決に欠けている『根拠法』」と題して、判決を「どんな法律を根拠とし、誰が北電の原子炉運転を止めるのだろうか」等と批判している。Agora 2022.05.31
 万人が、池田信夫ですら、あらゆる分野に通暁しているわけではないから、とくに非難する意図はない。ただ、少しは誤解を溶かしておきたい。
  これは一定範囲の近隣住民と私企業の間の(よくある)広義での「環境」訴訟で、民事訴訟だ。
 仔細を知らないまま、民事法の専門家でもないのに書くのだが、争点は北電の原子炉運転(継続?)が原告住民の「人格権」を侵害するか否かまたは「侵害するおそれ」があるか否かだ。
 ここでの「人格権」は民事上の差止請求の根拠とされている民事法上の権利で、池田が記す憲法13条を根拠とするものではない。強いて言えば、明文はなくとも、民法に根拠はあると思われる。
 差止請求の根拠として、①所有権等の物権、②人格権、③「環境権」が語られ得る。
 大阪国際空港訴訟で原告団が考案?したのが③だったが、当該事件の最高裁も含めて判例は認めず、①により難い(多くの)場合は、勝敗は別として、②による請求を許容するのが判例一般だと思われる。
  私人間の民事訴訟であるがゆえに、国や規制委員会が当事者として直接に登場していないのは当然だ(「参加」はあり得るが、していないのだろう)。
 また、人格権侵害(のおそれ)の存否が争点なのであり、原子炉規制法または原子炉規制委員会が作成している「基準」類に問題の原子炉(運転)が適合しているか否かは、<直接には>または<法的には>関係がない。
 このあたりは法科大学院の学生でも、初期には理解が容易でないかもしれない。
 この地裁判決は委員会の安全「基準」に言及しているが、これとの不適合性の認定から直接に結論を導いているわけではない(ということに法的にはなる)し、判決の「骨子・要旨」からもそのようには読めない。
 これは、隣人または周辺住民がある私人による建築物の建築工事の差止めを請求した民事訴訟で、建築基準法または同法の解釈等に関する国土交通省(・大臣)の「通達」類との適合性はどういう「法的」意味をもつか、と同じ問題だ。
 より一般的には、民事法と行政法の関係、さらに伝統的にはまたは少なくとも戦前的には、「私法と公法」の区別・関係、それぞれの役割分担の問題であり、簡単には説明し尽くせない。
 この地裁の裁判官たちは、委員会の安全「基準」類を、結論へと至る、または心証形成のための重要な<参考資料>として「利用」している気配はある(実質的な(!)「立証責任」の問題、または被告の「立証」しようとする姿勢がより大きい影響を与えている可能性はある)。だが、上記のとおり、<直接に>または<法的に>連結させているわけではない、はずだ。
 この「参考」または「利用」の仕方が、裁判官にとっても、微妙なところだろう。
  池田は「誰が北電の原子炉運転を止めるのだろうか」という疑問をもっていて、規制委員会以外にはない、との趣旨のようだ(たぶん)。
 事実行為としては、運転を停止するのは被告・北電で、被告にそれを命じたのが今回の判決だ(但し、第一審)。
 訴訟によって原告はそれを請求する権利があり、訴訟要件に問題がないかぎり(例えば、沖縄県民は本件訴訟の原告になり得るか?)、裁判所はその請求権の存否について判断する義務と権利がある。
 以上、リンクされている判決「骨子・要旨」もロクに読まないで急いで書いた。この地裁判決の結論への賛否は、ひとことも述べていない。
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