〇サピオ2/11・18号(小学館)。
<昭和天皇と私たち日本人の幸福な日々>という特集は、一気に読了。<昭和>を回顧・懐古することが無意味だとは思わないが、<今上天皇>のもとでの<私たち日本人の日々>はどうなのか、という問いかけ・懐疑、ひいては現在の天皇・皇室についての問題提起も含まれているような気がして(深読みかもしれないが)、編集意図がよく分からず、多少は気持ちが悪い。
西尾幹二が月刊WiLL3月号(ワック)にまた何か書いているが(概読はしている-この欄に批判的感想を書くかもしれない)、現在の天皇・皇室問題の焦点は(懐古し、あるいは天皇制の本質について思い巡らすのも大切だが)、現皇太子妃殿下・皇太子ご夫妻の言動等にあるのではない。悠仁親王以外に、現皇太子・秋篠宮殿下らの次の世代に男子親王がいないことをどうするのか、将来の皇統の安定的継承こそが問題で、雅子妃の個人的考え方、それに関係する現皇太子殿下の言動等ではない。現皇太子殿下か秋篠宮殿下かといった類の議論は、天皇制度の維持という点から見れば所詮は小さな問題だろう。
編集意図はよく分からないが、サピオの上記特集の個々の論考がつまらなかったわけでは全くない。
斎藤吉久は、宮内庁内に「厳格な政教分離の考え」がはびこったこと、宮内庁における「祭祀軽視」の蔓延が、宮中祭祀簡略化論に繋がっている、という(p.34)。
宮内庁官僚・職員も原則的には国家公務員法の適用をうける(公務員試験を通過してきた)公務員のはずで、そのような者たちは、天皇制度の伝統・歴史に関する適切な教育をほとんど全くしない<戦後民主主義教育>を受けてきたのだと思われる(反天皇・平等主義教育を受けてきた可能性もある)。
<戦後進歩(左翼)主義>は、日本国憲法の<政教分離原則>に関する「進歩(左翼)」的憲法解釈を通じて、宮内庁官僚にすら影響を及ぼしているのだ。
何度か書いたように、「宮中祭祀は皇室の私事」という<欺瞞>をいつまでも続けていくわけにはいかないのではないか。憲法解釈論としても、伝統・歴史の蓄積が付着しているはずの「世襲」「(象徴)天皇」制度の存在を現憲法が明確に肯定しているかぎりは。
石原信雄によると、「昭和天皇大喪の礼」の際、内閣法制局が憲法上の政教分離原則を持ち出して「国事行為を神道儀式では行えない」と強く主張したため(宮内庁は古式に則った神道儀式を主張したが)、天皇家の(私的な)神道形式による「葬場殿の儀」と政府の(公的な)「大喪の礼」は連続して行ったものの、後者では神道形式を外すために「鳥居と大真榊」をとり除いた、という。そして、その除去を「わずか数分」の間に行うために、鳥居の「柱の中身をくりぬい」ていた、という(p.39。おそらくは重量を少なくして速やかに撤去できるように)。こんなこと、初めて知った。
宮内庁よりも内閣法制局は日本国憲法の<政教分離原則>の「進歩(左翼)」的解釈をより強く採用しているわけだ。
内閣法制局の官僚たちは奇妙だとは思わなかったのだろうか。いや当時も「進歩(左翼)」的解釈を採る憲法学者が多かったはずだから、彼ら公務員だけの責任ではない。
歴史的に古代の昔から(小林よしのりは1300年という数字を前号で書いていたが、「天皇」制度の歴史は「天皇」という呼称がまだ使われていなかった(スメラノミコト?、オホキミ=大王?)時代も含めて実質的には1500年~1700年になるのではないか)<神道>形式の儀礼をしてきたのだとすると、そしてそのような歴史の付着した「世襲」「天皇」を現憲法もまた公的に承認しているのだとすると、日本国憲法の宗教関係条項は、そのことも考慮して、例えば天皇の「大喪」等(これらは憲法が国事行為の一つとして明記する「儀礼」なのではないか)には適用されない、という解釈が採用されるべきではないのか。
相当に思いつき程度で書いているが、基本的には、上のような解釈は成り立ちうる、と考える。天皇の祖先とされる天照大御神を祭神とし、皇位と密接不可分の「三種の神器」の一つである「鏡」の本体(本物)が所在する神宮(伊勢神宮)等に対する(に関する)天皇の諸行為についても同様だ。
あるいは、「宗教」関連行為であっても、憲法が禁じる「宗教的活動」(20条3項)ではない、と解釈してもよい。
天照大御神を祭神とするのは、強いて<宗教>という語を使えば、その一つと一応はされている<神道>ではある。もともと神道を仏教やキリスト教と同列の<宗教>と性格づけてよいのか、という問題もあるが、今回は立ち入らない。
小林よしのり「天皇論・第三章」。正月の皇居での所謂「一般参賀」が戦後の慣行であること、より正確には、昭和天皇が昭和20年に「皇居勤労奉仕団」の前に姿を現されたことがきっかけになって、昭和23年(1948年)に宮内庁が認めて公式に始まった、ということを初めて知った。一日5回でも多すぎるくらいではないか。今年は雅子妃殿下も全回同席されたのはよかった。
〇井上清・天皇の戦争責任(岩波現代文庫・井上清史論集4、2004)を全部読むつもりはなく入手している。
マルクス主義日本史学者・井上清(1913~2001、京都大学人文研教授・同名誉教授)による昭和天皇に「戦争責任」あり論と昭和天皇批判・罵倒が並んでいるようだ。
<責任>というからには「戦争」は悪いこと、間違っていたことという前提の肯定が必要なはずだが、その点の論証はなく、おそらく、あの戦争=「悪」・「誤謬」が不動の明瞭な(論じるまでもない)前提になっているのだろう。家永三郎・戦争責任(岩波書店、1985)も同様だが、かりにあの戦争=「悪」・「誤謬」ではなかったとすれば、「戦争責任」とはいったい何の意味なのだろう。無意味な主題を論じていることになるのではないか。そのような可能性は、脳裡に一片も浮かばなかったのだろうが。
江口圭一は上の井上著の中の主論文の「解説」の最後で、昭和天皇は「慈父のごとし」と称される「外見からはかけはなれた…実像」を持ち、「したたかでエゴイスティックそのもの」だった、と明記している(p.316)。
上記のサピオの特集と比べると、同じ国の人、日本人が書いたとは思えないほどの較差がある。
ところで、上記井上清著の「年譜」によると、井上清は1960年に「一カ月」中国に滞在し、1971年以降「毎年のごとく訪中」し、1997年に「中国社会科学院名誉博士」に、1998年に「」になっている(この年に最後の訪中)。 北京大学名誉教授
上の最後の二つの称号からして、井上清は、中華人民共和国(中国共産党)に対する貢献がよほど大きかったのだろう。
さらについでに。店頭で手を取って見ただけだが、井上清・昭和史(下)(岩波新書、第一刷1966)はまだ版を重ねて販売されている。朝鮮戦争の項を見ると、なおも(当然かもしれないが)、朝鮮戦争は<アメリカが開始した>旨を記している。
井上清は故人だが、岩波書店はまだ上のような記述の残る岩波新書を販売している。出版社としての良心はこの岩波書店にはない。そして、丸山真男の死後の1995-6年に<丸山真男集>を(もはや時代遅れなのに)刊行したのに似て、井上清の死後には同史論集を文庫化しているのだ(上の本は第4巻)。
岩波は朝日新聞社とともに<左翼>政治団体であり、出版社レベルでは(朝日新聞社の出版担当部署とともに)今日の<左翼ファシズム>の根源・大元になっている。
言い古されたことだろうが、岩波や朝日の<権威>が崩れないと、日本はあぶない。
井上清
前回使った言葉とあえて結びつけていえば、西尾幹二・真贋の洞察(文藝春秋、2008.10)p.107には、「講座派マルクス主義」の「お伽話」という語がある。
西尾幹二の上の本によると、「戦後進歩主義」又は「戦後左翼主義」の代表者は丸山真男と大塚久雄だ(p.94)。
政治学が丸山真男、経済(史)学が大塚久雄だったとすると、歴史学や法学は誰だったのだろう。歴史学は井上清か、それとも羽仁五郎か。日本共産党の要素を加味すると古代史だが石母田正か。法学は、横田喜三郎(国際法)か宮沢俊義(憲法)ではないか。次いで川島武宜、戒能通孝あたりか。日本共産党的には平野義太郎の名も挙げうるかもしれないが、社会的影響力は横田喜三郎や宮沢俊義の方が大きかっただろう。
脱線しかかったが、西尾の上掲書は大塚久雄について面白いことを書いている。少なくとも一部は、知る人ぞ知るの有名な話なのかもしれない。
・大塚久雄によると、「絶対王制」と「結びついた」「特権的『商業資本』」が「新しい『産業資本』によって打倒されたかどうか」が、「市民革命」成立の有無の基準になる。
・大塚によると、フランスでブルボン王朝と結びついたいくつかの「特権的『商業資本』」が打倒されたことがフランス革命の「市民革命」性の証拠になる。日本(の明治維新)にはこのような例がない。
・しかし、-西尾は小林良彰の著書・明治維新とフランス革命(三一書房)を参照して以下を言う-江戸時代に栄えたいくつかの「特権的大商人」は明治維新を境に「廃絶」した。一方、大塚が挙げる具体の「商業資本」は、「フランス革命で廃絶」しておらず、むしろ「二十世紀の代表的企業に発展」した(以上、p.109)。
・大塚は「イギリスの農村におけるマニファクチャーの存在」の根拠として英仏二つの著書を挙げていたが(ここでは書名・著者名省略)、1952年に矢口孝次郎(関西大学)、次いで1956年に角山栄(和歌山大学)が、これら二著を大塚久雄が読んでいないことを「突きとめた」。大塚の論文当時に翻訳書はなかったが、角山栄が洋書不足時代に「隅から隅まで」原書を読んでみると、「驚くべきことにマニファクチャーのことなんか」何ら書かれていなかった。
・西尾は角山の本を参照して以下を書くが、大塚は学生に「角山の本は読むな」と警告し、「地方大学からの批判に中央のマスコミは関心を示さなかった」(以上、p.110-111)。
以上を記したのち、西尾幹二はこう書く-「驚くべき事実」だ。「コミンテルンの指令な忠実な東大教授を守るために、中央のマスコミは暗黙の箝口令を敷いたのに相違ない」(p.111)。
大塚久雄について、このような事実があったとしてみる。すると容易に推測できるのは、大塚に限らず、政治学(政治思想史学)の丸山真男についても、歴史学や法学の上に挙げたような学者たちについても(とくに丸山を含む東京大学(助)教授については)、類似のことがあった可能性がある、ということだ。
<昭和戦後「進歩的」知識人>の「権威」は、(時期によってやや異なるだろうが)コミンテルン又はGHQの歴史観・「歴史認識」との共通性の有無・程度と「東京大学」等の有力大学教授かどうかによって、一口で言えば<非学問的に>(つまりは<政治的に>)築かれたのではないか。
さらに言えば、今日の(とくに社会・人文系の)各学界の「権威」者たちは、本当に学問的・「科学的」に立派な学者・研究者なのだろうか、という疑問が生じても不思議ではない。
古田博司・新しい神の国(ちくま新書、2007.10)の最初の方からの一部引用。
①「要は反体制ならばハイカラで格好良いという軽薄さは、今日の左翼インテリまで脈々と繋がっており、ソビエトが解体し、中国が転向し、北朝鮮が没落してもなお、資本主義国家に対抗することこそがインテリの本分だと解している向きが跡を絶たない。/『天皇制』を絶対王政に比すの論はさすがに影を潜めているが、『天皇制打倒』の心性はいまだに引き継がれており、日本の左翼人士は『天皇制』が日本の後進性であり、日本人の主体的な自立を妨げてきたのではないかという議論をずっと続けてきた」(p.35)。
②1.2000年以降「マルクス主義に対する信仰」は着実に壊れた。大学の科目から「マルクス経済学」に関するものは次第になくなり「日本のインテリ層が徐々に呪縛から解き放たれていった」。
2.「しかし何という壮大なる洗脳機構だったのだろうか 。価値・史観・階級の論を柱とし、それらが複雑に絡み合うさまは天上の大神殿を思わせた」。
3.「今日ではすべて塵と化した大社会科学者たちの生涯の業績は、ひたすらその祭司たらんとする献身の理想に満ちあふれていた。だが、その神殿の柱は今やぶざまにも折れ、廃墟の荒涼を白日の下に曝しているではないか。なぜこのような無駄をし、屑のごとき書物を図書館に積み上げていったのだろうか。日本のインテりは一体何をやっていたのだろうか。結局、慨嘆が残っただけではなかったのか」(p.40)。
③韓国人や中国人は日韓基本条約・日中友好条約のときに「日本からの援助が欲しかっただけ」で、当時は「嫉妬も押し隠して笑顔を向けた」が、その「微笑みが本物でないことは、やがて露わになっていった」。/「そして戦後からずっと、『東アジアの人々は良い人ばかりで話し合えばわかる』といい続けたのは、実は共産主義者であり、社会民主主義者であり、進歩的文化人であり、良心的な知識人たちであった。伝統的なことには、右も左もない。日本では『伝統的な善人』や『国際的な正義派』がいつも国を過つのである」(p.45)。
以上。上の②2.の「祭司」たらんとした者は、歴史学、経済学、法学等々の分野に雲霞のごとく存在した。非日本共産党系研究者でも、大塚久雄、井上清は入るし、丸山真男も立派な「祭司」だった。法学分野では日本共産党系の渡辺洋三、長谷川正安を挙げうる。だが、こうした者たちが築いた「神殿の柱は今やぶざまにも折れ、廃墟の荒涼を白日の下に曝しているではないか。なぜこのような無駄をし、屑のごとき書物を図書館に積み上げていったのだろうか。…結局、慨嘆が残っただけではなかったのか」。
だがなお、マルクス主義の影響を受けた<左翼>インテリは数多い。例えば、樋口陽一よ、かつては「献身の理想に満ちあふれて」仕事をしていたかもしれないが、フランス革命が「理想」・「範型」ではなくなり、社会主義(・共産主義)社会への展望が見出せなくなった現在、かつての仕事は「廃墟の荒涼を白日の下に曝」している筈なのに、(ソビエト「社会主義」崩壊の理論的影響が出にくい法学界であるがゆえに)巧妙にシラを切って、惰性的に似たようなことを反復しているだけではないのか。そういう者たちを指導者として、さらに若い世代に<左翼>インテリが性懲りもなく再生産されていく。壮大な社会的無駄だし、害悪でもある。個人的に見ても、一度しかない人生なのに、せっかくの相対的には優れた基礎的能力をもちながら、気の毒に…。
伊藤「教え子たちがいろいろな大学に就職…聞くのですが、大学の歴史・社会科学系では実はまだまだ共産主義系の勢力が圧倒的多数なんですね」
中西「近年、むしろ増えているのではないですか。現在は昭和20年代以上に、広い意味での「大学の赤化」は進んでいると思います」
伊藤「…戦後第一世代と異なるのは、そうした左翼シンパのひとりひとりはほとんど無名の存在だ…。いま大学にいるのは遠山(茂樹)や井上(清)の孫弟子の世代なんです。だから誰も彼らが左派系だなんて気づかない。そんな連中が教授会の多数派をしっかりと握っている大学が多い」
中西「…石母田(正)の怨念の籠もり籠もった歴史学…。家永や遠山の歴史観にも共通した特徴ですが、彼らの影響を受けた研究者たちが、いま日本の歴史学会の多数を支配している…。大学はなかなか変化しないんです」(p.50-1)。
伊藤隆は歴史学者であり、歴史学界を主な対象として語られているようだ。だが、中西輝政は政治学・経済学界についても丸山真男・大塚久雄の名を出したのち次のように言っている。
中西「研究対象を選ぶ段になると、学会での地位や就職が絡みますからナーバスに…。直接、左派知識人に批判的なことをやると、大学への就職が難しくなるという有形無形のプレッシャーはいまだにものすごく強いですからね」(p.53)
<大学の自治>の下での<学問の自由>の現状はおそらくこうなのだろう。国家ではなく「左派」によって<学問の自由>が事実上侵害されている。そしてかかる現象は―特段の言及はないが―歴史・政治・経済学以外の法学・社会学等々にもある程度はあるものと思われる。
「左派」すなわち共産主義・マルクス主義の影響を受けた、又はこれを「容認」する大学研究者(教員)が人文・社会系では「多数」のようだとは、私のある程度は想像する所でもあったが、こう明確に語られると、慄然とする。彼らが執筆した人文・社会系の(日本史・世界史・政治経済・現代社会等の)中学・高校の教科書で学んで、上級官僚や法曹が、そして若い国会議員が育ってきているのだ。
上の<激論>の中で中西輝政は指導教授の高坂正堯が時々「きみたちには悪いねぇ」(早く就職させられなくて)と大学院学生たちに言っていた、「高坂先生は…七〇年代までは学界で異端視されていて、その門下生と知れると、ほとんどお呼びがかからなくなる。私たち大学院生は…「高坂門下」ということで大いに差別される」等と発言しており(諸君!2月号p.52)、中公クラシックスとなった高坂正堯の本・宰相吉田茂(中央公論新社、2006)の緒言で、中西寛(現京都大学法学部)は高坂正堯の吉田茂を肯定的に評価する論文・著書に関連して、「マルクス主義や進歩派知識人による保守政治批判が大多数だった」「当時においては、学者や知識人にとって保守政治家を批判する方が肯定的に評価するよりもよほど安全だった」と記している。
「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員の強い分野では、事実上の「思想統制」が(国家によってではなく)行われていたし、現在も行われている可能性があるわけだ。
「思想統制」にはあたらず、その逆だろうが、東京大学出身者でもない樋口陽一はなぜ東北大学から東京大学(法学部)に迎えられたのか、同じく上野千鶴子はなぜ京都の某女子大から東京大学(文学部社会学科)に迎えられたのか。その<思想傾向>は、一般世間以上に、大学の世界では所属大学の変更も含む<人事>にかなりの影響を与えていそうだ。
樋口陽一著にはいずれ触れることとして、「渡辺洋三」という名で思い出したことがある。約20年前だろう、30歳ほど年上の人が、<渡辺洋三は日本共産党の「大学部長」だ>と私に言った。正確に「大学部長」だったかの自信はないが、また私に真偽を確かめる術はなかったが、おそらく事実で、大学所属の教員・研究者党員のトップ、「大学(学術)政策」の最高責任者だろうと想像した。渡辺洋三(1921-)は世間的な知名度は必ずしも高くないが、1970年代は東京大学社会科学研究所の教授だった。
昨年8月に、渡辺洋三・日本社会はどこへ行く(岩波新書、1990)を通読してみたのだが、西側先進諸国よりも日本は「遅れて」おり、日本の「特殊的体質」等を除去しての日本社会の「民主的改革」が不可欠だとしていた。西欧との差違を強調して=日本を批判するための方便としての西欧なる基準をもち出して民主主義の徹底を主張するのは、まさしく日本共産党の路線そのままで(「遅れた」日本には「民主主義革命」が必要なのだ)、その枠内での具体的諸指摘・ 諸主張をしていた。あらためて手にとってみると、「西側の国で、日本くらい市民にとって自由のない国はない」と平然とのたまっている(p.234)。
ドイツやアメリカには共産党はなく、一定の要件に該当する共産主義政党は結成・設立自体が禁止されているはずだ。しかし、日本では、日本共産党のれっきとした幹部が国立大学の教授を務めることができ、一般国民むけ書物を(岩波書店や朝日新聞社等の出版社を通じて)自由に出版でき、自由に(共産党的)意見を述べられる。コミュニスト、共産党員にとって「日本くらい自由のある国はない」のではなかろうか。国公立大学教員―私立大学を含めてもよいが―のうち共産党員が占める比率は、西側先進諸国中で日本が最大ではなかろうか。
岩波新書に限らず、朝日新書、ちくま新書等々の「一般」向け書物を日本共産党員がその旨を隠して執筆している例は、歴史・経済部門も含めて、多数あるはずだ。かかる実態は広く知られておいてよいと思われる。
1996年初めに首相は村山富市から橋本龍太郎に変わったのだったが、この頃に最終的執筆があったと思われる渡辺洋三・日本をどう変えていくのか(岩波新書、1996.03)も、見てみた。最後の方に当時の政局又は政党状況を前提にした各党への批判的コメントがあり、自民党、小沢党首の新進党、新党さきがけ、村山退陣とともに日本社会党から改名した社会民主党に触れている。しかし、何と日本共産党には何も言及していない。日本共産党という言葉は一回も出てこず、日本共産党が最も優れているとか自分の主張と近い(同じ)という旨も書かれていない! このことは、当時衆議院に15議席を占めていた共産党を小党という理由で無視したわけではなく、渡辺の主張が日本共産党のそれであることを問わず語りに証明しているようなものだろう。その意味で、とても面白い部分をもつ本だ。
今は大学の入学式の季節だ。むろんその中には、法学部に進学した若者もいる。岩波新書は一定年齢以上の者にはまだ「権威」があるようで、そのような感覚の両親をもつ新入の大学生は、岩波新書の中から基礎的教養書又は入門書を購入しようとするかもしれない。法学(法律学)関連では、上に言及した二つを重複を避けて除外しても、渡辺洋三・法とは何か(1998)、同・法を学ぶ(1986)、同ほか・日本社会と法(1994)がある。
但し、いかにマルクス主義又は共産党に独特の用語は出てこなくとも、上に述べたように、渡辺洋三はれっきとした日本共産党員だと推測される(樋口陽一氏の岩波新書もあるが、「基礎的教養書・入門書」にはならないだろう)。
日本史関係では羽仁五郎・日本人民の歴史(1950)はさすがにもう絶版だが、井上清・日本の歴史(上)(中)(下)(1963-66)はまだ売られているようだ。井上清は元日本共産党員、のち「新左翼」支持のマルクス主義歴史学者だ。
渡辺洋三や井上清の本を読むとマルクス主義者にならなくとも、少なくとも「反体制」、「反権力」的雰囲気だけはしっかりと身につけるに違いない。それが、岩波新書、そして岩波書店の出版意図だとも言える。読者本人や勧める親等の勝手なことではあるが、やや老婆心ながら。
この本の初めの方によると、網野は東京大学史学科学生となった1947年の「後半には左翼の学生運動の渦中」に入り、48年に民青同盟の前身ともいえる民主主義学生同盟の組織部長・副委員長をし、49年以降歴史学研究会等で学習・研究しつつも、1953年夏頃、「戦後歴史学の流れから完全に落ちこぼれた」(p.51)。明記はないが、諸々の叙述からみて47年後半に日本共産党員になったことはほぼ明らかで、かつ53年に共産党の主流又は積極的活動家ではなくなったようだ(たぶん離党したのだろう)。それは、院に進学せず、失業ののち高校教諭として長らく過ごした経歴でも解る(たぶん党員でなくなり、党員なら得られる社会的「特権」を享受できなかったのだろう)。
興味深い第一は、戦後の少なくとも1950年代後半までの日本史学界は日本共産党の動向と密着して揺れ動いたことだ。学問と政治の一般的関係からすると信じ難いが、例えば1.「1950年から52年にかけて…日本共産党は…民族の独立という旗印を掲げ、非合法活動を含む政治活動を開始していました。その影響は歴史学界に強烈に及び、殊に歴史学研究会や民主主義科学者協会、日本史研究会は、まともにこの影響」を受けた(p.42-43)。52年の歴研の大会の余興では「山村工作隊の紙芝居」まであったという。2.日本共産党内の国際派(宮本顕治・志賀義雄ら)・所感派(徳田球一・野坂参三ら)の対立は学者にも及んで、前者が井上清・鈴木正四ら、後者は石母田正・藤間正大らだった(p.44)。すごい話だが、学者たちが同時に日本共産党員であれば不思議でも何でもない。
第二は、網野がおそらくは共産党員だった時期の自分を、「戦争犯罪人そのものであった」と明瞭に反省していることだ。網野は「序にかえて」で書く-「自らは真に危険な場所に身を置くことなく、…口先だけは「革命的」に語り、「封建革命」、「封建制度とはなにか」などについて、愚劣な恥ずべき文章を得意然と書いていた」その頃の私は「自らの功名のために、人を病や死に追いやった「戦争犯罪人」そのものであった」、1953年夏にそうした「許し難い自らの姿をはっきりと自覚した」。この文は2000年に書かれたようだが、網野のその後の人生は「二度とそうした誤りはくり返すまいという一念に支えられてきた」、という(p.12)。こうまでの自己批判をする必要がある具体的理由は定かでないが、おそらくはマルクス主義又はそれを体現化した日本共産党という組織や党員に、教条性・傲慢性・場合によっては暴力も厭わない残虐性等々を感じたのだろう。大学の後輩や若い人を火炎瓶闘争等の暴力行為へ煽って官憲による逮捕等により肉体的・精神的苦痛を受けさせたことへの罪悪感もあったかもしれない。
第三に、網野は、マルクス主義史学が主流だった「戦後歴史学の50年」を振り返って、人が努力すれば「歴史は進歩する」という近代以降の自明の前提が「現在にいたっては」、「根本から崩れつつある」、との認識を示している(p.23-24)。私もまた感じているのだが、奴隷制→農奴制→封建制→資本主義→社会主義→共産主義という「段階的発展」史観は明らかに誤謬だし、その他の「進歩し続ける」との史観は願望・信念あるいは宗教にすぎないだろう。上のように総括できるということは、網野は戦後日本史学のマルクス主義による「呪縛」からかなり自由だったことを意味するだろう。
なお、羽仁五郎・井上清らの歴研「乗っ取り」事件のことや永原慶二、黒田俊雄らのマルクス主義歴史学者の名も出てきて関心をそそる。また、「乗っ取り」クーデター後に井上清らが会長にすべく津田左右吉と平泉で会見したのち、たぶんそれを契機に津田は反マルクス主義の論文を書いた、それで掲載予定の岩波・世界の編集者が「手直し」をお願いした、というエピソード(p.34-35)は面白い。戦前に日本書記等の信憑性を疑った津田左右吉は戦後にマルクス主義学者によって祭り上げられたが、彼自身はマルクス主義者ではなかった。
なお、網野の本は、マルクス主義に批判的というだけで(たぶん共産党員学者は彼を「落伍者」と見ていただろう)、例えば岩波書店からは絶対に刊行されないと思われる。もともとこの本は、日本エディタースクール出版部刊のものが洋泉社新書になったものだ。洋泉社は、失礼ながら、大手の又は著名出版社ではないだろう(但し、洋泉社新書にはいいものも多い)。学問・文化・思想と出版社の関係における「政治」又は「党派」というテーマで、誰か書いていないだろうか。出版業界の「裏」を暴くような出版物は出にくいには違いない。
小泉首相、午前早くに靖国参拝。昨年に比して方式がより本格的なのは、今年、靖国参拝違憲損害賠償請求訴訟につき最高裁が(合憲としたわけではないが)不法行為法(国賠法)上保護されるべき損害なしとして棄却したことが大きいと推測される。
新聞社、半藤・秦・保阪等々が戦中史・戦後史について積極的に発言しているが、肝心のわが日本史学界(近現代史学界)=アカデミズムの人たちはいったい何をしているのか。かつて亀井勝一郎氏が批判して論争が生じた岩波新書・昭和史(1959、1995.05-56版)は1995年の増刷だが、依然として朝鮮戦争は南が北侵の旨記述する(p.276)。
ソ連の同意と中国の了知のもとでの北の南侵が明瞭になっているのに、岩波と遠山茂樹・藤原彰等には「学問」的良心がなく、「知的退廃」がある。名誉毀損損害賠償訴訟を起こされなければ「嘘」の記述でも垂れ流して売るのだろう。このような人たちを指導教授とする親マルクス主義的研究者が多く育っていると思われ、「正常」化にはあと何世代か要するようで未来はただちには明るくない。
松本健一は経済学部出身、故坂本多加雄氏は法学部出身。もっとも、非マルクス主義の通史シリーズもいくつかあるようで状況は少しは変わった。かつてヒットした中公の日本の歴史シリーズは直木孝次郎・黒田俊雄・井上清など「左翼」の多さが歴然としていたように思う。
鈴木正四・戦後日本の史的分析(青木書店、1969)は「労働者階級の立場、マルクス主義の方法と観点」で書くと「まえがき」で宣言しつつ朝鮮戦争につき「少なくともいわば一万中の九九九九まで、アメリカが戦争をおこした疑いがきわめてこいという結論にたっした」と述べていた(p.114)。日本共産党員らしき研究者の体たらくを、今や嗤い、憐れむのみだ。
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