江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
編集担当者はPHP研究所・川上達史。自分の<研究所>の一員らしい山内智恵子が「助けて」いる。江崎道朗本人はもちろん、PHP研究所、川上達史、山内智恵子も、恥ずかしく感じなければならない。
----
江崎道朗が論及する十七条の憲法第10条の一部。
「共に其れ凡夫のみ」=「共其凡夫耳」。
坂本太郎・聖徳太子(吉川弘文館、1979/新装版1985)による第10条全体の読み下し文。適宜、改行する。
「十に曰く、心の怒りを絶ち、面の怒りを棄て、人の違ふを怒らざれ。/
人みな心あり。心おのおの執るところあり。/
彼れ是とするときは我れは非とす。我れ是とするときは彼れは非とす。/
我れ必ずしも聖にあらず、彼れ必ずしも愚にあらず。共にこれ凡夫のみ。/
是非の理、詎<たれ>かよく定むべき。相共に賢愚なること、鐶<みかがね>の端なきがごとし。/
ここをもって、彼の人は瞋<いか>ると雖も、還って我が失を恐れよ。/
我れ独り得たりと雖も、衆に従って同じく挙<おこな>へ。」
----
上のように江崎は聖徳太子・十七条の憲法の全体またはその第1~第3条のいずれにでもなく、第10条の、かつその一部に着目する。そして、前回に記したように、そこから、五箇条の御誓文以降につながる<保守自由主義>を「感じ取る」。
江崎は、第10条の全文に何ら言及しない。
かつまた、多少立ち入って読むと判明する第三は、以下のことだ。
第10条の上の部分=「共に其れ凡夫のみ」に着目するのは、自分の判断・考えによってではなく、他人の著にに依拠している。つぎの書物だ。
江崎は、この小田村寅二郎と山本勝市の二人を、戦前・戦中の<保守自由主義>者として高く評価する。二人に併せて言及する最初は、p.278。なお、江崎著には小田村のこの本からの直接引用や要約的紹介が多い。
小田村寅二郎・昭和史に刻むわれらが道統(日本教文社、1978)。
では、「共に其れ凡夫のみ」に着目するのは小田村のこの著かというと、そうではない。
小田村がこの著の中で「紹介」する、小田村らが十七条憲法について講義を受けたという、黒上正一郎という人物だ。
江崎は、小田村の上掲著の一部を、こう引用している。小田村の文章だ。p.346。
・黒上の「"聖徳太子研究"の勉学の方法……は、世の仏教家や歴史学者とは違って、聖徳太子御一代の政治・外交についての御事業を、独特の見方でみようとした」ことだ。
・「すなわち、聖徳太子が"この世の人はどんな人であろうとも、所詮は"十七条憲法の第10条"に書かれてあるように、『共に其れ凡夫のみ』と把えられたあの痛切極まりない宗教的な御人生論を、とくに凝視なさって、黒上氏ご自身の心魂を傾けつくして太子のお心を偲ばれ、そうした"追体験"の学問の中に自らを徹入されながら、以て太子の御思想を説き明かそうとなさった点である」。
この引用文に見られるように、小田村は黒上の聖徳太子研究には「世の仏教家や歴史学者とは違」う「独特の見方」がある、と明記したうえで、「共に其れ凡夫のみ」が示す「宗教的な御人生論」に対する共感を述べている。
この部分について、江崎は、つぎの諸点には注意を向けていないようだ。
①黒上正一郎の研究には「独特の見方」があったこと。
②小田村は「共に其れ凡夫のみ」を直接には「宗教的人生観」と見ていたこと。
③上の「宗教」とは、いかなる、またはいかなる意味での「宗教」なのか。
ともあれ、江崎道朗が依拠しているのは小田村寅二郎であり、その小田村が依拠しているのは黒上正一郎による聖徳太子・十七条憲法10条の一部の読解の仕方なのだ。
そうすると、江崎は、その脳内で、つぎの作業をしている。
①小田村の叙述を自分自身のものとする、②小田村が紹介する黒上の所説も自分自身のものとする。そして、③その部分=「共に其れ凡夫のみ」から<保守自由主義>なるものを導き、それは五箇条の御誓文等の「明治の日本」にも継承されている、とする。
これは、読者を納得させ得る論理展開なのだろうか。
①と②の根拠または理由自体が、いっさい論述されていないのだ。
聖徳太子に関する書物は、今日までに多数あるだろう。
それにもかかわらず、なぜ、小田村寅次郎のみを参照するのか? なぜ、小田村が紹介する黒上正一郎の読解の仕方をそのまま支持するのか?
また、③なぜ、それが<保守自由主義>と称される「日本の政治的伝統」とつながるのか?
さっぱり分からない。異常であり、異様だ。
----
秋月は聖徳太子や十七条憲法に関する専門的研究者では全くないのだが、上の諸点とともにあるのは、常識的には、つぎの問題だろう。
そもそも第一に、聖徳太子・十七条の憲法の「思想」・「主義」・「考え方」を、その第10条の一部の句-「共に其れ凡夫のみ」-にのみ着目して理解することが適切なのか。
江崎道朗は、小田村らを称揚したい気分が嵩じて、何か勘違いをしているのではないか。
またそもそも第二に、小田村寅二郎の「思想と行動」において、聖徳太子・十七条憲法はいかほどの位置を占めていたのか。
なお、小田村や黒上が「保守自由主義」という語を使っていたのでは全くなく、これは江崎道朗が2017年の時点で「新発明」した?造語だ。
最後に記した諸点をさらに検討する。江崎道朗、<ああ恥ずかしい>。
編集担当者はPHP研究所・川上達史。自分の<研究所>の一員らしい山内智恵子が「助けて」いる。江崎道朗本人はもちろん、PHP研究所、川上達史、山内智恵子も、恥ずかしく感じなければならない。
----
江崎道朗が論及する十七条の憲法第10条の一部。
「共に其れ凡夫のみ」=「共其凡夫耳」。
坂本太郎・聖徳太子(吉川弘文館、1979/新装版1985)による第10条全体の読み下し文。適宜、改行する。
「十に曰く、心の怒りを絶ち、面の怒りを棄て、人の違ふを怒らざれ。/
人みな心あり。心おのおの執るところあり。/
彼れ是とするときは我れは非とす。我れ是とするときは彼れは非とす。/
我れ必ずしも聖にあらず、彼れ必ずしも愚にあらず。共にこれ凡夫のみ。/
是非の理、詎<たれ>かよく定むべき。相共に賢愚なること、鐶<みかがね>の端なきがごとし。/
ここをもって、彼の人は瞋<いか>ると雖も、還って我が失を恐れよ。/
我れ独り得たりと雖も、衆に従って同じく挙<おこな>へ。」
----
上のように江崎は聖徳太子・十七条の憲法の全体またはその第1~第3条のいずれにでもなく、第10条の、かつその一部に着目する。そして、前回に記したように、そこから、五箇条の御誓文以降につながる<保守自由主義>を「感じ取る」。
江崎は、第10条の全文に何ら言及しない。
かつまた、多少立ち入って読むと判明する第三は、以下のことだ。
第10条の上の部分=「共に其れ凡夫のみ」に着目するのは、自分の判断・考えによってではなく、他人の著にに依拠している。つぎの書物だ。
江崎は、この小田村寅二郎と山本勝市の二人を、戦前・戦中の<保守自由主義>者として高く評価する。二人に併せて言及する最初は、p.278。なお、江崎著には小田村のこの本からの直接引用や要約的紹介が多い。
小田村寅二郎・昭和史に刻むわれらが道統(日本教文社、1978)。
では、「共に其れ凡夫のみ」に着目するのは小田村のこの著かというと、そうではない。
小田村がこの著の中で「紹介」する、小田村らが十七条憲法について講義を受けたという、黒上正一郎という人物だ。
江崎は、小田村の上掲著の一部を、こう引用している。小田村の文章だ。p.346。
・黒上の「"聖徳太子研究"の勉学の方法……は、世の仏教家や歴史学者とは違って、聖徳太子御一代の政治・外交についての御事業を、独特の見方でみようとした」ことだ。
・「すなわち、聖徳太子が"この世の人はどんな人であろうとも、所詮は"十七条憲法の第10条"に書かれてあるように、『共に其れ凡夫のみ』と把えられたあの痛切極まりない宗教的な御人生論を、とくに凝視なさって、黒上氏ご自身の心魂を傾けつくして太子のお心を偲ばれ、そうした"追体験"の学問の中に自らを徹入されながら、以て太子の御思想を説き明かそうとなさった点である」。
この引用文に見られるように、小田村は黒上の聖徳太子研究には「世の仏教家や歴史学者とは違」う「独特の見方」がある、と明記したうえで、「共に其れ凡夫のみ」が示す「宗教的な御人生論」に対する共感を述べている。
この部分について、江崎は、つぎの諸点には注意を向けていないようだ。
①黒上正一郎の研究には「独特の見方」があったこと。
②小田村は「共に其れ凡夫のみ」を直接には「宗教的人生観」と見ていたこと。
③上の「宗教」とは、いかなる、またはいかなる意味での「宗教」なのか。
ともあれ、江崎道朗が依拠しているのは小田村寅二郎であり、その小田村が依拠しているのは黒上正一郎による聖徳太子・十七条憲法10条の一部の読解の仕方なのだ。
そうすると、江崎は、その脳内で、つぎの作業をしている。
①小田村の叙述を自分自身のものとする、②小田村が紹介する黒上の所説も自分自身のものとする。そして、③その部分=「共に其れ凡夫のみ」から<保守自由主義>なるものを導き、それは五箇条の御誓文等の「明治の日本」にも継承されている、とする。
これは、読者を納得させ得る論理展開なのだろうか。
①と②の根拠または理由自体が、いっさい論述されていないのだ。
聖徳太子に関する書物は、今日までに多数あるだろう。
それにもかかわらず、なぜ、小田村寅次郎のみを参照するのか? なぜ、小田村が紹介する黒上正一郎の読解の仕方をそのまま支持するのか?
また、③なぜ、それが<保守自由主義>と称される「日本の政治的伝統」とつながるのか?
さっぱり分からない。異常であり、異様だ。
----
秋月は聖徳太子や十七条憲法に関する専門的研究者では全くないのだが、上の諸点とともにあるのは、常識的には、つぎの問題だろう。
そもそも第一に、聖徳太子・十七条の憲法の「思想」・「主義」・「考え方」を、その第10条の一部の句-「共に其れ凡夫のみ」-にのみ着目して理解することが適切なのか。
江崎道朗は、小田村らを称揚したい気分が嵩じて、何か勘違いをしているのではないか。
またそもそも第二に、小田村寅二郎の「思想と行動」において、聖徳太子・十七条憲法はいかほどの位置を占めていたのか。
なお、小田村や黒上が「保守自由主義」という語を使っていたのでは全くなく、これは江崎道朗が2017年の時点で「新発明」した?造語だ。
最後に記した諸点をさらに検討する。江崎道朗、<ああ恥ずかしい>。