宮地健一のHP(「共産党問題、社会主義問題を考える」)で知ったのだが、日本共産党は7月の参院選の比例区には、今まで25人立候補させていたのに、5人しか候補を立てないらしい。25人でも5人でも、日本共産党票をどれだけ集められるかだが、前回程度の430万票だと前回と同じ4人は困難になり、下回ると3人になる可能性がある、東京選挙区の候補が当選しないと、当選者は計3で、非改選者を含めて9名から7名になる、という。宮地氏の言葉だが、「ますます泡沫政党化する」わけだ。
上の最悪予想のとおりだと、3年ごとの各回の当選者数は、15→5→4→3。どう見ても<減少>、<衰退>傾向にあるとしか判断できないことになる。この最悪予想がアタることを、期待しておきたい。
同じ最新のファイルに、日本共産党が「平和共同候補実現運動」又は「共同候補・共同リスト市民運動」に敵対し、共闘しない理由が4点に整理・分析されている。私の関心を最も惹いたのは第四点の、「批判・異論分子が参加する市民運動・団体の社会的排除の必要性」だ。
その部分には、「共同候補・共同リスト市民運動」参加者の中に元日本共産党員等の「批判・異論分子」がいることが、具体的な固有名詞でもって紹介されている。
私は知らない名前もあるが、全て列挙して記録しておこう。
針生一郎・中里喜昭(この2人は民主主義文学同盟員で1982年の「核戦争の危機を訴える文学者の声明」の「お願い人」)、吉田嘉清・草野信男(1984年、原水協で「反党活動」)、丸木位里・丸木俊夫妻(中核派滝田をかくまった容疑で査問・除名)、古在由重(1984年、原水禁運動にかかる「分派活動規律違反行為」で除籍)、霜多正次(1983年の民主主義文学同盟問題で「反党活動」・除籍)。
改行して、川上徹(既述の元「全学連」委員長、元民青同盟幹部、「新日和見主義」者として査問を受けつつも離党はしなかったが、1990.09の「古在由重先生を偲ぶつどい」を企画し事務局側の一人となった。日本共産党は家永三郎、久野収、加藤周一、遠山茂樹、川本信正らとともに呼びかけ人になっていた党員に「手を引け」と「個々に指令した。ほぼ全党員がやめたのに、川上徹だけが、指令を拒否」。「規律違反で除籍した反党分子を偲んだ規律違反」として「査問し、除籍」)。
さらに、「市民の風」と「平和共同候補実現運動」代表呼びかけ人の加藤哲郎(一橋大学教員)、呼びかけ人の田口富久治(名古屋大学名誉教授)、柴山健太郎(労働運動研究所)(川上徹も呼びかけ人の1人)。
全く知らなかったが、加藤哲郎と田口富久治は、『日本共産党の七十年』が名指しで批判しているらしい。
田口富久治といえば、私が大学生の頃はマルクス主義政治学者で、しかも日本共産党員と見えた(当時はそのとおりだったようだ)現役の大学教授だった(名古屋大学)。
読んでいないが、田口は『マルクスと丸山真男の間で』とかいうような本を近年刊行していたかと思われる。かつて所属し、熱心に活動した政党(共産党)から「敵視」されるとは、いかなる気分だろうか。
日本共産党の内部問題だとはいえ、<冷酷>な政党だという印象は拭えるはずがない。除籍した「反党分子」の死に際して積極的に「偲んで」はいけないのだ(「反党分子」の死は喜ぶべきことで、唾でも吐きかけよ、というのが同党の-正規ではないにしろ事実上の-方針・指令だろうか)。その組織原則・「民主集中制」によるのだろう。
なお、有田芳生も新日本出版社に勤務中に何か「問題」を起こして日本共産党員を辞めた筈だ。上記の「平和共同候補実現運動」等にはもはや関与はせず、テレビ・コメンテイターをし、テレサ・テン等に関する本を書いたりしているようだが、強制的な離党だったかどうかも含めて、ヒマなときにネットで調べてみよう(彼のHPにある程度は書かれていた記憶がある)。
上の最悪予想のとおりだと、3年ごとの各回の当選者数は、15→5→4→3。どう見ても<減少>、<衰退>傾向にあるとしか判断できないことになる。この最悪予想がアタることを、期待しておきたい。
同じ最新のファイルに、日本共産党が「平和共同候補実現運動」又は「共同候補・共同リスト市民運動」に敵対し、共闘しない理由が4点に整理・分析されている。私の関心を最も惹いたのは第四点の、「批判・異論分子が参加する市民運動・団体の社会的排除の必要性」だ。
その部分には、「共同候補・共同リスト市民運動」参加者の中に元日本共産党員等の「批判・異論分子」がいることが、具体的な固有名詞でもって紹介されている。
私は知らない名前もあるが、全て列挙して記録しておこう。
針生一郎・中里喜昭(この2人は民主主義文学同盟員で1982年の「核戦争の危機を訴える文学者の声明」の「お願い人」)、吉田嘉清・草野信男(1984年、原水協で「反党活動」)、丸木位里・丸木俊夫妻(中核派滝田をかくまった容疑で査問・除名)、古在由重(1984年、原水禁運動にかかる「分派活動規律違反行為」で除籍)、霜多正次(1983年の民主主義文学同盟問題で「反党活動」・除籍)。
改行して、川上徹(既述の元「全学連」委員長、元民青同盟幹部、「新日和見主義」者として査問を受けつつも離党はしなかったが、1990.09の「古在由重先生を偲ぶつどい」を企画し事務局側の一人となった。日本共産党は家永三郎、久野収、加藤周一、遠山茂樹、川本信正らとともに呼びかけ人になっていた党員に「手を引け」と「個々に指令した。ほぼ全党員がやめたのに、川上徹だけが、指令を拒否」。「規律違反で除籍した反党分子を偲んだ規律違反」として「査問し、除籍」)。
さらに、「市民の風」と「平和共同候補実現運動」代表呼びかけ人の加藤哲郎(一橋大学教員)、呼びかけ人の田口富久治(名古屋大学名誉教授)、柴山健太郎(労働運動研究所)(川上徹も呼びかけ人の1人)。
全く知らなかったが、加藤哲郎と田口富久治は、『日本共産党の七十年』が名指しで批判しているらしい。
田口富久治といえば、私が大学生の頃はマルクス主義政治学者で、しかも日本共産党員と見えた(当時はそのとおりだったようだ)現役の大学教授だった(名古屋大学)。
読んでいないが、田口は『マルクスと丸山真男の間で』とかいうような本を近年刊行していたかと思われる。かつて所属し、熱心に活動した政党(共産党)から「敵視」されるとは、いかなる気分だろうか。
日本共産党の内部問題だとはいえ、<冷酷>な政党だという印象は拭えるはずがない。除籍した「反党分子」の死に際して積極的に「偲んで」はいけないのだ(「反党分子」の死は喜ぶべきことで、唾でも吐きかけよ、というのが同党の-正規ではないにしろ事実上の-方針・指令だろうか)。その組織原則・「民主集中制」によるのだろう。
なお、有田芳生も新日本出版社に勤務中に何か「問題」を起こして日本共産党員を辞めた筈だ。上記の「平和共同候補実現運動」等にはもはや関与はせず、テレビ・コメンテイターをし、テレサ・テン等に関する本を書いたりしているようだが、強制的な離党だったかどうかも含めて、ヒマなときにネットで調べてみよう(彼のHPにある程度は書かれていた記憶がある)。