秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

中野剛志

1130/適菜収・世界(岩波)・月刊正論(産経)と変説?した川瀬弘至。

 〇月刊正論5月号(産経、2012.04)の適菜収論考は「理念なきB層政治家」を副題として橋下徹を批判・罵倒している。
 冒頭の一文は、「橋下徹大阪市長は文明社会の敵です」。この一文だけで改行させて次の段落に移り、「アナーキスト」、「国家解体」論者、「天性のデマゴーグ」等々と、十分な理由づけ・論拠を示さないままで<レッテル貼り(ラベリング)>をしていることはすでに触れた。
 この論考では「B層」という概念が重要な役割を果たしているはずだが、これの意味について必ずしも明確で詳細な説明はない。いくつか「B層」概念の使い方を拾ってみると―。
 ・「B層」=「近代的理念を妄信する馬鹿」(p.51)。
 ・橋下徹は「天性のデマゴーグ」なので「B層の感情を動かす手法をよく知っている」(p.52)。
 ・橋下徹の「底の浅さ」は「B層の『連想の質』を計算した上で演出されている」(p.53)。
 ・橋下徹・維新の会をめぐる言説は「B層、不注意な人、未熟な人の間で現在拡大再生産されている」(p.53)。
 ・「B層は歴史から切り離されているので、同じような詐欺に何度でも引っかかります」(p.54)。
 ・「マスメディアがデマゴーグを生みだし、行列があればとりあえず並びたくなるB層…」(p.54)。
 ・「小泉郵政選挙に熱狂し、騙されたと憤慨して民主党に投票し、再び騙されたと喚きながら、橋下のケツを追いかけているのがB層です」(p.55)。
 このくらいだが、要するに適菜のいう「B層」とは<馬鹿な大衆>を意味していると理解して、ほとんど間違っていないだろう。
 産経新聞5/04の「賢者〔何と!―秋月〕に学ぶ」欄でも適菜収は、「B層」とは、「マスメディアに踊らされやすい知的弱者」、ひいては「近代的諸価値を妄信する層」を指す、と明確に述べている。「知的弱者」、つまりは「馬鹿」のことなのだ。
 またニーチェのいう「畜群人間」はまさに「B層」だとし、この「B層」人間は「真っ当な価値判断ができない人々」で、「圧倒的な自信の下、自分たちの浅薄な価値観を社会に押し付けようとする。そして、無知であることに恥じらいをもたず、素人であることに誇りをもつ」、そして、「プロの領域、職人の領域」を浸食し、「素人が社会を導こうと決心する」、「これこそがニーチェが警鐘を鳴らした近代大衆社会の最終的な姿だ」、とも書いている。
 適菜において「B層」とは「知的弱者」=「馬鹿」で、「畜群」と同義語なのだ。
 そして、こうした「B層」を騙し、かつこうした「B層」に支持されているのが橋下徹だ、というのが、適菜の主張・見解の基調だ。前回に少し述べたが、決して、「伝統」か「理性」かを対置させて後者の側(「理性の暴走」)に橋下を置いているのではない。
 さて、月刊世界7月号(岩波)は「橋下維新―自治なき『改革』の内実」という特集を組んでいるが、その中の松谷満「誰が橋下を支持しているのか」(p.103-)は興味深い。
 松谷は、多段無作為抽出にもとづく有効回答数772のデータを基礎にして、次のように述べている(逐一のデータ紹介は省略する)。
 ①一部の論者が「社会経済的に不安定な人びと」が橋下を支持している、「弱い立場にいる人びと」が「その不安や不満の解消を図るべくポピュリズムを支えている」という<弱者仮説>を提示しているが、「少なくとも調査結果をみる限り、妥当性は低い」。
 ②橋下徹に対する支持は「若年層」で高いというわけではなく、「強い支持」は「六〇代がもっとも多い」。
 ③六〇才以下の男性について雇用形態・職業から5つに分類すると、「管理者職層、正規雇用者で支持率が高く、自営層、非正規雇用、無職層」で支持率が低い。
 ④自身の「階層的位置づけ」意識との関係では、「上・中上」、「中下」、「下」の順で「強い支持」が高い=前者ほど<強く支持>している。(以上、p.106)
 これらにより松谷は、「マスコミや知識人の『空論』は、ポピュリズムを支持する安定的な社会層を不問に付し、その責任を『弱者』に押しつけているのではないか」と問題提起している(p.107)。
 その他、次のような結果も示している。
 ⑤「高い地位や高い収入を重視する者のほうが、それらを重視しない者に比べて、橋下を支持している」(p.109)。
 適菜収のいう「知的弱者」と松谷のいう「弱者」は同じではないし、無作為抽出とはいえ772の母数でいかほどの厳密な結論が導出できるのかはよく分からないが、それにしても、上のとくに③・④・⑤あたりは、橋下徹は(先に述べたような意味での)「B層」を騙し、かつ「B層」に支持されているとの、「仮説」とも「推測」とも断っていない適菜収の「決め付け」的断定が、松谷のいう「知識人の空論」である可能性を強くするものだ、と考えられる。そのような意味で、興味深い。
 隔週刊サピオ5/09・16号の中の小林よしのり・中野剛志の対談とともに、月刊正論の適菜収論考は、橋下徹に対する悪罵・罵倒の投げつけにおいて、最悪・最低の橋下徹分析だったと思われる(立ち入らないが、小林よしのりは研究者ではないからある程度はやむをえないとしても、中野剛志の、学者とは思えない断定ぶり・決めつけ方には唖然とするものがあった―下に言及の新保祐司の発言も同様―。橋下徹がツイッターで中野剛志に対して激しく反応したのも―ある程度は―理解できる)。
 この機会に記しておけば、佐藤優はいろいろな媒体で橋下徹に対する見解・感想等々をたくさん書いていて、批判的・辛口と見えるものもあるが、週刊文春5/17号の特集「橋下徹総理を支持しますか?」の中の、つぎの文章は、多数の論者の文章の中で、私には最もしっくりくるものだった。
 「国政への影響を強める過程で……外交、安全保障政策について勉強する。その過程で…確実に国際水準で政治ゲームを行うことができる政治家に変貌する。…府知事、市長のときと本質的に異なる安定した政治家になると私は見ている。言い換えると橋下氏の変貌を支援するのが有権者の責務と思う」(p.48)。
 中西輝政とは異なり、橋下徹・維新の会の政策に「殆ど賛成」とは言い難い私も、このような姿勢・期待は持ちたいと考えている。
 〇だが、橋下徹を暖かく見守り、「変貌を支援する」どころか、早々と「きわめて危険な政治家」、橋下徹の「目的は日本そのものの解体にある」と(理由・論拠も提示することなく)断定したのが、産経新聞社発行・<保守>系と言われている月刊正論の編集長桑原聡だった。
 また、同編集部員の川瀬弘至は、上記の適菜収論考を「とってもいい論文です」と明記し、自民党の石破茂に読むことを勧めるまでした(月刊正論オフィシャルブログ4/04)。  ところが、何とその同じ川瀬弘至は、同ブログの5/29では、橋下徹の憲法関係発言を知って
、「橋下市長、お見逸れいたしました。これまで国家観がみえないだとか歴史観があやふやだとか批判してきましたが、自主憲法制定に意欲を示してくれるんなら全面的に応援しますぞ。どうか頑張っていただきたい」と書いている。
 この契機となった発言よりも前の2月中に橋下徹は現憲法九条を問題視する発言をしているし、3月には震災がれきの引きうけをしないという意識の根源には憲法九条がある旨を発言している。月刊正論4月号の編集期間中には、橋下徹は今回に近い発言をすでにしていたのだ。月刊正論5月号の山田宏論考は、橋下徹による改革の先に「憲法改正」が「はっきり見えている」と明言してもいる(p.58)。
 今頃になって、川瀬弘至は何を喚いているのだろう。それに、「全面的に応援しますぞ。どうか頑張っていただきたい」と書くのは結構だが、それが本心?だとしたら、橋下徹に対する悪罵を尽くした論考だったも言える適菜収論考を「とってもいい論文です」と評価していたことをまずは反省し、この言葉を取消し又は撤回して、読者に詫びるのが先にすべきことだと思われる。
 だが、しかし、この川瀬の言葉とは別に、月刊正論6月号(産経、2012.05.01)は、依然として、橋下徹を批判し罵倒する、遠藤浩一と「文芸評論家」新保祐司の対談を掲載している。<反橋下徹>という編集方針を月刊正論(産経)は変えていないと見られる。
 この対談、とくに遠藤浩一については書きたいこともある。同号の「編集者へ/編集者から」欄への言及も含めて、再びあと回しにしよう。

1121/月刊正論の愚―石原慎太郎を支持し、片や石原が支持する橋下徹を批判する。

 〇月刊正論(産経新聞社)編集部の川瀬弘至は、既述のように、自らを「保守主義者」と称し、「今後は『真正保守』を名乗らせていただきます」とまで明言していた(イザ・ブログ4/04)。
 その川瀬弘至は同じ文章の中で月刊正論5月号の、橋下徹を批判する適菜収論考を「とってもいい論文」と紹介してもいたのだが、産経新聞4/03の月刊正論の紹介(宣伝広告)記事の中で、次のように書いていた。
 「橋下市長は、自分に対する批判にツイッターなどでいつも手厳しく反論する。今回の適菜氏による『保守』の視点からの批判には、どんな反応を示すだろう…」。
 その答えは、無視だった。4月初めの数日間の橋下ツイートは空白になっているので、何か事情があったのかもしれない。
 だが、月刊正論5月号とほぼ同じ頃に出た、「橋下首相なら日本をこう変える」と表紙に大きく銘打ったサピオ5/09・16号(小学館)の中の(特集・諸論考の中では少数派の辛口の)小林よしのり中野剛志の対談(p.20-)については、橋下徹は反応して、小林よしのり・中野剛志への批判・反論をツイッターで書いているので、橋下徹は月刊正論の方は(おそらくは知ったうえで)<無視>したのではないか、と思われる。
 小林よしのり・中野剛志と適菜収では、まるでネーム・バリュー(・影響力)が違う。加えて、適菜の主張内容は、小林よしのりらのそれと比較して、まるで話にならない、相手にするのも馬鹿馬鹿しい、というのが、無視したと仮定したとしての私の推測だが、その理由でなかったかと思われる。橋下徹は自ら「しつこい」とも書いているので、気に食わず、反論しておくべきと感じたとすれば、月刊正論5月剛の適菜論考にも触れただろう。
 しかし、何の反応もしなかった。それだけ、適菜収論考の内容はひどい(と橋下は判断したのだろう)。
 〇この適菜収については、これまた既述のように、「産経新聞愛読者倶楽部」という名のウェブサイトが、適菜の前歴も指摘しつつ、「産経新聞は適菜を今後も使うかどうか、よく身体検査したほうがいいでしょう」と助言?していた。
 しかし、産経新聞は―何ヶ月か一年かの約束でもしたのかどうか―適菜収を使うのをやめていない。
 産経新聞4/04に続いて5/04の「賢者に学ぶ」欄に適菜は再び登場して、橋下徹の名こそ出さないものの、「閣僚から地方首長にいたるまで政治家の劣化が急速に進んだ背景には、《偽装した神=近代イデオロギー》による価値の錯乱という問題が潜んでいる」を最後の一文とする文章を書いている。
 批判されている「地方首長」の中に橋下徹・大阪市長を含意させていることは明らかだろう。
 ところで、執筆者名は不明(明記なし)だが、産経新聞5/14の月刊正論紹介記事は「尖閣・石原発言を支持する!」 という特集が組まれていることに触れていて、一色正春の主張をかなり紹介している。その前にある次の文章は、月刊正論編集部の見解だろうと思われる。 
 「自分の国は自分で守る―。この当たり前の意識が、戦後70年近くも置き去りにされてきた。それが諸悪の根源だ。もしも石原発言に何かリスクがあるとしても、喜んで引き受けよう。私達は石原発言を断固支持する」。
 一色正春の主張内容との区別がつきにくいところが大きな難点だが、以下の文章は、月刊正論編集部の言葉のようにも読める。
 「繰り返す。私たちは今、スタートラインに立った。石原都知事が号砲を鳴らした。さあ、胸を張って走り出そう。続きは正論6月号でお読みください」(途中に改行はない)。 
 (なお、産経新聞本紙は購読しておらず、もっぱら電子版(無料)に依っている。この部分以外も同様)。
 このように石原慎太郎発言・行動を支持するのは結構なことだが、月刊正論編集部は、石原慎太郎産経新聞5/14の連載「日本よ」で書いている内容は支持するのだろうか??。
 石原のこの文章は大きな見出しが「中央集権の打破こそが」で、「……東の首都圏、大阪を芯にした関西圏そして中京圏と、この三大都市圏が連帯して行おうとしているのは中央集権の打破、国家の官僚の独善による国家支配の改善に他ならない」、から始まっている。
 また、「志のある地方の首長たちが地方の事情に鑑みた新規の教育方針を立てようとしても、教育の指針はあくまで文部科学省がきめるので余計なことをするなと規制してかかるが、その自分たちがやったことといえば現今の教育水準の低下を無視した『ゆとり教育』などという馬鹿げた方針で…」とか、「日本の政治の健全化のためには多少の意見の相違はあっても、地方が強い連帯を組むことからしか日本の改革は始まりはしない」とかの文章もある。
 「地方」の中に大阪市(・大阪市長/橋下徹)も含めていることは、石原慎太郎は橋下徹を支持して選挙の際には応援演説までしたこと等々からも疑いえないことだ。
 適菜収は月刊正論5月号で「地方分権や道州制は一番わかりやすい国家解体の原理ですと書いていた(p.51)。
 一般論・超時代的感覚での適菜の<中央集権>志向と、具体的・現実的な現在の状況をふまえての石原の<地方の連帯>等の主張は嚙み合ってはいないだろうが、ともあれ、ほぼ真反対の議論・主張であることは間違いない。
 これら石原と適菜の、矛盾する二つの文章を掲載する産経新聞というのは、はたして、いったい何を考えているのだろうか。何らかの一致した編集方針はあるのだろうか。
 適菜の言葉を借用すれば、「価値の錯乱」は、産経新聞においても見られるのではなかろうか。
 「価値の錯乱」は産経新聞社の一部の、月刊正論編集部においても見られる
 一方で橋下徹を批判・攻撃しておいて、一方で、その橋下徹を支持し、連携しようとしている石原慎太郎の(別の点での)発言を大々的に支持する特集を組むとは、少しは矛盾していると感じないのだろうか。
 橋下徹を批判する適菜収論考を(も)掲載するくらいならばまだよい。月刊正論の編集長・桑原聡自身が、自分の言葉として、橋下徹について、「きわめて危険な政治家」だ、「目的は日本そのものの解体にある」と明言したのだ。
 こんな単純で粗っぽい疑問・批判を加えることにより、産経新聞や月刊正論の購読者を一人でも失うとすれば、それは、産経新聞・月刊正論の<価値の錯乱>、いいかげんな編集方針に原因があるのではないかと思われる。
 私のような者の支持・支援を大きく失うようでは、<保守>メディアとしては立ちゆかないだろう、少なくとも日本の「体制派」・「多数派」になることはありえないだろう、と私は秘かに自負している。
 〇「保守」・「右派」、「左翼」・「共産主義」といった言葉は使わなくともよい。
 橋下徹は毎日放送・斉加尚代ディレクターの質問に対して、公立学校の教職員が入学式等で日本(国家)の国歌である君が代を歌うのは、<国歌だから。式典だから。君が代を歌うときに、起立斉唱するのは当たり前のこと。感覚で、「理屈じゃない」。>等と答えている。
 こうした橋下の答えが虚偽の、あるいはパフォーマンス的なものではないことは、<囲み取材>の雰囲気等々からも明らかだろう。
 しかるに、月刊正論編集長・桑原聡は―繰り返すが―橋下の「目的は日本そのものの解体にある」と思うと明記した(月刊正論5月号)。
 上のような<国歌・君が代観>の持ち主が、<日本そのものの解体>を目的として行動しているのだろうか??
 何度でも書いておきたい。何の、誰の影響を受けたのか知らないが、月刊正論編集長・桑原聡の<感覚>は異常なのではないか

1090/撃論第4号-中川八洋の東口暁・月刊WiLL批判。

 昨年10/26と11/08のエントリーで、雑誌・撃論第3号(オークラ出版)に言及している。
 同・撃論第4号(2012.04)を最近に概読した。
 前号では背中に<月刊WiLLは国益に合致するか>と書かれていて、その特集が主張したいほどではあるまいと感じた。但し、今回の号を読んで、月刊WiLL批判が当たっていると感じる程度は、少しは大きくなった。
 それは、月刊WiLL(ワック)が東谷暁や藤井聡という<西部邁・佐伯啓思グループ>メンバーに橋下徹批判を書かせていることに関係しているが、この撃論は再び(背表紙に謳ってはいないが)、橋下徹批判をしている東口暁の<TPP亡国論>を指弾する中川八洋の論考を掲載しており、かつ中川は「民族系月刊誌『WiLL』」をも大々的に批判しているからだ。
 中川は「TPP賛成派はバカか売国奴」とまで銘打ったこともある月刊WiLLにお馴染みの雑談話の堤堯と久保紘之も批判していて、久保を「テロリスト願望のアナーキスト」、堤を「無国家主義者・非国民であるのを公然と自慢」などと批判している。また、よりまともな?TPP反対論者の中野剛志も批判している。
 堤らに大した関心はないし、中野の議論には関心はあるがその本を読んでいないので、ここでは紹介はしない。
 といって東口暁のTPP亡国論批判をそのまま紹介するつもりもないが、中川八洋は東口について、こう言う。
 「TPP加盟を『日本は米国の属国になる』などと叫びながら、大中華主義に従った、日本の中共属国化である『東アジア共同体』を批判しない論など、非国民の危険な甘言にすぎない」(p.109)。
 また、「左右に巧妙に揺れる”マルクス主義シンパ”東口暁」、「『中共の犬』が本性か?」などと題して東口の論述内容を批判している(p.119-)。
 もともと東口の経済論議を信頼性が高いとは思ってはいなかったが、関心をとくに惹くのは、橋下徹はTPP賛成論者である一方、東口暁は同反対論者であり、その東口を中川八洋が、「非国民」、「マルクス主義シンパ」等と批判している、ということだ。
 中川は月刊WiLLには論及しているが、<西部邁・佐伯啓思グループ>に言及しているわけではない。だが、西部邁は橋下徹と違ってTPPに反対だと明言してもいるのだ(最近の週刊現代3/17号p.183も参照
 グループとして一致しているかは確認していないが、西部邁と東口暁はTPPについて(も)同じような考え方に立っていると理解してよく、従って中川八洋は西部邁(さらに佐伯啓思らとのグループ?)とも対立している、ということになろう。
 さらに関心を惹くのは、中川八洋は東口を、米国には厳しく中国(中共)には甘い、反共よりも反米を優先している、という観点から糾弾しているのであり、このような批判または疑問は、<西部邁・佐伯啓思グループ>に対して私が感じてきたものと基本的に同じだ、ということだ。
 「東口は”中共の犬”で、日本国の安全保障を阻害する本物の売国奴と考えてよいだろう」(p.122)とまで論定してよいかどうかは別としても、西部邁、佐伯啓思、東口暁らは、反米自立(または反近代西欧)の重要性をそのかぎりではかりに適切に強調してきているとしても、中国またはコミュニズムに対する批判を全くかほとんど行わない、という点で見事に?共通している。
 彼らについて、「左翼」と通底しているのではないかと(やや勇気をもって)書いたこともあった。この点を、中川八洋は明確に指摘し、論難しているのだ。中川からすると、東口などは「マルクス主義シンパ」の「左翼」そのものであるに違いない。
 中川八洋が共産党員・共産主義者(コミュニスト)というレッテル貼りを多くの者に対してし続けているのは、少なくともにわかには賛同できないが、しかし、中川の「反共」(少なくとも中川にとっては=「保守」)の感覚は鋭くかつ適切ではないかと私は感じている。
 <西部邁・佐伯啓思グループ>は、「保守」主義を自称しつつもじつは「反米的エセ保守」ないし「民族的左翼」、もしくは「合理主義的(近代主義的)保守」とでもいうような(同人誌的)カッコつき「思想家集団」であって、本来の<保守>陣営を攪乱している存在なのではないか、という疑念を捨て切れない。
 別に佐伯啓思にからめて書きたいが、西部邁・佐伯啓思らは、「日本的なもの」・「日本の伝統・歴史」なるものを抽象的ないし一般論としては語りつつも、国歌・国旗問題に、あるいは「天皇制」の問題に(皇統継嗣問題を含む)、じつに見事に、具体的には論及してきていない。中共、北朝鮮問題についても同じだ。
 なお、このグループの橋下徹批判、TPP反対論、これら自体は、日本共産党の現在の主張と何ら異なるところがない。ついでに、このグループの中島岳志は依然として、「左翼」週刊金曜日の編集委員のままだ。
 中川八洋の批判は月刊WiLLにも向けられていて、月刊WiLL=世界=前衛=しんぶん赤旗であり、「赤色が濃く滲む、保守偽装の論壇誌」と「断定して間違ってはいまい」とまで書いている(p.113)。
 これをそのまま支持するものではないが、月刊WiLLは、そして同編集長・花田紀凱は、かかる批判・見方もあることを自覚し、かつ中川八洋もまた執筆陣に加える(中川に執筆依頼をする)ことを考慮したらどうか。
 蛇足ながら、東口暁は月刊正論の「論壇時評」の現在の担当者でもある。月刊正論(産経新聞社)だからといって、すべてがまっとうな「保守」論客の文章であるわけではないことを、言わずもがなのことだが、読者は意識しておく必要がある。

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