1.ルソーは将来の「フランス革命」の具体的戦略・戦術を論じてはいない。マルクスも、将来の「ロシア革命」の具体的戦略・戦術を論じてはいない(それをしたのはレーニンだ)。
 だが、ルソーが「フランス革命」の理論的・理念的ないし<思想的>根拠を、マルクスが「ロシア革命」の理論的・理念的ないし<思想的>根拠を提供したからこそ、ルソーとマルクスは後世にまで名を知られ、影響を与えたのだろう。言うまでもなく、「フランス革命」と「ロシア革命」は現実に(とりあえずは)<成功した>革命だったからだ。「フランス革命」と「ロシア革命」が現実に生起していなければ、ルソーもマルクスも、現実に持ったような「思想」的影響力を持たなかったように思われる。
 2.ルソーのいう「社会契約」等が内容的・思想的にフランス革命に影響を与えただろうことは推測がつく。また、『人間不平等起原論』が人間の「本来的平等」論につながるだろうことも判る。だが、ルソーとフランス革命の関係、前者の後者への具体的影響関係は必ずしも(私には)よく分からないところがある。
 前回言及の小林善彦ら訳の本(中公クラシックス)のルソーの年譜に、1778年に死去してパリの「エルムノンヴィル邸」(城館)に面する池の中の「ポプラの島」の埋葬されたが、1794年10月11日に遺骸が「ポプラの島」から「パンテオン」に移されて葬られた、とある。中心部の南又は東南にある「パンテオン」はフランス又はパリの<偉人>たちの墓でもあるらしいので、ロベスピエールの失脚(斬首)のあとの、1794年10月段階の穏健「革命」政府によって積極的に評価された一人だったことは確かだ。
 詳細な人物伝ではないが、中里良二・ルソー(人と思想)(清水書院、1969)という本があり、次のような文章を載せる。
 ・「ルソーの『社会契約論』は、その存命中にはあまり広くは読まれなかったが、かれの死後、革命家たちの福音書になり、デモクラシーの精神を発達させるのに役立った。そして、一七九三年には、ロベスピエールとサン=ジュストは、『社会契約論』を典拠として国民公会憲法をつくったという」(p.24)。この「国民公会憲法」は1793年制定だとすると、これは<プープル(人民)主権>を謳った、しかし施行されなかった、辻村みよ子お気に入りのフランス1793年憲法のことだ。
 ・「ルソーがフランス革命において、ただ一人の先駆者」ではないが、「その一人であるということはできよう」。「一七九一年一二月二九日、デュマールは国民議会でルソーの像を建てることを提案する演説の中で、『諸君はジャン=ジャック=ルソーの中に、この大革命の先駆者をみるだろう』といっている」。
 ・「マラは一七八八年に公共の広場で『社会契約論』を読んでそれを注解し、それを熱心に読んだ聴衆が拍手喝采したという」。
 ・「一七九一年には、モンモランシーに建てられたルソー像には『われわれの憲法の基礎をつくった』と刻まれている」(以上、p.25)。
 このあと、中里良二はこうまとめる。
 「このような例だけによってみても、ルソーのフランス革命への影響がいかに大きかったかがうかがい知られる…」。
 ロベスピエールを<ルソーの子>又はこれと類似に表現する文献を読んだような気がする(中川八洋の本だったかもしれないが、確認の手間を省く)。
 ともあれ、ルソーのとくに『社会契約論』は(他に所謂<啓蒙思想>等もあるが)「フランス革命」の現実の生起に<思想的>影響を与えたことは間違いないようだ。
 なお、松浦義弘「ロベスピエール現象とは何か」世界歴史17・環大西洋革命(岩波講座、1997)p.200によると、ロベスピエールは「ルソーの霊への献辞」と題する文章の中で、「同胞たちの幸福」を求めたという自らの意識が「有徳の士にあたえられる報酬」だ、と書いたらしい。
 3.もっとも、以上は、松浦義弘(1952~)のものを除いて、フランス革命を<進歩的>な<良い>現象と捉えたうえで、ルソーにも当然に肯定的な評価を与えるものなので、その点は割り引いて読む必要がある。
 中里良二(1933~)の本の「はしがき」は次の文章から始まる。
 「ルソーは、今日にもっとも影響を及ぼした一八世紀の思想家の一人である」。
 その「影響」が人類にとって「よい」ものだったか否かはまだ結論を出してはいけないのではなかろうか。
 しかし、小林善彦(1927~)はこうも書いている。
 『社会契約論』は理解困難だった歴史をもつ。「二〇世紀の後半になると、ルソーこそは全体主義の源流だと見なす研究者さえ出てきている。時代背景も著者の生涯も無視して、たんにテクストだけを切り離して読むならば、そう読めないこともないとはいえるが、それならばルソーが二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした影響をどう説明するのだろうか。やはり素直に読めば、主権者たる市民による民主主義の主張の書として読むのが正しいのではないかと思う」(中公クラシックス・ルソーp.18)。
 ここでは、①「たんにテクストだけを切り離して読むならば」、「ルソーこそは全体主義の源流だ」と「読めないこともないとはいえる」、と認めていることが興味深い。そして、フランス革命時の革命家たちは「テクストだけを切り離して」読んでいたのではないか、と想像できなくもないので、彼らは実質的には<全体主義>者になったと言うことも不可能ではない、ということになりそうなことも興味深い。
 ②疑いなく、「主権者たる市民による民主主義」を、肯定的に理解している。全世界に、少なくとも日本とっても<普遍的に正しい>思想だと理解している。かかる、小林善彦が当然視しているドグマこそ疑ってかかる必要があるのではないか、と特段の理由づけを示すことなく、言えるだろう。佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)という本もあった。
 もっとも、日本の中学や高校の社会系教科書では、圧倒的に、ルソーは小林善彦らの(従来の)通説に従って評価され、叙述されてはいるのだが。
 ③「ルソーが二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした影響をどう説明するのだろうか」との指摘は<全体主義の源流>論に対する、何の反論にもならない。<二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした「悪い」影響>の可能性を否定できない。ルソー(・フランス革命)はマルクスに影響を与え、従って「ロシア革命」にも影響を与えた。共産主義(コミュニズム)による一億人以上の殺戮に、ルソーは全く無関係なのかどうか。