秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

中谷巌

1010/中谷巌は産経6/14「正論」で<脱原発>と言うが…。

 〇中谷巌が、産経新聞6/14の「正論」欄で最後にこう主張している。
 「文明論的にいえば、『脱原発』は、自然は征服すべきものだというベーコンやデカルトに始まる西洋近代思想を乗り越え、『自然を慈しみ、畏れ、生きとし生けるものと謙虚に向き合う』という、日本人が古来持っていた素晴らしい自然観を世界に発信する絶好の機会になるのではないだろうか」。
 知識人らしく?「文明論」的に語るのはけっこうだが、これはあまりにも単純でナイーヴな議論ではなかろうか。
 少しだけ具体的に思考してみよう。原子力(発電所)によるエネルギー供給が「ベーコンやデカルトに始まる西洋近代思想」の所産で、今やそれを「乗り越え」、日本古来の「素晴らしい自然観」を発信するときだ、と言うのならば、日本では毎年少なくとも1万人程度は死亡者(事故後3日を超えての死亡者を含む)を生む<凶器>でもある自動車の発明も「近代」の所産で、今やその製造も止めるべきではないのか。
 正確な統計は知らないが毎年必ず少なくない人命を奪っているはずの事故の原因となっている航空機の発明も「近代」の所産で今やその製造も止めるべきではないのか。きりがないが、交通事業に供されている鉄道という近代文明の利器もまた、殺人凶器になりうる「近代」の所産で、今やその供用も利用も止めるべきではないのか。さらにまた、IT技術自体も「近代」の最先端のものかもしれないが、<秘密の私的事項>の狭隘化とでもいうべき危険も内包しているというべきだろう。他にも<危険性>が(本来的・内在的に)付着した、「近代思想」の所産はあり、中谷巌も産まれたときからそれらの恩恵を受けているだろう。
 <脱原発>と言うならば、そしてそれを<西洋近代思想>の限界(または終焉の兆し?)と結びつけて何らかの<文明論>を語るならば、原発と自動車・航空機・鉄道等との<質的な>違いをきちんと明らかにしたうえで主張すべきだろう。
 もともと中谷巌の書いたものをまともに読んだことはなく、信頼するに足る人物とは全く思ってはいないのだが。
 〇脱原発・反原発といえば、西尾幹二(月刊WiLL7月号)や竹田恒泰(新潮45・7月号)はこちらの側の論者であるらしい。きちんと読んだうえで、何かをメモしよう。
 〇小林よしのりの変調とともに隔週刊・サピオ(小学館)を読まなくなったあと、その代わりにというわけでもないが、月刊・新潮45(新潮社)を読むことが多くなった。佐伯啓思の「反・幸福論」の連載があるからでもある。その他、月刊WiLL(ワック)や月刊正論(産経新聞社)も毎号手にしているので、すべてを読むことはできていないにしても、佐伯啓思の論考とともに、何がしかの感想をもち、コメントしたくなった点もあったはずだが、けっこう重たい、簡単にはコメントしたり概括したりできないものもあるので、この欄にいちいち書き込めてはいない。隔月刊・表現者(ジョルダン)の諸論考等も同様。

 それにしても、日本の政治(・政界)の、あるいは「国家中枢」の<溶解ぶり>(メルト・ダウンだ)の中で、上に挙げたような雑誌の<言論>はいったいいかなる程度の影響力を現実的に持っているのだろうか、という虚しい気分もなくはない。そんな現実的効用とは別に、何かを語り、論じたくなるのが、知的生物としての人間の性なのかもしれないが。但し、各雑誌(・発行会社)の<そこそこの>収益のための原稿・論考にすぎなくなっているのであれば、それに付き合わされる読者は何というバカだろう。 

0689/中谷巌、野口悠紀夫の最近の論述の一部-週刊ダイアモンド・週刊東洋経済。

 〇中谷巌は、同・資本主義はなぜ自壊したのか(集英社)で、「新自由主義」は「間違っていた」と自己批判して注目されているらしい(未読)。
 まだ「自壊した」とは言えないと思うが、それはともあれ、週刊ダイアモンド3/21号(ダイアモンド社、2009)で中谷はこんなことを語っている。p.65。
 ・「非正規」も含めて人材は切るべきでない。貧困層を切り捨てるのが「欧米型」で、「みんなで痛みを分けて乗り切ろう」というのが日本型。
 ・「明治維新以降、日本は必要以上に自国を卑下し、西洋を追いかけてきたが、そろそろ間違いに気づくべきだ」。
 「談」らしいので厳密には語っていないことを割り引いても、前者のような対比は単純過ぎるような気がする。何よりも、後者の言い分には驚いた。「必要以上に自国を卑下し、西洋を追いかけてきた」という「間違いに気づくべきだ」と言う。明示的ではないが、ひょっとして、「必要以上に自国を卑下し、西洋を追いかけてきた」意識を持っていたのは中谷巌本人なのではないか。「そろそろ…気づくべきだ」という文からは多くの他人はまだ気づいていないかの如きだが、はたしてそうなのだろうか。
 中谷巌が属している経済学を含む大学、あるいは(戦後)日本のアカデミズムの世界こそ、「必要以上に自国を卑下し、西洋を追いかけてきた」という「間違い」を継続してきたのではなかろうか。
 〇同じ週刊ダイアモンド3/21号の連載欄では、野口悠紀夫が以下のようなことを語る。p.140-1。
 日本で行われた「半国有状態での銀行への資本注入」も、「…金融システムを防止」したと肯定的に評価されているが、(アメリカの近時のそれと同じく)「レモン社会主義」で、問題にされるべきだった。戦後日本の金融行政(護送船団方式)自体も「弱い銀行を守るという建前に隠れて、強い銀行が利益を得る」という意味で「レモン社会主義」だった。
 ここで「レモン」とは、<腐っていても外からは見えない>の意で、本当に救済できるか判らないままの企業(銀行)の経営実態を指すものと思われる。そして、アメリカでは、国有化と半国有化は納税者から見ると、失敗したときに負担をかぶる点では共通するが、成功したときには「現在の株主」のみが利益を得る、という点で異なる、そこで銀行への公的資金投入に対して共和党は「納税者負担」の観点から反対し、「リベラル」も「株主〔のみ〕が再建の利益を得る可能性がある」から反対している、と野口は言う。
 以上のあとで、野口はこう述べる。
 ・「今から考えれば、日本の議論は(私のも含めて)底が浅かった」。「銀行が破綻すると混乱が起こるから…救済する必要」ありとの議論と、「納税者の負担になるから望ましくない」との議論しかなかった。
 ・「リベラル」自任者は、「国有化しない銀行に対する資本注入は、資本家に不当に有利」という議論をすべきだった。
 ・「アメリカ型資本主義はダメ」という議論では、「浅さは変わらない」。
 ・アメリカは日本がしたこと(半国有化方式)をするだろうが、「レモン」であることを認識している点で、日本とは異なる。
 ・昔から日米の違いは「政治と大学」だと思ってきた。「今金融危機をめぐる議論を見て、その観を強くする。これは深い敗北感である」。
 以上、野口が「私のも含めて」日本の議論は「浅かった」とし、アメリカと比べての「深い敗北感」を覚える、と明言しているのは、興味深いし、メモしておくに値するだろう。
 〇野口悠紀夫は、週刊東洋経済3/21号(東洋経済新報社、2009)ではこんなことを書く。連載ものの大きなタイトルは「変貌をとげた世界経済/変われなかったニッポン」で、「世界」に比べて「変化」又は「改革」が日本には足りないとの旨が含まれていそうだ。この回(第22回)のタイトルは「サッチャーとレーガンの経済改革が世界を変えた」。
 ・サッチャー改革は、抽象的には「大きな政府」・「福祉国家」・「ケインズ主義」の「見直し、ないしは否定」。評価は異なっても、この改革が「現実を大きく変えた」ことは否定できない。
 ・「今、その行き過ぎに対する批判が生じている」。ではサッチャー以前に戻ろうとするのか? 結論的には、イギリス、アメリカ、アイルランドは「進みすぎ」、日本、ドイツは「変わらなさすぎた」。問題はどちらにもあった。
 ・「小泉郵政改革」は「サッチャー、レーガンの延長線上のもの」とは「私には…思われない」。小泉以前に郵政は公社化されていて、公社を会社形態にしただけ。財政投融資制度にかかわる「カネ」の流れの変化も「小泉改革」の以前から。
 このあと英米の「改革」に関する叙述があるが、日本の、とくに「小泉改革」又は「構造改革」の分析等?はたぶん次号以降になりそうだ。
 さて、朝日新聞、産経新聞等のマスメディア、とくに民主党・社民党といった野党政党、そして評論家(論壇人?)たちは、小泉純一郎首相時代(その前の森・小渕・橋本まで遡ってもよいが)、むろん個別論点ごとでよいのだが、政府の<経済(・金融)政策>に―財政が絡むと<福祉>を含む政策全般になる―どのような主張をしてきたのだったのだろうか。当時にしていない主張を今になってしている、当時主張していたことと真逆のことを今は主張している、ということはないだろうか。

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