但し、これは表向きの文章に着目したもので、実質的には、西尾幹二のものの方がさらに「進んでいる」。
西尾幹二は当時月刊WiLL(ワック)上に<皇太子さまへの御忠言>を連載中か連載後で、小和田家は雅子妃を「引き取れ」と明記していたのだから、皇后就位資格を疑問視していたのは当然のことだった。
上の諸君!7月号上の文章では、末尾にこう書いていた。
「皇太子妃殿下のご病気と治療、ご行動と思想に取り返しのつかない事態が進行するより前に、福田総理大臣閣下が皇室会議を招集し、必要にして緊急な、後顧の憂いなき方向を模索し、打開して下さることを期待してやまない」。
ここでは、皇太子妃の皇后就位再検討必要(不適格)論を前提として、それを具体化する方策(の第一歩)を提言している。
首相は皇室会議を招集せよ、と主張していたのだ。
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二 首相が皇室会議の議長であり、招集権を有することに間違いはない。
では、西尾は、いったい何を議題とし、どういう結論を(議員の多数決で)得られることを期待していたのだろうか。
現行法律の<皇室典範>上、皇室会議が議決できる事項、あるいはその議決が必要な事項は限定されている。
西尾の願望は「皇太子妃殿下」の「行動と思想に取り返しのつかない事態」が進行することの阻止にある。その真意からすると、とりあえずは皇后位就位資格の否定ということになるだろう。
しかし、これを直接に議決できる権限は皇室会議にはない。
「皇嗣」たる皇太子が天皇に就位すれば、それに伴って皇太子妃は皇后に就位することを法律は当然のこととしていると思われる。10条は「立后」には皇室会議の議決が(形式上)必要である旨定めるが、皇太子が天皇になるときでも同妃が皇后になることができない場合がある旨や、あるとしてもその場合の要件を全く記していない。
但し、皇太子に天皇就位資格がなくなれば、上の事態=皇后就位は発生しない。
これに関係するのが、つぎの定めだ。
皇室典範第3条「皇嗣に、精神若しくは身体の不知の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、…、皇位継承の順序を変えることができる」。
この条項が定める大きなニつの要件のうち「重大な事故」に「祭祀をしないこと」は該当すると明記したのは、上の56の文書のうちの八木秀次のものだった。八木はそれ以上は明記していないが、皇嗣たる皇太子の配偶者=皇太子妃が「祭祀をしない」ときも上の規定を準用できる、従って皇位「継承の順序を変える」ことが可能だ、という含みをもっていた、と読むことができないではない。
しかし、皇太子と皇太子妃を実質的にせよ同一視・一体視するのは、法解釈としてはほとんど不可能だ。
西尾幹二も、上の条項に言及しない。そして、「必要にして緊急な、後顧の憂いなき方向」の模索・打開を求めるにとどめている。
善解すれば(良いように理解すれば)、現行皇室典範上は採りうる方策は存在しないことをきちんと理解したうえで、上のようにだけ書いたのだろう。
しかし、皇太子妃の皇后就位資格を疑問視しただけの中西に比べると、その積極性は明確だ。当時の首相に対して、皇室会議を招集して一定の方向で「模索」することを明示的に要求していたのだから。
論理的には、法律改正案提出権を持つ内閣の長に、皇室典範改正によって雅子皇太子妃の皇后就位を不可能にすることを可能とする条項の新設を求めていた、という可能性もある。
あるいは、現行法律は皇室会議の権限を明文がある場合に限っていない、つまり、法的効果をもつ議決以外に、「要請」あるいは「お願い」を皇太子や皇太子妃等の皇族に対して行うことができる、という法解釈を前提として、祭祀への出席をとか、さらに進んで祭祀出席がないならば皇太子・同妃は離婚を(雅子妃は小和田家が引き取れ!)とかを「お願い」すべきだ、と考えていたのだろうか。
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三 2008年に上のように公の雑誌上で書き、ほぼ同時期に別途『皇太子さまへの御忠言』(2008年9月、ワック)を単行本で出版した西尾幹二は、2019年の雅子妃の皇后就位時に、自己のかつての主張についていったいどうのように論及したのか?
中西輝政について先日書いたことは当然に、西尾幹二にも当てはまる。
何も触れないようなことは、「よほど卑劣な文章作成請負自営業者でなければ、あり得ないだろう」。
西尾は、実際には、中西よりも<ひどい>。つまり、もっと<卑劣>だった。
2019年の前半に、西尾は天皇または皇室関連の少なくともつぎの二つの記事を公にした。
①月刊WiLL2019年4月号「皇室の神格と民族の歴史」(岩田温との対談)。
②月刊正論2019年6月号「新天皇陛下にお伝えしたいこと/回転する独楽の動かぬ心棒に」。
しかし、かつて雅子妃の「行動と思想」を自分が批判していたこと等について、いっさい、何も言及していない。後者では何と、<祝・令和>の「記念特集」に登場している。「新天皇」の后は、いったい誰なのか。
驚くべき、恐るべき「意識」と「精神」の構造が西尾幹二にはある。
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四 諸君!2008年7月号に戻ると、56の文章のうち、雅子皇太子妃に対して明らかに批判的なのは、多く見積もって5〜6で一割程度だ(もっとも、56人の選定基準が明確でないので、この割合に大した意味はないかもしれない)。
大袈裟に騒ぐ問題ではない旨書いてある数の方が多いが、そのうち西尾幹二の名を出して西尾をはっきりと批判しているのは、笠原英彦だった。
笠原の見解全体を擁護するのではないが、西尾批判の部分を、以下に紹介しておく。p.197。
西尾の論を「読み進むうちに、だんだんイデオロギーがにじみ出てくるのには正直いって驚いた。//
東宮をめぐる氏の論評の根拠となる情報源は何処に。
いつのまにか西尾氏まで次元の低いマスコミ情報に汚染されていないことを切に祈る。
氏の論考は格調高くスタートして、しだいに『おそらく』を連発しながら思いっきり想像を膨らませ、ついにエスカレートして妃殿下を『獅子身中の虫』と呼び、結果として週刊誌の噂話の類まで権威づけてしまった。//
そして唐突に『朝日』、『NHK』、『外務官僚』が批判的トーンで登場する。
同志へのエールのおつもりか。
かくして、一般読者は煙に巻かれるのである。
西尾氏…でもイデオロギーを身にまとうと、迷走、脱線を免れない。」
以上。
高森明勅によると、当時西尾は雅子皇太子妃の病気は「仮病」だとテレビで発言したらしい。
また高森は、最近のブログ上で、『御忠言』は「タイトル」だけで、中身は「確かな事実に基づかないで、不遜、不敬な言辞を連ねたもの」だった、とする。
笠原は上で「イデオロギー」という言葉を用いている。西尾の場合は「同志」のいる「イデオロギー」はまだ綺麗すぎ、西尾幹二の「意識」・「精神構造」に全体としてあるのはおそらく、「私小説的自我」を肥大させた、この人独特の「妄想と幻想の体系」とでも称すべきものだろう。
問題はまた、そのような西尾を<保守の論客>の一人として遇してきている一部情報媒体(とくに編集者)に見られる、「知的劣化」のひどさにもある。
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