秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

中川八洋

1910/言葉・文章と「現実」③-元号。

 成文法とは別に不文法があるとは一般論として言えるし、より具体的には、憲法(日本国憲法)よりも高次にある日本に固有の「法」があるという主張が分からなくはない。
 しかし、それは具体的に何かは明確ではない。「法」とは必ずしも、日本に固有の歴史的伝統的価値と同義ではない。歴史的伝統的価値があるとしても(それは具体的に何かも問題だが)、それは倫理、習俗、宗教、世界観・死生観等として継続し得るもので、「法」である必然性はない。
 ここで当然に「法」とは何かが問題になる。マルクスが言ったという、究極的「共産主義」社会での<国家と法の死滅>に影響を受けているわけではないが、「法」をその他の諸規範と区別するのは、国家又は人間集団が帰属する共同体を何らかの意味で「現実に」規律しようとするもので、何らかの意味での「現実化」するための装置が国家又は共同体によって用意されている、ということだろう。
 幼稚なものだが、このようにでも解しておかないと、「法」が諸々の規範と同じものになってしまうか、残る諸規範と区別することができない。
 さて、憲法(日本国憲法)よりも高次の日本に固有の「法」があるという主張はそれとしてあり得ると思うが、具体的に何かは個別に検討されなければならない。
 急に具体的な話題になるけれども、中川八洋が最近に奇妙な、または不思議な主張を天皇・皇室問題について行っていて、その小さな一つは、「天皇の大権である元号制定権に従い、新元号は新天皇にしか制定できない」(2019.01.15)、というものだ。
 この主張はある程度は<日本会議>派とも共通していて、彼らの中には、新元号の発表は新天皇の即位後に新天皇によって行われるべき、と考えるものもあるらしい(その他のいくつかの論点はあるが、立ち入らない)。
 しかし、天皇自身による元号制定・施行が日本の「歴史的伝統的」価値あるいは「法」だったとしても、それが現在までそのまま続いているかどうかは問題になる。
 元号あるいは国歌・国旗の類は最高の(とされる)成文法である憲法典の中に関係条項があってもよいと思うが、現在の日本国憲法には関連条項はない。「世襲」天皇制度を現憲法が明文で認めていることを根拠にして、従前に天皇が有していた「大権」もそのまま継続して認められるという憲法解釈が全く成り立たないとは思えないが、従来の「大権」をほとんど実質的に否認する条項は現憲法上に数多い。そして、「元号」決定権または「元号」制度自体の継続それ自体についてすら、憲法上には明文規定がない。
 そして、この問題を解決したことになっているのは、憲法上の明記ではなく、<元号法>という、憲法よりは下位の<法律>だった。
 「 元号法(昭和54年法律第43号)
 1 元号は、政令で定める。
 2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
 附則
 1 この法律は、公布の日から施行する。
 2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。」
 1979年(昭和54年)6月12日に公布・施行。
 これによると、元号法はさらに<政令>へと元号決定権を委ねている。
 政令とは現憲法上の「内閣」が制定するものだ(これにはいちおう明文規定がある)。
 とすると、これに従えば、元号決定権能は、内閣にある。
もちろん、これを認めず、不文法をこの法律・政令に優先させようとする議論はあり得る。
 しかし、もともとは、<元号法制化>運動は、「昭和」以降を憂慮しての、どちらかというと<保守>または<右派>が主導したものだった。そうだとすれば、元号法制化を推進した人々は、元号決定を天皇の権能とし(但し、現憲法では内閣の助言等に基づくことにはなろう)、上の第一項には断固として反対すべきだった。そのように賛成政党に対して、強力に働きかけるべきだった。
 中川八洋に責任があるとは言わないが、この元号法の制定と施行に大きな反対をしないでおいて、ほぼ40年も経ってから上の第一項と矛盾することを主張するのは奇妙なのだ。
 憲法以上の伝統的な日本の不文「法」または憲法に違反している、と1979年の時点において、元号法(という<法律>)の内容に反対する運動を激しくしておくべきだったのだ。
 しかして現在、今年の4月1日には新元号が「発表」されるらしい。
 ということは、内閣は新元号を3月31日の深夜か4日1日早くに「決定」するのだろう。前日「深夜」と書いたのは、前日の昼間の閣議で決定したのでは、翌日午前0時までにその内容(新元号)が「漏洩」する恐れがあるだろうからだ。そして、たぶんすみやかな公布ののちに施行は5月1日(午前0時)とされるのだろう。この施行によって元号は「改め」られることになる。
 こうして、(種々の運用の可能性のあることには立ち入らないが)、40年前の元号法が定めた「規範」の内容は「現実」化されようとしている。
 中川八洋は「天皇の大権である元号制定権」を剥奪した(しようとしている)のは安倍晋三だとのごとく主張しているが、そうではなくて、とっくに(「違法」・「違憲」だとは確定されていない)法律が天皇の「元号制定」大権を否定しているのだ。そして、今日までそれは、<現実>には、異論をたぶんほとんど挟まれずに推移してきた。
 中川八洋の主張は(それ以外の点も含めて)ひよっとすれば「正しい」のかもしれない。
 しかし、<言葉・文章>上の主張内容がいかに「正しい」ものであっても、あるいは最適なものであっても、それが<現実>になるとは限らない。
 また、<言葉・文章>上の主張内容がいかに正しく、いかに美しくとも、そのように<言葉・文章>を書いたり語ったりしている者が、本当に正しく美しい行動を<現実>に執るかどうかは全く分からない、という基本的論点もある。
 「言葉・文章」と「現実」の乖離は、あるいは前者による主張が後者につながるわけでは決してないことは、これまでの歴史上の(日本に限らず)、貴重な教訓でもあるだろう。
 ところで、中川八洋からかつて多くを教えられたし、その「保守」=「反共産主義」という明確な姿勢は貴重なものだ。
 しかし、最近のブログ欄の主張を読んでいると、上のほかにも、奇妙なものがある。
 例えば、退位式典が4/31で即位式典が5/1とされていることをもって「空位」が生じる、という主張もしていると解される。しかし、両者は近接した、又は継続した儀式である方が望ましいという主張は理解できるとしても、あくまで両者は「式典」なので、5/1の午前0時の一瞬間に退位(又は譲位)と即位が連続して行われる、と当然に理解することができるのではないか。こちらの方が、常識的・良識的な理解なのではないか。
 「きわめて賢い」中川八洋が、大正・明治以前の、あるいは光格天皇譲位の際以前の皇位継承の「実務」が、そのまま現在の「実務」を拘束するわけではないことは理解できるだろう。現憲法とそのもとでの法制によって「現実」は実現されていかざるを得ないことは理解できるだろう。
 この人は、現憲法「無効」論者だったのだろうか。
 日本会議派諸氏の「あほ」ぶりとはまた別だが、ひどく残念に感じざる得ない。

1566/『自由と反共産主義』者の三つの闘い⑥-共産主義とリベラル民主主義。。

 「池よりも、湖よりも海よりも、深い涙を知るために。/
  月よりも、太陽よりも星よりも、遠くはるかな旅をして。」
 小椋佳・ほんの二つで死んでゆく(1973)より。作詞・小椋佳。
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 1) 「民主主義対ファシズム」という虚偽宣伝(デマ)
 2) 反「共産主義(communism)」-強いていえば、「自由主義」
 3) 反Liberal Democracy-強いていえば「日本主義」または「日本的自由主義」。
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 すみやかに正しておこうか。
 前回に 1) 2) は勝利できる可能性はあるが(つまりは極端にいえば<全面対決>の問題だが( -1)はデマとの闘い)、3) はこれと違って、どう<切り分ける>かの問題だというようなことを書いた。
 次元の違いを意識したつもりだったが、どうも考え不足だ。
 つまり、Liberal Democracy の中に、「共産主義(communism)」は含まれるのか、という問題だ。
 言葉ないし概念の問題として、含まれているとすれば、Communism をまずはLiberal Democracy から除去する闘いを先にして勝利したうえで、Liberal Democracy のうちから「日本」と矛盾しない、又は積極的に採用すべきものを<切り分けて>取り出すことになる。
 含まれていないとすれば、それはそれで、前回のとおりの説明でよい。
 しかし、欧米的 Liberal Democracy は、Communism と異質なものだろうか。
 これは言葉・概念の問題として処理してもよいが、歴史的・思想史的な考察も必要だ。
 既存の知識によれば、二つの理解がありうる。
 一つは、ズビグニュー・ブレジンスキーが語っていたことで、欧米的なフランス革命以降の「自由・民主主義」は「共産主義」とは無縁で、後者は前者の正常な進行から「逸脱」したものだとする。
 一方で、読んできたものの中では、フランス革命-ロシア革命を一つの線上に、つまり前者の不可避的な(あくまで一つだが)結果と考えるものが多いようだ。
 ルソー/フランス革命-マルクス・レーニン/ロシア革命、という系譜になる。
 フランソワ・フュレもその一人で、この人は、フランス人だからだろうか、マルクスの諸叙述の中のルソーやフランス革命への言及の仕方を追跡しようとすらしている。下記。
 マルクスとフランス革命=今村仁司他訳(法政大出版局、2008)。
 ルソー・「市民革命」にマルクス主義やロシア革命の淵源の確かな一つを見る。
 また、マルクスも、<ブルジョア民主主義革命>の担い手たちへの敬意を隠さなかったし、一度だいぶ前に、レーニン『国家と革命』に関する平野義太郎の分析・注釈書を通じて、レーニンもまたフランス革命を大いに参照していたことを記したこともある。
 前回に書いたときの感覚とは違って、やはり、欧米的 Liberal Democracy とCommunism は無関係ではない。そもそも、後者は、日本とは無縁に、ヨーロッパで(ドイツ人により)生まれた異質な思想であるとともに、欧米的 Liberal Democracy がなくしては、誕生していないだろう。
 「奇胎」・「鬼子」かそうでないかは、一種の価値判断を含む。
 「奇胎」・「鬼子」か正嫡子かのどちらかであれ、あるいは「逸脱」か「発展(の一つ)」のいずれであれ、欧米的 Liberal Democracy の基礎のうえに「共産主義」もある、という理解がおそらく適切だろう。
 そうだとすると、2) の闘いは、当然に、3) の中にも持ち込まれ、やはり結局のところ、三つの闘いは相互に分かち難く、相互に関連しあっていることになる。
 しかし、どうもこの 3) の論点が最終の基本的課題にはなりそうだ。ずるずると他の論点を引き摺りながら、この論点を意識した論争もまた必要であることになる。
 あえて文献を提示しないのだが(それをすると途方もない時間がかかる)、中川八洋には、2) に関するきわめて旺盛な問題意識がある。彼の目からすると、反共産主義の姿勢が明確でない者は、全て<日本共産党員>であると-ここでは極端に概括しているかもしれないが-見なされる可能性がある。西尾幹二も、櫻井よしこも変わりはない。
 しかし、中川八洋の問題性は(反共産主義の点で全く問題がないとは思わないが、それはさて措き)、3) の問題意識がないか希薄なことだろう。
 一方、佐伯啓思には、3) に関する問題意識が強くある。しかし、佐伯啓思には、2) の問題関心がないかきわめて乏しい。「日本会議」宣言書のご託宣のごとく、「マルクス主義」との闘いはもう必要がないがごとくだ。
 また、せっかく反 Liberal Democracy の趣旨を詳しく説きながら、佐伯啓思における「日本」は曖昧なままだ。西田幾多郎等々に少し遡っただけでは、たどり着けないのではないだろうか。
 「日本」とか「愛国心」とかを語りつつ、佐伯啓思における日本の将来像はクリアではない。
 誰も完璧ではないし、誰かに完璧さを期待してもいない。
 それぞれに限界はあるものだと、思わざるをえない。
 佐伯啓思は「日本会議」派に比べるとはるかに理性的・合理的だが、しかし、例えば日本の現実政治についての「感覚」は、どこかおかしい。橋下徹について<ロベスピエールの再来の危険>などを指摘し始めてから、私は佐伯から離れてしまった。たかが大阪府知事・大阪市長にこのような大仰なことを言うのは、<ファシスト(ハシスト)>扱いと、どこが違うのだろうか。
 もとより、日本に関する中川八洋の個々の政治的「感覚」が適切である保障もない。
 個々の政治的選択・判断を問題にしようとは考えていない。
 日本の論者は、月刊誌や週刊誌に書きすぎる。書きすぎるから、本来の得意分野以外にまで手を出して、つい<識者>らしきことを書いてしまう。
 これは、産経新聞社を含む日本のメディア、出版業界の問題でもある。多くの「評論家」・大学教授類の一部は、出版業に雇われる「使い走り」・「文章作成係」になっている。
 きちんとした評論書・時代分析書・将来展望書は、2年くらいの期間をかけないときちんとは執筆できないのではないか。
 月刊誌(または櫻井よしこのごとく週刊誌)に書いたものをあとでまとめて、ハイ一冊、という本の作り方では、いかほどに真摯な思考が、体系的にまとめられているかは疑問だ(もちろん、人によるが)。櫻井よしこは、自分は毎年少なくとも二冊を刊行している大?「評論家」・「ジャーナリスト」などと妄想しない方がよいだろう。既述のとおり、自分の言葉は10%以下、他人・第三者からの紹介・引用が半分程度、あとは公開事実の<要領のよいまとめ>だ。また、この人には、平気で<剽窃>のできる、希有の才能がある。
 じっと深く思考することが必要だが、その際に重要なのは、基本的な<論争点についての位置の自覚>だ。
 いったい何のための、いったいどういう次元の、いったい誰を相手(「敵」)にした議論をしているのか?
 日本の<保守>派の混迷は、基本的に、これに無自覚なところにあると思われる。
 櫻井よしこ又は「日本会議」派は、いったい何を追求しているのか?
 訳が分からなくなって、精神的頽廃に落ち込んでいる者もいる。ただ毎日を忙しく過ごして、自分の「名誉」又は「顕名欲」さえ守れればよいと思っている人もいる。
 西尾幹二にも、中西輝政にも、十分な満足は感じていない。相対的にまだマシだと思っているだけだ。
 誰も完璧ではないし、誰かに完璧さを求めるつもりはない。
 上のように並べても、西尾幹二と中西輝政が同じであるはずはない。
 こんなことを書いていても、<大海の底の小さな貝の一呼吸>が生むほんの小さな水の揺るぎにすぎないだろう。
 それでよい。つまらないことを書きなぐって、後世に恥をさらす櫻井よしこよりは、まだ生きている価値がある。
 それにしても、櫻井よしこの<悲しいほどに痛々しい>ことの理由、背景は、いずれにあるのか。

1553/『自由と反共産主義』者の三つの闘い③-櫻井よしこ批判。

 1) 「民主主義対ファシズム」という虚偽宣伝(デマ)。
 2) 反「共産主義(communism)」-強いていえば、「自由主義」。
 3) 反「自由・民主主義(liberal democracy)」-強いていえば「日本主義」または「日本的自由主義」。
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 上の三点の概略でも少しは語った方がよいのかもしれないが、三つは分かち難いところがあるので、順番に一つずつというわけにはいかない。
 <神道・天皇主義>は、上では<「日本主義」または…>辺りに関係しそうで、そうすると、3) の最も先端的な、または最も将来的な論点にすでに関係しているようにも見える。
 しかし、そんなことは全くない。
 櫻井よしこが主張・議論していることは、上の三点の違いはもちろん、どれを意識しているのかも、ほとんど感じさせない、率直に言って<無茶苦茶(むちゃくちゃ)>なものだ。 
 いずれは日本人は欧米的<liberal democracy>の基本的束縛から脱して、対等な<日本主義>を主張する必要がある。
 リチャード・パイプス、レシェク・コワコフスキらに感心し、アンジェイ・ワリツキの紹介がほとんどない(邦訳書はもちろんない)と不満は述べても、日本人が広い意味でのヨーロッパ化すればよいとは全く思っていない。
 彼ら欧米人の、「共産主義」に対してかつてもった切迫した現実感を思うととともに、対ソ連「冷戦」終結とともにまるで共産主義は消滅したかのごとき(日本の著名な論者にもしばしば見られる)欧米中心主義には賛同できないし、神道も仏教も知らないキリスト教世界での、ある意味では気楽さも看取できる。
 日本と日本人が欧米化してしまえばよい(自由・民主主義の点で欧米に追いつく ?)と考えている「左翼」がいるかもしれないし、<保守>派の中川八洋の英米中心主義らしき主張・立場(強い反共産主義はけっこうなことだが)もあるが、従えない。
 櫻井よしこが決して欧米的<liberal democracy>を克服しているわけではないことは、その安倍晋三支持論を読んでもすぐに分かる。
 櫻井よしこは(他にも同調する<天皇主義者>でかつ何としてもという安倍内閣支持者はいると思うが)、安倍晋三または安倍内閣の<価値観外交>を何の留保をつけることなく支持しているようだ。
 <自由・人権・法の支配>といった価値は、元来は欧米のもので、究極的には、日本国家と日本人は完全には、いわゆる欧米西側諸国や欧米人と同じ<価値観>に立つことはないし、その必要もない、と考える。
 「法」や「権利」に対する感覚は、欧米と同じだとは思えない(欧米でも例えばアメリカとドイツで同一ではないだろうが)。
 上に「日本的自由主義」と仮に書いているように、自由・民主主義等々といっても、日本的に変質させたものにきっとならざるを得ない、と考えられる。現に今でも、軋み(きしみ)があると、私は認識している。
 この辺りに注意を払わない、口先だけの<ナショナリスト>・<愛国主義者>あるいは<天皇主義者>を信用することができない。
 櫻井よしこもその一人で、この人には、例えば<戦後民主主義と日本人>という主題で深刻に(もちろん自分自身のこととして)苦悩した形跡はない、と見られる。
 だからこそ平然と、安倍<価値観外交>の支持を語れる。
 つぎに<神道・天皇主義>といっても、この立場の人々がどの程度に終始一貫しているのかは、はなはだ疑わしい。
 「日本の宗教」として神道だけを語るふうであることには、もう触れない。
 <天皇>については、議論がきわめてしにくい。たくさんの人が種々のことを論じてきた。この一年の間に何度か三島由紀夫をもう一度読もうとして、果たしていない。
 しかし、櫻井よしこの論旨一貫性のなさくらいは、簡単に指摘できる。
 櫻井は「立憲君主制」(とこの人が考えるもの)を諒としているらしく、昨年11月の政府リアリングでは、わざわざ昭和3年の田中義一首相関連のことを持ち出して明言している。要するに、<政治への介入>を慎んだ、又は反省したとして、誉め称えているのだ。
 こんな奇妙なことはない。
 明治憲法上の天皇の権力が単純に「権威」にとどまった、俗世間または「政治」と関係がないものとされた、とは私は全く理解していない。
 なぜなら、例えば二・二六事件の際の昭和天皇の言動、終戦の「ご聖断」という決意の表示、これらは完全に、側近の影響はむろんあったにせよ、<権力>の行使だった、と考える。
 そのような権力行使の余地を明治憲法自体が残していた、と法解釈せざるをえないと思われる。
 櫻井よしこに問いたいものだ。終戦「ご聖断」は立憲君主制の範疇にとどまっていたのか否か。
 目的あるいは結果がよければそれでよし、というならば、朝日新聞の<ご都合主義>と何ら異ならないだろう。
 また、ヒアリング発言ではとくに昭和天皇を称える旨を何点か述べているが、八木秀次や平川祐弘ほどではないにしても、暗に<それに比べて現在の天皇は…>と言いたいのが透けて見えて、じつに見苦しい。
 自分たちの考えと同じ言動をする天皇は「ご立派」で、そうではない天皇は「ご立派」ではないと櫻井は自分が語っていることになることに気づいていないのだろうか。これまた、<存在と祭祀>による評価という自分たちの根本的出発点を逸脱している。
 天皇・皇室中心主義などと言いつつ、じつに奇妙奇天烈なのだ。
 月刊正論の今年3月号(産経、編集代表・菅原慎太郎)へと移ろう。
 櫻井よしこは簡単に、鎌倉・徳川幕府は、あるいは「俗世の権力」は「皇室の権威」に服し、あるいは「皇室の権威の下にあ」った、「究極の権威」は幕府や世俗にはなく「皇室」にあった、と書く(月刊正論1917年3月号p.86)。
 これは日本の歴史の「偽造」だ。「偽造」が厳しすぎれば、「極度の単純化」だ。
 時代によって異なるが、実質的な権力は完全になかったかときもあるかもしれないが(そのときはおそらく「権威」もなかった)、多くの時代は<権力>は<分有されてきた>、というのが私の理解で、日本史学界の多くとも、たいして異ならないのではないか、と考えている。
 西尾幹二は何かに「権権体制」という言葉を使って権力・権威の分離を語っていたが、これまたかなり単純化しすぎているだろう。
 櫻井よしこは、天皇が「征夷大将軍」を任命した(たしかに形式上はそうかもしれないが)という<絵空事>に欺されているのではないか。そしてまた、究極の権威はずっと天皇・皇室にあった、という歴史観は、明治新政府およびその後の政府が、そしてとりわけ大戦時の政府・文部省がかなりの程度作り上げたものだ、と私は思っている。
 マルクス主義・マルクスらの発展段階史観のごとき<単純な>ものこそが、受容されやすい。原始共産制-農奴制-封建制-絶対王政-資本主義-社会主義(・共産主義) ? ?
 やや飛ぶが、櫻井よしこや現在の<保守>の一部の<天皇中心主義>または<天皇中心史観>は、日本のマルクス主義的史観の真反対であるようでいて、じつは発想がよく似ている。
 つまり一方は天皇に実質的な力(権威)があったことを肯定的に理解し、片方は、天皇にこそ実質的な最高権威があったとして否定的に理解する(そして打倒を叫ぶ。あるいは叫んだ)。
 対立していそうでいて、前提は同じなのではないか ?
 そうしてまた、立ち入ると手に負えなくなるが、櫻井よしこや現在の<保守>の一部の<天皇中心主義>は、戦時中の「國體の本義」のレベルにすら達していないし、むろんそれを克服してもいない。  櫻井よしこらは「國體の本義」の要旨だけでなく、全文をきちんと読んで、もっと「勉強」すべきだろう。
 さらに、最近はあらためて北一輝に関心をもっているが、櫻井よしこと似ている(表面的には同じ)理解または主張を北一輝がしている部分があって面白い。
 北は「純正社会主義」・「社会民主主義」の標榜者だが、明治維新を、かつての政変・権力交替とは違って、国家・国民関係を作りだし、日本に「民主主義」をもたらしたものとして肯定的に評価する(その理念を当時の財閥・政治家等が壊したと言うのだ)。そして、確認しないまま書くが、櫻井よしこが近年にやたら肯定的に持ち出す(月刊正論上掲も同じ)「五箇条の御誓文」を「民主主義」宣言書としてこれまた肯定的に語る。
 櫻井よしこと北一輝は、どこが違うのか。
 もちろん同じではないのだが、櫻井よしこや一部の<保守>派は、北一輝あるいは「青年将校たち」の主張と自分たちの主張とどこが同じでどう違うかくらいはしっかりと理解したうえで、何らかの主張をしたり、「運動」をしたりする方がよいのではないか。
 最後の方は筆がいわば走っていて、きちんと文献提示ができない。だが、言いたいことは朧気にでも分かるだろう。

1271/コミュニストにより作られたハル・ノート-櫻井よしこ・週刊誌連載。に関連して2。

 櫻井よしこ週刊新潮1/22号(新潮社)で、アメリカ・ルーズベルト政権は日本が呑めないことを見越して「日本に事実上の最後通牒であるハルノートを突きつけ」、開戦に追い込んだ、という旨を記していたが、中川八洋の理解は大きく異なるようだ。
 中川八洋・近衛文麿とルーズヴェルト-大東亜戦争の真実(PHP、1995)p.39によれば、「米国側からの最後通牒『ハル・ノート』の故に、日本は敗戦を覚悟してやむなく窮鼠猫をかむ決断を強いられた、という俗説」が是正されなく今も通用しているのは「歴史の歪曲」、少なくとも「歴史の真実に対する怠慢」だ。
 中川八洋は「大東亜戦争…とは、…東アジア全体の共産化のための戦争であった」(p.34)、「大東亜戦争=日本とアジアの社会主義化」というのが「歴史の真実」だ(p.276)と捉えているので、出発点あるいは逆の結論自体が櫻井よしこらとは基本的に異なっているように見える。
 そして、同書の第二章「『ハル・ノート』とロシアの『積極工作』-財務次官補H・D・ホワイトとルーズヴェルト」でも、上のような「俗説」なるものとは異なる叙述を行っている(p.36-57)。以下、ハル・ノートやそれと日本の関係に限っての要約・抜粋的紹介。
 ・1941.07.28の日本軍の南部仏領進駐(ベトナム・サイゴン入場)は日本の英米蘭に対する実質的な開戦で、ハル・ノートが日米戦争の引き金ではない。同09.06の午前会議で10月上旬の開戦の想定(帝国国策遂行要領)が決定され、さらに11.05には12月上旬に定め直され、11.26午前には南雲中将らの機動部隊は真珠湾に出撃していた。ハル・ノート(のちに述べる最終案)が手交されたのは11.26午後で、日本の真珠湾攻撃はハル・ノートに対する反発によるものではない。日本の対米開戦は同年7月以降の既定路線だった。
 ・といって、ハル・ノートに重大性がないわけではない。ハル・ノートにはハルがまとめた「ハル試案」=暫定案と、時期的にはのちのホワイトが執筆してハルの名で手交されたより強硬な「ホワイト試案」=最終案とがあった。前者であれば日米講和の可能性があり、これによって敗戦・降伏していれば、ソ連の対日開戦はなく、満州の悲劇も千島の領土喪失もなかった。「強硬姿勢一本槍」の「ホワイト試案」=最終的なハル・ノートは日本の関係者すべてを憤激させ、日本を徹底抗戦へと誘導した。そして戦後には、ハル・ノートは日本国民の対米怨念形成の劇薬になり、戦後の日米関係に対して致命的悪影響をもたらした。なお、<最終案>・「最終的なハル・ノート」という語は、秋月が作った。 
 ・「ホワイト試案」=最終的なハル・ノートは、アメリカ内部で、どのようにして採択されたのか。暫定案→最終案への変化は1941.11.17-11.25の間に生じた。財務次官補・ホワイトは試案を11.17に財務長官・モーゲンソーに渡し、その翌日にモーゲンソーはルーズヴェルト大統領とハル国務長官に送付した。ハルは自らの暫定案に固執し続けたが、ルーズヴェルトはホワイト試案を気に入ったようで、11.25にそれの採用をハルに命じた。
 ・ルーズヴェルトが「ホワイト試案」を支持したのは、ソ連擁護のために対ドイツ開戦をしたくて、ドイツと同盟関係にある日本に対米開戦を決行させることにあっただろう。日本の対米開戦はドイツの対米開戦と見なしてよかった。ルーズヴェルトは「100%の確率で受諾拒否となる」「最後通牒」をどうしても日本に手交したかった。
 ・H・D・ホワイトとは何者か。彼の「別の顔」はKGBの前身組織の在米責任者バイコフ大佐指揮下の「ソ連工作員の一人」。のち1953年にブラウネル司法長官は、ホワイトを名指しして「ソ連のスパイであり、米国の機密文書を…他の秘密工作員に渡していた」と言明した。1948年にバイコフ機関に関する証言のために召喚されたホワイトは、喚問三日後の08.16に心臓麻痺で死亡し、ハル・ノートをめぐる歴史の謎は闇の奥にしまわれた。しかし、ハル・ノート(最終案)が「共産主義者」である「ソ連のスパイ」により執筆された、という事実は等閑視できない。「共産主義の心底には破壊主義」が強く潜み、ホワイトはソ連防衛のみならず、日米戦争による「日本の破壊」の目標も秘めていたただろう。
 以上に続いてルーズヴェルト政権内のホワイト以外の「共産主義者」である「ソ連のスパイ」についての叙述があるが省略する。
 中川八洋は「最後通牒」性を否定しているが、かりにハル・ノートが日本に対する「最後通牒」との<俗説>が正しいものであったとしても、そのハル・ノートを実質的に作成したのはソ連・コミンテルンのスバイだった、という指摘はすこぶる大きな意味があるはずだ。
 櫻井よしこはどの程度の知見を持っているのかは知らないが、少なくとも週刊誌上の簡単な叙述だけでは不十分であることは明らかだろう。
 それにしても、先の戦争、大東亜戦争、八年戦争、昭和の戦争(の時代)についての歴史「認識」は同じ<保守派>であっても決して一様ではないことに驚かされるところがある。中川八洋を<保守派>論者でない、と評する者はいないだろう。近く田久保忠衛の戦争(の時代)についての歴史「認識」にも触れる予定だが、<真正保守>の歴史観というものがあるのかは疑わしい。また、自ら<真正保守>と任じている者の歴史把握が<真正>なものである保障は決してない、ということも心得ておいてよいと感じられる。

1268/先の戦争へのコミュニズムの影響ー藤岡信勝・中西輝政らによる。

 〇 栗田健男中将はなぜレイテ海戦の際に「反転」したのか、といった戦記ものあるいは個々の戦術ものには、ほとんど関心を持たないできた。それは戦後生まれのものにとって敗戦は既定の事実で今さら敗戦の戦術的・技術的原因を探ることがほとんど無意味と思われたことや、占領期についてでも複雑なのに、もっと複雑そうな戦時中の細かな歴史について勉強しておくことの時間的な余裕はないと感じられたことによる。
 但し、1930年代には日本共産党はとっくに壊滅していて一部の者が獄中で念仏のごとく「反戦」を唱えていたかもしれないこと程度で、戦争は日本共産党とは対極にある<右翼的・反共的>グループが継続したというイメージが強かったところ、日本国家あるいは日本の軍部・政治家等に対するコミュニズムやコミンテルンの影響やアメリカのルーズベルト政権自体の<容共左翼>性の指摘があることを知って、にわかに先の戦争と「共産主義(コミュニズム)」の関係についての関心が高まってきた、という経緯が私にはある。
 それは、アトランダムに言えば、先の戦争は<民主主義対全体主義・ファシズム>の戦争だったなどと単純には言えないだろうこと、ソ連や大戦の結果生まれた中国共産党主導の新中国は「民主主義」陣営であるはずはなく<左翼全体主義>の国家ではないか、なぜアメリカはそのようなソ連と手を組んだのか、アメリカは<共産中国>を新たに生み出す結果をもたらした(そしてそれは今日でも大きな悪い影響・問題を生じさせている)戦争をなぜしたのか、なぜアメリカは(中国ではなく)日本を執拗に敵視したのか、といった認識や疑問と関係してくる。
 〇 隔月刊・歴史通2015年1月号(ワック)のいくつかに少しばかり言及する。
 藤岡信勝「戦後レジームの自壊が始まった」の中で藤岡が1995年の「自由主義史観研究会」立ち上げの頃は「私も日本が満州から北支に進出したことは咎められるべきだと思っていました」と率直に「告白」しているのが興味深い(p.41)。その時期からまだ20年ほどしか経っていない。藤岡は、しかしもちろん?、「中国側の絶え間ない挑発に日本は対応していたに過ぎず、侵略行為とは言い難い」、「日本は挑発行為に乗せられて戦争の道に走っていったと見るべき」だ等の今日の認識を示している(同上)。
 「中国側の絶え間ない挑発」は日本の<南侵>を誘導する中国共産党、その背後のコミンテルンの戦略をおそらく意味しているのだろう。l
 岡部伸「近代日本を暗黒に染めた黒幕」はカナダ人のハーバート・ノーマンを扱うもので、「日本を貶めた最大の敵ではなかったか」との基本的主張・認識があり、戦前の日本を「封建的要素が残った、いびつな近代社会」と理解する、講座派的な日本「暗黒史観」の持ち主で、戦後当初には日本共産党を「民主主義」勢力とみなした、等々を叙述している(p.70-)。ハーバート・ノーマンを自殺に追い込んだ?アメリカの戦後のマッカーシズムの評価やノーマンと都留重人、尾崎秀実やゾルゲとの関係など、すでにある程度は知っているが、もっと詳細かつ明確な研究成果を読みたいものだ(この最後の部分は岡部の一文を批判するものではない)。
 中西輝政と北村稔の対談「日米・日中/戦争の真犯人」も興味深い(p.94-)。
 北村稔は彼の「学生時代、日本史研究と東洋史研究の分野ではマルクス主義の影響がものすごく強かった」と述べているが(p.103)、とくに日本近現代史の分野では、今日までその現象は続いているのではないだろうか(従って、私は、高校教育における「日本史」必修化には、教科書の書き手からするその内容と、教える教師の、推測される「左翼」=親マルクス主義的傾向のゆえに、現時点では簡単に賛成はできない)。
 中西輝政は例のごとく?、真珠湾攻撃に関するルーズヴェルト陰謀説に近い議論は「日本の国際政治や歴史の学会ではほとんど相手に」されなかったと、<左翼アカデミズム>の支配の一端を語っている(p.104)。
 中西はまた、今後の研究・検証が必要なテーマをいくつか挙げている。例えば、①永田鉄山らの「華北分離」・<南侵>路線の背景-背後にコミンテルンの工作か。②「国民政府を相手にせず」声明(第一次近衛声明)の背景-尾崎秀実が糸を引いていたか等。③海軍の戦争推進・拡大方針の批判的検証。④近衛の「東亜新秩序建設」声明(第二次声明)の背景。
 〇 上に最後に述べた諸点とコミンテルンまたはそのスパイ(・エージェント)の関係はまだ明確には分かっていない、ということなのだろう。
 もっとも、精読したわけではまだないが、すでにある程度の自信をもって確言している論者もいる。
 中川八洋・近衛文麿とルーズベルト―大東亜戦争の真実(PHP、1995)、同・近衛文麿の戦争責任―大東亜戦争のたった一つの真実(PHP、2010)だ。ハル・ノート(日本に開戦させるための強硬な最後通牒?)についても、<保守派>あるいは「自由主義史観」では通説的かもしれない理解とは異なる評価を下しているようだ。
 かなり飛躍するかもしれないが、憲法改正論の具体的内容と同様に、<保守派>あるいは<産経史観>?の論者においても、先の大戦の具体的な認識や評価は一様ではないと見られる。簡単には表現し難いが、欧米「帝国主義」からアジアを解放するための戦争だったという評価と、共産主義者・コミンテルンに誘引されてずるずると嵌まり、拡大してしまった戦争という評価では、大きく異なると感じざるをえない。
 西尾幹二が続けている、戦後にGHQにより「焚書」された戦前・戦中の日本人の諸文献の研究・解明によって、上のような論点はどの程度明らかになるのだろうか(すべて所持しているが、わずかしか熟読していない)。
 戦前・戦中に共産主義者・コミンテルン(・工作員等々)が日本に対してはたした役割、行った悪業にだけは関心をもって、諸文献・論考等を読んでいくことにする。 

1245/「共産主義への憧れ」を語る者が現存するごとく共産主義思想は死んでいない。

 三〇歳前後の男が、「共産主義への憧れはもっていますね」と明確に言うのをじかに聴いたことがある。少しは酒が入ってはいたが、それはこのつぶやきの真実性又は本音ぶりをむしろ増すものだろう。
 ところで、渡辺利夫・国家覚醒-身捨つるほどの祖国はありや(海竜社、2013)のはしがきの中には「冷戦崩壊後」という言葉があり、この渡辺だったか別の人の著書だったか、「共産主義(マルクス主義)の敗北が明らかになった後も…」という文章をごく最近に読んだことがある。
 中西輝政もまた、月刊正論4月号で「冷戦」について、「世界的にはソ連が消滅する一九九一年まで続いた」と語っている(p.56)。
 ソ連崩壊が重要な出来事であり世界史的画期だったことを否定しないが、東アジアでは「冷戦」は終わらなかった、中国や北朝鮮等の残存が証左である、等のことをこれまでこの欄で強調してもきた。さらに追加すれば、共産主義社会を究極的には志向する日本共産党という「共産主義」政党、中国共産党をかつてとは違って<友党>のごとく扱っている政党の存在こそが、日本内部においてすら<冷戦構造>が残っていることを明らかにしているようにみえる。特定の論者にとっては「共産主義(マルクス主義)の敗北が明らかになった」のかもしれないが、日本社会全体、日本人全体にとっては客観的には決してそうではない、と思える。
 自由主義対共産主義という対立は終わっておらず、<反共>か<容共>かが、現下の、石原慎太郎がしばしば引き合いに出す毛沢東の書物にいう、<最大の矛盾>点であり、最大の対立軸である、と考えている。
 日本共産党は当然だが、朝日新聞や岩波書店あるいは諸「左翼」論者がどちらの立場に客観的には立っているかが最重要な問題として意識されなければならない。
 中国や北朝鮮の現実にはいっさい又はほとんど言及せず、ときに<反米>的言辞を織り交ぜながら、安倍晋三内閣を「戦争準備政権」等々と称して、とにもかくにも安倍内閣がしようとしていることに反対し、あるいはいちゃもんをつけている輩は、客観的には中国(中国共産党)や北朝鮮(同労働党)を利する、<容共>の者たちであることをしかと確認しておかなければならない。
 冒頭に登場させた人物のごとく、ひょっとすれば「左翼的な」高校までの教育を受け、大学でさらにその「左翼」性を(主観的にはまるで自然・当然の<正当な>考え方を持っていると意識するようになるまでに)増した結果として、「共産主義への憧れ」を公然と語る日本人が現に存在することを忘れてはいけない。
 日本共産党へ投票する者の中にはさまざまな人がおり、単純に反自民党又は反「保守」気分だけの者もいるかもしれないが、まじめな?日本共産党員も含めて、「共産主義に憧れている」日本人はまだ!少なからず存在しているのだ。
 中西輝政はどこかで社会主義・共産主義あるいはマルクス主義を正面から主張しずらくなった「冷戦崩壊」以降、日本の「左翼」は<反日>を正面に掲げた、というような趣旨を書いていたが、<反日>の背後で社会主義・共産主義あるいはマルクス主義を決して捨てていないこと、あるいは<容共>・<親共>主義にとどまっていること(これはまた中国・同共産党をまったくかほとんど批判しない、という、あるいは中国・同共産党を刺激するような<ナショナリズム>的言動を日本はすべきではないなどと主張する、朝日新聞的「親中」主義でもあること)を看過してはいけない。
 むろん中西輝政はさすがに、上記の月刊正論4月号の中で、「共産主義と冷戦」の責任を対外的にもむ対内的にも追及しなかった「冷戦崩壊」以降の風潮を鋭く批判している。「ロシア革命以来の共産政権を生み出した国々こそ、『平和に対する罪』『人道に対する罪』が適用されるべき『人類史上の大罪を犯した侵略国家』として裁かれるべき」なのだ(p.57)。
 1990年頃以降、日本の政界・論壇等々はいったい何をしてきたのか。日本共産党の<ソ連は社会主義国家ではなかった>などという奇妙な反論?に納得したわけでもあるまいが、日本共産党や日本内部にいる(ソ連崩壊までソ連等の「社会主義」国に米国よりも親近感・期待感をもって議論してきた)「左翼」マスコミ、「左翼」論者等々の<責任>をいかほどきちんと追及したのか?
 1990年代に反自民細川政権、日本社会党首班の自社さ連立政権を成立させるとは、日本人全体又は多くが<狂って>いたとしか思えない。
 何度も書いたが、米国にもポルトガルを除く欧州諸国にもコミュニスト政党は存在しない(ドイツでは結成自体が法的に禁止されている)。日本は特異であり、異様なのだ。これまた、日本人特有の「お人好し」、外来思想をある程度は取り込むことに長けた日本人の特性に由来するのだろうか。困ったことだ。
 中川八洋はルソーを称揚すればマルクスは何度でもよみがえる、と書いていた。ルソーにまで遡らなくとも、日本共産党を批判しかつ同党から批判されながらも、明らかに「反共」ではなく「容共」論者であった丸山真男を称揚する書物は今日でも新たに発行されている。丸山真男を称揚しておけば、「左翼」=<容共>主義は何度でも蘇り、維持されるだろう。怖ろしいことだ。
 

 

1162/男女平等(対等)主義は絶対的に正しいのか。

 妊娠中絶のための処置・手術が、ある種の医院・診療所にとっての重要な収入源になっている、という話がある(その数も含めてかつて読んだが、確認できない)。多くの寺院に見られる「水子地蔵」なるものの存在や一つの寺院の中でも見られることのあるその数の多さは、いったい何を意味しているのだろうか。
 不幸な流産等もむろんあるだろうが、親たち、とくに母親女性の意図による妊娠中絶の多さは、戦後日本の「公然たる秘密」なのではないか。そもそも妊娠しても出産にまで至らないのだとしたら、出産後の育児のための保育園の数的増大や男性社員・従業員の育児休暇の取得の容易化等の政策の実現にいくら努力しても、根本的なところでの問題解決にはならないだろう。
 生まれる前の将来の子ども(・人間)の「抹殺」の多さはマスメディアによって報じられたり、検討されたりする様子はまるでないが、これは(マスコミを含む)戦後日本の偽善と欺瞞の大きな一つではないかと思われる。
 望まない妊娠の原因の一つは、妊娠に至る行為を若い男女が安易にしてしまうという「性道徳」にもあるのだろう。もちろん、そのような若い男女の「個人主義」と「自由主義」をはぐくんできた戦後日本の、家庭や学校での教育にも問題があるに違いない。
 また、妊娠し(受胎し)出産することは、男と女の中で女性にしかできない、子孫をつないでいくための不可欠の高貴な行為にほかならないだろうが、そのような妊娠・出産を、男性とは異なる女性のハンディキャップであり、男性にはない女性の労苦であると若い女性に意識させてしまうような雰囲気が戦後日本には少なからず形成されてきたかにみえる。
 家庭において、学校において、そのような女性にしかなしえない貴重な営為について、その尊さについて、十分に教えてきただろうか。教えているだろうか。そのような教育を受けない若い女性が、とりわけ「少しだけは賢い」と思っている女性が、そのような労苦を<男女差別>的に理解しはじめたとしても不思議ではない。なぜ女だけが、男はしない<面倒な>ことをしなければならないのかと、とりわけ学校教育の過程で男子と対等にまたはそれ以上に「よい成績」をあげてきた(上野千鶴子のような?)女性が感じるようになっても不思議ではない。
 晩婚・非婚の背景には種々のものがあるだろうが、戦後の<男女平等(対等)主義>が背景にはあり、そして、それこそが、今日みられる<少子化>の背景でもある、と考えられる。
 まるで疑いもなく<善>とされているかに見える<男女平等(対等)主義>は、その理解の仕方・応用の仕方によっては、社会全体にとって致命的な<害毒>を撒き散らすことがありうることを、知るべきだろう。
 こんなことを感じ、考えているのは私だけではないはずで、確かめないが、林道義・フェミニズムの害悪(草思社、1999)に書かれていたかもしれないし、タイトルを思い出せないが中川八洋の本の叙述の中にもあったように記憶する。
 日本の国家と社会にとって<少子化>が問題であり、それが日本の「衰退」の重要な原因になるだろうというのは、かなり常識化しているようでもある。そうだとすれば、その解決策は表面的な(ポストの数ほどの保育所を、といった)対応だけでは無理で、より基本的な論点に立ち戻るべきだろう。
 妊娠と出産は女性にしかできない。その点で、男女は決して対等でも平等でもない。そしてそのような違いはまさに人間の本質・本性による自然なもので、善悪の問題ではまったくない。むろん「差別」でも、非難されるべき「不平等」でもない。
 このあたりまえの(と私には思われる)ことの認識に欠けている人々や、こうした認識を妨げる言論・風潮があること自体が、戦後日本社会を奇妙なものにしてきた一因だと私には思われる。

1106/橋下徹・大阪市長と原発再稼働問題。

 橋下徹に対する単純で性急な批判を批判してきているが、自民党を全面的に支持しているわけではないのと同様に、橋下徹のすること、言うことを、全面的に支持しているわけでは全くない。
 何かのきっかけで、橋下自身が政治に関係するすることをきっぱりと止めてしまうことがないとは言えないと思っている。それは、彼が恥ずかしいと思うくらいの、何らかの蹉跌を明らかにしてしまったときだろう。
 最近に気になるのは、<脱原発>への傾斜ぶり、大飯原発再稼働(現時点での)反対論だ。
 <保守>か否か、といった大上段の議論の対象になる問題ではない。だが、政策論として、きわめて重要な問題ではある。
 撃論第4号(オークラ出版、2012.04)に掲載されている田母神俊雄=中川八洋(対談)「避難県人を全員ただちに帰宅させよ」の他、中川八洋・脱原発のウソと犯罪(日新報道、2012)、池田信夫・原発「危険神話」の崩壊(PHP新書、2012)を多少は読んだことの影響によるのかもしれないが、安全性の確保=脱原発の方向に傾斜しすぎているのではないか。
 詳細な紹介は差し控えるが、池田信夫の分析・説明は、なかなかに冷静で、客観的のように感じられる。
 田母神俊雄や中川八洋らの指摘が正しいとすれば、菅直人を「反原発」始祖とする「左翼」民主党政権は、一部の(だが相当数の)福島県民から「ふるさと」を奪う、という大犯罪を敢行中であることになる。
 宮城県にあり、震源には福島第二よりも近かった女川原発は何ら支障なく存続し続けた、ということ、そしてそれは何故か(つまりなぜ福島第二では事故になったのか)について、テレビ等の大手メディアが全くかほとんど触れないのはいったい何故なのだろう。
 櫻井よしこ週刊ダイヤモンド3/31号の連載は、「放射線量の低い所から高い所に川内村の人たちは避難させられ」ていることを述べている。低い所とは、川内村いわなの里で0.178マイクロシーベルト(毎時放射線量)、高い所とは福島県の郡山駅で0.423マイクロシーベルト(同)、だ。
 こういう正確なデータに言及することなく、中島岳志「トポス喪失への想像力」西部邁=佐伯啓思ら編・「文明」の宿命(NTT出版)という「保守派」(??)の<反原発>論は書かれている。
 この生硬な「保守主義」に立つという<反原発>論の思考方法については別に言及したいが、ともあれ、中島岳志は、「原発という過剰な設計主義的存在」による、「トポス」、「生まれた土地や伝統、…歴史的・集合的価値観」の喪失の蓋然性を理由として脱原発論を説いている。だが、「生まれた土地」等の喪失の原因が原発にあるのではなく、政治的判断にあるのだとしたら、この中島岳志の論考は後世に残る「大嗤い」論文になるだろう。
 元に戻ると、橋下徹がいくら有能な人物でも、顧問等々の意見・見解に全く左右されない、ということはありえないだろう。
 この点で、特別顧問(のはず)の、民主党政権に冷や飯を食わされで有名になった、古賀茂明はやや気になる。古賀茂明・日本中枢の崩壊(講談社、2011)を半分くらい読んで止めたのだったが、それは、細かな動きはよく分かったものの、古賀の基本的な政治観・国家観がよく分からなかったからだ。それにそもそも、古賀茂明とは、民主党による「公務員制度」改革に期待していた人物なのであり、民主党という政党・同党の政治家がいかなる政党でありいかなる政治家たちであるかに無知な人物だったのではないか。要するに、民主党の「改革」に<幻想>を持った人物であったのだ。民主党の危険性に無関心だった者を、無条件に信頼することはできない。
 環境経済学者という触れ込みの植田和弘(京都大学教授)も、冷静できちんとした「保守」派であるか否かがよく分からない。原発について、正確な科学的知見にもとづいて判断するという「政治的・行政的感覚」を持っているだろうか。
 橋下徹自身についても、総選挙の争点化する、などの発言はまだ早すぎ、焦りすぎで、<前のめり>し過ぎている印象がある。
 せっかくの、可能性を秘めた人物を、<取り巻き>が誤らせないように、早まって腐らせてしまうことのないように、うまく誘導し、「盛り立てて」?ほしいものだ。
 参照、池田信夫ブログ→ http://ikedanobuo.livedoor.biz/

1090/撃論第4号-中川八洋の東口暁・月刊WiLL批判。

 昨年10/26と11/08のエントリーで、雑誌・撃論第3号(オークラ出版)に言及している。
 同・撃論第4号(2012.04)を最近に概読した。
 前号では背中に<月刊WiLLは国益に合致するか>と書かれていて、その特集が主張したいほどではあるまいと感じた。但し、今回の号を読んで、月刊WiLL批判が当たっていると感じる程度は、少しは大きくなった。
 それは、月刊WiLL(ワック)が東谷暁や藤井聡という<西部邁・佐伯啓思グループ>メンバーに橋下徹批判を書かせていることに関係しているが、この撃論は再び(背表紙に謳ってはいないが)、橋下徹批判をしている東口暁の<TPP亡国論>を指弾する中川八洋の論考を掲載しており、かつ中川は「民族系月刊誌『WiLL』」をも大々的に批判しているからだ。
 中川は「TPP賛成派はバカか売国奴」とまで銘打ったこともある月刊WiLLにお馴染みの雑談話の堤堯と久保紘之も批判していて、久保を「テロリスト願望のアナーキスト」、堤を「無国家主義者・非国民であるのを公然と自慢」などと批判している。また、よりまともな?TPP反対論者の中野剛志も批判している。
 堤らに大した関心はないし、中野の議論には関心はあるがその本を読んでいないので、ここでは紹介はしない。
 といって東口暁のTPP亡国論批判をそのまま紹介するつもりもないが、中川八洋は東口について、こう言う。
 「TPP加盟を『日本は米国の属国になる』などと叫びながら、大中華主義に従った、日本の中共属国化である『東アジア共同体』を批判しない論など、非国民の危険な甘言にすぎない」(p.109)。
 また、「左右に巧妙に揺れる”マルクス主義シンパ”東口暁」、「『中共の犬』が本性か?」などと題して東口の論述内容を批判している(p.119-)。
 もともと東口の経済論議を信頼性が高いとは思ってはいなかったが、関心をとくに惹くのは、橋下徹はTPP賛成論者である一方、東口暁は同反対論者であり、その東口を中川八洋が、「非国民」、「マルクス主義シンパ」等と批判している、ということだ。
 中川は月刊WiLLには論及しているが、<西部邁・佐伯啓思グループ>に言及しているわけではない。だが、西部邁は橋下徹と違ってTPPに反対だと明言してもいるのだ(最近の週刊現代3/17号p.183も参照
 グループとして一致しているかは確認していないが、西部邁と東口暁はTPPについて(も)同じような考え方に立っていると理解してよく、従って中川八洋は西部邁(さらに佐伯啓思らとのグループ?)とも対立している、ということになろう。
 さらに関心を惹くのは、中川八洋は東口を、米国には厳しく中国(中共)には甘い、反共よりも反米を優先している、という観点から糾弾しているのであり、このような批判または疑問は、<西部邁・佐伯啓思グループ>に対して私が感じてきたものと基本的に同じだ、ということだ。
 「東口は”中共の犬”で、日本国の安全保障を阻害する本物の売国奴と考えてよいだろう」(p.122)とまで論定してよいかどうかは別としても、西部邁、佐伯啓思、東口暁らは、反米自立(または反近代西欧)の重要性をそのかぎりではかりに適切に強調してきているとしても、中国またはコミュニズムに対する批判を全くかほとんど行わない、という点で見事に?共通している。
 彼らについて、「左翼」と通底しているのではないかと(やや勇気をもって)書いたこともあった。この点を、中川八洋は明確に指摘し、論難しているのだ。中川からすると、東口などは「マルクス主義シンパ」の「左翼」そのものであるに違いない。
 中川八洋が共産党員・共産主義者(コミュニスト)というレッテル貼りを多くの者に対してし続けているのは、少なくともにわかには賛同できないが、しかし、中川の「反共」(少なくとも中川にとっては=「保守」)の感覚は鋭くかつ適切ではないかと私は感じている。
 <西部邁・佐伯啓思グループ>は、「保守」主義を自称しつつもじつは「反米的エセ保守」ないし「民族的左翼」、もしくは「合理主義的(近代主義的)保守」とでもいうような(同人誌的)カッコつき「思想家集団」であって、本来の<保守>陣営を攪乱している存在なのではないか、という疑念を捨て切れない。
 別に佐伯啓思にからめて書きたいが、西部邁・佐伯啓思らは、「日本的なもの」・「日本の伝統・歴史」なるものを抽象的ないし一般論としては語りつつも、国歌・国旗問題に、あるいは「天皇制」の問題に(皇統継嗣問題を含む)、じつに見事に、具体的には論及してきていない。中共、北朝鮮問題についても同じだ。
 なお、このグループの橋下徹批判、TPP反対論、これら自体は、日本共産党の現在の主張と何ら異なるところがない。ついでに、このグループの中島岳志は依然として、「左翼」週刊金曜日の編集委員のままだ。
 中川八洋の批判は月刊WiLLにも向けられていて、月刊WiLL=世界=前衛=しんぶん赤旗であり、「赤色が濃く滲む、保守偽装の論壇誌」と「断定して間違ってはいまい」とまで書いている(p.113)。
 これをそのまま支持するものではないが、月刊WiLLは、そして同編集長・花田紀凱は、かかる批判・見方もあることを自覚し、かつ中川八洋もまた執筆陣に加える(中川に執筆依頼をする)ことを考慮したらどうか。
 蛇足ながら、東口暁は月刊正論の「論壇時評」の現在の担当者でもある。月刊正論(産経新聞社)だからといって、すべてがまっとうな「保守」論客の文章であるわけではないことを、言わずもがなのことだが、読者は意識しておく必要がある。

1059/雑誌・撃論3号、中川八洋と日本共産党員。

 再び撃論第3号(オークラ出版、2011.11)に触れると、先に言及した「編集部」名義の「月刊誌『WiLL』は、日本の国益に合致しているか」(p.74-)は、「民族系」という語を何度か利用していることも含めて―「中川八洋教授に寄稿をお願いした」という書き方をしているにもかかわらず―、文体が中川八洋のそれにかなり似ている。
 また、「本紙編集部」名義で書かれている原発・放射線恐怖から「正気を取り戻すための良書リスト」も(p.116-)、中川八洋は原子力問題に技術的にも詳しいこと、菅直人を「済州島出身のコリアン」と中川が別の本で書いていたと思われる表現を用いていることなどから見て、中川八洋が執筆している可能性がある。
 あくまで憶測にすぎないが、万が一でも当たっているとすれば、出版業者・雑誌編集者としては邪道であることは論を俟たないだろう。
 オークラ出版、雑誌・撃論が、興味を惹きそうなテーマを背表紙に打っての、月刊WiLLについていう「ただ『儲かればよい』一辺倒の商売至上主義」に自ら(も)陥っていないことを願う。
 さて、この雑誌上掲号には中川八洋による「脱原発」西尾幹二批判の論考もあり、中川は西尾幹二を「民族系論客」と位置づけ、「非知識人」と称し、「嘘つき評論家」、「論壇ゴロ」と罵倒し(p.91-92、p.99)、「実質的共産党員」、「北朝鮮の代言人」とも評している(p.91、p.97)。
 原発問題については分からないとしか言いようがないが、また、西尾幹二のこれまでの見解・主張の全てに同感してきたわけでもないが、このような批判・罵倒の仕方は、小林よしのりの対敵表現をも上回るかもしれないほどで、やや乱暴過ぎるだろう。
 中川八洋が「コミュニスト」・「共産党員」という断定を好んで?することは前回にも紹介したとおりで、少なくとも一部については、当たっているだろう。だが、「コミュニスト」ではなく「共産党員」という認定の正しさは、日本共産党の名簿?でも見ないと証明できないことで、厳密には推測にすぎない(そして対象人物によって確度の異なる)もののように思われる。
 そういう意味での推定にすぎないが、中川八洋が言及してはいないが、私は、たしか今年に逝去した井上ひさしは日本共産党員でなかったかと疑って(推測して)いる。
 不破哲三=井上ひさし・新共産党宣言(光文社、1999)における、不破に対する井上の「へりくだり」ぶりは尋常ではない。また、井上は、井上ひさしの子どもに伝える日本国憲法(講談社。絵は共産党国会議員だった松本善明の妻・いわさきちひろ)、二つの憲法―大日本帝国憲法と日本国憲法(岩波ブックレット)の著者でもある。政治性、マルクス主義者性を感じさせない作品等も多いのだろうが、「左翼」・憲法改正反対論者であったことは間違いなく、何よりも、大江健三郎や奥平康弘等々とともに<九条の会>の呼びかけ人だったのだ。
 井上ひさしはとくに国政選挙の際に、日本共産党を「支持(推薦)します」という学者・文化人の一人として名を出していなかっただろうか。
 「支持者」だから「党員」ではない、ということにはならない。日本共産党は学者・文化人には党の基本的な路線に矛盾しない限りでの(他の一般党員とは異なるより広い)「自由」を与え、世間・社会での名声あるいは知名度を自らのために利用してきている。
 かつて、哲学者・古在由重は日本共産党の「支持(推薦)者」の一人として日本共産党のパンフなどに名前を出していたが、この人物は最晩年まで日本共産党員そのものであったこと(党籍のあったこと)、そして原水禁運動に関する日本共産党中央との考え方の違いによって離党したか、離党させられたことが、古在由重の葬儀または「お別れの会」の世話をした川上徹の本でも、明らかにされている。

 井上ひさしも、(こちらは最後まで)日本共産党の党員だった可能性はあるものと思われる。
 世間一般の人々が想定しているよりもはるかに、日本共産党員である者は多い、と見ておく必要がある(ついでながら、今は民主党国会議員の有田芳生は元日本共産党員。父親は日本共産党国会議員だった)。
 そのような推測からすると、「国民的」映画の映画監督で、NHKが「家族」関係名画100とやらを選択させている山田洋次も、十分に怪しい。この人物は<九条を考える映画人の会>とやらの重要メンバーだが、かなり以前から、日本共産党のパンフ類に同党を「支持(推薦)」する学者・文化人の一人として名を出していたような気がする。
 そのような想いで渥美清主演映画を観ると、そうではない場合よりも違った感想も生じるのだが、今回は立ち入らない。
 少し元に戻ると、井上ひさしの葬儀の際に「弔辞」を述べたのは、先にこの欄で言及した直後に文化勲章受章者として名を出した丸谷才一だった。丸谷が共産党員だとはいわないが、「左翼」ではあるだろう。
 これに関連して続ければ、丸谷才一は素直に?受賞したが、文化勲章受章を「戦後民主主義者」であることを理由に拒否したのが、大江健三郎だった(翌年に杉村春子も拒否)。
 これは数年前に(たぶん)この欄で書いたことだが、大江健三郎は、とりわけ、自らが嫌悪する「天皇陛下」と対面して、陛下から勲章を授けられることを嫌悪し忌避したのだ、と思っている。
 再び雑誌・撃論第3号に戻ると、これには、西村真悟「沖縄戦を冒涜する大江健三郎は赤い祖国へ帰れ」も掲載されている(p.164-)。
 西村は最後のあたりで、日本に帰化した(日本人となった)ドナルド・キーンと大江健三郎を対比させ、大江に対して「あこがれの人民共和国にでも帰化し移住されたらどうか」と勧告?している。趣旨は十分によく分かる。
 日本の天皇からの叙勲を拒否し、外国の国王(やフランス政府)からの勲章は受ける、という「心性」でもって、よくもぬけぬけと日本に、日本国民として(しかもたしか世田谷区の高級?住宅地に)居住して生きていけるものだ、と感じるのは私だけではあるまい。
 雑誌・撃論から始め、最後に同じ雑誌の別の文章に触れて、この回は終わり。

1058/中川八洋・小林よしのり「新天皇論」の禍毒(2011)に再び言及。

 中川八洋・小林よしのり「新天皇論」の禍毒(オークラ出版、2011)は、かなり前に読了している。
 いつか既述のように、小林よしのり批判が全編にあるのではなく、小林の天皇論・皇位継承論の由来・根拠となっていると中川が見ている論者、あるいは<民族系>保守への批判が主な内容だ。
 目次(章以上)から引用すると、田中卓は「逆臣」、高森明勅は「民族系コミュニスト」、小堀桂一郎は「極左思想」家・「畸型の共産主義者」、平泉澄「史学」は「変形コミュニズム」(最後は?付き)。
 本文によると、一部にすぎないが、吉川弘之が「共産党のマルクス主義者」とは「合理的推定」(p.177)、園部逸夫は「教条的な天皇制廃止論者のコミュニスト」(p.192)で「共産党員」(p.194)、園部逸夫・皇室法概論は共産党本部で「急ぎとりまとめられ」、「園部は著者名を貸しただけ」(p.197)、園部逸夫を皇室問題専門家として「擁護」した小堀桂一郎や、小堀に「唱和」した大原康男・櫻井よしこは「共産党の別働隊」(p.192)。小堀は共産主義者を防衛する「共産党シンジケートに所属している可能性が高い」(p.193)、小堀は「正真正銘のコミュニスト」(p.207)。宮沢俊義・杉村章三郎は「コミュニスト」(p.199)、中西輝政は「過激な天皇制廃止論者」(p.278)、小塩和人・御厨貴は「共産党員」(p.287)、杉原泰雄は「共産党員」(p.298)。
 これらの断定(一部は推定)には(西尾幹二批判はp.287、p.310)、ただちには同意しかねる。「コミュニスト」等についての厳密な意味は問題になるが。
 但し、永原慶二(p.213)と長谷川正安(p.298)を「共産党員」としているのは、当たっていると思われる。
 また、中川八洋のような、反米自立を強調・重視しているかにも見える西部邁らとは異なる、<英米>に信頼を寄せる保守派または「保守思想」家もあってよいものと思われる。かなり乱暴な?断定もあるが、<反共産主義>のきわめて明瞭な書き手でもある。反中国、反北朝鮮等の「保守」派論者は多くいても、「思想」レベルで明確な<反共>を語る論者は少なくないように思われ、その意味では貴重な存在だ、と見なしておくべきだろう。
 中川八洋の他の本でも見られるが、中川のルソー批判は厳しく、鋭い。ルソーの「人間不平等起原論」は「王制廃止/王殺しの『悪魔の煽動書』」であり(p.255-)、この本は「家族は不要、男女の関係はレイプが一番よい形態」とする「家族解体論」でもある(p.263)、また、中川は、ルソー→仏ジャコバン党〔ロベスピエールら〕→日本共産党→<男女共同参画><〔皇室典範〕有識者会議>という系譜を語りもする(p.259-)。
 さらに、つぎの二点の指摘はかなり妥当ではないかと思っている。
 一つは、「男女共同参画」政策・同法律に対する保守派の反対・批判が弱い(弱かった)、という旨の批判だ。「民族系」という語はなじみが薄いが、以下のごとし(p.268)
 「民族系の日本会議も、櫻井よしこの『国家基本問題研究所』も、共産革命のドグマ『ジェンダー・フリー社会』を非難・排撃する本を出版しようとの、問題意識も能力もない。民族系は、フェミニズム批判など朝飯前の、ハイレベルな知を豊潤に具備する英米系保守主義を排除する」が、それは「自らの知的下降と劣化を不可避にしている」。
 急激な少子化という国家衰退の一徴表は、(とくにマルクス主義的)フェミニズム(「男女共同参画」論を含む)に起因するのではないか。若年女性等の性的紊乱、堕胎(人工中絶)の多さ、若い親の幼児殺し等々につき、<保守>派はいったいいかなる分析をし、いかなる議論をしてきたのか、という疑問も持っている。別に書くことがあるだろう。
 もう一つは、憲法学界に関する、以下の叙述だ(p.298)
 「日本の大学におけるコークやバークやアクトンの研究と教育の欠如が、…、天皇制廃止の狂った学説が猖獗する極左革命状況に追い込んだ…。女性天皇/女性宮家など、今に至るも残る強い影響力をもつ、宮澤らの学説を日本から一掃するには、コーク/バーク/アクトン/ハイエクの学説をぶつける以外に手はない」。
 なお、1952年の日本の主権回復後の「約六十年、日本人は米国から歴史解釈を強制された事実は一つもない。問題は、歴史の解釈権が、日本人の共産党系歴史学者や日本の国籍をもつ北朝鮮人に占有された現実の方である」との叙述がある(p.288)。後半(第二文)はよいとしても、前者のように言えるだろうか、という疑問は生じる。「強制」という語の意味にもよるが、「共産党系」等でなくとも、日本人の<歴史認識>の内実・その変化等に対して、米国は一貫して注意・警戒の目を向けてきた、とも思われるからだ。

1051/月刊WiLLと屋山太郎は「保守」か?

 〇先の日曜日(10/23)に手に入れた撃論第3号(オークラ出版、発行日付は2011.11.18)は、背表紙に「月刊誌『WiLL』は日本の国益に合致するか」とあって、凄まじい。
 但し、この背表紙に明らかに即した論考は、月刊WiLL誌上等で「脱原発」を主張する西尾幹二を批判する中川八洋のものくらい(p.86-)で、「月刊誌『WiLL』は、日本の国益に合致するか」と題する二頁の「編集部」の文章が最も即している(p.74-75)。この雑誌の編集人は「三田浩生」となっている(奥付p.184)。
 この文章によると、①月刊WiLLが「国益」を度外視した「商売至上主義の雑誌だとすれば」、「保守」でない。②月刊WiLLは「民族系の読者層をターゲットに絞っているだけ」でないか。③月刊WiLLは、菅直人・孫正義らの「脱原発」路線に編集方針をシフトさせ、「悪魔の脱原発」を批難しない。例として、西尾幹二・小林よしのりの論考・漫画の掲載、「マルキスト武田邦彦」の議論の「絶賛」、太陽光発電の欠陥を理解しない「超バカ」辛坊治郎の「もちあげ」等。④月刊WiLLは「反左翼イデオロギー」を持たない「日本の民族系」の欠陥に着目して(国家解体・亡国の)「アナーキズム」へと「巧みに誘導」している(p.74-75)。
 この文章の基本的主張およびこの雑誌の編集方針は「原発の推進」による「安定的で潤沢な電力供給」(→日本経済の発展・成長)のようだ。そしてこの観点から、菅直人・武田邦彦らを批判している高田純の論考(p.76-)も、<反月刊WiLL>特集?の一環と位置づけられているらしい。
 原発問題は私には「分からない」としか言いようがなく、従って脱原発=非保守とはただちに断じ難い。また、月刊WiLLが全体として「反左翼」性のない、非「保守」の雑誌だとは感じていない。
 だが、月刊WiLLに何やらいかがわしい部分、あるいは「非保守=左翼」的部分を感じてきたことはある。
 月刊WiLLだけではないが、反雅子皇太子妃の西尾幹二らの文章を掲載して大きく宣伝したのは月刊WiLLだった。小林よしのりを近年登場させているが、彼の最近の主張内容は「保守」か否か以前のレベルにあるように思える。
 何よりも、2009年に民主党支持を明確にしていた屋山太郎の文章を依然として巻頭コラムの一つとして使い続けているのは、きわめて疑問だ。月刊WiLL誌上で相も変わらず「天下り根絶」と叫び続けている屋山太郎は、もはや客観的状況の全体を見ることのできない、「非・保守」の論?者だと思われる。
 また、勝谷誠彦もそうなのだが、元文藝春秋グループの一人・花田紀凱(月刊WiLL編集長)は、「ジャーナリスティックな」勘は鋭いが、主義と商売とどちらを大切にするのだろうと不安にさせるところがある。商売上手、話題作りの巧さは「保守」派にも必要だが、商売上手・話題作りの巧さが「保守」性を証明するわけではむろんない。
 ところで、撃論「編集部」の上の文章によると、月刊WiLLの販売部数は月平均約10万部、産経新聞社の月刊正論は実売2万部以下、らしい。「保守」派雑誌の代表らしき月刊正論よりも5倍も売れているとは驚いた(事実とすればだが)。産経新聞社・月刊正論は、執筆者の選考等を再検討してみる必要があるのではないか。
 むろん、前回に書いたように40万部ですら有権者の1%程度にしか読まれていないのだから、10万や2万程度で、社会・政治全体が大きく変わることはありえない(これらの雑誌の全国紙への見出し等の大きな宣伝広告の方が影響力があるかもしれないとすら思う)。
 これは月刊WiLLについても同じだが、月刊正論の常連の執筆者だからといって、「保守」の世界での有名人だなどと威張っている者がいるとすれば、バカだ。
 〇櫻井よしこ代表の国家基本問題研究所は、依然として屋山太郎を「理事」として遇し続けている。この人物を「つまみ出す」ことができないような団体は、もはや<保守>派とは言えないのではないか。
 産経新聞は代表・櫻井よしこを重用し、「正論」執筆者グループの中に田久保忠衛(副理事長)や屋山太郎も加えている。産経新聞自体、その「保守」性は完全なものではない。広く「保守」を結集する(させる)のはよいが(西尾幹二も産経にときどき書いている)、屋山太郎の起用だけは大いに疑問だ。遅くとも2009年以降、自民党よりも(「左翼・反日」の)民主党を支持し続けている人物が「保守」と言えるのか?
 3/11以降の「正論」欄に憲法改正の必要性を(たぶん非常事態対処との関連で)主張する文章が載っていたが、いかほどの「現実」感覚があるのか、疑わしい。憲法改正の必要性は百も承知だが、それが可能な「現実」的政治状態(要するに国会内の状況)であるのか、そしてまた、憲法改正の必要性を論じるのではなく、重要なのは、いかにして国会内に2/3以上の憲法改正賛同勢力を創り出すか、だろう。その課題・戦略に触れない憲法改正必要論など、ほとんど無意味だと思われる。

 ところで、中山成彬を会長とする「国想う在野議員の会」のウェブサイトを見ていると、「文化人及び有識者の応援団」((2010年4月20日現在)として、青山繁晴、潮匡人、田母神俊雄、百地章、国家基本問題研究所の理事を辞めている中西輝政ら28人の名があった。
 屋山太郎が除かれているのは結構なことだ。但し、田久保忠衛と花田紀凱の名もある。とくに後者にやや驚く。花田紀凱とは、さほどに政治的・実践的な関与のできる人物なのか、と。花田が28名の中で違和感なく存在しているとすれば、月刊WiLLは「基本的には」、「保守」派の雑誌だと思うのだが、これは(撃論編集部に非難される)買いかぶりだろうか。
 八木秀次・渡部昇一の名もあり、やや気になるが、この二人については今回は省略する。 

1048/「保守」派の言論活動の意味?

 〇中西輝政は、<教育・マスコミ・論壇>という「日本左派」の「鉄の三角地帯」について語っている(同・強い日本をめざす道p.173(PHP、2011))。
 この教育・マスコミ・論壇という<三角地帯>のいずれにおいても、「左翼」が強固であり、「保守」は敗北している旨を語っている。
 おそらくそのとおりで、「保守」派を自認する者は、まずは上の事実のしっかりとした自覚をする必要があるだろう。中西の表現によると、「日本の保守は、自分たちが敗者であることを『徹底的に』認め…」なければならない(同上p.173-4)。
 「左翼」の中にもいるが、「保守」の中にも、(保守の場合は保守的な)マスコミ・論壇の中である程度の位置を占め、ある程度の「名声?」を獲得し、あるいは「そこそこに」経済的利益を得て、それでとりあえず満足してしまっている者も少なくないのではあるまいか。
 現状をいかほどに深刻に憂えて言論活動を行っているのだろうか。高年齢の人もいるのだが、晩年の「名前?」の維持、小遣い稼ぎの程度の感覚で文章を執筆している者もいるのではないか(ちなみに、産経新聞の「正論」欄は、執筆者の平均年齢が高すぎる)。
 「保守」派とされる産経新聞だが、そしてそれだけで朝日新聞や毎日新聞よりはマシなのだが、しかし、産経新聞社も企業体として利潤を得る必要がある。そこから、「そこそこに」利益を上げればいい、勝利・敗北などは直接の関係がない、世の中がどうなろうが「そこそこに」売れて、儲かればよい、という感覚が、論説委員・編集者や記者たちに生じてはいないだろうか。
 〇中西輝政は、「正直いって個人的には耐え難いほどの無力感を感じている」と書いてもいる(同上p.4)。これは正直で率直な感覚だと思う。
 一方で中西は、「個人的な感慨を乗り越えて、人々の奮起を促すことも、…大切な責務だと自らに言い聞かせている」とも書く(同)。
 この後者は考えさせるところがある。つまり、<政治的>要素を含む言論活動とは、いったいいかなる種類・性格の営為なのか、ということを考えさせる。
 中西輝政は「個人的な感慨を乗り越えて」と書くが、後者の意味するところは、個人的には感じる客観的な想定・予測よりも、読者の「奮起を促す」ための(客観性がより乏しい)「煽動」文書を書く必要もある、ということではないか。是非・善悪を問題にしているのではなく、むしろそのような言論活動も当然にありうるものと承知したい。
 いろいろな論者があれこれの言論を行っているが、いったいそれはいかなる種類・性格のものなのか。
 「客観的」事実を叙述して、積極的または消極的に、あるいは期待的または警告的にコメントするなどして、自らの(実践的な)立場・見解を述べる、というのが相場だろう。こうした作業は重要ではあるが、しかし、論点によっては、あるいは媒体メディア(雑誌を含む)によっては、また言っている、という「保守」派の世界では当然視される、つまりは批判を受けずに安心しておられる、安全な作業である場合もあるだろう。
 「客観的」で詳細な事実の叙述が長くて、そのこと自体が重要な価値を持つこともあれば、執筆者の主張・見解がいま一つはっきりしない、という論考もときにはある。
 唐突にやや離れるが、「保守」派とも言われる(但し、中川八洋は厳しく論難している)福田和也の毎週または毎月の多数の連載は、いったい何を目的にしているのだろう、何を主張したいのだろう、と感じさせるところがある(一冊の本にまとめられて初めてそれが分かるのかもしれないが)。
 〇すでにいつか言及したはずだが、西尾幹二が、何かの彼の本の中で<言論の無力さ>を痛感する旨を書いていた。中西輝政の上記の本の中にも同旨は見られる。西尾幹二や中西輝政ですらそうなのだから、秋月瑛二が無力感を感じても当然だ。一銭にもならない、所詮は自己満足の作業なのだが、無償でもときに無性に(?)何か書きたくなることはあるので、この欄を閉じてしまうのはやめておこう。

1041/「政権交代可能な政治体制」(二大政党制)は良いものか?

 〇産経新聞8/22付で高橋昌之が8/16付朝日新聞社説を批判している。
 高橋から引用すれば、この朝日社説は今回の民主党代表選に関して、次の疑問を書いているらしい。①「新代表が首相になる。毎年のように首相が代わったあげく、今度は3カ月でお払い箱か。こんなに短命政権続きで日本は大丈夫か」、②「菅氏は先の参院選で敗北しても首相を辞めなかったのに、なぜ一政党内の手続きにすぎない投票の結果次第で首相を辞めなければならないのか」。
 朝日は8/22社説でも「なぜ続く短命政権―……また首相が退陣する」と題打ち、「参院による倒閣」可能な制度・現状を問題視している。
 そもそも、「短命政権」ではなくするためにはどうすればよいか、が目下の最大の検討・考察テーマでは全くない。朝日新聞は、皮相的な、非本質的問題になぜか拘泥している。
 民主党政権を支持・擁護したのは朝日新聞で、だからこそ「短命」で終わらざるをえなかったのが残念なのかもしれないが、「短命」で終わるだけの政策的・人間的等の理由があったはずだ。そちらを朝日は解明してみたらどうか。
 また、かつての自民党政権を「短命」で終わらせようとしてきたのは朝日新聞そのものではないか。短命政権の連続の原因が問責決議等をする参議院の存在にあるなどというのはとんだお笑い草的な分析でアホらしいが、2007年参議院選挙後に安倍晋三首相を辞任させようと「運動」する紙面つくりをしたのは、朝日新聞そのものではないか。犯罪的な健忘症集団だ。
 先の②も誤っているが、わざわざ批判する気にもなれない。
 〇上の論調は、<政権交代可能な>政治が是であることを前提として、その長短を問題にしている。
 あえて目くじらを立てるほどではないかもしれないが、産経新聞8/19の近藤真史の「from Editor/首相の使い捨ては続くか」は少し気になる。
 「首相の使い捨て」=短命政権の連続を問題視しているのは朝日と同じで、かつ次のような一文がある-「今はまだ、『政権交代可能な政治体制』確立に向けた過渡期なのだろう。……」。
 これは「政権交代可能な政治体制」がよいものだということを前提としている。この前提は適切なのか。国や歴史や政党の事情等を抜きにして、こんなことを当然の前提としてよいのか?
 〇「政治改革」の名のもとに衆院での小選挙区制を中心とした選挙制度に改められたのは細川護煕内閣のときで、野党・自民党の総裁は河野洋平だった。形式的にはこの二人の合意に始まるその後の日本の政治状況は、選挙制度改革に矮小化された「政治改革」が決して成功していないことを示している。
 それどころか、中西輝政・強い日本をめざす道(PHP、2011)の表現を借りれば、2009年の「政権交代」・「それ以降以後の民主党政権の歩み」は、「『改革の泥沼』の極みともいうべき惨状を呈している」(p.122-3)。
 中西も書いていることだが、1994年の上の二党首の合意による小選挙制への移行は、「政権交代可能な」二大政党制の形成(自民党一党支配の継続による「派閥」政治・「金権」政治の打破)のための手段として位置づけられていたように解されるが、そもそもこのような理解に誤りがあったのだろう、と考えられる。
 典拠を示さないままにしておくが、中川八洋は、1994年の「政治改革」は<左翼>の策略で、自民党はその危険性を看取できなかった旨を指摘している。
 1994年当時、自民党に代わるような多数議員を擁する政党はなかった。細川政権は非自民八党派連立政権だった。にもかかわらず、なぜにこの当時にすでに<二大政党制>あるいは政権交代可能な政治制度なるものが理想として語られたのだろうか。
 今にして思えばだが、中川が指摘するように、また中西輝政も憲法改正可能な2/3以上の議席獲得が容易になるかもしれないと考えて保守派も(自らも?)油断した旨をどこかで書いていたが、<二大政党制>という目標設定は、自民党政権を終わらせ、「左翼」=「容共」の血の混じった政権を誕生させるための策略だったかに思える。
 アメリカ、イギリス、ドイツのように、比較的大きな二つの政党がある国々において、「左」に位置するとされる政党ですら、決して「容共」ではなく、コミュニズム(共産主義)とは一線を画している。そして、軍事・安全保障政策については基本的には一致がある。
 このような二大政党制ではなく、片方に「容共」政党をもつような二大政党制ならば、ない方が、作らない方がマシだ。
 いい加減に、「政権交代可能な」二大政党制という幻想からは、日本の現状を見れば、離れるべきだろう。

1021/西尾幹二は渡部昇一『昭和史』を批判する。

 一 渡部昇一は<保守>の大物?らしいのだが、①1951年講和条約中の一文言は「裁判」ではなく「(諸)判決」だということにかなり無意味に(=決定的意味を持たないのに)拘泥していること、②日本国憲法<無効論>に引きずられて自らもその旨を述べていることで、私自身はさほどに信頼してこなかった。産経新聞・ワック系の雑誌等に渡部昇一はなぜこんなに頻繁に登場するのだろうと不思議にも感じてきた。
 二 ジャパニズム02号(青林堂、2011.06)の座談会の中で、西尾幹二が渡部昇一の『昭和史』(ワック)を批判している。
 西尾は、戦前の日本についての「内向き」の、「失敗」・「愚か」話ばかりの歴史叙述を批判し、渡部昇一も「昭和史」と称して「統帥権の失敗と暴走」という「たった一本でずっと」(それを「中心のテーマ」として)書いている、とする。そして、渡部昇一は「日本はリーダーなき暴走をした」、「日本には主体性がなかった」と、丸山真男ばりのまとめ方をしている旨を指摘し、「渡部さんの方は最後には、日本の迷走を食いとめたのは、広島、長崎の原爆であったとかいてある」とも発言している(そのあとに「(笑)」とある)(p.105-6)。
 渡部昇一の『昭和史』を読む気になれず、かつ読んでいないので西尾幹二(ら)の批判の適切さを確認することはできないが、さもありなんという気はする。渡部昇一は、<保守>の大立者として信頼し尊敬するに値するような人物なのだろうか。
 なお、古田博司が、丸山真男や加藤周一らの「日本の文化ダメ、日本人バカ」論が続いてきたと述べたのち、その流れにある者として西尾幹二は、半藤一利、保阪正康、加藤陽子、秦郁彦、福田和也の名を挙げている。
 これまたこれら5人すべての著書類を読んでいないので適切な反応をしにくいが、渡部昇一の場合以上に、あたっているだろうと思われる(とくに、半藤と保阪については)。ついでながら、先日、NHKは加藤陽子を登場させて語らせて、<さかのぼる日本史>とかの一回分の番組ままるまるを作って放送していた。特定の日本史学者の考え方にそって日本の(昭和戦前の)歴史を語るということの(よく言えば?)大胆不敵さあるいは公平さ・客観性の欠如(偏向性)をほとんど意識していないようなのだから、怖ろしい放送局もあるものだ。今年もまた、8/15に向けて、戦争は悲惨だ、日本は悪い事をした、という「ドキュメンタリー」?類を垂れ流すのだろう。
 三 中川八洋・小林よしのり「新天皇論」の禍毒―悪魔の女系論はどうつくられたか―(オークラ出版、2011.07)はタイトルのとおり、小林よしのり(+高森明勅)と、他に「民族派・男系論者」を批判する本のようだ。
 中川は戦前の平泉澄・戦後の小堀桂一郎も罵倒しているが、ヘレン・ミヤーズとその著を『国民の歴史』の中で「礼賛」しているとして、ミヤーズの肯定的評価について、小堀ととともに西尾幹二をも批判している(p.287、p.310)。
 中川のこの本については別の機会に言及するし、ミヤーズについて適切に評価する資格はない。
 ただ第三者的に面白いと思うのは(失礼ながら)、これで渡部昇一が中川八洋を批判していれば、渡部昇一←西尾幹二←中川八洋←渡部昇一←……という循環的相互批判が成り立つなぁ、ということだ。やれやれ…、という気もするが。

1017/<保守>は「少子化」と闘ったか?-藤原正彦著を契機として。

 一 最近この欄で言及した二つの雑誌よりも先に読み始めていたのは藤原正彦・日本人の誇り(文春新書、2011.04)で、少なくともp.175までは読み終えた形跡がある(全249頁)。
 藤原が第一章の二つ目のゴチ見出し(節名)以降で記しているのは、現在の日本の問題点・危機だと理解できる。
 ①「対中外交はなぜ弱腰か」、②「アメリカの内政干渉を拒めない」、③「劣化する政治家の質」、④「少子化という歪み」、⑤「大人から子供まで低下するモラル」、⑥「しつけも勉強もできない」(p.11-25。番号はこの欄の筆者)。
 上のうち<保守>論壇・評論家が主として議論してきたのは①・②の中国問題・対米問題で、③の「政治家の質」とそれにかかわる国内政治や政局が加えられた程度だろう。
 つまり、上の④・⑤・⑥については、主流の<保守>論壇・評論家の議論は、きわめて少なかったと思われる(全くなかったわけではない)。
 藤原正彦とともに、「政治、経済の崩壊からはじまりモラル、教育、家族、社会の崩壊と、今、日本は全面的な崩壊に瀕しています」(p.22)という認識をもっと共有しなければならないだろう。
 二 例えばだが、<少子化>が日本崩壊傾向の有力な原因になっていること、そしてその<少子化>をもたらした原因(基本的には歪んだ戦後「個人主義」・男女平等主義にある)について、櫻井よしこは、あるいは西部邁は(ついでに中島岳志は)どのように認識し、どのように論じてきたのだろうか。
 p.175よりも後だが、藤原は、「少子化の根本原因」は「家や近隣や仲間などとのつながり」を失ったことにある、出産・子育てへのエネルギー消費よりも<自己の幸福追求>・社会への報恩よりは「自己実現」になっている、「個の尊重」・「個を大切に」と「子供の頃から吹き込まれているからすぐにそうな」る、とまことに的確に指摘している(p.241)。
 このような議論がはたして、<保守派>において十分になされてきたのか。中島岳志をはじめ?、戦後<個人主義>に染まったまま<保守>の顔をしている論者が少なくないのではなかろうか。
 <少子化>の原因の究極は歪んだ戦後「個人主義」・男女平等主義にあり、これらを称揚した<進歩的>憲法学者等々の責任は大きいと思うが、中間的にはむろん、それらによるところの晩婚化・非婚化があり、さらに<性道徳>の変化もあると考えられる。

 中川八洋・国が滅びる―教育・家族・国家の自壊―(徳間書店、1997)によると、マルクスらの共産党宣言(1848)は「共産主義者は…公然たる婦人の共有をとり入れようとする」と書いているらしく、婚姻制度・女性の貞操を是とする道徳を破壊し、「売春婦と一般婦女子の垣根」を曖昧にするのがマルクス主義の目指したものだ、という。そして、中川は、女子中高生の「援助交際」(売春)擁護論(宮台真司ら)には「過激なマルクス主義の臭気」がある、とする(p.22-)。
 また、今手元にはないが別の最近の本で中川八洋は、堕胎=人工中絶という将来の生命(日本人)の剥奪の恐るべき多さも、(当然ながら)少子化の一因だとしていた(なお、堕胎=人工中絶の多さは、<過激な性教育>をも一因とする、妊娠しても出産・子育てする気持ちのない乱れた?性行動の多さにもよるだろう)。
 私の言葉でさらに追記すれば、戦後の公教育は、「男女平等」教育という美名のもとで、
女性は(そして男ではなく女だけが)妊娠し出産することができる、という重要でかつ崇高な責務を持っている、ということを、いっさい教えてこなかったのだ。そのような教育のもとで、妊娠や出産を男に比べての<不平等・不利・ハンディ>と感じる女性が増えないはずがない。そして、<少子化>が進まないわけがない。妊娠・出産に関する男女の差異は本来的・本質的・自然的なもので、<平等>思想などによって崩されてはならないし、崩れるはずもないものだ。しかし、意識・観念の上では、戦後<個人主義>・<男女対等主義>は女性の妊娠・出産を、女性たちが<男にはない(不平等な)負担>と感じるように仕向けている。上野千鶴子や田嶋陽子は、間違いなくそう感じていただろう。

 上のような少子化、人工中絶等々について、<保守>派は正面からきちんと論じてきたのだろうか?
 これらは、マルクス主義→「個人主義」・平等思想の策略的現象と見るべきものと思われるにもかかわらず、<保守派>はきちんとこれと闘ってきたのだろうか?
 現実の少子化、そして人口減少の徴候・現象は、この戦いにすでに敗北してしまっていることを示しているように思われる。
 このことを深刻に受けとめない者は、<保守>派、<保守>主義者ではない、と考える。 

1001/読書メモ-2011年3月。竹田恒泰、池田信夫ら。

 〇先月下旬に竹田恒泰・日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか(PHP新書、2011)を読み了えているが、第一に、それぞれの「人気がある」理由を近年の(あるいは戦後の)日本は失ってきているのではないか、との旨の指摘の方をむしろ深刻に受けとめる必要があるかもしれない。

 第二に、最後(巻末対談)の北野武との対談で、北野武は、テレビではあまり感じないが、明確に<反左翼>・<ナショナリスト>であることが分かる。
 〇池田信夫・ハイエク―知識社会の自由主義(PHP新書、2008)を、今月中の、これに言及した日以降のいずれかに、全読了。一冊の新書でこれだけの内容を書けるというのは、池田はかなりの知識・素養と能力をもつ人だと感じる。ハイエク「自由主義」とインターネット社会を関連づけて論じているのも興味深い。本文最後の文章は-「われわれはハイエクほど素朴に自生的秩序の勝利を信じることはできないが、おそらくそれが成立するよう努力する以外に選択肢はないだろう」(p.200)。

 また、池田によると、例えば、ハイエクは英国の労働党よりは保守党に「近い」が、既得権擁護傾向の強い保守党に「必ずしも賛成していない」。むしろ保守党の「ナショナリズム的なバイアス」には批判的だった、という(かなり簡潔化。p.103)。こういった関心を惹く指摘は随所にある。

 〇中川八洋・国が亡びる―教育・家族・国家の自壊(徳間書店、1997)を先日に全読了。220頁余のこの本は、日本の亡国を憂う<保守派>の必読文献ではないか。

 「男女対等(…共同参画)」とか「地方分権」とか、一見反対しづらいようなスローガン・主張の中に、<左翼>あるいは<共産主義(・社会主義)>イデオロギーは紛れ込んでいる、そして日本の(自称)<保守派>のすべてがこのことを認識しているわけではない、という旨の指摘は重要だろう。

 思想・精神・徳性の堕落・劣化・弱体化もさることながら、「想定を超える」大震災に遭遇すると、日本は<物理的・自然的>にも<自壊>してしまうのではないか、とすら感じて恐れてしまうのだが…。
 〇高山正之・日本人の目を覚ます痛快35章(テーミス、2010)をかなり読む。月刊テーミスでの連載をテーマ別に再構成してまとめたもの。

 第一章・日本を貶める朝日新聞の報道姿勢
 第二章・大江健三郎朝日新聞の奇妙な連携
 第三章・卑屈で浅薄な大学教授を叩き出せ
 第四章・米国には仁義も友情もないと知れ
 第三章の中の一文章(節)のタイトルは「朝日新聞のウケを狙う亡国学者&政治家の罪」(p.109)。
 この部分から列挙されるものに限っての「卑屈で浅薄な大学教授」らは次のとおり。倉石武四郎(東京大学)、船橋洋一(朝日新聞)、後藤乾一(早稲田大学)、青木正児、園部逸夫(元成蹊大学・最高裁判事)、門奈直樹(立教大学)、大江志乃夫、倉沢愛子(慶應大学)、家永三郎、染谷芳秀(慶應大学)、小島朋之(慶應大学)、明日香寿川(東北大学)。

 真否をすべて確認してはいないが、ご存知の教授たちもいる。それはともかく、この章の最後の文章(節)のタイトルは「文科省が任命し続ける『中国擁護』の大学教授―『日本は加害者だ』と朝日新聞のような主張をする外人教授たち」だ。

 この中に「問題は元中国人がそんな名で教授になることを許した文科省にもある」との一文もある。
 少し誤解があるようだ。大学教授の任命権は文科省(・文科大臣)にあるのではない。旧国立大学については最終的・形式的には文科大臣(文部大臣)が任用・昇任の発令をしていたが、それは各大学の、実質的には関係学部の教授会の「決定」にもとづくもので、実際上、文科大臣・文部大臣(文科省・文部省)に任命権があるわけではない。実質的にもそれを認めれば(例えば「内申」を拒否することを文科省側に認めれば)、<大学の自治>(・<学問の自由>)の侵害として大騒ぎになるだろう。

 旧国立大学においてすらそうなのだから(国立大学法人である現国立大学では学長に発令権が移っているはずだ)、私立大学や公立大学の人事(教授採用・昇格等々)について文科省(同大臣)は個別的にはいかなる権限もない。残念ながら?、文科省を批難することはできず、各大学、そして実質的には問題の?教授等が所属する学部(研究科)の教授会(その多数派構成員)をこそが批難されるべきなのだ。

 〇久しぶりに、小林よしのりの本、小林よしのり・本家ゴーマニズム宣言(ワック、2010)を入手して、少し読む。五木寛之・人間の覚悟(新潮新書、2008)も少し読む。いずれについても書いてみたいことはあるが、すでに長くなったので、今回は省略。

0999/アメリカ建国の理念とは-佐々木類(産経新聞)・佐伯啓思・中川八洋における。

 一 A 産経新聞アメリカ支局長・佐々木類は産経1/16付紙面で、「同盟深化に米建国の理念理解を」と題して、米国での銃規制の困難さにも関連させて、こう書いていた。

 「書生っぽいことをいえば、ロックが1676年に『統治二論』で著した社会契約説が、100年後に米国建国という形で具体的な姿を現した。ロックは、人間が自分を守る権利と労働の結果生まれた私有財産は人民の契約に基づいて国家が作られる前からあった『自然権』だとし、国家権力がこれに干渉してはならないと定義した。/この精神を引き継いだ英国の植民地人、つまり、米国人らが、自分たちの意向を無視して証書や新聞などに印紙を貼らす印紙税や茶に課税する英国に対し、『代表なくして課税なし』と立ち上がり、独立戦争に突き進んだのである」。
 B 佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版、2010)は、「アメリカの建国の精神」について、こう書く。

 ・「ジェファーソンの『独立宣言』に見られるように、「生命」「自由」「幸福の追求」を万人に平等に与えられた普遍的価値とみなしている」。
 ・「このアメリカ建国の精神である、強くて自由な個人、民主主義、個人の能力主義と競争原理などの価値へと『復帰』することは、アメリカにおいては『保守主義』ということになる」。
 ・「これは本来のイギリス流の保守主義とかなり異なっている。……アメリカ独立が…イギリスの伝統的国家体制への反逆であり、王権からの分離独立であることに留意すれば、アメリカの建国それ自体が、イギリスからすれば自由主義的な革新的運動であった」。アメリカ建国には「進歩主義」の理念が色濃く、「アメリカ流保守主義」は「いささか倒錯的なことに」すでに「『進歩主義』に染め上げられている」(p.188-9)。
 C 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)は、「米国の建国」について、つぎのように言及する。

 ・「サッチャー保守主義の原点」にはバークがあるが、その基底で「ヴィクトリア女王時代の栄光の大英帝国」を崇敬していた。これは、「ジョージ・ワシントンやアレクザンダー・ハミルトンが米国の建国に当たって、エリザベス女王時代の…あとの頃一六〇〇年代初頭の…古き英国をイメージして、理想の新生国家・米国を建設したのと似ている」(p.233)。
 二 さて、米国建設の理念・イメージがかくも異なって叙述されることにまずは止目されるべきだろう。

 中川八洋はアメリカの対英「独立」の理念と一三州統合しての「建国」の理念とは区別すべしと別の著で説いており、上で挙げるハミルトンらは英国「保守主義」と基本的に異ならない「建国」の理念提示者として叙述されていると見られる。

 これに対して佐伯啓思はジェファーソンの名を挙げて対英「独立」の理念に着目しているようだ。

 かかる違いはあるとはいえ、基本的に英国「保守主義」を継承したと捉える中川と、米国の「保守主義」は英国のそれから見ると「進歩主義」だとの見解を示す佐伯啓思とは、やはり同じことを述べているとは、同様に理解されているとは、理解できない。

 アメリカ「建国」の理念も、論者により、あるいは論じられる脈絡との関係により、異なって語られうることは、知的関心を惹く、興味深いことだ。これは、アメリカを理解するうえで、そして<日米同盟>を語る場合の、決して「知的」関心の対象にとどまらない問題でもあろう。

 これに対して、佐々木類の「書生っぽい」叙述は、上の二人の学者とはやはり異なり、通俗的だ。要するに、<欧米近代>を一色で見ている。英米の違いはもちろんのこと、英・仏間にある大きな違いを見ることもしていない。ロックの「社会契約説」を挙げていることからすると、米国独立戦争前のルソーの『社会契約論』(1762)も、米国の国家理念と矛盾していないと理解されているのだろう。

 怖ろしいのは、「書生っぽい」、あるいは高校の社会科教科書を真面目に勉強したような<欧州近代>の理解でもって、欧米諸国(の建国理念・歴史等)を単純に捉えてしまうことだと思われる。

 そこには、今日ではすでに自国ですら疑念が提起されている、かつての通説的な「フランス革命」の(美化的)理解を疑いもしない、かつての「書生っぽい」認識も含まれる。ルソーもフランス革命も、さらには<欧州近代>(ロックを含む)そのものも、日本の<保守派>ならば「懐疑」の対象にしなければならないのではないか。
 ちなみに、中川八洋に全面的に賛同するつもりはないし、評価する資格もないが、中川によるとロックはホッブズ(中川のいう有害な思想家)の影響を強く受けており、ハイエクは英国名誉革命に関するヒュームとロックの議論を対比してヒューム(中川のいう有益な思想家)に軍配を上げた、という。またヒュームは(中川も)ロック、ルソーの「社会契約説」に批判的だ(下掲書p.320-1)。但し、全体としては、中川八洋は、ロックを、モンテスキュー、パスカル、ショーペンハウエル、カントとともに(いずれかに傾斜しているとしつつも)「有益」、「有害」それぞれ31名の思想家リスト(p.384-5)の中には含めず、「双方の中間」と位置づけている(中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)p.388)。

0998/民主党・長妻昭の「無能」さと中川八洋による「子ども手当」批判。

 〇桝添要一は半年ほど前のテレビ番組で、長妻昭(民主党・前厚労大臣)を「無能です」と一口で切って捨てていた。

 長妻昭が大臣時代に、年金切替忘れの専業主婦を「救済」する方針が決定され、課長「通達(通知)」でもって今年から実施された。

 近日において、民主党内閣(細川厚労大臣)はこれを「違法」ではないが「不適切」だったとし、当該課長を官房付に「更迭」したと伝えられる。

 長妻昭は課長「通達」で済ますことの問題性を何ら認識していなかったようだ。ほとんど誰もその点を問題にしなかった旨を他人事のように述べていた。当該課長が「更迭」されるという<行政>的責任をとったとすれば、大臣だった長妻はどう<政治的>責任をとるつもりか?

 日本経済新聞の政治・行政担当の記者の経験もあるらしい長妻昭は、やはり「無能」なのではないか。かつて政治・行政担当の新聞記者であっても、法律によるべきかかそれとも「通達」によってもよいか、という問題意識すらなかったようなのだから、行政担当の政治家としては「無能」と断言してよい。長妻に期待を寄せていた者もいるのだろうが、そのような人々も「無能」なのだろう。かつての新聞記者というのはこの程度だ(という者も多い)、ということもよく分かる。
 「違法」か「不適切」かはじつは重大な違いがある。特定範囲の在日外国人に対しても日本国民(国籍保持者)と同様の生活保護措置が執られることは、関係公務員(自治体も当然に含む)なら誰でも知っているだろうが、自民党内閣時代からの、古い、<生活保護法を……に準用する>旨の一片の「通達(通知)」にもとづいているにすぎない。このような例も含めて、国会では、法律によるべきかかそれとも「通達」によってもよいかを論議してほしいものだ。

 〇上の「救済」策は、忘却した直接の当事者に対しては、一種の「バラまき」にあたる。

 民主党は少子化対策とか景気浮揚の経済政策とか言っているようだが、<子ども手当>施策には「バラまき」との批判も強い。

 だが、「バラまき」福祉という批判だけではこの施策の本質を見抜いていない、という重要な指摘を中川八洋はしている(中川に限らないだろうが、ここでは中川の文章をとり挙げる)。中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)によると、以下のとおり。

 ・「子ども手当」等の「子育て」支援はマルクス=エンゲルス『共産党宣言』(1848)を教典とするカルト信仰からの思いつきで、「日本人から家族をとりあげ『家族のない社会』に改造する」ためのステップだ。共産党宣言にはこうある-「家族の廃止!……我々は両親の小児に対する搾取を廃止しようとする。〔親による教育の禁止は〕……〔子どもの〕教育を支配階級の影響からひき離すにすぎない」(p.14)。

 ・「子育て支援」とは<国家こそが子育ての主体>、<親は産んだ瞬間に役割を終える>等の狂気のイデオロギーによる共産党の造語だ。かかる施策が立法・行政に闖入したのは「自由社会では日本のたった一カ国」。類似の政策は①レーニンによる家族解体の狂策(但し1936年頃廃止)、②金日成・北朝鮮の「子供の国家管理」の制度化(p.16)。

 ・「子育て支援」施策の異様さは「扶養控除」の廃止と連結していることで分かる。「扶養控除」は<親が子供を育てる>を大前提として、親に対して国家が減税により若干の協力をしようとするもの。一方の「子育て支援」思想は「家族=孤児院」とするイデオロギーだ。子供=孤児、親=孤児院の経営者に見立てている(p.17)。

 ・「子育て支援」の狂気は、ルソー(重度精神分裂症者・孤児)の『人間不平等起源論』・『エミール』を教典とし、それを盗作的に要約したマルクスら『共産党宣言』にもとづき、レーニンが実行したおぞましい歴史を21世紀の日本で再現しようとするもの。民主党のマニフェストの「子ども手当」の背後思想は日本共産党により大量出版された「子育て支援」文献を援用しており、民主党は「共産党のクローン」になっている(p.17-18)。

 まだまだ続くが、ここで止めておく。

 民主党の元来の「子ども手当」の思想は<所得制限>といったものに馴染まない(だからこそ結果としては一貫して所得制限は導入されていない)。両親の収入の多寡に応じた「社会福祉」という国家の<援助>とは異なる。「国家」こそが「子育て」の主体(子どもを家族・両親から早期に切り離す)というイデオロギーに支えられたワン・ステップ(一里塚)と位置づけられている、と考えられる。中川八洋の指摘は決して大げさなものとは思えない。

0997/中川八洋・国が滅びる(徳間書店、1997)の「教育」篇。

 一 たしか西尾幹二が書いていたところによると、日本の「社会学」は圧倒的にマルクス主義の影響下にあるらしい。歴史学(とくに日本近現代史)も同様と見られるが、「教育学」もまた<左翼>・マルクス主義によって強く支配されていることは、月刊諸君!、月刊正論に<革新幻想の…>を連載している竹内洋によっても指摘されている。戦後当初の東京大学教育学部の「赤い」3Mとかにも論及があったが振りかえらない。狭義の「文学畑」ではない<文学部>分野および<教育学部>分野には(にも?)、広くマルクス主義(とその亜流)は浸透しているわけだ。
 二 中川八洋・国が滅びる―教育・家族・国家の自壊(徳間書店、1997)p.48-によると、日本の「狂った学校教育」は、①「反日」教育、②「人権」教育(「人間の高貴性や道徳」の否定)、③「平等」教育(「勤勉や努力」の否定・「卑しい嫉妬心」の正当化)、を意味する。

 生存・労働権を中核とする「人権」のドグマは人間を「動物視」・「奴隷視」する考えを基底にもち、ロシア革命後にも人間の「ロボット」改造化が処刑の恐怖(テロル)のもとで進められた。さらに、「人権」のドグマは、①地球上の人間を平等に扱うがゆえに「民族固有の歴史・伝統・祖先」をもつことを否定し、②「善悪(正邪)の峻別を原点とする道徳律や自生的な社会規範」を否定する(p.50-52)。

 ①の魔毒は「反日キャンペーン」となり、日本国民ではなく「地球人」・「地球市民」に子供たちを改造しようとする。②の魔毒は「生存」の絶対視を前提として「どんな悪逆な殺人者に対する死刑の制度」も許さず、殺された被害者は「すでに生存していない」ので「人権」の対象から除外される。「人権」派弁護士とは生存する犯罪者に動物的「生存」を享受させようとする「人格破綻者」だ(p.52-53)。

 かかる「教育」論に影響を与えている第一はルソーの、とくに『エミール』だ。日本の教育学部で50年以上もこれを必読文献としている狂気は「日本共産化革命」を目的としている。ルソーは、『社会契約論』により目指した全体主義体制を支える人間を改造人間=ロボットにせんとするマニュアルを示すためにこれを執筆した。ルソーは『人間不平等起源論』に見られるように「動物や未開人」を人間の理想とするので、『エミール』を学んだ教師は生徒を精神の「高貴性」・高い「道徳観」をもたない「動物並み」に降下させる(p.55-59)。

 第二はスペンサーで、その著『教育論』は「人間と動物に共通する」普遍の教育原理を追求し、人間を野生化させる「自然主義・放任主義」を是とし、「道徳律の鍛錬」や「倫理的人間のへ陶冶」を徹底的に排除した(p.59-60)。

 第三は戦後日本教育を攪乱したデューイで、スペンサーの熱烈な継承者、実際の実験者だった。

 これら三大「悪の教育論」を排斥しないと、日本の教育は健全化しない(p.60)。

 以上は、中川八洋の上掲書の「Ⅰ・教育」のごく一部。
 三 八木秀次「骨抜きにされる教育基本法改正」(月刊正論3月号(産経)p.40-41)は安倍内閣時の教育基本法改正にもかかわらず、教育実態は変わらないか却って悪くなっていると嘆いているが、教育「再生」のためには、多数の教師が学んできた戦後日本の「教育学」・「教育」理論そのもの、そしてそれを支えた(中川八洋の指摘が正しいとすれば)ルソー、デューイらの教育「理論」にさかのぼって、批判的に検討する必要もあると強く感じられる。教育基本法という法律の改正程度で「左翼」・「反日」(<「国際」化)教育が死に絶えることはありえない。 

0994/日本の「保守」は生き延びられるか-中川八洋・民主党大不況へのコメント2。

 中川八洋は刺激的な書物を多数刊行しているが、さすがに、全面的または基本的に支持する、とも言い難い。

 細かな紹介は省くが、中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)の、例えばp.287の安倍晋三、大前研一、江口克彦、平山郁夫、山内昌之、川勝平太、中西輝政に対する罵倒または特定の党派性の決めつけは、詳しく具体的な根拠が示されているならばともかく、私がこれらの人々を基本的に信頼しているわけでは全くないにしても、にわかには信じ難い。

 つづくp.288には、安倍晋三が「マルキスト中西輝政をブレーンにしたのは、安部の思想軸に、(無意識にであれ)マルクス主義が根強く浸透しているから」だとの叙述もあるが、これに同感できるのはきわめて少数の者に限られるのではないか。もっとも、例えば、戦後<左翼>的「個人主義」・「自由主義」等々が(渡部昇一を含む)いわゆる<保守派>の面々に「無意識にであれ」浸透していないかどうかは、つねに自省・自己批判的克服が必要かと思われるが。

 より基本的な疑問は、中川の「保守主義」観にある。中川の、反共主義(・反極左・反フェミニズム等)、共産主義と闘争することこそ「保守」だとする議論には全面的と言っていいほど賛同する。そして、この点で曖昧さや弱さが日本の現在の<保守>にあるという指摘にも共感を覚えるところがある。この点は、のちにも具体的に論及していきたい。

 しかし、中川八洋の「保守主義」は、マルクス主義が外国産の思想(・イデオロギー)であるように、「英米」のバークやハミルトン等々を範とするやはり外国産のそれをモデルとしている。それを基準として日本の「保守」を論じるまたは批判するのは、自由ではあるものの、唯一の正しいまたは適切な立脚点だとはなおも思えない。

 日本には日本的な「保守主義」があってもよいのではないか。

 中川八洋によると、「保守主義の四哲人」はコーク→ハミルトン・バーク・ハイエクだ(p.310の図)。そして、レーガンはハミルトンとバークの、サッチャーはバークとハイエクの系譜上にある(同)。また、「八名の偉大な哲人や政治家」についても語り、コーク、バーク、ハミルトン、マンネルハイム、チャーチル、昭和天皇、レーガン、サッチャーの八人を挙げる(p.351)。

 昭和天皇は別として、中川の思考・思想の淵源が外国(英米)にあることは明らかであり、なぜ<英米の保守主義>を基礎または基準にしなければならないのかはじつは(私には)よく分からない。学ぶ必要はあるのは確かだろう。だが、中川のいう<英米の保守主義>をモデルにして日本で議論すべきことの不可避性は絶対的なものなのだろうか。

 外国人の名前を挙げてそれらに依拠することなく、中川八洋自身の独自の思想・考え方を展開することで十分ではないのか。その意味では明治期以来の<西洋かぶれ>の弊は中川にもあるように感じられる。

 また、以上と無関係でないだろうが、中川八洋が「保守」はつねに(必ず)「親米」で、「反米」は「(極左・)左翼」の特性だ、と断じる(p.361-2)のも、釈然としない。「親米」の意味の理解にもよるのかもしれないが、<保守>としても(論者によっては<保守>だからこそ?)「反米」的主張をせざるをえないこともあるのではあるまいか。

 このあたりは小泉構造改革の評価にも関連して、じつは現在のいわゆる<保守派>でも曖昧なところがある。また、「反米」よりも<反共>をこそ優先させるべきことは、中川八洋の主張のとおりだが。

 以上のような疑問はあるが、しかし、日本の<保守派>とされる論客、<保守派>とされる新聞や雑誌等は、中川八洋の議論・指摘をもう少しきちんととり上げて、批判を含む議論の俎上に乗せるべきだろう。さもないと、似たようなことをステレオタイプ的に言う、あるいはこう言っておけば(閉鎖的な日本の)<保守>論壇では安心だ、との風潮が、いっそう蔓延しそうに見える(かかる雰囲気があると私には感じられる)。

 中川八洋の主張・指摘の中には貴重な「玉」も多く含まれていて、「石」ばかりではないと思われる。<保守>派だと自認する者たちは、中川八洋とも真摯に向かい合うべきだろう。

0993/日本の「保守」は生き延びられるか-中川八洋と渡部昇一。

 敗戦・占領に伴うGHQによる日本国憲法の実質的な「押しつけ」とその憲法が今日まで一文も改正されることなく効力をもち続けていることは、日本国家と日本国民にとって屈辱的なことで、改正または実質的には新憲法の(当然に自主的な)制定は国家と国民のの基本課題とすら言えるだろう。

 だが、物事の見方は多様で、上のような見方よりもはるかに巨視的に判断している者もいる。

 中川八洋・山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像(弓立社、2008)の「まえがき/昭和天皇のご無念」がそれだ。

 中川によると、今日の日本<滅亡>の危機の元凶は昭和前期の「狂気」にあり、「GHQ七年間」の占領に原因があるのではない。それどころか、「マクロに考察すれば、GHQ占領こそ、天皇制度の温存にしろ、自由経済にしろ、政党政治の回帰にしろ、日本の国家蘇生に裨益した」。「憲法第九条など有害なものも多いが」、それは「ミクロに観察」した場合のこととされる(上掲書p.5)。

 これには驚いた。だが、なるほど中川八洋は戦争の継続と被害の増大・日本の焦土化のあとに「共産革命」がありえたと判断している、つまり「共産主義者」たちは日本の徹底的な破壊のあとの「革命」=<社会主義日本>の樹立を狙っていたと理解しているので、それに比べれば、昭和天皇の「御聖断」による終戦と「自由主義」国・米国による実質的な単独占領は、そのような「共産革命」を防いだ、<よりまし>なことだった、と捉えられることになる。

 こういう見方は、決して荒唐無稽ではない、と思われる。たしかに種々の大きな課題・禍根をGHQ「占領」は残したが、ソ連の影響力のもとでの日本全体または日本の半分の「社会主義」国化、ソ連の「傀儡」国家化は、東欧や北朝鮮に実際に生じたように、まったくありえなかったわけではない、と考えられる。もしも、戦争がさらに継続され、ソ連が先に、あるいは米国とソ連がほぼ同時に日本国土に上陸していたならば…、戦慄する事態になっていただろう(国内にはそれに迎合し、ソ連を歓迎する「共産主義」勢力が存在した)。

 だが、中川八洋とて、「日本国憲法」が現在のままでよいとは考えていないだろう。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)の基本的なコメントの第二のマクラのつもりで書き始めたが、すでに長くなった。

 方向を転換して、上掲書にさらに言及しよう。

 中川八洋は、次のようにも書いている。日独伊三国同盟締結という「大罪」を犯した松岡洋右らまで、「軍人でもなく戦死したわけでもないのに祀る」という「前代未聞の暴挙」を靖国神社は1978年に行った(p.6)。すでに言及したが、中川八洋によれば、大東亜戦争とは日本国内の「共産主義者」たちがコミンテルンらと結びついて、日本を大崩壊させ、のちに「共産」日本を樹立するための陰謀で、「国家反逆性」(p.6)をもつ。

 いつか述べたように、道徳的な「悪」とは言えない戦争と敗戦を出発点として考えたく、あの戦争にかかる開戦・敗戦の原因等々の詳細に立ち入って<復習>しようという関心はほとんどない。

 中川八洋の主張についても、論評する資格はない。ただ、ありうる、成り立ちうる議論で、そのうち触れるだろうように、中川のいう「民族派」の中にも、戦争の過程での「共産主義」勢力の関与・策略をきちんと指摘する論者も少なくない、とは感じている。

 だが、大東亜戦争=「(日本)国家反逆」という性格づけには、上の松岡ら靖国合祀批判も含めて、「民族派」あるいは<ナショナリスト保守>の多くの論者はおそらく納得できないだろう。

 しかしながら、奇異なことに、上掲書(中川八洋・山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像)のオビ(の表紙側)には、こんな言葉が印刷されている。

 「渡部昇一、大絶賛!! 大東亜戦争の真実が、帝国海軍についての初めての解剖的研究で、これほど迫真的に暴かれたことはかつてなかった。中川八洋氏のこの衝撃の新著は、現代史の超重要文献だ!」

 何と、渡部昇一は2008年刊の上掲書にこのような称賛・推薦の言葉を寄せている。個々の論点のすべてについて賛同するという趣旨ではなくとも基本的にまたは全体としては共感するからこそ、かかる称賛・推薦の言葉を書いた(または原文・素案を承認した)ものと思われる。のちに明確に「保守」ではない「民族派」と位置づける渡部昇一の称賛・推薦を受けた中川八洋もどうかと思うが、自分の名前がいろいろな所に出ればよいとでも考えたのか、渡部昇一の感覚もまた、異様に感じられる。

 渡部昇一の近年の日本歴史の何冊かの本は読む気はないが(購入の予定もない)、日支戦争・太平洋戦争(大東亜戦争)に対する見方・歴史観は、中川八洋と渡部昇一とは、まるで違う、むしろ真逆なのではないか。前回に書いたことと併せてみても、渡部昇一というのは、どうも信頼が置けない。そもそもきちんとゲラ刷りを概読でもしてから「大絶賛!!」の文章を書いたのか?。そうではない、いいかげんな人物だと思われる。こんな「保守」派論客が代表者の一人とされているようである<日本の保守>とは、いったい何か。「生き延びられる」未来はあるのだろうか。

0988/日本の「保守」は生き延びられるか-中川八洋・民主党大不況へのコメント1。

 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)、中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)はいずれも読んでいる。とりわけフランス革命やルソーについては、これらの本の影響を受けているかもしれない。

 これらの本についても感じることは、中川八洋は学術的な研究論文にして詳論すればそれぞれ数十本は書けるだろう、そしてその方が読者にはより説得的によく理解できるような内容を、きわめて簡潔に一冊の本にまとめてしまっている、ということだ。この人は、海外・国内のいずれの文献についても、(外国人の著についてはおそらくは英語のまたは英訳された原書で)すさまじいスピードで読み、理解できる能力をもつ人だと思われる。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)についても、ほぼ同様のことはいえるだろう。中川八洋のすべての本を読んできているならば少しは別かもしれないが、そうでないと、簡潔に言い切られている多数のことが、ふつうの?読者には容易には理解できないように思われる。それは、むろん、すでに紹介したように、「民族派(系)」の江藤淳・渡部昇一・西尾幹二等々は「保守」ではない、控えめに言っても「真正保守」ではない、という、中川ら(?)以外の者にとっては一般的ではない、独特の?見解・立場に立っていることにもよる。

 中川の上の著は「ハイパー・インフレと大増税」という副題をもち、「大不況」というメイン・タイトルをもつことから民主党の経済・財政政策批判の本との印象も生じるが、まるで異なる。「大不況」には「カタストロフィ」というフリガナがついていることからすると、<民主党による日本大崩壊(大破綻)>というのが基本的趣旨で、同時にそのような民主党政権誕生を許した自民党や<民族系>論者を批判することを目的としているように感じられる。その意味では<「民族派」(保守)大批判>というタイトルでも決して内容と大きく矛盾していないと思われる。

 にもかかわらず、実際のタイトルになっているのは、<「民族派」(保守)大批判>では売れない、<民主党批判>本なら売れる、という出版社・編集者の判断に従っているかにも見える。

 上のことはこの本の感想の第一ではまったくないが、中川八洋とて、<出版>そして<売文>業界という世俗と完全に無縁ではいられない、ということを示してもいるだろう。

 さて、中川八洋・民主党大不況(2010)への簡単なコメントはむつかしい。ここで触れられていることは、この欄であれこれと書いてきた多くのことに、あるいはマスメディアや多数の論者が議論してきた多くのことに関係している。

 とりあえずは二点だけ述べる。

 秋月瑛二の私見あるいはこの欄の基本的立場は昨年の7月に「あらためて基本的なこと」と題して書いたとおりだ。
 以下は一部のそのままの引用。 

 ・左右の対立あるいは<左翼>と<保守>の違いは、<容共>か<反共>かにある。<容共>とは、コミュニズムを信奉するか、あるいはそれを容認して、それと闘う気概を持たないことを意味する。<容共>と対立するのがもちろん<反共>で、<保守>とは<反共主義>に立つものでなければならない。コミュニズムを容認または放置してしまうのではなく、積極的に闘う気概をもつ立場こそが<保守>だ。
 ・米国との関係で、自立を説くことは誤ってはいない。<自主>憲法の制定も急がれる。その意味では<反米>ではある。だが、現在の最大の<溝>・<矛盾>は、コミュニズム(共産主義・社会主義)と<自由主義>(・資本主義)との間にある。<反共>をきちんと前提とするあるいは優先した<反米>でなければならない。<反共>を優先すべきであり、そのためには、米国や欧州諸国のほか韓国等の<反共>(・自由主義)諸国とも<手を組む>必要がある。以上のかぎりでは、つまり<反共>の立場を貫くためには、<親米>でもなければならない。
 ・日本と日本人は<反共>のかぎりで<親米>でありつつ、欧米とは異なる日本の独自性も意識しての<反米>(反欧米、反欧米近代)でもなければならない。そのような二重の基本的課題に直面していると現代日本は理解すべきものだ。

 こうした考え方からする中川八洋著に対する第一の感想は、<反共>主義の立場であること、<保守=反共>と完璧に理解すること、が鮮明で、他の多くの<保守>派とふつうは言われている人々の論調に比べて、共感するところ大だ、ということだ。

 述べたことがあるように、佐伯啓思の本は刺激的で思考誘発的で、かつ<西欧近代>への懐疑の必要性について教えられることが多い。だが、佐伯はコミュニズム(・共産主義)との対立は終わった、<社会主義対資本主義>という議論の立て方はもはや古い、というニュアンスが強く、結果として、現実の中国・北朝鮮に対する見方が甘くなっているのではないかという疑問も生じる。上記のような<親米>でも<反米>でもあるという立場は佐伯啓思の論じ方にも影響を受けているが、<反共>と<反米>のどちらをより優先させるべきか、と二者択一を迫られた場合、やはり<反共>(現実には反中国・反北朝鮮等)を選択すべきで、そのためには米国をも利用する(その限りでは<親米>になる)必要があると考えられる。そういう根本的な発想のレベルでは、佐伯啓思にはやや物足りなさも感じている。昨秋の尖閣問題の発生以降の佐伯の産経新聞紙上の論調は何となく元気がないと感じるのは、気のせいだろうか。

 櫻井よしこ渡部昇一がとの程度マルクス(・レーニン)主義を理解しているのかはかなり疑わしい。櫻井よしこはしきりと<反中国>の主張を書いていて、そのかぎりで<反共>だと言えると反論されそうだが、しかし、そのとおりではあるとしても、桜井の文章の中には、見事に、「共産主義」や「社会主義」という言葉が欠落している。

 櫻井よしこに限らず、中国について<中華思想>の国(・地域)だとか、日本と違う<王朝交代>の国(・地域)だとか、その<民族>性自体に対する批判は多く、桜井も含めて中国の帝国主義的(?)、覇権主義的(?)、領土拡張主義的(?)軍事力増大に対する懸念・批判は多く語られてきている。だが、中国の元紙幣には現在でも毛沢東の顔が印刷されているように、中国は毛沢東が初代の指導者であった中国共産党が支配する国家であり続けている。

 そして毛沢東・中国共産党はまぎれもなく、マルクス・レーニン(・スターリン)の思想的系譜をもっていること、中国は<現存する社会主義>国家であることを決して忘れてはいけない。その領土拡張主義的政策に大昔からの<中華思想>等をもって説明するのは本質を却って没却させるおそれなきにしもあらずだ。<中国的>な発展または変容を遂げていることを否定しないが、現在の中国は基本的にはなおもマルクス・レーニン(・スターリン)主義に依拠している国家だからこそ、日本にとっても害悪となる種々の問題を生じさせているのではないか。

 このマルクス主義(・共産主義・社会主義)自体の危険性への洞察・認識が櫻井よしこらにどの程度あるのかは疑わしいと感じている。田久保忠衛についても同じ。

 述べきれないが、以上のようなかぎりで、中川八洋の<民族系>批判は当たっている、と感じられるところがある。

 くり返すが、<ナショナリズム>を、あるいは<よき日本への回帰>を主張し称揚することだけでは<保守>とはいえないだろう。ナショナリスムに対する国際主義(グローバリズム、ボーダーレスの主張)に反対するだけでは<保守>とは言えないだろう。「グローバリズム」、朝日新聞の若宮啓文の好きな「ボーダー・レス」の主張の中に、ひっそりとかつ執拗に「共産主義」思想は生きていることをこそ、しっかりと見抜く必要がある。

 <万国の労働者団結せよ!>とのマルクスらの共産党宣言の末尾は、国家・国境・国籍を超えて<万国>のプロレタリアートは団結せよ、という主張であり、脱国家・ボーダーレスの主張をマルクス主義はもともと内包している。外国人参政権付与論も、上面は美しいかもしれない<多文化(・民族)共生>論もマルクス主義の延長線上にある。

 やや離れかけたが、<反共産主義>の鮮明さ、この点に中川八洋の特徴があり、この点は多くの論者が(ミクロな論点に過度にかかわることなく)共有すべきものだ、と考える。

 といって、中川八洋の主張を全面的に納得して読んだわけでもない。別の機会に書く。

0986/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」を読む③。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋-その3、p.359~p.365-。
 ・「民族系」論者には「自由社会の存立」に必要な「反共」・「反社会主義」の知識が全く欠落している。「民族系」は南京事件・沖縄集団自決・従軍慰安婦強制連行・百人斬りなど、「左翼」の歴史捏造問題には反撃論陣を張る。これは正しいが、石井731部隊人体実験・シナでの毒ガス作戦などの他の歴史捏造には口を噤む。
 ・「民族系」には歴史の「真実」への関心がない。彼らは観客相手の「売文業者」で、観客のいない問題には関心がなく、知識もない。「観客」とは「旧軍の将兵(退役軍人)たち」だ。「民族系」論者の東京裁判批判は「意味不明な論旨」で、東京裁判史観の拡大宣伝をする日本共産党系学者の「狂説」を目に入れていない。「観客」=退役軍人たちは南京事件・従軍慰安婦等の問題は体験からすぐ分かるので、これらの捏造を糾弾すればすぐに反応がある。「民族系」論者は「花代」欲しさに、捏造歴史問題を一部に限定して声を大にしている。①ソ連軍の蛮行(満州でのレイプ・殺人・財産奪取)、②シベリア拉致日本人の悲惨さ、③南方作戦(餓死から奇跡的な一部が生還)には「何一つ語ろうとはしない」。その理由は、これらの被害はあまりに悲惨で「観客」が思い出したくない、つまり「民族系」の「金にならない」からだ。

 ・「民族系」は「保守主義者」ではなく「保守」か否かも疑問だ。「真正保守」ならば、反「極左イデオロギー」闘争を優先し、「国家の永続」を最重視する。「保守」は昭和天皇や吉田茂のように必ず「親米」だ。「反米」は「左翼」・「極左」の特性で、「日の丸」・「天皇」を戴くだけで彼らを「保守」と見なすのは不正確で「危険」だ。「真正保守」の再建には、彼等を「再教育」して「一部を選別するほかない」。

 ・「民族系」は過去20年間、「第二共産党」・民主党の政権奪取に貢献してきた。彼らは日本の国を挙げての「左傾化」を阻止しようとはせず、助長した。「民族系」は、「ソ連の脅威の一時的な凍結」を好機として、「反米→大東亜戦争美化論→東京裁判批判→A級戦犯靖国合祀の無謬」を「絶叫する狂愚」に酔い痴れてきた。「大東亜戦争美化論」は日本廃絶論・日本「亡国」待望論で、林房雄、保田與重郎・福田和也の系譜だ。
 ・民主党は「国家解体」に直結する「地方分権」、民族消滅に直結する「日本女性の売春婦化である性道徳の破壊」など、「日本滅亡の革命を嫡流的に後継する政党」だ。だが、「民族系」は、民主党が支持される「土壌づくり」に協力した。
 ・「民族系」が「正気に目覚める」のは「外国人参政権」と「夫婦別姓」の二つに限られ、これ以外では無知で無気力だ。「深刻な出生率低下をさらに低下させる法制度や日本の経済発展を阻む諸制度」に反対せず、関心もない。「財政破綻状態にも、日本人の能力の深刻な劣化問題にも」憂慮しない。「民族系」論客・団体の「知的水準」は低く、民主党批判を展開する「学的教養を完全に欠如」する。
 ・だが、「あきらめるのは、まだ早い」。「十八世紀のバークやハミルトン、二十世紀のレプケやハイエクなど、多くの碩学から」学んで、「日本国の永続」方策を探り、「悠久の日本」のための「国民の義務」に生きる道を「歩み続けるしかない」。

 以上で、終わり。

 若干のコメントは次に回したい。

0982/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」を読む②。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋-その2-。
 ・日本には「保守主義の知識人」が「ほとんど存在しない」。明治期には井上毅がおり、武士階級の子弟が「家」制度の存在とともに結果として日本を「保守主義」で導いたが、1910年以降、①「ルソー系の平等思想」と②「マルクス主義」が台頭し、1917年以降、「マルクス・レーニン主義」が燃えさかった。この火は大東亜戦争を生み、戦後日本を決定づけ、いまは日本全体に浸透し日本人を「洗脳」している。
 ・「保守」は戦後の新語で、社会党・共産党ら「革新」に対する「親米/日米同盟支持」勢力を指し、もともと「思想やイデオロギーが弱く、ほとんど無い」。英米の、バーク、ワシントン、ハミルトンらの「保守主義」は「全体主義とアナーキズムの極左思想」の排撃を目的とする「人類史に燦然と輝く最高級の知で武装された戦闘的イデオロギー」だ。

 ・「ないよりまし」だった「日本の保守」すら、1991年末のソ連崩壊によって「壊滅的に瀕死」の状態になった。「革新」に対する「保守」はもはや不要だと、自ら棄てる、「愚昧な選択」をした。私(中川八洋)はソ連崩壊により「国防の軽視ばかりか、コミュニズムが日本の隅々まで浸透し支配する」と予見したが、それは「完全な正確さで」的中した。
 ・予見した日本の「新型コミュニズム革命」は、想像をはるかに超えて大掛かりとなり、翌1992年に本格化した。「政治改革」キャンペーンは「新型共産主義革命」のための「新体制」づくりだった。「民族系論者」にも<反「政治改革」>を協力要請したが、「だれ一人として」相手にしてくれなかった。彼らは、翌年の1993年政変=細川政権誕生の意味を理解できず、「極左イデオロギー」は「変幻自在に衣装を変え色を変え信仰され続」いて「永遠に死滅しない」ことも知らない。(以上、p.351-355)

 ・1994年1月の選挙区制の改悪と同時に「極左イデオロギー一色の新型共産革命」が列島全体を覆った。1990年代半ばの「夫婦別姓」運動の盛り上がりはその一つ。1999年には、男女共同参画基本法という「伝統と慣習を破壊するマルクス・レーニン主義」そのものの「日本共産革命法」が制定された。その他、①ブルセラ/援助交際の奨励による道徳破壊、②フェミニズムやジェンダー・フリーによる日本男性の「夢遊病患者」化と日本女性の「動物」化という「人格改造革命」、③ポスト・コロニアリズムによる国家解体、等々の「大規模で組織的な」革命が日本を襲っていることを自覚する知識人は「ほとんどいなかった」。「正しい保守」は「日本から完全に消えた」。自民党の民族系国会議員は「新型共産革命」を傍観するばかりか「積極的に協力した」。日本の「民族系政治家の無教養ぶり」は「教育不可能な絶望のレベル」だ(p.356)。

 ・1960代までの日本の「保守」には吉田茂などの「保守主義」の匂いが残存した。バークやハミルトンが検閲されて「焚書」状態の中で、ベルジャーエフとクリストファ・ドウソンが「真正保守」を代用していた。
 ・「日本の保守」=「反共」人士は、1970年代に入ってから「激減」した。偶然にか、この劣化・消滅は核武装支持者の大衰退の傾向と合致する。核拡散防止条約加盟・批准(1970.02、1976.06)を境に、日本の核武装支持者は急激に下向した。上の加盟と批准の間に、1972.09の日中国交回復があった。これこそは、日本から「反共」を撲滅する「劇薬的な除染液」となった。「反・中共」路線が、「保守」であるべき自民党政権によって行われたことは、ブーメラン的に日本の「反共=真正保守」を撃破した。
 ・「反共」の文藝春秋社社長・池島信平が月刊誌・諸君!を創刊したのが「保守」衰退開始の1969年だったのは皮肉だ。諸君!は21世紀に入ると、「保守つぶし」の一翼を担った。諸君!は1990年代には「反米(隠れ親ソ)・アジア主義」の「民族系論客」や「反米一辺倒(極左)アナーキスト」を主執筆者に据えたため、「保守=民族系」との「大錯覚」が読者「保守」層に蔓延し、「保守偽装の極左=保守」という狂気の「逆立ち錯誤」すら90年代後半以降広く蔓延した。

 ・「民族系」は「反米(隠れ親ソ)・アジア主義」という「左翼思想」を基盤とするもので、「反共」の「真正保守」とは根源的に対立する。彼らは、日本国内でのコミュニズムの浸透・偽装・変身を見抜けない。たまには「左翼批判ごっこ」はするが、「左翼イデオロギー」に関する知識欠如のために「左翼運動や左翼言説」に「致命傷」を与えず、「必ず不毛に終わる」。(以上、p.357-359)
 まだ中途。余裕があれば、なお続ける。

0981/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」①真正保守と「民族系」。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋。
 ここで中川が書いていることが適切ならば、日本は「ほとんど絶望的」どころか、「絶望的」だ。

 かの戦争の理解についても多くの<保守>論者のそれとは異なる<中川史観>が日本の多数派になることはないだろう。<日本は(侵略戦争という)悪いことした>のではない、という多数派<保守>の歴史観(歴史認識)が日本全体での多数派になることすら疑わしい、と予測しているのだから。かつての歴史理解の差異はさておいても、将来の自主的(自立・武装の)憲法制定くらいでは多数派を形成できないだろうかとささやかに期待している程度にすぎないのだから。

 さっそく脱線しかかったが、中川八洋の主張・見解を基本的なところで支持するにはなお躊躇する。あれこれと苦言を呈してもいるが、多数派<保守>の影響下になおある、つまり中川から見れば誤った<思い込み>があるのかもしれない。しかし、少なくとも部分的には、中川の主張や指摘には首肯できるところがある。

 以下、コメントをできるだけ省く。

 最後の方の図表(p.363)は以下のとおり。

 中川はタテ軸を上の<反共or国家永続主義>と下の<共産革命or国家廃絶(亡国)主義>で分け、ヨコ軸を左の<アジア主義(反英米)/倫理道徳の破壊>と右の<反アジア主義(親英米・脱亜)/倫理道徳重視>に分ける。

 四つの象限ができるが、左・かつ下の<共産革命or国家廃絶(亡国)主義+アジア主義(反英米)/倫理道徳の破壊>が中川のいう「Ⅱ・極左」だ。中心に近いか端に近いかの差はあるが、文章化しにくいので割愛し、そこで挙げられている人名(固有名詞)は、①林房雄、②福田和也、③保田與重郎、④共産党、⑤近衛文麿、⑥白鳥敏夫、⑦河野洋平、⑧松本健一、⑨村山富市、⑩宮沢喜一〔番号はこの欄の紹介者〕。①~③は、ふつうは<保守派>と理解されているのではなかろうか。

 右・かつ上(反共or国家永続主義+反アジア主義(親英米・脱亜)が中川のいう「Ⅰ・真正保守」で、次の8人のみ(?)が挙げられている。①昭和天皇、②吉田茂、③中川八洋、④殖田俊吉、⑤福田恆存、⑥竹山道雄、⑦林健太郎、⑧磯田光一

 右・かつ下はなく、左・かつ上の<反共or国家永続主義+アジア主義(反英米)>が中川のいう「Ⅲ・民族系」だ。自民党のある議員集団について中川が「容共・ナショナリスト」と断じていた、その一群にあたるだろう。そして、①渡部昇一、②松平永芳、③小堀桂一郎、④江藤淳、⑤西尾幹二、が明示されている。

 このグループはふつう <保守派>とされており、上のごとく(たぶん②を除いて)その「大御所」ばかりだが、中川八洋によれば、「真正保守」ではない。図表によると「反英米」か「親英米」のうち、前者を中川は「真正保守」に反対するものと位置づけていることになる。

 西尾幹二と江藤淳は対立したこともあるが広くは同じグループ。櫻井よしこも、渡部昇一と現在ケンカしている小林よしのりも、おそらくはこの一群の中に位置づけられるのだろう。

 西部邁や佐伯啓思はどう扱われるのだろうか。この二人の<反米>ぶりからして、「真正保守」とは評価されないのだろう。

 佐伯啓思は保田與重郎らの「日本浪漫派(?)」に好意的に言及していたように記憶するので、ひょっとすれば、中川からすると「極左」かもしれない。佐伯は親共産主義をむろん明言してはいないが、「反共」主張の弱いことはたしかだ。その反米性・ナショナリズムは「左翼」と通底するところもある旨をこの欄に書いたこともある(佐伯啓思が自らを「親米」でもある旨を書いていることは紹介している)。

 以上は、冒頭に記したように、中川の整理を支持して紹介したものではない。だが、少なくとも、思考訓練の刺激または素材にはなりそうだ。

 一回で終えるつもりだったが、ある頁の表への論及だけでここまでになった。余裕があれば、さらに続ける。

0980/自民党は「民族系・容共ナショナリズム」-中川八洋・民主党大不況(2010)から③。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.300以下の適宜の紹介。逐一のコメントは省く。

 ・細川・村山「左翼」政権は二年半にすぎず、自民党が「保守への回帰」をしておけば「自由社会・日本」の正常路線に戻ることは可能だった。だが、自民党は村山「左翼」路線を継承し、「日本の左傾化・左翼化」は不可逆点を超えた。2009年8月の自民党転落(民主党政権誕生)は、自民党が主導した「日本国民の左傾化」による、同党を支える「保守基盤」の溶解による。「マスメディアの煽動や情報操作も大きい」が、橋本以降の自民党政権自体こそが決定的だった(p.300-1)
 ・自民党内の「真・保守政策研究会」(2007.12設立)には①~⑦〔前回のこの欄に紹介〕の知識がない。①の「マルクス・レーニン主義」すら「非マルクス用語に転換」しているので、知識がなければ見抜けず、民主党が「革命イデオロギーの革命政党」であることの認識すらない(p.312)。
 ・彼ら(同上)が理解できるのは、①外国人参政権、②人権保護法、③夫婦別姓がやっとで、1.①「男女共同参画社会」、②「少子化社会対策」、③「次世代育成」、④「子育て支援」が共産主義(「共産党」)用語であることを知らない。2.「貧困」・「派遣村」キャンペーンの自民党つぶしの「革命」運動性を理解できず、3.過剰なCO2削減規制が、日本の大企業つぶし・その「国有化」狙いであることも理解できず、4.「地方分権」が「日本解体・日本廃絶の革命運動」であることも理解できない(p.312-3)。

 ・彼ら、「民族系自民党議員」は正確には「容共ナショナリスト」で、チャーチル、レーガンらの「反共愛国者」・「保守主義者」とは「一五〇度ほど相違」する。自民党が英国のサッチャー保守党のごとき「真正の保守政党になる日は決してこない」。それは自民党ではなく「日本の悲劇」だ(p.313)。

 今回は以上。西部邁の言葉を借りれば、日本について「ほとんど絶望的になる」。

 中川八洋によれば、安倍晋三の「極左係数」は「98%」で(p.295)、明言はないが、平沼赳夫も「真正保守」ではなく「民族系」に分類されるはずだ。安倍晋三についての評価は厳しすぎるように感じるが、平沼赳夫の-そして「たちあがれ日本」の-主張・見解がけっこう<リベラル>で、<反共>が鮮明でないことを、最近に若干の文献を読んで感じてもいる。

 ナショナリズム(あるいは「ナショナル」なものの強調)だけでは「保守」とは言えない。反共産主義(=反コミュニズム)こそが「保守」主義の神髄であり、第一の基軸だ、という点では中川八洋に共感する。
 さらに、機会をみて、中川八洋の本の紹介等は、続ける。

0979/「透明な共産主義」の蔓延-中川八洋・民主党大不況(2010)による②。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)は1週間ほど前に全読了。
 第八章の自民党批判(または批判的分析)の中の同党や同党幹部の「極左」扱いにはさすがに首を傾げる。櫻井よしこの「谷垣自民党」と民主党の「同根同類」論または<同質性が高い>論をはるかに超えて、自民党を「リベラル」以上に「左翼」政党視している。だが、同質論を強調しているわけではなく、中川によると、民主党はすっぽり全体が<極左>そのものなのだろう。

 中川八洋によると、「保守主義」とは「全体主義とアナーキズムの極左思想を祖国から排除すべく、剣を抜く戦闘的イデオロギー」だ(p.308)。あるいはまた、具体的には「反マルクス・レーニン主義」・「反ルーマン(社会学)」・「反フェミニズム」・「反ポスト・モダン主義」・「反ポスト・コロニアリズム」だ(p.311)。

 中川の論調にはついて行けないところがあるとはいえ、かかる反共主義・反コミュニズムという立場の鮮明さが、中国やアメリカとの関係での<ナショナリズム>の強調をむしろ主眼としているように読めなくはない<保守派>論者たちと比較しての中川の特長だ。その点は、「共産革命の脅威は、ソ連崩壊とともに日本から消えた」(p.304)と錯覚して、その旨を主張し、誤った幻想をふり撒いているかにも見える論者たちよりも明確に支持されるべきだ。

 中川が言うように、「日本の共産革命勢力」は、ソ連崩壊の頃(1991年末)より、「言葉を変え、まとう衣装を変え、従来のマクロな革命手法を、ミクロ的作戦を多く乱立させる戦術に変えた」のだろうと思われる。中川はこれを「透明な共産主義」と称している(p.304)

 日本共産党の国会獲得議席はたしかに減少し続けている(ついでに社民党もそうだ)。しかし、そのことをもって、「左翼」は弱体化していると見るのは大間違いだ。コミュニズム、マルクス主義あるいは「左翼」は、民主党等に影響を与え、あるいは浸透しているのであり(自民党もその影響の例外ではない)、戦後日本の主流的思潮の<平和と民主主義・合理主義・進歩主義>の中で、執拗かつ強靱にコミュニズム、マルクス主義(共産主義・社会主義)イデオロギーが根を張っている、ということを知っておく必要がある。その点でも、やや大げさに感じなくはなくとも、中川八洋の指摘・主張は基本的には正当と思われ、耳を傾けるべきだ。

 中川は、1992年以降の「共産革命の戦術」を大きく四つに分け、それぞれの具体的政策も挙げている。以下のとおり(p.304-6)。これらは「日本共産党」系のものとされ、他に大きくは二つあるが、今回は省略。

 A・マルクス/エンゲルス/レーニンの家族解体を実践する革命>①夫婦別姓→民法改悪・②子育て支援→少子化対策基本法・次世代育成支援対策推進法・子ども手当の支給・保育園の聖性化など。
 B・子どもの人格を「共産主義的な人間」に改造する革命>①ジェンダー・フリー教育・②性教育。

 C・共産革命にとって最大の障害である日本の伝統と慣習を全面的に破壊する革命>①男女共同参画社会基本法・②女系天皇への皇室典範の改悪。

 D・自由社会の生命で根幹たる「法の支配」を破壊する革命>①裁判員法〔ここは①のみ〕。

 また、中川八洋は、「主要な極左イデオロギー」に次の七つがあるとし、すべてに対して思想闘争をするのが「保守主義」だとする。心ある<保守派>は、けっして次の①のみではないことをしっかりと意識しておく必要がある、と考えられる。なお、→は分化または派生関係を示している。

 ①マルクス・レーニン主義→②ラディカル・フェミニズム、①→③性差破壊のフェミニズム、①→④フランクフルト学派社会学+知識社会学+ルーマン、①→⑤ポスト・モダン思想、⑤→⑥生殖放棄のセックス・サイボーグ化フェミニズム、⑤→⑦ポスト・コロニアリズム
 別の機会に、あらためて、このあたりについては紹介・言及する。
 不思議に思うのは、中川八洋が自らを「たった一人の(日本人)保守主義者」と理解している(p.351~)ことの当否は別としても、産経新聞や月刊正論、月刊WiLL等々の書評欄または新刊書紹介欄等で、中川八洋の本はほとんど無視されているように思われることだ。かりに中川八洋に論考執筆を求めることはしなくとも、この人の本(他にもある)を紹介し、書評くらいしたらどうなのか。

 なるほど、産経新聞やワックの基本的な論調とは異なるところはあるのだろう。しかし、産経新聞的(?)保守、あるいは中川のいう「民族系」論者に対する中川の批判を無視することなく、疑問だと思えばきちんと反論したらどうなのだろうか。

 中川の本からは、間接的に<保守>論壇の奇妙なところも感じさせられる。<保守>論壇が、そこそこの収益をもたらす、自己満足の<売文業界>に堕してはならないだろう。

0975/小泉純一郞「構造改革」を<保守>はどう評価・総括しているのか。

 自民党・小泉純一郞内閣の時代、とりわけその「経済政策」は、<保守>派論者によってどのように評価され、総括されているのだろうか。あるいはどのように評価され、総括されるべきなのだろうか。この点について、<保守>派にきちんとした定見はあるのだろうか。
 2005年総選挙(小泉「郵政解散」選挙)で自民党が獲得した議席数に期待した<憲法改正>への期待は脆くも崩れ去り、議席数の政治的意味に浅はかにも?過大に期待してしまった<保守>派論者は反省すべきだろう。

 ここでの問題はそうした論点ではなく、<構造改革>とも称された、経済(・財政)政策の当否だ。

 佐伯啓思は基本的に消極的な評価をしていると思われる。
 例えば、佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版、2010)の第四章「グローバル資本主義の帰結」では、小泉時代に限られないが、主としては<若者の労働環境>にかかわって、こんなことが書かれている(原論文は2009年03月)。

 「新自由主義的な経済政策…とりわけ日本の場合には、九〇年代の構造改革……」。「労働市場の規制緩和や能力主義が格差を生み、派遣やフリーターを生み出したことは間違いなく、この新自由主義、構造改革を改めて問題にするのは当然…」。「新自由主義の市場擁護論はあまりにもナイーブ…」(p.66)。

 「市場競争主義は…日本的経営を解体しようとした。しかし、今日の大不況は、市場中心主義の限界を露呈させ、雇用の安定と労働のモティベーションの集団的意義づけを柱とする日本型経営の再評価へと向かうであろう」(p.70)。

 郵政民営化に反対票を投じた、平沼赳夫とも近いようである城内実は、そのウェブサイトの「政策・理念」の中で、次のように書く。

 「行き過ぎた規制緩和や急激な競争原理が招いたのは、強い者だけが一人勝ちする弱肉強食の殺伐とした社会でした。急速に広がる格差社会、働いても働いても楽にならないワーキングプア。そういった社会問題の根源には、経済に対する政治の舵取りが密接に関係していることはいうまでもありません」。

 城内実は「新政策提言」の中ではこうも書いている。
 「自民党小泉政権下でとられてきた構造改革路線や新自由主義的政策は、郵政・医療・福祉など、国民の生活を支えてきた制度をことごとく破壊し、また、この時代に地方経済や地域共同体は経済的にも社会的にも崩壊の危機に陥ってしまいました。共助の精神に綿々と支えられてきたわが国の社会も、いまや自殺率で世界4位、相対貧困率で世界2位と、惨憺たる有様です。私は、このような結果をもたらした時代と政策をきっちりと総括し、根本的な見直しをしてまいります」。
 こうして見ると、<保守>派は「新自由主義」・「構造改革」に消極的な評価をしているようだ。2009年の<政権交代>は小泉・構造改革路線による<格差拡大>等々が原因のようでもある。
 だが、そのように<保守派>論者は、自民党自身も含めてもよいが、一致して総括しているのだろうか。明確にはこの問題について語っていない者も多いのではなかろうか。

 中川八洋も<保守>派論者だと思われるが、中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)の第七章は英国のサッチャー「保守主義革命」を高く評価し、またハイエクやフリードマン(の理論の現代への適用)を支持する。その中で付随的に<小泉改革>にも次のように言及している。

 小泉純一郞は自民党の中で例外的に「ましな」政治家だったが、「中途半端」だったがゆえに「基本的にはまっとうであった、せっかくの小泉改革」はひっくり返された。
 「貧困」・「格差」キャンペーンは反自民党ムード作り(→自民党つぶし)に「実に絶大な効果」があった。しかし、「小泉構造改革」によって「貧困」・「格差」が拡大したというのは「出鱈目な因果関係のでっち上げ」でしかない。だが、自民党にはこのキャンペーンに対抗する能力はなく、そうしようとする「意識すら皆無」だった。

 日本での「貧困率の増大」・「悪性の格差社会」発生は主として次の三つの原因による。「小泉構造改革とは何の関係もない」。①過剰な社会保障政策(→勤勉さ・労働意欲の喪失・低下)、②「男女平等」政策による日本の労働市場の攪乱、一部での「低賃金化」の発生・その加速、③ハイエク、フリードマンらが批判する「最低賃金法の悪弊」(→最低賃金以下でもかまわないとする者からの労働機会の剥奪)。以上、p.249-251。

 はて、どのように理解し、総括しておくべきなのか。佐伯啓思や城内実も否定はしないように思われるが、「格差」増大等々は<小泉構造改革>のみを原因とするものではないだろう。また、議論が分かれうるのだろうが、はたして「新自由主義」とか「市場原理主義」といったものに単純に原因を求めて、理解し総括したつもりになってよいものかどうか。
 <新自由主義>を「悪」と評価するのは辻村みよ子ら<左翼>もほぼ一致して行っていることであり、それだけでは<保守>派の議論としては不十分なのではないか。こんなところにも、近年の<保守>論壇あるいは<保守>派の論者たちの議論にまどろこしさと不満を感じる原因の一つがある。 

0971/中川八洋・民主党大不況―ハイパーインフレと大増税の到来(2010)を4割読む。

 中川八洋・近衛文麿の戦争責任―大東亜戦争のたった一つの真実(PHP、2010.08。原書1995)を先日に全読了。
 つづけて、中川八洋・民主党大不況―ハイパーインフレと大増税の到来(清流出版、2010)のp.146まで、序+全九章+附記のうち第四章まで、読了。タイトルからの印象のような、経済・財政政策のみに関する本ではない。
 第一章は「子ども手当」批判(家族(・母親)から切り離した国家による子育て→共産主義社会)、第二章は現代日本の民主政(衆愚政治)批判、第三章のタイトルは、「夫婦別姓、ラブ&ボディ、フェミニズム―『日本人絶滅』への三大スーパー高速道路」。
 その第三章の各節の表題は次のとおり。内容の概略は分かる。第二節以外には「款」もある。
 第一節・「ラブ&ボディ」―日教組が子供たちを”セックス・サイボーグ”に改造する隠語
 1.厚労省母子保健課の「大犯罪」
 2.「フーコー人類絶滅教」を頭に注入させられる日本の中学生
 第二節・「産んであげない」―国を脅迫する赤いフェミニストたち
 第三節・”レーニン教徒の狂信”「夫婦別姓」
 1.「ルソー→マルクス/エンゲルス→レーニン→”赤の巣窟”法務省民事局
 2.少年少女犯罪の急増、出生率のさらなる激減、民族文化の消滅―「夫婦別姓」後の、日本の荒涼と殺伐
 この第三章で中川八洋が批判している学者等の論者の個人名は以下のとおり(外国人、団体・組織を除く。注記を含む)。
 手塚治虫、福沢恵子、福島瑞穂、星野英一、鍛冶千鶴子、葉石かおり、井上治代、星野澄子、榊原富士子、二宮周平、吉岡睦子、我妻栄、中川善之助
 立ち入らないし、これ以上の紹介もしない。ただ、<少子化>(中川によると→日本人絶滅)の原因が<子育てしにくい社会>にあるのではない、ということだけは間違いなく、戦後日本の歪んだ男女「対等」主義(誤った<ジェンダー・フリー>とも関係)、将来世代への<責務>を放棄させる(とくに女性の)「個人」優先主義、自然的な「母性」を否定するフェミニズム等々にある、とだけコメントしておく。大筋、基本的なところでは中川は誤ってはいないだろう。

0969/中川八洋、撃論ムック・反日マスコミの真実2011、櫻井よしこ、産経、表現者。

 〇中川八洋・近衛文麿の戦争責任―大東亜戦争のたった一つの真実(PHP、2010.08。原書1995)の半分余、p.131まで読了。
 これはなかなか衝撃的な書だ。「悪の反省にあらず、失敗の反省なり」とは適確だと最近書いたが、この書によると「悪の反省」が必要だ。但し、日本軍国主義(あるいは軍部・戦争指導者等)の「悪」ではなく、近衛文麿、尾崎秀実や軍部の中枢に巣くった「共産主義」という「悪」に対する「反省」だ。共産主義(コミュニズム)との関係を抜きにして先の大戦の経緯・結果等を語れないのはもはや常識だろうが、ここまでの(中川の)指摘があるとは知らなかった。
 なお、オビに「『幻の奇書』待望の復刊!」とある。「奇書」なのか? あるいは「奇書」とはいかなる意味か。

 〇撃論ムック30号(西村幸祐責任編集)・反日マスコミの真実2011(オークラ出版、2011)のp.47まで読了。

 朝日新聞やNHKに幻想をもっている人(「反日マスコミの真実」に気づいていない人)には必読と言いたいところだが、そうした人のほとんどは、この本(雑誌?)を手にとらないのかもしれない。

 〇櫻井よしこは、産経新聞1/03の対談で、①「憲法、教育、皇室の3つの価値観を標榜(ひょうぼう)する政党はどこにも存在しません。民主党は最初からそういう考えがありませんし、自民党も谷垣禎一総裁の下ではむしろ3つの論点から遠ざかる傾向にあります。同質性が高い」。②「今の自民党は55年体制以降の自民党の延長線上にありますので変わる見込みはないでしょう。おのずと第三の道に行かざるを得ないのではないでしょうか」、と発言している。

 民主党政権(菅政権?)と「谷垣自民党」は「同根同類」とつい最近書いていたのだが、ここでは「同質性が高い」になっている。これは変化(言い直し)なのか? いずれにせよ、「同質性が高い」とは、厳密にはいかなる意味なのだろう。

 また、「今の」自民党は「変わる見込みはない」ので「おのずと第三の道に行かざるを得ない」だろうと言っているが、ここでの「第三の道」とは、具体的には何なのか。おそらくはまるで違った意味でだが、菅直人ですら「第三の道」と言っている。
 櫻井は「憲法、教育、皇室の3つの価値観を標榜する政党はどこにも存在しません」と直前に語っている。

 では、「憲法、教育、皇室の3つの価値観を標榜する」、政党ではない政治家・政治グループはどのような人々なのか、明言してもらいたいものだ。

 それに、そのような(期待できる政党は今はどこにもないという)「第三の道」に期待する時間的余裕はあるのだろうか。

 対談相手の渡辺利夫は「政界が再編成されて、本物の第三極ができるかどうか。保守の新しい軸をつくっていく努力はかなり長い時間を要すると思います」などと語っているが、櫻井よしこらのいう「第三の道」・「本物の第三極」への道が明確になり、かつ勝利するまでに、外国人参政権付与(公選法改正)法、夫婦別姓(民法改正)法、人権擁護法等が成立し、施行されたら、いったいどうするのか??。

 ずいぶんとのんびりとした議論だ。

 気のついたことをあと二点。櫻井よしこは、①解散・総選挙の必要性に一言も触れていない。②中国につき、「帝国主義」・「植民地主義」という言葉は使うが、なぜか、「社会主義(・共産主義)」という語を使っていない。

 〇やや古いが、櫻井よしこと親和性(?)の高そうな産経新聞について、隔月刊・表現者33号(ジョルダン、2010.11)の巻頭コラムは次のように書いていた。無署名だが、編集委員代表の富岡幸一郎の文章だろうか(雑誌自体は西部邁グループ(?)のもの)。
 <民主党代表選で朝日新聞と全く同じく小沢一郎批判を繰り返した産経新聞は「日米同盟」保持・重視のために小沢ではなく菅を選択したのだろうが、これが「現在の日本の”保守”と呼ばれるマスコミの醜悪で貧しい実態」だ。日米「同盟」こそ日本の命綱だとする者に「保守思想など語る資格もない」。アメリカによるイラク平定を素晴らしい成果だと堂々と主張する「こんな新聞は、はっきり言ってリベラル左翼派よりも低レベル」だ。これが「今日の日本の思想レベルを象徴している」。>(p.8)

 どうやら、(主観的・自称)<保守>にも産経新聞派と非(・反)産経新聞派があるようだ。  

0914/ルソーの民主主義・「人民主権」と佐伯啓思・表現者32号。

 一 佐伯啓思「『民主党革命』はあったのか」隔月刊・表現者32号(2010.09、ジョルダン)はかなり前にすでに読んだ。

 民主主義・国民主権そしてルソーにつき、関心を惹いた叙述がある。佐伯啓思は、以下のように述べる(p.62-63)。

 ・戦後日本には「民主主義」の誤解、「民主主義」=「国民主権」=「国民の意思が政治に直接反映するもの」という「思い込み」がある。
 ・かかる「おそらくはルソーの人民主権論に由来すると思われる民主主義理解は、実はルソー自身さえも決して支持するものではなく」、ルソーは「主権者」=人民と、政治的意思決定を下す「統治者」を区別しており、後者は「人民そのもの」ではない。
 ・「主権者」と「統治者」を一致させようとすれば「民主制は全体主義へと転化する」。「国民の意思」=「すべての国民に共有された意思」=ルソーにいう「一般意思」なので、「国民主権」のもとで決定されて明示された「国民の意思」に「誰も逆らうことはできない」し、「逆らう者がいるはずがない」からだ。いるとすれば、それは「国民」ではない。

 ・「民主主義」が「政治的たりうる」には「国民主権」との「一定の距離」が必要で、「政治」と「世論」の間の「適切な距離感こそが政治感覚」だ。民主党はこの「距離感を見失った」。いやむしろ、「距離感」を放棄して「政治」を「国民主権」に「寄り添う」ようにさせた。「主権者」と「統治者」をできるだけ一致させようとした。

 このあとの民主党分析・批判も興味深いが、さて措く。

 二 ルソーの真意だったか否かはともかく、ルソーの「プープル(人民)主権」論は社会主義あるいは「全体主義」と親和的だとの批判または分析はこれまでもあった。

 一例がかつてこの欄で言及したことのある、中川八洋・正統の哲学・異端の思想―「人権」・「平等」・「民主」の禍毒(1996、徳間書店)だ。

 中川の叙述を大幅に簡潔化すると、中川によれば、ルソー→<フランス革命>(ロベスピエール)→ヘーゲル→マルクス→レーニン→<ロシア革命>という系譜が語られうる。また、ロベスピエールらのジャコバン党の教義が「マルクス・レーニン主義」の「原型」、ルソーらの思想こそが「フランス革命の暴力/破壊/独裁の源泉」で、「マルクス・レーニン主義」とは「ルソー・ロベスピエール主義」の「二番煎じの模倣」とされる。

 ルソー・社会契約論で示されたらしきいわゆる「プープル(人民)主権」論は、どこかに「全体主義」と通底させる<トリック>を潜ませている、と想定している。上の佐伯啓思論稿は吟味が必要であることを示唆してはいるが。

 抜粋になるが、中川のルソーの文章の一部を使った叙述によると、①「人民主権の政治」とは「人民すべての意思」=「一般意思」と「合致した政治」、②「人民」がすべての権利・自由を「共同体に譲渡する」「社会契約」により個々の「人民の意思」は一致して「一般意思」となる。③「人民の一般意思」を体得した「立法者」はそれを個々の「人民」に「強制する」、④自らの意思=「一般意思」に強制され服従することによってこそ個々の「人民」は<自由>になる(例、中川p.233-237)。
 理解しやすいものではないが、「人民の意思」=「一般意思」にもとづいていると僭称する<独裁者>が出現すれば、ここにいう「人民主権」論は容易に<全体主義(・社会主義)>容認論になるだろう。

 三 日本の憲法学者の中には間接または半代表制の「国民(ナシオン)主権」よりも直接民主制的な「人民(プープル)主権」論を支持する者がいて(例、東北大学現役教授・辻村みよ子)、なぜか「間接民主主義」よりも「直接民主主義」の方が<より進んでいる・より進歩的>と考えているようだ。むろん、ルソーやフランス革命期のジャコバン憲法・ロベスピエールを高く評価する立場でもある。

 こうした議論からすると、民主党あるいは菅直人・鳩山由紀夫等の「民主主義」理解は従来の自民党的なそれよりも肯定的に評価されるのだろう。

 だが、佐伯も指摘するように、彼らの「民主主義」あるいは「国民主権」の理解は皮相すぎる。また、立法・行政の<権力分立>も正しくは理解していない、と考えられる。別の機会で、また触れる。

0706/ルソー・人間不平等起源論(中公クラシックス他)は「亡国の書」・「狂気の哲学」。

 谷沢永一=中川八洋・「名著」の解読-興国の著・亡国の著-(徳間書店、1998)という本がある。
 和洋5冊ずつ計10冊の著書が採り上げられている。もともとは「名著」だけのつもりだったようだが、結果としては副題のように「興国の著」のほかに「亡国の著」が和洋1冊ずつ計2冊、対象とされている。
 「亡国の著」(悪書)は、丸山真男・現代政治の思想と行動(未来社)と、ルソー・人間不平等起源論(中公クラシックスほか)。
 ついでに「興国の著」(良書)とされているあと8冊(和洋四冊ずつ)を紹介しておくと、日本-①林達夫・共産主義的人間、②福田恆存・平和論に対する疑問、③新渡戸稲造・武士道、④三島由紀夫・文化防衛論。外国-①マンドヴィル・蜂の寓話、②ハイエク・隷従への道、③B・フランクリン・自伝、④バーク・フランス革命の省察
 それぞれについて面白い対談がなされているが、丸山真男とルソーの著は、それこそ<ボロクソ>に非難・揶揄されている。ルソーは文字通り<狂人>扱い。
 思想家・哲学者なるものの全てがそれぞれそれなりに<偉く>もなんでもないことは、年を重ねるにつれ、確信にまでなっている。
 異常で<狂気>をもつ<変人>だからこそ、奇矯な(あるいは良くいえばユニークな)、そして読者に「解釈」を求める、つまりは理解し難い著書を数多く執筆し、刊行できた、ということは十分にありうる。
 長い、何やらむつかしそうな文章で詰まった本の著者というだけで<偉い>わけではない。そうした本の中には、明らかに、人間・人類に対して<悪い影響>を与えたものがある。
 人間というのはたまたま言葉と論理を知ったがゆえに、過度に、<新奇(珍奇)な>言説・論理に惑わされ、誘導されてきたのではないだろうか。
 人の本性・自然と自生的「秩序」から離れた<知的空間>には、危険な「思想」がいつの時代でも蔓延してきたし、国家・社会の<主流>になっていることすらある。ルソー「的」・マルクス「的」な「思想」は、日本が戦後、もともとは西欧「思想」の影響下にあったアメリカの影響を受けたために、そして(欧米的)「民主主義」=善、(日本的)「軍国主義」=悪という<刷り込み>をされてしまったために、<主流派>西欧思想がなおも日本人の意識の中では、正確には大学を含む学校教育やマスコミ等の<公的>空間に表れている意識の中では、<主流派>のままだと考えられる(土着的な又は深層レベルでの意識においてはなお「日本」的なそれは残存している筈だが)。
 <主流派>西欧思想としてホッブズ、ロック、ルソーらが挙げられようが、決してこれらは(佐伯啓思の言葉を借用すれば)西欧においてすら<普遍的>ではなかった。
 日本の社会系・人文系学問・学者の世界はおそらく<主流派>西欧思想(戦後はアメリカのそれを含む)が支配している。
 日本国憲法自体が<主流派>西欧思想の系譜に属すると見られるのだから、この拘束・制約は相当に重く、解け難いものと見ておかねばなるまい。
 憲法学者のほとんどが「左翼」(←<主流派>西欧思想)であるのも不思議では全くない。そして、辻村みよ子もまた、その憲法教科書で、当然のごとく、ルソーの「思想」に、善あるいは<進歩的>なものとして少なからず言及している。
 上の本での中川らの評価と辻村みよ子の本によるルソーの参照の仕方を、対比させてみたいものだ。

0693/フランス1793年憲法・ロベスピエール独裁と辻村みよ子-3。

 一 辻村みよ子・憲法/第3版(日本評論社、2008)がフランス1793年憲法に触れる箇所のつづき。
 ④ 日本国憲法14条にかかわり、平等「原則」と平等「権」との関係等の冒頭で以下のように述べる。
 ・アメリカ独立宣言以来、平等原則は自由と一体のものとして「確立」されてき、フランスでも1789年人権宣言が保障し、「『自由の第4年、平等元年』として民衆による実質的平等の要求が強まった1793年には、平等自体が権利であると主張されるようになり、1793年憲法冒頭の人権宣言では、平等は自然権の筆頭に掲げられた」(p.183)。
 このように、平等「権」保障の重要な画期として1793年憲法を位置づけている。
 ⑤ 統治機構に関する叙述の初めに、統治機構・権力分立と「主権」論の関係についてこう述べる。
 ・フランス1791年憲法では狭義の「国民(ナシオン)主権」のもとで権力分立原則が採用されたが、1793年憲法は「人民(プープル)主権」を標榜し、権力分立よりも「立法権を中心とする権力集中が原則」とされ、そのうえで「権限の分散と人民拒否等の『半直接制』の手続が採用された」。このように、「主権原理」と「権力分立」は「理論的な関係」があり、「立法権を重視する『人民(プープル)主権』原理では三権を均等に捉える権力分立原則とは背反する構造をもつといえる」(p.355)。
 「人民(プープル)主権」原理が所謂<三権分立>と背反する「立法権」への「権力集中」原則と親近的であることを肯定している(そして問題視はしていない)ことに留意しておいてよい。
 ⑥ 「人民主権」→「市民主権」論を再論する中で、再び外国人参政権問題に次のように触れている。
 ・欧州の最近の議論でも「フランス革命期の1793年憲法が『人民(プープル)主権』の立場を前提に外国人を主権者としての市民(選挙権者)として認めていたのと同様の論法を用いて外国人参政権を承認しようとする立論が強まっている」。「近代国民国家を前提とする国民主権原理を採用した憲法下でも外国人の主権行使を認める理論的枠組みが示され、国民国家とデモクラシーのジレンマを克服する道が開かれたことは、…日本の議論にきわめて有効な糧を与えるものといえよう」。
 このあと、まずは「永住資格をもつ外国人」についての「地方参政権」を認める法律の整備が必要だ旨を明言している(p.369)。「欧州連合」のある欧州諸国での議論がそのようなものを構想すらし難い日本にどのように「糧」となるのかは大きな疑問だが、立ち入らないでおこう。
 以上が、「事項索引」を手がかりにした6カ所。
 さしあたり、すべて好意的・肯定的に言及していること、この憲法制定後の「独裁」や数十万を殺戮したとされる「テルール(テロ)」・<恐怖政治>には一切言及がないことを確認しておきたい。
 以上の6カ所以外にも、重要な「国民主権」の箇所でフランス1793年憲法に(つまりは「プープル主権」に)言及している。また、ルソーやロベスピエールに触れる箇所もある。なおも、辻村みよ子・憲法(日本評論社)を一瞥してみよう。
 二 ところで、中川八洋によれば、マルクス主義もルソーの思想も「悪魔の思想」。フランス革命(当然に1793年「憲法」を含む)も(アメリカ独立・建国と異なり)消極的に評価される。憲法に関連させて、中川八洋・悠仁天皇と皇室典範(清流出版、2007)はこう書く。
 ・フランス「革命勃発から1791年9月までの二年間は、人権宣言はあるが、憲法はなかった。”憲法の空位”がフランス革命の出発であった。/1792年8月に(1791年9月生まれの)最初の憲法を暴力で『殺害』した後、1795年のフランス第二憲法までの、丸三年間も、憲法はふたたび不在であった。フランス革命こそは、憲法破壊と憲法不在の九十年間をつくりあげた、その元凶であった」(p.166)。
 上の文章では、未施行の1793年憲法などは、「憲法」の一種とすらされていない。
 上の中川の本にはこんな文章もある。
 ・「ルソー原理主義(もしくはフランス革命原理主義)の共産主義」は「表面的には」、「マルクス・レーニン主義の共産主義」ではない。このことから「過激な暴力革命」ではないとして「危険視されることが少ない」。「ルソー原理主義系の憲法学が、日本の戦後に絶大な影響を与えることになった理由の一つである」。
 なるほど。
 辻村みよ子が「ルソー原理主義」者もしくは「フランス革命原理主義」者であることは疑いえないと思われる。そしておそらく、「マルクス・レーニン主義の共産主義」者としても、資本主義→社会主義という<歴史的発展法則>を信じた(ことがある)のだろうと推察される。次回以降に、この点には触れることがある。
 なお、先だって中川八洋・悠仁天皇と皇室典範に言及したあとで、この本は全読了。確認してみると、皇室問題三部作の二冊目の、中川・女性天皇は皇室断絶(徳間書店、2006)も「ほぼ」読了していた。

0690/中川八洋・悠仁天皇と皇室典範(清流出版、2007)による日本の憲法学界批判。

 中川八洋・悠仁天皇と皇室典範(清流出版、2007.01)は、中川の皇室問題三部作の三冊め。ほぼ読了した。
 皇室問題・皇室典範の改正の方向に関する議論もさることながら、現憲法の天皇条項に関する園部逸夫・宮沢俊義の解釈批判に関連して多く語られている、現在の憲法学界に対する「怨嗟」とでもいうべき批判の仕方はすさまじい。
 例えば、p.110-「共産党であることを隠し続けた(憲法ではなく行政法だが)園部逸夫タイプも多いが、杉原泰雄長谷川正安奥平康弘横田耕一辻村みよ子…などのように、自分が共産党であることを隠そうとしないものもいる」。「後者の一群の中でも、いっさいのアカデミズムをかなぐり捨てて、フランス革命期の革命家気取りは、何といっても、横田と辻村の右に出るものはいない。自分を『ルソーの高弟』とか『ヴォルテールの愛弟子』と妄想しているのが横田耕一。自分を”大量殺人鬼”ロベスピエールの革命を助けている『ロベスピエールの愛人』だと毎夜夢想し恍惚に耽るのが辻村みよ子」。
 組織(日本共産党)所属問題は俄には信頼できないが(長谷川正安のように間違いないと見られる者もいるが)、舌鋒の激しさ、鋭さはスゴい。
 批判のための表現・言葉の問題は別としても、中川八洋は重要な問題提起をしていることは疑いえない。とりあえず挙げれば、例えば-。
 ①<国民主権>原理は(イスラム圏については知らないが)普遍的にどの国でも現在では憲法上採用されているように思ってしまっているが、そうではない、米国憲法は<国民主権>を意識的に排斥した、とする。宮沢俊義がアメリカ独立宣言やその当時の諸州の憲法が「国民主権主義」を明文で定めたと書いている(1955)のは「嘘宣伝(プロパガンダ)」だという(p.208)。また、英国もこの原理を採用していないとされる。
 「国民が主人公」とやらの日本の民主党のかつての?スローガンは<国民主権>の言い換えのつもりなのだろうが、日本国憲法における「国民主権」の厳密な意味は「民主主義」(・「民意」)とともにあらためて問われる必要がある(「国民主権」か「人民主権」かという辻村みよ子の好きな論点以前の問題として)。むろんこれは、<天皇制度>にもかかわる。
 ②「法の支配」の意味の正確な理解。中川によると「正しく知る」ものが「日本に一人でも存在するか」疑問だ(p.248)。中川は前東京大学教授(憲法)・高橋和之の<法の支配>に関する叙述の一部を引用して、「中学生レベルの抱腹絶倒の珍説で、論評する気が失せる」とまで述べる(p.253)。
 中川によれば、(ボッブズやロックではなく)英国のコウク卿(英国法提要・判例集)、ブラックストーン(イギリス法釈義)の流れの「法の支配」を採用しているのがアメリカ憲法で、「デモクラシーの暴走を、未然に防」ぐことにその基本的要素の一つがある。
 ③「立憲主義」の意味(「国民主権」との関係)。中川によると、「立憲主義」と「国民主権」とは両立しない。<憲法>が全ての機関・人間を拘束するのが<立憲主義>なので、「最高の権力」の意味での「主権」概念は(「国民主権」も含めて)当然に否定される(p.288)。
 「日本の憲法学は、本心では、確信犯的に、”立憲主義”を否定・排除するイデオロギーに立脚している。…フランス革命から生まれた革命スローガン『国民主権』と『憲法制定権力』を全否定しない説は、”立憲主義を殺す”反憲法の教理である。日本の憲法学は、恐ろしいことに、この反憲法の教理に基づいている。/『国民主権』や『憲法制定権力』を神格化して、”立憲主義を殺す”反憲法学の極みとなった、逆立ちする日本の憲法学は、『憲法=立法者の絶対命令』とする、異様な命令法学に畸形化している」(p.289)。
 「命令法学」の意味に立ち入らない。何とも挑発的で刺激的な本だ。もっとも、憲法学アカデミズム以外の者による批判として、日本の憲法学者たちは、かりに中川のこの本とその内容を知っても、おそらく完全に無視し続けるのだろう

0523/樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)とフランス革命・ロシア革命。

 一 樋口陽一の<ルソー=ジャコバン型国家>なる表現及びその肯定的評価に関するコメントは終えたわけではない。そして、今回でも終わらないだろう。
 フランス革命については、少なくともその一過程に見られる<狂熱的残虐さ>やロシア革命を導いたものとの性格づけ(フランス革命なくしてロシア革命(社会主義・共産主義へ)はない)について、いろいろな人の著書等に触れながら、たびたびこの欄でも論及してきた。  すでに紹介した可能性はあるが(有無を確認するには時間を要しすぎる)、中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)は、その「はじめに」で次の旨を述べていたことを、むろん、一人の研究者の発言としてでよいのだが、確認しておきたい。
 
<1991年以降も、マルクス主義・共産主義・全体主義という「悪の思想ウィルス」は、スタイルを変えてでも、除毒されず、伝染力を温存したままだ。「スタイルの変更」の「代表的なもので、また最も効果的」なものは、「ルソーヘーゲルの温存ならびにフランス革命の賛美をすること」だ。そして「現実にそのとおりのことが集中的になされている」>(p.3)。
 次の中川の文もそのまま引用しておきたい。
 「ルソーとヘーゲルとフランス革命を次世代の青年に教育すれば、もしくはこれに対する親近感を頭に染みこませれば、それだけで全体主義のドグマは充分に生き残ることができる。『マルクス』は何度でも蘇生する」(p.3)。
 また、フランス革命の解釈・理解については<旧い封建制又は絶対王政をブルジョアジーが実力をもって打倒して支配階級にとって代わり、資本主義を準備した「市民(ブルジョア)革命」だ>といった旧来の又は伝統的な主流派解釈に対して、「修正主義」という新しい解釈・理解も有力になっていることも記したことがあるかもしれない。
 「修正主義」解釈の中身にさしあたりここでは立ち入らないが、その内容を紹介しつつ、柴田三千雄・フランス革命(岩波現代文庫、2007.12)は次のようにすら語っている。
 <「修正主義」はフランスでも別途出てきたが、その「潮流はまずイギリスからおこってアメリカにゆき、アングロ=サクソン系の歴史家の間ではこれが主流にさえなっている」(p.41)。
 二 日本で<従来の主流派的解釈>を明瞭にそのまま採用していたのが、桑原武夫や、樋口陽一が「あえて何度でもしつこくたちもどる必要がある」としていた三人の学者のうち、西洋史学者の大塚久雄高橋幸八郎だった(あとの一人は丸山真男樋口陽一・比較の中の日本国憲法(岩波新書、1979)p.9参照)。
 ちなみにやや先走っていえば、上記の柴田三千雄・岩波現代文庫は、高橋幸八郎の「理論」を1頁ほどかけて紹介したあと、「この考え方には無理があると思われます」とこの文自体は素っ気なく述べ、そのあとで理由をかなり詳しく書いている(p.34~p.39)。
 さて、樋口陽一は長谷川正安=渡辺洋三=藤田勇編・講座・革命と法第一巻の「フランス革命と近代憲法」の中で、「修正主義派」の存在に言及しつつ、「そこで提起されている諸論点の意義、などについて、ここではコメントをくわえる紙幅も能力もない」と述べている(p.124)。そして、「右のような論争的争点に直接に立ち入ることなしに」、フランス革命は「『ジャコバン的理想』=一九九三年の段階」を不可欠とする高橋幸八郎「史学」と基本的には全く同様に、「フランスの法・権力構造の基本は、一七八九年が一七九三年によってフォローされたことによって決定づけられた」という前提で、「以下の叙述をすすめる」と書いている。
 この論旨の運びはいささか、いや多分に奇妙だ。  第一に、「高橋史学」等による<従来の主流派的解釈>にそのまま従っている、と見てよいにもかかわらず、その根拠・理由は述べていない。  第二に、論争について「コメントをくわえる紙幅も能力もない」と釈明しながら、「右のような論争的争点に直接に立ち入ることなしに」、上のように<従来の主流派的解釈>に従って叙述をすすめることが「許されると考える」、と書いているが、本当に「許される」のか。まさしく「論争的争点に…立ち入」っていることになるのではないか。そして、基本的には<従来の主流派的解釈>に従うことを選択しているにもかかわらず、その理由は一切述べておらず、<逃げて>いるのだ。  ここには、かつて高橋幸八郎(や大塚久雄ら)を読んで身につけたフランス革命のイメージを壊されたくない、という<情念>の方が優っているのではあるまいか。
 三 先日この問題に言及したときには手元になかった、樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)を入手した。その「あとがき」によると、この新書の一部(第三章)は上で言及した講座・革命と法第一巻の中の論文での「記述を骨組みとして」いるらしい。
 そして、若干部分の比較的読み方をしてみると、①冒頭での「修正(主義・論)」の存在への言及や「コメントをくわえる紙幅も能力もない」という釈明は、表現を変えて別の箇所に移されている(p.113-「歴史家ならぬ私の役まわりではない」等)。
 ②その代わりに、フランス革命「理解」、とくに1789年と1793年の関係について三説があるとし(そのまま正確に引用したいが省略)、高橋幸八郎の、フランス革命は「『ジャコバン的理想』=一九九三年の段階」を不可欠とする(正確には、つづけて、「…段階を経過することによってこそ、『新たな資本制生産の自由な展開を孕む母胎が形成された』」との文章を引用しつつ、「八九年が九三年によってのりこえられることで革命が完成したと見る―さらに一九一七年によって本当に完成したと見る」第二の説に立って(と解釈できる)、講座・革命と法の中の論文と同様又は類似のことを書いている。
 要するに、特段の詳細な理由づけをすることなく、当時すでに現れて有力にもなっていた「修正主義」をきちんと検討することもなく、やはり<従来の主流派的解釈>に従っている、と見られる。「かつて高橋幸八郎(や大塚久雄ら)を読んで身につけたフランス革命のイメージを壊されたくない、という<情念>の方が優っているのではあるまいか」との疑念は消えない。
 しかも驚くべきことなのは、上の第二の説というのは、革命は「さらに一九一七年によって本当に完成したと見る」という考え方を含んでいるらしい、ということだ。「一九一七年」とは言うまでもなく、「ロシア革命」のこと。この点は、講座・革命と法第一巻の中では明記されていなかっていなかった、と思われる。また樋口は、高橋幸八郎の発したメッセージは「こだわるに値するはず」だとして、高橋の1950年の「われわれ」〔日本人?〕は西欧では100年前に提起・解決された問題を「世界史の法則として直接確認しようとしている」という文章を肯定的に引用している。樋口もまた、「世界史の法則」なるものの存在を信じて(信仰して?)いたのだろう。
 出典は省略するが(確認していると時間がかかる)、大塚久雄は、「近代化」とは「社会主義化」を含むものだ旨を晩年の方の本の中で明記したらしい。上で触れたように、樋口陽一もまた、フランス革命によって残された部分を「社会主義革命」が補充して完成させる(又はロシア革命によって実際に完成された)という理解・考え方に立っていたことを充分に示唆することを、述べていたことになる。いわば、有名な<発展段階>史観でもある。
 しかして、上の岩波新書が刊行されたのは1989年年11月で、講座・革命と法第一巻と殆ど同じ頃。原稿執筆中はベルリンの壁は崩壊しておらず、東ドイツもソ連もまだ表向きは健在だっただろう。しかし、1991年以降になってみれば、「本当に完成した」筈の「革命」は瓦解してしまったのではないか
 そして感じるのだが、ソ連・東欧諸国等の「社会主義」諸国の存在(それも可能ならば健康的な存在)があって初めて成り立つような議論・論旨部分を一部にせよ含む本を、樋口陽一がその後も刊行させ続けていることに驚かざるをえない。私が入手したのは、1996年2月の第14刷の本。
 ソ連解体後も、とっくに破綻が明らかになっていた<朝鮮戦争=韓国軍の北侵による開始>説を述べている井上清・新書日本史8講談社現代新書、1976。1992第9刷)等が発売されていたことにこの欄で批判的に触れたことがある。樋口陽一はソ連解体前のこの岩波新書・自由と国家を一部なりとも訂正・修正することなく発売し続けているようだ。
 樋口は「八九年が九三年によってのりこえられることで革命が完成したと見る―さらに一九一七年によって本当に完成したと見る」説は自説だと明記してはいないとでも釈明又は反論するだろうか。だが、あとの二つの説は「九三年=恐怖政治=闇」とする説と「九三年=一九一七年=スターリニズム説」なので、樋口がこれらに依拠していないことは、「ルソー=ジャコバン型国家像」や「ルソー=ジャコバン主義」という語をフランス革命やフランスの「近代」的国家像を表現するために用いていることでも明らかなのだ。また、歴史学上の「修正派」とは反対に「『九三年』がかならずしも『ブルジョア革命』の軌道から外れてしまったものとはいえない」との見地を「憲法学のほう」から提供できる、とも書いているのだ(p.120-1)。
 一度岩波新書で書いたものを一部でも訂正すると、自説を変えるようで恥ずかしいのだろうか。一部訂正では済まないので(恥ずかしげもなく)発売し続けているのだろうか。有名な憲法学者らしいが(何といっても元東京大学教授)、本当に<学問的>・<良心的>だろうか。<情念>あるいは<信仰>がつきまとってはいないだろうか。
 四 まだ、このフランス革命又は「ジャコバン独裁」に関係する<つぶやき>は続ける。

0425/佐伯啓思・人間は進歩してきたのか(PHP新書、2003)全読了。

 このサイトに参加して以来一年が経過した。
 昨夜、佐伯啓思・人間は進歩してきたのか-「西欧近代」再考(PHP新書、2003)を最後まで一気に読了。面白かった。(前夜読んだ範囲内では)ウェーバー、フロイト、フーコー、ニーチェ等を登場させてこのように「西欧近代」という「物語」(p.265)を「描き出」せる人は日本にはなかなか存在しないのではないか。
 部分的にでも引用したい文章は多くありすぎる。別の機会におりに触れて、適当に使ってみよう。
 ニーチェ死去のちょうど1900年辺りを区切りにしているためか、ロシア革命への言及はない。この本の続編にあたる同・20世紀とは何だったのか-「西欧近代」の帰結<現代文明論・下>(PHP新書、2004)の目次を見たかぎりでも、ロシア革命への論及は少ない。
 それにマルクスらの『共産党宣言』は1848年刊だから、「西欧近代」再考の前著でマルクス主義・社会主義(「空想的社会主義」も場合によっては含めて)叙述してもよかった筈だが、言及がいっさいない。
 このことは、佐伯がマルクス主義を<相手にしていない>、マルクス主義に<関心自体をよせていない>(つまり、これらに値するものとは考えていない)ということを意味するのだろうか。
 この点、マルクス主義やロシア革命との関係で各思想家(哲学者)を位置づけていたと見られる中川八洋とは異なるようだ。
 だが、マルクス主義(→ロシア革命)もまた「西欧近代」の所産(それが「鬼殆」・「鬼子」であろうとも)だとすれば、少しは言及があってもよかったように思える。このブログ欄が、明確に反コミュニズム(共産主義>日本共産党)を謳っている(つもり)だからかもしれないが。
 さて、次は上記の<現代文明論・下>にしようか。中途で停止中の佐伯・隠された思考(筑摩)にしようか。それとも、しばらく忘れている阪本昌成・法の支配(勁草)にしようか。自由な時間が欲しい。

0342/武田徹を使う産経新聞の将来を憂う。

 低レベルの、質の悪い文章を読んでしまった。
 産経新聞10/31夕刊に掲載された、武田徹(1958~)の、随筆もどきの、(小)論文とはとてもいえない、<複眼鏡>欄、「「市民」という言葉―安易な使用・自らの不遇招く」だ。
 「「市民」という言葉」は彼の記した原題で、あとは編集部で加えたのだろうか。おかげで、表向きは<立派そうな>コラムらしく見えてはいるが…。
 一 そもそも論旨・結論(主張したいこと)はいったい何か。自然人(市民)と国民、あるいは理想主義と現実主義の使い分けを日本国憲法草案はどう考え、戦後日本はどう受け入れたののかを「改めて検討してみる価値があるのではないか」、ということのようだ。
 せっかくの狭くはない紙面を使って、…との問題を「改めて検討してみる価値があるのではないか」、で終わらせることで原稿料を貰える(稼げる)とは、ラクな商売だ(いくら稼いだのかは知らないが)。
 そんな課題設定、問題提起をするヒマがあるくらいなら、自分の考えを正面から試論でもいいから述べ、主張したらどうか。こんな問題もあると思うよ、とだけ書いて「ジャーナリスト」と名乗れるのだろうか
 二 上記の問題設定(「改めて検討してみる価値があるのではないか」)に至る論述も論理関係が曖昧なところがあり、そもそもの事実認識または評価にも奇妙なところがある。アト・ランダムに書いておこう。
 1 ベアーテ・シロタの講演への言及で始めて、再び言及して原稿を終えている。いちいち典拠を確認しないが、ベアーテ・シロタは法学部出身でもないタイピスト(?)だが日本語能力のおかげでGHQ草案作りに<愛用>された、かつ親コミュニズムでソ連憲法の条文の字面だけを見て、その「家族」または「男女対等」に関する条項に憧れ、日本国憲法草案(の原案)の一部を書いた人物だ(現二四条等につながった)。
 武田はいう。彼女は「日本女性の地位確立の道を切り開いた」、と。どう評価しようと自由だが、日本国憲法の制定過程に詳しく、かつその内容に批判的な人々にとっては、ベアーテ・シロタとはマルクス主義的・「左翼的」人物で戦後日本に悪影響を与えたとの評価を受けている人物なのだ。
 武田徹は、上のことを知っていて、敢えて書いているのだろうか。だとすれば、そのようなフェミニストと同様の評価を「産経」に書くとは勇気があるし、そのようなことを書かせる産経の編集部の無知加減か又は「勇気」に驚く。
 武田が上のことを知らないとすれば、あまりに無知で、勉強不足だ。
 2 日本国憲法に「国民」を権利享有主体とする条項と「何ぴと」にも権利(人権)を認める条項があるのは、ほとんど自明の、常識的なことだ。
 だからどうだと武田はいいたいのだろうか。<使い分け>を問題にしつつ、具体的に自らの見解・主張を述べている論点はない。外国人の雇用問題について何やら述べているが、結局は、<ある程度の痛み分けをしつつ相互に納得できる解決策を…>と書くにとどまる。こんな程度なら誰でも(私でも)書ける。
 そもそもが、外国人の問題を、憲法一四条・平等原則レベルの問題として論じようとする感覚自体がおかしいと言うべきだろう。
 確認しないし、詳細な知識はないが、いったいどこの国の憲法が、自国民と自国籍を有しない者(外国人)をすべての点について<平等に>取扱うなどと宣言して(規定して)いるだろうか。そんな馬鹿な<国家>はないはずだ。
 武田はいったんまるで平等保障の対象に外国人を含める方が<進歩的>であるかのごとき書き方をしているが、その「いったん」の出発点自体に奇妙さがある。この人は、朝日新聞的<地球市民>感覚に染まっているのだろうか。
 かりに万が一上のような憲法条項があったとしても<合理的な区別>まで平等原則は禁止するものではないから、やはり外国人の権利の有無の問題は残り(選挙権問題も当然に含む)、よくても法律レベル、「立法政策」の問題になるのだ(「よくても」と書いたのは、外国人の選挙権付与は違憲で、法律レベルでも付与できない、との主張もありうるし、現にあるからだ)。
 3 武田は「市民」という言葉の問題性に言及しているが、そんなことはあえて書くまでもない。読まされるまでもない。この人は、佐伯啓思・「市民」とは誰か-戦後民主主義を問いなおす(PHP新書、1997)という本を、-専門書ではなく容易に入手できるものだが-読んだことがあるのだろうか。
 「「市民」という言葉」を問題にしようとして、上の佐伯著を知らない、読んでいないとすれば、あまりに無知で、勉強不足だろう。武田が書いていることくらいのことは、すでに多数の人が指摘している。また、武田は言及していないが、<左翼>団体(運動)が「市民」団体(運動)と朝日新聞等によって称されてきている、という奇妙さもすでに周知のことなのではないか。
 4 それにしても、<市民・自然人-国民>の対置と<理想主義-現実主義>の対置をまるで対応しているかのごとく(つまり市民・自然人→理想主義、国民→現実主義)書いているのは、いつたいどういう感覚のゆえだろうか。こうした対応関係がなぜ成り立つのか。<思い込み>で物事を叙述してほしくないものだ。
 5 武田はまた書く。「…抽象的なシンボルを多用した安倍政権」後の「福田政権は、今度こそ生活の実質に根を下ろした政策を打ち出して欲しいと願う」、とも。
 こんな程度のことしか書けない人物が「ジャーナリスト」と名乗って、産経新聞に登場しているのだ。いよいよ世も末かと思いたくなる。
 まさかと思うが、「毎月最終水曜日」掲載の「複眼鏡」の執筆者は当面、武田徹ってことはないだろうなぁ。読売と産経のどちらの定期購読を「切ろう」かと考えているところだが、10/31のような文章の武田の文を毎月見るのはご遠慮したいものだ。産経新聞編集局(文化部?)は武田徹のごときを使うべきではない。 
 三 石井政之編・文筆生活の現場(中公新書ラクレ、2004)に武田は登場しているが、武田は2003年に東京大学某センターの「特任教授」となり「ジャーナリスト養成講座」を担当しているらしい(p.46)。この程度の内容の文章しか書けない人物が「ジャーナリスト」を「養成」しているのだから、昨今の「ジャーナリスト」のレベルの高さ?が分かるような気がする。
 ついでに。上の中公新書ラクレで編者の石井政之は、「武田さんは、哲学者ミシェル・フーコーの言説を引用しており、私は無学を恥じた」と書いている(p.45)。石井は相変わらずの舶来・洋物思想(というだけで「優れて」いると思う)崇拝者なのだろうか。
 「ミシェル・フーコーの言説を引用」できなくて、何故、「無学を恥じ」る必要があるのか。同じことを、吉田松陰、福沢諭吉、徳富蘇峰等々の日本人についても、石井は語るのだろうか。
 なお、中川八洋・保守主義の思想(PHP、2004)によると、フーコーはサルトルやマルクーゼ等とともに「日本を害する人間憎悪・伝統否定・自由破壊の思想家たち」の一人とされている(同書p.385)。

0279/阪本昌成の「社会権」観とリベラリズム。

 中川八洋はその著・保守主義の哲学等で、ハイエクにも依りつつ、「社会的正義」という観念を非難し、「社会的正義」の大義名分の下での「所得の再分配」」は「異なった人びとにたいするある種の差別と不平等なあつかいとを必要とするもので、自由社会とは両立しない。…福祉国家の目的の一部は、自由を害する方法によってのみ達成しうる」などと主張する。
 そこで5/13には<中川八洋は一切の「福祉」施策を非難するのだろうか。>とのタイトルのブログを書いたのだった。
 自称「ハイエキアン」・「ラディカル・リベラリスト」の阪本昌成もまた「福祉国家」・「社会国家」・「積極国家」というステージの措定には消極的なので、中川八洋に対するのと同様の疑問が生じる。
 その答えらしきものが、棟居快行ほか編・いま、憲法を問う(日本評論社、2001)の中に見られる。「人権と公共の福祉」というテーマでの市川正人との対談の中で、阪本昌成は次のように発言している。
 1.私(阪本)は「自由」を根底にするものを「人権」と捉え、「社会権」のように国家が制度や機関を整備して初めて出てくる「基本的人権」は「人権」と呼ばない(p.207)。
 2.「生存権」によって保障されているのは「最低限の所得保障に限る」。その他の要求を憲法25条に取り込む多数憲法学者の解釈は「国民負担を大とし」、「現代立憲主義の病理」を導いている。「大きな政府」に歯止めを打つ必要があるp.208)。
 3.「社会権」の重視は「社会的正義の表れ」というのだろうが、そのために「経済的自由、なかでも、所有権保障は相対化されてきた」(同)。
 4.日本には「自由な市場がない」。ここに「いまの日本の病理がある」。これは一般的な「自由経済体制の病理ではない」(p.212)。
 5.経済的自由は「政策的」公共の福祉によって制約できるというだけでは、また、精神的自由との間の「二重の基準論」のもとでの「明白性の原則」という枠だけでは立法政策を統制できない(p.217-8)。
 私は阪本昌成の考え方に「理論」として親近感を覚えるので、主張の趣旨はかなり理解できる。
 もっとも、現実的には日本国家と日本社会は、日本こそが<社会主義国>だ、と半ばはたぶん冗談で言われることがあったように、経済社会への国家介入と国家による国民の「福祉」の充実を当然視してきた。
 現在の参院選においても、おそらくどの政党も「福祉」の充実、「年金」制度の整備・安定化等を主張しているだろう。従って、阪本「理論」と現実には相当の乖離がある。また、「理論」上の問題としても、国民の権利の対象となるのは「最低限の所得保障」であって、それ以上は厳密な国民の権利が対応するわけではないとしても、例えば高速道路や幹線鉄道の整備、国民生活に不可避のエネルギーの供給等に国家が一切かかわらないということはありえず、一定限度の国家の<責務>又は<関与の容認>は語りうるように思われる。 
 かつて7/01に日本は英国や米国とは違って「自由主義への回帰が決定的に遅れた」と書いた。
 宮沢喜一内閣→細川護煕内閣→村山富市内閣→という<失われた10年>を意味させたつもりだった。だが日本の実際は「自由主義への回帰」はそもそもまだ全くなされていないというのが正しい見方かもしれない。
 「理論的」には阪本は基本的に正しい、というのが私の直感だ。国家の財政は無尽蔵ではない。活発な経済活動があってはじめて主として税収から成る国庫も豊かになる。そうであって初めて「福祉」諸施策も講じることができるのだが、「平等化」の行き過ぎ、どんな人でも同様の経済的保障を例えば老後に期待できるのであれば、大元の自由で「活発な経済活動」自体を萎縮させ、「福祉」のための財源も(よほどの高率の消費税等によらないかぎり)枯渇させてしまう。
 経済・財政の専門家には当たり前の、あるいは当たり前以下の幼稚なことを書いているのだろうと思うが、本当は、経済政策、国家の経済への介入の程度こそが大きな政治的争点になるべきだ、と考えられる。
 だが、焦る必要はないし、焦ってもしようがない。じっくりと、「自由主義」部分を拡大し、<小さな国家>に向かわせないと、日本国家は財政的に破綻するおそれがある。まだ時間的余裕がないわけではないだろう。
 なお、上の本で市川正人は「たまたま親が大金持ちであったために裕福な人と、親が貧しかったために教育もまともに受けられなかった人とがフェアな競争をしているとは到底できないでしょう」と発言し、阪本は「誰も妨害しないのであれば、それは公正なレースと言わざるをえない…。個々人の違いは無数にあって、全てに等しい条件を設定するということは国家にはできません」と回答している。
 このあたりに、分かりやすい、しかし深刻な<思想>対立があるのかもしれない。私は阪本を支持する。市川の議論はもっともなようなのだが、しかし例えば<たまたま生まれつき賢かった、一方たまたま生まれつきさほどに賢くなかった>という「個々人の違い」によって生じる可能性・蓋然性を否定し難い<所得の格差>は、国家としてはいかんともし難いのではないか。
 同じくいちおうは健康な者の中でも<たまたま頻繁に風邪をひき学校・職場を休むことが相対的に多い者とたまたま頑強で病欠などは一度もしない者>とで経済的報酬に差がつくことが考えられるが、このような、本人の<責任>を追及できず生まれつき(・たまたま)の現象の結果と言わざるをえないような「個々人の違い」まで国家は配慮しなければならないのだろうか。
 二者択一ならば、こう答えるべきだろう。平等よりも自由を平等の選択は究極的には国家財政を破綻させるか、<平等に貧乏>(+一部の特権階層にのみのための「福祉」施策)という社会主義社会を現出させるだろう。

0235/阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す(成文堂、2000)を全読了。

 たぶん6/15(金)の夜だろう、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)を全読了した。
 中川八洋の著(保守主義の哲学ほか)と比べると、登場させる思想家・哲学者は少ないが、ヒュームアダム・スミスについてはより詳しい。
 また、中川が<悪しき>思想家の中に分類しているヘーゲルについても詳しく、むしろ親近的に分析・紹介している。
 阪本昌成はルソーやカントらの国制設計上の曖昧さを批判的に克服しようとして苦労したのがヘーゲルだったと見ているようだ。
 阪本によれば、「わが国の憲法学におけるヘーゲル研究は、マルクス主義憲法学においてネガティブな形で継承されたこと以外、華々しくない」が、それは「マルクスによるヘーゲル批判を鵜呑みにした」からで、例えば、「ヘーゲルこそ合理主義的啓蒙思想〔秋月注-ルソー、ロックら〕に果敢に挑戦した人物だった」(p.106-107)。ヘーゲルは「ホッブズ以来の自然権・社会契約理論が社会的原子論であるばかりではなく、徹底したフィクションだ>と批判しつづけた」(p.126)。あるいは、「ヘーゲルによる市民社会の分析は、マルクスよりもはるかに適切」で、「国家と市民社会の相対的分離を見抜いていた」が、「マルクスは国家が市民社会の階級構造を反映しているとみたために、”階級対立がなくなれば国家が消滅する”などという致命的な誤りに陥ってしまった」(p.132)、等々。
 このような中川との違いが出ている背景又は理由の少なくとも一つは、中川が広く政治思想(社会思想)の専門で、かつマルクス主義に(批判的にでも継承されて)つながるか否かによって思想の<正・邪>が判別されているように見られるのに対して、阪本はマルクス主義はもはや<論敵>ではないとしてマルクス主義との関係に焦点を当ててはおらず、かつ専門の憲法学の観点から(国家・人権等の基本概念に主な関心を寄せて)諸文献を読んでいるからだ、と考えられる。
 それにしても阪本昌成が日本の憲法学者にしては?思想史への広汎な関心を持っていること、現に相当量を読んでいること自体に感心する。別の機会に、<わが国嫡流憲法学の特徴>(第二部第3章)と<フランス革命>に関する叙述(とくに第二部第6章)に限って掻い摘んで紹介して、メモ書きとしておこう。

0177/阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-フランス革命の神話(2000)を読む。

 阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)には、5/22に朝日新聞社説氏の教養の深さを疑う中で一部すでに言及した。
 読書のベース(時間配分の重点というよりも全部を最後まで読み切るべき本)として阪本昌成・りリベラリズム/デモクラシー(有信堂)を考え、実際にある程度は読んだのだが、これは後回しにして、上記の本をベースにすることにした。その理由は、リベラリズム/デモクラシーの初版と第二版の中間の時期に刊行され、同初版よりも新しいのだが、副題に見られるように、フランス革命を問題にしているからだ。
 中川八洋の二つの本を読んですでに、ごく簡潔に言って、フランス革命を好意的・肯定的に評価するか否が、親<社会主義>と親<自由主義>を分ける、という感触を得ている(中川は「日本を害する思想」と「日本を益する思想」とも対比させていた)。
 この点を阪本昌成はどう論じて(又は説明している)かに興味をもつ。
 なお、この本は私が古書で初めて、当初の定価以上の金額を払って買い求めたものだ(しかも2倍以上)。
 さて、阪本・「近代」立憲主義を読み直す「はしがき」にはすでに一部言及したが、日本の憲法学が国民にとって<裸の王様>になっていると見られるのは何故かについて、すでに引用した日本の「憲法学は、「自由」、「民主」、「平等」…こうしたキーワードにさほどの明確な輪郭をもたせないまま、望ましいことをすべて語ろうとして、これらのタームを乱発してきた」ことの他に、日本の「憲法学は望ましい結論を引き出すために、西洋思想のいいとこ取りをしてきた」ことも、推論としてだが挙げている。
 「はしがき」のその後は、すでに結論の提示又は示唆だ。次のようなことが語られる。
 1.<ルソーは間違っていて、ヒュームが正しかったのでないか>。ヒュームの視点に立てば、・中世と近代の截然とした区別は不可能、・人間の「本性」を「近代」の色で描く革命は無謀、・「歴史の変化は見事な因果関係で解明」は不可能、が分かる。
 2.「自然法」とはキーワードでトータルな解答だが、外延は伸びすぎ、内包は実に希薄だ。
 3.「人権」とは人が人であることによる無条件的利益だという、「人であること」からの演繹の空虚さを「市井の人びとは、直観的に見抜いてきた」のでないか。
 4.<人→その本性→自然権>と<人の自由意思→社会契約→国家>の二つを「自然権保全のための国家」という命題により連結するのが、「合理主義」だ。一方、ヒュームらの「反合理主義」は人が簡単に統御できないことを知っており、合理さと不合理さの統合を考える。
 「合理的」に説明する前者が勝っていそうだが、<理解されやすい学説はたいてい間違い>で、「合理主義の魔術に打ち勝ちたい」。だからこそ、<ルソーは間違っていて、ヒュームが正しかったのでないか>と先に書いた。
 本文は「第Ⅰ部・近代立憲主義のふたつの流れ」「第Ⅱ部・立憲主義の転回-フランス革命とヘーゲル」に分けられる。今のところ、前者を読み終えた。
 「第一部」にも「はじめに」がある。要約は避けて、印象的な文章部分のみを以下に10点、引用しておく。
 1.日本の「憲法学界にも、…「マルクス主義憲法学か非(反)マルクス主義憲法学か」、「自然法思想か法実証主義か」、「護憲か改憲か」をめぐっての緊張関係がみられたこと」もあったが、その論争も「大陸での合理主義的近代哲学という土俵」の上で展開されたにすぎず、「最適規範となるような倫理的秩序を、現実の”市民社会”の上に置くか、…論者自らは…隔絶された高みから現実を観察しながらの、…「宣教師的憲法学」だったよう」だ。
 2.<人権は人の本性にもとづく普遍的な価値>だから現在・将来の日本人は守るへきとの言い方の背後には、「「護憲の思想」が透いて見えて」いる。「この種の論調の憲法学を「嫡流憲法学」と呼ぶことにしている。
 3.日本の嫡流憲法学は…近代の主流啓蒙思想の説いてきた人間の道徳的能力に依拠し続け」た、「実に無垢な善意にあふれた語り」だが、それでは「改憲派に対しても、マルクス主義に対しても、対抗力をもった理論体系を呈示できない
」。(p.6)
 4.「ナイーブな善意の花を飾り立てるがごとき言説を繰り返してきた憲法学の(護憲派の)思想は、予想以上に弱々しいものだ」。
 5.「戦後の憲法学は、人権の普遍性とか平和主義を誇張して」きたが、「それらの普遍性は、国民国家や市民社会を否定的にみるマルクス主義と不思議にも調和」した。「現在でも公法学界で相当の勢力をもっているマルクス主義憲法学は、主観的には正しく善意でありながら、客観的には誤った教説でした(もっとも、彼らは、死ぬまで「客観的に誤っていた」とは認めようとはしないでしようが)」。(p.7)
 6.従来の憲法学は、「国民国家」や「市民社会」の意義を真剣に分析しておらず、それらを「一挙に飛び越えて登場するのが、「世界市民」とか「世界平和」といった装飾性に満ちた偽善的な言葉」だ。(p.8)
 7.「戦後の憲法学は、…「閉じられた世界」で、西洋思想のいいとこ取りをしながら、善意に満ちた(偽善的な)教説を孤高の正しさとして繰り返してきた」が、その「いいとこ取りをしてきたさいに、その選び方を間違ってきた」のではないか。「間違ってきた」というのが不遜なら<西洋思想のキーワードを曖昧なまま放置してきたのではないか>。「その曖昧さは「民主的」という一語でカヴァされてきた」かにも見える。
 8.「戦後の「民主的」憲法学は、自然権・自然法・社会契約の思想に強く影響されて」きた。これらを歴史的展開の解明の概念として援用するのはよいが、日本国憲法の個別論点の解釈に「大仕掛けの論法」として使うべきではない。「自然状態、自然権、自然法、社会契約、市民、市民社会という憲法学の基本概念は、これを論じた思想家によって大いに異なっているのだ。(p.9-10)
 9.本書の最大のねらいは、<自然状態から市民社会を人為的に作りあげようとする思想の流れとは別に、もうひとつの啓蒙の思想がある>、すなわち「スコットランドの啓蒙思想」がある、ということだ。(p.10)
 10.「第Ⅰ部での私の主張は、政治思想史・法哲学においては、既に旧聞に属する、いわば常識的知識にすぎない」が、「残念なことに…憲法学界においてはもさほど浸透していない
」。(p.12)
 やや寄り道をした感があるが、第Ⅰ部の第一章は「啓蒙思想のふたつの流れ」で、上でも触れた<ルソーではなくヒュームが正しかった>ということ、日本での主流思想とヒュームらの
スコットランド啓蒙思想
」の差違が簡単に整理されている。
 両者は次のよう種々の対概念で説明される。すなわち、<近代主義/保守主義>、<近代合理主義/伝統主義(批判的合理主義)>、主唱者の出身地から<大陸啓蒙派/スコットランド啓蒙派>だ(p.13-14)。また、第Ⅰ部の「まとめ」では<意思主義/非意思主義>、<理性主義/非理性主義>とも称される。
 前者に属するのがデカルト、ルソーで、後者に属するのがヒューム、アダム・スミス。
 私の知識を加味して多少は単純化して言えば、出身地による区別は無意味になるが、前者はデカルト→ルソー→<フランス革命>→マルクス→レーニン→<ロシア革命>→スターリン→毛沢東・金日成とつながる思想系列で、後者はコウク→バーク→ヒューム→アダム・スミス→ハイエクとつながる。
 とりあえずデカルト、ルソーとヒューム、アダム・スミスを対比させるとして、両者の「思想」はどう違うか。長い引用になるのは避けるが、1.前者は<社会・国家は人間の理性によって意図的・合目的に制御されるべきで、また制御できる>と考え、「人格的・理性的・道徳的存在」としての人間の「自由な意思の連鎖大系」が「市民社会」だとする。
 後者は、<制度、言語、法そして国家までもが、累積的成長の過程を経て展開され出てきた>と考え、伝統・慣習等「個人の意思に還元できないもの」を重視する。「人間の不完全さを直視し」、「理性に対しては情念、合理性に対しては非合理性に積極的な価値を認め」る。
 2.大陸啓蒙派の形成に影響を与えたのはイングランド的啓蒙派で、ホッブズロックが代表者。彼らは「人の本性」=「アトムとしての個人が当然に持っている性質」を「自然」という。
 スコットランド啓蒙派は、「社会生活の過程を通して経験的に徐々に習得される」、「人が人との交わりのなかで習得」する、「感情・情念」を「人間の理性より…重視」した。
 阪本昌成は、<人は理性に従って生きているだろうか?>とし、「人間は本来道徳的で理性的だ、という人間の見方は、多くの人びとの直観に反する」のでないか、とする。スコットランド啓蒙派の方により共感を覚えているわけだ。
 私の直観も阪本氏と同様に感じる。若いときだと人間の「理性」による人間と社会の「合理的」改造の主張に魅力を感じたかもしれないが、今の年齢となると、人間はそんなに合理的でも強くもない、また、人知を超える不分明の領域・問題がある、という理解の方が、人間・社会のより正確で客観的な見方だろう、と考える。
 このあと阪本著はモンテスキューは大陸出身だがスコットランド派に近く、ベンサムは英国人だが大陸派に近いと簡単に述べたあと、第2章でホッブズ、第3章でロックを扱うのだが、省略して、次の機会には「第4章・啓蒙思想の転回点-J・ルソー理論」をまとめる。ルソー理論がなければフランス革命はもちろんマルクス主義もロシア革命もなかったとされる、中川八洋の表現によれば「狂人」だ。
 さて、中川八洋の本と比べて阪本昌成の本は扱っている思想家の数が少なくその思想内容がより正確に(と言っても限界があるが)分かるとともに、憲法学の観点から諸政治・社会思想(哲学)を見ている、という違いもあり、中川の罵倒ぶりに比べればルソーらに対する阪本の批判はまだ<優しい>。
 この本でも阪本昌成はマルクス主義憲法学に言及し、それへの批判的姿勢を鮮明にしているが、具体的にだれが日本のマルクス主義憲法学者なのかは、推測も含めてたぶん多数の氏名を知っているだろうが、この本にも明示はしていない。とくに現存する人物については氏名を明示して批判することを避ける、というル-ルがあるとは思えないが、マルクス主義者かどうかというのはデリケートな問題なのだろう。
 なお、宮地健一のHPによると、長谷川正安(1923-)・元名古屋大学法学部教授(憲法)は日本共産党「学者党員」と断定されている。この人を指導教授としたのが、これまでも名前を出したことがある森英樹・名古屋大学法学部教授だ。→ 
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/saiban7.htm

0150/阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー(第二版)「まえがき」。

 4/30午前0時台のエントリーで紹介したように、阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー(第二版/有信堂、2004)は「マルクス主義憲法学」批判を鮮明にしている。そのときに紹介しなかったマルクス主義批判の文に、次のようなものもある。
 「正義は、人間の知性によって積極的に作り上げうるものではなく、また、人間の情念を度外視して語れるものではない。二〇世紀最大の人類的規模の実験が失敗に終わった理由は、ここにある」(p.23)。
 デカルト以降の「理性」信仰(私流に言えば、人は、人間や社会を「合理的」に認識・説明でき、改革できる筈だとの、人知の及ばない領域があることを無視した「近代」の傲慢さ)への批判が上の文にも含められているだろう。
 5/13のやはり午前0時台のエントリーで述べたように、中川著の後の読書のベースは阪本昌成の上の本で、50頁くらいまでは進んだ。基礎概念の意味と論旨展開は重要なので、メモ書き代わりにここに記していこう。
 阪本にとってマルクス主義はもはや「論敵」ではないとされ(p.22)、既述程度の文章しかないのだが、マルクス主義批判の文のあとには「福祉国家」が「警戒すべき実験」として語られる(p.23)。
 先走ったが、阪本も自称ハイエキアンであり、ハイエクを(きわめて)肯定的・積極的に評価する中川八洋と同様の論調である所があるだろうことは容易に想像がつく。
 さて、最初から出発しよう。「まえがき」によれば、「リベラリスト」とは「統治の正当性・限界を、人びとの合意に求めることを避けて、すべての人に保護領域が与えられるべきことに求めようとする立場の人」だ(「保護領域」とはさしあたり「自由に行動できる生活空間」で十分)。
 一方、「デモクラット」とは「統治の正当性・限界、すなわち立憲主義の源泉は人びとの合意にある、と強調する人」だ(p.1)。
 書名でも明らかなのだが、リベラリズムとデモクラシーは矛盾しあう・対立しあうということが著者の議論の前提だ。あえて日本語を使えば、自由主義と民主主義自由と民主の差違・関係が阪本の関心事であり、かつこの問題が(マルクス主義うんぬんよりも)今日的・現実的な意味をもつ、と考えられているものと思われる。
 そして、阪本は自分は「ラディカル・リベララリスト」だと既に結論的に宣言している(p.2)。となると、未読の部分の方が多いが、デモクラシー(民主主義・民主政治)への批判が多いだろうと想像できる。
 つぎに言う。「リベラル」や「リベラリスト」は米国では「社会民主主義(者)」を指すため、「真のリベラリズム」のために「リバターリアニズム(リバターリアン)」という言葉が作られ、後者は、ア.個人主義徹底、イ.国家の強制力は反道徳的、ウ.国家・公共の利益に懐疑的、という態度だ。だが、阪本は「リバターリアニズム」と共通性があるかもしれないとしつつ、リベラル/リバターリアルの区別の論議に入らず、「リベラリズム」を次の共通性をもつものの意味で用いるとする。
 1.「自由を消極的に捉えること」(秋月注-「消極的」とは「否定的」の意ではない)、
 2.「ルールの源泉を人間の意思に求めないこと」、
 3.「ルールは社会のなかで自己増殖的にできあがり、そのルールは一定の属性をもつに至ると承認すること」等。
 但し、「リベラリズム」は社会民主主義を含む曖昧さを持つので、上の意味でのリベラリズムを「古典的リベラリズム」、「社会民主主義的な自由観」を「修正的リベラリズム」と称することもある、という(p.2)。
 その後、若干の主張が(結論示唆的に?)なされる。
 「法学でいう自由」とは「個人の人格的規律や意思の不可侵性」といった「個人の内面領域」ではなく「政治・統治の領域」での概念で、リベラリストは、「私たちの日常的な利害対立の調整または解決を政治過程にできるだけのせないことが望ましい」と考える。
 リベラリストはこう考える傾向にある。1.「個人の内心の自由」は「政治的自由」の「根源的な位置」にあるものではなく、「歴史的にみて最初のものでもない」。
 2.個人の「内面的自由は「政治的自由」を否定された人びとが「内面への退却」をしたときに気づかれたもので、「内面的自由は人間の尊厳にとって固有の領域」だとの「誇張された主張」は、自由の問題を「人格的自律や意思の不可侵性」を問う議論へと「再び誘導する」だろう。しかし、この筋道を避けて、「人と人との交わりのなかで世俗的な利害の調整のあり方に賢慮を」めぐらすべきだ。
 3.「「法の支配」を真剣に受けとめる」。「法の支配」とは「私たちの消極的自由を保障するための思想であり、制度だ」。一冊の本が必要なところを「あえて簡単にいえば」、「国家が法律を制定するにあたって、私たちを匿名の存在として扱うルールに従うこと」だ。(p.3-p.4)
 「まえがき」の僅か4頁のためにこれだけ費やしたとは先が思いやられる。
 だが、何らかの共通了解があって語られているようにも見える「自由」も「民主」も(そして「立憲主義」も「法の支配」も)じつは簡単に語りえない複雑な側面をもち、両者は単純な関係には立たない(ようだ)。
 若い頃から近年までの勉強不足、思考不足を嘆きつつ、読み終えてみよう(計230頁程度)。
 ところで、中川八洋の本を読んでおいたことはよかった。阪本著で外国人の名とその「思想」が出てきても殆ど全く、驚きはしないからだ。

0149/「大衆」の忘恩と小児性-「民主主義」は機能するか。

 すでに読み終えた中川八洋・保守主義の哲学だが、刺激的な言葉が随所にある。例えば、
 「日本列島は無政府状態の色を濃くしているし、レーニン/ヒットラーの全体主義を再現するかのような不気味な土壌をつくりつつある」(p.297)。
 「日本の学界・教育界は、大正デモクラシーの大波をかぶってそのままデカルト/ルソー/マルクスの住む島に流れつきそこにとじこもることすでに八十年、理性万能の狂妄から目を覚ますことがない」(p.325)。
 ところで、読みながら、失礼ながら何故か、「きっこのブログ」や「きっこの日記」のきっこ?を想起してしまったのは、第六章「平等という自由の敵」の第四節「大衆という暴君」の中の、次のような、紹介されている等の、いくつかの言葉だった(p.298-9)。
 オルテガ-「大衆人」は「生の中心がほかでもなく、いかなるモラルにも束縛されずに生きたいという願望にある」。
 中川-「道徳」とは…のことだが、「これを欠くか、ない方がよいと願う「大衆人」とは、その本性において、社会主義者・共産主義者のシンパとなりやすい特性をもっている」。
 オルテガ-「大衆人」は「倫理・道徳性の欠如」を示し、「忘恩の徒」となる。「忘恩」とは「甘やかされた子供の心理」でもあり、「今日の大衆人の心理図表に…線を引くことができる。…安楽な生存を可能にしてくれたいっさいのものに対する徹底した忘恩の線を…」。
 ホイジンガ-「ピュアリリズム(小児病)」とは「子供を大人に引き上げようとせず、逆に子供の行動にあわせてふるまう社会、このような社会の精神態度」のことだ。
 ホイジンガ-「ピュアリリズム(小児病)」の特質は「…他人の思想に寛容でないこと、褒めたり、非難するとき、途方もなく誇大化すること、自己愛や集団意識に媚びるイリュージョンに取り憑かれやすいこと」だ。
 ル=ボン-「衝動的で、昂奮しやすく、推理する力のないこと、判断力あよび批判精神を欠いていること、感情の誇張的であることなど…こういう群衆のいくつかの特徴は、野蛮人や小児のような進化程度の低い人間にもまた同様に観察される」。
 自戒の意味も込める必要があるが、きっこ?氏に限らず、日本という国家への「忘恩」、上に種々書かれている「小児」性は日本国民のかなりの部分に蔓延しているのではないだろうか。上では「大衆」という言葉が使われ、中川八洋には「大衆蔑視」的ニュアンスが全くなくはないと感じるのは気になるところだが、ほぼ「(一般)国民」と置き換えて読むべきだろう。そして、国民の「忘恩」と「小児」性は、「民主主義」は適切に機能するか、の基本的な問題でもある、とも考えるのだ。

0141/中川八洋は一切の「福祉」施策を非難するのだろうか。

 中川八洋・保守主義の哲学を読んでいて、そのままでは従(つ)いて行けないと感じたのは本の最後の残り1/5の中にある。すでにその一つを書いたが、もう一つは「社会的正義」の扱いだ。
 中川は、ケインズ経済学を「自由否定/道徳否定のベンサムの狂気から生まれた」、「ベンサム功利主義を継承するものの一派」で、マルクス経済学と「祖先が同じ血のつながった親類」だとし、日本では「マルクスだけでなく、ケインズからも自らを解放することが急務」だとする(p.338-345)。
 このあたりで既に私には理解が殆ど不能になるのだが、その後中川は、法や法律と「自由」の関係を論じたりしつつ、ハイエクの著・社会正義の亡霊(1976年)に依って、こう書いている。
 <ハイエクの「社会的正義という概念が空虚であり無意味である」との説は正しい。>(p.361)
 <社会正義との概念はJ・S・ミルの本(功利主義、1863)が初出で、「英国のマルクス」で「レーニンと寸分も変わらぬ冷酷で残忍な性格」のミルは「すべての制度も、すべての道徳的な市民の努力も、できるかぎりこのものさし」、すなわち「社会的正義と分配の正義の最高の抽象的ものさし」を「目標にしたものであるべきである」と書いたのだが、ミル・自由論をよく読むと「道徳の放棄と、伝統・慣習を破壊するよう呼びかける」以上の何物でもなく、さらにはミルは「個人の幸福追求を社会全体のために犠牲にすることを目論んでいた」。>(p.362-4)
 <ハイエクの言うとおり、「「社会的正義」の大義名分の下での「所得の再分配」」は「異なった人びとにたいするある種の差別と不平等なあつかいとを必要とするもので、自由社会とは両立しない。…福祉国家の目的の一部は、自由を害する方法によってのみ達成しうる」。>(p.365)
 これはすでに殆ど一種の経済政策論だと思うが、次のようにも書く。
 <「「社会正義」という”亡霊”が迷信の信仰のごとく狂信されている状況のひどさは、そもそも所得の格差が正義に適うとか正義に悖るとかいえないのに、また正義に適うとか正義に悖るとかは人間の道徳的な個人行動に関する用語であるのに、国家(社会)の行政上の権力行使(命令)にそれを期待し要求することでもわかる」。>(p.366)
 「正義」とは「道徳的な個人行動」関係概念で、「所得の格差」とは無関係だ、というわけだ。
 このあと「社会的正義」という語への(中川ではなく)ハイエクによる侮蔑の表現が並んでいる。
 「デマゴギーであり、三文ジャーナリズムであり、責任ある思想家が使用するに恥ずかしい用語」。
 社会的正義に「訴えているのは、その要求が実際には何らの道徳的正当性をもたないのに、道徳的なものだと承認してもらおうとの一種の誘惑行為」。
 社会的正義という「福音は、はるかに野卑な劣情に基づいている場合が多い。…自分より豊かな暮しをしている人々への嫌悪であり、あるいは単なる嫉妬である」。
 これらの主張が全く理解できないのではない。たしかに「「社会的正義」は「平等主義」の母胎から誕生した子どもの一人」だろう。今日の最も重たい問題にかかわる叙述だとも思う。問題又は疑問は「所得の格差」を多少とも是正するための立法者そして行政府による「所得の再分配」政策を一切否定しているのだろうか、ということだ。
 だとすれば、「福祉国家」も現憲法25条の理念も一切が排斥されることになってしまう。
 「社会的正義」という名分によってそれがなされるのを厳しく批判しているのだろうか。このあたりはハイエクそのものを読まないと解らないかもしれない。
 ところで、上のような考え方を知ると、中川も指摘のとおり、規制緩和・民間活用とか言われて「自由」=自己責任の領域が拡大しているかにもみえるが、日本の現状とはまだまだ相当な懸隔がある。「格差」が大きな話題になり、自民党系の候補者までが「格差是正のために~をします」とか演説していることがあるのを先月聞いたところだ。
 中川からすれば恐らく、自民党もまた「福祉」を重視した、半分は「社会民主主義」政党であるような気がする。同党は田中角栄等々によって「ばらまき」もしてきた。決してハイエク的「自由主義」の政党でないことは間違いないだろう。まして、社民党、共産党をや。
 予定どおり、次の読書のベースは、自称ハイエキアンの憲法学者・阪本昌成のリベラリズム/デモクラシー(勁草書房)になる。

0136/中川八洋は華族・士族・平民の復活を主張するのだろうか。

 中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)の殆どは、少なくとも「なるほど」又は「ふーん」で読んでいけるのだが、ときに、とくに現実の日本に言及する部分には首を傾げたくなるところもある。
 例えば、こんな文がある。
 「日本の現実を見れば、エリートの生産に最小限不可欠な「家」制度が、…極左民法学者の暗躍のもと、旧民法の改悪によって一九四七年に廃止された。”階級”は西洋かぶれで西洋を知らない明治維新の「志士」によって一八六八年に完全に壊された。明治新政府の「四民平等」は、四十年後の日本からエリートを消したように、エリート破壊の刃となった」(p.306)。
 この文は、ルソー等の「平等という、自由の敵」(第六章題)によって「大衆という暴君」(同章第四節題)が登場して「エリートを排除する現代の「大衆人の支配する社会」の強固なメカニズム」のおかげでエリート=「貴族的な生の少数者」=「自然的貴族」が解体することを中川自身が嘆き、明治維新時の「逸材はことごとく武士階級の出身者であったように、階級と伝統ある家族がエリート輩出の源泉である」等として「世襲的家族制度と階級の重要性を強調」した英国籍の詩人・エリオットの「説は正しい」(p.304-6)、と述べたあとで出てくる。
 戦後の家族制度・家族法制(民法)の変化については多少の議論の余地はあるかもしれないし、天皇制度の護持のために「皇続」の範囲を広げようとする議論も理解できるところがある。しかし、中川氏は、戦前の華族・士族・平民という「身分」制度、さらには、明治新政府の「四民平等」政策による士農工商という「階級」区別の解消も、今日まで遺すべきだった、と主張しているのだろうか(そのように読める)。
 新田次郎・藤原正彦父子の祖先は信濃・諏訪藩の藩士(武士)だったようで、藤原が書いている父・新田次郎の子・藤原への接し方や藤原の「武士道」精神への親近感の背景に、旧「士族」の<血>を感じることができる。また、「士族」なら持っていたのかもしれない倫理観・道徳観を現在の日本人は少なからず失った、とも感じる。
 しかし、華族・士族制度の復活、ましてや士農工商という「階級」区別の復活は、もはやあまりにも非現実的だ。中川は日本の解体・衰亡傾向の客観的原因の一つとしてのみ叙述しているのかもしれないのだが。

0129/日本を益する自由擁護の保守主義系の思想家たち。

 中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)p.384で表示されている「日本を益する自由擁護の保守主義系の思想家たち」計30名は、つぎのとおりだ。
 ベスト4(没年順)-コーク、バーク、ハミルトン、ハイエク
 その他26(没年順)-ヘイル、マンドヴィル、ヒューム、ブラックストーン、アダム・スミス、ファーガソン、J・アダムス、マディソン、トクヴィル、サヴィニー、バジョット、ディズレーリ、ドストエフスキー、メイン、ブルクハルト、アクトン、ル=ボン、バビット、ホイジンガ、ベルジャーエフ、オルテガ、チャーチル、ドーソン、ハンナ・アーレント、オークショット、カール・ポパー、サッチャー。
 「日本を害する…」に比べて、名前に馴染みのない人が多い(これも、中川によると日本の学界・出版界・教育界に原因がある)。また、作家のドストエフスキー、むしろ政治家のチャーチルやサッチャーを挙げないと30名にならないのが中川の苦労したところだろう(バークも18世紀英国の国会議員だが)。
 ベスト5だと、言及頻度からして、トクヴィル(仏)が入ってくるのではなかろうか。
 中川によると、ロシア革命前に没してはいるが、ドストエフスキーは、レーニン・スターリンの社会主義体制の到来を最も早く予知したロシア知識人で、小説・地下生活者の手記は「反・社会主義宣言」だった。この小説で彼は、自らを「地下生活者」としつつ、地上に立つ透明な「水晶宮」を「内証で舌を出して見せたり、袖のかげでそっと赤んべをしたり、そんな真似のできない」、「個人をガラスごしに二十四時間監視し統制する社会」だと喝破していた、という(p.257-8)。余裕があれば、数十年前に少し手にしたことのあるドストエフスキーの本を反共産主義という観点から読み直してみたいものだ。

0125/中川八洋・保守の哲学(PHP、2004)を全読了。

 一昨日6日の夜に、中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)をやっと全読了した。
 紹介又は引用したい箇所は多すぎる。全体の論調から日本の現在に即していえば、日本の「保守」言論界や自民党の中にも(中川からみれば)「危険」な思想に毒されていながらそれに気づいていない者が多くいることになるだろう。それだけ、中川の危機意識は強く、現状批判は厳しい。
 「あとがき」の冒頭はこうだ。-「日本は自由主義であるが、教育界・学界・出版界ではいまだに『マルクスとフロイトに代表される迷信の時代』(ハイエク)が続いており、日本は今も『思想における北朝鮮』の観を呈している。日本人の頭が左翼イデオロギーの思想に汚染された、奇怪な状況を見るにつけ、二十一世紀日本とは自由社会ではなく、一九九一年に滅んだ”二〇世紀のソ連”が再来していると思わざるをえない」。
 私も日本の「思想」状況はおかしい、とりわけ社会系・人文系の大学教授たちやマスコミで働く者たちの多くはかなりヒドい、とは思ってはいるが、上のようにまでは書けない(それほどとは思っていない)。
 例えば上の点にも現れているだろうが、中川の議論には従えないと思える点もあり、うーんこの点は私も中川の批判対象になるな、と感じた点もあった。
 いずれ具体的には、明日以降で話題にする。
 今夜は、中川が本文で言及しつつ、「日本を害する人間憎悪・伝統否定・自由破壊の思想家たち」として表でまとめている計30名をそのまま紹介しておく。中川・正統の哲学/異端の思想(徳間、1996)では「正統の哲学」者27人がリストアップされていたが、この保守の哲学(2004)による修正版は次回以降に記そう。
 ワースト6(没年順)-デカルトルソーヘーゲルマルクスレーニンフロイト
 その他24(没年順)-ホッブス、コンドルセ、ペイン、サン=シモン、ベンサム、シェイエス、フーリエ、コント、プルードン、フォイエルバッハ、ミル、バクーニン、エンゲルス、ニーチェ、クロポトキン、ケインズ、マンハイム、デューイ、ケルゼン、ハイデガー、マルクーゼ、サルトル、フーコー、カール・シュミット、ハーバーマス。(以上、p.385)
 かつて中学・高校時代に習ったかなりの世界的「思想」家が含まれている。マルクーゼやサルトルが入るのは当然だろうと思いつつ、ハイデガー、カール・シュミット、ハーバーマスが入っているのはかなり印象的だ。現在でもハーバーマス(の理論)を参考にしようとする人は結構いるのではないか。
 また、中川によればケインズも「日本を害する」。-「道徳破壊のマルクス経済学と、道徳否定のケインズ経済学とは”反道徳”において双生児である」(p.345)。
 ケインジアンはかつての首相の中にもいたし、財務省官僚の中に今でもいくらでもいそうな気がするが、このあたりになると私には殆ど分からない。ハイエクと対比されるのは解るが、一挙にマルクスらと同列にされてしまうとは…。


0115/中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)はあと70頁。

 勝谷誠彦は<さるさる日記>の2006年12/12にこう書いていた。
 「私はこの国は小泉政権からタライの中を水がザブンザブンと行ったり来たりするようなメディアが囃すと馬鹿踊りが始まる衆愚政治時代に入ったと思っている。
 これを読んで一瞬に感じたのは、では小泉政権以前の時代は「衆愚政治時代」ではなかったのか、とっくに「衆愚政治」だったのではないか、ということだった。森首相、小渕首相、橋本首相…、どの時代であれ、民主主義とは極論すればつまりは衆愚政治のことではないのか。
 民主主義は衆愚政治に陥る危険があるという言い方もされるが、民主主義(デモクラシー)、すなわち直訳すれば大衆(民衆)支配政治(体制)とは、「大衆(民衆)」が全体として賢くなく愚かであれば、もともとの意味が「衆愚政治」のことなのだ。
 こんなことを書くのも、中川八洋・保守主義の哲学(PHP)の影響だろう。民主主義と平等主義とが結合するとき、「多数者の専制」(バークの語)となる。「多数者」の判断が誤っていれば、少数者にとっては我慢できない圧政となる。
 トクヴィルはこう言ったという。「デモクラシー政治の本質は、多数者の支配の絶対に存する」。また、中川によれば、デモクラシーを「専制」又は「暴政」と捉えるのは、「英米とくに米国では普通」のことだという。
 民主主義を最高の価値の如く理解している日本人も多いのかもしれないが、多数の(過半数の)者が支持した決定は相対的には合理的なことが多いだろうという程度のことにすぎず、少数者の判断の方がより合理的でより正しい可能性は客観的にはつねに残されている(何がより合理的でより正しいかを決定するのがそもそも困難なのだが)。
 民主主義という「多数者の専制」を排するために存在するのが、国民により「民主的」に選出された代表が構成する議会の「民主的」な決定(法律の制定等)も憲法には違反できないという意味で、憲法だ。
 憲法は民主主義と対立する、それを制約する価値を秘めてもいることを理解しておいてよいだろう。
 民主主義なるものを最高の価値の如く理解していけないのは、民主主義の名のもとに、「人民の名」による圧政が現実にあったし、今でもあることでも判る。社会主義・東ドイツの国名はドイツ「民主」共和国だったし、北朝鮮の国名は朝鮮「民主主義」人民共和国だ。
 民主主義と平等原理が結合するとき、容易に社会主義への途を開くことにもなる。日本共産党系の大衆団体が「民主」の名を冠していることが多いのも理由がある。民主主義文学者同盟(機関誌は「民主文学」?)、民主青年同盟(民青)、全国民主医療機関連合会(民医連)、民主商工会…。日本共産党が民主主義の徹底を通じて社会主義へという途を展望しているのは、周知のことだろう(日本共産党を支持する多数派の形成は容易に同党の「多数」の名による=「民主主義」の名による一党独裁を容認することになろう)。
 フォン・ハイエクの有名な著は隷従への道(東京創元社)だが、中川によると、このタイトルは「デモクラシーの全体主義への転換」を論じるトクヴィルの次の文章に由来するのだという(p.277)。
 「平等は、二つの傾向をうみ出す。第一の傾向は、…突然に無政府状態になることがある。第二の傾向は、…もっと人知れず、しかし確実な道を通って人々を隷従に導く」。
 なお、ここでの「隷従」状態とは、トクヴィルやハイエクにおいて、「全体主義」の支配を意味する。そして、「全体主義」とは共産主義又はファシズムのことだ。
 安倍首相が、「人権、自由、民主主義、法の支配」の<価値観外交>を進めてよいし、中国との関係では進めるべきなのだが、上の4つの全てについて、~とは何かという厳密な議論が必要であり、現に議論されてもきている。
 中川八洋の具体的な主張には賛成し難い点もあるのだが、読了まであと70頁ほどになった彼の本が、知的刺激に満ちていることは間違いない。

0114/なぜ共産主義は大量殺人に至った(至る)のか?

 ステファヌ・クルトワ等(外川継男訳)・共産主義白書<ソ連篇>(恵雅堂出版、2001)の序p.12は、「共産主義」体制による死者(銃殺・絞首等の死刑、事故や飢餓、放置による餓死、強制収容所送りの際、抵抗した際、強制労働による衰弱・病気等々によるものを含む)の数を次のように書いている。
 ソ連2000万、中国6500万、ヴェトナム100万、北朝鮮200万、カンボジア200万、東欧100万、ラテンアメリカ15万、アフリカ170万、アフガニスタン150万、国際共産主義運動・政権党でない共産党約1万。
 「殺された合計は一億人に近い」。上の数字の合計は、正確には、9436万。
 また、ナチスによる死者数は、占領国市民1500万、ユダヤ人510万、ソ連軍捕虜330万、強制移住による者110万、ジプシー数10万。これらの合計は、2450万+数十万(p.23)。
 訳者解題によると、上の本が1997年に刊行された際、一億人に近い大量殺戮を生んだ共産主義を信奉する政党(共産党)がフランスでなお活動していることに強い抗議が挙がるという反響があった、という。
 また、著者は、ナチズムが断罪されたのに共産主義の「罪」が問われることなく、なぜ共産党政権が中国やキューバになおあるのかとも問いかけているが、序の最後にある「なぜ」の問いかけはこうだ。
 「なぜレーニン、トロツキー、スターリンその他の人々は、自分たちが「敵」と判断したすべての人々を絶滅することが必要だと考えたのだろうか?
 20世紀の最大の問題はナチズム(あるいはドイツ・ファシズム)でも日本軍国主義でもなく、共産主義だった。それは21世紀に入っても続いている。
 ナチズムや日本軍国主義の分析・研究よりも共産主義の分析・研究の方が重要で、かつ現実的(現代的)意味がなおあるのではないか。
 ついでに、上の本の序から1点だけさらに抜粋しておく。ロシアで1825~1917年の92年間に、死刑判決が実際に執行されたのは3932人だが、この数は政権を握ったボルシェビキ(ロシア共産党)によって1917年11月からわずか4ケ月間に処刑された人数よりも少ない(p.22)。
 1億人(共産主義)、2500万(ナチス)という数の大きさは、第二次大戦中の日本人の軍民合わせての戦死者数が約350万とされているのと比べてもよくわかる。
 ところで、中川八洋・保守主義の哲学(PHP)p.256は、ソルジェニーツィンの収容所群島に依ってレーニン、スターリンの殺戮者数を(上の本の2000万ではなく)6600万としている。また、根拠は不明だがp.293には「二十世紀に二億人の人類を殺害した共産主義…」という叙述もある。上の本の一億人近くの2倍だ。
 かかる人殺しの思想・共産主義(マルクス主義)がどうやって生まれたのかを知ることは重要だろう。
 簡単な紹介に馴染まないが、中川八洋によると、(プラトン)→デカルト→ルソー→ヘーゲル→マルクス→レーニン→スターリン→毛沢東・金日成が最も単純な系譜になる(p.242等)。私の不十分な理解によれば、内容的には、社会を完全に合理的に認識でき、人間も含めて変革(改造)できる筈だとする傲慢な「近代合理主義」、現状不満の狂人・ルソーの夢想的「平等主義」(→資産家からの財産没収等)は少なくとも挙げられるべきものだ。
 なお、別の本で知ったのだが、フェミニズムもマルクス主義を淵源にしているようだ。エンゲルスに家族・私有財産及び国家の起源という著があるが、上野千鶴子らの研究書はこれに大いに依拠しているらしい。マルクスやエンゲルスによれば、「家族」・「私有財産」・「国家」はいずれも消滅すべき(又は消滅する筈の)ものだ。フェミニズムが当面は「家族」の解体を志向しているのも納得できる。

0086/岩波書店はまともな出版社か。中川八洋の本をきっかけに。

 すでに同感の方々には新奇な言葉ではないだろうが、岩波書店はやはりまともな出版社ではない。
 中川八洋・保守主義の哲学によるとこうだ。
 ルイ16世は無実の者は勿論重罪人でも殆ど死刑にしなかったが、ロベスピエール・ジャコバン党は「ギロチンをフル稼働して」「あっという間に数十万人を無実の罪で処刑し虐殺した」(p.168)。ルイ16世も1793年に「処刑」された。
 そのような成り行きに「道徳的腐敗と自由の終焉を見抜いた」のが英国のバークで、1790年に『フランス革命の省察』を刊行して批判した。
 このバークの本への反論書がトマス・ペインの『人間の権利』のようで、このペインの本を、岩波は1971年5月に文庫化して出版した。
 ところが、その批判の対象だったバークの本を出版したのは(すでにみすず書房が出版していたが-これを私は持っている)、何と30年近く遅れての2000年7月だった、という。
 いつかも書いたように岩波は<世界の名著・古典>を公平・中立に選んで出版しているのではない。
 しかも、中川によればだが、岩波版のバーク『フランス革命の省察』の翻訳(中野好之氏による)は「出版社の何らかの指示があったしか思えない」ほどの「極度にひどい訳」だという(p.176-7)。
 岩波書店の<出版戦略>を想像すると、次のようなものだろう。第一に、日本の「進歩」勢力・「革新」勢力、要するに「左翼」(あるいはマルクス主義陣営)にとって都合の悪い内容の本は、いかに諸外国では出版され多数読まれていても、そもそも出版しない。
 第二に、出版するとしても、その翻訳は、「左翼」(・マルクス主義陣営)にとって悪い影響を与えないように、正確なものとはしない。この例を、上の中川は指摘しているのだと思われる。
 第三に、出版するとしても、、「左翼」(・マルクス主義陣営)にとって悪い影響を与えかねない部分は翻訳しない、つまり一部を抹消・削除して(かつその旨を明記することなく)翻訳・出版する。
 記憶のみに頼るが、たしかジョンストン『紫禁城の黄昏』がこの例ではなかったか。今、Wikipediaを参照してみると、「岩波版で省略された章には、当時の中国人が共和制を望んでおらず清朝を認めていたこと、満州が清朝の故郷であること、帝位を追われた皇帝(溥儀)が日本を頼り日本が助けたこと、皇帝が満州国皇帝になるのは自然なこと、などの内容が書かれている。/岩波文庫版が、「主観的な色彩の強い」として原著の重要部分を省いたことは、原作者に対する著作者人格権の侵害にあたるという意見もある」等とある。
 もっとも、同書の「あとがき」で訳者(入江曜子+春名徹)は「主観的な色彩の強い前史的部分である第一~十章と第十六章『王政復古派の希望と夢』を省き、また序章の一部を省略した」と明記しているようだ(私も、所持している本p.504-5で確認した)。だが、「主観的な色彩の強い」からという理由だけなのかどうか、あるいはそれは翻訳省略の正当な理由になるのかどうか、という疑問を生じさせる。
 ついでに書くと、雑誌・世界に1970年代には連載されていた「T・K生からの通信」は、これまた記憶によると、少なくとも韓国在住の者が書いた文章ではなかったらしい(日本で書いていたのが「反体制」韓国人だったのか日本人だったのかは忘れた)。
 韓国・ソウル等での反体制運動の動向等を紹介していたはずなので、この連載記事は「大ウソ」・「ペテン」ということになるのではないか。
 なお、やや余計ながら、岩波書店の四代目社長は安江良介(1935-98、世界編集長1971-88)で同年生まれの大江健三郎ととても親しかったらしい(これはちっとも不思議ではないが)。

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