しかし、それは具体的に何かは明確ではない。「法」とは必ずしも、日本に固有の歴史的伝統的価値と同義ではない。歴史的伝統的価値があるとしても(それは具体的に何かも問題だが)、それは倫理、習俗、宗教、世界観・死生観等として継続し得るもので、「法」である必然性はない。
ここで当然に「法」とは何かが問題になる。マルクスが言ったという、究極的「共産主義」社会での<国家と法の死滅>に影響を受けているわけではないが、「法」をその他の諸規範と区別するのは、国家又は人間集団が帰属する共同体を何らかの意味で「現実に」規律しようとするもので、何らかの意味での「現実化」するための装置が国家又は共同体によって用意されている、ということだろう。
幼稚なものだが、このようにでも解しておかないと、「法」が諸々の規範と同じものになってしまうか、残る諸規範と区別することができない。
さて、憲法(日本国憲法)よりも高次の日本に固有の「法」があるという主張はそれとしてあり得ると思うが、具体的に何かは個別に検討されなければならない。
急に具体的な話題になるけれども、中川八洋が最近に奇妙な、または不思議な主張を天皇・皇室問題について行っていて、その小さな一つは、「天皇の大権である元号制定権に従い、新元号は新天皇にしか制定できない」(2019.01.15)、というものだ。
この主張はある程度は<日本会議>派とも共通していて、彼らの中には、新元号の発表は新天皇の即位後に新天皇によって行われるべき、と考えるものもあるらしい(その他のいくつかの論点はあるが、立ち入らない)。
しかし、天皇自身による元号制定・施行が日本の「歴史的伝統的」価値あるいは「法」だったとしても、それが現在までそのまま続いているかどうかは問題になる。
元号あるいは国歌・国旗の類は最高の(とされる)成文法である憲法典の中に関係条項があってもよいと思うが、現在の日本国憲法には関連条項はない。「世襲」天皇制度を現憲法が明文で認めていることを根拠にして、従前に天皇が有していた「大権」もそのまま継続して認められるという憲法解釈が全く成り立たないとは思えないが、従来の「大権」をほとんど実質的に否認する条項は現憲法上に数多い。そして、「元号」決定権または「元号」制度自体の継続それ自体についてすら、憲法上には明文規定がない。
そして、この問題を解決したことになっているのは、憲法上の明記ではなく、<元号法>という、憲法よりは下位の<法律>だった。
「 元号法(昭和54年法律第43号)
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。」
1979年(昭和54年)6月12日に公布・施行。
これによると、元号法はさらに<政令>へと元号決定権を委ねている。
政令とは現憲法上の「内閣」が制定するものだ(これにはいちおう明文規定がある)。
とすると、これに従えば、元号決定権能は、内閣にある。
もちろん、これを認めず、不文法をこの法律・政令に優先させようとする議論はあり得る。
しかし、もともとは、<元号法制化>運動は、「昭和」以降を憂慮しての、どちらかというと<保守>または<右派>が主導したものだった。そうだとすれば、元号法制化を推進した人々は、元号決定を天皇の権能とし(但し、現憲法では内閣の助言等に基づくことにはなろう)、上の第一項には断固として反対すべきだった。そのように賛成政党に対して、強力に働きかけるべきだった。
中川八洋に責任があるとは言わないが、この元号法の制定と施行に大きな反対をしないでおいて、ほぼ40年も経ってから上の第一項と矛盾することを主張するのは奇妙なのだ。
憲法以上の伝統的な日本の不文「法」または憲法に違反している、と1979年の時点において、元号法(という<法律>)の内容に反対する運動を激しくしておくべきだったのだ。
しかして現在、今年の4月1日には新元号が「発表」されるらしい。
ということは、内閣は新元号を3月31日の深夜か4日1日早くに「決定」するのだろう。前日「深夜」と書いたのは、前日の昼間の閣議で決定したのでは、翌日午前0時までにその内容(新元号)が「漏洩」する恐れがあるだろうからだ。そして、たぶんすみやかな公布ののちに施行は5月1日(午前0時)とされるのだろう。この施行によって元号は「改め」られることになる。
こうして、(種々の運用の可能性のあることには立ち入らないが)、40年前の元号法が定めた「規範」の内容は「現実」化されようとしている。
中川八洋は「天皇の大権である元号制定権」を剥奪した(しようとしている)のは安倍晋三だとのごとく主張しているが、そうではなくて、とっくに(「違法」・「違憲」だとは確定されていない)法律が天皇の「元号制定」大権を否定しているのだ。そして、今日までそれは、<現実>には、異論をたぶんほとんど挟まれずに推移してきた。
中川八洋の主張は(それ以外の点も含めて)ひよっとすれば「正しい」のかもしれない。
しかし、<言葉・文章>上の主張内容がいかに「正しい」ものであっても、あるいは最適なものであっても、それが<現実>になるとは限らない。
また、<言葉・文章>上の主張内容がいかに正しく、いかに美しくとも、そのように<言葉・文章>を書いたり語ったりしている者が、本当に正しく美しい行動を<現実>に執るかどうかは全く分からない、という基本的論点もある。
「言葉・文章」と「現実」の乖離は、あるいは前者による主張が後者につながるわけでは決してないことは、これまでの歴史上の(日本に限らず)、貴重な教訓でもあるだろう。
ところで、中川八洋からかつて多くを教えられたし、その「保守」=「反共産主義」という明確な姿勢は貴重なものだ。
しかし、最近のブログ欄の主張を読んでいると、上のほかにも、奇妙なものがある。
例えば、退位式典が4/31で即位式典が5/1とされていることをもって「空位」が生じる、という主張もしていると解される。しかし、両者は近接した、又は継続した儀式である方が望ましいという主張は理解できるとしても、あくまで両者は「式典」なので、5/1の午前0時の一瞬間に退位(又は譲位)と即位が連続して行われる、と当然に理解することができるのではないか。こちらの方が、常識的・良識的な理解なのではないか。
「きわめて賢い」中川八洋が、大正・明治以前の、あるいは光格天皇譲位の際以前の皇位継承の「実務」が、そのまま現在の「実務」を拘束するわけではないことは理解できるだろう。現憲法とそのもとでの法制によって「現実」は実現されていかざるを得ないことは理解できるだろう。
この人は、現憲法「無効」論者だったのだろうか。
日本会議派諸氏の「あほ」ぶりとはまた別だが、ひどく残念に感じざる得ない。