秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

中央公論

1255/元朝日新聞幹部の山田厚史・早野透に見る「朝日新聞的なるもの」。

 朝日新聞の記事の一部の同新聞による否定や社長謝罪会見(第一次的には福島原発・吉田「調書」問題)等に合わせて、朝日新聞社記者OBの発言もいくつか見られるが、興味深いのは、最近問題とされた又は朝日新聞か認めたミスをいちおうは批判しつつも、なおも「朝日新聞」的意識・心情を吐露していることだ。二つ例を挙げておく。
 宝島11月号(宝島社)における、元編集委員・山田厚史
 山田厚史は、<朝日は反日>は「陳腐な非難」とか、朝日の上層部には他新聞と同じく「政権とプイプ」があるとか発言しつつ、つぎのように何気なく発言する。
 「野党が弱体化しているいま、政治の暴走を食い止める防波堤は世論です」(上掲p.8)。
 これはいったい何だろう。正確には「政治の暴走」とはいったい何のことだろ。おそらく、特定秘密保護法(12/10施行の旨の政令が2日ほど前に決定)の成立や集団的自衛権行使合憲との内閣解釈決定等を指すのだろうが、これらを「政治の暴走」と感じるのはまさに朝日新聞的な見方によるものであり、決して一般的なものではないとの自覚すらないように見える。
 また、次のようにも言う。①政権には世論が壁になりうるので「リベラルと言われる朝日新聞の信用が失墜すれば政権は楽になるということはある 」、「だからといって政権が朝日に何かしているということではないですよ」、②この20年「中国、韓国に対し、日本が劣後してきた、…ことに対する苛立ちが日本人の中にある。そうした時代状況のなかで傷ついた自尊心がナショナリズムを煽り、朝日新聞が逆風を受けている状況はあると想います」(p.8-9)。
 安倍政権による謀略的朝日新聞攻撃だったらよいのに、とも理解できなくはない①は無視して、②はなかなか面白い。第一に、「中国、韓国に対し、日本が劣後してきた」という時代認識は正しいだろうか。たしかにかつてと比べれば中国や韓国は大きな経済力をもつに至った。しかし、一人あたりGNPも含めて、日本が中国・韓国よりも劣るに至ったというのは、元朝日新聞・山田の願望かもしれないが、事実ではないだろう。こんなふうに何げなく、簡単に表現してしまえる感覚というのは怖ろしい。
 第二に、「苛立ち」を肯定的に評価していない、同じことだが、中国や韓国に対する(何についてかは省略するが)反発を正当なものとは見ていない。まさに朝日新聞的だ。
 第三に、「ナショナリズム」を、偏狭なとも排他的とも限定しないまま、<悪>と見なしている。かつてこの欄で問題にした、山田よりも先輩の若宮敬文の文章と同じだ。<ナショナリズムを煽る>=悪、というのは、まさに朝日新聞の感覚に他ならない。
 第四、そのようなナショナリズムの増大によって、「朝日新聞が逆風を受けている」という認識、あるいは状況把握では、適切な朝日新聞への助言などできるはずはないだろう。近時の朝日新聞批判は日本の<右傾化>を背景・原因とする、という、他にも読んだことがある朝日新聞擁護・弁明論を、山田もまた述べているわけだ。
 つぎに、中央公論11月号(中央公論社)における早野透。 
 単独の論考の中で早野は、詐話師(とはここで秋月が使っているのだが)・吉田清治の証言を訂正するのは1997年が限度だった等とも書きつつ、つぎのように述べる。
 ①「朝日新聞は戦後民主主義とリベラルを自らの信念としてきた」、「右派ジャーナリズムは、…戦後日本の基本的価値観に疑問を呈し、朝日新聞こそその攻撃だった」。かかる「右派ジャーナリズムの隆盛は、ナショナリズムの復活の流れにある」(上掲p.52)。
 まさに朝日新聞の「心情」がかつての編集委員・コラム執筆者によって堂々と披瀝されており、愉快なほどだ。
 やはりナショナリズム=悪であることにはもう言及しないが、「朝日新聞は戦後民主主義とリベラルを自らの信念としてきた」とは、元朝日文筆人・幹部自自身が語っていて、説得力?がある。たしか丸山真男は「戦後民主主義の虚妄に賭ける」とか書いたのだったが、早野透は、「戦後民主主義」をより厳密にはいったいどう理解しているのだろうか、そしてそれとGHQの日本占領方針等との関係はどう理解しているのだろうか。
 なお、「右派ジャーナリズム」=「あっち」=敵、朝日新聞=「こっち」という、日本共産党にも共通する対立・矛盾の認識がうかがわれるのも面白い。この点は、他の朝日新聞関係者の文章で明らかなので、別の機会に-余裕があり、文献を探し出せれば-触れる。
 ②「反日」「売国」「国賊」といった言葉が飛び交うのは「知性の劣化」。「朝日新聞が反日のはずがない。日本の悪かった部分を直視し、反省していくことはむしろ『愛国』だろう」(p.52)。
 こうした叙述からは反論・開き直りの姿勢がうかがえ、朝日新聞(のOB)が反省を何もしていないことがうかがえる。②「反日」「売国」「国賊」といった批判はある程度は効いているのかもしれない。そして、朝日新聞の捏造を含む記事によって日本と日本人の名誉・誇りが世界的に傷つけられたのは客観的に明らかなことだから、朝日新聞をウソ記事を書く「反日」、「売国」の新聞、「国賊」たる新聞と評するのはまったく正しいことだ。
 上の最後の一文は、なぜ次のような文章を含まないのだろうか。-「日本の良かった部分をきちんと指摘し、誇りをもち続けることは、『愛国』だろう」。
 朝日新聞は、あえて「日本の悪かった部分を直視し、反省していく」というスタンス、姿勢を基本に据えて、その基本にそうように<ファクト>を歪曲したり、捏造したりしたのではないか。自国を批判するのも愛国だ、などという、それ自体は一見誤りではないような言辞を吐いて、朝日新聞の本質をごまかすな、逃げるな、と強く言いたい。
 ところで、この早野透は、現在、桜美林大学教授らしい。いかなる著書・論文でもって教授に任用されたのだろう。きっと、桜美林大学とは、いいかげんな大学だ。

0825/三島由紀夫「文化防衛論」の一部。

 三島由紀夫「文化防衛論」の末尾(最後の一段落)は、つぎのような文章だ。「昭四三、五、五」という執筆年月日が一番最後にある。
 「私がかういうことを言ふのは、東南アジア旅行で、……、共産主義の分極化と土着化の甚だしい実例を見聞してゐるからである。時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかもしれない。そのときは、代表制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』さへ成立しかねないのである。およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、今さら言ふまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、もつとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるひは利用されたのちに捨てられるか、その運命は決つてゐる。このやうな事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆ーでつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに確実な防止策はない。もちろん、かうした栄誉大権的内容の復活は、政治的概念としての天皇をではなく、文化概念としての天皇の復活を促すものでなくてはならぬ。文化の全体性を代表するこのやうな天皇のみが窮極の価値自体だからであり、天皇が否定され、あるひは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だからである。/―昭四三、五、五―」
 (初出-中央公論昭和43年7月号。決定版三島由紀夫全集第35巻p.50-51(新潮社、2003))
 <文化概念としての天皇>なる概念に拘るつもりはない。 
 「象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかもしれない。そのときは、代表制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』さへ成立しかねない」、という41年前の三島の懸念と予想は現実化しつつあるのではないか。三島の鋭さと今現実にある虞れを、ともに強く感じる(なお、現在の「国民」が「圧倒的多数を以て」「象徴天皇制を支持」していると考えるのは、甘い認識である可能性もある)。
 「〔文化概念としての〕天皇が否定され、あるひは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だ」、という指摘も適確だと思われる。皇太子妃バッシングに耽り、「小和田王朝」うんぬんと能天気なことを話題にする前に、「天皇」(制度)、そして「日本」の危機こそが深刻に意識されなければならないのではないか。雅子妃殿下こそが「天皇」(制度)と「日本」の危機の一因だなどと喧伝するのは狂気の所業だ。また、皇太子妃の「公務」なるものを平気で語る知識人(らしき者)がいるのにも驚いている。
 「〔文化概念としての天皇が崩壊して、〕もつとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるひは利用されたのちに捨てられるか、その運命は決つてゐる」、という指摘も-怖ろしくも-当たっていると思われる。
 
<容共>政権のもとで、米国よりも中国(中国共産党)を選好するような政策が選択されれば、その行き着くところは、<容共>政策のために「利用される」かぎりでの(中国共産党にとって少なくとも邪魔にならない)「天皇」(制度)が残るか、現憲法上の「天皇」条項が国会議員の2/3以上の発議によって国民投票にもとづき削除されるか、ではないか。
 この懸念・憂慮は、まっくの杞憂だとは思えない。心ある日本国民は、現実を深刻に受けとめる必要がある。

0488/「左翼」出版社とその雑誌、講談社と月刊現代-月刊正論6月号(産経)を一部読む。

 月末から月初めは月刊誌の新刊が出るので楽しみだが、感想やメモをこの欄に書ききれないままで月日が経っていった論稿や記事が少なくない。ひょっとして、月刊WiLL6月号(ワック)のいくつかも…?
 講談社の月刊現代といえば、1970年代から80年代の少なくとも前半くらいまでは、月刊・文藝春秋とともに、エンタテイメント性もあり、かつ文藝春秋よりは大衆的・世俗的な愉しいイメージもある総合雑誌だった。
 月刊・正論6月号(産経)の新田均による原武史批判(「『21世紀の皇室』のためにという詭弁」)を読んで、月刊現代は、そして講談社は、ついに「左翼」雑誌・「左翼」出版社に<落ちぶれて>しまったと感じた。
 文藝春秋の月刊・諸君!、中央公論新社の中央公論、PHPの月刊ヴォイスあるいは週刊誌・週刊現代のライバル誌の週刊ポストを発刊している小学館による隔週刊行のサピオに対抗せざるをえないためだろうか。
 月刊現代が立花隆の護憲(改憲反対)のための駄文をまだ連載しているかは知らないが、月刊現代5月号(講談社)は、原武史の皇室・宮中祭祀不要論を「注目論考」として掲載した、という(上記、新田均p.209)。反天皇・反皇室あるいは天皇制度の崩壊につながる議論は<左翼>と称してよい。改憲反対論と天皇制度解体論を掲載していれば立派に「左翼」で、かつ出版社の基本的イメージを決める論壇誌・総合誌がそうでは、講談社自体を「左翼」と見て誤りとはいえないだろう。残念だし、講談社の社員は可哀想だ。
 ついでに、新田均が言及している原武史の本の出版元は、朝日新聞社2、岩波書店1、みすず書房1で、他に朝日新聞社の論座への寄稿も1つある。みすず書房についてはよくは知らないが、朝日・岩波というまさしく顕著な<左翼>出版社が原武史をかつぎ上げ、活躍させようとしていることが分かる。こうまでその傾向が歴然としている著者・出版社関係も珍しいかもしれない。
 内容に立ち入る気は殆どないが、原武史は宮中祭祀の「大部分」は「明治以降」に作られたもので、宮中祭祀を止めても本来の?明治以前に戻るだけ、と主張しているらしい。
 これはおかしいだろう。新田均は「古代そのままではないものの、宮中祭祀の多くは、新嘗祭にしろ、神嘗祭にしろ、賢所御神楽にしろ、古代に行われていたものである」(p.216)等と反論しているが、この論点についてのもっと詳細な叙述と原への反論(原の謬論批判)を書いてほしい。
 それにしても、<左翼>は、性懲りもなく、執拗に、<保守>を、あるいは<日本>を攻撃してくるものだ、と思わざるを得ない。
 日本国憲法はGHQに「押し付けられた」との論が憲法改正論の有力な論拠の一つになっていると感じれば、小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006)という、国民主権等(現九条は含まず)は日本人研究者(たち)の提言によるものとの本が出てくる。
 あの<戦争>と<戦犯>についての<東京裁判>批判が有力になり、パール判事意見書が一つの拠り所とされていると見るや、中島岳志・パール判事-東京裁判批判と絶対平和主義(白水社、2007)等が出てくる。
 天皇制度が彼らにとっての究極的な障害になるので、今から、実質的に天皇家を歴史的・伝統的な天皇制度とは無関係のものにしようとする原武史の本が数冊も出てくる。
 ついでに言えば、丸山真男はとっくに歴史上(過去)の人物・思想の筈だが、岩波は1995年から全集、書簡集などを刊行して丸山の現在への力を維持しようとしているが如くであり、この欄であえて取り上げなかったが、長谷川宏・丸山眞男をどう読むか(講談社現代新書、2001)などという、素人同然のエピコーネンが丸山真男を賛美するだけの本も生まれている。
 まことに精神衛生に悪い。言論・出版の自由のもと、国論の基本的な分裂を抱えたまま、「日本」は何とか生きながらえていけるのだろうか。憂いは相変わらず、深い。
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