秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

中北浩爾

2705/池田信夫のブログ033—日本共産党・松竹伸幸②。

 池田信夫ブログマガジン2024年1月22日号から。同じ一節から、さらに感想等を記す。
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  池田はこう書く。
 「私は上田耕一郎とは一度、話したことがあるが、宮本のスターリニズムとはまったく違う気さくな人だった」。
 上耕と話したことがある、ということが書きたかったことかもしれない。しかし、一度話したくらいで、ある一人の日本共産党員が「スターリニズム」でない「気さく」な人だったと論定することは不可能だろう。たしかに、上田耕一郎が相対的に「自由に」語っていた印象は、私にもある。
 しかし、共産党員というものは、非党員・「大衆」に対して<演技>を平気でするものだと思う。直接には気さくに、愛想よく接しながら、党員たちだけの内輪の会合では、その非党員について辛辣な批評をし、ときには罵倒するくらいのことを平気でしているかもしれない。共産党員というのは、真面目であればあるほど、「内」と「外」を使い分ける、ある意味では<スパイ>のような二重人格者ではないか。
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  松竹伸幸は、近年では日本共産党中央とは一致していないらしき主張をしていたから、とっくに党員でなくなっていた、と私は何となく推測していた。だから、最近までまだ党員だったと知って驚いた。
 しかも、党中央による「除名」決定を不服として「再審査請求」とやらをしているらしい。
 ということは、自分の除名は不当だ、自分をまだ日本共産党員のままでいさせろ、と主張していることになるだろう。
 松竹さん、そんなに「日本共産党員」でいたいのかね
 批判しているような党中央をもつ政党など、喜んで辞めてやる、ということにならないのか、不思議でしようがない
 松竹伸幸の近年の行動は、<最後に一花咲かしたい>という程度のものでないか。その影響を受けて、朝日新聞社説が松竹への実質的支持と日本共産党への注文を書いたというのだから(私は読んでいない)、茶番劇であっても、ある程度の波風を立てるものだ(池田信夫までもが取り上げた)。 
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 ネット情報等によると、松竹伸幸は2000年の第22党大会前後に日本共産党中央委員会職員として政策委員会外交部長(2004年)等の要職にあり、2001年7月には参議院議員選挙に日本共産党の候補として立候補した(落選)。そして、2005-6年までは、中央委員会の事務局職員だったらしい。
 ということは、おそらく間違いなく、この人物は2000年の志位和夫・幹部会委員長による指導体制の発足を少なくとも容認し、その中で少なくとも5年程度は生活してきた
 にもかかわらず、種々のことがあったのだろうが、その後の彼の活動を党中央が問題視し始めるや、志位和夫の党内出自や経歴を批判し始めたのだとすれば、その心情は決して高潔なものではない(委員長公選制の主張など、この党にとっては奇抜な論点だ)。秋月は松竹伸幸という人物をほとんど「信用」していない。
 なお、松竹伸幸がまだ正統な?党員だった時代に出版した書物に、以下がある。いずれも、志位和夫・幹部会委員長の時期に出版されている。
 松竹伸幸・ルールある経済社会へ(新日本出版社、2004)
 松竹伸幸・レーニン最後の模索—社会主義と市場経済(大月書店、2009。これは、レーニンの1921年のネップ政策を擁護・称讃するもので、日本共産党・不破哲三の<市場経済を通じて社会主義へ>論に沿うものだった)。
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  池田信夫の叙述に戻ると、その小論の表題(「共産党が選ぶことのできた『もう一つの道』」にすらしているが、池田は、日本共産党が取り得た「もう一つの」可能性として、「党内闘争で上田兄弟が勝っていたら『社公民』に近い立場になり、野党を大同団結させて政権をになう社民勢力ができたかもしれない」と考えているようだ。
 しかし、池田の言う「今さら言ってもしょうがないないが」という以上に、そんな可能性がわずかにでもあっただろうか。
 日本共産党はコミンテルン日本支部として出発した、そのかぎりで「社民」主義と決別して発足した政党だ。それを維持して、日本社会党は、ある時は是々非々であっても、異質で対抗する政党だと自己認識してきた。
 したがって、「上田兄弟」路線の勝利→「社民」勢力の大同団結のためには、以下が必要だっただろう。すなわち、戦後すみやかに、または遅くとも1961年党大会=宮本体制発足までに、それまでの、「マルクス=レーニン主義」に立つ日本共産党と(かりに名前だけは維持するとしても)実質的に異なる政党になったと宣言しておくこと。
 宮本顕治には、過去の自分史からして、そんなことはできなかった。そしてまた、1970年に宮本委員長のもとで書記局長になり、1982年に宮本議長のもとで委員長となった不破哲三も、そんな可能性を(本心では)想定していた、とは思えない。不破は、宮本顕治によってこそ選抜されたのだ。
 「社民」主義への転換の最も良い機会は、1991年末のソヴィエト連邦解体だったかもしれない。欧州の「共産党」は雪崩を打ったようにソ連解体に対応し、大雑把に言うが、解党するか、「レーニン主義」政党ではなくなった。
 しかし、日本共産党は、<ソ連は社会主義国家ではなかった>と再定義して、その基本的立場を変えなかった。宮本顕治の力の弱化からしても、「社民」主義への転換の絶好のチャンスだったかもしれないが、1994年党大会までに実権をほぼ握ったかに見える不破哲三は、その「道」を選ばなかった。
 「上田兄弟」の(本音での)主義・路線なるものは、幻想であるか、または彼らの自己批判までにかぎって存在したもののように見える。
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  日本共産党が<社民主義>政党に転換または変質する可能性は、かなり読まれたらしいつぎの書物でも論及され、かつその可能性が肯定(または推奨)されているようだ。論評・感想を予定しつつ、まだこの欄でこの点に触れていない。
 中北浩爾・日本共産党(中公新書、2022)
 その可能性は、ないだろう。そのためには、1922年以降の全ての党の歴史を否定し、当然ながら「科学的社会主義」のもとで「社会主義・共産主義」の社会を目ざす、とする現在の党綱領を廃棄しなければならない。
 そんなことをこの党はできない。そして、ずるずると弱体化・劣化していく道を歩んでいくだろう。当然ながら、レーニンが1902年の「何をなすべきか」が示した<前衛>党組織・意識、1921年ロシア党大会で導入した<分派禁止>原則を、日本共産党が今になって、根本的なところで否定できるはずはない。
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2640/中北浩爾・日本共産党(中公新書、2022)①。

 中北浩爾・日本共産党—「革命」を夢見た100年(中公新書、2022)
 出版直後ではなく、数ヶ月あとに読了している。あまり記憶には残っていないが、この書の一部を再読して、日本共産党やこの書自体に関して、感想等を述べておく。
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  上の中北著は「はじめに」で、欧州の「急進左派政党」との比較、「ユーロコミュニズム」と日本共産党の「宮本路線」の異同の検討がその歴史も含めて必要だとし、それら等をふまえて「終章」で現状分析と当面する「選択肢」を論じる、とする。
 矛盾してはいないのだろうが、しかし、「終章」では欧州の「急進左派政党」や「ユーロコミュニズム」に言及することは少ない。但し、「社会民主主義への移行」と著者が推奨するらしき「民主的社会主義への移行」という選択肢の提示に役立っているのかもしれない。
 そうすると「社会民主主義」と「民主的社会主義」の区別が重要になる。そして、日本共産党の現在の綱領の骨格を維持した日本「共産党」という名称のままで可能なのか、も問題になる。中北は後者には論及していないようだ。
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  「ユーロコミュニズム」と日本共産党「宮本路線」が同じではないのは共産主義政党の成立以来の歴史から明瞭なことで、あらためて指摘するまでもない。
 封建制→(絶対主義)→資本主義→社会主義という「歴史の発展法則」が(マルクス・エンゲルスによって提示されたように)存在するとすれば、封建制・絶対主義以降の国家・「革命」政党にはこれらから決別する「(ブルジョア)民主主義革命」とそれはもう遂行されたとみて「社会主義革命」を目指すかの選択が強いられたはずだ。フランスやイタリア等では「社会主義」革命という一段階だけが残っていた。
 日本共産党はいわゆる「講座派」の立場から前者の<二段階>革命論を創立時から採用していたのは、諸テーゼからも明らかだ。
 戦前の綱領的文書は日本共産党が独自に策定したのではなく、ロシア・ソ連の共産党(・コミンテルン)に「押しつけられた」面が決定的だっただろう。ロシア帝制は1917年2月に崩壊したにもかかわらず天皇制がまだ残っている戦前の日本にはまだ「(ブルジョア)民主主義革命」だ必要だ、とロシアのボルシェヴィキたちは容易に判断したのかもしれない。
 もっとも、第一に、レーニン「帝国主義論」(1917年9月刊行)によると、「帝国主義」とは資本主義の「最高の」、「独占主義的」段階のようなのだが、そうすると、日本は「半封建的絶対主義天皇制」のもとで「帝国主義」戦争を遂行していたことにになる。これは、概念または語義に矛盾をきたしていたのではなかろうか?
 第二に、帝政崩壊を招来したロシア「二月革命」が、「(ブルジョア)民主主義革命」だったかは、疑わしい。
 それ以降も、来たるべき「革命」の性格や担うべき政党・運動の性格や共産党とプロレタリアートや農民の役割分担等々について、メンシェヴィキとボルシェヴィキの間等で、議論があった。
 中核にいるべきは「自分(たち)」だという点でレーニンは一貫していただろう。しかし、上の点に関するレーニンの主張・理解が明瞭だったとはいえない。「全ての権力をソヴェトへ!」とのスローガンを1917年四月から「十月」までずっと掲げたのでもない。
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 中北著もまた、100年間で日本共産党が「変わらない部分」は、「日本が当面、目指すべき革命の内容として民主主義革命を位置づけ、その後に社会主義革命を実現するという、二段階革命論をほぼ一貫して採用してきてこと」だ、と明記している。この点は現在の同党綱領を読んでも明らかだ。
 戦前の労農諸派、戦後の日本社会党との対抗の意味もあっただろうが、中北も頻繁にこの概念を用いているらしき「二段階革命論」の採用こそが、欧州のかつての共産党のほとんどとの違いであり、1991年12月以降も日本共産党がなおも勢力を残存できた根本的な「理論的」背景だったと考えられる。そしてまた、「民主主義」科学者協会法律部会(民科)の会員のような、「民主主義」のかぎりで一致する者たちを党(・日本共産党員学者)の周囲に置くことができた原因でもあった。
 なお、ロシアでのこの問題に関する事情の判断は容易ではないが、連続する(永続的)「二段階革命」論というのはトロツキーのほか、「革命の商人」とのちに言われた、レーニン・ボルシェヴィキへのドイツ帝国からの資金援助を媒介したともされるパルヴス(Parvus)によって唱えられていた、ともされている。トロツキーは1917年7月に遅れて入党したボルシェヴィキで、弁舌に秀でていたともに「理論家」でもあったようだ。
 なお、以下を参照。R・パイプスの著(試訳)→No.1453→No.1551L・コワコフスキの著(試訳)→No.1610→No.1661
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 つづく。
  
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