産経・阿比留瑠比氏の永田町取材日記・阿比留のブログ(産経、2007.02)のp.231に、次の文がある。
 「私が永田町界隈で実感しているのは、「政治家は60代とそれ以下では考え方がかなり違う」「60代半ばの人はGHQの影響(戦後民主主義教育など)が強すぎる」ということです」。
 前回の私のblog-entryで「団塊」世代に限らずその上のいわば「60年安保」世代阿比留氏の上の文のあとでは「全共闘世代」と区別される「安保世代」とのみ表現されている)の相当部分もすでに「病」に汚染されていた旨を書いたが、上の阿比留氏の叙述は、私の「直感」とほとんど同じものだ。かりに現在65歳の政治家がいるとすると、その人は1941~42年生まれで、1948~49年に学齢期に入ったときはまだGHQによる占領下だったのだ。
 占領下教育を受けているか否かは考え方の形成にもなにがしかの影響の違いをもたらした、と考えるのは自然だろう。
 前回の私のblog-entryではまた、1952年頃~1928-29年生まれは「革新」傾向が強い旨を書いたのだが、下限はともかく、上限の「1928-29年生まれ」には首を傾げる方も多いかもしれない。現在70歳代後半の人々(ご老人)は、「保守的」ではないか、と。
 私も統計資料的にはそのような結果が出るのではないかとも思うのだが、上のように書いたのは、1930~1935年生まれ、つまり昭和一桁後半(昭和5年-10年)生まれの世代は、「独特な世代」で、全体からすると少数かもしれないが「左翼」系の人が今も目立つ、と感じているからだ。このことから少し幅をもたせて1930年で区切らず「1928-29年」にしたのだった。このあたりを、もう少し敷衍しよう。
 西尾幹二・わたしの昭和史2(新潮選書、1998)p.32-33によると、GHQ・米国そして欧米流の民主主義と歴史観・戦争観に貫かれた文部省の教科書「民主主義」上・下が1948年10月・1949年8月に刊行され、1953年まで中学・高校で使われた。この本を13歳~18歳の間に1948-53年に読んだ人々は、1948年に13-18歳の者が最初、1953年に13-18歳の者が最後で、少し煩瑣な計算を要するが、1930-40年生れの者たちになる。
 また、上の本を基準にしないで単純におおむね1946-1951年の「占領」下の戦後教育を受けたか否を基準にして言うと、まず、1946-1951年に学齢期の7歳になるのは、1939年~1944年生れの人たちだ。立花隆氏らで、ほぼ「60年安保」世代だといえる。なお、中西輝政氏や長谷川三千子氏は1945年以降生まれで、むしろ「団塊」世代そのものか、それに近くなる。
 つぎに、1946年に7歳の子よりも影響を受けやすいと思われる11歳になるのは、1935年生れの人だ。10歳とすると1934年生れの人になる。「占領」は約6年半続いたが、1946年に10~11歳だった人たちは1951年には15~16歳になり、「独立」=主権回復した1952年には16~17歳となり、その後も(新制高校に進学していれば)教育を受けた。
 上の段落で書いたことを別の観点から見ると、1934-35年生れの人は7歳~9-10歳は戦前の教育を、10-11歳~15-16歳は「占領」下教育を、16-17歳以降は「ふつうの」戦後教育を受けた、ということが判る。この3つの時期のうち、人格の形成にとって重要なのは、あえていえば10-11歳~15-16歳の時期ではなかろうか。そのような時期に1934-35年生れの人はGHQによる「占領」下の教育を受けている。
 以上は、1946年に10-11歳になる人を想定したが、1946年に15-16歳になった1930-31年生れまで下げれば、1930~35年生れの世代が「占領」下教育を体験したことになる。この世代の人は戦前の教育をも受けており、所謂「教科書墨塗り」も経験している筈だ。
 というわけで、私は1930~35年生れの世代は「独特の世代」だと見なしている。そして、この世代に属して、現在もなお活躍中の人が目立つ。具体的に例示しよう(以下には故人も含む)。
 (1929年-奥平康弘)
 1930年-不破哲三、降旗節雄、国弘正雄、芝田進午、澤地久枝、半藤一利、野坂昭如、佐々淳行、岡崎久彦
 1931年-本多勝一(32年・33年説もある)、高橋和巳、鹿野政直、吉川勇一、山田洋次、本岡昭次、篠田正浩、曽野綾子、岡田英弘
 1932年-小田実、青島幸男、大島渚、内橋克人、早乙女勝元、五木寛、石原慎太郎、小室直樹、江藤淳
 1933年-永六輔、天野祐吉、廣松渉、森村誠一、矢崎泰久、吉田喜重、小田晋、柿沢弘治、篠沢秀夫、西部邁、小堀桂一郎
 1934年-井上ひさし、松井やより、樋口陽一、大橋巨泉、田原総一朗、黒川紀章、山崎正和、稲垣武、高坂正堯
 1935年-大江健三郎、筑紫哲也、中村政則、倉橋由美子、柴田翔、羽田孜、宮内義彦、西尾幹二。
 なかなか錚錚たる人物群だ。奥平康弘、井上ひさし、大江健三郎、小田実、澤地久枝は「九条の会」の9人の呼びかけ人のうちの5人だが、どちらかというと(上に挙げたのも明瞭な基準があるわけではないが)他の世代に比べて「左翼」の有力者が目立つ、とは言えないだろうか。「保守派」のリーダーたちもいるが。
 こういう氏名を見ていて、第一に、「団塊」世代の者たちの著名度はまだまだ低い、そして第二に、「1930-35年生れ」世代は、上述のような人間形成過程・<生まれ育った時代>と無関係とはいえない「独特な世代」だ、と感じてしまうのだ。