秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

万世一系

2148/「邪馬台国」論議と八幡和郎/安本美典⑤。

 日本の天皇(さらに卑弥呼・天照大御神まで)に関する安本美典の「年代論」は、すでに言及している、つぎの一部にも書かれている。
 安本美典・邪馬台国と卑弥呼の謎(潮文庫、1987)。
 つぎの著にも、興味深い資料が掲載されているので、紹介しておこう。
 安本美典・新版/卑弥呼の謎(講談社現代新書、1988)。
 この著p.93以下によると、徳川幕府の各将軍、足利幕府の各将軍、鎌倉幕府の将軍・執権の「在位」年数の平均は、ぎのようになる。それぞれについて、各将軍等ごとの「補任・辞任」の年の一覧表(後二者については「月」も)掲載されているがここでは省く。
 最終的にはつぎのとおり。Bでは空位期間を含む/含めないの二つがある。
 A/徳川幕府・15代・1603~1867年-平均17.67年
 B/足利幕府・16代・1338~1573年-平均14.69年/13.50年
 C/鎌倉幕府・19代・1192~1333年-平均08.32年
 日本の3例の比較だが、時代が古くなればなるほど短くなっている。
 中国の「王」の在位年数の、世紀別平均年も掲載されている。根拠となる史料は、東京創元社・東洋史辞典の巻末「アジア各国統治表」のうちの「中国歴代世系表」上の、「即位・退位」時期のようだ。複数の王朝に分立している場合は、それら全てを合算して計算していると見られる。
 A/17~20世紀・15王・延べ334年-平均22.27年
 B/13~16世紀・33王・延べ476年-平均14.42年
 C/09~12世紀・96王・延べ1308年-平均13.63年
 D/05~08世紀・83王・延べ845年-平均10.18年
 E/01~04世紀・96王・延べ965年-平均10.05年
 時代が古くなればなるほど、短くなっている。計算の詳細な過程は書かれていないけれども。
 何のために安本美典がこういう作業をしているかというと、日本の各天皇の「在位」のおおよその期間を推論するためだ(なお、卑弥呼または天照大神の世代にまで及ぶ)。
 安本美典は、珍しく?、欠史八代も含めて、神武とそれ以降の天皇の「実在」を想定する。この点で、八幡和郎と同じだ。
 但し、安本はさらに神武以前の天照大御神までの「世代」数(5)も、日本書記に書かれているとおりだと仮定する。但し、日本書記上の生没年等の記事は(ある天皇以前は)全く信用しないし、直系継承ではなかっただろうともほぼ断定する。
 一方、八幡和郎による「崇神」=「壱与」までの推論の計算根拠は定かではなく、神武と崇神の間の代数については、「実在」か否かを疑っているフシもある。以下がその部分の叙述だ。下掲書、p.30ー31。
 「もし、神武天皇から数えて崇神天皇が10世代目というのなら、神武天皇はだいたい西暦紀元前後、つまり金印で有名な奴国の王が後漢の光武帝に使いを送ったころの王者だということになります。
 しかし、10代めというのは少し長すぎるので、実際には数世代くらいかもしれないとすれば、2世紀のあたりかもしれません。」
 八幡和郎・皇位継承と万世一系に謎はない(扶桑社新書、2011)。
 八幡によると、崇神天皇は「3世紀中頃から後半」(上掲書p.30)。
 上の前半は神武~崇神をおよそ250-270年間とするようだ。かりに神武「全盛」期を紀元0年前後とし、崇神の「3世紀中頃から後半」を260年だとし、そして10世代・10天皇で割ると、一天皇在位平均は、26年になる。280年だとすると、28年になる。
 上の後半では、「数世代」=「3世紀中頃から後半」マイナス「2世紀のあたり」だ。
 かりに「数世代」=2~4世代で、かりに「3世紀中頃から後半」を260年、「2世紀のあたり」が110年、だとすると、260-110=150を前提として、1世代=150÷2~4で、平均は37.5年~75年、ということになる。しかし、「かりに」が多い。いずれにせよ、八幡和郎における「推論」・「推測」の計算根拠はよく分からない。

2026/池田信夫のブログ012-小堀桂一郎。

 小堀桂一郎、1933~。日本会議副会長。
 櫻井よしこや江崎道朗等々は「日本」やその歴史を、聖徳太子も含めて、語る。
 その場合に、参考文献として明記していなくとも、日本会議の要職にずっとある小堀桂一郎の書物を読んでいないはずはない、と想定している。
 櫻井よしこは日本会議現会長の田久保忠衛について、「日本会議会長」とも「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の(櫻井と並ぶ)「共同代表」とも明記せず、平然と「外交評論家の田久保忠衛氏は…」とか「田久保忠衛氏(杏林大学名誉教授)は…」とかと書いて頻繁に(週刊新潮等で)言及している。
 このような「欺瞞」ぶりだから、日本会議の「設立宣言」や「設立趣意書」、あるいは日本会議の要職者・役員が執筆した文献を文字どおりに<座右に>置いて文章を「加工作成」しつつも、本当の参照文献としてそれらを明示することはない、ということは当然に容易に推測できることだ。
 このことは、例えば聖徳太子についての、元日本会議専任研究員の江崎道朗の文章についても言えるだろう。
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 池田信夫ブログマガジン2017年10月30日号「皇国史観の心情倫理」。
 小堀桂一郎・和辻哲郎と昭和の悲劇(PHP新書、2017)に、つぎのように論及している。
 ・「右翼にも心情倫理がある」。小堀桂一郎は「それを語り継ぐ数少ない戦中世代だが、その中核にあるのは皇国史観」だ。
 ・<皇室のご先祖である初代の神武天皇>から説き起こす歴史は「学問的には問題外」だ。だが、「心情としては理解できる」。
 ・小堀は和辻哲郎の考え方(の一端)を「敷衍」して、「『万世一系』の天皇家が続いていること自体が正統性の根拠だという考え方が、日本人の自然な歴史認識だという」。
 「このような美意識」は戦前の「立憲主義」で、「天皇中心の憲法を守るという意味」だが、これは「明らかに明治以降の制度であり、日本の伝統ではない」。
 ・小堀は和辻を「援用」して、「明治憲法は鎌倉時代までの天皇中心の『国体』に戻った」、鎌倉「幕府」以降の「700年近く、日本の伝統が失われてきた」とする。
 「これは歴史学的にも無理がある」。「万世一系というのも幻想にすぎない」。
 ・「明治の日本人を統合したのが天皇への敬意だったという心情倫理は、その通りだろう」。和辻のいう「集合的無意識」のようなものだったかもしれない。
 以上。
 上に出てくる「心情倫理」は丸山真男が「責任倫理」とともに使った語のようで、池田のいう「心情としては理解できる」という文章も、厳密には「心情倫理」概念にかかわってくるのだろう。
 上の点はともかく、ここでも感じさせられるのは、「歴史学」という「学問」または広く「人文社会科学」ないし「科学」と、上に出てきた言葉を借りれば「心情」・「美意識」の違いだ。あるいは、<歴史>や<伝統>に関する「学問」と「物語」・「叙情詩」・「思い込み」の違いだ。
 小堀桂一郎もむろんそうだろうが、長谷川三千子も櫻井よしこも、もちろん江崎道朗も、「学問」として日本の<歴史>や<伝統>を追求するのではなく、<物語・お話>として美しくかつ単純に「観念」上(自分なりに)構成できればそれでよい、と考えているように見える。
 人文社会科学の「学問」性・「科学」性あるいは歴史叙述に際しての「主観」的と「客観」的の区別などは、おそらくどうでもよいのだろう。
 日本の<歴史>や<伝統>に関して、賀茂真淵でも本居宣長でも和辻哲郎等の誰でもよいが「先人」・「先哲」の文献・文章を重要な<手がかり>として理解しようとしても、それは、その各人の観念の中にあった、やはり<観念世界>なのであって、<観念の歴史>の研究にはなるかもしれないが、<歴史>そのものの研究にはならない。
 <観念の歴史>の研究が無意味だとは、全く考えていない。
 「神」・「神道」意識も「天皇」意識も、あるいは日本での又は日本人の「怨霊」・「魔界」意識等々にも、おそらくは強い関心をもっている。
 「意識」・「観念」が現実を変えてきた側面があったことも、認めよう。
 だが、「日本の神々」・「天皇」等々が独り歩きして現実の日本を作ってきたような歴史観をもつのは、あるいは<本来の、正しい>歴史がある時期に喪失したとか回復したとか論じるのは、観念・意識と「現実」の区別を(無意識にせよ)曖昧にしがちな、ひどく「文学」的、あるいは「文学部」的な発想だ。
 なお、池田信夫ブログマガジンの上の2017年の号には、①「スターリン批判を批判した丸山真男」、L・コワコフスキの大著に紹介・論及する②「マルクス主義はなぜ成功したのか」もあって、なかなか密度が濃い。

2012/池田信夫のブログ010-天皇・「万世一系」。

 菅義偉官房長官は天皇位は「古来例外なく男系男子で継承してきた」=女系天皇はいなかった、との政府見解(政府の歴史認識)を明言しているが、これは「正しい」または「適切な」ものなのか。①「古来例外なく」とはいつからか。②「男系」・「女系」という意識・観念はその「古来」からあったのか。
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 池田信夫ブログ2019年5月5日付「『男系男子』の天皇に合理的根拠はない」。
 ・愛子様への皇位継承に反対する人々は「かつて『生前退位』に反対した人々と重なっている」。
 ・<男系男子継承は権威・権力を分ける日本独特のシステム>と言うのは「論理破綻」しており、「権威と権力が一体化した中国から輸入したもの」
 ・「江戸時代には天皇には権威も権力もなくなった」。
 ・「天皇家を世界に比類なき王家とする水戸学の自民族中心主義が長州藩士の『尊王攘夷』に受け継がれ」、「明治時代にプロイセンから輸入された絶対君主と融合したのが、明治憲法の『万世一系』の天皇」だった。
 ・旧皇室典範が男系男子としたのは「天皇を権威と権力の一体化した主権者とするもの」で、古来のミカド…とはまったく違う「近代の制度」だった。
 ・日本の「保守派には、明治以降の制度を古来の伝統と取り違えるバイアスが強いが、男系男子は日本独自の伝統ではなく、合理性もない」。
 ・「男系男子が『日本2000年の伝統』だというのは迷信」だ。
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 この池田ブログ・アゴラ5月5日付は丁寧に、「男系男子は権威と権力を分ける日本独特のシステム」は八幡和郎の意見ではないとして、「訂正版」と銘打つ。
 但し、「権威と権力を分ける」は別として(この「権権二分論」は西尾幹二にも見られる、西尾を含めての<いわゆる保守>または「産経文化人」の有力主張だ)、八幡和郎の<万世一系>に関する見解・意見の重要部分は、つぎの文章でも明らかだ。
 八幡和郎「万世一系: すべての疑問に答える」アゴラ2019年5月31日付。
 ・日本が外国と異なるのは「万世一系の皇室とともに生まれ」、独立を失ったり分裂したことがないとされることだ。
 ・「女系天皇を認めるべきだという議論…」、「こうしたトンデモ議論…」。
 上の両者をつなげると、八幡和郎は「万世一系の皇室」に肯定的であり、かつそこには「女系天皇」を含めていない、と理解してよいだろう。
 そうすると八幡和郎はおそらくは、池田信夫のいう「明治以降の制度を古来の伝統と取り違える」「男系男子」論という「迷信」に(2000年とまでその歴史の長さを見るかは別として)嵌まっていることになる。
 「皇統」はこの<男系男子>天皇で続いてきた、かりに「女性」天皇はいてもかつて「女系天皇」は存在しなかった、というのは、現時点以降の皇位継承のあり方について、可能なかぎり「女性」天皇も認めない、それにつながる可能性のある「女性宮家」の設立も認めない、という<いわゆる保守>派の主張の有力な「歴史的」根拠になっている、と見られる(これは、現行皇室典範(=明治憲法期のそれと同じく男系男子論を採用)を改正する必要は全くない、という主張で、この部分については現行皇室典範に触るな、という主張でもある)。
 八幡和郎には、つぎの書物もある。一つだけ。
 八幡和郎・皇位継承と万世一系に謎はない(扶桑社新書、2012年1月)。
 熟読していないが、上に触れたことと併せてこのタイトルも見ただけでも、八幡の意見・見解が池田信夫とはかなり異なることは十分に推測することができる。
 上に記した、かつて日本に「女性」天皇はいても「女系天皇」は存在しなかった、というのは、例えば典型的には、<いわゆる保守>派の中でもまだ相対的には理知的だと感じてきた西尾幹二についても明言されている「歴史認識」だ。
 西尾幹二発言・西尾幹二=竹田恒泰・女系天皇問題と脱原発(飛鳥新社、2012)p.11。
 「歴史上、女性の天皇が8人いますが、緊急避難的な"中継ぎ"であったことは、つとに知られている話です。そうしますと男系継承を疑う根拠は何もない。
 なお、この発言の頭書の見出しは、<女系容認は雑系につながる>。
 また、「緊急避難的な"中継ぎ"」の部分についての編集者らしき者による注記は、「いずれも皇位継承候補が複数存在したり、幼少であったことなどからの」緊急避難的措置だった、と記している(同上、p.13)。
 男子継承の理念?を最優先すれば、複数の男子候補のいずれかを選ばざるを得ないのではないか、と思うのだが。また、文武(男子)は何歳で即位したのか?。
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 さて、いくつか、コメントしておきたい。
 まず手近に上の西尾発言、というよりも<いわゆる保守>の公式見解・公式歴史認識らしきものについて。
 ①過去の全ての「女性」天皇について、上の意味のような「緊急避難」的措置だったことを、8天皇ごとに、具体的かつ詳細に説明する必要がある。
 「女性」天皇による重祚の例が2回あるが、その各回についても、背景事情を詳しく説明すべきだ。
 西尾幹二はむろんのこと、男系男子論者(この点についての皇室典範改正不要論者)がこれをきちんと行っているのだろうか。
 <男系男子論>(これは日本会議・同会議国会議員連盟の主張のようでもあるが)を「社是」としているらしき産経新聞社(あるいは同社関係雑誌・月刊正論編集部)は、これをきちんと行ってきているだろうか。
 また、日本史学界を全幅的に信頼しはしないが、上の「歴史認識」は学界・アカデミズムではどう評価されているのかも気になる。
 ②そもそも皇位継承について、「男系」と「女系」の区別は、明治維新以降はともかくとして、皇室関係者その他の各時代の論者・社会の各分野で、どの程度明確に意識または観念されてきたのだろうか。
 ア/聖武天皇皇后(光明子)が初めて「民間」(といっても藤原氏)出身らしいのだが、そうすると、それまでの皇后は、そしてのちに「女性」天皇となった前皇后は(なお、全「女性」天皇がかつて皇后だったわけでは必ずしもない)、当然に「皇族」だった。
 とすると、全ての「女性」天皇は、その父親が天皇だったかを問わず、全て「男系」ではある。
 イ/一方で、例えば持統天皇(天武天皇皇后)の子や孫で天皇になった人物は、男女を問わず、天智・天武の血統であっても、持統天皇の皇統?にあるという意味では、「女系」天皇だと観念または理解して、何ら誤っていない、と思える。なお、高市皇子・長屋王は持統の子・孫ではない。
 ウ/具体的にいえば、孝謙天皇・称徳天皇(同じ一女性)は、いかなる「緊急避難」的必要があって、二度も天皇位に就いたのか?
 西尾幹二は、これらを実証的に、歴史的に、説明できるのだろうか。
 エ/すでに書いたことだが、少なくとも奈良時代後期の光仁天皇までは、天皇は「男系男子」でなければならないなどという観念・意識はまったく支配的ではなかった、と思われる。
 まだ十分に確認していないし、母親の地位・「身分」が問題にされたことも承知はしているが、持統天皇就位のとき、年齢的にも問題のない<男系男子>はいなかったのか。これは、奈良時代の全ての「女性」天皇について言える。また、わざわざ男系男子の淳仁天皇を廃して孝謙が称徳としてもう一度天皇になったのは、いかなる意味で「緊急避難的な"中継ぎ"」だったのか。「つとに知られている話」とはいったい何のことか。
 西尾幹二は、あるいは日本会議派諸氏、あるいは八幡和郎は、これらを実証的に、歴史的に、説明できるのだろうか。
 おそらく明らかであるのは、<男系男子>を優先するなどという考え方あるいは「イデオロギー」は、この当時はまだ成立していなかった、少なくとも支配的ではなかった、ということだ。男系男子の有資格者がいたにもかかわらず「女性」天皇となった人物がいるだろう。
 なお、高森明勅と大塚ひかり(新潮新書、2017)のそれぞれの「女系天皇」存在の主張には言及を省略する。元明ー元正。元正の父は草壁皇子で天皇在位なし。元明は持統の妹。
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 少し遡った議論を、一度行っておこう。
 第一。今後の皇位(天皇位)継承のあり方につつき、日本の「古来の」伝統的に立ち返ることが一般的に非難されるべきことであるとは思えない。
 しかし、将来・未来のことを「歴史」や「伝統」だけで決めてしまってよいのか。
 そのような発想を、「伝統」や「歴史」を重視するという意味では、私自身もしたことはある。しかし、かりに、または万が一「男系男子」で継承が「伝統」・「歴史」だったとしても、将来をもそれらが未来永劫に日本国民を拘束するとは考えられない。
 かりに天皇制度の永続を最優先事項とするならば、「女性」天皇はむろんのこと「女系」天皇も認めないと、そもそも天皇制度を永続させることができなくなる、という事態の発生の可能性が全くないとは言い難い。
 かりにそうして「女系」天皇が誕生したならば、それは、日本は従来とは異なる(しかし「天皇」制はある)新しい時代に入った、ということになるにすぎない、と考えられる。
 こういう発想に対して、「男系男子」論者は、おそらくこう言うだろう。
 そんな天皇は「本来の天皇」ではない、「天皇制度」が継続されているとは全く言えない、と。
 そのとおりかも知れず、気分はよく分かる。しかし、そう主張し続けることは、男系男子が皇位を継承しなければ「天皇」とは言えない、「天皇制度」ではない、と言っているに等しく、これは、<天皇制度の廃止>を実質的には主張している、または同意していることになる。
 偏頗な「男系男子」論は、じつは<天皇制度の廃止>をも容認する議論に十分につながってしまう。
 第二。こういう議論に対して、「男系男子」論者はおそらくこう主張するのだろう。
 天皇(男性)に側室・私妾を認めて男子が誕生する可能性を拡大する、と主張はしない、だからこそ皇室・皇族の範囲を拡大して皇位継承資格のある男子の数・範囲を広げることが喫緊なのだ、と。いわゆる<旧宮家・皇族復帰論>だ。
 しかし、ここで絶対に検討しておくべきであるのは、<旧皇族復帰>を現実化する、つまり法制上の「皇族」を拡大することの現実的可能性だ。
 つまり、「旧皇族または旧宮家」(この範囲には議論の余地はある)にどの程度の人数(男子)がおり、彼らが(いたとして)どういう「意思」であるかの問題は全く別の問題として、<旧皇族復帰論>を現実化するためには、皇族範囲を定めている皇室典範(法律)を改正する必要がある。または新しい特別法を制定する必要がある。
 要するに、上の方向で皇室典範(法律)が改正される現実的可能性がいかほどあるか、だ。
 しかして、「法律」であるがゆえにその改正には両議員の国会議員の過半数の同意を必要とする(特例等は省略)。そして、現在および今後の日本の国会は、上のような趣旨の皇室典範(法律)改正・特別法制定を議決する可能性が、いかほどにあるのだろうか。
 西尾幹二はつぎのことも、新天皇・新皇后に「お願い」している。
 西尾「新しい天皇陛下にお伝えしたいこと/回転する独楽の動かぬ心棒に」月刊正論2019年6月号p.219。
 「安定した皇統の維持のために、旧宮家の皇族復帰、ないしは空席の旧宮家への養子縁組を進める政策をご推進いただきたい」。
 まさか西尾幹二が皇室典範は天皇家家法であって天皇(・皇后)の意向でいかようにも改正できると考えているとは思えないが、天皇(・皇后)に一定の皇室「政策」の推進を求めるのはいささか筋違いで、八木秀次によって「国政」介入の要請と厳しく批判される可能性もある。建前論としては国会・両議員議員に対して行うべきものだ。
 第三。この機会に少しだけ立ち入れば、「旧宮家の皇族復帰」等の趣旨でかりに皇室典範改正の基本方向が国会で賛同を得たとしても、検討する必要がある、そして必ずしも簡単に解決できそうにない法的論点がいくつかあると思われる。
 例えば、①対象者(旧宮家の後裔たる男子)の「同意」は必要か否か。必要であるとすると、「同意」しない者は対象者にならないのか。
 ②高度の「公共」性(天皇制度の安定的継続)を理由として、対象者(旧宮家の後裔たる男子)の「意思」とは無関係に、(一方的・強制的に)「皇族(男子)」と(法律制定・改正により)することはできるのか。その場合にそもそも、高度の「公共」性(天皇制度の安定的継続)を理由として、これまで皇族でなかった対象者の「身分」を変更することが<基本的人権>の保障上許容されるのか(皇族になるまでは一般国民だ)。
 ③「身分」変更に伴う、財産権等々にかかわる細々とした制度変更をどう行うか。
 上の①と②は、たんなる「法技術」の問題ではない。
 さらに、より「そもそも」論をしておこう。
 第一。池田信夫のように、「明治以降の制度を古来の伝統と取り違える」「男系男子」論という「迷信」について語る者もいる。
 いかなる「歴史認識」が(むろん運動論・政治論ではなく)より歴史学的ないし学問的に「正しい」かは、相当程度において、日本書記(・古事記)を信じるか・信頼するか、どの程度においてそうするか、に関係する。
 これは、二者択一の問題ではなく<程度と範囲>の問題だ。相対的に、秋月瑛二よりも、八幡和郎や西尾幹二のそれへの「信頼度」は高いようだ。
 しかし、古代史一般について言えるだろうが、「信じる」程度の問題になってしまうと、いずれが「正しい」かの議論にはならない。「神話」という「物語」を微妙に「史実」へと転換している部分がある西尾幹二についてもこれは言えると思われる。
 「信仰」の程度で、重要な問題の決着をつけては、あるいは重要な問題の根拠にしては、いけないのではないか。あるいは、よくわからないこと、信憑性の程度がきわめて高くはないことを、現在時点での問題解決の「歴史的」根拠にしてはいけないのではないか。
 なお、孝謙・称徳天皇あたりの「話」になると、続日本記等の記述の信頼性の程度の問題が生じてくる。
 公定または準公定の史記に相当に依拠せざるを得ないことは当然かもしれない。
 しかし、天武以前に関する(壬申の乱を含む)日本書記の記述を天武・持統体制?の意向と無関係にそのまま理解することはできないのと同様に、光仁・桓武天皇期以降の続日本記等の叙述や編纂が、平安京遷都以前の歴史につき、必ずしも公正には記していない可能性があるだろう。
 こんなことを感じるのも、孝謙・称徳天皇に関する記述・「物語」は先輩の?天皇に対するものとしてはいささか冷たい部分があるように、素人には感じられるからだ。
 なお、八幡和郎は変化も交替もなかったかのごとく叙述しているが、奈良王朝と平安王朝?の違いとその背景については(意味の取り方にもよるが)、関心がある。八幡が想定するよりももっと複雑な背景があると見るのが、より合理的な史実理解でありそうに見える。
 第二。皇位継承の仕方・あり方は(かりに「歴史」・「伝統」が有力な論拠になるのだとしても)、日本書記等での記述の仕方を含めて、ときどきの時代の史書がそれをどう理解していたか、も当然に配慮しなければならない。
 明治期以降の櫻井よしこらのいう「明治の元勲たち」が日本古代からの皇位継承の仕方・あり方をどう観念・理解したのかは考慮すべき一つの事項にすぎず、「明治以降の制度を古来の伝統と取り違える」のは、思考方法としても全く間違っている。
 <天皇親政の古来の在り方>に戻ったとし、仏教、修験道等を「神道」の純粋性を汚すものとした、明治新政府とその後の薩長中心藩閥政権等々が、日本古代からの皇位継承の仕方・あり方を本当に客観的または冷静に分析し理解し得たとは、とても思えない。
 昭和に入ってからの<国体の本義>に書いてあることが全てウソまたは欺瞞または政治的観念論だと主張はしないが、「天皇」に関する叙述・論述をそのまま信頼することもできない。これは当たり前のことだろう。そして、「万世一系」もまた、明治憲法が用いた術語であることを知らなければならない(むろん、その趣旨の論は江戸時代等にもあったかもしれないがどの当時から「体制」のイデオロギーではなかったように思われる)。
 第三。江戸時代の「女性」天皇についても上記の「緊急避難的な"中継ぎ"」の意味は問題になり得る。その点は別としても、しかし、歴代の天皇の大多数が男子(男性)だったことは間違いないようで、なぜそうだったかは別途論じられてよいだろう。
 池田信夫は冒頭掲記の文章の中で、「日本で大事なのは『血』ではなく『家』の継承だから、婿入りも多かった。平安時代の天皇は『藤原家の婿』として藤原家に住んでいた。藤原家は外戚として実質的な権力を行使できたので、天皇になる必要はなかった」と書いている。
 但し、その後の時代も含めて、武家等が「天皇」になる必要はなかったとしても、その天皇はなぜほとんど男子で継承されてきたのか、という疑問はなお残る。
 簡単な論述には馴染まないが、結局のところ、人間・ヒトとしてのオスとメス(男と女)の違いに求めるしかないのではないか、と私は思っている。むろん、ただ一つの理由、背景として述べているのではない。
 中国の模倣も少しはあったかもしれない。しかしそもそもは、「天皇」になることがいかほどの特権だったかは時代や人物によっては疑問視することもでき(例えばかりに同族が天皇位に就いていて自分の生活・財産が保障されていれば、あえて「天皇」になる必要はないと考えた候補者もいたかもしれない)、また「女性」天皇が少ないことは女性蔑視思想の結果だとも思えない。
 妊娠・出産はメス・女性しかすることができない、というのは古来から今日までの、日本人に限らない「真理」だろう。このことと「天皇」たる地位の就位資格と全く無関係だったとは思われない。むろん代拝等によることによってあるいは摂政・代理者によって祭祀行為や「執政」等々をすることはきるのだが、日本史の全体を通じて、妊娠し出産し得るという身体性は、天皇という「公務」執行の支障に全くならなかったとは思えない。むろん100%決した要因ではないだろうと強調はしておくが、この要素を無視できないのは当然のことではなかろうか。
 これは女性「差別」でも何でもない。むしろ「保護」をしていたのかもしれない。
 第四。天皇の問題だけではないが、日本の「文化」・「文明」の独自性・特有性は、日本人の「精神」・「こころ」・「性格」等によるのではなく、大陸や半島から「ほどよく」離れた、かつ東側にはさらに流れ着く島等がないという列島という地理関係とそこでの自然・気候等の「風土」によるのだろうと思っている。天皇という制度の継続もこれと全く無関係とは感じられない。
 「民族」・「日本人」が先ではなく、人が生きていく列島の「地理的条件」・「自然」・「風土」が先だ。
 前者という「観念」的なものを優先させるのは、この列島にやって来たヒトたち・人間たちの本性とは決して合致していないだろう。

0719/「朝日新聞」の、中野正志・万世一系のまぼろし(朝日新書、2007)。

 おそらくは今年2月に概読だけをして済ませた、中野正志・万世一系のまぼろし(朝日新書、2007)も、さすがに朝日新聞社の出版物らしい書物だ。
 「まえがき」にあたる「序章」では、①小泉首相私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」は「国際経験も豊富でバランス感覚豊かな人たちが多かったから、人選に問題があるとは思わなかった」(p.4-5)、②「現在、女性天皇や女系を認めてよいとみなす世論が多数を占めるまでになっている」(p.6)、等と書いている。
 些細なことだが、①につき、<皇室典範>改正に関する議論に「国際経験」の豊富さはいったいどう役立つ(役立った)のだろう。
 さらに、③旧皇族の皇室復帰により将来の天皇を選ぶとしても「恣意性は逃れえまい」、④その場合、「天皇制について懐疑的な憲法学者は少なくないから、様々な違憲訴訟が起こされ、混乱に見舞われるに違わない」とも書く(p.7)。
 上の③についていうと、皇族の拡大によっても、天皇家との血の近さ、長幼によって、論理的には特定の人物を指名できる(現在も語られているように、継承資格順位を明確にできる)と思われる。
 もっとも、皇族拡大論(旧宮家復活論)の先頭に立っているかもしれない中川八洋の議論には、皇位継承者の順序・特定に関して「恣意性」がまぎれこんでいる、と思われる。そのかぎりで私は中川に批判的な所があるので、別の回に言及する。
 上の④は、脅迫、恫喝だ。皇族の範囲を拡大すると、大変ですよ、という嚇かしだ。「天皇制について懐疑的な憲法学者は少なくない…」という部分は正確だろう。さすがに日本の現在の「憲法学者」の傾向くらいは知っているようだ。
 但し、脅迫・恫喝のつもりなのだろうが、「様々な違憲訴訟が起こされ、混乱…」という部分には、法学(憲法学、訴訟法学)に関する無知が見られる。皇族の範囲拡大(皇室典範=法律によるだろう)を「違憲」と主張する訴訟がどのようにすれば(適法に)成立するかは困難な問題で、ほとんど不可能ではないかと思われる。また中身の問題としても、法律による皇族の範囲拡大がなぜ「違憲」なのかは論理構成が相当に困難でもあるだろう。
 以上のような感想がすでに生じてくるが、この本自体のテーマは書名のとおり「万世一系(の天皇制)」説は「まぼろし」だ、ということにあるようだ。
 という前提で読み進めたが、そもそもよく分からないのは、この中野正志が「万世一系」をどのように理解し定義しているのか、だ。
 天皇が父と子(とりわけ長男)の「一系」ではないことくらい、天皇制度に批判的ではない者たちにとっても、当たり前の知識だろう。しかるに、中野は継体天皇から今上天皇までの皇位継承のうち父と男子間の継承は「44例と半数を切っている」、南北朝の「両統迭立」の時代もあった等と述べたあとで、「いまだになぜ、『万世一系説』が唱えられているのか」、と問題設定する(p.18)。
 これによると、長い<父子継承>こそが<万世一系>の意味だと理解しているように読めるが、そんなことが「まぼろし」であることは、論じるまでもないのではないか。
 つぎに、中野によると、皇位継承についての男系論者は、1.神武天皇を実在として初代としての即位を史実をとする、2.記紀(古事記・日本書紀)を「大筋では間違いないととらえる」のいずれかである、という。
 はたしてそうだろうか。2.の「大筋では間違いない」ということの厳密な意味の問題でもあろうが、皇位継承・男系論者のすべてが必ずしも古事記・日本書紀の記述を「大筋では間違いない」と理解しているかはどうかは怪しいと私は理解している。記紀自体が「神代」という概念を使っているのであり、初期の諸天皇については(現実を何らかのかたちで反映した)「神話」=物語だと理解している皇位継承・男系論者も少なくないのではないか(私は安本美典の影響を受けて、生没年の記載は虚偽(創作)であっても、各天皇(そして天照大神等)にあたる人物は存在したのではないか、それくらいの<記憶>・<伝承>は八世紀まで残ったのではないかとも思っているが、これはこの回の主題ではない)。
 中野の本は、そのあと、上の1.2.が「成立しうるのか」と問うて、途中まで日本の古代史の叙述をしている(p.20-71)。そもそも皇位継承・男系論者のすべて又は多くが必ずしも1か.2.の理解に立っていないとすれば、全く無駄な作業だ。
 また、そもそも、古事記・日本書紀の記述を史実か「大筋では間違いない」と理解するとかりにしても、これらの文献自体が、父から子(とくに長男)への継承という意味での「万世一系」を否定している。弟や配偶者等への皇位継承も記紀はちゃんと記載している。
 中野正志の論旨は、「万世一系」が上のような意味であるとすれば、この点でもとっくに破綻しているのではないか。
 その後は明治憲法・皇室典範等に話題を変えるが、依然として、「万世一系」の定義はない。
 細かな検討は省略するが、なるほど、明治憲法第一条は「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」と定めている。だがそもそも、当時においてすら、「万世一系」とは<父子継承>の連続のことだと理解されていたのかどうか。
 中野によると、伊藤博文・憲法義解は「我が日本帝国は一系の皇統と相依て終始し…」と書いているらしいが(p.128)、伊藤が「一系の皇統」と書いたとき、<父子継承>の連続を意味させていたのだろうか。
 ほぼ間違いなく、このようには理解されていなかった。要するに、「万世一系」とは、神話=物語性のある部分を厳密には(学問的には)含むことを暗には容認しつつも、明治時代でいえば2500年以上も、①同一の血統(天皇としては神武天皇が起点だが、それ以前に天照大神、さらにそれ以前の「神」たちもいる)の者が代々の天皇位に就いてきた、かつ②少なくとも「有史」以降のいずれか(遅くとも継体天皇?)以降についてこのことを証明できる文献がきちんと残っていること(天皇家の系図のうちいずれかの古代の天皇以降は真実だと考えられること)を意味した、のではないか、と考えられる。
 今日では<紀元2600何年>ということを<保守派・右翼>でも理解・主張していないだろう。そのかぎりで、明治憲法下の理解とは異なるかもしれない。しかし、かりに「万世一系」という語を用いるとすれば、「古代」のいずれかの時点以降は上の①・②の要素が充たされている、というのが、その意味するところだろう。
 中野は明瞭には自らの「万世一系」の意味の定義を示さないまま、これが明治になって生み出された<イデオロギー>にすぎない、と主張したいようだ。
 だが、天皇と皇室はその「血」のゆえに尊い(あるいは畏怖されるべき存在だ)という意識は、「古代」から江戸時代までも、日本人(少なくとも政治「権力」関与者および各時代の「知識人」)にとって、連綿とつづいたのだろうと思われる。そうでないと、「天皇制度」が今日まで続いているわけがない。(井沢元彦がよく書いていることだが、)天皇家が廃絶されなかったこと、天皇家に代わる一族による「王朝交替」のなかったこと、は日本とその歴史の大きな特徴なのだ。
 中野正志は、どうもそうは理解したくないらしい。あるいは勉強不足で、そもそも知識がないのだろう。
 定義・基礎的概念や論旨の展開の筋が分かりにくいと感じて途中で読むのを止めつつ、「左翼」であることは間違いない、さすがに「朝日新書」で「朝日的」だと思って、奥付を見ると、中野正志(1946-)は2006年まで、朝日新聞社の社員で論説委員の経歴もある。「朝日的」どころか、「朝日新聞」そのものの人物なのだった。<アカデミズム>の世界の人々を一般的により信頼しているわけでは全くないが、元来の研究者・学者とは異なり、新聞記者上がりの人の書く本や文章には(「ジャーナリスティック」でも?)、体系性・論理性・概念定義の厳密さに欠けている、と感じることがしばしばある。この本も、その代表であり、かつ「左翼」丸出しの本だ。
 なお、(確認の労を厭うが、たしか)立花隆が最近(昨年)の月刊現代(講談社)で、誰でも親がいて祖父母もいて…なのだから、誰でも<万世一系>だと書いて、おそらくは<万世一系>論を批判・揶揄していた。
 たしかに、例えば私にも「古代」まで続く「血」のつながりがある筈だ。誰にとってもそうだ。しかし、天皇(家)との決定的な違いは、上に挙げた②だろう。すなわち、天皇(家)については「古代」以降、名・血族関係・(おそらくは)生没年等々が文献にきちんと記録され(例外的に、天武天皇の生年は書かれていない)、<不詳>などということはなく、個別的・具体的に祖先をたどれるのだ。立花隆の祖先は、そうではないのではないか。その意味では、立花隆は<万世一系>の家系の末裔ではない、というべきだ、余計ながら。

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