Bernice Glatzer Rosenthal, New Myth, New World -From Nietzsche to Stalinism(2002).
/B. G. ローゼンタール・新しい神話·新しい世界—ニーチェからスターリン主義へ(2002年)。
「第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927」の「序」の試訳を昨年12月に終えている。
つづく第三編のいわば「本文」はつぎの二つの章で成っている。
第7章・神話の具体化—新しいカルト・新しい人間・新しい道徳。
第8章・新しい様式・新しい言語・新しい政治。
前者の第7章は、つぎのように構成されている。
序、第一節・レーニン崇拝(カルト)、第二節・新しいソヴィエト人間、第三節・プロレタリア道徳。
以上のうち、第7章の序と第一節だけ試訳し、その余の部分、および第8章全体は、さしあたり割愛する。
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第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927。
第7章・神話の具体化—新しいカルト・新しい人間・新しい道徳。
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序。
ボルシェヴィキは、十月革命と内戦を単一の「叙事詩的出来事」として描いた。それを彼らは神話化し、人類史上の重要性があるものと考えた。
地獄は過去のもので、貧困と抑圧の支配もそうだった。
地上の天国はまだ将来のものだったが、創造されつつあった。
新しい人間も、創造されつつあった。だが、その性質については争いがあった。
提示されたモデルには、ニーチェ的特徴(traits)があった。—その特徴がそのモデルに依拠していた。
新しいプロレタリア道徳は社会主義を目ざす仮借なさ、激しい労働、闘争を、そしてまた、「ブルジョア」的慰安と便宜に対する侮蔑心を要求した。
レーニン個人崇拝(the Lenin Cult)は、ボルシェヴィキの神話に対して、「闘う英雄」、新しい儀礼、寺院—レーニンの霊廟—を与えた。(注1) //
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第一節・レーニン・カルト(the Lenin Cult)①。
(01) (レーニン暗殺が企てられた)1918年のその始まりから、レーニン死後の綿密な努力と体系化へと至るレーニン個人崇拝の物語は、Nina Tumarkin によって書かれている。ここで繰り返すつもりはない。(注2)
その聖典となったものはよく知られており、その機能についても同様だ。すなわち、レーニンは死んだが、その教条は生きている、との意図を打ち込むことによって、レーニンの正統な後継者としての党の周りに大衆を結集させること。
私のここでの目的は、そのニーチェ的根源を明らかにすることだ。ニーチェ的根源の中には、聖典と混じり合っているものがある。
レーニン個人崇拝は、ボルシェヴィキの神話創造における新しい段階を画した。
一つには、神の建設にはアポロ的聖像、キリスト教的意味での偶像(icon)が欠けていた。
そして、レーニンの人格像(persona)が、この隙間を埋めた。//
----
(02) レーニンに超人を演じさせることで、彼に関するあらゆる種類の誇張が成立した。
レニングラード・ソヴェトの副議長だったGrigory Evdokimov は、賛辞の中でこう書いた。
「世界の最も偉大な天才が逝った。
思想、意思、仕事の巨人が死んだ。
数億万の労働者、農民、植民地奴隷たちが、力強い指導者の死を哀悼している。
その墓場から、レーニンは、その完全な姿でもって、世界の前に立ちあがる。」(注3)
検死作業は、あたかもレーニンの超人間的な地位を明白に証明しているがごとくに、彼の巨大な脳について報告した。
Lunacharsky の言葉では、「共産主義世界の聖人、…その創造者、その闘士、その殉難者は…、過度の、超人間的な、膨大な仕事でもってその巨大な脳を破壊した」。
我々はレーニンのうちに、「大文字のMan を見た」(Gorky の1903年の小論の引用)。
彼へと「熱線と光線が集中している」。(注4)
レーニンは、共産主義普遍世界の太陽だった。//
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(03) 葬礼は、劇場化された儀式だった。
スターリンの賛辞にある正教に類似の調子には、馴染みのある礼拝の形態でのボルシェヴィキ神話の雰囲気があった。
別の挨拶の中で、スターリンは、のちには彼のものとされた資質(謙虚さ、論理力)がレーニンにあったと述べた(SW,6,p.54-56)。
葬礼およびその直後の代表者だったジノヴィエフは、「レーニンの天才性」が「翼をもって」彼自身の葬礼の上を飛んでいる、と語った。
さらに、「レーニンの思想に激励された一般庶民は、我々と一緒にこの葬礼を即時に催した」と、言った。(注5)
言い換えると、葬礼は、集団的創造性の産物だった。
同様の儀式が、国土全体で繰り広げられた。
トロツキーは葬礼に欠席したが、レーニンに関する彼の論文はしばしば、のちのもっと従順な世代による聖人の伝記の語調に近いものだった。(注6)//
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(04) Gorkyが書き、外国で出版されたレーニンへの賛辞は、まるで「神は死んだ」と発表するかのごとく、「ウラジミール・レーニンは死んだ」で始まっていた。
Gorky は、レーニンをこう叙述した。
「自分で実践に移すことを以前の誰も考えなかった目標に向かって闘う意思をもつ、驚くほど完璧な化身。
そしてそれ以上に、彼は私には正義の人間の、怪物的人間の、伝説的人間の一人だった。またロシアの歴史で予期されれなかったほどに、ピョートル大帝、Mikhail Lomonosov、レフ・トルストイ等のような意思と才能の人間の一人だった。…
レーニンは私にとって、伝説上の英雄であり、我々の時代の恥ずべき混沌から、汚辱の『国家主義』の腐朽した血まみれの沼地から民衆が脱する方途を、灯りで照らすために、燃えさかる心で胸を張り裂いている人物だった。」(注7)/
Gorky は、「老女Izergel」(1895年)での「燃えさかる心」や「沼地」という隠喩を用いていた。これは、彼のロシアでの超人探索の始まりを画する短い小説だった。
ピョートル大帝は、(20世紀での)ニーチェ的像型だと広く考えられていた。そして、ある範囲の人々によっては、怪物だと。
Gorky は、レーニンを「怪物」と称することによって、ニーチェがナポレオンを「非人間と超人の統合体」(GM,54)と称したように、レーニンをナポレオンと結びつけていた。
Gorky の全集では(GSS,17,5-46)、Gorky がレーニンの残虐さを正当化するものとして、「怪物」の語は削除された。
「レーニンのもとで、おそらくは(Wat·)Tyler、Thomas Müntzer、Garibaldi のもとで以上の多くの人々が殺された。…
だが、レーニンへの抵抗は、より広くかつより力強く組織されていた。」
また、レーニンのつぎの釈明も削除された。
「我々の世代は、歴史的重要性で仰天させるほどの任務を達成した。
状況によって迫られた我々の残虐さは、理解され、許容されるだろう。
全てが理解されるだろう。全てだ!」(注8)
Gorky の無条件の英雄崇拝は、1917-18年の彼の立場(第6章を見よ)からする、彼方からの叫びだった。また、1920年に書いてレーニンを「勇者がもつ聖なる狂気」の模範者だと称賛した論考ですらそうだった。
勇者の中で、「ウラジミール・レーニンは、第一の人物であり、かつ最も狂気の人物だ」。(注9)
レーニンはこれを、褒め言葉だとは見なさなかった。//
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(05) Mayakovsky は、不死の超人/キリストを暗示する言葉を用いて、レーニンを「人間の中で最大の人物」と称賛した。それは彼の長い詩「ウラジミール・イリイチ・レーニン」(1924年)の中でだった。
「レーニンは、生者以上に生きている」、「レーニンは—生きた。レーニンは—生きている。レーニンは—生きつづけるだろう」という行の部分は、レーニン教(カルト)のマントラ(呪文)になった。
三連の構成は、「キリストは死んだ、キリストは起きた、キリストは再び現れるだろう」という礼拝文を反映していた。
Mayakovsky はこの詩を、ロシア共産党に捧げた。党とレーニンは「双生児」だったからだ。
「我々が一つを語るとき、別のもう一つを意味させている」。(注10)
Mayakovsky は同じ詩で、未来主義者の激しい言葉遣いに集団主義の調子を加えた。
「個人主義者に憐憫を!/団結して爆砕を!/党でもって叩け!/労働者たちは一つの大きな拳に溶け合った。」(p.272)
党は「百万の指をもつ拳で/一つの巨大な拳で、握られる。/個人—無意味だ。/個人—虚無だ。」(p.283)
Mayakovsky は、かつて小さな酒神礼賛的合唱でそうしたように、莫大な人民大衆を導こうとした。
レーニン・カルトは、完璧な目標地点だった。
アヴァン・ギャルドの雑誌「Lef」は、ある号の全体をレーニンの言葉で埋めた(第8章を見よ)。//
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②へとつづく。
/B. G. ローゼンタール・新しい神話·新しい世界—ニーチェからスターリン主義へ(2002年)。
「第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927」の「序」の試訳を昨年12月に終えている。
つづく第三編のいわば「本文」はつぎの二つの章で成っている。
第7章・神話の具体化—新しいカルト・新しい人間・新しい道徳。
第8章・新しい様式・新しい言語・新しい政治。
前者の第7章は、つぎのように構成されている。
序、第一節・レーニン崇拝(カルト)、第二節・新しいソヴィエト人間、第三節・プロレタリア道徳。
以上のうち、第7章の序と第一節だけ試訳し、その余の部分、および第8章全体は、さしあたり割愛する。
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第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927。
第7章・神話の具体化—新しいカルト・新しい人間・新しい道徳。
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序。
ボルシェヴィキは、十月革命と内戦を単一の「叙事詩的出来事」として描いた。それを彼らは神話化し、人類史上の重要性があるものと考えた。
地獄は過去のもので、貧困と抑圧の支配もそうだった。
地上の天国はまだ将来のものだったが、創造されつつあった。
新しい人間も、創造されつつあった。だが、その性質については争いがあった。
提示されたモデルには、ニーチェ的特徴(traits)があった。—その特徴がそのモデルに依拠していた。
新しいプロレタリア道徳は社会主義を目ざす仮借なさ、激しい労働、闘争を、そしてまた、「ブルジョア」的慰安と便宜に対する侮蔑心を要求した。
レーニン個人崇拝(the Lenin Cult)は、ボルシェヴィキの神話に対して、「闘う英雄」、新しい儀礼、寺院—レーニンの霊廟—を与えた。(注1) //
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第一節・レーニン・カルト(the Lenin Cult)①。
(01) (レーニン暗殺が企てられた)1918年のその始まりから、レーニン死後の綿密な努力と体系化へと至るレーニン個人崇拝の物語は、Nina Tumarkin によって書かれている。ここで繰り返すつもりはない。(注2)
その聖典となったものはよく知られており、その機能についても同様だ。すなわち、レーニンは死んだが、その教条は生きている、との意図を打ち込むことによって、レーニンの正統な後継者としての党の周りに大衆を結集させること。
私のここでの目的は、そのニーチェ的根源を明らかにすることだ。ニーチェ的根源の中には、聖典と混じり合っているものがある。
レーニン個人崇拝は、ボルシェヴィキの神話創造における新しい段階を画した。
一つには、神の建設にはアポロ的聖像、キリスト教的意味での偶像(icon)が欠けていた。
そして、レーニンの人格像(persona)が、この隙間を埋めた。//
----
(02) レーニンに超人を演じさせることで、彼に関するあらゆる種類の誇張が成立した。
レニングラード・ソヴェトの副議長だったGrigory Evdokimov は、賛辞の中でこう書いた。
「世界の最も偉大な天才が逝った。
思想、意思、仕事の巨人が死んだ。
数億万の労働者、農民、植民地奴隷たちが、力強い指導者の死を哀悼している。
その墓場から、レーニンは、その完全な姿でもって、世界の前に立ちあがる。」(注3)
検死作業は、あたかもレーニンの超人間的な地位を明白に証明しているがごとくに、彼の巨大な脳について報告した。
Lunacharsky の言葉では、「共産主義世界の聖人、…その創造者、その闘士、その殉難者は…、過度の、超人間的な、膨大な仕事でもってその巨大な脳を破壊した」。
我々はレーニンのうちに、「大文字のMan を見た」(Gorky の1903年の小論の引用)。
彼へと「熱線と光線が集中している」。(注4)
レーニンは、共産主義普遍世界の太陽だった。//
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(03) 葬礼は、劇場化された儀式だった。
スターリンの賛辞にある正教に類似の調子には、馴染みのある礼拝の形態でのボルシェヴィキ神話の雰囲気があった。
別の挨拶の中で、スターリンは、のちには彼のものとされた資質(謙虚さ、論理力)がレーニンにあったと述べた(SW,6,p.54-56)。
葬礼およびその直後の代表者だったジノヴィエフは、「レーニンの天才性」が「翼をもって」彼自身の葬礼の上を飛んでいる、と語った。
さらに、「レーニンの思想に激励された一般庶民は、我々と一緒にこの葬礼を即時に催した」と、言った。(注5)
言い換えると、葬礼は、集団的創造性の産物だった。
同様の儀式が、国土全体で繰り広げられた。
トロツキーは葬礼に欠席したが、レーニンに関する彼の論文はしばしば、のちのもっと従順な世代による聖人の伝記の語調に近いものだった。(注6)//
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(04) Gorkyが書き、外国で出版されたレーニンへの賛辞は、まるで「神は死んだ」と発表するかのごとく、「ウラジミール・レーニンは死んだ」で始まっていた。
Gorky は、レーニンをこう叙述した。
「自分で実践に移すことを以前の誰も考えなかった目標に向かって闘う意思をもつ、驚くほど完璧な化身。
そしてそれ以上に、彼は私には正義の人間の、怪物的人間の、伝説的人間の一人だった。またロシアの歴史で予期されれなかったほどに、ピョートル大帝、Mikhail Lomonosov、レフ・トルストイ等のような意思と才能の人間の一人だった。…
レーニンは私にとって、伝説上の英雄であり、我々の時代の恥ずべき混沌から、汚辱の『国家主義』の腐朽した血まみれの沼地から民衆が脱する方途を、灯りで照らすために、燃えさかる心で胸を張り裂いている人物だった。」(注7)/
Gorky は、「老女Izergel」(1895年)での「燃えさかる心」や「沼地」という隠喩を用いていた。これは、彼のロシアでの超人探索の始まりを画する短い小説だった。
ピョートル大帝は、(20世紀での)ニーチェ的像型だと広く考えられていた。そして、ある範囲の人々によっては、怪物だと。
Gorky は、レーニンを「怪物」と称することによって、ニーチェがナポレオンを「非人間と超人の統合体」(GM,54)と称したように、レーニンをナポレオンと結びつけていた。
Gorky の全集では(GSS,17,5-46)、Gorky がレーニンの残虐さを正当化するものとして、「怪物」の語は削除された。
「レーニンのもとで、おそらくは(Wat·)Tyler、Thomas Müntzer、Garibaldi のもとで以上の多くの人々が殺された。…
だが、レーニンへの抵抗は、より広くかつより力強く組織されていた。」
また、レーニンのつぎの釈明も削除された。
「我々の世代は、歴史的重要性で仰天させるほどの任務を達成した。
状況によって迫られた我々の残虐さは、理解され、許容されるだろう。
全てが理解されるだろう。全てだ!」(注8)
Gorky の無条件の英雄崇拝は、1917-18年の彼の立場(第6章を見よ)からする、彼方からの叫びだった。また、1920年に書いてレーニンを「勇者がもつ聖なる狂気」の模範者だと称賛した論考ですらそうだった。
勇者の中で、「ウラジミール・レーニンは、第一の人物であり、かつ最も狂気の人物だ」。(注9)
レーニンはこれを、褒め言葉だとは見なさなかった。//
----
(05) Mayakovsky は、不死の超人/キリストを暗示する言葉を用いて、レーニンを「人間の中で最大の人物」と称賛した。それは彼の長い詩「ウラジミール・イリイチ・レーニン」(1924年)の中でだった。
「レーニンは、生者以上に生きている」、「レーニンは—生きた。レーニンは—生きている。レーニンは—生きつづけるだろう」という行の部分は、レーニン教(カルト)のマントラ(呪文)になった。
三連の構成は、「キリストは死んだ、キリストは起きた、キリストは再び現れるだろう」という礼拝文を反映していた。
Mayakovsky はこの詩を、ロシア共産党に捧げた。党とレーニンは「双生児」だったからだ。
「我々が一つを語るとき、別のもう一つを意味させている」。(注10)
Mayakovsky は同じ詩で、未来主義者の激しい言葉遣いに集団主義の調子を加えた。
「個人主義者に憐憫を!/団結して爆砕を!/党でもって叩け!/労働者たちは一つの大きな拳に溶け合った。」(p.272)
党は「百万の指をもつ拳で/一つの巨大な拳で、握られる。/個人—無意味だ。/個人—虚無だ。」(p.283)
Mayakovsky は、かつて小さな酒神礼賛的合唱でそうしたように、莫大な人民大衆を導こうとした。
レーニン・カルトは、完璧な目標地点だった。
アヴァン・ギャルドの雑誌「Lef」は、ある号の全体をレーニンの言葉で埋めた(第8章を見よ)。//
——
②へとつづく。