秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ローゼンタール

2621/B. ローゼンタール・ニーチェからスターリン主義へ(2002)第三編第7章第一節①。

 Bernice Glatzer Rosenthal, New Myth, New World -From Nietzsche to Stalinism(2002).
 /B. G. ローゼンタール・新しい神話·新しい世界—ニーチェからスターリン主義へ(2002年)。  
 「第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927」の「序」の試訳を昨年12月に終えている。
 つづく第三編のいわば「本文」はつぎの二つの章で成っている。
 第7章・神話の具体化—新しいカルト・新しい人間・新しい道徳。
 第8章・新しい様式・新しい言語・新しい政治。
 前者の第7章は、つぎのように構成されている。
 序、第一節・レーニン崇拝(カルト)第二節・新しいソヴィエト人間第三節・プロレタリア道徳
 以上のうち、第7章の序と第一節だけ試訳し、その余の部分、および第8章全体は、さしあたり割愛する。
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 第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927。
 第7章・神話の具体化—新しいカルト・新しい人間・新しい道徳。
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 序。
 ボルシェヴィキは、十月革命と内戦を単一の「叙事詩的出来事」として描いた。それを彼らは神話化し、人類史上の重要性があるものと考えた。
 地獄は過去のもので、貧困と抑圧の支配もそうだった。
 地上の天国はまだ将来のものだったが、創造されつつあった。
 新しい人間も、創造されつつあった。だが、その性質については争いがあった。
 提示されたモデルには、ニーチェ的特徴(traits)があった。—その特徴がそのモデルに依拠していた。
 新しいプロレタリア道徳は社会主義を目ざす仮借なさ、激しい労働、闘争を、そしてまた、「ブルジョア」的慰安と便宜に対する侮蔑心を要求した。
 レーニン個人崇拝(the Lenin Cult)は、ボルシェヴィキの神話に対して、「闘う英雄」、新しい儀礼、寺院—レーニンの霊廟—を与えた。(注1) //
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 第一節・レーニン・カルト(the Lenin Cult)①。
 (01) (レーニン暗殺が企てられた)1918年のその始まりから、レーニン死後の綿密な努力と体系化へと至るレーニン個人崇拝の物語は、Nina Tumarkin によって書かれている。ここで繰り返すつもりはない。(注2)
 その聖典となったものはよく知られており、その機能についても同様だ。すなわち、レーニンは死んだが、その教条は生きている、との意図を打ち込むことによって、レーニンの正統な後継者としての党の周りに大衆を結集させること。
 私のここでの目的は、そのニーチェ的根源を明らかにすることだ。ニーチェ的根源の中には、聖典と混じり合っているものがある。
 レーニン個人崇拝は、ボルシェヴィキの神話創造における新しい段階を画した。
 一つには、神の建設にはアポロ的聖像、キリスト教的意味での偶像(icon)が欠けていた。
 そして、レーニンの人格像(persona)が、この隙間を埋めた。//
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 (02) レーニンに超人を演じさせることで、彼に関するあらゆる種類の誇張が成立した。
 レニングラード・ソヴェトの副議長だったGrigory Evdokimov は、賛辞の中でこう書いた。
 「世界の最も偉大な天才が逝った。
 思想、意思、仕事の巨人が死んだ。
 数億万の労働者、農民、植民地奴隷たちが、力強い指導者の死を哀悼している。 
 その墓場から、レーニンは、その完全な姿でもって、世界の前に立ちあがる。」(注3)
 検死作業は、あたかもレーニンの超人間的な地位を明白に証明しているがごとくに、彼の巨大な脳について報告した。
 Lunacharsky の言葉では、「共産主義世界の聖人、…その創造者、その闘士、その殉難者は…、過度の、超人間的な、膨大な仕事でもってその巨大な脳を破壊した」。
 我々はレーニンのうちに、「大文字のMan を見た」(Gorky の1903年の小論の引用)。
 彼へと「熱線と光線が集中している」。(注4)
 レーニンは、共産主義普遍世界の太陽だった。//
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 (03) 葬礼は、劇場化された儀式だった。
 スターリンの賛辞にある正教に類似の調子には、馴染みのある礼拝の形態でのボルシェヴィキ神話の雰囲気があった。
 別の挨拶の中で、スターリンは、のちには彼のものとされた資質(謙虚さ、論理力)がレーニンにあったと述べた(SW,6,p.54-56)。
 葬礼およびその直後の代表者だったジノヴィエフは、「レーニンの天才性」が「翼をもって」彼自身の葬礼の上を飛んでいる、と語った。
 さらに、「レーニンの思想に激励された一般庶民は、我々と一緒にこの葬礼を即時に催した」と、言った。(注5)
 言い換えると、葬礼は、集団的創造性の産物だった。
 同様の儀式が、国土全体で繰り広げられた。
 トロツキーは葬礼に欠席したが、レーニンに関する彼の論文はしばしば、のちのもっと従順な世代による聖人の伝記の語調に近いものだった。(注6)//
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 (04) Gorkyが書き、外国で出版されたレーニンへの賛辞は、まるで「神は死んだ」と発表するかのごとく、「ウラジミール・レーニンは死んだ」で始まっていた。
 Gorky は、レーニンをこう叙述した。
 「自分で実践に移すことを以前の誰も考えなかった目標に向かって闘う意思をもつ、驚くほど完璧な化身。
 そしてそれ以上に、彼は私には正義の人間の、怪物的人間の、伝説的人間の一人だった。またロシアの歴史で予期されれなかったほどに、ピョートル大帝、Mikhail Lomonosov、レフ・トルストイ等のような意思と才能の人間の一人だった。…
 レーニンは私にとって、伝説上の英雄であり、我々の時代の恥ずべき混沌から、汚辱の『国家主義』の腐朽した血まみれの沼地から民衆が脱する方途を、灯りで照らすために、燃えさかる心で胸を張り裂いている人物だった。」(注7)/
 Gorky は、「老女Izergel」(1895年)での「燃えさかる心」や「沼地」という隠喩を用いていた。これは、彼のロシアでの超人探索の始まりを画する短い小説だった。
 ピョートル大帝は、(20世紀での)ニーチェ的像型だと広く考えられていた。そして、ある範囲の人々によっては、怪物だと。
 Gorky は、レーニンを「怪物」と称することによって、ニーチェがナポレオンを「非人間と超人の統合体」(GM,54)と称したように、レーニンをナポレオンと結びつけていた。
 Gorky の全集では(GSS,17,5-46)、Gorky がレーニンの残虐さを正当化するものとして、「怪物」の語は削除された。
 「レーニンのもとで、おそらくは(Wat·)Tyler、Thomas Müntzer、Garibaldi のもとで以上の多くの人々が殺された。…
 だが、レーニンへの抵抗は、より広くかつより力強く組織されていた。」
 また、レーニンのつぎの釈明も削除された。
 「我々の世代は、歴史的重要性で仰天させるほどの任務を達成した。
 状況によって迫られた我々の残虐さは、理解され、許容されるだろう。
 全てが理解されるだろう。全てだ!」(注8)
 Gorky の無条件の英雄崇拝は、1917-18年の彼の立場(第6章を見よ)からする、彼方からの叫びだった。また、1920年に書いてレーニンを「勇者がもつ聖なる狂気」の模範者だと称賛した論考ですらそうだった。
 勇者の中で、「ウラジミール・レーニンは、第一の人物であり、かつ最も狂気の人物だ」。(注9)
 レーニンはこれを、褒め言葉だとは見なさなかった。//
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 (05) Mayakovsky は、不死の超人/キリストを暗示する言葉を用いて、レーニンを「人間の中で最大の人物」と称賛した。それは彼の長い詩「ウラジミール・イリイチ・レーニン」(1924年)の中でだった。
 「レーニンは、生者以上に生きている」、「レーニンは—生きた。レーニンは—生きている。レーニンは—生きつづけるだろう」という行の部分は、レーニン教(カルト)のマントラ(呪文)になった。
 三連の構成は、「キリストは死んだ、キリストは起きた、キリストは再び現れるだろう」という礼拝文を反映していた。 
 Mayakovsky はこの詩を、ロシア共産党に捧げた。党とレーニンは「双生児」だったからだ。
 「我々が一つを語るとき、別のもう一つを意味させている」。(注10)
 Mayakovsky は同じ詩で、未来主義者の激しい言葉遣いに集団主義の調子を加えた。
 「個人主義者に憐憫を!/団結して爆砕を!/党でもって叩け!/労働者たちは一つの大きな拳に溶け合った。」(p.272)
 党は「百万の指をもつ拳で/一つの巨大な拳で、握られる。/個人—無意味だ。/個人—虚無だ。」(p.283)
 Mayakovsky は、かつて小さな酒神礼賛的合唱でそうしたように、莫大な人民大衆を導こうとした。
 レーニン・カルトは、完璧な目標地点だった。
 アヴァン・ギャルドの雑誌「Lef」は、ある号の全体をレーニンの言葉で埋めた(第8章を見よ)。//
 ——
 ②へとつづく。

2612/Rosenthal2002年著の構成内容の再掲。

 Bernice Glatzer Rosenthal, New Myth, New World -From Nietzsche to Stalinism(The Pennsylvania State Univ. Press, 2002). 単著、総計約460頁。
 =B. G. ローゼンタール, 新しい神話・新しい世界—ニーチェからスターリン主義へ
 この著は、No.2436に記載したように、つぎのような内容構成(目次)を持つ。
 目次掲載内容以外に、中身の本文を見て、一部についてだけ、さらに細分化して「節」にあたるものも記した
 邦訳書はない。
 を付した箇所だけが、すでにこの欄に「試訳」を掲載したものだ。No.2454・2470・2472・2475・2476・2478・2480(2021年12月〜2022年1月)。赤文字部分は、次回以降に試訳予定。
 著者の認識・主張の根幹は、<ボルシェヴィズムとはマルクス主義とニーチェを融合したものだ>、にあるだろう。
 ——
 緒言 *p.1〜.
  第一節・ニーチェの課題。
   1/新しい神話。
   2/新しい世界。
   3/新しい男(と女)。
   4/新しい道徳性。
   5/新しい政治。
   6/新しい科学。
  第二節・ニーチェの主張にある文化特有の要素。
  第三節・この書の予定。
 第一編/萌芽期・ニーチェのロシア化—1890-1917。*p.27〜.
   序。
   第1章・象徴主義者。
   第2章・哲学者。
   第3章・ニーチェ的マルクス主義者。
    。*p.68〜.
    第一節・ボグダノフの「マッハ主義」認識論。
    第二節・新しい道徳。
    第三節・マルクス主義の神話創造者と1905年革命。
    第四節・ボグダノフの文化革命への綱領。
   第4章・未来主義者。
  ◎要約
 第二編/ボルシェヴィキ革命と内戦におけるニーチェ—1917-1921。 *p.117〜.
   序
   第5章・現在の黙示録—マルクス・エンゲルス・ニーチェのボルシェヴィキへの融合。
   ◎序
   ◎第一節・レーニン—正体を隠したニーチェアン?
    第二節・ブハーリンのニーチェ的な政治的想像。
    第三節・レオン·トロツキーのニーチェ的無意識。
   第6章・ボルシェヴィズムを超えて—魂の革命の展望
 第三編/新経済政策(NEP) の時期でのニーチェ思想—1921-1927。 *p.173〜.
   
   第7章・神話の具体化—新しいカルト・新しい人間・新しい道徳。
    序。
    第一節・レーニン個人崇拝。
    第二節・新しいソヴィエト人間。
    第三節・新しいプロレタリア道徳。
   第8章・新しい様式・新しい言語・新しい政治。
    序。
    第一節・アヴァン-ギャルド。
    第二節・リアリズムの作家と画家。
    第三節・文化革命が前進する。 
 第四編/ スターリン時代におけるニーチェの反響(Echoes)—1928-1953。 *p.233〜.
  第一部/縄を解かれたディオニュソス(Dionysos)、文化革命と第一次五カ年計画—1928-1932。
   第9章・「偉大な政治」のスターリン型。
   第10章・芸術と科学における文化革命。  
  第二部/ウソとしての芸術、ニーチェと社会主義リアリズム。
   第11章・社会主義リアリズム理論へのニーチェの貢献。
    序。
    第一回ソヴィエト作家同盟会議でのニーチェ的課題。
     1/新しい神話。
     2/新しい男(と女)。
     3/新しい世界。
   第12章・実施される理論。
    序。
    第一節・文学。
    第二節・劇場。
    第三節・映画。
    第四節・絵画·写真·彫刻。   
  第三部/勝利したウソ、ニーチェとスターリン主義政治文化。
   序。
   第13章・スターリン個人崇拝とその補完。
   第14章・力への意思(Will to Power)の文化的表現。
 エピローグ/脱スターリン化とニーチェの再出現。 *p.423〜.
    序。
    第一節・消極的表象としてのニーチェ。
    第二節・異なるニーチェの発見。
    第三節・ニーチェ的課題。
     1/新しい神話。
     2/新しい芸術様式。
     3/新しい世界。
     4/新しい道徳。
     5/新しい科学。
 ——
 以上。

2476/ニーチェとロシア革命—Rosenthal ⑤。

 Bernice Glatzer Rosenthal, New Myth, New World -From Nietzsche to Stalinism(The Pennsylvania State Univ. Press, 2002).
 =B. G. ローゼンタール・新しい神話、新しい世界—ニーチェからスターリニズムへ(2002)。総計約460頁。
 第二部・ボルシェヴィキ革命と内戦期におけるニーチェ、1917-1921。
 第二部の最初の章の「序」のあとの本文へと進む。
 なお、「Nietzschean」は、ニーチェ的、ニーチェ主義的(・ニーチェ主義者)、またはそのまま「ニーチェアン」と訳す。
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 第二部・第5章/現在の黙示録:マルクス、エンゲルスおよびニーチェのボルシェヴィキ的融合。
 第一節・レーニン:正体を隠したニーチェアン?
 (01) 疑問符を付しているのは、意図的だ。レーニンの「ニーチェ主義」(Nietzscheanism)の証拠は間接的だから。
 レーニンのレトリックには、確かにニーチェ的な響きがある。
 「意思」、「権力」および「紀律」(これはニーチェに関するApollo的解釈と符合する)は、彼の好みの言葉だ。
 レーニンは政治における「感傷」を嫌い、ほとんど生活様式のごとく闘争に喜びを感じた。
 このような嗜好に加えて革命的人民主義の「英雄的」伝統の称賛、1904年から1907年までのBogdanov との連携、Gorky との友人関係、ニーチェが染み込んだ一般的文化状況があったので、ニーチェがレーニンのマルクス主義解釈に影響を与えた(inform)、という高度の蓋然性はある。
 レーニンは自分のノートでニーチェに言及しており、クレムリンの執務室に一冊の〈ツァラストゥラ〉を置いていた。(注5)
 Gorky は、解放を目ざす大衆の闘いを指導するロシアの超人(Superman)を探していた。
 レーニンは自分がその役割を果たすと、または少なくとも「世界的な歴史的個人」(ヘーゲルの観念)だと考えたかもしれない。
 彼はブハーリンの、ニーチェ的要素のある帝国主義に関する書物に自分のその主題の本で回答し、プロレタリア国家の描写をして左翼ボルシェヴィキの「アナーキズム」に反論した。
 もちろん、レーニンはニーチェを読んで彼の権力への意思を得たのではなかった。しかし、ニーチェはおそらくそれを強めた。//
 (02) レーニンの全集は決して完全なものではない。
 彼または彼の信条を当惑させそうな文書は、排除されていた。
 彼自身がいくつかを破棄し、または手紙の場合には、破棄するよう受取人に指示した。(注6)
 レーニンの公刊著作にはマルクス、エンゲルス、プレハノフおよびカウツキーへの言及が豊富にあり、より少ない程度で、Chernyshevsky、Herzen、Belinsky、および彼がマルクス主義の先駆者と見做した「70年代の輝かしい星座のごとき革命家たち」(Tucker 編,レーニン選集=LA,p.20)への言及がある。
 彼は、自分の思想に対する非マルクス主義の影響については寡黙だった。
 そのノートから明らかであるのは、ヘーゲル、クラウセヴィッツ、アリストテレスがレーニンのマルクス主義解釈と革命戦略を磨くのを助けた、ということだ。
 ダーウィンとマキアヴェリ(Machiavelli)も、そうだった。
 レーニンは執務机の上にダーウィン像を置いていた。しかし、マキアヴェリについては名前を出してはほとんど言及しなかった。だが、私的な連絡文書でもそうだったのではない(注7)
 政治局の指導者たちに対する(読後に破棄すべきものとされた)手紙で、レーニンはこう書いた。
 「政治手腕(statecraft)の問題に関するある賢人[マキアヴェリ]は正しく、一定の政治目標を実現するのと同じことのためには一定の残虐さに訴えることが必要であるならば、最も激しいやり方でかつ可能なかぎり短時間のうちに、実行されなければならない、なぜならば、大衆は長期間の残酷さの利用に耐えることができない、と言った。」(注8)//
 (03) マキアヴェリもそうだがニーチェもおそらく、レーニンのエリート主義と革命的反道徳主義を促進した。
 レーニンは、プロレタリアートは自分たちで解放する力を持たないというTkachev の見方を共有しており、革命は「タフな事業だ」と叙述した。
 「白い手袋をはめた、きれいな手では革命をすることができない。…。
 党は女学校ではない。…。
 悪人はまさに悪人であるがゆえに、我々が必要とするかもしれない。」
 彼は、Nechaev の同時代人は「組織者、陰謀家としての特殊な才能を持ち、衝撃的な明瞭さでまとめ上げる技巧を持つことを忘れていた」と観察した。(注9)
 レーニンの世代の最大原理主義者たちは、Nechaev は「ニーチェより前のニーチェアンだ」と見なした。
 おそらくレーニンも、そうした。//
 (04) レーニンは、ボルシェヴィズムの基礎的文献である〈何をなすべきか〉(1902年)で、前衛政党に関するマルクスの考えを超える、革命的エリート主義を提示した。
 「階級的政治意識は労働者に対して〈外からのみ〉、すなわち経済的闘争の外部からのみ、もたらすことができる」(LA,p.50)
 プロレタリアートは自分たちでは、労働組合主義の意識だけを持つことができる。
 潜在的には、プロレタリアートは間違った方向へと慌てて逃げることになる大きな群れだ。
 この書物でレーニンは、「Tkachev の説示が用意し、現実に威嚇する『威嚇的な』テロルの手段により実行された『壮大な』権力奪取の企てと、たんに滑稽なだけの、とくに平均的な人々の組織化という考えで補完された場合には滑稽な、小Tkachev の『刺激的な』テロル」とを区別した。(LA,p.107.)
 彼は、マルクス主義者は革命的人民主義者の過ちを繰り返さないということに関係して、職業的革命家、意識が高くて自己紀律をもつ革命的エリートの組織を強く主張した。//
 (05) レーニンの「意識性」(〈soznatel'nost〉)と「自然発生性」(〈stikhinost'〉)という両範疇は、ニーチェのApollon 的衝動とDionysus 的衝動に対応している。
 これは偶然ではないかもしれない。〈悲劇の誕生〉の1901年のドイツ語版は、レーニンの個人的蔵書の中にあった。(注10)
 〈Stikhinost'〉は〈stikhinyi〉、「自然的」(elemental)という形容詞に由来しており、思考のない(mindless)過程を含意している。
 レーニンは「自然発生性」の危険に警告を発し、それを奴隷性や原始性と結びつけた(LA,p.27,32,46,63)
 彼が術語を用いるとき、「意識」はたんに知覚だけではなく、権力を獲得するための戦略でもあった。
 レーニンは、Bogdanov のように、マルクス主義を活性化するイデオロギー、あるいは動かす神話(mobilizing myth)だと見なした。
 そのいずれも、組織のApollon 的原理を強調するものだった。//
 (06) ニーチェ的マルクス主義者たちとの論争で、レーニンはニーチェ的用語を使い、自分の動的神話を発展させた。
 1905年の革命の間、彼とBogdanov は(フィンランドの)同じ建物に住んだ。そこで彼らは、政治理論、文化、哲学、革命の戦略と戦術を論じ合った。(注11)
 確実に、ニーチェはその討論に入ってきていた。
 レーニンの動的神話は、新しい目標、新しい道徳、新しい政治形態を伴っていた。新しい政治形態—職業的革命家で構成される前衛政党、訓練されて意識が高い陰謀家的エリート、そして資本主義から共産主義の第一段階への直接的移行を指揮するプロレタリアート独裁。
 マルクスは、どの時代にも特有の幻想(あるいは神話)がある、と書いた(Tucker 編,マルクス.エンゲルス読本=MER,p.165)
 レーニンは科学的であれと主張したが、社会主義という対抗神話を生み出していた。
 「『唯一の』選択肢は、ブルジョア・イデオロギーか社会主義イデオロギーか、のどちらかだ。
 中間の経路はない。…。
 非階級の、または階級を超えたイデオロギーなど決して存在し得ない。」(LA,p.29.)//
 (07) レーニンは「社会民主党の二つの戦術」(1905年6-7月)で、〈革命的民主主義的なプロレタリアートと農民の独裁〉を提起した。プロレタリアートだけでは権力を奪取するのに十分でなかったからだ。
 この戦術変更を正当化するために、彼は弁証法的形態で論拠を言い表した。
 「全ての事物は相対的だ。全てのものは流動する。全てのものは変化する。…。
 抽象的な真実なるものは存在しない。
 真実は、つねに具体的だ。」(LA,p.135.)
 Bogdanov も、同じ言葉遣いをすることができただろう。//
 (08) レーニンは同じ論文で、「革命は被抑圧者たちの祭典だ」と宣告した。
 ボルシェヴィキは、「大衆の祭典のための活力、および直接の決定的行路を目ざす仮借なき自己犠牲的闘いを繰り広げる彼らの革命的熱情」を利用しなければならない」(LA,p.140-1)
 「熱情」(ardor)や「活力」(energy)という言葉は、ニーチェ的マルクス主義者たちに好まれた。
 彼はまた、ボルシェヴィキには新しいスローガンが必要だ、と言った(「新しい言葉」のレーニン版)。
 「言葉も、行動だ」。
 「行動に移す必要のある〈直接的スローガン〉に進むことなくして、〈古いやり方で〉「言葉」に閉じ込める」のは裏切りだ(LA,p.134)
 言葉遣いに対するレーニンの繊細さは、ニーチェやそのロシアでの崇拝者たちと共通している、もう一つの分野だった。
 ボルシェヴィキ指導者は、終生にわたって古典文献学に関心をもった。//
 (09) 現実的にであれ潜在的にであれ、反抗に関するレーニンの定番の言葉は、「粉砕せよ」、「麻痺させよ」、「壊滅せよ」、「破壊せよ」だった。
 彼は、このような乱暴な言葉は「憎悪、反感、そして侮蔑心、…を読者に掻き立てるように、納得させるのではなく敵の隊列を破壊するように、敵の誤りを訂正するのではなく破滅させて敵を地球の表面から一掃するように、計算されている」と語った(レーニン全集第12巻p.424-5)=(日本語版全集12巻「ロシア社会民主労働党第5回大会にたいする報告」433頁.)
 Bogdanov の好きな言葉の一つである「調和」は、レーニンの語彙の中にはなかった。
 Gorky は、レーニンの言葉を「鉄斧の言語」と呼んだ。//
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 (注5) Robert Service, Lenin -A Biography, p.203.
 (注6) Ricard Pipes, ed, The Unknown Lenin, p.4.
 (注7) Service, p.203-4, p.376.
 (注8) In Pipes, p.153.
 (注9) Dmitri Volkogonov, Lenin, p.22 から引用。
 (注10) Aldo Venturelli, in "Nietzsche Studien" 1993, p.324.
 (注11) Service, p.183.
 ——
 第一節②へとつづく。

2475/ニーチェとロシア革命—Rosenthal ④。

 Bernice Glatzer Rosenthal, New Myth, New World -From Nietzsche to Stalinism(The Pennsylvania State Univ. Press, 2002).
 =B. G. ローゼンタール・新しい神話、新しい世界—ニーチェからスターリニズムへ(2002)。総計約460頁。
 第二部・ボルシェヴィキ革命と内戦期におけるニーチェ、1917-1921。
 第二部全体の「前記」の後の、最初の章である第5章の「序」へと進む。
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 第5章・現在の黙示録:マルクス、エンゲルスおよびニーチェのボルシェヴィキ的融合。
 (序)
 「資本主義的私有財産の弔鐘が響く。搾取者は搾取される。」
 —〈Tucker 編・マルクス・エンゲルス読本=MER>、p.438.
 「小さい政治の時代は終わった。次の世紀には、地球の支配を目ざす闘いが生じるだろう。—大規模な政治への衝動。」
 —ニーチェ〈善悪の彼岸〉、p.131.
 「しかしながら、本当の哲学者は司令者であり、立法者だ。彼らは言う、かくして、こうあるべきだ。…。彼らは創造的な手で、未来を掴みとろうとし、かつてあり今あるものは全て、彼らの手段になる。道具であり、金槌だ。彼らが『知ること』は創造することであり、『創造すること』とは立法することだ。真実に向かう彼らの意思は—権力への意思。」
 —ニーチェ〈善悪の彼岸〉、p.136.
 <一行あけ>
 (01) 戦争と革命の苦難の中で、新しいイデオロギー上の金属が鋳造された。その中には、マルクス、エンゲルスおよびニーチェの最も暴力的で最も権威主義的な要素が凝固しており、マルクス主義の人間的要素やニーチェのリバタリアン的(libertarian)要素は捨て去られていた。
 この金属鋳造に貢献したのは、革命的知識人たちによる意思の神格化、戦争(第一次大戦と内戦)が持った残虐化する効果、最適者の生き残りというダーウィン主義の考えだった。
 どちらの側にとっても、内戦は生き残りを賭けた闘いだった。//
 (02) ボルシェヴィズムとはマルクス主義を夢想主義的かつ黙示録的に解釈したもので、必然性の王国から自由の王国への飛躍だけを意図していた。
 この解釈が含んだのは、民主主義的社会主義の「柔らかい」価値とは反対の英雄的で「硬い」価値を選好する、ということだった。
 もちろん、ボルシェヴィキたちはニーチェを経てマルクス主義に到達したわけではなかった。しかし、ニーチェはマルクス主義についての彼らの「硬い」解釈を促進し、彼らの権力への意思を強化した。
 権力なくしては、社会主義という約束した土地へと大衆を導くことはできない。
 ニーチェはまた、マルクス主義、救済のドラマと歴史を捉えるその見方の神話的な浸入を促進し、人間を改造するという永続的で過激な夢想に対して新しい駆動力を与えた。//
 (03) この章で論述されるボルシェヴィキ—レーニン(Vladimir Ilich Ulianov、1870〜1924)、N・ブハーリン(Nikolai Bukharin、1888〜1938)、L・トロツキー(Lev Davidovich Bronsthein。1879〜1940)—にとって重要なのは、マルクス、エンゲルスおよびニーチェの著作に見出される思想だった。すなわち、ブルジョアの道徳性に対する侮蔑、闘争の強調、血と暴力のレトリック、プロメテウス主義、「未来志向」、そのコロラリーである「道具的」残虐性。後者はヘーゲル=マルクス主義の歴史主義の用語で正当化された。
 エンゲルスはかつて、歴史は全ての女神たちのうちの最も無慈悲なものだと述べた。
 「歴史は堆積した死体の上へと勝利の歯車を進める。戦争のときだけではなく、『平和的な』経済発展の時代でも。」
 これらのボルシェヴィキたちは、大戦は「歴史の法則」の歩みを加速し、後進国ロシアに社会主義を生み出すよい機会だと考えた。
 大戦はプロレタリアートを鍛え、活発な闘いへと追い込むだろう。
 トロツキーは戦争を「学校」に譬えた。それを通じた「恐ろしい」現実によって、新しいタイプの人間が作り上げられるのだ。
 レーニンとブハーリンも、同様の気分を表現した。//
 (04) レーニンは、権力への意思と自らの方法での神話創造を具現化した人物だった。
 ブハーリンはニーチェ思想に慣れ親しんでおり、Bogdanov を崇敬していた。
 トロツキーが初めて公にした論文の表題は、「超人(Superman)に関する若干のこと」だった。
 彼らは全員が、権威主義的で、暴力的で冷酷な文章節を拡大し、漸進主義的な文章部分を抹消するレンズを通じて、マルクスやエンゲルスを読んだ。
 彼らが好んだ言葉—「奴隷」、「隷属」、「主人」、「権力」および「意思」—は、マルクス主義やニーチェ、および革命的知識人たちの気分(ethos)と共振していた。
 レーニンは「我々の奴隷的部分」への憎悪を明確に語り(Tucker 編・レーニン選集、p.197-8)、Chernyshevsky がかつてロシアを「奴隷たちの国」と呼んだことを思い起こさせた。
 ブハーリンは、「奴隷の心理と慣習がいまだに深く染み込んでいる」と不満を語った。
 労働者たちは新しい主人になるように再生産されなければならない。
 トロツキーは、こう宣言した。「きみたちはもう奴隷ではない。もっと高く立ち上がり、人生の主人となれ。上からの命令を待つな。」
 一定程度のボルシェヴィキたちが採用した美名—スターリン(Josef Djugashvili)、モロトフ(Viacheslav Skriabin)、カーメネフ(Lev Rosenfeld)—は、それぞれロシア語の鋼鉄、金槌、硬石に由来していた。
 彼らは、プロレタリアートが用いる素材または道具を含意せていた。そしてまた、ニーチェの命令である「頑強(hard)であれ」にも反応していた。
 革命の後、ボルシェヴィキたちは「司令者かつ立法者」になり、大衆は彼らの「道具」となった。
 ——
 第二部・第5章の「序」が終わり。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
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  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
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  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
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  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
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  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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