秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ロマン・ロラン

2968/R. Pipes1990年著—第18章㉖・あとがき。

 Richard Pipes, The Russian Revolution 1899-1919 (1990).
 「第18章・赤色テロル」のつづき。
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 第十二節/赤色テロルの犠牲者。
 (01) 赤色テロルには、多様な側面がある。しかし、歴史家がまず何よりも関心をもつべきであるのは、犠牲者たちだ。
 犠牲者の数を決定することは、できない。将来も、そうだろう。レーニンがチェカ関係資料を破壊することを命じたのは、ほとんど確実だからだ。(注137)
 Latsis は、1918年と1920年のあいだに処刑された者についてのソヴィエトの公式の数字にきわめて近い数字を、提示した。12,733 人だ。
 しかしながら、この数字に対しては、きわめて少なすぎる、という異論が提起されてきた。その理由は、Latsis 自身の推算によっても、中央ロシアの20州で単年(1918年)に6,300件の処刑が行なわれた。そして、その犠牲者のうち45,200人は、反革命的活動のゆえに射殺された、ということにあった。(注138)
 Latsis の数字は、大都市のいくつかについて利用可能な統計資料に照らしても、きわめて不均衡だ。
 かくして、William Henry Chamberlin は、プラハのロシア文献資料庫(Prague Russian Archive、今はモスクワにある)で、1920年—この頃までに死刑判決は公式に廃止されていた—についてのウクライナ・チェカの報告書を発見した。その報告書は、3,879件の処刑、そのうちOdessa で1,418件、Kiev で538件、を表示していた。(注139)
 Tsaritsyn でのボルシェヴィキによる虐殺行為に関する研究によって、3,000人〜5,000人の犠牲者数という概数が、明らかになった。(注140)
 〈Izvestiia〉によると、1920年の5月22日と6月22日のあいだに、革命審判所だけで—つまりチェカによる犠牲者を算入しないで—600人の市民に死刑判決を下した。その中には、「反革命」の35人、スパイ行為の6人、職務怠慢の33人が含まれていた。(脚注6)
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 (脚注6) Izvestiia, No.155/1002(1920年7月16日), p.2. 犠牲者のうちの最大多数の273人は、脱走および軍役を回避するための自傷行為が理由だった。
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 Chamberlin は、これらの数字を用いて、赤色テロルの総犠牲者の概数を、 5万人とした。
 Laggett によると、14万人だった。(注141)
 誰もが確実に言えるのは、Jacobin のテロルの犠牲者数が数千にのぼったとすれば、レーニンによるテロルの犠牲者数は、数十万人ではなくとも、Jacobin 派の10倍にはなる、ということだ。
 スターリンとヒトラーが開始した新しいテロルの波の犠牲者は、数百万人にのぼることになる。
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 (02) この大殺戮の目的は、いったい何だったのか。
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 (03) レーニンに支持されたDzerzhinskii は、しばしば、テロルとその装置であるチェカは、革命を救った、と豪語した。
 このような自賛は、革命がボルシェヴィキ独裁制と同じ意味であるかぎりで、正しい。
 ボルシェヴィキがテロルを開始した1918年の夏まで、彼ら自身内部を除いて、赤色テロルは民衆の各層から拒否されていた、という明確な証拠資料が存在している。
 このような状況のもとでは、「容赦なきテロル」は実際に、体制を維持する唯一の方法だった。
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 (04) テロルは、「容赦なき」ものであるのみならず(「容赦のある」テロルを考え得るか?)、無差別のものでなければならなかった。
 かりにボルシェヴィキ独裁に対する反対者が明確な少数派だとすれば、彼らの外科的切除を考え得ただろう。
 しかし、ソヴィエト・ロシアでは、少数派だったのは、体制とその支持者たちだった。
 権力を維持するために、独裁制はまず社会を原子的に分解し、ついで行動しようとする意思そのものを破壊する必要があった。
 無実の者を処刑することに躊躇を感じない体制では、無実であることは生き延びる何の保証にもならない、ということを、赤色テロルは一般民衆に教えた。
 生き延びる最良の望みは、自らを可能なかぎり目立たないようにすることにあった。これが何を意味するかというと、自立した公的活動という考えを、そして公的活動への関心を、全て放棄すること、そして私的な世界に閉じこもること、だった。
 いったん社会が人間という原子の集積体へと解体され、各人が気づかれることを怖れ、肉体的な生存についてのみ関心をもつようになると、社会が何考えているかは、問題でなくなってしまう。政府が、公的活動の全領域を自分のものにしているのだから。
 少数派は、このような状況のもとでのみ、数百万人を服従させることができた。
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 (05) しかし、このような体制が支払うべき対価は、その犠牲者にとっても、その実働者にとっても、安くはなかった。
 ボルシェヴィキは、圧倒的多数の意思に反して権力にとどまるために、誰もの認識を超えるほどに、権力を歪める必要があった。
 テロルは、共産主義を救ったかもしれない。だが、まさに魂(soul)そのものを腐食させた。
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 (06) Isaac Steinberg は、市民と当局の双方に対する赤色テロルの破壊的な影響を、鋭く指摘した。
 彼は、1920年に路面電車で旅行したとき、乗客でいっぱいの車両と国全体のあいだの類似性に衝撃を受けた。
 「我々の国は、今日の路面電車に似ていないか? 電車は使い古され、古さでキーキーと音を立て、ぎっしりと詰まった乗客を乗せて、モスクワの荒涼とした街路を進んでいる。疲れ果てる闘いをしたあとであるかのごとく、車内で呼吸するのは難しい。
 乗客たちの目を見ると、飢えていそうだ。
 恥ずかしげもなく、他人から座席を奪っているのが見える。
 多数の大衆が偶然に一緒になったのだが、お互いの同情や理解の感覚は全くないようだ。全員がお互いをライヴァルにすぎないと見ている。
 路面電車の運転手に対する愚かな憎悪がある。これは、政府、国家、組織に対する、偶然にめぐり合った大衆の感情の表現だ。
 乗ろうとして電車の入り口で群がっている者たちへの無関心と皮肉があった。これは、共同体に対する、そして連帯感に対する姿勢だった。
 もっと熱心に観察すれば、彼らは根本的にはお互いによく似ていることに気づく。彼らの敵対的な目には、同じ思い、兄弟のように光る同じ輝きがある。
 彼らはみな心の中で、同じ痛みで泣いている。
 だが、今、ここでは、慈悲の情のない敵どうしだ。」(注142)
 しかし、彼は、テロルがその実行者に対して与える影響にも注目した。
 「テロルが階級敵であるブルジョアを襲うとき、彼らの自尊心と愛の感情を押しつぶすとき、彼の家族から離れさせるかまたは家族の中に閉じこめさせるとき、テロルが彼の精神を傷つけて無気力にするとき、テロルはいったい誰を攻撃しているのか?
 敵の階級的性格だけが、彼にだけ独特なもので、彼とともにいずれ消失するのか?
 あるいは、テロルは同時に、何か一般的なもの、全ての人間に、すなわち人の人間的本性にかかわる何かを攻撃しているのか?
 憐憫と苦難の感情、精神や自由への切望、家族への執着、遠方への渇望—これらは「人間」を作るものだが—、これらは、究極的には、〈いずれ〉の側の陣営でも知られており、共通している。
 そして、テロルが人類の一定の集団に共通している感情を抉り出し、追い出し、嘲るとき、テロルはどこでも、全ての魂に対して同じことをしている。
 敵の陣営で冒涜される尊厳の感覚、敵に対する憐れみを抑えつけた感情、一定の敵に負わせた苦痛は、心理的反射を通じて、勝利者の陣営へとはね返ってくる。
 隷属は、打ち負かされた者たちの魂に与えるのと同じ影響を、勝利者に対しても生み出す。」(注143)
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 第十三節/外国の反応。
 (01) 外部の世界は、新聞の記事、訪問者による報告、ロシア人亡命者から、ボルシェヴィキのテロルが生んだ、包み込まれた影響を聞いた。
 一定範囲の人々は、嫌悪でもって反応した。若干の者たちは、同情した。
 だが、最も有力な反応は、一種の無関心さだった。
 ヨーロッパは、知りたいと思わなかった。
 ヨーロッパは、数百万人の生命を奪った戦争から抜け出したばかりだった。
 猛烈に、正常な状態が回復するのを望んだ。
 大量の死に関する物語になおも夢中になることはできない、と感じた。
 そして、赤色ロシアでの事態は言われるほど酷くはない、テロルは終わった、ともかくも自分の運命とは関係がないと、ときには真面目に、ときには欺瞞して、保障する者たちに、好んで耳を貸そうとした。
 ロシアは、つまるところは、イワン雷公(Ivan the Terrible)、ドフトエフスキーの「地下室の手記」、そしてRasputin の、異国情緒の残忍な国だった。
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 (02) 誤解させるのは、簡単だった。
 ソヴィエトの虚偽情報機構は、テロルによる犠牲を最小化し、言うところの挑発を最大化した。
 アメリカの素人評論家のWilliam Bullitt のような悪気のない外国からの訪問者は、とくに有効だった。この人物は、1919年2月に、Wilson 大統領の使節として、ロシア内部をすぐに動き去った。
 彼は、帰国したのち、アメリカ議会で、血にまみれたテロルという話は相当に誇張されている、と保障した。
 彼は聴衆に対して、「赤色テロルは終わった」と保証し、チェカは全ロシアで5000人「だけ」を処刑した、と述べた。
 「処刑は、きわめて稀れなことだ」。(脚注1)
 Lincoln Steffens は、ソヴィエト・ロシア訪問についての報告で、「ボルシェヴィキ指導者は赤色テロルを後悔しており、恥じている」と述べた。(注144)
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 (03) Bullitt やSteffens は、テロルを最小限に評価した。少なくとも、許容した。
 しかし、Pierre Pascal のような者を、どう判断すべきだろうか。この人物はフランスの若い元将校で、ロシアで共産主義者になり、のちにSorbonne で教授になった。そして、テロルを否認し、犠牲者の存在を嘲弄した。
 彼は、1990年2月に、「テロルは終わった」と次のように書いた。
 「本当のことを言うと、テロルは存在しなかった。
 フランス人にとって正確な観念に符号する『テロル』という言葉は、その執行を職責とするこの恐ろしい非常委員会[チェカ]の穏健さ、優しさ、上品さを見ると、私をつねに笑わせる。」(注145)
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 (04) 他の者たちは、ある種類のテロルがソヴィエト・ロシアを荒廃させているならば、別の種類の、同じく恐ろしいテロルが西ヨーロッパやアメリカ合衆国を苛んでいる、と考えて、安息を見出した。
 1925年に、政治的収監者のための国際委員会と自称するグループが、ソヴィエトの監獄や収容所の収監者から密かに聞いた証言集を出版した。
 そこでの各証言の真正さ(authenticity)を、誰も疑わなかった。
 だが、編集者のIsaac Don Levine がこのおぞましい証拠についてどう思うか、と世界を指導する知識人に尋ねたとき、反応は、控えめの衝撃を受けたというものから正直ではないと冷笑するものまで様々だった。
 Albert Einstein がそうだったように、ほとんど誰も、「殺されるのを怖れて殺す、という人間の歴史上の悲劇」を示すこうした資料の重大性を見て取ることができなかった。
 〈Jean Christophe〉の著者であるRomain Rolland は、「I.W.W〔Industrial Workers of the World, 世界産業労働組合/訳者〕の労働者たちを苦しめているCalifornia の監獄でも、ほとんど同じことが行なわれている」、という理由で、証言証拠の意味を軽視した。
 Upton Sinclair は、「ソヴィエトでの収監者の取扱いはCalifornia 州の収監者の条件とほぼ同じだ」、という恥ずかしい驚きを明言して、Rolland を支持した。
 Bertrand Russel は、もう少しだけよかった。彼は、いずれの側も類似のことを行なっている、という理由で、ソヴィエトと西側諸政府の間の「友好関係の促進」のためにこうした資料の出版が寄与することを「真摯に希望する」、と述べた。(注146)
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 第十二節・第十三節、終わり。<第18章・赤色テロル>も終わり。
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 あとがき(Afterword)。
 (01) 大戦が終わった1918年11月、ボルシェヴィキは、27州のヨーロッパ・ロシアを支配していた。そこに、およそ7000万人、あるいはロシア帝国の戦前の人口の半分、が住んでいた。
 境界諸国—ポーランド、フィンランド、Baltic 地域、ウクライナ、Transcaucasia、中央アジア、シベリア—は、分離して主権国家を形成するか、反ボルシェヴィキの白軍に支配されるか、のいずれかだった。
 共産党の支配地域は、ほとんど大ロシア人が住む、消滅した帝国の中心地域に囲まれていた。
 先には、内戦が控えていた。その過程で、ロシアは、国境地帯の全てでなくともほとんどを、軍事力でもって再征服し、その支配領域をヨーロッパ、中東、東アジアへと広げることになる。
 革命は今や、新しい段階に入る。膨張の段階へと。
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 (02) ボルシェヴィキによる支配の最初の1年、ロシア人は、歴史上先例のないほとんど無原則のテロルの採用によって威嚇されたのみならず、完全に途方に暮れた。
 その時期を生き抜いた人々は、全ての価値の再評価にさらされた。
 良くて褒められたものは、何であれ、悪くて罰せられた。
 神への信仰、慈善、寛容、愛国主義、節検(thrift)といった伝統的美徳は、滅びゆく文明の、受容し難い遺産だとして、新しい体制によって非難された。
 新しい体制が明らかにした適正な教条のために行なわれたものであれば、殺害、強盗、誹謗中傷、虚偽は良いことだった。
 全てに、意味がなかった。
 この時代の人々の困惑は、1918年夏に出版された黙想に反映されている。それは、数少ない比較的に自立した日常を記したものとして、なおも紹介するに値いするだろう。(注01)
 「Narva 門の向こうのどこかに男が住んでいたある朝、彼の前に置かれたsamovar〔茶沸かし器〕から注がれた茶を、飲んだ。
 主食のあいだ、ウォッカの瓶を半分空けて、〈The Petrograd Rag〉を読んだ。
 年に一度誰かが殺されたとき、彼は少なくとも1週間のあいだ、怒りを感じつづけた。そして、今…。
 親愛なるご主人、殺人(murders)については、彼らは書くのをやめた。反対に、昨日30人がやられ(bump off)、別の100人が強盗に遭った、と我々に教えてくれる。…
 これが意味するのは、全てが順調だ、ということだ。
 そして、何が起きようとも、窓から外を見ることすらしないよりは良い。
 今日、彼らは赤旗をもって行進した。明日は、たれ幕(banners)をもって。そしてまた、赤旗、そしてまた、たれ幕。
 今日、コルニロフ(Kolnilov)が殺されていた。明日、彼は復活している。
 その次の日、コルニロフはコルニロフではなくDutov で、Dutov がコルニロフだ。そして、彼らは、彼らの全員だが、将校でもコサックでもなく、ましてロシア人ではなく、チェコ人だ。
 そして、どこからチェコ人が来たのか、誰も知らない。…
 我々は彼らと闘い、彼らは我々と闘う。
 ニコライ・ロマノフ(Nicholas Romanov)は、殺された。彼は、殺されていない。
 誰が誰を殺したのか、誰がどこへ逃亡したのか、なぜVolga 河はもうVolga 河ではなく、ウクライナはロシアでないのか。
 なぜドイツ人はクリミアを我々に返すと約束したのか、Hetman〔コサックの首長〕はどこから来たのか、彼はいったい何者だ、なぜ彼はすぐに怒るのか。…
 なぜ我々は、精神病院(insane asylum)にいないのか。」
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 (03) 新しい状態はきわめて不自然で、常識や良識(decency)が侮辱された。その結果として、住民の大多数は、恐ろしくて不可解な大変動について、体制に責任がある、と考えた。その大変動に対しては抵抗することができず、始まったときのように突然に消滅するまでは、耐えなければならないのだった。
 しかしながら、事態の推移が示すだろうように、このような突然の消滅という期待は、間違っていた。
 ロシア人とボルシェヴィキ支配下の人々は、安息を知らないままになる。
 革命を体験し、生き延びた人々は、正常な状態の回復を見ることが決してできないことになる。
 革命は、彼らの悲嘆(sorrows)の始まりにすぎなかった。
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 1990年著・第二部、終わり。

0560/「人間」であることは必然か-樋口陽一の謬論。産経新聞・潮匡人のコラム。

 一 産経新聞6/15潮匡人のコラム「断」(何故か電子情報になっておらず「関連づけ」できない)によると、結構な各界トップが名を連ねた「地球を考える会」が、5/21に福田首相に対して「日本国内で地球愛確立の国民運動を起こす」等を提言した。また、その1週間後の政府広報は、「【日本人=地球人】として誠実に」という見出しの福田首相発言を掲載した。
 潮匡人が指摘するように、「地球人」も「地球愛」も意味がよく分からない。潮いわく-「地球愛も地球人も無意味で軽薄な偽善である」。
 二 不誠実で軽薄な偽善であるくらいならよいが、日本人・日本国民を素通りさせた「地球人」・「地球市民」・「世界市民」等の強調は、<日本人・日本国民>意識の涵養を抑制し又は軽視・否定するための<左翼>の戦術であることに注意しなければならないと思われる。上の潮の叙述のとおりならば、政府広報もこの戦術にひっかかっている。
 樋口陽一・ほんとうの自由社会とは(岩波ブックレット、1990)は、ロマン・ロランが言ったという次の言葉を肯定的に引用している(p.60)。
 「私がフランス人であることは偶然だが、私が人間であることは必然だ」。
 樋口は、<私が日本人であることは「偶然」だが、人間(=地球人=地球市民)であることは「必然」だ>とでも言いたいのだろう。
 しかし、これらの言葉は誤っている。
 フランス人として生まれるか日本人として生まれるかは、たしかに「偶然」かもしれない。しかし、「人間」として生まれてくるのかどうか、他の生物として生まれてくるのか、それそも何としても<生まれてこない>のかも、全くの偶然にすぎない。
 「私が人間であることは必然だ」というのは人間として生まれた者だからこそ言えるのであって、そうでない者(?)も含めれば、全くの偶然にすぎない。人間に限っても、何かの偶然で生まれなかった人間は生まれた者の何億倍も無数に存在しているはずだ。
 樋口の人間観は、けっこう底の浅いものだ。
 人間、そして「人権」というものの<普遍性>を語るために、「人間」であることの「必然」性などを語るべきではない。
 三 そもそも私は樋口陽一という人物の基本的発想を疑問視、危険視しているので、上の点だけに限りはしない。これまでも書いたし、今後も書きつづけていくだろう。戦後日本の<風潮>を形成した「左翼」憲法学者の代表的一人と目されるからだ。

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