「池田信夫(の)ブログ」を表題の一部にして、昨2018年の09/27、10/29、12/07と三回投稿しているので、今回をを№004として、続ける。
原則的に毎日または毎夕に読んではいるので、感想めいたことを書き出すとキリがない。
かと言って、少しでもメモしておかないと、そのうち忘れてしまって、<貴重な>知的体験類を再現できなくなる。
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池田信夫ブログマガジンがレヴィ=ストロースの「美しい文章」を、たぶん紹介している邦訳書から引用していたのは、(もっと最近かと感じていたが)2019年3/11号だった。
ここでは、一文ごとに改行。「名著再読」の項の一つ。
「人は未来もずっとここにいることはできず、この惑星の表面から消えることは避けられないが、その惑星も死ぬ運命にある。
人の労働や悲しみや喜びや希望など、はかない現象の記憶を保持する意識も生き残りえず、やがて人類のわずかな証拠も地球の表面から消されるだろう。
--まるでそれは最初から存在しなかったように。」
フランスの哲学者らしき者には関心もほとんどなかったが、読んでみてもよいかな、と思わせた。
個々の人間が生まれていつか必ず死ぬように、ヒトという「種」(ヒト科・ヒト属)もまたいつか必ず消滅するのだろう。
始まりまたは誕生があるとすれば、終わりまたは死滅も必ずある。
それどころか、ヒトその他の動物、さらに生物を生んだこの地球もまた、いずれ、何らかのかたちで消滅するだろうと、「科学的」に予知されている。
それどころか、そもそも太陽自体が、いずれ燃え尽きるか、大爆発して消滅するだろうとされている。
太陽に生成があったとすれば、いずれ消失もある。
私は、このかけがえのない自分は、いったいどこから来たのか。ヒトの一個体として、たまたまこの時期に、地球上のある地域(日本列島)に、生まれた。
その「意識」もいずれ近いうちになくなり、私にとっての「悲しみや喜びや希望など」の全ては消失するが、同じことは「人類」自体について、そうであるに違いない。
ヒトの個体とその意識・感情が死滅を避けられないように、人類自体もまた、そうだと思われる。
決して、何らかの「よい」方向へと、試行錯誤しつつも「進歩」しているのではない。
何らかの、一定の前提、<約束事>の中で藻掻いているにすぎない。
「知識人」?、「言論人」? 「論壇人」? /どの(日本の)大学?、学歴?
そのような、それに関する、自意識をもって世俗的に生きているらしき多数の人々(もちろん日本人を含む)の<底の浅さ>を、「深いレベル」での感受性の欠如を、感じさせざるを得ないだろう。
原則的に毎日または毎夕に読んではいるので、感想めいたことを書き出すとキリがない。
かと言って、少しでもメモしておかないと、そのうち忘れてしまって、<貴重な>知的体験類を再現できなくなる。
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池田信夫ブログマガジンがレヴィ=ストロースの「美しい文章」を、たぶん紹介している邦訳書から引用していたのは、(もっと最近かと感じていたが)2019年3/11号だった。
ここでは、一文ごとに改行。「名著再読」の項の一つ。
「人は未来もずっとここにいることはできず、この惑星の表面から消えることは避けられないが、その惑星も死ぬ運命にある。
人の労働や悲しみや喜びや希望など、はかない現象の記憶を保持する意識も生き残りえず、やがて人類のわずかな証拠も地球の表面から消されるだろう。
--まるでそれは最初から存在しなかったように。」
フランスの哲学者らしき者には関心もほとんどなかったが、読んでみてもよいかな、と思わせた。
個々の人間が生まれていつか必ず死ぬように、ヒトという「種」(ヒト科・ヒト属)もまたいつか必ず消滅するのだろう。
始まりまたは誕生があるとすれば、終わりまたは死滅も必ずある。
それどころか、ヒトその他の動物、さらに生物を生んだこの地球もまた、いずれ、何らかのかたちで消滅するだろうと、「科学的」に予知されている。
それどころか、そもそも太陽自体が、いずれ燃え尽きるか、大爆発して消滅するだろうとされている。
太陽に生成があったとすれば、いずれ消失もある。
私は、このかけがえのない自分は、いったいどこから来たのか。ヒトの一個体として、たまたまこの時期に、地球上のある地域(日本列島)に、生まれた。
その「意識」もいずれ近いうちになくなり、私にとっての「悲しみや喜びや希望など」の全ては消失するが、同じことは「人類」自体について、そうであるに違いない。
ヒトの個体とその意識・感情が死滅を避けられないように、人類自体もまた、そうだと思われる。
決して、何らかの「よい」方向へと、試行錯誤しつつも「進歩」しているのではない。
何らかの、一定の前提、<約束事>の中で藻掻いているにすぎない。
「知識人」?、「言論人」? 「論壇人」? /どの(日本の)大学?、学歴?
そのような、それに関する、自意識をもって世俗的に生きているらしき多数の人々(もちろん日本人を含む)の<底の浅さ>を、「深いレベル」での感受性の欠如を、感じさせざるを得ないだろう。