秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ルィセンコ

2772/中村禎里・日本のルィセンコ論争(新版, 2017)。

  中村禎里(米本昌平解説)・新版·日本のルィセンコ論争(みすず書房、2017)
 なかなかすごい本だ。いろいろな意味で。
 生物学・遺伝学に関する〈自然科学〉系の書物だ。但し、遺伝に関心はあり、L・コワコフスキの書物でもソ連の戦後の学問に関する叙述の中で触れられているから、全く理解できないというのでは全くない。
 もう少し大まかな紹介をすれば、第一に、特定の主題に関する、日本の、しかも特定の一時期の、学問史、科学史の書物だ。
 第二に、政治または政党・党派と学問(自然科学)の関係に関する書物だ、
 政治または政党・党派とは社会主義(・共産主義)、ソヴィエト連邦・同共産党(スターリン)、一定時期の日本共産党を意味する。
 推測ではあるが、原著者がこれを執筆し(初版著は1967年)、米本昌平が冒頭にやや長い〈まえがき)を書きつつ実質的には新版=「50周年記念版」の刊行を推進したようであるのも、上の第二点に理由があるように思える。そうでなければ、21世紀にもなれば相当に古い、かつ生物学上の一論争(主として戦後直後、1950年年代)に関する書物を10年ほど後に出版したり、そのまた50年後に新版を刊行したりする気になれないのではないか。
 もっとも、それだけに、秋月瑛二に興味深いものではあっても、一般むけの書物ではない。遺伝学に何の関心もなかったり、そもそもソ連・スターリンや日本共産党を興味の対象にしない日本人にとっては、何やら面妖なことが書かれているだけの書物でしかないだろう。
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  日本に今でも民主主義科学者協会法律部会(2023年11月以降の現会長は小沢隆一)というのがあるが、この名称は、かつて「民主主義科学者協会」という学会または「科学者」の組織があり、現在までずっと存続しているのは「法律部会」だけであることを示している。かつては「政治(学〉」部会も、「生物(学)」部会等の自然科学系の「部会」もあった。1946年に民主主義科学者協会「理論生物研究会」発足、1950年に同「生物部会」に発展。
 書物をめくって確認しないが、「論争」参加者・関与者の中にはこの<民科>「生物部会」の会員も少なからずいた。
 現在の「法律部会」についてもそうだが、当時の民科「生物部会」の中にも当時の日本共産党の党員はおり、またソ連や〈社会主義〉の影響を受けた学者たちはいたものと思われる。
 中村禎里(1933〜)は論争の当事者ではなかったとしても彼らの次の世代の生物学者(研究者)として、民科「生物部会」の会員だったようだ。そうでないと、「論争」のとくに遺伝学上の意味を理解できないし、けっこうの大著を執筆もできなかったに違いない。
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  ルィセンコ学説、ルイセンコ論争の内容には触れない。
 L・コワコフスキの書物でもかなり詳しく言及されていたが、ルイセンコ(1896-1976)の学説は、ソ連共産党中央の支持を受けたー上の中村著はこう書く。p.64-。 
 1948年の「ソ連農業科学アカデミー会議」の報告の多数はルイセンコ学説支持で、会議の最後に会長のルイセンコが登壇して発言した。
 私への質問書の一つに「わたくしの報告にたいして党中央委員会はどんな態度をとっているか」というのがある。私は答える、「党中央委員会はわたくしの報告を検討し、それを是認した」と。
 つづいて、「嵐のような拍手、熱狂的な賞賛。全員起立」。
 反ルイセンコだった有力学者某はすぐのちに「党中央委員会の決定にしたがって、自説を放棄すると宣言した」。
 なお、ルイセンコ説に対比された「ブルジョア」学説は「メンデル・モルガン主義」と称された、という。このモルガン(モーガン)の名は、DNAの構造の解明へとつながっていった、メンデル以降の細胞学・分子生物学・遺伝学等のいわば〈嫡流〉にあった重要人物として、「染色体」や「細胞」等に関する記述の中で、この欄で出したことがある。
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  中村著は表向きは強調しているのではない。しかし、この本で初めて知った(確からしい)ことがある。
 L・コワコフスキの書物がルイセンコの関連して日本共産党に触れているわけがない。
 中村著は何気なくこう明記している。1949-50年に日本でのルイセンコ論争に関して新しい状況が生まれた。第一、ルイセンコ著の比較的忠実な翻訳書が刊行された。第二、ソ連での論争・対立の状況も知られるようになった。第三はこうだ。p.63。
 「第三に、日本共産党が、その機関誌紙を通じて、また指導者の発言を通じて、ルィセンコ説支持の態度をはっきりとうちだした」。
 これは相当に興味深い。中村は「日本共産党」(同党員)という語をほとんど使っていないが、日本での論争参加者の中にはおそらく間違いなく、当時の「日本共産党員」もいただろうと推測させる。 
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 自然科学上の議論、論争に、現在の日本共産党が容喙することはないだろう。
 しかし、例えば「政治」理論とか「歴史」認識とかの、政治学や歴史学に関係することには、当然のごとく干渉している、と考えられる。「歴史認識」が歴史学・歴史研究者の研究・判断の対象であることは言うまでもない。声明等を出さなくとも、日本共産党の綱領自体が、ロシア革命や「ソ連(共産党)」に関する、一定の理解・認識を前提としている。ロシア史・ソ連史ひいては世界史の学者・研究者であって日本共産党員である者が、党の理解・主張から全く自由であるとは考えられない。
 「法律部会」関係でも、「一字一句変えさせない」(数年前の小池書記局長。テレビ報道による)と現日本国憲法について言っていた日本共産党が、またその旨を主張しているはずの日本共産党中央があるなかで、憲法九条以外についてであれ、「憲法改正」の具体的議論を日本共産党員たる憲法学者・研究者が自由にできるわけがない。彼らは、「学問・研究の自由」を自ら制限し、一部を放棄しているわけだ。むろんまた、民科「法律部会」会員も日本共産党の多少とも強い影響下にある。
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1921/L・コワコフスキ著第三巻第四章第6節。

 レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)のマルクス主義の主要潮流(原書1976年、英訳書1978年)の第三巻・崩壊。試訳のつづき。
 第4章・第二次大戦後のマルクス=レーニン主義の結晶化。
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 第6節・マルクス=レーニン主義の遺伝学。
 (1)マルクス=レーニン主義と現代科学との間の全ての闘いの中で、遺伝学に関する論争ほど外部世界の注目を集めたものはなかった。
 公式の国家教理が遺伝の問題に関して用いて、かつ「論議」一般に破壊的な影響をもったやり方というのは、実際にとくに悪辣だった。
 相対性や量子理論の場合は、イデオロギー正統派が研究を妨害し確実に非難することに成功して勝者となった。しかし、正統派は反対派を完全に破壊してしまったわけではなかった。また、遺伝学の場合に起きたようには、反対派の理論の公式かつ絶対的な禁止をもたらしたわけでもなかった。//
 (2)戦前の段階でのルィセンコ(Lysenko)の活動については、すでに言及した。
 事態は、1948年8月のモスクワでの農業科学レーニン・アカデミーでの論議で、絶頂点に達した。
このとき、「メンデル=モルガン=ヴァイスマン主義者」が最終的に非難され、ルィセンコ自身が会合に対して発表したように、彼の考え方が党によって是認された。
 党がマルクス=レーニン主義と合致する唯一のものだと宣告したルィセンコの理論は、遺伝は「究極的には」環境の影響によって決定される、したがって一定の条件のもとでは、個々の生物(organism)がその人生を通じて獲得する特性(traits)はその子孫たちに継承〔遺伝〕される、というものだった。
 遺伝子(gene)なるものはなく、「遺伝という不変の実体」はなく、「固定した、変更不可能な種(species)」もない。そして、原理的に言えば、科学、とりわけソヴィエト科学が、現存する種を変形させて新しい種を生み出すことを妨げるものは、何もない。
 ルィセンコによれば、遺伝とは一生物の一つの属性にすぎず、その属性は、その生物が生きていく特有の条件を必要とし、またその生物が特有の方法でその環境に反応するということから生じる。
 一個体はその生の過程で環境条件と相互に影響し合い、その環境条件を自分自身の特性へと変える。そしてそれを、子孫たちへと伝達していくことができる。-このことは、代わりに、自分たちの特性を失うか、または遺伝によって伝達できる新しい特性を獲得することでありうる。それはまた、外部条件が決定しうるものだ。
 永遠(immortal)の遺伝という実体の存在を信じる進歩的科学の擁護者は、マルクス主義に反して、突然変異(mutation)は制御不可能な偶然によって生じると主張する。
 しかし、ルィセンコがアカデミーの会合で論じたように、「科学は、偶然なるものの敵だ」。そして科学は、生命の全過程が法則に従っており、それを人間の干渉によって支配することができる、と想定するよう義務づけられている。
 生物は「環境との統合体(unity)」を形成する。ゆえに原理的には無制限に、その環境を通じて生物に影響を与えることが可能だ。//
 (3)ルィセンコが提示した理論は第一に、農学者のミチュリン(Michurin、1855-1935)の発想と実験を発展させたものだった。第二に、「創造的ダーウィニズム」の例だとして提示された。
 ダーウィン(Darwin)が道を誤っていたのは、自然にある「質的跳躍」を認識しなかったこと、および種内部の闘争(最適者生存)を進化の主要な要因だと考えたことだった。 彼は、目的論的解釈に頼ることをしないで、進化を純粋に因果関係の意味で説明し、進化の過程の「進歩的」性格を明らかにしなかった。//
 (4)ルィセンコ理論の経験上の根拠に関して、今日の生物学者たちは疑いなく、ルィセンコの実験は科学的には無価値であり、間違って行われているか全く恣意的な解釈が施されているかのいずれかだ、と判断している。
 ルィセンコは1948年の会合から、ソヴィエトの生物科学の疑いなき指導者となって登場した。そして、観念論的、神秘主義的、スコラ主義的、形而上学的、およびブルジョア的で形式主義的な遺伝学の学者たちは完璧に粉砕された。
 全ての組織、雑誌および生物学に関連する出版団体は、ルィセンコと彼の助手たちの権威のもとに置かれた。そして多年にわたり、遺伝に関する染色体(chromosome)の理論の擁護者(<仮説だが(ex hypothesi)>、ファシスト、人種主義者、形而上学者、等々)が公衆に語りかけまたは活字となって登場することが許される、などということは全くの論外だった。
 「創造的ミュチュリン主義生物学」が至高ののものとして支配し、プレスにはルィセンコを称賛し、メンデル=モルガン主義者たちの邪悪な策略を非難する記事が洪水のごとく溢れた。
 ソヴィエト科学の栄光ある勝利は、無数の会合や集会で祝福された。  
 哲学者たちはもちろん、ただちにそうした運動に加わり、会合を組織し、反動に対する進歩の勝利を歓呼して喜ぶ多数の論文を執筆した。
 娯楽雑誌は、観念論的遺伝学の支持者を嘲弄した。そして、ルィセンコを賛美する歌までが作られた。「ミチュリンの足跡にそってしっかりと前進しよう。メンデル=モルガン主義者の陰謀を挫折させよう」。//
 (5)ルィセンコの経歴は、1948年以後の数年間にわたり継続した。
 その間に、彼の指揮のもとで、ある範囲の大草原地帯には浸食から畑地を守るべく森林帯が植え付けられた。しかし、その実験は完全な失敗だったことが分かった。
 1956年、スターリン死後のイデオロギー的な部分的雪解けの間、科学者が圧力を加えた結果として、ルィセンコは農業科学アカデミーの院長から外された。
 数年のち、フルシチョフの好意によって彼はいくつかの地位を回復した。しかし、のちに長く続いた全体的な救いにはならず、ルィセンコは最終的には舞台から消えた。
 ソヴィエトの生物学がルィセンコの支配によって被った損失は、計り知れないものだ。//
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つぎの第7章の表題は、「ヴィエト科学に対する一般的影響」。
ギャラリー
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  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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