産経新聞5/13の社会部「風」欄(テーマ「女の生き方」の一つらしい)に、次の文章がある。署名は「(佳)」。
「男性と女性の意見を比べると、総じて男性は『女は母親になるべきだ』という保守的な考えを持っている人が依然として多いと感じさせられた」。
前後の脈絡にも触れるべきだろうが割愛する。
上の文章には違和感をもった。週刊金曜日、朝日新聞あたりに書かれてあると注目もしなかったかもしれないが、諸新聞の中で「保守的」とされる産経新聞紙上だからこそおやっと思った、とも言える。
第一。上では、「保守的(な考え)」とは、消極的あるいは悪い意味で用いられていることが明らかだ。これを書いた記者(女性?)は明らかに、戦後「進歩」教育の影響を受けて、「進歩」的=善(または新しい、積極的に評価される)、「保守」的=悪(または古くさい、消極的に評価される)という考え方および言葉の用い方を採用している。
産経新聞もまた、<戦後体制>の中で生きていること、その中で育った<戦後教育>の体現者たる少なくない記者たちで構成されている、と感じざるをえない。
第二。「女は母親になるべきだ」という考えは(「保守的」と表現するかどうかはともかくとしても)消極的に評価されるものなのか。私には異論がある。
「女は母親になるべき」か否か、という問題設定自体が奇妙というべきだ。つまり、<女性は、母親となる肉体を、生まれつき用意されている>。これは「べき」か否かという問題ではなく、<自然>の叙述だ。
むろん、先天的または後天的に受胎・妊娠・出産できない女性もいるだろうことを否定はしない。だが割合的に見て多くの女性は、受胎・妊娠・出産をして「母親」になれるはずだ。
いったい何のために女性には排卵があり、肉体の中に子宮があるのか。自然は(あるいは「神」は?)、母親となる性として、女性を造形しているのだと思われる。
「女は母親になるべき」か否かなどと問題設定すること自体が、<自然>に反している。理屈ではない、理屈を超えた<自然>そのものだ。
新しい生命を孕み産み出せる肉体をもつ(=母親になれる)のは女性に限られる。その崇高な役割を、「個人主義」や男女「平等・対等」主義や「生殖に関する自己決定権(リプロダクティブ・ライツ)」論、総じて<左翼>フェミニズムは忘れさせようとし、そして<少子化>は進む。
むろん出産・子育て等にかかわる<社会的>等の障壁がありうることを否定はしない。
だが、再び書いておく。いったい何のために女性には排卵があり、肉体の中に子宮があるのか。自然は母親となる性として女性を造形している。「女は母親になるべき」か否かなどと問題設定すること自体が、<自然>に反している。理屈ではない、理屈を超えた<自然>そのものだ。
リプロダクティブ・ライツ
齊藤笑美子、1975~。一橋大学法学部卒、現在(2008~)茨城大学人文学部准教授。専攻、「憲法・ジェンダー法学」。
この齊藤が「暮らしにひそむ天皇制」を特集テーマとする週刊金曜日4/30=5/07合併号に登場し、「24条が届かない1章-個人の尊厳・両性の平等と天皇制」と題する文章を寄せている。
これに見られる憲法解釈方法の逸脱の甚だしさには別の機会にも触れる。この点にも関係せざるをえないが、齊藤が「一憲法学徒として」言いたいこと二つのうち一つは「リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)」=「子を持つか持たないかを決める自由」の問題らしい。そして、次のように言う。
<皇位継承資格者の妻になった女性たちには、かかる自由は実質的にはない。「リプロダクティブ・ライツの欠如」は、憲法上の天皇の世襲制の「必然的帰結」で、「女系天皇」を認めても大きな変化はない。「天皇家の人々の権利の制約」はこれらの人々が最初から「市民的な権利保障体系の外部」にあることの「帰結」だ。>
この人はいったい何を言いたいのか。世襲の(象徴)天皇制度の存在を憲法が明記して肯定しているかぎり、<世襲>制によって、天皇または皇族を一般的「市民」と同列に(平等に)扱うことができないのは、当然のことではないか。
上のように指摘したあとで齊藤は、だから、という論法で天皇制廃止の憲法改正等を主張する。こうまで明記するとは現時点ではなかなか勇気のいる、だがいかにも「左翼」らしい見解だ。
それはさておき、皇室の女性は「リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)」を実質的には持たないと問題視していることから窺われるのは、<一般>国民たる女性はそのような権利(・自由)を当然に持っている、持つべきだ、という見解に齊藤が立っている、ということだ。
「リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)」なるものを(男性についても)一概にまたは一般的に否定する気はない。
だが、この権利・自由を意識し、強く主張し続けることの帰結はいったい何だろうか。出産につながる妊娠をするかしないかを決する権利・自由の段階ならばまだよい。
だが、妊娠した女性について「子を持つか持たないかを決める自由」を語ることは、どういう結果をもたらすだろうか。
妊娠した女性の「個人の尊厳」と<自己決定権>を尊び、「子を持つか持たないかを決める自由」があると説くことは、中絶・堕胎を勧めることとなる可能性があるというべきだろう。むろん、やむをえない事由でそうしなければならない女性(・その配偶者等)もいるだろうが、上の権利・自由の強調は、妊娠中絶・堕胎を増加させることになる、と推測するのが自然だろう。
民主党のウェブサイトの中の「男女共同参画政策」のページの中に、次のような恐ろしいデータが掲載されている(データの典拠は不明)。
「2005年度の統計では、15歳~19歳の女子の中絶率は、人口千人につき9.4となっています。これは、性交経験の有無に限らず約106人に1人が一年間に中絶を経験していることを意味します。なお、年齢別にみると、19歳の女性の58人に1人、18歳女性の80人に1人の割合で人工妊娠中絶を経験していることになります。」
民主党「男女共同参画局」のメンバーには局長・太田和美(福島2区)、事務局長・永江孝子(愛媛1区)以下、<小沢ガールズ>が勢揃いしているようだ。この人たちは、自らの党のサイトが示している上のようなデータとなっている原因・背景について、まともに頭を巡らしたことがあるだろうか?
(男性についても似たようなものだが)女性についての<個人主義>の行き過ぎ、というのが基礎的だろうが、そこから派生する、とくに女性憲法学者や<ジェンダー・フリー>論者の説く、「リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)」=「子を持つか持たないかを決める自由」もまた、上のような実態の背景・原因になっていると思われる。
<少子化>社会への変化の背景・原因の一つであることも疑いえないだろう。
<少子化>とは、戦後の女性が、「リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)」=「子を持つか持たないかを決める自由」を積極的に行使したことの結果でもあるまいか。
そうだとすれば、一国の衰亡の一徴表であるかに見える<少子化>は、<ジェンダー・フリー>学者・論者(「女性法学」なるものを含む)あるいは「左翼」フェミニストの、戦後における<勝利>の象徴であるはずだ。
福島みずほ(瑞穂)は「少子化担当相」と称されている。真剣に適切な「対策」を考えているかは大いに疑問で、この人物は、本当は<少子化推進担当大臣>なのではないか。
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