秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ムカジー

2742/生命・細胞・遺伝—11。

 生命・細胞・遺伝—11。
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 生殖細胞である精子と卵子は、それぞれ順調に成長した男子と女子の体内で、「減数分裂」によって作られる。但し、突如としてそうなるのではなく、<始原生殖細胞>をヒトは備えて生まれてくるらしい。この始原生殖細胞(前精原細胞・卵原細胞)をiPS細胞から作り出す方法の開発に日本で成功したとかのニュースが2024年5月にあった。
 「減数分裂」と称されるように、細胞の一種ではあるが、精子・卵子は「体細胞」と違って、その半分の23本の「染色体」しか持たない。両者が結合して「受精卵」となって、元の?46本に戻る。
 精子・卵子の23本の染色体は、既述のように、22本の「常染色体」と1本の「性染色体」に分けられる。精子のもつ「性染色体」にはX型とY型の2種がある。1本しかないので、あらかじめ、このいずれであるかが決められている。卵子の「性染色体」はつねにX型だ。したがって、受精卵が「常染色体」以外にもつ「性染色体」にはXY型とXX型があることになる。
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 「染色体」は、「常〜」にしても「性〜」にしても、それ自体が<遺伝情報>を持つものではない。<遺伝情報>は、個々の「遺伝子」がもつ。多数の「遺伝子」を一部に取り込んで、長い2本の「らせん」状になった鎖が「DNA」だ。
 染色体は、細胞分裂時に凝固した(遺伝子・)DNAを保護するかのごとく「くるんで」いる。この点について、以下の叙述は異なる理解・説明をしているようだが(DNAを「くるむ」物体とDNAが「形をかえる」物体とではたぶん意味が違うだろう)、一般的または多数でもないように思われるので、無視しておく。一時的に出現する「別の」構造体か、それとも「同じ」一体のDNAが変形したものか?
 細胞が「分裂をはじめるときになると、DNAのひもはぎゅっと凝縮されて、何本もの棒状の物体へと形をかえる」。「この棒状の物体は『染色体』とよばれており、ヒトの場合は一つの細胞につき、46本あらわれる」。
 雑誌ニュートン別冊・知りたい!遺伝のしくみ(ニュートンプレス、2010)
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 染色体でもDNAでもなく「遺伝子」がヒトの「性」を決定するした場合、その遺伝子は特定されているのか。一個体の一細胞がもつ遺伝子の数は、つぎのように数多い。「(ヒト)ゲノム」という語にはまだ立ち入らない。
 「ヒトゲノムにはヒトをつくり、修復し、維持するための主な情報を提供する2万1000から2万3000個の遺伝子が含まれている」(S·ムカジー・下掲書の「プロローグ」)。
 この数字は、この欄ですでに紹介したものと、全く同じではない。
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 「遺伝子」(gene)という概念自体が、20世紀の10年代に生まれた。ダーウィンもメンデルも、この概念を知らなかった。
 相当に観念的で抽象的な概念でもあった。誰も、「遺伝子」なるものを「見る」ことがなかった。
 そんな状況で、ヒトの「性」が遺伝子によって決められる、または遺伝子から大きな影響を受ける、という考え自体が確立していなかった。染色体に関する研究を発展させた、1933年のノーベル賞受賞者のモーガンもまた、<性決定の遺伝理論>を否定していた、という。
 モーガンが否定していたのと同じころ、アメリカの若手研究者・N·スティーヴンスの発想にもとづいて協力学者のE·ウィルソンが、「染色体という観点からは、雄の細胞はXYで、雌の細胞はXXであり、卵子は一本のX染色体を持っている」、「Y染色体を持つ持つ精子が卵子と結合すると、XYの組み合わせができ、『雄化』が決定する」と考えた。
 1980年代に入って、イギリスのP·グッドフェローがY染色体上の「性決定遺伝子」を探し始めた。
 1989年にアメリカのD·ペイジが「ZFY」を見つけて接近し、同年の後半にグッドフェローが「性決定」遺伝子を見つけて「SRY」遺伝子と名づけた。なお、この過程で、「XY型」染色体を持ちながら(遺伝子的には「男性」だが)「女性」である人々も発見され、研究に少なくとも結果としては貢献した。この現象をめぐる仔細は省略する。
 以上、S·ムカジー=田中文訳・遺伝子—親密なる人類史/下(早川書房、2018/文庫化2021)。
 Y染色体上に「性決定」遺伝子(「SRY」)が特定されたのは1989年、2024年からわずか35年前だ。第二次大戦後も40年間以上、「Y染色体」による「性決定」という不正確な通念がまかりとおっていた。
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 「生殖細胞」の染色体は「減数分裂」で23本。受精卵になると染色体数は元に戻って46本(うち2本が「性染色体」)。
 上のことよりも<神秘さ>を秋月は感じるのは、「体細胞」の分裂過程で、DNAも遺伝子も、そして染色体も「二倍化」することだ。
 つまり、DNAは塩基対の中央で二つに(一塩基ごと・一ヌクレオチドごとに)ー切り裂かれ、紡錘体(紡錘糸)に引っ張られて極方に集まるのだが、その片割れ(もはや「らせん状」ではない1本だけのDNAの鎖・ひも)に、相補的に<新しい>塩基群(新しい1本の鎖・ひも)が付着することだ。
 こうしてこそ、細胞は(遺伝子もDNAも)「複製」され、かつ二倍に「増える」(元の細胞は「死ぬ」)。
 この新しい塩基群(新しいDNAの片割れ)の出現による「複製」(新しい塩基対群の完成)・「増殖」こそが、「細胞」の、そして「生命体」の、<神秘>だと、秋月は感じる。
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2736/生命・細胞・遺伝—09。

 DNAの構造(・形態)を理解しようとするとき、まずは木製のハシゴを思い浮かべるとよいかもしれない。
 登り降りするために足を乗せる横棒・横板の部分が「塩基」(正確には「塩基対」)だ。左右の手で握る部分は、「糖」と「リン酸」が繋がってできている。
 だが、「木製のハシゴ」では<二重らせん>構造を想像することが難しいかもしれない。左右の握り棒部分を強く「ねじって」、<らせん>階段のようにしなければならないからだ
 だから、勝手に、<縄ばしご>の方が近い、と秋月は思っている。「縄」でできたハシゴならば、左右にあるタテの縄を容易に「ねじって」、<らせん>状にすることができるだろう。
 左右の握り縄の部分は、長い「鎖」とか、長い「糸」と表現されることが多い。
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 DNA(とRNA)の最小の構成単位は、「ヌクレオチド」(nucleotide)というらしい。この「ヌクレオチド」は、一個ずつの「リン酸」と「糖」(正確には「五炭糖」)と—4種ある「塩基」のうちの—1種の「塩基」で成る。DNAの「糖」は「デオキシリボース」だ(だから、DNA=「デオキシリボ核酸」という)。RNA(リボ核酸)は「リボース」なので、DNAと異なる。
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 ヌクレオチドは、「縄ばしご」のごく一部だ。横棒部分の全体の、半分しか持たない。したがって、これだけでは、「はしご」にならない。また、左右にある握り縄部分のうちのごく短い一部分にすぎず、上記の通り計2個のつらなった分子構造しか持たない。
 ではなぜ、横棒=横板部分がもう半分くっついて(逆の形で「相補的に」)結合して、左右に一対の握り棒(握り縄)になっているのだろうか。一対の(計2種の)塩基を「塩基対」と言う。
 もともとタテの(ヌクレオチドの)長さが短いと生命体にとって必要な「情報」を記載する(正確には「情報」を記載する「塩基」部分を保持する)ことができないから、左右いずれかの「リン酸基」・「糖」部分は長く繋がって、「鎖」状にまたは長い「糸」状になっている。
 その左右いずれかの部分を長くすれば、塩基がもつ<情報>を十分に支えることができるのではないか。
 この問題について、DNAの<情報>がRNAに「転写」されるときに「コピーミス」が生じ得るので、その場合に備えて、もう一本(もう一鎖)、元来は「同じ」はずの「予備」を用意しているのだ、との説明がある。
 田口善弘・生命はデジタルでできている—情報から見た新しい生命像—(講談社ブルーバックス、2020)
 (なお、この一対は、有性生殖生物の場合の雌雄という一対に由来するのでは全くない。後者に由来するのは一対で成る<染色体>だ。)
 なるほど、無駄になるかもしれないのに丁寧なことだ、と思う。これに比べて、RNAは、「ヌクレオチド」が最小単位であることは同じだが、「はしご」状(二本の長い鎖の「らせん」状)ではなく、一本の長い「鎖」・「糸」なのだ。
 しかし、さらに疑うと、「予備」もまた「ミス」を含んでいる可能性が全くないとは言えないだろう。そうすると、「三本め」もまた用意しておかなければならないのではないか。
 日本の神社にたいていはある鳥居には一本の柱ではなく、左右一対の二本の柱がある(それらの上に「笠木」がある)。そうであってこそ、「安定」している(また、「美しい」のかもしれない)。
 だが、ごく稀には、二本の柱の中央の奥にもう一本柱があって、三本の柱をつないでいる鳥居がある(三柱鳥居。例、京都市の木嶋坐天照御魂神社)。上から見ると、正三角形の形状をしているはずだ。二本よりも、三本の方が「安定」性が(鳥居の場合はきわめて)高いだろう。
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 こんな雑考をしていると、興味深い記述を思い出した。すなわち、DNAの「二重らせん」構造を解明したJ·ワトソンとF·クリックは(他の一研究者グループも)、当初は「二重」と想定しておらず、「三重」と予想した時期もあったという。らせん状にヒストンに巻き付くのは何本と決まっているわけではないので、三本でも四本でもあり得ることだ。なお、他にも想定違いはあった(塩基がくっつく方向等)が、それらを打ち破ったのが、ロザリンド·フランクリンによる「写真」だったという。
 S·ムカジー=田中文訳・遺伝子—親愛なる人類史—/上(2021)
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 生命体(生物)にとって最も基礎的な数字は、2、次いで4であって、3ではないような気がする。多言はしない。人間に身近な「音楽」についても。
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 そんな数字マニアックなことよりも、以下のことの方が、はるかに重要なことだろう。
 細菌(バクテリア)を含む全ての生物にDNAがあり(ウイルスの中にもDNAを持つものがある、という)、「ヌクレオチド」を(「分子」レベルでの)共通する最小単位にしている。細菌(バクテリア)もホモ・サピエンス=人類も同じだ。
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2732/生命・細胞・遺伝—07。

 生命・細胞・遺伝—07。
 「染色体」というものは、(秋月瑛二には)把握し難い。
 「染色体」は「遺伝子」や「DNA」を「内部に含む」、より「大きい」構造体だ、といちおう書いた(02)。
 そして、「染色体」は、細胞の中の「核」の中にある。
 これらは、完全に間違っている、というわけではない。
 こう理解して差し支えないだろう叙述は、すでに0206で引用または紹介した、S·ムカジー=田中文訳・遺伝子/上(2018)のつぎの中にもある。
 「①遺伝子は染色体上に存在している。
 ②染色体とは細胞の核の中にある長い線状の構造体で、そこには鎖状につながった何万もの遺伝子が含まれている。」
 また、同じ著者・訳者による、細胞/上(早川書房、2024)の序文にも、つぎの文章がある。
 「①…遺伝子は、デオキシリボ核酸(DNA)という、二重らせん構造を持つ分子内に物理的に存在している。
 ②DNAはさらに、糸の束のような構造をした染色体の中にパッケージされている。」
 後者によると、「遺伝子」は「DNA」という分子内に「物理的に存在」し、そのDNAは「染色体の中」に「パッケージされて」いる。
 どう読んでも、「遺伝子」<「DNA」<「染色体」という関係にある、と理解したくなる。
 また、前者の第二文は、「染色体」の中に「遺伝子が含まれている」と読むのが通常だろう。
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 だが、やや不思議なのは、上の前者の第一文が明らかに「遺伝子は染色体上に存在する」として、「の中に」ではなく「上に」としていることだ。これは原著で確認してもそうで、「in」ではなく「on」が使われている。
 遺伝子<染色体という関係にあるなら、なぜ「in」になっていないだろう、という気もする(in でもon でも、包含関係は変わらないかもしれないが)。
 さらに不思議であり、問題を孕んでいると感じるのは、上の前者の第二文と、上の後者の第二文の、日本語訳だ。原著の英文を見ていると、訳者の「医師」資格を問題視するのではないが、異なる日本語の文章に訳すことのできる可能性がある、と考えられる。なお、前者と後者の①と②は、原文ではいずれも、関係詞でつながった一続きの一文章だ。
 すなわち、つぎのように翻訳できる可能性があるだろう。
 前者の①・②。→「遺伝子は染色体上に存在している。—この染色体は細胞の中に含まれる(buried)長い線状の構造体で、細胞は、鎖状につながった何万もの遺伝子を含んで(contain)いる」。
 関係詞の主語を染色体ではなく細胞と理解できる可能性があり、その場合は、「遺伝子」<「染色体」ではない。たんに「遺伝子」<「細胞」を前提とした叙述であるにすぎない。
 後者の①・②。→「…遺伝子は、デオキシリボ核酸(DNA)と称される二重鎖のらせん状分子の中に(in)物理的に位置している。それ〔DNA〕はさらに、人間の諸細胞では、染色体と称される、群れた〔綛(かせ)のような〕(skein-like)構造体へと(into)パッケージ〔包装〕されている。
 この部分では(関係詞の主語ではなく)「packaged into」の意味の理解が問題になる。「〜へと包装」される、「〜に包み込まれる」とは、必ずしも大小ないし包含・被包含の関係を意味しないと理解できる可能性はあるだろう。また、「染色体」が「包装」するではなく、厳密には、「染色体」と呼ばれる「〜構造体」が「包装」する、と叙述されていることも気になる。〔原文追記—DNA which is further packaged in human cells into skein-like structures called chromosomes.〕
 要するに、「遺伝子」または「DNA」<「染色体」と単純に理解してはいけない、という気がする。
 そして、この理解の方がむしろ、別途に種々の文献を一瞥した後での秋月の理解に合致する。
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 一つの巨大な「細胞」に宇宙船のようなもので「細胞膜」を通過して入り、内部を探検して、「内部」の諸物体(ミトコンドリア、リボソーム等々)を紹介しているかのごとき叙述が、S·ムカジー=田中文訳・細胞/上(2024)にはある(すでに、02での叙述の基礎にした)。
 上で記したことに関係して興味深いのは、上の紹介では一番最後に「(細胞)核」が取り上げられながら、「染色体」は「核」の中で独立した位置づけを与えらていない、ということだ。そのかぎりでは、著者は「遺伝子」や「DNA」等と同様の扱いを、「染色体」についてしている。
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 何となく不可解のままでいたところ、なるほど、と理解できた気になったのは、つぎの文章による。
 「細胞分裂が始まると、DNAが巻きついているヒストンはそれまでよりもさらに密に折りたたまれて、『染色体』という棒状の構造にまとまっていきます。
 染色体は、細胞分裂のときにしか見られないDNAの姿です。
 雑誌Newton 2011年11月号/生命の設計図·DN A(ニュートンプレス、電子化2015年)。
 これによると、DNA=染色体だ、とも言える。
 そのことよりも重要なのは、「染色体」は「細胞分裂」のときに(正確には、その過程で)出現する構造体だ、ということだ。
 「細胞分裂」は次から次へと頻繁に発生しているだろうから、「染色体」も<ほとんど常時>「核」(<「細胞」)内に存在していると感じられて不思議ではないだろう。
 しかし、論理的には、または時間軸を厳密に見れば、「染色体」は<一時的に>存在するものにすぎない。
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 かつまた、今回はほとんど立ち入らないが、「染色体」は、その形状、(「核」内での)「位置」や、(「遺伝子」・「DNA」との)「関係」を、「細胞分裂」の過程で頻繁に(だがリズミカルに)変化させる
 <空間軸>のみならず<時間軸>を取り込んで、あらためて「細胞分裂」の過程に触れる必要がある。その過程での「染色体」の様相は、「常染色体」と「性染色体」とで同じではない
 おそらくは「生殖細胞」や「性染色体」について明確には顧慮されていないが、S·ムカジー=田中文訳・細胞/上(2024)の中には、つぎの叙述がある。
 ここでは、「染色体」の形状等の変化のほか、「(細胞)核」もまた一時的には消滅する旨も語られている。
 「細胞が分裂する際、すべての染色体は複製されて二倍になり、その後、二つに分かれる。
 ヒト細胞では、核膜が消え、分裂してできたばかりの娘細胞の中にフルセットの染色体が一組ずつ入ると、核膜がふたたび現れて染色体のセットを取り囲む。
 こうして、染色体がおさめられた新しい核を持つ娘細胞ができあがる。
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2731/生命・細胞・遺伝—06。

 ①宇宙—②地球—③生命体(生物)—④細胞—⑤遺伝子・分子—⑥素粒子。
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 S·ムカジー=田中文訳・遺伝子/上(早川書房、2018/文庫2021)は「プロローグ」で、「われわれはすでに遺伝子を非常に詳しく、深く理解してい」る、とする。そして、こう続ける。
 「遺伝子〔genes〕は染色体〔chromosomes〕上に存在(reside)している。
 染色体とは細胞の核の中にある長い線状の構造体〔long, filamentous structures〕で、そこには鎖状に〔in chains〕つながった何万もの遺伝子が含まれている。
 ヒトの染色体は全部で46本で、父親と母親から23本ずつ受けついでいる。」
 また、小林朋道・利己的遺伝子から見た人間—愉快な進化論の授業(PHP、2012)には、つぎの叙述がある。
 「地球上で見られる生物のほとんどでは、遺伝子は、たがいにより集まり群れをつくって存在している。
 …、人間の場合、遺伝子は約2万個であることが知られている。
 これら2万個の遺伝子は、23個の群れに分かれて細胞の中に入っている。
 平均すれば、一つの群れには約870個の遺伝子が入っていることになる。
 約870個の遺伝子が乗ったバスが23台あると表現してもいい(それぞれのバスの中では、遺伝子はたがいにつながりあって、一本の長い紐のようになっている)。
 このときの一台一台のバス、あるいは一本一本の紐を染色体と呼ぶ。」
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 人間の染色体数は46だと確定、または判明したのは、1956年だとされる。
 上の②だと染色体の本数は23本のようでもあるが、一台のバス=一つの「群れ」であり、その「群れ」は2本の染色体で成ると理解すると、染色体の数(本数)はやはり46だ。
 なぜ「2本の群れ」ができるかというと、①が述べるように、<一定の種類の>染色体を父親から1本、母親から1本継承し、その2本が「群れて」いるからだ。
 23組(群れ・対)の染色体のうち22組の各染色体は「ほとんど同じ形質」をもつ(「相同」)。しかし、1組だけは異なる。その組み合わせ(セット)の染色体(2本)を<性染色体>とも言う。
 ところで、上の①と②は一つの「細胞」(>核)に関する叙述で、全ての「細胞」に当てはまる。
 したがって、人間の細胞数を約38兆個だとすると、人間の個々の個体は、46×38兆個=1748兆本の染色体を体内に持っている(細胞数約60兆個だと2760兆本)。全細胞・全ての核の中に、「長い線状」、「鎖状」の構造体あるいは「一本の長い紐」になった、これだけの数の「染色体」がある。
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 染色体ではなく、遺伝子の数となると、もっと膨大になる。
 上の①は「何万もの」(tens of thousands)と書き、②は「約2万」と書く。
 <性染色体>を除く染色体を「常染色体」と呼び、それは22組・対・セットの染色体で成る。1963年の国際会議を経て、各「常染色体」はその「大きさ」(正確には総「塩基対」数の多さ)の順に番号が振られることになった、とされる。第1番染色体、第2番染色体、…第22番染色体というように。
 それぞれが父親由来と母親由来の染色体の合計2本の「染色体」から成るのだから、2本ずつをセットにしてこう称するのは、やや紛らわしい。
 各番の「染色体」について、遺伝子数を正確に(または正確らしく)記載している文献がある。それによると、つぎの数字だ。1番〜22番まで列挙する。
 ①2610、②1748、③1381、④1024、⑤1190、⑥1394、⑦1378、⑧927、⑨1076、⑩983、⑪1692、⑫1268、⑬496、⑭1173、⑮906、⑯1032、⑰1394、⑱400、⑲1592、⑳710、㉑337、㉒701。
 以上、雑誌Newton2013年9月号・XとY—男女を決めるXY染色体(ニュートンプレス、電子化2016)。
 上のうち計6組は奇数だ。これは父親由来か母親由来かいずれかの遺伝子数が1つ少ない(または多い)ことを意味するのだろうが、理由・意味は分からない。
 血液のABO型に関与するのは血液型についてのA遺伝子、B遺伝子、O遺伝子だとされ、それらは第9番染色体上にある、という。但し、個々の染色体(群)には血液型については二つ(父親由来と母親由来)の遺伝子しか存在し得ないとされる。そこで、当該両親からは生まれ得ない血液型の子どももあることになる。
 ともあれ、上の各数字の合計を単純に計算すると、2万5412になる。これを22等分すると、平均は約1155だ。なぜか、上の小林朋道②のいう「約870」に比べて、やや多い(とはいえ、桁外れに異なる、という程ではない)。
 これは1細胞あたりの遺伝子数だから、個体全体での数は、2万5412×38兆の計算をしなければならない。これは1兆の96万5656倍で、96京5656兆になる。
 これだけ膨大な数の遺伝子が個体の「生存」のために用意されている(常染色体は「性」・生殖に関与しないと仮にしておく。いわゆる「性染色体」の遺伝子数は下記)。
 もっとも、「情報」または「設計図」が用意されていても「現実化」しない、あるいは「発現」しない、そういう遺伝子も、少なくない。メンデルは19世紀に、<顕性(優性)>と<潜性(劣性)>の区別があることを示したのだった。
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 ついでに、ここで確認しておく。
 「常染色体」と言われる父親由来と母親由来の2本の染色体は<きわめてよく似たものだ(正確には「塩基配列」がほとんど同じだ)。両親がその祖先から継承してきたものを仮に「血」と呼んでおくとすると、子どもには確率的には父親系統の「血」と母親系統の「血」が半分ずつ継承される
 したがって、子どもが「女子」であっても、確率的には半分、父親系統の「血」が伝わっている。使いたくない言葉だが、仮に(母親系統ではなく)父親系統の「血」が<高貴>だとしても、その<高貴>な「血」は、「女子」にも伝わる。このことはしごく常識的で、当たり前のことだろう。
 繰り返しだが、子どもの身体・体質等々々の個体の「形質」一般に密接に関係する「常染色体」のうち、子どもが女子であれ男子であれ、確率的には半分が母親由来であり、半分が父親由来だ。常識的で、当たり前ではないか。
 「常染色体」は22組(対・セット)で、「性染色体」は1組だけ。「性染色体」だけが子どもに「遺伝」する、あるいは「継承」される、のでは全くない。それによって、女子か男子かが運命的に(?)定まるのだとしても。
 なお、父親を含む両親が生後に獲得した形質は子どもに「遺伝」しない、「遺伝子」によって「継承」されることはない、ということも確認しておく必要があるだろう。
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 いわゆる「性染色体」、いわば(秋月用語だが)「第23番染色体」にも、遺伝子はある。そのうちの、父親由来と母親由来の2種があるいわゆる「X染色体」には、1098の遺伝子があり、父親由来のものしかない、いわゆる「Y染色体」には、かなり少ない78の遺伝子がある、とされる(上掲の雑誌Newton による。ちなみに、「第23番〜」を加えた総遺伝子数は、女子が2万5412+1098×2=2万7608、男子が2万5412+1098+78=2万6588)。
 さて、「Y染色体」の全体が、つまりは実質的には78の遺伝子の全てが、「男子」という「性」の決定に参画しているのだろうか。「参画」ではなく「関与」でもよい。
 上の問いは厳密には誤りだ。父親がもった「X染色体」もまた、「男子」にしないというかたちで、「性」の決定に「参画」・「関与」しているのだから。
 いや、そもそも、男女いずれかへの「性」の「決定」とはいったい何のことだろうか。あるいはさらに、それに遺伝子が「参画」または「関与」するとは、どういうことを意味しているのだろうか。
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2728/生命・細胞・遺伝—04。

 ①宇宙一②地球—③生物(生命体)—④細胞—⑤遺伝子・分子—⑥素粒子。
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 生物を植物と動物に二分するのは相当に古い分類で、現在では5界説のほか6界説もあるようだ。
 いずれの場合でも植物・動物等は「真核生物」で、生命が地球上(内)で誕生したときの単細胞生物は「真核生物」ではない。
 その最初の生命(単細胞生物)の誕生の時期について、01では「約35〜40億年前に生まれた、とされている」と記して、この点に関してのみ推定年代に触れた。
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 出口治明・0から学ぶ「日本史」講義/古代篇(文藝春秋、2018)の凄まじく、唖然とさせられるところは、<日本史・古代>と謳いつつ、宇宙・太陽系宇宙・地球の誕生、そして生命体(生物)の誕生に関する叙述から始めていることだ。
 この点で、<(文学的)文科系・モノ書き>による西尾幹二・国民の歴史(1999、2009、2017)が「歴史とは何か」に次いで「一文明圏としての日本列島」から書き起こしているのと、大きく異なる。
 西尾幹二は、さらに、「北京原人」等の「『原人』の足跡が日本列島に刻まれていてもいなくても、正直、私の人生観にはほとんど関係がない」と明言した。たんなる<(文学的)文科系・モノ書き>と出口治明の違いは完璧に顕著だ。
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 最初の生命(単細胞生物)の誕生の時期以外のおおよその時期を記しておこう。
 種々の説があるのだろうが、キリがないので、上記の出口治明・0から学ぶ「日本史」講義/古代篇による。
 約138億万年前、宇宙の歴史の開始。
 約46億万年前、太陽系宇宙誕生。
 約45.5億万年前、地球誕生。
 約40億万年前〜38億万年前。地球上に「海」発生=最初の生命体(生物)の発生。
 約19億万年前、「真核生物」誕生。
 約700万年前。「チンパンジーとの共通祖先」からヒトが分かれる。
 約25万年前〜20万年前。東アフリカで<ホモサピエンス>が出現。
 約10万年〜7万年前、<ホモサピエンス>=人類が「言語」を獲得。
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 上のような時期に加えて、関心を惹いたのは、ヒトの「脳」の成熟時期だ。以下で、似たようなことが、書かれている。
 ①出口治明・哲学と宗教全史(ダイヤモンド社、2019)
 「人間が定住生活をし始めたドメスティケーションのときに、人間の脳みそは最後の進化が終わり、それから今日まで進化していないといわれています」。
 ②小林朋道・利己的遺伝子から見た人間—愉快な進化論の授業(PHP、2014)
 「(われわれの遺伝子がつくった)脳は、ホモ・サピエンスの歴史の99パーセントの狩猟採集生活において、遺伝子の増殖に都合よくつくられている」。
 「狩猟採集生活」のあとの「定住生活」開始時点で人間の「脳」は進化し切っていた、という点で、これら①と②は矛盾していないだろう。
 ③養老孟司・唯脳論(筑摩書房、1998)
 「ヒト、現代人つまりホモ・サピエンスは、ここ数万年ほど、解剖学的、すなわち身体的には変化していない」。「ヒトの脳の機能もまた、数万年このかた変化していないはずだ」。「書かれた歴史はたかだか数千年である。その間に、ヒトはまったく変化していないと言ってよいでろう」。
 定住=ドメスティケーションの開始の時期・地域について論議があるのだろうが、上の①は、「今から1万2000年前にメソポタミア地方で起きたと推測されて」いる、としている。
 なお、池田信夫の文章によると、「人類の脳は200万年前から大きくなり始め、ホモ・サピエンスが出てくる30万年前には現在の大きさになっていた」(同・ブログマガジン2023年11月23日号)。後の時期が少し早そうでもあるが、概略では間違いでないかもしれない。
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 以上のことは、つぎを推測させる。
 第一に、最も複雑で高度の機能をもつ「脳」が数万年前から今日まで基本的に変わっていないとすると、心臓・肝臓等々の器官の「機能」もまた、その当時にすでに現代と同様の進化を遂げていただろう。各器官の構造・機能について当時のヒトは知っておらず、「細胞」の知識も全く持っていなかっただろうが、「脳」等の<身体>は今日と同様に「働いて」いたのだ。
 第二に、脳の機能としての「感情」・「意識」・「記憶」等々も、ヒトは数万年前に身につけていただろう。平安時代の紫式部や清少納言がわれわれと基本的に同様の「美的」感覚を持っていたとしても不思議ではない。また、人種の差異を超えて、日本に来る外国人観光者の子どもたちが愉しいときはにこにこしているのも、何ら不思議ではない。
 この欄の2024/03/12で引用した、科学雑誌NEWTON-2016年6月号のつぎの文章の意味も、おおよそ納得できることになる。
 「いとおしさや、嫉妬、うらみ」といった「社会的感情」を含む「現代の人間の感情を生むしくみは、農耕時代以前の300万年前〜3万年前の生活や環境のもとで発達したと考えられている。/とくに社会的感情の多くは、特定の仲間たちと長く関係をともにするようになったことでつくられてきたと考えられているという」。
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 一方で、そのような「脳」と「人体」を古くから持ちながら、生物学・生命科学上や医学上の発見・開発、あるいは医療技術・医薬品等の発見・開発は(分野により種々だが)相当に遅れて、早くても17世紀以降のことだ。分野・知識・技術・薬剤によっては、100年前、50年前以降のものもある(例、心筋梗塞にかかるカテーテル検査・ステント留置術は約50年前に始まった)。
 つぎの著によると、「抗うつ剤」の研究・開発、脳内の「神経細胞」を覆って守るだけとほぼ考えられてきた「グリア細胞」に関する研究は、まだ途上にある。
 S·ムカジー=田中文訳・細胞—生命と医療の本質を探る/下(早川書房、2024)
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2725/生命・細胞・遺伝—02。

 ①宇宙—②地球—③生命体(生物)—④細胞—⑤遺伝子・分子—⑥素粒子
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 単細胞生物の細胞、植物の細胞、ヒト等の動物の細胞の構造図を見ていて、あらためて驚愕するのは、生物(生命体)の「細胞」は、よく似た、基本的には「同じ」構造・形態をもっている、ということだ。
 細胞膜が一重のものと二層のものとがある。植物の細胞には、「葉緑体」がある。これら等の差異はあっても、少なくとも、きわめてよく似ている。
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 ヒトには約37兆(説によると約60兆)個の細胞があるが、個々の細胞の構造は基本的に同一だ。しかし、全てが同じ役割または一定の役割の中の同じ一部、を担っている、わけではない。
 多数の細胞が「器官」や「系」を形成して、多細胞体あるいは細胞集団である一つの生命体(個体)の「生」のために働いている。心臓・肝臓といった「器官」、神経系、循環系、生殖系といった「系」だ。
 一つの細胞の中の諸要素も、細胞の中で、種々の機能をもつ。
 ヒトの「細胞」についてを前提とする。つぎの書物は最新の知見を反映しているだろうから、以下の叙述で主に参考にする。
 シッダールタ·ムカジー=田中文訳・細胞—生命と医療の本質を探る/上(早川書房、2024)。
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 「細胞」は以下のもので構成される。
 ①細胞膜。外界と分ける。ヒトの場合は二重(二層)で、脂質分子で成る。「孔」が空いていて、一定の分子が通過する。
 ②細胞質。以下以外。コロイド状から水に近い部分まで、全体として「ゼリー」状だ。
 ③細胞骨格。細胞の形態を維持する。
 ④RNA(リボ核酸)。「核」で作られるが、収まらずに外に出てくる。「塩基」で成り、「遺伝子」形成にとって不可欠。
 ⑤リボソーム。RNAの「情報」または「仕様書」を<解読>する。
 ⑥プロテアソーム。タンパク質を分解し、廃棄物として細胞質内に排出する。
 ⑦ミトコンドリア。エネルギーを生み出す。エネルギーは、第一に細胞質内で生まれ(嫌気性解糖)、最終産物は2分子のATP。第二にミトコンドリアが酸素を使って2分子ATPを燃やして高分子のATPを生み出す(好気性解糖)。第一と第二により、ブドウ糖1分子から32分子ATPができる。
 「私たちは一日のあいだに、身体の何十億個もの細胞で何十億個ものエネルギーの缶詰をつくっては、一〇億個もの小さなエンジンを燃やしている」(ムカジー=田中・上掲著)。
 ところで、ミトコンドリアは独自の遺伝子を持っていて「細胞的」だ。これは発生史的には原始細胞だったミトコンドリアを「細胞」が取り込んで<共生>し始めたかららしい。
 おまえが好きだよ、一緒になろうよ、という「意思」疎通があったのだ。
 この欄で触れたことがあるが、団まりな・細胞の意思(NHKブックス、2008)などは、細胞にも「意思」がある(あった)と表現している。
 ⑧小胞体。タンパク質の合成と輸送にかかわる。
 ⑨ゴルジ体。タンパク質が細胞外に出るときに最後に通過する部位。
 ⑩分泌顆粒。ゴルジ体から細胞膜までタンパク質を運ぶ。RNA→リボゾーム→小胞体→分泌顆粒という「流路」がある。
 ⑪。最も重要な細胞内「器官」。二層の、孔のある「膜」=核膜がある。
 核膜内にDNA(デオキシリボ核酸)を「格納」する。RNAはこれを「鋳型に」して、あるいはこれから「転写」されて生み出され、細胞質内に送られる。
 なお、細胞、さらには生命体の発生史的に見ると、原始的にはRNAが遺伝等を担っており(RNAワールド)、のちに核内に(核膜で保護された)DNAが生まれたらしい。
 「遺伝」情報が、DNA→(「転写」)RNA→(「翻訳」)タンパク質という経路をとって伝搬されることは、1953年にDNAの「二重らせん構造」を発見したフランシス・クリックによって、1958年に<セントラルドグマ>と称された。
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 DNA、「遺伝子」、「染色体」、「ゲノム」等々の意味と差異については、別に扱わなければならない。「遺伝子」は子孫への継承(「進化」はこれに関係する)のみならず、当該細胞やその細胞を含む当該個体(生命体)の「生と死」に密接に関係していることも含めて。
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ギャラリー
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