秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ベルクソン

2508/M・ガブリエル2018年著の一部②。

 Markus Gabriel, Der Sinn des Denken(2018年)。 
 ドイツ語文を試訳する。前回とは別の箇所。邦訳書はないように見える。
 ——
 第五章/現実とシミュレーション。
 第10節・両性をもつ現実(Das Zwitterwesen Wirklichkeit)
 (01) 現実には二つの面がある。
 第一に、何ものも現実には帰属せず、何らかの概念を分有しない。
 第二に、何ものも現実的でなく、我々がそれに欺かれることはありえない。
 以下に述べることは、この対比を鮮明にするだろう。
 一方には、絶対的な観念論(Idealismus)の立場があり、G. W. F. ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)はこれを支持する。
 この立場は、著名な箇所でこう概括する(ヘーゲルの二文)。
 「理性的なものは、現実だ。
  現実的なものは、理性的だ。」
 観念論の主要イデーは、何かが現実的であるときにのみそれは情報を提示することができ、ゆえに原理的にそれは何らかのシステムにとって解釈可能なものになる、というものだ。
 我々の情報時代は、この主要イデーの上に強固に築かれている。
 デジタル革命と展望される全面的ネット化は、まさにこの観念論を技術的に転換したものだ。
 (02) だが、これでは現実の一面しか把握できない。
 観念論者は決まって、現実を把握し、それに適合して我々の諸観念を形成するように、我々の能力を限定する。
 いわゆる超人間主義(Transhuanismus)の過激な変種では、観念論は、我々の生物的本性の克服すらを追い求める。
 これに対して、観念論を人間主義と結びつける観念論のLeipzig 学派の現代哲学は(とくに、James Conant、Andrea Kern、Sebastian Rödl、Pirmin Stekeler-Weithofer)、自己意識的な人間の生を概念の概念だと見なす。(注210, Kern=Kietzmann, Stekeler-Weithofer)//
 (03) 超人間主義は、F・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)の超人(Übermensch)という幻想を技術の進歩によって実現しようとする企てだ。
 ニーチェは、もはや生物学的情報空間に生きていない、純粋な情報空間としての人間のより高次の存在形態を追求した。
 ここで読者は、Spike Jones の映画〈彼女〉に出てくるSamantha という名前の完全に人工的な知識人、あるいは例えば〈Black Mirror〉や〈Electric Dreams〉にある何か別の未来主義的な観念を思い浮かべてよいだろう。
 観念論は、超人間主義の世界像を間接的に支えている。ヘーゲルも現代のドイツの観念論者も(パラダイム的にLeipzig とHeidelberg の大学で主張される)、超えられない普遍的な高地の一つとして現実を基盤的に人間に根づかせようと企てているのだけれども。(注211, Friedrich Koch)//
 (04) 現実のもう一方の面、すなわち、我々は自分たちを欺くことができるという側面は、絶対的な観念論の範囲では当然に、適切には把握されない。
 そのゆえに、観念論はかつても今も、実存主義(Realismus)と対立する。
 (05) 実存主義は、我々は我々の見解を現実の状況に適応させなければならない、ということが、現実の決定的な標識だと見なす。
 これに従えば、現実は全てが我々の認識装置に適応したものであるわけではない。
 現実は、我々にそう思われるのとは全く別のものであり得る。
 実存主義はそのかぎりで、現実の理解を、我々を絶えず驚愕させることのできる状況に適応させる。
 実存主義によって、たしかに、現実は認識可能であり、我々はつねに欺かれるわけではない、ということが際立つ。
 だが、これは、現実はそのゆえに我々に適応したものだ、ということを意味しない。そうでなく、我々は多くのことを認識し、その他のものは認識しない、ということをたんに意味する。
 現実は原理的に認識可能なのか、そうでないのか、という問題を、新実在主義(Neue Realismus)は克服しない。なぜなら、現実は全包括的な対象領域なので、イデーは一貫して裏切られるからだ。
 反面で現実が態様範疇(Modalkategorie)であるならば、現実は原理的には認識可能だ。//
 (06) フランスの現代哲学は、この論脈で、ハイデガー(Heidegger)の後期哲学の『Ereignis』(事象)に依拠して語っている。
 ハイデガーはそこでは、むろん区別されるのだが、H・ベルクソン(Henri Bergson)を借用していた。
 ベルクソンはドイツでは低い評価しか享けておらず、それはまさにハイデガーが彼を中傷したからだ。 
 ベルクソンは当時の目線で、Albert Einstein その他の者と闘い、とりわけ1927年のその書の高い性質にもとづいて、ノーベル文学賞を受けた。
 ベルクソンとアインシュタインは良い関係でなかった。そのことで、最終的にはベルクソンの声価が傷ついた。//
 ——
 以下、省略。

2090/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書,2018)③。

 このテーマでの前回②で憲法概説書として「あくまで一例」を示したつもりだが、岩波書店刊行のものであることを気にする人がいるかもしれないので、(日本国憲法に即しての)憲法学における「自由」の分類・体系化の試みの例を、もう一つ示しておこう。
 佐藤幸治・日本国憲法論(成文堂、2011)。佐藤は英米系の憲法論に詳しいはずだが、消極・積極・能動といった分類はドイツの学者のそれを思い起こさせる。一種の「美学」・「アート」だから、「自由」の分類・体系化に絶対的なものはない。
 目次構成から見ると、つぎのとおりだ。一部につき省略や簡略化をする。
 第二編・国民の基本的人権の保障。
  第1章・基本的人権総論。
  第2章・包括的基本的人権。
   第1節/生命、自由および幸福追求権。
   第2節/法の下の平等。
  第3章・消極的権利。
   第1節/精神活動の自由。p.216~。
    1/思想・良心の自由。
    2/信教の自由。
    3/学問の自由。
    4/表現の自由。
    5/集会・結社の自由。
    6/結社・移転の自由。
    7/外国移住・国籍離脱の自由。
   第2節/経済活動の自由。p.299~。
    1/職業選択の自由
    2/財産権
   第3節/私的生活の不可侵。p.320~。
    1/通信の秘密
    2/住居などの不可侵
   第4節/人身の自由および刑事裁判手続上の保障
    1/奴隷的拘束・苦役からの自由
    2~6/<略>。
  第4章・積極的権利。〔生存権、等々〕
  第5章・能動的権利。〔参政権、等〕
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 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 この書が、「自由」として「個人の属性」・「個人的精神」にかかわる<精神的自由>に限ろうとしているようであることを、特段批判するつもりはない。<精神的自由>・<精神活動の自由>といっても、上記も示すように、決して同一内容ではないのではあるが。
 従って、猪木武徳・自由と秩序-競争社会の二つの顔(中公文庫、2015/叢書2001)のような経済学者による、<自由>を冠する書物を無視していても、問題視できないだろう。
 但し、「自由」論は、Liberty 系列かもしれないが、「リベラリズム」とか「リバタリアニズム」に関係しており、例えば以下の<新書>・<文庫>を秋月の広大な?書庫から見つけ出すことができる。
 森村進・自由はどこまで可能か-リバタリアニズム入門(講談社現代新書、2001)。
 仲正昌樹・「不自由」論-何でも「自己決定」の限界(ちくま新書、2003)。
 井上達夫・自由の秩序-リベラリズムの法哲学講義(岩波現代文庫、2017/双書2008)。
 こうした現代的?議論に西尾幹二は関心がないのかもしれない。それに、上の三つは、法学部出身者か、法学部に在職している人たちの書物だ。このことも、とくに疑問視することはしない、
 もちろん、以下の書物にも関心はないのだろう。
 ジョン・グレイ/松野弘監訳・自由主義の二つの顔-価値多元主義と共生の政治哲学(ミネルヴァ書房、2006)。
 =John Gray, Two Faces of Liberalism (2000).
 そして、巻末の計14頁に及ぶ「主な参考文献」から見ると、<歴史>、<思想・哲学>分野の文献が多い。
 但し、疑問をもつのは、<思想・哲学>での「自由」を表題の一部とする著名かもしれないものを欠落させている、ということだ。邦訳書があって所持しているものに限る。
 H・ベルクソン=中村文郎訳・時間と自由(岩波文庫、2001)。
 このベルクソンの書は、自由意思の存否を検討する中で茂木健一郎も触れていた。
 また、L・コワコフスキの大著は、このフランスの哲学者は、スターリン体制の中で「ブルジョアア」哲学者で「観念論」の代表者として扱われた、とかなり長く言及していた。
 また、L・コワコフスキがフランクフルト学派に関する叙述の中で言及していた中には、つぎの書もあった。
 エーリヒ・フロム=日高六郎訳・自由からの逃走(東京創元社、1952)。
 西尾は第2章の中で「自由が豊富に与えられることは自由をもたらしません。人間は大きな自由に耐えられない存在なのです」と書く(p.76)。L・コワコフスキは1978年(英訳)の書でこのE・フロムの著にも言及し、彼の考え方をこう簡単に叙述している。
 「我々は自由を欲するが、自由を恐れもする。なぜならば、自由とは、責任と安全不在を意味しているからだ。従って、人間は権威や閉ざされたシステムに従順になって、自由の重みから逃亡する。これは、生まれつきの性癖だ。破壊的なもので、孤立から自己諦念への、偽りの逃亡だけれども。」-本欄№2027/2019年8月16日参照。
 タイトルに用いているかだけが重要なのではないとしても、上のベルクソンとE・フロムのニ著は、「自由」に(も)関係するほとんど必須の哲学文献ではないのだろうか。   
 リベラリズムやリバタリアニズムを扱うべきだったとは思わないが、<時間と自由>、<自由からの逃亡>くらいは参照しいほしかったものだ。これは、「ないものねだり」だとは思われない。
 ともあれ、西尾幹二が挙げる「主な参考文献」が本当にきちんと吸収され、この書に利用されているのかを疑うとともに、よくは分からないが、重要な文献が参照されていないのではないかと思える。
 西尾は第1章関係文献として、H・アレント〔アーレント〕の全体主義論・全三巻の邦訳書を挙げている。西尾のこの書に関してまだ第1章にとどまって、ハンナ・アレントにも次回では言及する。

2017/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節④。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.366-369.
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第3節・否定弁証法(negative dialetics)④。

 (19)アドルノの見解では、弁証法に関するこれらの教えの全ては、明確な社会的または政治的な目標に役立つはずだ。
 実践的行為の規準は、これらから推論することができる。
 「正しい実践や善それ自体のためには、理論の最も進んだ状態ほどに権威があるものはない。
 善に関する思想が具体的な理性的定義を十分には経ないで意思を導くことが想定されているとすれば、その思想は無意識に、具象化された意識から、社会が是認しているという意識から、秩序を獲得するだろう。」(p.242.)
 我々はかくして、明瞭な実践的規則を得る。すなわち、第一に、進歩した(<fortgeschritten>)理論があるはずだ。第二に、意識は「具体的な理性的定義」によって影響を受けるに違いない。
 このようにして明らかにされる実践の目標は、交換価値に由来する物象化を排除することだ。
 なぜならば、マルクスが教えたように、ブルジョア社会では「個人の自律」は表面的なものにすぎず、生活の偶然性や市場の力への人間の依存を表現するものであるからだ。
 しかしながら、アドルノの論述から、物象化されない自由は何で構成されているのかを集約するのは困難だ。
 我々は、この「完全な自由」を叙述するにあたって、いずれにせよ自己疎外(self-alienation)に関する観念を用いる必要がない。疎外からの自由の状態は、あるいは人間の自分自身との完全な統合は、すでに従前のあるときに存在しており、その結果として自由は出発点に立ち戻ることで獲得することができる、と想定されているからだ。-これは、定義上は反動的な考えだ。
 我々に愉楽の自由と「物象化」の終焉を保障する、何らかの歴史的デザインを知らされる、ということもない。
 現在に至るまで、普遍的な歴史に関する単一の過程というようなものは存在してこなかった。「歴史は、連続と非連続の統合体なのだ」(p.320.)。//
 (20)<否定弁証法>ほどに不毛だという強烈な印象を与える哲学書は、ほとんどあり得ない。
 人間の知識から「究極的な根拠」を奪おうとしているのが理由ではない。それは、懐疑主義の教理だからだ。
 哲学の歴史には尊重に値する懐疑主義の著作があって、それらは破壊的熱情とともに優れた洞察に充ちていた。
 しかし、アドルノは、懐疑主義者ではない。
 彼は、真実に関する規準は存在しない、全ての理論は不可能だ、あるいは、理性は無力だ、とは言わない。
 彼は反対に、理論は可能で、不可欠だ、我々は理性に導かれなければならない、と語る。
 しかしながら、アドルノの議論は全て、「物象化」に陥らなくしては理論は最初の一歩を進むことができない、ということを示すに至る。そうして、どうすれば第二またはそれ以上の歩みを進むことができるのかが明瞭でない。
 単直に言って出発地点がない。そして、そのことを承認することが弁証法の最高の達成物であるかのごとく主張されている。
 しかし、アドルノはこのような重大な言明を明確に定式化してはおらず、また、諸観念や格言類を分析することで、このことを支持してもいない。
 他の多数のマルクス主義者たちによくあるように、彼の著作は論拠を示してはおらず、どこでも説明していない観念を使って<権威的に(ex cathedra)>論述しているだけだ。
 じつに、彼は、経験的であれ論理的であれ、何らかの究極的な「データ」は哲学に出発地点を与えることができるという趣旨の実証主義的偏見を明確に示すものとして、観念上の分析を非難する。//
 (21)結局のところ、アドルノの議論は、マルクス、ヘーゲル、ニーチェ、ルカチ、ベルクソンおよびブロッホ(Bloch)から無批判に借用した諸思想の雑多な集合物に行き着いている。
 ブルジョア社会の全機構は交換価値を基礎にしている、それは全ての質的相違を貨幣という共通の分母に還元している、という言明は、マルクスから取っている(これは、マルクスのロマン派的反資本主義の形式だ)。
 マルクスに由来するのはまた、歴史を超歴史的な<世界精神(Weltgeist)>に従属させ、人間個人に対する「一般的なもの」の優越を主張し、現実を抽象物に取り替え、そうして人間の奴隷化を永続させるものだ、とするヘーゲル哲学に対する攻撃だ。
 主体と客体というヘーゲルの理論に対する攻撃も、再びマルクスから来ている。その理論では、主体は客体を明確にするものと定義され、客体は主体的な構成物だとされ、そうして悪性の円環が生み出されてしまうのだ。
 (しかし、アドルノがこの円環からどう抜け出すのかは明瞭でない。彼は主体と客体のいずれについても絶対的な「優越性」を否定するのだから。)。
 他方で、進歩と歴史的必然性の理論およびのプロレタリアートを壮大なユートピアの基礎的な担い手だとする発想を拒否する点では、マルクスから離れている。
 ルカチに由来しているのは、世界の悪の全ては「物象化」という語で要約することができ、完全な人間は「事物」の存在論的地位を投げ棄てるだろうという見方だ。
 (しかし、アドルノは、「脱物象化」した状態とはどのようなものかを、ましてやそれをどうやって達成するのかを、語らない。)
 プロメテウス的主題と科学的主題はいずれも放棄されており、曖昧でロマン派的なユートピアしか残っていない。そのユートピアでは、人間は彼自身となり、「機構的な」社会的諸力に依存することがない。
 アドルノがブロッホから借用しているのは、我々は現実の世界を「超越する」ユートピアという考えを抱いており、この超越性の特別の利点は原理的に、現時点ではいかなる明確な内容ももち得ないことだ、という見方だ。
 ニーチェから来ているのは、「システムの精神」に対する一般的な敵愾心、真の賢人は矛盾を恐れず、矛盾のうちに知を表現する、そして論理的批判に予め備えている、という便宜的な考え、だ。
 抽象的な観念は変化し得る事物を硬直化させるという考えは、ベルクソンから来ている(アドルノはあるいは、そうした事物を「物象化」すると言うだろう)。
 アドルノ自身は他方で、何ものをも硬直化しない「流動的な」観念を我々は創ることができるという望みを与えている。
 アドルノがヘーゲルから取っている一般的考えは、認識過程には主体と客体、観念と感知、個別的なものと一般的なものとのそれぞれの間の恒常的な「媒介」がある、ということだ。
 アドルノは、これらの要素全てに、ほとんど並ぶものがない曖昧な解説を付け加える。すなわち、彼は、自分の考えを明瞭に説明しようと全く望まず、勿体ぶった一般的叙述で覆ってしまう。
 <否定弁証法>は、思考の貧困さを覆い隠す職業的な大言壮語の、模範となるべきものだ。
 (22)人間の理性的推論には絶対的な根拠はないという見方は、たしかに擁護することができる。多様な形態でこれを深めた懐疑主義者や相対主義者によって示されてきたように。
 しかし、アドルノは伝統的考えに何も付け加えないどころか、彼独特の用語法でもってそれを曖昧化している(主体も客体も「絶対化」することができない、絶対的な「優越性」はない、等々。)
 彼は一方では同時に、「否定弁証法」は社会的行動のための何らかの実践的帰結を生むことができる、と想定している。
 かりにアドルノの哲学から知的または実践的な規則を抽出しようとすれば、結局はつぎの教訓となるだろう。すなわち、「我々は、より集中的に思考しなければならない。だが、思考の出発地点は存在しないこともまた忘れてはならない」。そして、「我々は、物象化と交換価値に反対しなければならない」。
 我々が何ら肯定的なことを言えないことは、我々の過失でもアドルノの失敗でもない。そうではなく、交換価値の支配に原因がある。
 したがって、今のところは、我々は否定的にのみ、全体としての現存する文明を「超越する」ことができる。
 「否定弁証法」はこのようにして、左翼集団(left-wing groups)のための好都合なスローガンを提供した。彼ら左翼集団は、政治的綱領としての完全な破壊のための口実を探し求め、弁証法という秘伝の最高の形態だとしてその知的原始性を高く評価するのだ。
 しかしながら、このような態度を激励する意図をアドルノは持っていた、と責めるのは不公正だろう。
 彼の哲学は、普遍的な反乱を表現するものではなく、無力さと絶望の表現だ。//
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 第3節終わり。第4節の表題は、<実存的「真正主義」批判>。

1930/L・コワコフスキ著第三巻第四章第10節①。

 レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)・マルクス主義の主要潮流(原書1976年、英訳書1978年)の第三巻・崩壊。試訳のつづき。
 第4章・第二次大戦後のマルクス=レーニン主義の結晶化。
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 第10節・スターリン晩年時代のソヴィエト文化の一般的特質①。
(1)この時代のソヴィエトの文化生活の独自性は、たんにスターリンに特有の独特な個性によるのではなかった。
 その独自性は一口で言うと、国家・国民の文化は成り上がり者(parvenu、成金者)のそれだった、と要約できるかもしれない。-全ての独自性はほとんど完璧に、初めて権力を享有した者の心性、信条、および好みを表現している。
 スターリン自身が、この独自性を高い程度に例証していた。しかし、統治機構の全体にも特徴的なもので、その成り上がり者性は、スターリンがそれを一方では隷属状態へと変えながらも、スターリンを助け続け、彼の至高の権威を維持し続けた。//
 (2)ボルシェヴィキの古い守り手たちや従前の知識人たちが連続して粛清され、絶滅したあと、ソヴィエトの支配階級は主として、労働者と農民の出自をもつ個人で構成された。彼らは乏しい教育しか受けておらず、文化的背景をもたず、特権を渇望し、純粋な「世襲の」知識人たちに対する憎悪と嫉妬を溢れるほどもっていた。
 成金者の本質的特性は「見せびらかす」ことへの絶え間なき切望感だ。したがって、彼らの文化は見せかけ(make-believe)であり、粉飾(window-dressing)だ。
 彼らは、従前の特権階層の知的な文化の代表的なものを自分の周囲に見ているかぎりは、心の平穏を持たない。それから遮断されていたがゆえに、彼らはそれを憎悪し、ブルジョア的または貴族的だとして貶す。
 成金者は狂信的な民族主義者で、その母国や環境は他の全てより優れているという考え方に飛びつく。
 自分たちの言語は、彼らによれば、(他の言語を通常は知らないが)<とくに優れた>言葉で、自分の微少な文化的資源でも世界で最も洗練されたものだと自分や他者の誰をも納得させようとする。
 彼らは、<アヴァン・ギャルド的(avant-garde)>な文化的実験の雰囲気があるものや、創造的な新奇さをひどく嫌悪する。
 限定された傾向の「一般常識」的格言でもって生活し、その格言類について誰かが説明を求めてきたときには、怒り狂う。//
 (3)成金者の心性のこうした特質は、スターリニスト文化の基本的なところにも感知することができる。すなわち、民族主義、「社会主義リアリズム」という美学、そして権力システムそれ自体にすら。
 彼らは、権威に対する農民に似た卑屈さを、権威を分有しようという大きな欲求と結びつける。ある程度まで階層が上がってしまうと、上位者にはひれ伏しつつ下位の者たちは踏みつけるだろう。
 スターリンは成金者たるロシアの偶像であり、栄光の夢の具現者だった。
 成金国家には権力の階層と、従属者をむち打ってもなお崇拝される指導者が存在しなければならない。//
 (4)既述のように、戦前に徐々に増大していたスターリニズムの文化的民族主義は、戦勝後には巨大な形をとった。
 1949年、プレスは「コスモポリタニズム」、明確には定義されていないが反愛国主義を明らかに含んで西側を称賛する悪徳、に対抗する宣伝運動を開始した。
 この運動が展開するにつれて、コスモポリタン〔世界主義者〕はユダヤ人と全く同一だということがますます理解されてきた。
 個々人が嘲笑されたり、ユダヤ的に響く従前の名前を持っていたときには、こうしたことが一般には言及されていた。
 「ソヴィエト愛国主義」はロシア排外主義と区別がつかないもので、公的な熱狂症(mania)になった。
 宣伝活動によって、全ての重要な技術的考案や発明がロシア人によってなされた、ということが絶え間なく語られ、この文脈で外国人に言及することはコスモポリタニズムおよび西側に屈服する罪悪だとされた。
 <大ソヴェト百科辞典>は、1949年末からそれ以降に出版された。これは、半分は滑稽で、半分は気味の悪い巨大熱狂症患者の、比類なき例だ。
 例えば、歴史部門の「自動車」の項は、こう書き始める。「1751-52年に、Nizhny Novgorod 地方の農民であるLeonty Shamshugenov(q.v.)が二人で動かす自己推進の車を作った」。
 「ブルジョア」文化、つまり西側文化は、腐敗と頽廃の温床だとして継続的に攻撃される。
 例えば以下は、ベルクソン(Bergson)に関する記述内容から抽出したものだ。〔以下のBは原文どおりで「ベルクソン」の意味〕//
 「フランスのブルジョア哲学者。-観念論者、政治と哲学について反動的。
 Bの直観主義(intuitionism)は理性と科学の役割を軽視し、社会に関する神秘主義理論は帝国主義者の哲学の土台として寄与している。
 彼の見方は帝国主義時代でのブルジョア・イデオロギーの退廃、階級矛盾の増大に直面したブルジョアジーの攻撃性の成長、プロレタリアートの階級闘争の深化に対する恐怖、…<中略>を鮮やかに示している。
 資本主義の初期の全般的危機とその全ての矛盾の激化の時期に、唯物論、無神論、科学的知識の狂気じみた敵、民主主義の敵および階級的抑圧からの被搾取大衆の解放の敵として、その哲学をえせ科学的切り屑で偽装して…<中略>、Bは出現した。
 Bは、観念論を『新しく』正当化するものとして、『内的映像』による認識について生活、実践と科学によって以前にとっくに反証されている…<中略>、古代の神秘主義者、中世の神学者の見方を、提示しようとした。
 弁証法的唯物論は、直観という観念論的理論を、世界と現実に関する知識は何らかのきわめて感覚的な方法によってではなく人間性に関する社会歴史的な実践を通じて生まれる、という論駁し難い事実でもって拒否する。
 Bの直観主義は、不可避的に迫り来る資本主義の崩壊を前にした帝国主義的ブルジョアジーの恐怖と、現実に関する科学的な知識、とくにマルクス=レーニン主義の科学が発見した社会発展の法則が抗し難く意味するもの…<中略>から逃亡しようとする切実さを、表現している。
 Bは、民族の至高性の敵として、ブルジョア的コスモポリタニズム、世界資本主義の支配、ブルジョア的宗教と道徳を擁護した。
 Bは、残虐なブルジョアの独裁や、労働者を抑圧するテロリストの手段に賛同した。
 第一と第二の大戦の間に、この戦闘的な反啓蒙主義者は、帝国主義的戦争は『必要』でありかつ『有益』だと主張した…<以下略>。」//
 (5)もう一つ、以下は、「印象主義(Impressionism)」に関する記述内容だ。〔以下のIは原文どおりで「印象主義」のこと〕
 「19世紀の後半のブルジョア芸術における退廃的傾向。
 Iは、ブルジョア芸術の初期段階の退廃の結果で(<デカダンス>を見よ)、進歩的な民族的諸伝統と断絶したものである。
 Iの支持者は、『芸術のための芸術』という空虚で反民衆的な基本綱領を擁護し、客観的現実の真実に合った現実的な描写を拒否し、芸術家は自分の主観的な印象によってのみ記録しなければならないと主張した…<略>。
 Iの主観的観念論的見方は、哲学における現在の反動的趨勢の基本原理と関係がある。-新カント主義、マッハ主義(q.v.)等。これらは現実と感覚を、印象と理性を分離させた…<略>。
 人類、社会現象および芸術の社会的機能には無関心のままで、客観的な真実の諸規準を拒否することによって、Iの支持者は、現実の実像を崩壊させ、芸術の形態を喪失している…<中略>、そのような作品を不可避的に生み出した。」
 (6)ソヴィエト同盟の世界の文化からの孤立は、ほとんど完璧だ。
 西側の共産主義者の若干のプロパガンダ的作業は別として、ソヴィエトの読者たちは、小説、詩作、戯曲、映画、そして言うまでもなく哲学や社会科学の形態で西側が生み出しているものに関して、全く無知の状態に置かれたままだった。
 レニングラードのエルミタージュ(Hermitage)にある20世紀絵画の豊かな貯蔵作品は、正直な市民を腐敗させないように、地下室に置かれたままだった。
 ソヴィエトの映画や戯曲は、戦争と帝国主義に奉仕するブルジョア学者たちの仮面を剥ぎ取り、ソヴィエトの生活の無類の愉楽さを称賛した。
 「社会主義リアリズム」が至高のものとして支配した。もちろん、ソヴィエトの現実をその現実のままに提示する-これは生硬な自然主義かつ一種の形式主義になっただろう-という意味でではなく、自分たちの国とスターリンを愛するようにソヴィエト人民を教育するという意味でだが。
 この時期の「社会主義リアリズム」の建築物は、スターリン主義イデオロギーの最も権威ある記念碑だ。
 ここでもまた、支配的原理は「形式に対する内容の優越性」だった。但し、この二つが建築物についてどう区別されるのか、誰も説明することができなかったけれども。
 その影響は、いかなる場合でも、誇張されたビザンティン様式の尊大な正面〔ファサード〕を造ることだった。
 住宅がほとんど建設されておらず、大中の市や町の数百万の民衆が汚い中で群がって生活しているときに、モスクワや他の都市を装飾したのは、虚偽の円柱と上辺だけの飾りに満ちた、かつその大きさは「スターリン時代」の荘厳さに釣り合う、巨大な新しい宮殿だった。
 こうしたことはまた、建築分野での、典型的な成り上がり者様式だった。要約するならば、つぎのモットーになるだろう。すなわち、「大きいものは美しい」。//
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 ②へとつづく。
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  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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