ドイツ語文を試訳する。前回とは別の箇所。邦訳書はないように見える。
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第五章/現実とシミュレーション。
第10節・両性をもつ現実(Das Zwitterwesen Wirklichkeit)。
(01) 現実には二つの面がある。
第一に、何ものも現実には帰属せず、何らかの概念を分有しない。
第二に、何ものも現実的でなく、我々がそれに欺かれることはありえない。
以下に述べることは、この対比を鮮明にするだろう。
一方には、絶対的な観念論(Idealismus)の立場があり、G. W. F. ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)はこれを支持する。
この立場は、著名な箇所でこう概括する(ヘーゲルの二文)。
「理性的なものは、現実だ。
現実的なものは、理性的だ。」
観念論の主要イデーは、何かが現実的であるときにのみそれは情報を提示することができ、ゆえに原理的にそれは何らかのシステムにとって解釈可能なものになる、というものだ。
我々の情報時代は、この主要イデーの上に強固に築かれている。
デジタル革命と展望される全面的ネット化は、まさにこの観念論を技術的に転換したものだ。
(02) だが、これでは現実の一面しか把握できない。
観念論者は決まって、現実を把握し、それに適合して我々の諸観念を形成するように、我々の能力を限定する。
いわゆる超人間主義(Transhuanismus)の過激な変種では、観念論は、我々の生物的本性の克服すらを追い求める。
これに対して、観念論を人間主義と結びつける観念論のLeipzig 学派の現代哲学は(とくに、James Conant、Andrea Kern、Sebastian Rödl、Pirmin Stekeler-Weithofer)、自己意識的な人間の生を概念の概念だと見なす。(注210, Kern=Kietzmann, Stekeler-Weithofer)//
(03) 超人間主義は、F・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)の超人(Übermensch)という幻想を技術の進歩によって実現しようとする企てだ。
ニーチェは、もはや生物学的情報空間に生きていない、純粋な情報空間としての人間のより高次の存在形態を追求した。
ここで読者は、Spike Jones の映画〈彼女〉に出てくるSamantha という名前の完全に人工的な知識人、あるいは例えば〈Black Mirror〉や〈Electric Dreams〉にある何か別の未来主義的な観念を思い浮かべてよいだろう。
観念論は、超人間主義の世界像を間接的に支えている。ヘーゲルも現代のドイツの観念論者も(パラダイム的にLeipzig とHeidelberg の大学で主張される)、超えられない普遍的な高地の一つとして現実を基盤的に人間に根づかせようと企てているのだけれども。(注211, Friedrich Koch)//
(04) 現実のもう一方の面、すなわち、我々は自分たちを欺くことができるという側面は、絶対的な観念論の範囲では当然に、適切には把握されない。
そのゆえに、観念論はかつても今も、実存主義(Realismus)と対立する。
(05) 実存主義は、我々は我々の見解を現実の状況に適応させなければならない、ということが、現実の決定的な標識だと見なす。
これに従えば、現実は全てが我々の認識装置に適応したものであるわけではない。
現実は、我々にそう思われるのとは全く別のものであり得る。
実存主義はそのかぎりで、現実の理解を、我々を絶えず驚愕させることのできる状況に適応させる。
実存主義によって、たしかに、現実は認識可能であり、我々はつねに欺かれるわけではない、ということが際立つ。
だが、これは、現実はそのゆえに我々に適応したものだ、ということを意味しない。そうでなく、我々は多くのことを認識し、その他のものは認識しない、ということをたんに意味する。
現実は原理的に認識可能なのか、そうでないのか、という問題を、新実在主義(Neue Realismus)は克服しない。なぜなら、現実は全包括的な対象領域なので、イデーは一貫して裏切られるからだ。
反面で現実が態様範疇(Modalkategorie)であるならば、現実は原理的には認識可能だ。//
(06) フランスの現代哲学は、この論脈で、ハイデガー(Heidegger)の後期哲学の『Ereignis』(事象)に依拠して語っている。
ハイデガーはそこでは、むろん区別されるのだが、H・ベルクソン(Henri Bergson)を借用していた。
ベルクソンはドイツでは低い評価しか享けておらず、それはまさにハイデガーが彼を中傷したからだ。
ベルクソンは当時の目線で、Albert Einstein その他の者と闘い、とりわけ1927年のその書の高い性質にもとづいて、ノーベル文学賞を受けた。
ベルクソンとアインシュタインは良い関係でなかった。そのことで、最終的にはベルクソンの声価が傷ついた。//
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以下、省略。