朝日新聞の9/21社説(の第一)を読んで、呆れてモノが言えない、という感じがする。
9/19の「脱原発集会」を最大限に称える社説だ。
平然と大江健三郎の名前を出して、その言葉が印象的だなどと書いているが、大江健三郎という名が「左翼」の代名詞となっているほどだとの知識くらいは持っているだろう。同じ「左翼」の朝日新聞(社説子)にとっては、そのような、<特定の>傾向のある人物らが呼びかけた集会であることは、何ら気にならないようだ。ずっぽりと「左翼」丸出しの朝日新聞。
この社説が説くまたは前提とする「民主主義」観も面白い。
まず、「民主主義」を善なるものとして、まるで疑っていない。限界、さらには弊害すらあることなど、全く視野に入っていないようだ。怖ろしいことだ。
「人々が横につながり、意見を表明することは、民主主義の原点である。民主主義とは、ふつうの人々が政治の主人公であるということだ」。
こういう文章を平気で書ける人物は、よほどの勉強不足の者か、偽善者であるに違いない。
また、間接民主主義よりも「直接民主主義」の方が優れている、という感覚を持っているようだ。「市民主権」論の憲法学者・辻村みよ子らと同様に。以下のように能天気で書いている。
「国の場合は、議会制による間接民主主義とならざるを得ないが、重大局面で政治を、そして歴史を動かすのは一人ひとりの力なのだ。/米国の公民権運動を勇気づけたキング牧師の「私には夢がある」という演説と集会。ベルリンの壁を崩した東ドイツの市民たち。直接民主主義の行動が、国の政治を動かすことで、民主主義を豊かにしてきた」。
「プープル主権」論は間接民主主義よりも直接民主主義に親近的なのだが、その「プープル主権」論の発展型が社会主義国に見られる、あるいはレーニンらが説いた「プロレタリア民主主義」あるいは「人民民主主義」に他ならない。朝日新聞の社説は、じつは(といっても従前からで目新しくもないが)<親社会主義(・共産主義)>の立場を表明していることになるのだ。
その次に、以下の文章がつづく。
「日本でも、60年安保では群衆が国会を取り囲んだ。ベトナム反戦を訴える街頭デモも繰り広げられた。それが、いつしか政治的なデモは沖縄を除けば、まれになった。……」
ここでは、「60年安保」闘争(騒擾) や「ベトナム反戦」運動が、何のためらいもなく、肯定的に捉えられている。
さすがに朝日新聞と言うべきなのだろう。「60年安保」闘争(騒擾) にしても「ベトナム反戦」運動にしても、このように単純には肯定してはいけない。むしろ、「60年安保」騒擾は、憲法改正(自主憲法の制定)を遅らせた、戦後日本にとって決定的に重要な、消極的に評価されるべき<事件>だった、と考えられる。背後には、いわゆる進歩的知識人がいたが、そのさらに奥には社会主義・ソ連(ソ連共産党)がいて、「60年安保闘争」を支え、操った。そんなことは、朝日新聞社説子には及びも付かないのだろう。
唖然とするほどに幼稚な「左翼」的、単純「民主主義」論の朝日新聞社説。これが、日本を代表する新聞の一つとされていることに、あらためて茫然とし、戦慄を覚える。
プープル主権
〇既に言及・紹介したのだったが、いずれも東京大学の教授だった宮沢俊義や横田喜三郎は、戦後当初の1950年代初めに、「自由」も「平等」も「民主主義」から、または「民主主義」と関連させて説明するような叙述をしていた。
反復になるが、ある程度を再引用する。
宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房、1950年第1版、1954年改訂版、1973年新版)は結論的にこう書く。
・「自由主義も民主主義も、その狙いは同じ」。「いずれも一人一人の人間すべての価値の根底であるという立場に立って、できるだけ各個人の自由と幸福を確保することを理想とする主義」だ。
これでは両者の差異がまるで分からないが、その前にはこうある。以下のごとく、「自由」保障のために「民主主義」が必要だ、と説明している。
・「自由主義」とは「個人の尊厳をみとめ、できるだけ各個人の自由、独立を尊重しようとする主義」あるいは「特に国家の権力が不当に個人の自由を侵すことを抑えようとする主義」のことだが、国家権力による個人の自由の不当な侵害を防止するには、「権力分立主義」のほか、「すべての国民みずからが直接または間接に、国の政治に参加すること」、「国家の権力が直接または間接に、国民の意思にもとづいて運用されること」が必要だ。このように国家が「運用されなければならないという原理」を、「特に、民主主義」という。
横田喜三郎・民主主義の広い理解のために(河出書房・市民文庫、1951第一版)は、こう書いていた。
・「民主主義」とは、「社会的な」面では「すべての人に平等な機会を与え、平等なものとして扱う社会制度を、すべての人に広い言論や思想の自由を認める社会組織を」意味し、「政治的な」分野では、「人民主権」や「人民参政」の政治形態を意味する。もっとも、「人民主権」・「人民参政」は「結局においては、すべての人が平等だという思想」にもとづく。
ここでは、上の宮沢俊義の叙述以上に、平等・自由・民主主義は(循環論証のごとく)分かち難く結びつけられている(こんな幼稚な?ことを書いていた横田喜三郎は、のちに最高裁判所長官になった)。
今日までの社会科系教科書がどのように叙述しているかの確認・検討はしないが、日本において、「民主主義」は必ずしも正確または厳密には理解されないで、何らかの「よい価値」を含むようなイメージで使われてきたきらいがあると思われる。一流の(?)<保守派>(とされる)評論家にもそれは表れているわけだ。
〇何回か(原注も含めて)言及・紹介したハイエクの「民主主義」・「自由主義」に関する叙述は、ハイエク・自由の条件(1960)の第一部・自由の価値の第7章「多数決の原則」の「1.自由主義と民主主義」、「2.民主主義は手段であって目的ではない」の中にある。
これらに続くのは「3.人民主権」だ。
余滴として記しておくが、この部分は、「教条的な民主主義者にとって決定的な概念は人民主権の概念」だと述べつつ(p.107)、「教条的民主主義者」の議論を批判している。
ハイエクによると、例えば、この「人民主権」論によって、民主主義は「新しい恣意的権力を正当化するものになる」(p.107)、「もはや権力は人民の手中にあるのだからこれ以上その権力を制限する必要はない」と主張しはじめたときに「民主主義は煽動主義に堕落する」(p.151)。
このような叙述は、原注には関係文献は示されていないが、フランス革命時の、辻村みよ子が今日でも選好する「プープル(人民)主権」論や、現実に生じていた<社会主義>国における(つまりレーニンらの)「民主主義」論を批判していると理解することが十分に可能だ。
また、菅直人が言ったらしい言葉として伝えられている、<いったん議会でもって首相が選任されれば、(多数国民を「民主主義」的に代表する)議会の存続中は首相(→内閣)の<独裁>が保障される>という趣旨の<議院内閣制>の理解をも批判していることになるだろう(菅直人の「民主主義」理解については典拠も明確にしていつか言及したい)。
ところで、横田喜三郎の書を紹介した上のエントリー(2009年)は、長尾龍一・憲法問題入門(ちくま新書、1997)のp.39~p.41の、こんな文章を紹介していた。
・民主主義=正義、非民主制=悪となったのは一九世紀以降の「価値観」で、そうすると「民主主義」というスローガンの奪い合いになる。この混乱を、(とくにロシア革命後の)マルクス主義は助長した。マルクス主義によれば、「封建的・ブルジョア的」意識をもつ民衆の教育・支配・強制が「真の民主主義」だ。未来世代の幸福のための、現在世代を犠牲にする「支配」だ。しかし、「未来社会」が「幻想」ならば、その支配は「幻想を信じる狂信者」による「抑圧」であり、これが「人民民主主義」と称されたものの「正体」だ。
・民主主義が「民衆による支配」(demo-cratia)だとすると、「支配」からの自由と対立する。「民衆」が全てを決定すると「自由な余地」はなくなる。レーニンやムッソリーニは、「民衆代表」と称する者による「徹底的な自由抑圧」を「徹底した民主主義」として正当化した。
反復(再録)になったが、なかなか鋭い指摘ではないか。
以上で、「民主主義」と「自由」の関係についての論及は終わり。
阪本昌成・新・立憲主義を読み直す(2008)-4。
第Ⅱ部・第6章
〔2〕「近代の鬼子? フランス革命」
C(p.191~)
高橋幸八郎を代表とする日本の歴史学者の定説はフランス革命を<民衆の支持を得たブルジョア革命>と見た。それは「ジャコバン主義的な革命解釈」で、「一貫した構造的展開」があったとする「歴史主義的な理解」でもある。
私(阪本)のような素人には「構造的展開」があったとは思えない。①急いで起草され一貫性のない「人権宣言」という思弁的文書、②その後の一貫性のない多数の成文憲法、③「ジャコバン独裁」、④サン=キュロット運動、⑤「テルミドールの反乱」、⑥ナポレオン、そして⑦王政復古-こうした経緯のどこに「構造的展開」があるのか。「フランス革命は民主主義革命でもなければ、下部構造の変化に対応する社会法則」の「体現」でもない。
フランス革命が後世に教示したのは、「自由と平等、自由と民主主義とを同時に達成しようとする政治体制の苛酷さ」だ。ヘーゲルはこれを見抜いていた。
革命時の「憲法制定権力」概念も「独裁=苛酷な政治体制を正当化するための論拠」だった。とくに「プープルという公民の総体が主権者」だとする「人民(プープル)主権論」こそが、「代表制民主主義」を欠落させたために、「全体主義の母胎となった」。
<1791年体制は93年体制により完成したか>との論議には加わらない。1793年〔ジャコバン独裁の開始〕がフランス革命の「深化」と「逸脱」のいずれであれ、1789年以降の「全体のプロセス」は「立憲主義のモデル」とは言えない、と指摘したいだけ。
フランス革命の全過程は「個人・国家の二極構造のもとで中央集権国家」を構築するもの。この二極構造を強調する政治理論はつねに「独裁」につながり、フランス革命もその例だった。<個人の解放>と<個人による自由獲得>とは同義ではなかった。この点をハンナ・アレントも見事に指摘している(『革命について』ちくま学芸文庫・志水速雄訳、p.211)。トクヴィルも言う-フランス革命は「自由に反する多くの制度・理念・修正を破壊した」が、他方では「自由のためにどうしても必要な多くのものも廃止した」等々(『アンシャン・レジームと革命』既出、p.367)。
(Cは終わり。Dにつづく)
一 辻村みよ子・憲法/第3版(日本評論社、2008)がフランス1793年憲法に触れる箇所のつづき。
④ 日本国憲法14条にかかわり、平等「原則」と平等「権」との関係等の冒頭で以下のように述べる。
・アメリカ独立宣言以来、平等原則は自由と一体のものとして「確立」されてき、フランスでも1789年人権宣言が保障し、「『自由の第4年、平等元年』として民衆による実質的平等の要求が強まった1793年には、平等自体が権利であると主張されるようになり、1793年憲法冒頭の人権宣言では、平等は自然権の筆頭に掲げられた」(p.183)。
このように、平等「権」保障の重要な画期として1793年憲法を位置づけている。
⑤ 統治機構に関する叙述の初めに、統治機構・権力分立と「主権」論の関係についてこう述べる。
・フランス1791年憲法では狭義の「国民(ナシオン)主権」のもとで権力分立原則が採用されたが、1793年憲法は「人民(プープル)主権」を標榜し、権力分立よりも「立法権を中心とする権力集中が原則」とされ、そのうえで「権限の分散と人民拒否等の『半直接制』の手続が採用された」。このように、「主権原理」と「権力分立」は「理論的な関係」があり、「立法権を重視する『人民(プープル)主権』原理では三権を均等に捉える権力分立原則とは背反する構造をもつといえる」(p.355)。
「人民(プープル)主権」原理が所謂<三権分立>と背反する「立法権」への「権力集中」原則と親近的であることを肯定している(そして問題視はしていない)ことに留意しておいてよい。
⑥ 「人民主権」→「市民主権」論を再論する中で、再び外国人参政権問題に次のように触れている。
・欧州の最近の議論でも「フランス革命期の1793年憲法が『人民(プープル)主権』の立場を前提に外国人を主権者としての市民(選挙権者)として認めていたのと同様の論法を用いて外国人参政権を承認しようとする立論が強まっている」。「近代国民国家を前提とする国民主権原理を採用した憲法下でも外国人の主権行使を認める理論的枠組みが示され、国民国家とデモクラシーのジレンマを克服する道が開かれたことは、…日本の議論にきわめて有効な糧を与えるものといえよう」。
このあと、まずは「永住資格をもつ外国人」についての「地方参政権」を認める法律の整備が必要だ旨を明言している(p.369)。「欧州連合」のある欧州諸国での議論がそのようなものを構想すらし難い日本にどのように「糧」となるのかは大きな疑問だが、立ち入らないでおこう。
以上が、「事項索引」を手がかりにした6カ所。
さしあたり、すべて好意的・肯定的に言及していること、この憲法制定後の「独裁」や数十万を殺戮したとされる「テルール(テロ)」・<恐怖政治>には一切言及がないことを確認しておきたい。
以上の6カ所以外にも、重要な「国民主権」の箇所でフランス1793年憲法に(つまりは「プープル主権」に)言及している。また、ルソーやロベスピエールに触れる箇所もある。なおも、辻村みよ子・憲法(日本評論社)を一瞥してみよう。
二 ところで、中川八洋によれば、マルクス主義もルソーの思想も「悪魔の思想」。フランス革命(当然に1793年「憲法」を含む)も(アメリカ独立・建国と異なり)消極的に評価される。憲法に関連させて、中川八洋・悠仁天皇と皇室典範(清流出版、2007)はこう書く。
・フランス「革命勃発から1791年9月までの二年間は、人権宣言はあるが、憲法はなかった。”憲法の空位”がフランス革命の出発であった。/1792年8月に(1791年9月生まれの)最初の憲法を暴力で『殺害』した後、1795年のフランス第二憲法までの、丸三年間も、憲法はふたたび不在であった。フランス革命こそは、憲法破壊と憲法不在の九十年間をつくりあげた、その元凶であった」(p.166)。
上の文章では、未施行の1793年憲法などは、「憲法」の一種とすらされていない。
上の中川の本にはこんな文章もある。
・「ルソー原理主義(もしくはフランス革命原理主義)の共産主義」は「表面的には」、「マルクス・レーニン主義の共産主義」ではない。このことから「過激な暴力革命」ではないとして「危険視されることが少ない」。「ルソー原理主義系の憲法学が、日本の戦後に絶大な影響を与えることになった理由の一つである」。
なるほど。
辻村みよ子が「ルソー原理主義」者もしくは「フランス革命原理主義」者であることは疑いえないと思われる。そしておそらく、「マルクス・レーニン主義の共産主義」者としても、資本主義→社会主義という<歴史的発展法則>を信じた(ことがある)のだろうと推察される。次回以降に、この点には触れることがある。
なお、先だって中川八洋・悠仁天皇と皇室典範に言及したあとで、この本は全読了。確認してみると、皇室問題三部作の二冊目の、中川・女性天皇は皇室断絶(徳間書店、2006)も「ほぼ」読了していた。
杉原泰雄の指導を一橋大学で受けたと見られるのが、やはり若い頃はフランス革命期の憲法史を研究していた辻村みよ子(1949~、現東北大学教授)。
辻村は、日本国憲法の解釈論としても「プープル(人民)主権」の方向の解釈が望ましいとする。
浦部法穂=棟居快行=市川正人編・いま、憲法学を問う(日本評論社、2001)の中の棟居快行との対談「主権論の現代的展開」で、以下のように語る。見出しは秋月が付した。
①ナシオン(国民)主権論とプープル(人民)主権論―「ナシオン主権論」は「フランス革命当時に一握りのブルジョアジーが権力を独占するために抽象的・観念的な建前としての全国籍保持者を主権主体としつつ、実際には自分たちだけが国民代表となって主権を行使するために構築した理論」。「代表制と必然的に結合し」、「制限選挙とも結びついて非民主的に機能することができる」。
「プープル主権論」では「抽象的・観念存在としての国民」ではなく「具体的に主権行使できる主権主体、すなわち政治的意思決定ができる市民の全体をプープルと呼」ぶ。「ナシオン主権」の場合は「赤ん坊も主権者に入る」ために「代表制が不可欠」だが、「プープル主権論のもとでは、それぞれの主権主体の主権行使自体が前提で、これが尊重される制度が求められ」る。以上、p.58-59。
辻村において、「ナシオン主権」=<代表制>、「プープル主権」=<(半)直接制>のごとく理解されているようだ。
上の点よりも分かりにくいのは、「プープル主権論」について語られている中での「政治的意思決定ができる市民」という場合のそのような「市民」の意味、とりわけ国籍保持を要件としないのかどうか、だろう。ともあれ、最初から「国民」と「市民」という語が異なるものとして使い分けられていると見られる。
②日本国憲法と「ナシオン主権」・「プープル主権」―現憲法43条の「代表」という語、議員の免責特権(51条)・不逮捕特権(50条)、前文(<国民は代表者を通じて行動>-秋月)は「間接民主制」を採用しており、「ナシオン主権に適合的な規定ともいえ」る。しかし、15条の国民の公務員選定罷免権、95条・96条の「住民投票や国民投票」は「直接民主制の手続を採用」している点では「半直接制としてプープル主権に近い構造だ」。
このように混在があるが、「現代憲法として、より民主的な制度を採用しうるプープル主権の方向に解釈することが望ましい」。以上、p.60。
辻村の所論で基本的によく分からないのは、①にも出てきていたが(いわく、「ナシオン主権」論は「非民主的に機能」しうる)、「ナシオン主権」(論)よりも「プープル主権」(論)の方が「より民主的」だ、ということの理由・根拠だ。なぜ、そう言えるのか。あるいはそもそも、「より民主的」とはいかなる意味なのか。
辻村は、フランス革命期の1791年憲法よりも1793年憲法(ジャコバン憲法)の方が「より民主的」・<より進歩的>と考えていると推察される。この点の確認は別の機会に行うが、簡単には、以下に紹介するように、この本でも言及されている。
簡単にいえば「ナシオン主権」論→「代表制民主主義」・「間接民主主義」、「プープル主権」論→「(より)直接的な民主主義」というふうに整理できるだろう。このように対置した場合において、「間接民主主義」よりも「(より)直接的な民主主義」の方がより<望ましい>・より<優れている>と、なぜ論定できるのか。
いずれも<民主主義>だ。そして、「民主主義」を国民(とりあえずは人民でも市民でもよいが)にとって<よき>あるいは<幸福な>国家決定をもたらすための手段(に関する考え方の一つ)と理解する場合、「(より)直接的な民主主義」の方がより<よき>あるいはより<幸福な>決定を生じさせる、となぜ言えるのか。その保障は論理的にも現実的にも全くない。
<合理的な>国家決定という語を使ってよい。「(より)直接的な民主主義」の方が「間接民主主義」よりもつねにより<合理的な>決定をもたらす保障は全くない。より多数の者がより直接的に<参加>することと、その結果としての決定の<合理性>あるいは国民の「幸福」・「福利」との間に論理的な因果関係があるわけでは全くない。
「直接民主主義」の方が「間接民主主義」よりも<合理的>な、あるいは<正しい>決定を生じさせる、という暗黙の前提に立っているとすれば、そのこと自体の適切さをまずはきちんと論証しておいてもらわないと困る。
辻村は、「直接民主主義」の方が「間接民主主義」よりも<合理的>な、あるいは<正しい>決定を生じさせる、と単純に<思い込んでいる>(そういう考え方に取り憑かれている)だけではないのか。
むろん何が又はいずれが<合理的>な、又は<正しい>決定かという問題はある。しかし、少数意見の方が客観的に見て、あるいは「歴史的」評価の上ではより<合理的>で<正しかった>、ということはありうるはずだ。
(代表制にせよ、直接制にせよ)多数意見が現実には<通用力>を持つが、そのことと<合理性>・<正しさ>、国民の「幸福」・「福利」にとっての客観的意味とは、別の問題なのだ。<民主主義>が(あるいは<民意>が)<誤った>決定を生じさせる、ということは、論理的にも現実的にも、十分にありうる。
③外国人の参政権―現憲法上「国民」には、第一に「国籍保持者としての国民」、第二に「主権行使者としての国民」の二つの意味がある。両者は「必ずしも…一致しているわけでは」ない。
フランス1793年憲法において「主権者人民」=「市民の総体」で、この「市民」の中に「一定の外国人も含めて」いた。「国籍と切り離された市民の観念」の導入によって「主権者を国籍から離脱させることを可能とする理論的枠組みを、プープル主権論はもっていた」。
「欧州市民権」観念を創出するため、今日のフランスには1793年憲法に言及して「国籍と切り離された市民権の観念」を説明する研究もある。
「日本でも同じように、一定の外国人に参政権を認めるという要請を実現するため、この市民権観念を用いることが有効」だ。以上、p.61-62。
まず、欧州ないしフランスにおける議論が日本の外国人参政権問題にいかほど「有効」かが問われる必要があろう。すなわち、ヨーロッパという新しい次元の「国家」を作ろうとしている地域における(おそらくは従来の国家の中での)「地方参政権」の付与の何らかの理念的根拠があるとしても、それが、同じ状況にはない日本に役立つとは全く思われない。
そうだとすると、重要なのは、「主権者を国籍から離脱させることを可能とする理論的枠組みを、プープル主権論はもっていた」という辻村の理解かつ主張だ。
ここで「プープル主権論」の当否が外国人の(地方)参政権問題に関する日本国憲法の解釈論としても、あるいは憲法のもとでの立法政策論にとっても大きな意味をもつことになる(p.63の棟居発言参照)。
だが、<参政権>保有者を「国籍から離脱させることを可能とする理論的枠組み」を現憲法が、あるいはその他の種々の議論が用意しているだろうか。
辻村みよ子は「定住外国人」=「永住市民」=「永住資格保持者」を「主権者国民としての人民を構成する市民の中に加えることを可能にする『永住市民権説』という考え方」に立っている、と言う(p.62)。
「永住市民」=「永住資格保持者」も「主権者国民」(の一部)だと主張しているわけだ。
上のような主張・考え方の背景には、フランスの(ジャコバン独裁開始期の、施行されなかった1793年憲法が謳った)「プープル主権論」があることを十分に銘記しておく必要がある。
一 憲法学上に、「国民主権」や立法議会(議員)の地位・性格にかかわって、「ナシオン(国民)主権」論と「プープル(人民)主権」論の対立があるようだ。
八木秀次・日本国憲法とは何か(PHP新書、2003)も上の対立に言及し、この対立・分類は「フランス革命のときに生れた」などと書いている(p.50)。
だが、この二つの意味に関する八木の理解は適切なのだろうか。あるいは少なくとも、現在の日本の憲法学上の一般的・常識的なものなのだろうか。
第一に、八木は、「ナシオン=国民主権」(「狭義の国民主権」)論における「国民」を「歴史的な総国民」と説明し、この意味での「国民主権と君主制は…両立する」と書く(p.48~49)。
この、「狭義の国民主権」における「国民」の説明、「君主制」との関係の説明は、どうも一般的・常識的ではないような気がする。
上の点にもかかわるだろうが、第二に、八木は、日本の「現在の憲法学の主流は…『プープル主権』『人民主権』に立っています」と書く(p.50)。
「プープル(人民)主権」論からは「直接民主制が要請され」るとの説明(p.50)は妥当だとして、しかし、その「プープル(人民)主権」論が「憲法学の主流」だという認識が妥当であるかは、疑わしく思っている。
二 浦部法穂=棟居快行=市川正人編・いま、憲法学を問う(日本評論社、2001)という本があり、その中で、棟居快行(現・大阪大学)と「プープル(人民)主権」論者らしい辻村みよ子(現・東北大学)が「主権論の現代的課題」というテーマで対談している。
棟居快行によると、辻村みよ子は「杉原泰雄教授のブープル主権(人民主権)論を継承されると共に、その具体的な実現のコンセプトとして…『市民主権』を提唱されて」いる(p.56)。
辻村みよ子はその杉原泰雄の指導を一橋大学で受けたようだ。マルクス主義憲法学者・杉原泰雄についてはその本の一つの一部をこの欄で紹介・言及したことがある。
その点はともかく、八木秀次の叙述との関係でいうと、棟居快行は「…ナシオン主権論が有力なわけですが…」と明言し(p.56)、辻村も、「ナシオン主権の解釈が通説を占めるなかで…」と発言している(p.60)。いずれも、(日本の少なくとも2001年頃の)憲法学界の「有力」説又は「通説」は、「プープル(人民)主権」論ではなく、「ナシオン(国民)主権」論だと述べているわけだ。
これら二人の認識は八木秀次とは異なる。はたして、八木秀次の日本の現在又は近年の憲法学説理解は適切なのか。
また、フランス革命期の憲法・人権学説に関する研究書もある辻村みよ子と八木秀次では、「ナシオン(国民)主権」という場合の「国民」の理解も異なるようだ。
すなわち、八木によると「国民」は「歴史的な総国民」で「国民主権と君主制は…両立する」らしいが、辻村はそんなことを書いてはおらず、「ナシオン(国民)主権」における「国民」は「…全国籍保持者」で、「国籍保持者の全体」なのか「有権者」団なのかという論点は残っている、という(p.58)。八木の「歴史的な総国民」という理解・説明とは大違いだ。
三 辻村みよ子の所論、とくにその「プープル(人民)主権」論・「市民」主権論・直接民主制論を支持するために書いているわけではない。むしろ、これへの批判的なコメントを今後書くだろう。
指摘しておきたいのは、八木秀次の日本国憲法論あるいは実際の日本の憲法学説の理解には、どうも正しくないところがあるということだ。
また、些細な揚げ足取りの可能性もあるが(一方で重要な指摘の可能性もあるだろう)、例えば、八木秀次が「日本国憲法が政治哲学でいえば自由主義と民主主義に立脚」しているのは「評価」すべきだと肯定的に論及する(p.38)一方で、「日本国憲法が社会契約説に立脚していることを問題に」する改憲論に肯定的・好意的に言及する(p.47-)のは、矛盾していないだろうか。
ともあれ、<保守>派の現役の憲法学者は数少ないので、<保守>派の人々は憲法論については八木秀次の本を参照することが多いかもしれない。しかし、この人の書いていることを無条件に信用・信頼してはいけない。上に書いたことはその一例だ。
もともと、きちんとした憲法研究者ならば、高崎経済大学という法学部のない大学に所属しているのは奇妙なのではないか。いや、それは、<保守>派だから冷遇されているのだと八木は反論又は釈明するだろうか。
私にとっては、八木秀次とは憲法(思想)研究者・憲法学者というよりも、<保守>派の「活動(運動)家」・「評論家」のイメージの方がとっくに強い。だが、一般論として言うのだが、専門分野(または「得意」分野)できちんと(それなりに高く)評価されていない者は、すぐれた「評論家」にはなれない(ならない)のではないか。
辻村はフランス革命期の分析をふまえて近代以降の主権論にも<ナシオン(国民)主権>と<プープル(人民)主権>があるとする論者で著名らしい(詳しくは知らない)。前者についてこう説明する。
「ナシオン主権論は、歴史上、もともとフランス革命時に一握りのブルジョアジーが権力を独占するために抽象的・観念的な建前としての全国籍保持者を主権主体としつつ、実際には自分たちだけが国民代表となって主権を行使するために構築した理論です」(p.58)。
ほう、<ナシオン(国民)主権>とは歴史的限界のある理論なのかという気がするが、それにしても、「一握りのブルジョアジー」などというマルクス主義的言葉をいとも簡単に使えるのはこの人らしいのだろう。また、ここで言っている趣旨は、この人の指導教授らしい杉原泰雄の1971年の本にも書いてあった。
そのあと「プープル(人民)主権」の説明もあり、日本国憲法は「両者に適合的な規定の両方が混在している」とする。
だが、基本的な疑問は、日本の<主権>構造あるいは<代表制>のありようを、なぜフランスでの概念を使って説明する必要があるのか、だ。欧米諸国の全て又は殆どが上記の二種の主権概念を知っており、それらを使って議論しているのならは別だが、フランスだけだとしたら、何故日本の問題をフランスの議論を使って説明する必要があるのか。この人に限らないだろうし、憲法学/法学にも限らないだろうが、外国の法制又は法理論によって日本のことを説明したり議論するのはもうやめた方がよいのではないか。
もともと、上の二つの区別は、私には、<間接民主主義>と<直接民主主義>という語を使って説明し議論もできるように感じる。
次の叙述も私にはきわめて疑問だ。
日本国憲法を「どちらの方向に解釈してゆくのか、という解釈論の問題」については、「現代憲法として、より民主的な制度を採用しうるプープル主権の方向に解釈することが望ましいと考えます」(p.60)。
杉原泰雄の国民主権の研究(1971)でも<人民主権>は「民衆」、<国民主権>は「ブルジョアジー」という対置があり、前者がより<進歩的>に理解されていたと思うが、この点でも、辻村は指導教授を継承しているようだ。
基本的な問題は、なぜ、「プープル主権の方向」の方が「より民主的な制度を採用しうる」のか、だ。これは間接民主主義よりも直接民主主義の方が「より民主的」と言っているに等しい。第一に、そもそも「民主的」ということの意味に関係するが、なぜ、このように簡単に言えるのか。
第二に、かりに間接民主主義よりも直接民主主義の方が「より民主的」だと言えるとしても、そのことのゆえに直接民主主義の方が制度として<より優れている>と、なぜ言えるのか。<民主的>であればあるほど<より優れて>いるなどというのは、ただの<思い込み>ではないのか。
こんなふうに「プープル(人民)主権」を私が警戒するのも、その淵源がルソーにある、「人民」の名による(「人民民主主義」の下での)圧制・専制政治を実際の歴史は経験しているからだ。
辻村の憲法教科書は序章で特段の定義も説明も限定もなく「平和憲法」という語を登場させていることに気づいたくらいで、未読のままだ。また、岩波ブックレット・有事法制と憲法(2002)計54頁のうち32頁を執筆して「有事法制」批判をしているのは知っているが、これもまだ読んでいない。
<憲法再生フォーラム>の会員(少なくとも2001年時点)であることも含めて見れば、辻村が相当に固い九条護持論者であることは容易にわかる。
さらには、おそらくは浦部法穂と同様に、あるいは少なくともかつての杉原泰雄と同様に、日本における「民主主義」の徹底→<社会主義革命>という歴史的推移を予想していたマルクス主義者又はマルクス主義シンパではなかろうか。この人が説いているという「市民主権」論の内容とともに、そのような徴表・痕跡がないかどうかにも関心をもって、辻村みよ子の文献を今後読んでみたい。
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