阪本昌成・新・立憲主義を読み直す(成文堂、2008)。
 第Ⅱ部・第6章
 〔2〕「近代の鬼子? 

 A(つづき、p.188~)
 フランス革命は「脱宗教的な形をとった文化大革命という政治的革命」で、「共同体にとっての汚染物を浄化する運動」だった。「『プープル』〔人民〕という言葉も、政治的には人民の敵を排除するための」、「経済的には富豪を排除し、倫理的には公民にふさわしくない人びとを排除するための」ものだった。だからこそフランス革命は「長期にわたっ」た。
 しかし、この「文化大革命」によって「人間を改造することはでき」なかった。「最善の国制を人為的に作り出そうとする政治革命は、失敗せざるをえ」なかった。「精神的史的大転換を表現する政治的大転回」は「偉大な痙攣」に終わった。
 B フランス革命を「古い時代の終焉」とともに「新しい時代の幕開け」だと「過大評価」してはならない。フランス革命は紆余曲折しつつ「人権」=「自由と平等」を、とくに「人の本質的平等」を「ブープル」に保障する「理想社会」を約束しようとした。それは「差別を認めない平等で均質な社会」の樹立を理想とした。しかし、「結局、中央集権国家をもたらしただけで失敗」した。「高く掲げられた理想は、革命的プロパガンダにすぎなかった」。
 「人権宣言」は法文書ではなく「政治的プロパガンダ」ではないかと疑うべきだ。立憲主義のための重要な視点は、「人権宣言」にではなく、「徐々に獲得されてきた国制と自由」にある。
 トクヴィルは冷静にこう観察した。-「民主主義革命」を有効にするための「法律や理念や慣習は変化をうけなかった」。フランス人は「民主主義」をもったが、「その悪徳の緩和やその本来の美点の伸張」は無視された。旧制度から目を離すと、「裡に権威と勢力のすべてをのみこんでまとめあげている巨大な中央権力」が見える。こんな「中央権力」はかつて出現したことがなく、革命が創造したものだ。「否、…この新権力は革命がつくった廃墟から、ひとりでに出てきたようなもの」だ(『アンシャン・レジームと革命』講談社学術文庫・井伊玄太郎訳、p.110-1)
 (Bは終わり。Cにつづく)