日本の「左翼的」すなわち「容共的」学界・論壇や出版社を含むメディアにとって危険な外国の人物やその著作は、紹介されたり翻訳されたりする傾向がきわめて少ない。
R・パイプス(アメリカ)についても、F・フュレ(フランス)についても、エルンスト・ノルテ(ドイツ)についても、この人たちは日本で決して全くの無名ではないとしても、そのことを感じている。
アンジェイ・ワリツキ(Andrzej Walicki)の著書についても、そうだろう。
その書名は、マルクス主義と自由の王国への跳躍-共産主義ユートピアの成立と崩壊=Marxism and the Leap to the Kingdom of Freedom -The Rise and Fall of the Communist Utopia (1995)。
この書物につき、この分野の専門的研究者とは見なされていないだろう竹内啓のつぎの論考があり、かなり詳細な紹介とコメントを含む。ネット上で、PDF形式で掲載されている。
竹内啓・書評/明治学院大学国際学研究2000年3月31日号p.67-p.85。
しかし、見事に、この竹内啓PDFファイル以外に、日本では上の著に触れたものはないように見える(氏名の読み方すら分かりにくい。日本語のWikipedia での紹介もないのでないか)。
以下は、この著の構成(内容)だ。<危険さ>を感じる人がいるだろう。
しかし、竹内啓も言っているように、マルクス主義と「自由」は、あるいは現代の「自由」とは何かについて、(日本人も)きちんと議論・研究する必要がある。
マルクス主義・「科学的社会主義」を名乗る政党に「学問の自由」も「出版の自由」も実質的に形骸化されているという、畏るべき実態が日本にはあると思われる。
そうしてまた、「反共」をいちおうは謳いながら、マルクス主義・共産主義(あるいはレーニン主義・スターリニズム)、あるいは<亜流>マルクス主義者の思想・理論の詳細な分析・研究などにはまるで関心がない、分けが分からなくなっている、日本の<保守>の悲惨な実態もある。有り難さではなくて、その惨状に、涙こぼるる思いがする。
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アンジェイ・ワリッキ・マルクス主義と自由の王国への跳躍(1995).
第1章・自由に関する哲学者としてのマルクス。
第1節・緒言。
第2節・公民的および政治的自由-自由主義との対立。
第3節・自己啓発の疎外という物語-概述。
第4節・パリ<草稿>-喪失し又は獲得した人間の本質。
第5節・<ドイツ・イデオロギー>-労働の分離と人間の自己同一性の神話。
第6節・<綱要>-疎外された普遍主義としての世界市場。
第7節・<資本論>での自己啓発の疎外と幼き楽観主義の放棄。
第8節・将来の見通し-過渡期と最後の理想。
第9節・ポスト・マルクス主義社会学伝統における資本主義と自由-マルクス対ジンメルの場合。
第2章・エンゲルスと『科学的社会主義』。
第1節・『エンゲルス的マルクス主義』の問題。
第2節・汎神論から共産主義へ。
第3節・政治経済学と共産主義ユートピア。
第4節・諸国民の世界での『歴史的必然性』。
第5節・『理解される必然性』としての自由。
第6節・喪失した自由から獲得した ?自由へ。
第7節・二つの遺産。
第3章・『必然性』マルクス主義の諸変形。
第1節・カール・カウツキー-共産主義の『歴史的必然性』から民主政の『歴史的必然性』へ。
第2節・ゲオルギー・プレハーノフ-夢想家の理想としての『歴史的必然性』。
第3節・ローザ・ルクセンブルクまたは革命的な運命愛(Amor Fati)。
第4章・レーニン主義-『科学的社会主義』から全体主義的共産主義へ。
第1節・レーニンの意思と運命の悲劇。
第2節・『ブルジョア自由主義』へのレーニンの批判とロシア民衆主義の遺産。
第3節・労働者の運動と党。
第4節・『単一政』の破壊と暴力の正当化。
第5節・文学と哲学におけるパルチザン原理。
第6節・プロレタリアート独裁と国家。
第7節・プロレタリアート独裁と法。
第8節・プロレタリアート独裁と経済的ユートピア。
第5章・全体主義的共産主義から共産主義的全体主義へ。
第1節・レーニン主義とスターリン主義-継承性に関する論争。
第2節・世界の全体観念としてのスターリン主義的マルクス主義。
第3節・『二元意識』と全体主義の『イデオロギー支配制』。
第6章・スターリン主義の解体-脱スターリン主義化と脱共産主義化。
第1節・緒言。
第2節・マルクス主義的『自由』と共産主義的全体主義。
第3節・脱スターリン主義化と脱共産主義化の諸段階と諸要素。
第4節・ゴルバチョフのペレストロイカと共産主義的自由の最終的な拒絶。
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以上。
R・パイプス(アメリカ)についても、F・フュレ(フランス)についても、エルンスト・ノルテ(ドイツ)についても、この人たちは日本で決して全くの無名ではないとしても、そのことを感じている。
アンジェイ・ワリツキ(Andrzej Walicki)の著書についても、そうだろう。
その書名は、マルクス主義と自由の王国への跳躍-共産主義ユートピアの成立と崩壊=Marxism and the Leap to the Kingdom of Freedom -The Rise and Fall of the Communist Utopia (1995)。
この書物につき、この分野の専門的研究者とは見なされていないだろう竹内啓のつぎの論考があり、かなり詳細な紹介とコメントを含む。ネット上で、PDF形式で掲載されている。
竹内啓・書評/明治学院大学国際学研究2000年3月31日号p.67-p.85。
しかし、見事に、この竹内啓PDFファイル以外に、日本では上の著に触れたものはないように見える(氏名の読み方すら分かりにくい。日本語のWikipedia での紹介もないのでないか)。
以下は、この著の構成(内容)だ。<危険さ>を感じる人がいるだろう。
しかし、竹内啓も言っているように、マルクス主義と「自由」は、あるいは現代の「自由」とは何かについて、(日本人も)きちんと議論・研究する必要がある。
マルクス主義・「科学的社会主義」を名乗る政党に「学問の自由」も「出版の自由」も実質的に形骸化されているという、畏るべき実態が日本にはあると思われる。
そうしてまた、「反共」をいちおうは謳いながら、マルクス主義・共産主義(あるいはレーニン主義・スターリニズム)、あるいは<亜流>マルクス主義者の思想・理論の詳細な分析・研究などにはまるで関心がない、分けが分からなくなっている、日本の<保守>の悲惨な実態もある。有り難さではなくて、その惨状に、涙こぼるる思いがする。
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アンジェイ・ワリッキ・マルクス主義と自由の王国への跳躍(1995).
第1章・自由に関する哲学者としてのマルクス。
第1節・緒言。
第2節・公民的および政治的自由-自由主義との対立。
第3節・自己啓発の疎外という物語-概述。
第4節・パリ<草稿>-喪失し又は獲得した人間の本質。
第5節・<ドイツ・イデオロギー>-労働の分離と人間の自己同一性の神話。
第6節・<綱要>-疎外された普遍主義としての世界市場。
第7節・<資本論>での自己啓発の疎外と幼き楽観主義の放棄。
第8節・将来の見通し-過渡期と最後の理想。
第9節・ポスト・マルクス主義社会学伝統における資本主義と自由-マルクス対ジンメルの場合。
第2章・エンゲルスと『科学的社会主義』。
第1節・『エンゲルス的マルクス主義』の問題。
第2節・汎神論から共産主義へ。
第3節・政治経済学と共産主義ユートピア。
第4節・諸国民の世界での『歴史的必然性』。
第5節・『理解される必然性』としての自由。
第6節・喪失した自由から獲得した ?自由へ。
第7節・二つの遺産。
第3章・『必然性』マルクス主義の諸変形。
第1節・カール・カウツキー-共産主義の『歴史的必然性』から民主政の『歴史的必然性』へ。
第2節・ゲオルギー・プレハーノフ-夢想家の理想としての『歴史的必然性』。
第3節・ローザ・ルクセンブルクまたは革命的な運命愛(Amor Fati)。
第4章・レーニン主義-『科学的社会主義』から全体主義的共産主義へ。
第1節・レーニンの意思と運命の悲劇。
第2節・『ブルジョア自由主義』へのレーニンの批判とロシア民衆主義の遺産。
第3節・労働者の運動と党。
第4節・『単一政』の破壊と暴力の正当化。
第5節・文学と哲学におけるパルチザン原理。
第6節・プロレタリアート独裁と国家。
第7節・プロレタリアート独裁と法。
第8節・プロレタリアート独裁と経済的ユートピア。
第5章・全体主義的共産主義から共産主義的全体主義へ。
第1節・レーニン主義とスターリン主義-継承性に関する論争。
第2節・世界の全体観念としてのスターリン主義的マルクス主義。
第3節・『二元意識』と全体主義の『イデオロギー支配制』。
第6章・スターリン主義の解体-脱スターリン主義化と脱共産主義化。
第1節・緒言。
第2節・マルクス主義的『自由』と共産主義的全体主義。
第3節・脱スターリン主義化と脱共産主義化の諸段階と諸要素。
第4節・ゴルバチョフのペレストロイカと共産主義的自由の最終的な拒絶。
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以上。