一 樋口陽一の<ルソー=ジャコバン型国家>なる表現及びその肯定的評価に関するコメントは終えたわけではない。そして、今回でも終わらないだろう。
フランス革命については、少なくともその一過程に見られる<狂熱的残虐さ>やロシア革命を導いたものとの性格づけ(フランス革命なくしてロシア革命(社会主義・共産主義へ)はない)について、いろいろな人の著書等に触れながら、たびたびこの欄でも論及してきた。
すでに紹介した可能性はあるが(有無を確認するには時間を要しすぎる)、中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)は、その「はじめに」で次の旨を述べていたことを、むろん、一人の研究者の発言としてでよいのだが、確認しておきたい。
<1991年以降も、マルクス主義・共産主義・全体主義という「悪の思想ウィルス」は、スタイルを変えてでも、除毒されず、伝染力を温存したままだ。「スタイルの変更」の「代表的なもので、また最も効果的」なものは、「ルソーとヘーゲルの温存ならびにフランス革命の賛美をすること」だ。そして「現実にそのとおりのことが集中的になされている」>(p.3)。
次の中川の文もそのまま引用しておきたい。
「ルソーとヘーゲルとフランス革命を次世代の青年に教育すれば、もしくはこれに対する親近感を頭に染みこませれば、それだけで全体主義のドグマは充分に生き残ることができる。『マルクス』は何度でも蘇生する」(p.3)。
また、フランス革命の解釈・理解については<旧い封建制又は絶対王政をブルジョアジーが実力をもって打倒して支配階級にとって代わり、資本主義を準備した「市民(ブルジョア)革命」だ>といった旧来の又は伝統的な主流派解釈に対して、「修正主義」という新しい解釈・理解も有力になっていることも記したことがあるかもしれない。
「修正主義」解釈の中身にさしあたりここでは立ち入らないが、その内容を紹介しつつ、柴田三千雄・フランス革命(岩波現代文庫、2007.12)は次のようにすら語っている。
<「修正主義」はフランスでも別途出てきたが、その「潮流はまずイギリスからおこってアメリカにゆき、アングロ=サクソン系の歴史家の間ではこれが主流にさえなっている」(p.41)。
二 日本で<従来の主流派的解釈>を明瞭にそのまま採用していたのが、桑原武夫や、樋口陽一が「あえて何度でもしつこくたちもどる必要がある」としていた三人の学者のうち、西洋史学者の大塚久雄と高橋幸八郎だった(あとの一人は丸山真男。樋口陽一・比較の中の日本国憲法(岩波新書、1979)p.9参照)。
ちなみにやや先走っていえば、上記の柴田三千雄・岩波現代文庫は、高橋幸八郎の「理論」を1頁ほどかけて紹介したあと、「この考え方には無理があると思われます」とこの文自体は素っ気なく述べ、そのあとで理由をかなり詳しく書いている(p.34~p.39)。
さて、樋口陽一は長谷川正安=渡辺洋三=藤田勇編・講座・革命と法第一巻の「フランス革命と近代憲法」の中で、「修正主義派」の存在に言及しつつ、「そこで提起されている諸論点の意義、などについて、ここではコメントをくわえる紙幅も能力もない」と述べている(p.124)。そして、「右のような論争的争点に直接に立ち入ることなしに」、フランス革命は「『ジャコバン的理想』=一九九三年の段階」を不可欠とする高橋幸八郎「史学」と基本的には全く同様に、「フランスの法・権力構造の基本は、一七八九年が一七九三年によってフォローされたことによって決定づけられた」という前提で、「以下の叙述をすすめる」と書いている。
この論旨の運びはいささか、いや多分に奇妙だ。
第一に、「高橋史学」等による<従来の主流派的解釈>にそのまま従っている、と見てよいにもかかわらず、その根拠・理由は述べていない。
第二に、論争について「コメントをくわえる紙幅も能力もない」と釈明しながら、「右のような論争的争点に直接に立ち入ることなしに」、上のように<従来の主流派的解釈>に従って叙述をすすめることが「許されると考える」、と書いているが、本当に「許される」のか。まさしく「論争的争点に…立ち入」っていることになるのではないか。そして、基本的には<従来の主流派的解釈>に従うことを選択しているにもかかわらず、その理由は一切述べておらず、<逃げて>いるのだ。
ここには、かつて高橋幸八郎(や大塚久雄ら)を読んで身につけたフランス革命のイメージを壊されたくない、という<情念>の方が優っているのではあるまいか。
三 先日この問題に言及したときには手元になかった、樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)を入手した。その「あとがき」によると、この新書の一部(第三章)は上で言及した講座・革命と法第一巻の中の論文での「記述を骨組みとして」いるらしい。
そして、若干部分の比較的読み方をしてみると、①冒頭での「修正(主義・論)」の存在への言及や「コメントをくわえる紙幅も能力もない」という釈明は、表現を変えて別の箇所に移されている(p.113-「歴史家ならぬ私の役まわりではない」等)。
②その代わりに、フランス革命「理解」、とくに1789年と1793年の関係について三説があるとし(そのまま正確に引用したいが省略)、高橋幸八郎の、フランス革命は「『ジャコバン的理想』=一九九三年の段階」を不可欠とする(正確には、つづけて、「…段階を経過することによってこそ、『新たな資本制生産の自由な展開を孕む母胎が形成された』」との文章を引用しつつ、「八九年が九三年によってのりこえられることで革命が完成したと見る―さらに一九一七年によって本当に完成したと見る」第二の説に立って(と解釈できる)、講座・革命と法の中の論文と同様又は類似のことを書いている。
要するに、特段の詳細な理由づけをすることなく、当時すでに現れて有力にもなっていた「修正主義」をきちんと検討することもなく、やはり<従来の主流派的解釈>に従っている、と見られる。「かつて高橋幸八郎(や大塚久雄ら)を読んで身につけたフランス革命のイメージを壊されたくない、という<情念>の方が優っているのではあるまいか」との疑念は消えない。
しかも驚くべきことなのは、上の第二の説というのは、革命は「さらに一九一七年によって本当に完成したと見る」という考え方を含んでいるらしい、ということだ。「一九一七年」とは言うまでもなく、「ロシア革命」のこと。この点は、講座・革命と法第一巻の中では明記されていなかっていなかった、と思われる。また樋口は、高橋幸八郎の発したメッセージは「こだわるに値するはず」だとして、高橋の1950年の「われわれ」〔日本人?〕は西欧では100年前に提起・解決された問題を「世界史の法則として直接確認しようとしている」という文章を肯定的に引用している。樋口もまた、「世界史の法則」なるものの存在を信じて(信仰して?)いたのだろう。
出典は省略するが(確認していると時間がかかる)、大塚久雄は、「近代化」とは「社会主義化」を含むものだ旨を晩年の方の本の中で明記したらしい。上で触れたように、樋口陽一もまた、フランス革命によって残された部分を「社会主義革命」が補充して完成させる(又はロシア革命によって実際に完成された)という理解・考え方に立っていたことを充分に示唆することを、述べていたことになる。いわば、有名な<発展段階>史観でもある。
しかして、上の岩波新書が刊行されたのは1989年年11月で、講座・革命と法第一巻と殆ど同じ頃。原稿執筆中はベルリンの壁は崩壊しておらず、東ドイツもソ連もまだ表向きは健在だっただろう。しかし、1991年以降になってみれば、「本当に完成した」筈の「革命」は瓦解してしまったのではないか。
そして感じるのだが、ソ連・東欧諸国等の「社会主義」諸国の存在(それも可能ならば健康的な存在)があって初めて成り立つような議論・論旨部分を一部にせよ含む本を、樋口陽一がその後も刊行させ続けていることに驚かざるをえない。私が入手したのは、1996年2月の第14刷の本。
ソ連解体後も、とっくに破綻が明らかになっていた<朝鮮戦争=韓国軍の北侵による開始>説を述べている井上清・新書日本史8(講談社現代新書、1976。1992第9刷)等が発売されていたことにこの欄で批判的に触れたことがある。樋口陽一はソ連解体前のこの岩波新書・自由と国家を一部なりとも訂正・修正することなく発売し続けているようだ。
樋口は「八九年が九三年によってのりこえられることで革命が完成したと見る―さらに一九一七年によって本当に完成したと見る」説は自説だと明記してはいないとでも釈明又は反論するだろうか。だが、あとの二つの説は「九三年=恐怖政治=闇」とする説と「九三年=一九一七年=スターリニズム説」なので、樋口がこれらに依拠していないことは、「ルソー=ジャコバン型国家像」や「ルソー=ジャコバン主義」という語をフランス革命やフランスの「近代」的国家像を表現するために用いていることでも明らかなのだ。また、歴史学上の「修正派」とは反対に「『九三年』がかならずしも『ブルジョア革命』の軌道から外れてしまったものとはいえない」との見地を「憲法学のほう」から提供できる、とも書いているのだ(p.120-1)。
一度岩波新書で書いたものを一部でも訂正すると、自説を変えるようで恥ずかしいのだろうか。一部訂正では済まないので(恥ずかしげもなく)発売し続けているのだろうか。有名な憲法学者らしいが(何といっても元東京大学教授)、本当に<学問的>・<良心的>だろうか。<情念>あるいは<信仰>がつきまとってはいないだろうか。
四 まだ、このフランス革命又は「ジャコバン独裁」に関係する<つぶやき>は続ける。
フランス革命
菅孝行は、「樋口陽一は、…、日本人は一度は強者の個人主義をくぐれ、ルソー・ジャコバン型民衆主義をくぐれと執拗に提唱している」と書いた(同・9・11以後丸山真男をどう読むか(2004)p.88)。菅はこの提唱を意義あるものとしてその後に文章をつなげていっているのだが、樋口がかかる提唱をする本として、樋口陽一・自由と国家と同・比較の中の日本国憲法の二つを示している。出版社名・出版年の記載も頁の特定もされていないないが、いずれも岩波新書で、前者は1989年、後者は1979年の刊行だ。
上の前者は所持していないが、後者を見てみると、<ルソー・ジャコバン型民衆主義をくぐれ>との旨を明記している部分はどうやらなさそうだ。但し、類似の又は同趣旨だろうと思われる記述はある。
樋口・比較の中の日本国憲法p.8-10は、要約部分も含めるが、次のように言う。
「西洋近代」を批判する者(日本人)は「社会現象としては西洋近代だけが生み出した」「個人主義のエートス」を自分にも他人にも「きびしく要求」すべきだ。/西欧と日本の「落差」は「型」ではなく「段階」のそれと見るべきだが(加藤周一に同調、p.5)、その見地に立って「西洋近代とは何かという問いを追求した代表的な仕事」は「大塚〔久雄〕=高橋〔幸八郎〕史学」や「丸山〔真男〕政治学」で、「私たちは、こういう仕事の問題意識と問題提起に、あえて何度でも、しつこくたちもどる必要がある」。(〔〕は秋月が補足)
いつか記したことがあるように樋口陽一は丸山真男集(全集)の「月報」に一文を寄せて丸山真男を「先生」と呼んでいる。上の文章においても、大塚久雄・高橋幸八郎・丸山真男の仕事に「あえて何度でも、しつこくたちもど」れ、と(1979年に)書いていたわけだ。私(秋月)や私たちの世代には殆ど理解できない<戦後進歩的文化人の(そのままの)継承者>がここにいることに気づく。
上の岩波新書では<ルソー・ジャコバン型>うんぬんに明示的には言及していないように思えるが、最近にこの欄で言及した、樋口陽一「フランス革命と法/第一節・フランス革命と近代憲法」長谷川正安=渡辺洋三=藤田勇編・講座・革命と法/第一巻・市民革命と法(日本評論社、1989)は明瞭に、「ルソー=ジャコバン型国家像」という概念を「トクヴィル=アメリカ型国家像」と対比される重要なものとして用いている。
もっとも、「ルソー=ジャコバン型国家像」とは何かは分かりやすく説明されてはいない(丸山真男が「ファシズム」一般の定義をしていないのに似ている?)。
樋口によると、「ルソー=ジャコバン主義」という語はフランスで用いられることがあるようなのだが、それは、<主権=政治の万能=国家とその法律の優越=一にして不可分の共和国>という脈絡で用いられている。これだけでは理解し難いが、1789年の否定・1793年〔ジャコバン独裁期-秋月〕の「ブルジョア革命」逸脱視を意味するのではなく、フランス近代法の「個人対集権国家の二極構造のシンポル」としてのそれらしい(以上、p.130-1)。要するに、<近代的>「個人」と(中央集権的)国家の対立(二極構造)を基本とするフランス的意味での<近代的>国家観のことなのだろう。
別の箇所では、「ルソー=ジャコバン型国家像」は、フランス第三共和制(1875~)以来、「一般意思の表明としての法律の志高性」の観念のもとで「徹底した議会中心主義」の形態で実定化それてきた、ともいう(p.132)。
大統領制との関係・差違は問題になりうるが、結局のところ、「ルソー=ジャコバン型国家像」とは国家と個人の対立構造を前提とした、「一般意思」=「法律」→法律制定「議会」(→議員を選出する者=「個人」(国民?、人民?、民衆?)を尊重又は重要視する、(フランス的)国家理念(像=イメージ)なのだろう。
それはそれでかりによいとして、だが、かかる国家像をなぜ<ルソー=ジャコバン型>と呼ぶことに樋口陽一は躊躇を示さないのか、ということが気になる。今回の冒頭に示した菅孝行の言葉によっても、樋口は<ルソー=ジャコバン型>を消極的には評価しておらず、むしろ逆に高く評価しているようだ。
そのような概念用法自体の中に、看過できない問題が内包されているように見える。
一年以上前に桑原武夫編・日本の名著-近代の思想(中公新書、1962)に言及した。
→ http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/154432/
そして、アナーキスト・マルクス主義者・親マルクス主義者等の本が15程度は取り上げられていて多すぎる、1960年代初頭の時代的雰囲気を感じる、とか述べた。あらためて見てみると、桑原武夫の「なぜこの五〇の本を読まねばならぬか」との命令的・脅迫的なタイトルのまえがきの中には、「わたしたちは過去に不可避的であった錯誤のつぐないにあたるべき時期にきている」という、「過去」を「錯誤」とのみ切り捨てて<贖罪>意識を示す言葉もあった。
また、あらためて50の本の著者全員をメモしておくと、つぎのとおり(1年余前にはかかるリストアップはしていない)。
福沢諭吉・田口卯吉・中江兆民・北村透谷・山路愛山・内村鑑三・志賀重昂・陸奥宗光・竹越与三郎・幸徳秋水・宮崎滔天・岡倉天心・河口慧海・福田英子・北一輝・夏目漱石・石川啄木・西田幾太郎・南方熊楠・津田左右吉・原勝郎・河上肇・長谷川如是閑・左右田喜一郎・美濃部達吉・大杉栄・内藤虎次郎・狩野亮吉・中野重治・折口信夫・九鬼周造・中井正一・野呂栄太郎・羽仁五郎・戸坂潤・山田盛太郎・小林秀雄・和辻哲郎・タカクラ=テル・尾高朝雄・矢内原忠雄・大塚久雄・波多野精一・小倉金之助・今西錦司・坂口安吾・湯川秀樹・鈴木大拙・柳田国男・丸山真男。
名前すら知らない者も一部いるのだが、それはともかく、これらのうち、幸徳秋水や大杉栄は「読まねばならぬ」ものだったのだろうか。日本共産党員だった野呂栄太郎(山田盛太郎も?)、一時期はそうだった中野重治(他にもいるだろう)、マルクス主義者の羽仁五郎も「読まねばならぬ」ものだったのか。
すでに被占領期を脱して出版・表現規制はなくなっているはずだが、「右派」と言われる者の本は意図的にかなり除外されているように見える。<日本浪漫派>とも言われた保田與重郎はない。「武士道」の新渡戸稲造もない。「共産主義的人間」(1951)の林達夫は勿論ない。「共産主義批判の常識」(1949)の小泉信三もない(小林秀雄はあるが、福田恆存や江藤淳はまだ若かったこともあってか、ない)。
上のうち秋水、河上、野呂、山田、羽仁、大塚の項を担当して何ら批判的な所のない記述をしているのは河野健二。
桑原武夫と河野健二はいずれもフランス革命研究者だが(中公・世界の名著のミシュレ・フランス革命史の共訳者ではなかったか?)、当時の主流派的フランス革命解釈を採用し、かついずれも親マルクス主義又は少なくとも「容」マルクス主義者だったとすれば、以上のような選択と記述内容になるのも無理はないのかもしれない。
日本かつ近代に限定した上の本と単純に比較できないが、佐々木毅・政治学の名著30(ちくま新書、2007)という本もある。世界に広げかつ「政治学」関係に絞っている。そして、(良く言えば)バランスのとれた?佐々木毅による本のためかもしれないが、桑原武夫が1960年代に選択したとかりにしたものと比べると、ある程度は変わってきていると考えられる。
すなわち、30の全部をメモしないが(日本人は福沢諭吉・丸山真男のみ)、ルソー、マルクス、へーゲルらの本とともに、バーク・フランス革命についての省察、ハミルトンら・ザ・フェデラリスト、トクヴィル・アメリカにおけるデモクラシー、ハイエク・隷従への道、ハンナ・アレント・全体主義の起源という、<保守主義>又は<反・左翼>の本も堂々と?登場させている。40年ほど経過して、<時代が(少しは)変わってきた>ことの(小さな?)証拠又は痕跡ではあるだろう。
これはクルトワ等の共産主義黒書コミンテルン・アジア篇(恵雅堂出版、2006)p.334の文章だ。「犯罪」はむろん粛清=大量殺戮を含む。
この本はフランス人によるだけにフランス革命後のロベスピエール等によるギロチン等による死刑とテロルの大量さとの関連性にも言及しているのが興味深いが、この文章の「現代共産主義」は殆どソ連のみを意味する。だが、「現代共産主義」は欧州では無力になったとしても、東アジアではまだ「生きている」。アジア的・儒教的とか形容が追加されることもある、中国・北朝鮮(・ベトナム)だ。中国との「闘い」に勝てるかどうかが、これらの国を「共産主義」から解放できるかどうかが、大袈裟かつ大雑把な言い方だが、日本の将来を分ける。下手をすると(チベットのように<侵略>されて)中華人民共和国日本州になっている、あるいは日中軍事同盟の下で事実上の中国傀儡政権が東京に成立しているかもしれない。そうした事態へと推移していく可能性が全くないとはいえないことを意識して、そうならないように国と全国民が「闘う」意思を持続させる必要がある、と強く感じている。むろん「闘い」は武力に限らず、言論・外交等々によるものを含む。
といって、現在の北朝鮮・中国情勢に関して日本「国家」が採るべき方策の具体的かつ詳細な案が自分にあるわけではない。だが、中国・北朝鮮対応は共産主義との闘いという大きな歴史的流れの中で捉えられるべきだし、将来振り返ってそのように位置づけられるはずのものだ、と考えている。
近現代日本史も「共産主義」との関係を軸にして整理し直すことができるし、そうなされるべきだろう。共産主義がロシアにおいて実体化されなかったら、日本共産党(国際共産党日本支部)は設立されず、治安維持法も制定されなかった。コミンテルンはなく、その指導にもとづく中国共産党の対日本政策もなく、支那は毛沢東に支配されることもなかった。米ルーズベルト政権への共産主義の影響もなく、アメリカが支那諸政府よりも日本を警戒するという「倒錯」は生じなかった。悪魔の思想=コミュニズムがなかったら、一億の人間が無慈悲に殺戮される又は非人間的に死亡することはなかったとともに、今のような東アジアの状態もなかった。
・フランス革命の同時代の英国人、「保守主義の生みの親」とされるエドマンド・バークは1790年の著で、国家権力・「政府」は「社会契約などという合理主義でつくり出すことはできない」と述べ、フランス国王・王妃殺害の前、むろん「ジャコバン独裁」とその崩壊の前に、フランス革命は「大混乱に陥るだろうと予測した」。(p.162-3)
・バークによれば、フランス革命の「誤り」は「抽象的で普遍的な」「人間の権利」を掲げた点にある。「人間が生まれながらに自然に普遍的にもっている」人権などは「存在しない」、存在するのは抽象的な「人間の権利」ではなく、「イギリス人の権利」や「フランス人の権利」であり、これらは英国やフランスの「歴史伝統と切り離すことはできない」として、まさにフランス「人権宣言が出された直後に『人権』観念を批判した」。(p.166)
・バークによれば、「緩やかな特権の中にこそ、統治の知恵や社会の秩序をつくる秘訣がある」。彼は、「特権、伝統、偏見」、これらの「合理的でないもの」には「先人の経験が蓄積されている」ので、「合理的でない」という理由で「破壊、排除すべきではない」。それを敢行したフランス革命は「大混乱と残虐に陥るだろう」と述べた。(p.167-8)
今回は以上。
「合理的でないもの」として、世襲を当然視する日本の「天皇」制度がある。これを「破壊、排除すべきではない」、と援用したくなった。
それよりも、<ヨーロッパ近代>といっても決して唯一の大きなかつ「普遍的な」思想潮流があったわけではない、ということを、あらためて想起する。
しかるに、日本国憲法はこう書いていることに注意しておいてよい。
前文「……<前略>。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」
第97条「……基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、…、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
もちろん、客観的に「普遍の原理」にもとづいているのではなく(正確には、そんなものはなかったと思われる)、<制定者が「普遍的」だと主観的には理解した>原理が採用されている、と理解しなければならない。「生まれながらの」(生来の)とか「自然的な」自由・権利という表現の仕方も、一種のイデオロギーだろう。
話題を変える。月刊WiLL5月号の山際澄夫論稿(前回に触れた)の中に、「(朝日新聞にそういうことを求めるのは)八百屋で魚を求める類であろうか」との表現がある(p.213)。
上掲誌上の潮匡人「小沢民主党の暴走が止まらない!」を読んでいたら、(民主党のガセネタ騒動の後に生じたことは)「木の葉が沈み、石が浮くような話ではないか」との表現があった。
さすがに文筆家は(全員ではないにせよ)巧い表現、修辞方法を知っている、と妙な点に(も)感心した。潮匡人は兵頭二十八よりも信頼できるが、本来の内容には立ち入らない。民主党や現在の政治状況について書いているとキリがないし、虚しくなりそうだから。
佐伯啓思・<現代文明論・上>(PHP新書、2003)からの要約的引用のつづき。
・フランスにはアメリカと違い「きわめて貧しい」「市民階級」があり、「貧民市民層」の支配層(王・宮廷貴族・官僚・僧侶)への「恨み」・「怒り」=「ルサンチマンに彩られた自己意識、…被害者意識」がフランス革命を導いた「人々の心理」だった。革命は「権力の創出」(アメリカ)ではなく、「権力の破壊」に向けられた。(p.156-7)
・フランスでの「人民主権、…民主主義は、まずは反権力闘争として提示された」。フランス革命が生んだ「近代民主主義」は古典古代の如き「有徳の市民による政治参加」ではなく、「恨みと怒りに突き動かされた無産階級の、財産階級への闘争だった」。この意味で、「近代民主主義は、本質的に反権力的で、つねに権力を破壊しようとの衝動を伴っている」。(p.157)
・ロベスピエールはルソーを通して古代「共和主義」に共鳴して「徳の共和国」を作ろうとしたが、その「徳」は「貧者への同情に変形され」、その結果、フランス革命の「徳の共和国」は「徳のテロル」に変わった。(p.160)
・「ルソーの民主主義論」の二側面のうち「古典古代的な共和主義」・「市民的美徳」の再構成は「アメリカに受け継がれた」。また、アメリカ独立革命の指導者たちは「ルソー的な直接民主主義を完全に放棄」し、「連邦制という新たなシステム」を創出した。(p.161)
・もう一つの側面=「社会契約論を徹底した根源的な人民主権」は、「フランス革命に受け継がれた」。「古典的な共和主義や古典的市民の観念を失った近代民主主義は、フランス革命において凄惨な帰結をもたら」した。(p.162)
以上。
大月は「プロ市民系のお札みたい」な言葉の筈なのに福田首相までが何故?、という叙述をしていたので、「市民」という言葉自体が「プロ市民系」の用語であることがあることを思い出した。いわく<市民運動>・<市民参加>・……。
2.ここでさらに連想したのだが、憲法学者・辻村みよ子(現在、東北大学)は2002年に『市民主権の可能性-21世紀の憲法・デモクラシー・ジェンダー』という著書を刊行している(有信堂高文社)。「デモクラシー・ジェンダー」という概念の並び、すでにマルクス主義(但し、非共産党系と見られる)憲法学者としてその本の一部に言及した杉原泰雄(元一橋大)が指導教授だったらしいこと、と併せて推測すると、この「市民主権の可能性」というタイトル自体が、「プロ市民系」、「民主党社民党共産党界隈」(大月の上のコラム内の言葉)の概念である可能性があるだろう。
安い古本が出れば、この辻村の本を読んでみたい。なお、辻村みよ子には(これまた所持しておらず安い古本待ちだが)『人権の普遍性と歴史性―フランス人権宣言と現代憲法 』(1992)という本もある。ルソー・フランス革命・「人権宣言」に親近的な者であることにたぶん間違いない(かりに「賛美者」とは言えなくとも)。
ついでにさらにいうと、辻村みよ子は小森陽一と岩波ブックレット・有事法制と憲法(2002)を書いてもいる。「プロ市民系」、「民主党社民党共産党界隈」の精神世界に居住する(と見られる)れっきとした憲法学者が国立大学(法人)に現にいらっしゃることを忘れてはならない。
3.言葉、ということでさらに連想したのだが、かつては「左翼」又は進歩的文化人・知識人に馴染みだった筈の言葉に、<ファシズム>がある。この言葉自体はよいとしても(つまりドイツやイタリアについては使えるとしても)、少なくともかつては、日本も戦前(・戦中)は「ファシズム」国家だったという認識が、意識的に又は暗黙裡に表明されていたと思われる。何といっても、先の大戦は、<民主主義対ファシズム>の戦争で、道義的・倫理的にも優る前者が勝利した、と(GHQ史観の影響も受けて)語られてきたのだ。
しかるに、丸山真男が典型だったが、戦前日本をファシズムと規定するかかる用語法は近年はあまり用いられなくなった、と思われる。
ところが、この語を2006年の夏に平然と用いていた者に、評論家・保阪正康がいる。以下の記事にはこれまでも別の角度から言及したことがあるが、保阪正康は2006年8月の朝日新聞紙上で、次のように明記した。
「…昭和10年代の日本は極端にバランスを欠いたファシズム体制だった…」、「無機質なファシズム体制」が2006年08.15に宿っていたとは言われたくない(「ひたすらそう叫びたい」)。
さて、保阪正康は具体的には又は正確には「ファシズム(体制)」をどのようなものと理解し又は定義したうえで、日本はかつてその「体制」にあり、その再来を憂える、と主張しているのか。歴史家又は歴史評論家(とくに昭和日本に関する)を自認するのなら、この点を揺るがせにすることはできない筈だ。どこか別の本か何かに書いているのかもしれないが、かりに平然と又は安易に戦前日本=ファシズムというかつての(左翼に主流の)図式に現在ものっかっているだけならば、昭和日本に関する歴史家又は歴史評論家と自称するのはやめた方がよい。かりに「作家」の資格で文章を書いているとしても、かつての「プロ市民系」、<社会党共産党界隈>の概念を、その意味を曖昧にしたままで安易に用いるべきではなかろう。
先週のいつ頃からだったか、二夜ほどで、佐伯啓思・人間は進歩してきたのか-「西欧近代」再考<現代文明論・上>(PHP新書、2003)の最初からp.168までを一気に読んだ。
広いスパンだけに、むつかしくはない。だが、これは大学の全学共通科目(私の時代では「教養」科目)の講義を元にしてできた本のようで、当該科目を受講できた学生たちが羨ましい。自分も20歳前後にこんな内容の講義を(まじめに)聴いていれば、人生が変わったかも、と思ったりする。
とりあえず、二点が印象に残る。
第一に、何をもって、またいつ頃からを「近代」というかは問題だが、佐伯によると、中世=封建時代からただちに近代=自由・民主主義の時代に<発展>したわけではなく(ルネッサンス・「絶対王政」の時期が挟まる)、些か安易に一文だけ抜き出せば、「宗教改革という名のキリスト教の原理主義的回帰から、宗教から自立した近代的国家が成立し、世俗の領域が確立した」(p.81)。あえてさらに短縮すれば、宗教(神)から自立した世俗的国家・社会の成立こそが「近代」なのだ。
これはむろん<ヨーロッパ(西欧)近代>のことで、かつ西欧でもフランス、イギリス、ドイツで異なる歴史的展開があったのだとすれば、<(ヨーロッパ)近代>の萌芽・成立・その後の「変化」を日本に当てはめるのは、キリスト教という宗教と<世俗>世界の対立・抗争に類似のものを日本は持たないことだけでも、もともと(よほどひどく単純化・抽象化しないかぎりは)不可能なことだろう。<進んでいる・遅れている>を論じても、-欧州「進歩」思想に全面的に同調しないかぎりは-無意味なのではないか。
第二は、前回書いたことにかかわり、前回にすでに意識はしていたことなのだが、ルソーについてだ。
ルソーについては前回も触れたが、中川八洋や阪本昌成の著書を参照しつつ、何度かその思想の中身に言及してきた。
かつて自分がこの欄に書き記したことをほぼ失念しているが、佐伯啓思もほぼ同旨のことを(も)述べているように思う。以下、適当に要約的に引用する。
①万人が争う「自然状態」をなくして「自己の保存」(個人の生命・財産の安全確保)のために<契約>して「国家」ができるとするホッブズの矛盾・弱点-個人・市民と主権者・国家が乖離し後者が前者を抑圧するという可能性-を「論理的に解決」する考え方を示したのがルソーだ(p.115-6、p.119)。
②「近代」社会の合理性・理性主義を肯定し、「自由や平等に向けた社会改革」を支持するのが「啓蒙思想」だとすると、ルソーは(啓蒙主義者・啓蒙思想家としばしば称されるが)「啓蒙主義に対する敵対者」だった(p.119)。
③ルソーを啓蒙主義者の代表者にしたのは彼の著書『社会契約論』だが、この本の理解は容易でない。
1.ホッブズと同様、「生命・財産の安全を確保するための契約」を結ぶ。但し、ホッブズの「契約」だと市民は国家・主権者に「結局、…服従」してしまうので、人間が「本来自然状態でもっていた基本的な自由」を失わず、「自分が何者かに決して従属しない」契約にする必要がある(とルソーは説く)。
2.どうすればよいのか。「唯一の答えは、すべての人が主権者になるような契約」を行うことだ。これは、換言すると、「すべての者が従属者」でもある、ということ。この部分のルソーの叙述はわかりにくい。
3.このわかりにくさの解消のために持ち出した「非常に重要な概念」が「一般意思」(p.121-3)。
④1.「一般意思」とは「すべての人が共通にもっているような意思(あるいは利害・関心)」。かかる「意思」を軸にして全ての人が結合でき、一つの「共同社会」ができる。この共同体は「すべての人が共通にもっている利害や関心を実現し、またそれを焦点にすることで形成される」。
2.とすると、「共同体の意思」と「一人ひとりの人間」の「意思」は「同じはず」。「一般意思」による「共同体」形成により「個人の意思、利益、関心と社会の意思、利益、関心とは完全に一致する」。
3.人はたしかに「共同体にすべて委ねてしまう」が、共同体に「従属」しはせず、むしろ「委ねる」ことにより自分の意思・利益を「いっそう有効に実現」できる。
くり返せば、人がその生命・身体・全ての力を「共同体に委ね」、身体・全ての力を「共同のものとして、一般意思の最高の指導のもとに置く」。「自分自身を共同体に委ねてしまうことによって、逆に共同体の全体の力を、自分自身のものとして受け取ることができる」(p.123-4)。
以上が、人は「自らが主権者であり、また服従者だ」ということの意味。
⑤1.「一般意思」とは、個人の個々の関心の調整で生じるのではない、「もっと崇高」で「もっと根源的なもの」。
もっとも基本的なものは「共同防衛」、「共同で自分たちの生命・財産を防衛すること」。
2.共同防衛が「一般意思」ならば、人は「一度、全面的に一般意思に服」する必要がある。ルソーいわく、「共同体の構成員は…自己を共同体に与える。…彼自身と…彼のすべての力を、現にあるがままの状態で与える」。
3.(佐伯は言う)「これはたいへんな話です」。「一般意思の実現のためには共同体に命を預けなければならない」。
ルソーいわく、<統治者が国家のために死ねと言えば、市民は死ななければならない>。
4.(佐伯は言う)上の2.3.のような面は「従来の政治思想史のなかでは…故意に触れられずにき」た。だが、かかる重要な点を欠いては、ルソーの社会契約論、つまり、「人々が契約によって社会状態に入り、なおかつ主権を維持するという論理は生まれえない」(p.125-8)。
(以下にこそ本当は引用したかった部分が続くのだが、長くなりそうなので(すでに長いので)、結論的な叙述のみ引用しておく。)
⑥1.「一般意思」は事実上「人民(又は国民)の意思」に置換される。「『人民の意思』を名乗った者はすべてが許されます。彼に反対する者は『人民の敵』となるわけで、『人民の敵』という名のもとに反対者はすべて抹殺されてしまう」。「代表者に敵対する者は一般意思に対する裏切り者」で「共同社会に対する裏切り者」となる。「これは、独裁政治であり全体主義です」。
2.「つまり、ルソーの論理を具体的なかたちで突き詰め現実化すると、まず間違いなく独裁政治、全体主義へと行き着かざるをえない。根源的民主主義は、それを現実化しようとすると、全体主義へと帰着してしまう」。
3.「現にそれをやったのがフランス革命でした。フランス革命は。…ルソーの考え方をモデルにして行われた…。ルソーの最大の賛美者であり、徹底したロベスピエールは、まさに、自らが『人民の意思』を代表すると考え、人民の敵…といわれる者をすべて抹殺していく。いわゆるジャコバン独裁、恐怖政治に陥る」(p.134-5)。
とりあえず以上。ルソーはフランス革命そして「近代」や「民主主義」の父などというよりも、ファシズムや社会主義(・共産主義)を用意した理論・思想を自らのうちに胚胎させていたのではなかろうか。
ルソーがいなければマルクスも(そしてマルクスがいなければレーニンも)いなかった。中川八洋も同旨のことを繰り返し述べていたように記憶する。
このように見ると、フランス革命を「学んだ」ポル・ポトらが「社会主義」の名のもとで自国民の大量虐殺を行ったのも何ら不思議ではない。と述べて、前回からのつなぎの意味も込めておく。
日経新聞3/16の書評欄の一つを読んで、驚いた。というか、やはり、なるほど、との思いも半分以上はした。
吉田司がフィリップ・ショート著・ポル・ポト(白水社、山形浩生訳)を紹介・論評しているのだが、まず、「私たちは」1970年代後半にポル・ポトの「赤色革命を”社会主義の実験”として高く評価した」という最初の文自体が奇妙だ。
「私たち」とは誰々なのか知らないが、ポル・ポト支配のカンボジアを「高く評価した」のは、社会主義幻想をまだ持っていた一部の者たちに他ならないだろう。吉田司もその奇矯な人々の中に含まれるのかもしれない。
(奇矯な者のうち著名なのは、朝日新聞記者で、一時はテレビ朝日の夜のニュース番組で久米宏の隣に座っていた和田俊という人物だった。彼は、朝日新聞1975年4/19でこう書いた-「カンボジア解放勢力」は「敵を遇するうえで、極めてアジア的な優しさにあふれているように見える。解放勢力指導者のこうした態度とカンボジア人が天性持っている楽天性を考えると、新生カンボジアは、いわば『明るい社会主義国』として、人々の期待に応えるかもしれない」。「民族運動戦線(赤いクメール)を中心とする指導者たちは、徐々に社会主義の道を歩むであろう。しかし、カンボジア人の融通自在の行動様式から見て、革命の後につきものの陰険な粛清は起こらないのではあるまいか」。)
驚き、かつ納得もしたというのは、上のことではなく-原本ではなくあくまで吉田司の文章によるのだが-パリへの国費留学生だったポル・ポトたちはマルクス主義文献を読解できないほど無能で、「結局、ポル・ポトが社会主義革命を理解したお手本は無政府主義のクロポトキンが書いた『フランス大革命』だったという」との部分だ。吉田の文を続ければ、フランス革命とは「…血みどろな生首が飛ぶあのジャコバン党の恐怖政治=ギロチン革命のことである」、ポル・ポトたちは「十八世紀フランスを夢見ていた」。
フランス革命とマルクス・レーニン主義→ロシア革命の関係にはすでに何度か触れたことがあり、フランス革命がなければロシア革命も(そして総計一億人以上の「大虐殺」も)なかった、との旨を記したことがある。さらにはフランス革命を準備したルソーらの「啓蒙思想家」(遡ればデカルトらの「理性主義者」)を「近代」を切り拓いた<大偉人(大思想家)>の如く理解すべきではない(むしろ<狂人>の一種だ)旨を記したこともあった。
そのような指摘が誤りではないことを、ポル・ポトに関するフィリップ・ショートの本は確認させてくれるようだ。
フランス革命がなければ、クメール・ルージュの<大量虐殺>もなかった。フランス人は、あるいは一八世紀の「変革」を導いた<進歩的な>思想をばら撒いた一部の者たちは、後世に対して何と罪作りなことをしたものだろう。
あらためてフランス革命やロシア革命後の、さらには北朝鮮や中国で<自国政権によって虐殺された人々>を哀悼したくなる。また、「近代」への画期としてフランス革命を理解・賛美し、そのような「イデオロギー」に染まって一般国民又は一般大衆を<指導>してきた日本の<進歩的知識人>たちの責任を問いたくなる(桑原武夫を含む。樋口陽一もその後裔ではないか)。
ところで、フランス革命→ロシア革命という繋がりが見えてしまうと、ポル・ポトらがフランス革命を「社会主義革命」の「お手本」(吉田)にしたのは不思議でも何ではなく、吉田司が「なんという時代錯誤のファンタジー、革命のファルス(笑劇)だ!」と大仰に書くほどのことではないだろう。書評文の「70年代に仏革命めざした悲劇」という見出し自体がミス・リーディングの可能性すらある。通説的・通俗的なフランス革命観を持っている、吉田の蒙昧さを垣間見る思いもするのだが…。
全て又は殆どではないが、佐伯啓思の本を読んでいて、感じることがある。
第一は、佐伯の仕事全体からすれば些細なことで欠点とも言えないのだろうが、欧米の「思想(家)」には造詣が深くとも、日本人の政治・社会・経済思想(家)-漱石でも鴎外でもよいが-については言及が少ないことだ。無いものネダりになるのだろうが、この点、「日本」政治思想史を専門としていたらしい丸山真男とは異なる。
だが、丸山真男よりも劣るという評価をする気は全くない。丸山真男には岩波書店から安江良介を発行者とする「全集」(別巻を含めて計17巻)があり、さらに書簡集まで同書店から出ているようだが、いつかも書いたように、そこまでの内容・質の学者又は思想家だったとは思えない(<進歩的知識人>の、客観的には又は結果的には浅薄で時流に乗った文章の記録にはなる)。
むしろいずれ将来、佐伯啓思については既刊行の著書も全て再録した「全集」をどこかの出版社が出してほしいものだ。それに値する、現在の「思想家」ではないか。
第二に、佐伯はしばしば<冷戦の終了(冷戦体制の崩壊)>という旨の表現を簡単に使っている。しかし、<冷戦終了>(フクシマの「歴史の終わり」)もまた欧米的発想の観念で、<冷戦が終了した>と言えるのはソビエト連邦が傍らにあった欧州についてである、そして、アジア、とくに東アジアではまだ<冷戦は続いている>、のではなかろうか。
欧州を祖地と感じる国民が多いと思われるアメリカにとってはソ連崩壊は自らのことでもあったが、北朝鮮・中国については、どこか<遠い>地域の問題という感覚が(ソ連の場合に比べてより強く)あるのではないか。
北朝鮮・中国(中華人民共和国)が近隣にある日本はまだ、これらの国との<冷戦>をまだ続けている、と認識すべきだろう。そして、<冷戦>からホットな戦争になる可能性は厳として残っていると考えられる。
<冷戦終了>=ソ連崩壊・解体(+東欧の「自由化」等)によって<社会主義>・<コミュニズム(共産主義)>あるいは<マルクス主義>というイデオロギーは大きな打撃を被った筈で、このことの影響・インパクトを軽視し、又は巧妙に誤魔化している<親社会主義>の(又は、だった)学者・文化人への批判を、おそらく佐伯もするだろう。ましてや、ソ連は「(真の)社会主義国」でなかったと言い始めた日本共産党に対しては<噴飯もの>と感じているだろうと推測はする。但し、北朝鮮・中国問題への関心が現実的重要性からするとやや少ないように感じられるのは残念ではある(これも無いものネダりかもしれないが)。
ところで、樋口陽一・「日本国憲法」まっとうに議論するために(みすず書房、2006)は1689(英国・権利章典)、1789(フランス革命)、1889(明治憲法施行)の各年に次ぐ4つめの89年の1989年も重要なことがあった、として次のように述べている。
「…旧ソ連・東欧諸国での一党支配の解体です」(p.29)。
ここの部分は多くの論者によるとソ連等の<社会主義国の崩壊(解体)>と表現されるのではないかと思うが、樋口は「一党支配」と言い換えている。だが、「『権力の民主的集中を掲げて対抗してきた旧ソ連・東欧諸国での一党支配の解体」という表現は、本質を、あるいはその重要性を少なからず隠蔽していると感じられる。その意味で、<政治的>に配慮された表現を採用している、と思われるのだが、<深読み>かどうか。
<「個人の能力」の解放と「組織的な強み」の両方が日本には必要。「個人の尊重」と「社会の公正」のどちらを重視するかを政党は示すべきだし、両者の「調和」をどこに見出すかで「憲法秩序」を語った方がよい。>
衆院と参院での「国民」の反応の違いの背景の指摘も含めて、上の指摘に大きな異論はない。当たり前のことを語っているにすぎないとすら言える。
関心を惹いたのは次の部分だ。
「『自由と平等』というフランス革命的なカードではなくて、もう少し現代の日本にあわせたカードで…切り分けた」方が、「二大政党にうまく移行できる」。
後段の「二大政党」うんぬんはともかくとして、「フランス革命的なカード」ではない「もう少し現代の日本にあわせたカード」で切り分ける必要を説いている。
この点にもとくに反対はしない。
問題は次のことだ。すなわち、「自由と平等」という「フランス革命的なカード」ではダメ(少なくともそれだけではダメ)だということくらいは、とっくに明らかなことではないのか。
日本国憲法施行後すでに60年経った。1989年からでも20年めを迎えた。憲法学界はこれまでずっと、「自由と平等」という「フランス革命的なカード」で、あるいは広くとっても<欧米思想系>のカード、によってのみ切り分けた議論をしてきたのだろうか。
日本について、そして、日本国憲法について、「もう少し現代の日本にあわせた」カードでの議論をすべきことは、至極当然のことではないか。
棟居快行を非難するつもりはないが、上のような言葉が、さも新鮮なこととして語られるような風潮があるように見られること自体が、フランス「革命」思想あるいは<欧米系思想>に依拠してしか議論をしていない(むろん一部の例外はあるだろうが)かの如く見える憲法学界の異様さを示しているようだ(と私は感じる)。
ついでに、読売新聞は同欄の「フランス革命」という語に注釈をつけ、「フランスの民衆が1789年に決起し、絶対王政を打倒した革命」、とまず定義づけている。こうした何気ない解説部分にも、朝日新聞に比べれば<保守的>と言われる読売においてすら、戦後日本が依拠した<フランス革命幻想>が浸透していることが、鮮明に示されている。
読売のこの部分の(きっと安直な辞典類でも一瞥したのだろう)執筆者に尋ねたいが、上にいう「民衆」とは何か。「ブルジョア革命」との通説に従ってすら、主体とされる「ブルジョアジー」と当時にすでに存在した「民衆」を区別することはできる。前者も後者の語の中に含めているつもりだろうが、そのような「民衆」概念の用法は誤解を招くだろう。通説に従ってすら、「市民(ブルジョア)革命」と「民衆革命」とは別の筈であって、フランス革命は前者ではないのか?(<絶対王政打倒>との従来の支配的理解にも異論が出てきているがこの点には立ち入らない。)
さらに言うと、読売新聞の「フランス革命」の注釈者は「フランス人権宣言一条」は「各国憲法に大きな影響を与えた」、とも書いている。その事実自体を否定するつもりはとりあえずないが、「人権宣言」などはただの紙切れ上の言葉にすぎない。フランスでそこに書かれたことがいちおうにせよ現実に達成されたのはいつだったのか?
かつてのソビエト憲法にだって現在の北朝鮮憲法にだって、言葉としては立派なことが書かれていたし、書かれてある。
当たり前のことだが、言葉(理念またはウソと知りつつ掲げる理想)と現実とは異なる。このことを読売の一記者には知ってほしいものだ。
また、上に見られるが如く、一定の<フランス革命のイメージ>が牢固にすでに完成されているように見え、数千万の読者にそれがバラ撒かれているのは、怖ろしいことだ。
そして、フランス革命がなければマルクス主義もロシア革命もなく、「社会主義」国内での1億人以上の(?)の自国民の大量殺戮もなかった、あるいは、ルソー(ルソー主義)がいなければマルクス(マルクス主義)も生まれず、(マルクス=レーニン主義による)レーニンの「革命」もなかった、という結論めいたことを示してもきた。
その際、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)にかなり依拠したし、<化石>のごとき杉原泰雄の本、<化石部分をまだ残している>ごとき辻村みよ子の論述にも触れた。
10回以上に及んでいると思うが、例えば、2007.07.04、2007.06.27、2007.03.20。
伊藤哲夫・憲法かく論ずべし-国のかたち・憲法の思想(日本政策研究センター・高木書房発売、2000)の第三章「市民革命神話を疑う」(p.124~p.157)は、フランス革命について書いている。
研究書でないため詳細でもないし、ルソーらとの関係についても詳細な叙述はない。しかし、フランス革命の経緯の実際-その<残虐な実態>-については、初めて知るところが多かった。
逐一の引用・紹介はしない。実態ではない理論・思想問題についての叙述の引用・紹介も省略するが、三箇所だけ、例外としておこう。
①「革命の過程で生まれる『人民主権』といった観念こそが、実は『全体主義の母胎』なのであり、例えば民主主義の父・ルソーは、いわば『一般意思』と『人民主権』の概念を提唱したことによってかかる全体主義の父ともなった、と彼は告発しもする」(p.138)。
ここでの「彼」とは、サイモン・シャーマ(栩木泰・訳)・フランス革命の主役たちの著者だ。
②「今日なおこの大革命『聖化』の大合唱に余念がないのが、わが国の知識人たちであり憲法学者たちだといえる」(p.140)。なお、冒頭には、樋口陽一、杉原泰雄という二人の憲法学者の名と叙述が紹介されている。
③フランス革命が「わが社会の目指すべきモデルだと、永らく説き続けてきたのがわが国の知識人でもあった。/…国民は、こうしたマインド・コントロールされた<痴呆状況>から解放されるべき」だ(p.157)。
さらにフランス革命について知りたいという関心が湧いてくる。サイモン・シャーマの上記の本の他、フランソワ・フュレのフランス革命を考えるや、二〇世紀を問う、という本などを、伊藤は使っているようだ。
残念ながら詳細な参考文献リストはない。これらの本が容易にかつ低廉に入手できればよいのだが。
以上は、三島由紀夫「再び大野明男氏に」決定版三島由紀夫全集35巻p.603(2003、文藝春秋。初出1969.08.26)からの引用。
一部の憲法学者には自明のことかもしれないが、日本国憲法について近年何となく私が感じていたことを、とっくに三島由紀夫は簡潔に述べていた。
異能の天才に感心する。憲法、とくに日本国憲法の成り立ちと内容等々についても、きちんと勉強し、考察していたのだ。他にも憲法改正等、憲法にかかわる彼の論稿は多い。ほとんどすべてに目を通してみたい。
阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)は副題に「フランス革命」が付いているし、第Ⅱ部のタイトルは「立憲主義の転回―フランス革命とG・ヘーゲル―」なので、全篇がフランス革命に関係していると言える。そのうち、第Ⅱ部第6章「立憲主義のモデル」からフランス革命に直接関係がある叙述を、私が阪本昌成氏になったつもりで、抜粋的・要約的に以下にまとめてみる。
フランス人権宣言16条が「憲法」の要素(要件)として「権利の保障」と「権力分立」の二つを挙げるていることは誤った思考に陥りやすく、要警戒だ。同宣言はいくつかの「権利」を明記しているが、それらのうちの「自由」・「平等」・「財産権」はフランスと米国ではニュアンスが異なる。とくに、「自由」の捉え方が根本的に違う。
いま一つの「権力分立」は、フランス革命期には権力分立の亜種すらなく、ルソー主義の影響で、立法独占議会・「一般意思」表明議会の下での司法・行政だった。建国期アメリカの権力分立論は、人間に対する不信・権力への懐疑・民主制の危険等々<保守>の人びとの構想だった。
今日では民主主義の統治体制を統制する思想体系が必要だ。
フランス革命の意図は、1.王権神授説→理性自然法の実定化、2.民主主義と中間団体の排除、3.君主の意思が源泉との見方の克服、4.人間の自律的存在の条件保障、にあったが、1978年の封建制廃止・人権宣言による国民主権原理樹立後数十年間も変動したので、「近代の典型でもなければ、近代立憲主義の典型でも」ない。
フランス革命が安定をもたらさなかったのは、それが政治現象(=下部経済構造の変化に還元不可、=宗教対立でもない)で、<法と政治を通じて、優れた道徳的人間となるための人間改造運動>、<18世紀版の文化大革命>だったから。
プープル(peuple)とは政治的には人民の敵を排除し、道徳的には公民たりえない人々を排除するための語だった。
だが、人間改造はできなかった。「人間の私利私欲を消滅させようとする革命は失敗せざるをえ」ない。「偉大な痙攣」に終わった。
フランス革命は均質の国民からなる一元的国民国家、差別なき平等・均質社会の樹立を目指したが、諸理想は「革命的プロパガンダ」に終わり、「結局、中央集権国家をもたらしただけで失敗」した。
ブルジョア革命との高橋幸八郎ら歴史学者の定説やフランスでの「ジャコバン主義的革命解釈」はあるが、一貫性のないフランス人権宣言との思弁的文書、その後の一貫性のない多数の成文憲法、ジャコバン独裁、サン・キュロット、テルミドール反乱、ナポレオン、王制復古という流れには「構造的展開」はない。<フランス革命は民主主義革命でもなければ、下部構造の変化に対応する社会法則を体現したものでもない>。
フランス革命の後世への教示は、自由・平等、自由主義・民主主義を同時に達成しようとする「政治体制の過酷さ」だった。ヘーゲルはこれを見抜いていて、「市民社会」の上に「国家」を聳え立たせようとした。これはマルクスによってさらに先鋭化された。
フランス革命時の「憲法制定権力」との基礎概念は「革命期における独裁=過酷な政治体制を正当化するための論拠」で、「人民(プープル)主権論」こそが「代議制民主主義を創設」しなかったために「全体主義の母胎」になった。
辻村みよ子は「近代市民社会」と「人権」との基礎概念を生み出した1789年の重要性にはすでにコンセンサスがあると反論するだろうが、1.1789年以降の諸憲法は「どれほどの自由を人びとにもたらした」のか、2.フランス人権宣言は政治的PR文書だ、3.91年憲法も93年憲法も「人為的作文(…法学者が頭の中で考えたデッサン)」で、ナシオン主権→間接民主制、プープル主権→直接民主主義原則というロジックは、「タームの中に結論を誘導する仕掛けを用意しているからこそ成立」する。
91年憲法か93年憲法かとの論争は、ある憲法が<実際、どれだけの自由保障に貢献したか>で評価する必要がある。マルクス主義的階級・経済概念を用いてフランス革命を分析すべきでない。<人民主権原理が徹底するほど民主的で望ましい>とか<自由よりも本質的平等を謳う人権宣言が進歩的>などと断定すべきでない。
ヘーゲルはフランス革命に「市民社会」作出を見たが、ヘーゲルの「市民」とフランスの「公共善を目的として活動する活動するシトワイアン」とは同じではない。
後世の歴史家はフランス革命を二項対立図式で捉えて旧体制との「非連続性」を強調するが、トクヴィルやルフェーブルは「連続性」を指摘した。
「市民社会」=「ブルジョア社会」とし人間の労働が「プロレタリア階級」を不可避的に生むと論じたのがマルクスだ(ヘーゲルにおける「ブルジョア」概念はこうではなかった)。
フランス革命による「第三階級」の解放に続く「第四階級=プロレタリア階級」の解放、フランス革命のやり遺しの実現を展望する者もいたが、フランス革命中の「恐怖政治」を「過渡的現象として不可避なこと」と見る脳天気な者は「歴史に対して鈍感すぎる」か「政治的に極端なバイアス」をもっている。
「均質化された大衆の権力ほど、自由にとって危険なものはない」。「実体のない国民が人民として実体化され、ひとつの声をもつかのように論じられるとき、全体主義が産まれ出ます」。フランス革命中の「一般意思」、「人民主権」、「人権思想」は「合理主義的啓蒙思想の産み落とした鬼子だ」。
教科書でロックとルソー、フランス革命とアメリカ革命が同列に論じられるのは「私からすれば論外」だ。
マルクス主義の強い日本では、イギリスが資本主義誕生国だったので、イギリスを乗り越えようとしたフランスを「モデル」にしたのでないか。
以上、阪本昌成のフランス革命の見方・評価は明確だ。「近代の典型でもなければ、近代立憲主義の典型でも」ないと言い、ルソーの「人民主権論」こそが「全体主義の母胎」になったとも明言している。また、すでに言及した、杉原泰雄が前提としている歴史の「構造的展開」を否定し、ナシオン主権→間接民主制、プープル主権→直接民主主義原則という単純化も否定している。「民主主義」を無条件に受容してはならない旨も繰り返されている。
ヘーゲルの意図と違うとはいえ、フランス革命(「市民社会」作出)がマルクス主義につにながったことも明記している。総じていうと、わが国のマルクス主義的フランス革命理解を公然と批判している、と言ってよい。
ルソーやフランス革命を肯定的に理解するかどうかが親共産主義(<全体主義)と親自由主義を分ける、といつか書いたことがある。また、マルクス主義自体は公然とは語られなくともルソーの平等主義によってそれは容易に復活する旨の中川八洋の言葉を紹介したこともある。
桑原武夫をはじめとして、戦後の「進歩的」文化人・知識人はフランス革命を賛美し、民主主義革命の欠如した・又は不十分な日本を批判し、「革命」へと煽るような発言をし論文を書いてきた。
今やフランスでもフランス革命の「修正主義」的理解が有力になりつつあるとも言う。
フランス革命がなければマルクス主義もロシア革命もなく、1億人以上の?の自国民の大量殺戮もなかった(ソ連、中国、北朝鮮、カンボジア等々)。一般の日本人もフランス革命のイメージを変えるべきだろう、と思う。
杉原泰雄氏は1930年生まれ、1961~94年は一橋大学法学部の講師・助教授・教授だったようだ。上の本はこの人41歳(教授になる直前)のときの著。
なぜこの本に言及するかというと、見事に<マルクス主義的>だからだ。
それを証明?できる箇所はいくらでもあるが、典型的には、次のような叙述はどうだろう。
杉原はルソーにおける<人民主権とその経済的基礎の関係>には不明点がいくつかあるとしつつも、「彼の人民主権論は…解放の原理としての役割を失うことがない。とりわけ、…『プロレタリア主権』論として、私有財産制の否定と結合させられながら存続していることは注目されるべき…。国民主権と対置して、それを批判・克服するためにの無産階級解放の原理として機能していることである。<ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制>という一つの歴史の潮流、…二〇世紀…普通選挙制度・諸々の形態の直接民主主義の採用などに示される人民主権への傾斜現象さらには人民主権憲法への転化現象は、このことを明示するものである」(p.181-2)と高く評価している。
上のうち「人民主権憲法への転化」とはどうやら社会主義(「人民民主主義」)憲法のことと推察されるのだが、それはともかく、<ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制>という「歴史の潮流」を堂々と憲法学者が語れたとは、まだ1971年だったからだろう。なお、一七九三年憲法とは直接民主主義条項を含むジャコバン憲法のことだ。
また、杉原は、1.「人民主権の基礎にどのような経済関係を措定していたのか」、2.人民主権と「私有の肯定」とは両立し難いが、説明不十分(「私有の肯定」→「経済的不平等は原則として人民主権と両立し難いはず」)、3.「政治と経済の関係が原理的に解明されていない」、「政治自体がその基礎に持っている経済的諸条件によって大きく規定されているという観点は、…体系化されていない」などとコメントをしている(p.180-1)。だが、これらは<上部構造(政治等)は下部構造(経済)に規定される>とのマルクス主義の公式を当てはめ、ルソーに対して無いものねだり的な要求をしているようだ。
そして、杉原においては、どうやら国民主権論=ブルジョアジーのための理論、人民主権論=「民衆」解放の理論という仮説又はテーゼがあるようで、一七八九年人権宣言・一七九三年憲法はブルジョアジーが「民衆」と共闘せざるをえなかった時期のもの、人民主権原理を否定する法律の制定やジャコバン憲法の施行延期等々の「国民主権」に立つ動向はブルジョアジー独自のもの、という叙述もしている(p.74-)。
上のような分析をする際に「ブルジョアジー」又は「ブルジョア的」との概念が使われるのは勿論だが、「民衆」として意味させるのは「資本主義の発展に伴って解体しつつあった農村共同体の…離農した無産者、資本主義的分解の淵に立たされていた都市の…職人と徒弟等、一般的にいって、農村と都市の働く庶民」(p.167)である。
こうして見ると、杉原によれば、ルソーとは、ブルジョアジーではなく「民衆」の解放を意図した思想家だ。杉原自身がこう書く-「ルソーは民衆の解放を意図していたために、ブルジョアジーのための主権原理(「国民主権」)を本来構想しえなかった」(p.92)。
ということは、「民衆」=労働者・プロレタリアートと理解するならば、ルソーとは<早すぎたマルクス>だったわけだ。時代的に早すぎたために彼の理論は現実には部分的にしか採用されなかったのだ、ということになろう。 杉原のこんな文もある-ルソーは「不平等の根源に私有財産制を見出していたので、それを神聖視することを基本課題とする…自然法学説を支持することができなかったのだと思われる」。
そして、マルクス主義者にとってルソーが輝かしい思想家として讃えられることも納得がいく。
もっとも、<主権論>にここで立ち入るつもりも能力もないが、「国民主権」(自由な代表者肯定・投票者は国民全員ではない)と「人民主権」(代議制=間接民主主義の原理的否定・人民全員が投票者)という考え方の違いが、そもそも「ブルジョアジー」と「民衆」の違いに対応するという仮説又はテーゼはいかにして論証されているのか、はなはだ疑問ではある。また、「ブルジョアジー」・「民衆」概念についても議論し始めればキリがなさそうでもある。
しかして、「民衆」解放のための人民主権論というのは、今日的には直接民主主義的とも説明されるが、そもそもいかなるものだったのか。杉原はルソー・社会契約論の原書に依りつつ紹介・分析しているが(p.142~)、そもそも「体系的理論・思想」とまで評価できるものではない、要するに相当にイイカゲンなものなのではなかろうか。
6/05に阪本昌成の本のルソーに関する部分の一部を紹介した。動物の生きる自然状態とは違って私的所有を認めたことが起源となった「不平等」状態をなくし平等になるために、「公民としての政治的徳」のある「個々人」の「合理的意思」により全契約参加者が「平等」な共同体=国家を樹立すること、個々人の意思の集合としての「一般意思」を想定しそれに服従すること等を説いたのだが、杉原の本が訳しているように、社会契約は「誰であっても一般意思への服従を拒むものは、団体全体によってそれに服従することを強制されるという約束を暗黙のうちに含んでいる」、かかる強制は「自由であるように強制されるということ以外のいかなることをも意味しない」とされる(p.146)。
このような「自由」概念の用い方は私にでも奇妙又は倒錯しているように感じられる。また、いったん成立した無制約の「一般意思」への絶対的服従の説示は、「専制政治」、「絶対政治」、「民主主義」という名前・形式又は手続だけは通しての<全体主義>、そして<社会主義・共産主義>思想の萌芽だとの指摘はすでに(教科書に書かれるほど一般化していないが)すでにかなり指摘されている(中川八洋も然り)。
とするならば、杉原は上記のようにルソー思想に「民衆」解放理論・「無産階級解放の原理」を、そして<社会主義の政治体制>への歴史的潮流の出発点を認めたのかもしれないが、30年以上経過した今となっては、すべてが<夢想>であり<幻想>であったのではないか。
40歳台初めだった、1971年の杉原は、おそらく日本もいずれ<社会主義の政治体制>になると予想していたと思われる。その上で憲法学の「社会科学」化を意図し、「市民憲法原理を樹立した」「市民革命がいかなる階級構造をもち、いかなる階級関係――所有関係、支配関係――を否定しかつ樹立するために、いかなる階級の指導によって行われたか」を分析する必要がある、等と「はしがき」に勇ましく?書いたのだろう。
1971年から35年以上経った。かかる杉原氏の研究書はいかなる意義を現在や今後に持ちうるのだろう。基本的な出発点が「間違って」いたとすれば<壮大な学問的ムダ>ではなかっただろうか。ソ連等の「社会主義」国が崩壊し、フランスも日本も<社会主義の政治体制>にはなりそうもない現実を、杉原泰雄は現在、どう受けとめておられるだろうか。
なお、辻村みよ子(一橋大学出身・東北大学教授、1949?-)の指導教授はこの杉原泰雄のようだ。
たぶん6/15(金)の夜だろう、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)を全読了した。
中川八洋の著(保守主義の哲学ほか)と比べると、登場させる思想家・哲学者は少ないが、ヒュームやアダム・スミスについてはより詳しい。
また、中川が<悪しき>思想家の中に分類しているヘーゲルについても詳しく、むしろ親近的に分析・紹介している。
阪本昌成はルソーやカントらの国制設計上の曖昧さを批判的に克服しようとして苦労したのがヘーゲルだったと見ているようだ。
阪本によれば、「わが国の憲法学におけるヘーゲル研究は、マルクス主義憲法学においてネガティブな形で継承されたこと以外、華々しくない」が、それは「マルクスによるヘーゲル批判を鵜呑みにした」からで、例えば、「ヘーゲルこそ合理主義的啓蒙思想〔秋月注-ルソー、ロックら〕に果敢に挑戦した人物だった」(p.106-107)。ヘーゲルは「<ホッブズ以来の自然権・社会契約理論が社会的原子論であるばかりではなく、徹底したフィクションだ>と批判しつづけた」(p.126)。あるいは、「ヘーゲルによる市民社会の分析は、マルクスよりもはるかに適切」で、「国家と市民社会の相対的分離を見抜いていた」が、「マルクスは国家が市民社会の階級構造を反映しているとみたために、”階級対立がなくなれば国家が消滅する”などという致命的な誤りに陥ってしまった」(p.132)、等々。
このような中川との違いが出ている背景又は理由の少なくとも一つは、中川が広く政治思想(社会思想)の専門で、かつマルクス主義に(批判的にでも継承されて)つながるか否かによって思想の<正・邪>が判別されているように見られるのに対して、阪本はマルクス主義はもはや<論敵>ではないとしてマルクス主義との関係に焦点を当ててはおらず、かつ専門の憲法学の観点から(国家・人権等の基本概念に主な関心を寄せて)諸文献を読んでいるからだ、と考えられる。
それにしても阪本昌成が日本の憲法学者にしては?思想史への広汎な関心を持っていること、現に相当量を読んでいること自体に感心する。別の機会に、<わが国嫡流憲法学の特徴>(第二部第3章)と<フランス革命>に関する叙述(とくに第二部第6章)に限って掻い摘んで紹介して、メモ書きとしておこう。
その本には月報の小パンフが入っていて、2名の著者と鶴見俊輔の三名の座談会が載っている。そこでの鶴見俊輔の発言内容がまずは印象に残った。
鶴見俊輔(1922-)の本など読んだことなく、小田実や日高六郎に近いような、非政党の「市民派的左翼」というイメージしかない。
ひょっとしたらと思って今確認したら、何と九条の会の呼びかけ人9人の一人だった(そんなに大物なのかね?)。九条の会のサイトには、彼自身の文かどうかは分からないが、「日常性に依拠した柔軟な思想を展開」と紹介してある。
さて、フランス革命後のナポレオンが世界で初めて国民皆兵制(徴兵制)を導入したらしい。
たぶんこのことにも関連して、上の座談会中で鶴見は次のように言う。ナポレオンは偉大な個人だったが、「ここで国民国家ができる…。この国民国家の枷がいまもある…。この枷は、ファシズムのときにものすごい力を発揮した。国民国家が打って一丸とするかたちで、均質に兵役を強制してしまう」等。
ここまでなら何気なく読み飛ばしていたかもしれないが、つづく次の文章には目が止まった。
「ここに現在の日本の問題がある…・偶然、アメリカの力によって憲法に不戦条項をもっているけれど、これが「普通の国家」になるなんてことになったら、「普通の国家」とは国民国家だから、個人としてこの戦争はまちがっているなどという場所はなくなる」等。
1998年の座談会だが、こんなふうに「国民国家」概念が使われるのだとは知らなかった。正しい用法かどうかは分からない。
それはともかく、この鶴見の発言によると、現在の日本は「憲法に不戦条項をもっている」がゆえに、「普通の国家」=「国民国家」ではないのだ。しかも、鶴見の発言には、「国民国家」の(少なくとも重要な側面・要素)を毛嫌う気持ちがこもっている。さらに言うと、けっこう重要だと考えられる問題を、よくも簡単に片付けるものだ、という感想も湧く。
推測になるが、この人は、近代諸国で成立したとされる「国民国家」に批判的で、それに同質化されたくないという心性のもち主のようだ。
また、ひょっとすると<国民国家>の国民ではなく<地球市民>でいたいのではないか。九条の会の呼びかけ人の一人に名乗りを上げている心情も、理解できそうな気がする。
レーニンらは、フランス革命以降19世紀の欧州の歴史をよく知っていたに違いない。フランスの革命家たちがルイ16世や王妃マリー・アントワネット等の一族を断頭台で処刑死させたように、レーニン・ロシア共産党はロマノフ朝を終焉せしめ、ニコライ2世の一族全員を殺戮した。
かかる共産党の「思想」はその後も引き継がれた。そうでないと、スターリンの粛清等、毛沢東・文化大革命による大量殺戮、金日成・金正日の粛清・思想犯の収容所送致等を説明できない。金日成は南朝鮮系・中国系等の有力な共産党員を粛清して独裁に至った。
フランスのことを考え、思いは社会主義国に巡り、そして日本に帰ってくる。日本に体制側・権力側の敵はその思想のゆえに殺しても構わないという考え方はあったのだろうか。あったとして、どの程度現実に実施されたのだろうか。
日本史の詳細に立ち入る知識も余裕もないが、特定の宗教のゆえに実力で弾圧された例はあるようだ(一向一揆、石山寺、島原の乱)。だが、これらは純粋に宗教のみが理由だったかは疑問だし実力による抵抗を示したから殺戮を含む弾圧を招いたとも言えるだろう。
素人の歴史談義を続ければ、徳川家康は秀吉の血を絶やしたかっただろうが、淀君らが家康に恭順の意を示していれば、大阪の陣による秀頼・淀君の死はなかったのではないか。
最大の問題は明治維新とその前後の時期だが、「思想」のゆえに殺された者たちはいたようだ。新選組は一方の「思想」の側の殺人部隊だった。しかし、その数はフランス革命期ほどに大量でなかった筈だし、暴力の行使に対抗する暴力の場合もあったはずだ。
何よりも、旧体制の頭領・徳川慶喜は新体制側に恭順の意を示したために殺されず生命を全うした。旧幕側の勝海舟もそうだった。函館まで行き武装抵抗した榎本武揚も、投獄されたのちには新政府の要職まで務めた。
日本共産党結成後の大正末に死刑付きの治安維持法ができたのは、ロシア革命成功によるロマノフ王朝一族等殺害の現実を目のあたりにした当時の日本の体制側の深刻な恐怖感によるものだっただろうが、この法律によって実際に死刑にされた者はいない。
断片的かつ粗雑な思考で結論づけるつもりはないが、わが国には「敵」はその思想のゆえに抵抗がなくとも殺しても構わないという考え方はなかったか弱かったのではないか。それは日本人の生命観であり「やさしさ」でもあって「敵との闘争」がより頻繁で深刻だった欧州諸民族と比べて、誇ってもよいのではないか。
松浦義弘・フランス革命の社会史(山川出版社、1997)という90頁の冊子で同革命の経緯の概略は判るが、三つの標語がいつ頃から使われたのはハッキリしない。いずれにせよ1789年の1年で革命が完結したわけではなく自由・平等・博愛の社会がすみやかに実現したわけでもない。
また、松浦は上の本で・フランス革命の「暗い闇の側面」、「独裁と恐怖政治」を指摘し、「陰謀」や「反革命」容疑者に対する容赦なしの処刑=暴力行使に関して述べている。「革命期の民衆的事件のほぼすべてが、ややサディスティックな情念を感じさせる暴力にいろどられている」(p.73)。1792年9月初旬の「九月の虐殺」の際はパリの在監者の約半数を「人民法廷」による即決裁判を経て処刑=虐殺したが、有罪者は「槍、棍棒、サーベルなどでめった切りにされ、裸にされ、死体の山の上に放りだされるか、首や四肢を切断された。…人びとはそれを槍の先に突き刺して、市中を行進した」(p.74-5)。
長谷川三千子・民主主義とは何なのか(文春新書、2001)は松浦の本と同様に1793年の「ヴァンデの民衆反乱」の弾圧等に触れつつ、フランス革命による「「流血の惨」は、それ自体が革命思想の産物そのものだった」とする。さらに彼女は、フランス革命以降60年を通じて「ほとんどその必然的な展開の帰結として」「社会主義理論」が出現した、トクヴィルは「民主主義が、この社会主義の生みの親に他ならない」ことを認めている、とすら述べる(p.27)。
いつか既に触れたように、また中川八洋の本も明記していたが、クルトワ等・共産主義黒書もまた共産主義・ロシア革命とフランス革命の関連に着目していた。それによると、より詳しく引用すれば、フランス革命の「恐怖政治はボルシェビキの歩みを先取りしていた。疑いもなくロベスピエールは、のちにレーニンをテロルへと導いた路線に最初の礎石を置いた」(p.335)。
「反革命」思想者をかりに実力抵抗していなくても殺戮する、革命の「敵」は殺しても構わないという考え方は、すでにフランス革命期に欧州で胚胎し現実化もしていた。とすれば、ますますフランス革命の如き「明確な」革命をわが国が経ていないという「遅れ」に劣等感をもつ必要は全くないだろう。
しばらく朝日新聞の社説を読む機会がなくWeb上で見ることも忘れていた。
憲法改正手続法(国民投票法)衆議院通過後の朝日の4/17社説について、同日のブログで<「メディア規制の問題、公務員の政治的行為の制限、最低投票率の設定など、審議を深めてほしい点がある」という理由だけしか書けず、致命的な又は大きな欠点・問題点を堂々と指摘できないのでは、「廃案」→「仕切り直し」という主張のためには不十分だろう。>と書いた。
まさかこの文の影響ではないだろうが、ネット情報等によるとその後朝日は<最低投票率制度を導入によ(それがないから反対)>という主張をしたようだ。国会審議前にこの具体的主張をせず、参議院に送付されてからこんな主張をし始めるとは、朝日新聞はやはり<たいした>言論機関だ。いよいよ成立しそうになってからの<反対のための反対の理由>を挙げただけではないのか。
この最低投票率制度の問題にはもはや立ち入らない。
保存するのを忘れたが、憲法改正手続法案が参議院の委員会で議決された後の朝日の社説(5/12(土)?)は興味深かった。翌週早々に参議院本会議でも議決されて成立する見込みとなって、まるで水の中(池でも河でもよい)に落とされた犬が必死で陸に這い上がって、投げ落とした者に対して<うらみ・つらみ>の泣き言を喚いているような文章の社説だったからだ。
もっとも、5/15(火)の社説は「投票法成立―「さあ改憲」とはいかぬ」と題して、何とか元気を取り戻した様子だったが。
さて、最近の朝日社説にいくつかコメントをしておく。
一.上の5/15の社説の中に、自民党の新憲法草案九条の二に関する次のような文がある。
「つまりは、現在の自衛隊ではなく、普通の軍隊を持つということだ。自民党は、今後つくる安全保障基本法で自衛軍の使い方をめぐる原則を定めるとしている。だが、たとえ基本法に抑制的な原則をうたったとしても、憲法9条とりわけ2項の歯止めがなくなれば、多数党の判断でどこまでも変えることが可能だ。」
二点指摘できる。第一に、「現在の自衛隊ではなく、普通の軍隊を持つということ」という表現の仕方、とりわけ「普通の軍隊」という言葉の使用は、自衛隊も<普通の軍隊ではないが軍隊だ>という意味を含むとも解釈することができ、興味深い。
第二に、「基本法に抑制的な原則をうたったとしても、…多数党の判断でどこまでも変えることが可能だ。」という部分は、別の機会にも指摘したかもしれないが、「民主主義」の価値を大いに謳っている新聞社にしては、国民の代表を通じての議会制民主主義の意味を理解できていないかの如くだ。つまり、「多数党」ということは、国民の多数が支持している政党を意味する筈であり、その政党の判断が国会の意思となり、何らかの事項を「変えて」いくことに一体何の問題があるのか。
自社に気に入らない決定をする国会の場合には<多数党の横暴>といい、自社の主張に即した決定をする国会の場合には<議会制民主主義を守れ。少数党は自制せよ>という主張をしそうな、つまり所謂<ご都合主義>に毒された新聞が朝日新聞ではないのか。
二.5/17社説「党首討論―もっと憲法を論じよう」にも面白い部分がある。
同社説は「時間が少なかったし、そう問われなかったということもあっただろう。だが、この60年、憲法の下で民主主義、人権、平和主義を培ってきた国民の「成果」に対する肯定的な評価は、安倍氏からはまったく聞かれなかった」と安倍首相を批判している。
ここでも二点指摘したい。第一に、この文の前で、<首相は戦後日本を次のように批判する。/「経済は成長したが、価値の基準を損得だけにおいてきた」「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳を子供たちに教える必要がある」>と安倍首相の発言を紹介している。
「問われなかったということもあっただろう」が、朝日社説は、上の安倍首相発言の内容に賛成とも反対とも、自らの見解を全く述べていないのだ。安倍首相が語らなかった部分に文句をつける前に、明確に語った部分について何らかの評価を明示したらどうか。批判したいけれども批判し難い、というのが本音なのだろうか。あるいは、さらにそのずっと前の辺りにある「復古主義」という言葉で批判しているつもりなのだろうか。
朝日は安倍首相等を不明瞭・曖昧等と批判することがあるが、自社の社説はすべて明瞭で曖昧さはないと言い切れるのか、少しは反省してみるがよい。
第二は、より大きな問題だ。朝日は5/20社説でも、古屋圭司氏を会長とする所謂「価値観議連」に参加した議員たちの発言をとり上げて、「右派の熱心なテーマばかりだ。これがめざす「真の保守主義」なのだというが、「自由・民主・人権」というより、復古的な価値観に近いのではないか」と疑問視又は批判している。
ここでも朝日社説は守るべき価値として「民主主義・人権(保障)」等を考えているようだ。この二つの他に5/17では「平和主義」を、5/20では「自由」を挙げている。
私の現在の強い問題関心は、「自由」・「民主」・「人権」等は現在においていかなる理念的意義を持ち得るのか、またそれぞれがどのような関係に立つのか、にある。
とくに1990年代以降、これらの意義が少なくともある程度は疑問視され再検討される必要が出てきた、というのが私の時代認識だ。
卑近すぎるかもしれないが、「人権」と「平等」のある意味での<いかがわしさ>は、地方自治体の行政の<腐臭>の源の発覚によって、露わになってしまったのではなかろうか。
かかる問題意識は、私一人のものではないと思われる。
つい先日紹介したように、ジュリスト誌上で、棟居快行・大阪大学教授は、「どうも近代立憲主義の憲法学の武器庫はかなり空になりつつある。あるいは残りをこの10年で使い切ってしまっている可能性もある」と述べていた。
「近代立憲主義の憲法学の武器庫」には、<民主主義>も<自由>も<人権>も当然に含まれる筈だ。
また、リベラリズム/デモクラシーを途中まで読んだ後に入手した阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)はその「はしがき」の中で、憲法学は<裸の王様>だと”市民”は「肌で感じ取ってきている」のではないか」とし、その理由を阪本は「暫定的に」次のように述べている。
「憲法学は、「自由」、「民主」、「平等」、「人間性」、「自然法」、こうしたキー・ワードにさほどの明確な輪郭をもたせないまま、望ましいことをすべて語ろうとして、これらのタームを乱発してきたのではなかろうか」。
こんなことを憲法学者の少なくとも一部は明言しているのだが、朝日新聞の社説子は、「民主主義、人権、平和主義」を、あるいは、「自由・民主・人権」をいかなる意味で、それぞれがいかなる関係をもつ概念として用いているのかを、きちんと明瞭に説明できるのか。朝日の社説子もまた、「明確な輪郭をもたせないまま、望ましいことをすべて語ろうとして、これらのタームを乱発して」はいないか?
日本の<戦後民主主義>が当然視してきたようなことが当然ではなくなっているのが、現在だ。ソ連型「社会主義」崩壊、経済のグローバル化、「情報社会」化、中国・北朝鮮の新たな動向等々は、上に挙げたような基礎概念の意味を絶えず問うているのだ。
朝日の社説子にはそれだけの時代認識もなさそうに見える。<フランス革命の神話>という言葉の含意を理解できる論説執筆者がどれほどいるのか。「民主主義、人権、平和主義」を、あるいは「自由・民主・人権」を<お経>の如く唱えているだけではないのか。
まだ、最近の朝日の社説についてコメントしたい点はあるが、今回はここで終わっておこう。
すでに同感の方々には新奇な言葉ではないだろうが、岩波書店はやはりまともな出版社ではない。
中川八洋・保守主義の哲学によるとこうだ。
ルイ16世は無実の者は勿論重罪人でも殆ど死刑にしなかったが、ロベスピエール・ジャコバン党は「ギロチンをフル稼働して」「あっという間に数十万人を無実の罪で処刑し虐殺した」(p.168)。ルイ16世も1793年に「処刑」された。
そのような成り行きに「道徳的腐敗と自由の終焉を見抜いた」のが英国のバークで、1790年に『フランス革命の省察』を刊行して批判した。
このバークの本への反論書がトマス・ペインの『人間の権利』のようで、このペインの本を、岩波は1971年5月に文庫化して出版した。
ところが、その批判の対象だったバークの本を出版したのは(すでにみすず書房が出版していたが-これを私は持っている)、何と30年近く遅れての2000年7月だった、という。
いつかも書いたように岩波は<世界の名著・古典>を公平・中立に選んで出版しているのではない。
しかも、中川によればだが、岩波版のバーク『フランス革命の省察』の翻訳(中野好之氏による)は「出版社の何らかの指示があったしか思えない」ほどの「極度にひどい訳」だという(p.176-7)。
岩波書店の<出版戦略>を想像すると、次のようなものだろう。第一に、日本の「進歩」勢力・「革新」勢力、要するに「左翼」(あるいはマルクス主義陣営)にとって都合の悪い内容の本は、いかに諸外国では出版され多数読まれていても、そもそも出版しない。
第二に、出版するとしても、その翻訳は、「左翼」(・マルクス主義陣営)にとって悪い影響を与えないように、正確なものとはしない。この例を、上の中川は指摘しているのだと思われる。
第三に、出版するとしても、、「左翼」(・マルクス主義陣営)にとって悪い影響を与えかねない部分は翻訳しない、つまり一部を抹消・削除して(かつその旨を明記することなく)翻訳・出版する。
記憶のみに頼るが、たしかジョンストン『紫禁城の黄昏』がこの例ではなかったか。今、Wikipediaを参照してみると、「岩波版で省略された章には、当時の中国人が共和制を望んでおらず清朝を認めていたこと、満州が清朝の故郷であること、帝位を追われた皇帝(溥儀)が日本を頼り日本が助けたこと、皇帝が満州国皇帝になるのは自然なこと、などの内容が書かれている。/岩波文庫版が、「主観的な色彩の強い」として原著の重要部分を省いたことは、原作者に対する著作者人格権の侵害にあたるという意見もある」等とある。
もっとも、同書の「あとがき」で訳者(入江曜子+春名徹)は「主観的な色彩の強い前史的部分である第一~十章と第十六章『王政復古派の希望と夢』を省き、また序章の一部を省略した」と明記しているようだ(私も、所持している本p.504-5で確認した)。だが、「主観的な色彩の強い」からという理由だけなのかどうか、あるいはそれは翻訳省略の正当な理由になるのかどうか、という疑問を生じさせる。
ついでに書くと、雑誌・世界に1970年代には連載されていた「T・K生からの通信」は、これまた記憶によると、少なくとも韓国在住の者が書いた文章ではなかったらしい(日本で書いていたのが「反体制」韓国人だったのか日本人だったのかは忘れた)。
韓国・ソウル等での反体制運動の動向等を紹介していたはずなので、この連載記事は「大ウソ」・「ペテン」ということになるのではないか。
なお、やや余計ながら、岩波書店の四代目社長は安江良介(1935-98、世界編集長1971-88)で同年生まれの大江健三郎ととても親しかったらしい(これはちっとも不思議ではないが)。
2月12日又は13日に読み始めたとみられる中川八洋・正統の哲学・異端の思想-「人権」「平等」「民主」の禍毒(徳間書店、1996)全358頁を4/01の午後9時頃に、45日ほど要して漸く全読了した。むろん毎日少しずつ読んでいたわけではなく、他の本や雑誌等に集中したりしたこともあって遅れた。
刺激的だが重たい本で、各章が一冊の大きい本になりそうな程の内容を凝縮して箇条書きになっているような所もあり、又ややごつごつした文章で読み易いとはいえない。だが、まさしく、この本p.351に引用されているショーペンハウエルの言葉どおり、「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間とかには限りがあるからである」。中川も「近代政治哲学(政治思想史)」の「ガイドライン」のつもりでも書いた旨記しているが、全部を鵜呑みにするつもりはないにせよ、短い人生のための今後の読書の有益な指針を提供してくれているように感じる。
内容を仔細に紹介しないが、究極的にはマルクス主義という「異端の思想」の批判書ではあるが、マルクス主義そのものよりも、「正統の哲学」の言辞も引用しながら、それを生んだ哲学的・思想的系譜を示して批判すること、同時に、「進歩」主義、「平等主義」、「人権」思想、「民主主義」又は「人民主権」論等々を批判することに重点がある。私には「狂人」ルソー思想批判とフランス革命批判が強く印象に残った。
デカルト→ルソー・ヴォルテールら→フランス革命→サン=シモンら空想的社会主義→マルクス・エンゲルス→レーニン→ロシア革命という大きな流れに、デカルトとフランス革命→ヘーゲル・フォイエルバッハ→マルクス・エンゲルスという流れを追加して、ほぼマルクス(及びロシア革命)の思想的淵源が解る。中川によれば、「理性主義」信仰のデカルト、平等・「人民主権」論等のルソー、サン=シモン、ヘーゲル、フォイエルバッハの五人はマルクス・レーニン主義という「悪魔の思想」の「五大共犯者」とされる。
一方で「正統の哲学」の思想家等を27人挙げているが、著名な人物は「悪魔の思想」関係者よりも少なく、かつ日本で邦訳本が出版されている割合が少なく、かつ岩波書店からは一冊も出版されていない。戦後日本の「知識人」たちの好みに影響を受けたこともあっただろうが、岩波は公平・中立に万遍なく世界の思想家等の本を出版しているわけでは全くないのだ。この点は注意しておいてよい。
その「正統の哲学」の27人は、-のちの中川・保守の哲学(2004)の表で修正されているが-マンデヴィル、ヒューム、アダム・スミス、エドマンド・バーク、ハミルトン、コンスタン、トクヴィル、ショーペンハウアー、バジョット、ブルクハルト、アクトン、ル・ボン、チェスタトン、ホイジンガ、ベルジャーエフ、ウィトゲンシュタイン、オルテガ、エリオット、ミーゼス、チャーチル、ドーソン、ハンナ・アレント、アロン、オークショット、ハイエク、カール・ポパー、サッチャーだ。
「進歩」、「平等」、「人権」、「民主主義」等々について、この本も参照しながら考え、このブログでも「つぶやく」ことにしたい。
中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)は刺激的な本で、第一部第一章第一節は「ロシア革命とは「第二フランス革命」」という見出しになっており、フランス革命の残虐性・狂気性およびマルクス主義・ロシア革命の重要な淵源性を指摘し、ルソー・ロベスピエールらを厳しく批判するとともに、より穏健なイギリス名誉革命を讃え、フランス革命時のイギリスの「保守」思想家バークらを肯定的に評価する。この本はフランス革命を肯定的・好意的に描く本は日本で多く翻訳され、消極的・批判的な本は翻訳されない傾向がある、という。また、肯定的・礼賛的なものの主要な四つのうち中央公論社の世界の名著中のミシュレのものの他はいずれも岩波書店から出版されている。そのうち、ソブール・フランス革命(上・下)(岩波新書、1989年各々42刷、39刷。初版、各1953年)を古書で入手した。
1952年の時点での著者からの「日本の読者へ」の初め2行まで読んで(見て、に殆ど等しい)、たちまちぶったまげた。曰く-「20世紀、いいかえればプロレタリア革命―われわれはそれに終局的な人間解放の希望をかけているのだが―の世紀のちょうど中葉にあたって、日本の読者に…」。いかにスターリン批判がまだの時期とはいえ、のっけから、20世紀はプロレタリア革命の世紀で、それに終局的な人間解放の希望をかけている、とは…。岩波書店がこのパリ(ソルボンヌ)大学フランス革命史講座教授の1951年の本をさっそく新書化したのも分かる。岩波書店の<思想>にぴったりの内容だからだ。
ソブールは上の言葉で始め、イギリスやアメリカの「革命」の妥協性や特異な限界を指摘してフランス革命は「人類の歴史の中で第一級の地位」を占めると自慢し、フランス革命は自由の革命、平等の革命、統一の革命、友愛の革命だった、とする。さらにこう続けているのが興味深い。-だが、経済的自由の宣言・農奴制廃止・土地解放によって「資本主義に道をひらき、人間による人間の新しい搾取制度の創設を助けた」。だがしかし、と彼は続ける。-フランス革命は「未来の芽生え」も見せていた、即ち「バブーフは経済問題を解決し、…平等と社会主義を完全に実現する唯一の可能な方法として、生産手段の私有廃止と不可分の社会主義的デモクラシーの樹立を提案した」。
中川八洋の著を読んで抱いた印象以上に、フランス革命賛美者はマルクス主義者であること、フランス革命→社会主義革命という連続的な歴史的発展論に立っていることが解る。岩波書店はこの新書をもう絶版にしているようだが、1991年のソ連・東欧「社会主義」諸国の崩壊の後では、さすがに恥ずかしくなったのだろうか。
一方、1987年のルネ・セディヨの本を訳した同・フランス革命の代償(山崎耕一訳。草思社、1991)は、フランスでは「修正派」と言うらしいが、筆者まえがきで、大革命は伝説を一掃すれば実態が明らかになる、全否定はできなくとも全てを無謬ともできない、偉大な部分・崇高な面もあるが、うしろめたい部分・有害な面もあると結論を示唆し、訳者あとがきは、この書によるとフランス革命は資本主義の発展に有利に作用せず、封建制を廃棄せず、土地問題を解決していない、等々と要約している。どちらか一方のみが適切でないにせよ、後者の方がより歴史の真実に近そうだ。
いずれにせよ、フランス、アメリカ、イギリスの諸「革命」を同質の「市民革命」(ブルジョワ民主主義革命)と理解することは誤りだ。また、日本が(かつて又は現在でもよく説かれているように)フランス革命のような典型的な「革命」を経ないで「近代」化したことについて、劣等感をもつ必要は全くない。
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