秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

フォイエルバハ

2237/L・コワコフスキ著第一巻第6章④・第3節①。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流/第一巻。
 =Leszek Kolakowski, Die Hauptströmungen des Marxismus-Einleitung・Entwickliung・Zerfall. -Erster Band〔第一巻〕(P. Piper, München, Zürich, 1977).
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism. -Vol. 1: The Founders(Oxford, 1978).
 第一巻第6章の試訳のつづき。
 ドイツ語訳書を第一に用い、英訳書も参照する。注記はドイツ語訳書にのみ付いている。
 第6章・1844年の草稿(=パリ草稿)・疎外労働理論・青年エンゲルス。
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 第3節・労働の疎外・非人間化される人間〔Die Entfremdung der Arbeit. Der entmenschte Mensch〕①。
 (1)マルクスは、労働の疎外過程を、資本主義的諸関係の発展形態を土台にして考察した。その資本主義的諸関係では、土地所有権も市場経済の全法則に服している。
 彼の見解によれば、私的所有権は、疎外された労働の帰結であって、その原因ではない。
 伝えられている草稿には、この疎外の始まりに関する説明は含まれていない。
 資本主義的所有の発展した諸関係では、労働者の活動もその生産物も労働者には疎遠なものだ、ということに労働の疎外が表現されている。
 労働は、どの他商品とも同じく一つの商品となった。これが意味するのは、労働者自身が商品となり、市場価格で売られるよう強いられた、ということだ。その市場価格は、生存するための最小限の費用によって決定される。
 ゆえに、労賃が最低限の水準にまで下がっていく、絶えざる傾向がある。その労賃は、一人の労働者が生命を維持し、生殖活動を保持するためにちょうど十分なものだ。
 こうして生じる生産過程では、フォイエルバハが人間の意識での神の創出過程を分析して論述したのと同様の状況が再生産される。
 労働者は富を多く生むほど、それだけ貧しくなる。
 物的世界の価値の増加に応じて、それを生産する人間の価値は下落する。
 労働の対象は、生産者から独立し、自立した、外部の物としての労働過程自体から外れている。
 労働者が自然をより多く我が物にすれば、それだけ多く、労働者は生活手段を奪われる。
 しかし、主体から疎外されるのは、<労働生産物>だけではない。
 労働自体も、疎外される。労働自体は自己確認ではなく、反対に、破壊的過程となってその主体の不幸の源泉となるからだ。
 労働者は自分の労働需要を充足するために労働するのではなく、生命を維持するために労働する。
 労働者は、労働過程にいることを本当に感知しているのではない。つまり、人間に特有な活動を遂行しているという感覚はない。そうではなく、喰い、眠り、子どもを生むというその動物的な活動をしているという感覚だけがある。
 だが、労働が人間の顕著な徴表であるならば(動物とは違って、『人間は肉体的必要から自由なときに生産をし』、『その必要から自由なときに初めて、本当の意味で(wahlhaft)生産をする』(9))、従って労働の疎外が同時に労働者の疎外であるならば、労働は人間から、人間である可能性を、すなわち人間的な態様での生産者である人間となる可能性を、奪う〔非人間化する〕。
 労働者は人間的生活を喪失し、労働はたちまちに外部的過程となり、そしてその人間的本質は、純粋に生物的な活動へと削減される。
 種としての生活(Gattungsleben, life of the species)-労働-は、これによってもっぱらその個々の動物的生活のための手段となり、人間の社会的な本性は、その個々の存在のための道具たる役割へと落ちこんでしまう。
 疎外された労働は人間から種としての生活を奪い取る。そうして生じるのは、他者たる人間がその人間には疎遠な者となり、人間的な共同性が否定され、生活が相争うエゴイズムの世界とと化してしまう、ということだ。
 疎外された労働から発生する私的所有権は、一方では疎外の増大の源泉であるが、疎外を際限なく新たに再生産しもする。//
 (2)労働者の物象化(Verdinglichung, reification)、すなわち、物に対するその人格的性質、筋肉と脳髄、活動と願望が売買と交換のために提供される商品となるという状態は、所持者がそのことによって自由と人間性を保障される、というようには決して働かない。
 その反対に、物象化の過程は、別の態様で資本主義者をも包摂し、その人格に幻影を与える。
 労働者がその動物的性質へと減退するように、資本主義者は不可避的に金銭の抽象的な力に成り果てて、金銭の人格的代表者となり、その人間的特性は金銭に内在している力の形態を帯びる。
 「金銭の力が大きければ、私の力も大きい。
 金銭の特性は、私-金銭の所持者-がもつ特性であり、私の本質的な力だ。
 ゆえに、私が何<であり>何が<できる>かは私の個人性によって決定されるのではない。
 私は醜い。しかし、<最も美しい>女性を購うことができる。
 ゆえに、私は<醜くは>ない。なぜなら、<醜さ>のもつ効果、他人を怯ませる力は、金銭によって無効となっているからだ。
 私は-私の個人性からすると-<足が不自由>だ。しかし、金銭は私に、24本の足を提供してくれる。
 ゆえに、私は<足が不自由>ではない。
 私は、性悪の、不誠実な、良心のない、愚かな人間だ。しかし、金銭は尊敬されており、ゆえにその所持者も尊敬されている。
 金銭は最高に良きものであり、ゆえにその所持者も善良なのだ。」(10)
 (3)疎外にもとづいて、人間の種としての生活と人間の共同社会は、そしてそれらによって個人的生活もまた、麻痺してしまう。
 発展した資本主義社会では、社会的な不自由の<総体>が、疎外の全ての形態が、労働者の生産に対する関係のうちに含まれている。そのゆえに、労働者の解放はたんに、細分化した利益がある一階級としての<彼らの>解放であるのみならず、全体としての社会や人類それ自体の解放なのだ。
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 (9) MEW, Ergänzungsband, 1. Teil, S. 517.
 =マルクス・エンゲルス全集第40巻/マルクス初期著作集(大月書店、1975)、437頁〔第一草稿四〕。
 (10) 同上, S.564. =同上、486-7頁〔第三草稿六〕。
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 第3節②へとつづく。

2231/L・コワコフスキ著第一巻第6章③・第2節②。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流/第一巻。
 =Leszek Kolakowski, Die Hauptströmungen des Marxismus-Einleitung・Entwickliung・Zerfall. -Erster Band〔第一巻〕(P. Piper, München, Zürich, 1977).
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism. -Vol. 1: The Founders(Oxford, 1978).
 第6章の試訳をつづける。
 ドイツ語訳書を第一に用いる。英訳書も参照する。注記はドイツ語訳書にのみ付いている。
 第6章・1844年の草稿(=パリ草稿)・疎外労働理論・青年エンゲルス。
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 第2節・認識の社会的性格と実践的性格②。
 (3)カントの二元論に代わってヘーゲルの観念論が提示した解決方法の恣意性と観想性(Spekulativität)をマルクスに最初に感得させた者は、フォイエルバハだったと思われる。
 ヘーゲルは全く単直に、現実の存在は疎外された自己意識であって、外部化した自己意識のために世界を回帰させるためのものにすぎない、ということから出発する。
 しかし、自己意識は、それを疎外することでは、現実の事物ではない、それの抽象的な見せかけ以上のものを生むことができない。
 そして、人間生活でこの自己疎外の産物が人間を支配するに至って、その支配に人間が服するときには、我々人間の任務は、それを本来の場所へと立ち戻らせて、実際の姿の抽象物だとそれを見分けることだ。
 人間はそれ自体が自然の一部であり、人間が自然のうちにある自らを認識するならば、それは、人間がそのうちに、絶対的に自然に優先する自己意識の働きを再認識するという意味でではない。そうではなく、労働を通じた人間の自己創出の過程で、自然は人間<のための>対象となるという意味でのみだ。これは人間的方法で知覚された対象であり、人間の必要という規準に従って認知的に構造化されており、種の実際的な働きかけと連結してのみ生じる。
 「しかし、自然もまた、人間と切り離されて固定され、抽象的に把握されると、人間にとっては<何ものでもない(nichts, nothing)>」。(5)
 人間という種と自然との間の能動的な対話が出発点だとすれば、また我々が認識する自然も自己意識も純粋に固有の意味でではなくこの対話によってのみ生まれるのならば、人間は、我々人間が知覚する自然を人間化された自然(vermenschlichte Natur)と称することができる。同様にまた、自己意識を自然の自己意識と称することもできる。
 人間は、自然の産物および自然の一部として、自然を自らの一部に変える。自然は、人間の実践の素材(主体的事項)であり、同時に、人間の物理的身体を延長したもの(Verlängerung, prolongation)だ。
 このような観点からすると、世界の創造者に関する問題を設定するのは無意味だ。そういう問題設定は、自然と世界は存在しない(Nicht-Seins)という、人間が本当は架空の出発点としてすら設定することのできない、非現実的な状況を想定しているのだから。
 「きみが自然と人間の創造に関して問うとき、人間と自然を抽象化している。
 きみは人間と自然は<存在しない>ものと考えつつ、私がそれを存在しているときみに証明することを望んでいる。
 そうなら、こう言おう。きみは抽象化を止めよ、そうすればきみはその問題も捨て去るだろう。」(6)
 「しかし、社会主義的人間にとって<いわゆる世界史全体>は人間の労働による人間の創出に他ならず、人間のための自然の生成に他ならないがゆえに、社会主義的人間は、自分の誕生それ自体に関する、つまり自分の<発生過程>に関する、直想的で異論の余地のない証拠を有していることになる。
 人間と自然の<本質性>が、つまり人間が人間のための自然の存在としてあり、自然が人間のための人間の存在としてあることが実践的、感覚的に直観することができるようになっていれば、<外部(fremd)の本質>に関する問題設定、自然と人間を超える本質に関する問題設定は、…実践的には不可能になっている。
 この非本質性を否認する<無神論(Atheismus)>は、もはや意味を有しない。なぜなら、無神論は<神の否定>であり、その否定によって<人間の存在>を設定するものだからだ。
 しかし、社会主義は社会主義として、そのような媒介物をもはや必要としない。
 社会主義は、人間と自然は<本質>だという<理論的かつ実践的に感覚的な意識>から出発するのだ。
 社会主義は、積極的な、宗教の止揚にもはや媒介されることのない人間の自己意識だ。<現実の生活>が、積極的な、私的所有権の止揚、つまり共産主義、に媒介されることのない人間の現実であるのと同様に。」(7)
 (4)ここから見て取れるように、マルクスにとって、認識論上の問題設定は、形而上学上の問題設定とともに、正当性を失う。
 人間は、自分がまるでその外にいるように世界を見ることはできないし、人間の行為の全体性から純粋に認識行為だけを取り出すことはできない。なぜなら、認識する主体は、自然への積極的な関与者である全的な統合的主体の一面だからだ。
 自然が人間についてそうであるように、人間の係数(Koeffizient, coefficient)は自然のうちに現存する。そして、他方では、人間は世界との交渉から人間自身に固有の受動性という要素を排除することはできない。
 この点で、マルクスの思考は、伝来的な唯物論の諸範型と対立するとともに、固有の外部化として対象を構成するヘーゲルの自己意識の理論とも同等に対立している。マルクスが衝突する伝来的な唯物論では、根源にある認識行為は対象の受動的な反応であり、対象を主観的な内容へと変形させる。
 マルクスは自分の立場を、「徹底した(durchgeführt, consistent)自然主義」、あるいは人間主義(humanism)と称した。これらは、彼が言うには、「観念論とも唯物論とも同等に区別され、両者を同時に統合した真実(Wahrheit, truth)だ」。(8)
 これは人類学的な立場であり、人間化された自然のうちに実践的な人間の意図の反対項(Gegenglied, counterpart)を見ている。人間の実践が社会的な性格をもつように、その認識上の効果、つまり自然に関する像は、社会的な人間が作り出した物なのだ。
 人間の意識はたんに自然との社会的関係に関する思考に表現された物であり、共同社会的な種の活動の所産だと、把握されなければならない。
 従って、意識の変形もまた、意識自体の逸脱または不備によるものとして説明されるべきではなく、その根源はより固有の過程のうちに、とくに労働の疎外のうちに探し求められなければならない。//
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 (5) MEW, Ergänzungsband, 1. Teil, S. 587
 =マルクス・エンゲルス全集第40巻/マルクス初期著作集(大月書店、1975)、510頁。
 (6) 同上, p.545. =同上、466-7頁。
 (7) 同上, p.546. =同上、467頁。
 (8) 同上, p.577参照。=同上、500頁。
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 第2節、終わり。第3節の表題は、<労働の疎外・脱人間化される人間>。

2027/L・コワコフスキ著第三巻第10章第6節①。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.380-p.383。合冊版、p.1091-3。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第6節・エーリヒ・フロム(Erich Fromm)①。

 (1)エーリヒ・フロム(Erich Fromm)(1900年生れ)は、1932年以降はアメリカ合衆国で生活した。最初は正統派フロイト主義者だったが、Karen Horney やHarry Sullivan とともに、精神分析の「文化主義」学派の創立者としてまずは知られた。
 この学派はフロイト主義の伝統から大きく離れたので(同じ関心領域を共有したことを除く)、精神分析的人類学、文化の理論という最初の基礎をほとんど残さなかった。ノイローゼ(neurose)理論についてすら、これは言えた。
 フロムはフランクフルト学派の従兄弟だと見なすことができるかもしれない。社会研究所の一員で、<雑誌>に論文を発表したことだけがその理由ではなく、その著作の内容という観点からしてもだ。
 マルクスの物象化と疎外に関する分析はまだ有効で現代文明の根本的諸問題の解決にとって決定的に重要だという確信を、フランクフルトの仲間たちとともに抱いていた。
 他の仲間たちと同じく、プロレタリアートがもつ解放に対する役割についてはマルクスに同意しなかった。
 彼がとくに関心をもった疎外は、全ての社会階層に影響を与えている現象だった。
 しかしながら、アドルノの否定論や悲観主義にも共感しなかった。
 フロムは歴史的決定論への忠誠心を持たず、より良き社会秩序をもたらす歴史の発展法則に期待もしなかったけれども、人類には無限の潜在的能力があると強く信じていた。自然や人間相互からの疎外を克服し、友愛にもとづく社会秩序を確立することができる、そのような潜在的な力だ。
 アドルノとは異なり、人間の本性と調和した社会生活の概略を明確にすることは可能だと考えた。
 その書物が自負と傲慢さで溢れているアドルノとは再び異なり、フロムの著作は善意および友愛と協力に向かう人間の潜在性への信頼で充ちている。
おそらくはこの理由で、彼にはフロイト主義が受け容れ難かったのだろう。
 フロムは、我々の時代のフォイエルバハだと称し得るかもしれない。
 彼の書物は簡潔で、読みやすい。
 説教ぶった道徳的な意図は隠されていないけれども、その表現は平易で率直だ。
 直接の主題が何であれ-性格理論、禅・仏教、マルクスあるいはフロイト-、全てが批判的で建設的な思考が語られている。
 著書の表題を見ると、とりわけ、<自由からの逃亡>(1941年)、<自分自身のための人間>(1947年)、<健全な社会>(1955年)、<禅仏教と精神分析>(鈴木大拙、R. de Martinoと共著)、<マルクスの人間観念>(1961年)がある。//
 (2)フロムは、無意識に関するフロイト理論はきわめて豊かな研究分野を切り開いたと考えた。しかし、性的衝動(リビドー, libido)と文化のもつ純然たる抑圧機能にもとづく人類学理論を、ほとんど完全に拒否した。
 フロイトは、人間個人を不可避的に他者と対立する本能的衝動によって定義することができる、と考えた。個人はその本性上反社会的だが、社会は個人にその本能的欲求を制限し抑制する代わりに安全確保の手段を提供する。
 充たされない欲求は他の社会的に許容された領域に流れ込み、文化活動に昇華する。
 しかしながら、文化と社会生活は、破壊されることのない衝動を監視しつづけ、充たされない欲求の代用品として創出された文化作品は、諸衝動がさらに大きくなるのを抑制する。
 世界での人間の地位は、自分の自然の願望を充足させるのは文化の破滅であって人間種の破壊を意味するだろうので、希望なきものだ。
 本能と人間存在にとって必要な共同生活の間の矛盾は、決して解消することができない。神経症になることに絶えず追い込んでいる複合的な諸原因も、解消されない。
 創造的諸活動の形態による昇華はたんなる代用にすぎない。さらには、少数の者のみがそれを行うことができる。
 (3)こうした議論に対して、フロムは答える。
 フロイトの教理は、特定の限定された歴史的経験を不当に普遍化するものだ。さらには、人間の本性に関する誤った理論にもとづいている。
 自己のための充足とその結果としての他者への敵対にもっぱら向かう、その本能的な欲求の総量によって個々人を定義することができる、というのは通例のことではない。
 フロイトは、ある人間が他人に何かを与えれば自分がもち続けた可能性のある富の一片を失うがごとく、語る。
 しかし、愛と友情は、豊かにするものであって、犠牲ではない。
 フロイトの見方は、諸個人の利益を相互に対立し合わせた特定の歴史的条件を反映したものだ。
 だが、それは一つの歴史的局面であって、人間の本性の必然的な効果ではない。
 エゴイズムと自己中心主義(egocentricity)は、個々人の利益にとって防衛的なものではなく、破壊的なものだ。そして、これらは、自己愛からではなくてむしろ、自己憎悪(self-hatred)から発生する。//
 (4)フロムは、人間は確実に永続的な本能をもつこと、その意味で不変の人間の本性があること、を認める。
 彼はつぎのようにすら考える。人類学的に恒常的なものなどは存在しないとする逆の考え方は危険だ。なぜならば、人間は際限なく塑形可能で、いかなる条件にも適合することができると想定しているのであって、その結果として、適切に組織されるならば隷従制が永遠に続いてしまうことになる、と。
 人々が現存する条件に反抗するということは、人々は際限なく適応可能ではないことを示している。これは、楽観論の根拠だ。
 しかし、大切なことは、いずれの人間の特性が実際に恒常的であり、いずれが歴史の問題なのかを、確定することだ。
 ここでフロイトは、資本主義文明の影響をヒトという種の普遍の特性だと見誤ることによって、間違った。//
 (5)フロムは、つづける。一般的に言って、人間の欲求は個人的な充足に限定されはしない。
 人々は、自然との、そしてお互いの間の連環(link)を必要としている。-その連環は何であってもよいというのではなく、目的意識と共同体への帰属意識を与えてくれるような連環だ。
 人々には、愛と理解が必要だ。孤立して、接触を奪われれば苦しむ。
 人間はまた、自分の能力を十分に活用することのできる社会的条件を必要とする。すなわち、人間は、諸条件や危険性に何とか対処するためにではなく、創造的な仕事をするために生まれたのだ。//
 (6)この理由で、ヒトという種の発展あるいは人間の自己創造は、特定の諸傾向との闘いの歴史だった。
 人間が自然秩序から解放されて真の人間になって以降ですら、安全確保と創造性を求める欲求は、しばしば対立し合ってきた。
 我々は自由を欲するが、自由を恐れもする。なぜならば、自由とは、責任と安全不在を意味しているからだ。
 従って、人間は権威や閉ざされたシステムに従順になって、自由の重みから逃亡する。
 これは、生まれつきの性癖だ。破壊的なもので、孤立から自己諦念への、偽りの逃亡だけれども。
 逃亡のもう一つの形態は、憎悪だ。人間はそれで、盲目的破壊によって自分の孤立を克服しようとする。//
 (7)フロムは、このような諸観点に立って、フロイトとは異なって心理のタイプまたは志向性を区別する。社会的条件や家族関係の用語でもって説明し、たんにリビドーの寄与分によってではない点で、フロイトと異なる。さらには、フロムはフロイトと違って、明瞭に善か悪かを分類する。
 性格が形成されるのは、幼児の時期からで、その子どもの環境およびその子が出くわす制裁と褒賞のシステムによってだ。
 「受容(receptive)」型の特徴は、応諾、楽観および受動的な博愛心だ。
 この性格の人々は、適応力があるが、創造力に欠けている。
 「利用(exploitative)」型は、これと反対に、攻撃的で嫉妬深く、他者をたんに自分の利得のための源泉として扱う傾向がある。
 「蓄積(hoarding))型は、積極的攻撃心はより小さく、敵対的猜疑心はより大きい。
  この性格の人々は、吝嗇で、自己中心的で、不毛な潔癖さに傾きがちだ。
 もう一つの非生産的な型は「市場(marketing)」志向で、支配的な様式や習俗に適合することで満足を得る。
 他方で、創造的(creative)な性格は、攻撃的でも適合的でもなく、自発性のある親切心と順応主義ではない方法でもって、他者との接触を追求する。
 この性格は全ての最良部分を集めたものだ。その非順応性は攻撃性へと退廃化することはないし、その協力を願う気持ちや愛への包容力は受動的な適応性に落ち込むこともない。
 これらの異なる諸性格は、従前にフロイト主義者、とくにAbraham が作成した分類に対応している。しかし、それらの原因に関するフロムの説明は、幼児期の継続的な性的固着性(fixation)ではなく、家庭環境と社会で通用力をもつ諸価値が果たす役割を強調する。//
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 ②へとつづく。

2011/L・コワコフスキ著第三巻第10章第2節②。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第2節・批判理論の諸原理(principles)②。
 (7)分かるだろうように、「批判理論」の主要な原理はルカチ(Lukács)のマルクス主義だ。但し、プロレタリアートがない。
 この相違は、この理論をより柔軟でかつ教条的でないものにしているが、それを曖昧でかつ一貫していないものにもしている。
 ルカチは、理論をプロレタリアートの階級意識と同一視し、ついでそれを共産党の知見と同一視することによって、彼の真実に関する規準を明確に定めた。すなわち、社会を観察する際には、真理は自然科学にも有効な一般的科学の規準を適用すること以上に進んではならず、その発生源でもって明らかにされるものだ。
 共産党が誤謬に陥ることは、あり得ない。
 このような発生起源論は少なくとも、真理が一貫しており完全に明確だ、という長所をもつ。
 しかし、発生論的規準がどのようにして理論の知的自立性と結合されるのか、どこからその正しさを統御する規則が生じてくるのか、を批判理論から知ることはできない。なぜなら、批判理論は「実証主義」的規準を拒み、かつプロレタリアートとの自己一体視も拒否しているからだ。
 一方では、Horkheimer は、思考するのは人間であってエゴ(自我)や理性ではないというフォイエルバハ(Feurebach)の言明を繰り返す(「現在の哲学での合理性論争」1934年で)。
 そうすることで彼は、科学的手続に関する規準と科学で用いられる蓄積された観念はいずれも歴史の創造物であって実際的な必要性の所産だ、そして知識の内容はその発生起源と分離することができない-換言すれば、先験論的主体は存在しない-、ということを強調する。
 これにもとづけば、理論は「社会進歩」のためにあるならば「善」だまたは正しい、あるいは、知的な価値はその社会的機能によって明らかになる、ということになりそうに見える。
 他方で、しかし、この理論は現実<に対する>自立性を維持するものと想定されている。
 その理論の内容は、現存するある運動との何らかの一体視に由来するものであってはならず、社会階級は言うまでもなく、人間という種の観点からすらしても、実用主義的(pragmatistic)であってはならない。
 ゆえに、どのような意味で「真実だ」と主張しているのかは、明瞭ではない。現実をそのままに叙述するがゆえになのか、あるいは「人間の解放のために奉仕する」がゆえにか?
 Horkheimer が提示する最も明確な回答は、おそらく、つぎの文章のようなものだろう。
 「しかし、開かれた弁証法は真実の痕跡を失うことがない。
 人が自分の思考、あるいは他人の思考に限界や一方性のあることに気づくことは、知的な過程の重要な側面だ。
 ヘーゲルも唯物論者の彼の継承者も、批判的で相対主義的接近方法は知識の一部だということを正しく強調した。
 しかし、自分自身の確信は確かだとか肯定できるとか考えるためには、観念と客体の統合が達成された、あるいは思考は終点に到達することができる、と想定する必要はない。
 観察と推論、方法論的検討や歴史的出来事、全ての作業と政治的闘争、こうしたものから得られる結果は、我々が用いることのできる認識手法に耐えることができるならば〔この句のドイツ語原語は省略-試訳者〕、真実だ。」
 (「真実の問題について」同上、第一巻p.246.)
 この説明には不明瞭なところがない、というわけでは全くない。
 社会環境がどのようなものであれ、批判理論は最終的には経験的な正当性証明の規準に従うものであり、それに従ってその真偽が判断される、ということをかりに意味しているとすれば、認識論的には、この理論が「伝統的」と非難する諸理論と何ら異ならない。
 しかしながら、かりに何かそれ以上のことを、すなわち理論が真実であるためには経験上の吟味に耐え、かつ同様に「社会的に進歩的」でなければならない、ということを意味しているのだとすれば、Horkheimer は、二つの規準が衝突している場合にはどうすべきかを我々に語ることができない。
 彼はたんに、「前(supra)歴史的」なものではない真実や知識の社会的条件、あるいは観念とその客体の間の「社会的媒介項」と彼が称するもの、に関する一般論を繰り返しているにすぎない。 
 Horkheimer は、この理論は「静態的」でない、主体と客体のいずれも絶対化しない、等々と請け負う。
 全く明らかなのは、「批判理論」はルカチの党教条主義を拒み、正当性証明に関する経験的規準を承認することも一方では拒んで、理論としてのその地位を主張しようとしていることだ。
 言い換えると、批判理論は、それ自体の曖昧さのおかげで存立している。//
 (8)このように理解される批判理論は、明確なユートピアを構成することはない。
 Horkheimer の予言は、ありふれた一般論に限定されている。すなわち、普遍的な幸福と自由、自分の主人となる人間、利潤と搾取の廃棄、等々。
 「全てのもの」は変化しなければならない、社会改良ではなく社会変革の問題だ、と語るが、どのようにしてこれを行うのか、あるいは何が実際に生じるのだろうか、については語らない。
 プロレタリアートはもはや歴史の無謬の主体とは位置づけられない。その解放は依然として、この理論の目標であるけれども。
 しかしながら、この理論は一般的解放のための有効な梃子だと自らを主張しないがゆえに、思考の高次の様式であって人類の解放に寄与するだろうという確信だけを除いて、明瞭に残されているものは何もない。//
 (9)社会の選好と関心に関してHorkheimer が述べていることは、社会に関する多様な理論が用いる観念上の諸装置にすでに含まれていた。そして、確かに本当のことだが、彼の時代ですら新しくはなかった。
 しかし、社会科学は異なる利益と価値を反映する、ということは、Horkheimer がそう(ルカチ、コルシュおよびマルクスに従って)考えたと思われるように、経験的判断と評価的判断の相違は超越された(transcended)ということを意味していない。
 (10)「批判理論」は、このような意味で、プロレタリアートとの自己一体視を受け入れることなくして、真実に関する階級または党の規準を承認することなくして、マルクス主義を保持しようという一貫した試みだった。また、このようにマルクス主義を縮減すれば生じる困難さを、解消しようともしなかった。
 批判理論はマルクス主義の部分的な形態であり、それが無視したものを補充することがなかった。//
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 第2節おわり。次節・第3節の表題は、<否定弁証法>。

1653/弁証法ノート②-L・コワコフスキ著17章9節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。  
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治〔最終回〕。
 前回のつづき。第9節(最終節)。
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 第9節・レーニンの弁証法ノート②(完)。 
 党の哲学論者たちは<唯物論と経験批判論>を使って、観念論と疑われる全ての教理と闘った。一方で、マルクス主義と機械論(mechanicism)の違いを強調するために、とくに1930代のブハーリン(Bukharin)とその支持者たちに反対する運動で、<哲学ノート>を引用した。
 この二つの文献の文章はともかくも相互の一貫性がないということを認めるのに、もちろん何の疑問もない。
 のちに、ソヴィエト同盟での弁証法的唯物論の教育がスターリンの設定した図式から離れたとき、<ノート>は新しい基盤として用いられ、16の『要素』は、スターリンの『弁証法の四つの主要な特質』に取って代わった。 
 しかしながら、<唯物論と経験批判論>はさらにレーニン主義の哲学上の基礎、スターリンによってそう授与された地位をもつもの、として復活した。
 そのことは、つぎのような嘆かわしい(deplorable)結果を生じさせた。すなわち、全ての自立した哲学的思想を窒息させる口実を用意し、全ての分野での科学と文化を支配する党の独裁を確立する、という。//
 ヴァレンチノフ(Valentinov)やその他の者が指摘したように、レーニンが唯物論を防衛したその極度の執拗さは、マルクス主義にのみ基礎があるのではなく、ロシア唯物論の伝統に、とくに、フォイエルバハ(Feuerbach)を大衆化した哲学の、チェルニュイシェフスキー(Chernyshevsky)に根ざしていた。
 こうした思想系統に対する論評は、1950年代のソヴィエト同盟でもなされた。しかし、レーニン主義は特殊にロシアの哲学で、誤謬のない、普遍的で有効なマルクス主義を継承たものではない、ということを示唆するものだと、非難された。//
 ロシアの淵源への影響の問題を別にして言えば、つぎのことは明白だ。すなわち、レーニンの哲学は彼の政治上の綱領および革命党の考えと緊密に結び付いており、彼自身がそのことを十分に意識していた、ということだ。
 全ての理論上の問題が権力闘争に厳格に従属している職業家の党は、哲学上の多元主義を安全には是認することができなかった。
 党自身の成功のために、党は明確に定義された教理を、あるいは構成員を拘束する、克服され得ない(inexpugnable)一体のドグマ(教義)を、所有していなければならなかった。   
 党の紀律と団結は、理論問題での弛み、曖昧さあるいは多元主義といったいかなる危険も排除されることを要求した。
 支配するイデオロギーが厳格に唯物論でなければならないことは、マルクス主義者の伝統によって保障され、革命に対する障碍物になるあらゆる形態での宗教的思想と闘うために必要とされた。もちろん、存在論的(ontologically)に中立な哲学を避けるためにも。
 レーニンは、身内であれ敵であれ、言葉上ですら宗教との妥協を示すいかなる傾向をも厳しく批判した。あるいは、間違って定式化されているまたは解決できないという理由で、存在論上の問題という脇道へと逸れる傾向も。
 レーニンは、マルクス主義は哲学上の全ての大きな問題に対する既製(ready-made)の解答だと信じ、何の疑いもないものとして受け入れた。
 哲学上の問題を棚上げするいかなる試みにも、党のイデオロギーの一体性に対する危険があった。 
 かくして、レーニンの粗雑な、妥協を許さない唯物論は、特殊な伝統の結果というだけではなくて、彼の行動技法の一部だった。
 党は、全てのイデオロギー問題を決定する唯一つの権限を有していなければならない。そして、レーニンは、この見地から、観念論が彼の綱領に対して示す危険性を十分に理解した。
 文化生活の全ての局面を抱え込む全体主義的(totaritarian)権力という考えは、彼の意識の中で少しずつ形を作り始め、ときおり実践へと用いられた。
 レーニンの哲学はこの考えによく役立つもので、問題の探求や解決に関係しないで、社会主義運動に教条的(dogmatic)な精神上の体制を押しつけることに関わっていた。 
 このようにして、レーニンの哲学的攻撃の憤怒や他者の議論への関心の欠如は、その源泉を、彼の哲学上の教理(doctrine)に持っていた。//
 しかしながら、レーニン主義者にとってすら、<唯物論と経験批判論>は、二つの重要な点で曖昧なものだった。
 既述のことだが、第一に、エンゲルスやプレハノフとは違って、レーニンは、『客観性』、すなわち主体に依存しないことが物質の唯一の属性だ、唯物論者がその者であればこれを是認せざるを得ない、と考えた。
 このように述べることは明らかに、マルクス主義はいかなる科学理論の変化にも、とくにいかなる物理学のそれに、依存しないことを意図していた。  
 『物質』は自然科学が授けたり奪ったりするいかなる属性にも影響を受けることがないので、科学は唯物論に対して何の危険も提示しない、とされた。
 しかし、このような結論は、『物質』を全ての内容から空虚にすることによって得られる。
 かりに物質が知覚する主体以外の何かであるとだけ単純に定義されるのだとすれば、このことは、知覚(perception)の内容と異なると見なされる『実体(substance)』の全てについて、同じく言えることが明確だ。
 『物質』はたんに、『全てのもの』の言い換え語になる。我々が一般的に『物質性』とともに連想する、いかなる種類の属性-空間上の、時間上の、あるいは活動上の-も、意味するものがなくなる。
 第二に、このような定義は、排除することを目的としている曖昧な二元論を、再び受容するものだ。
 主体の『外側』にある全てのものが物質的(material)であれば、主体それ自身であるいずれのものも物質的ではないか、主観的な(主体上の)現象と妥協するために物質の定義を拡張しなければならない、ということになる。  
 『物質が始源的で精神は二次的だ』という定式は、精神と物質は異なるものだということを前提命題にしていると思える。かくして、唯物論的一元論と矛盾している。
 レーニンの著作はこうした問題に解答していないか、または一貫して議論してはいない。そして、つぎのことをもっと正確に吟味するのを試みたい論点はない。
 すなわち、レーニンのテクストの不明瞭さ(難解さ)は、本来的な哲学上の困難さによるというよりむしろ、彼の怠惰で上辺だけの(表面的な)接近方法、権力闘争に直接に用いるために設定することができない全ての問題に対する侮蔑(contempt)、による。//
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 第9節、終わり。そして、第17章、終わり。
 第18章およびその第1節の表題は、それぞれ、「レーニン主義の運命(fortunes)-国家の理論から国家のイデオロギーへ」、「ボルシェヴィキと戦争」。

ギャラリー
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