秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ファシズム

1062/「独裁」批判と「大笑い」大阪・自民党。

 〇大阪の選挙で、「政治手法」とやらが争点の一つになっているらしい。もっと正確に書けば、「独裁(的)」か否かだ。
 11/13夕方の産経ニュースでも大阪市長選について、「市役所組織の解体につながる『大阪都構想』や、平松氏が『独裁的だ』と批判する橋下氏の政治手法の是非などが主な争点」と記している。
 上では民主党・自民党・共産党の支持する平松某の主張として「独裁的」が出てくるが、産経新聞も含めて、引用のかたちではなく、「独裁(的)」という語を橋下徹に関して用いているように見える場合もある。
 教育に関してだが、産経新聞11/09の「『政治の関与』か『独裁』か」という大きな文字も、橋下が後者だとは断定していないが、そのような見方のあることを少なくとも強く伝えるものになっている。
 また、府知事選への倉田某(民主党・自民党支持)の出馬表明を報道する産経新聞の10/27の記事の最も大きな文字の見出しは「『橋下氏は恐怖政治』」となっている。これは倉田某の発言の引用で、産経自体の見方を示しているのではない。だが、最大の見出しにする必要があるのか、という疑問がまず湧く。
 それに本文を読むと、倉田某はこう発言していることになっている。
 「橋下氏の府政運営については『恐怖政治』と厳しく断じたが、『やんちゃだが、大好きだ。純粋さ、スピード感はいい』とも」。
 これが倉田某の発言紹介の大部分なのだが、この発言をとらえて、「『橋下氏は恐怖政治』」という大きな見出しを打つのは、乱暴で、公正さを欠いている

 また、産経新聞10/22の橋下「知事辞職へ」の記事の最大のヨコ見出しは「破天荒な橋下府政」であり、「知事辞職へ」よりも大きなフォントを使った見出しに、「過激発言、都構想…借金6兆円」もある。

 ついでに、産経10/25の「ハシズムを斬る」集会の記事は、これを「…市民集会」と称しつつ、中島岳志・雨宮処凜・寺脇研の主張(橋下批判)を紹介するだけだ。
 産経(の少なくとも大阪の編集者)は、橋下徹には好意的ではないようだ。
 産経ですらこうなのだから、あとの新聞の論調(あるいは誘導方向?)はほとんど明らかだ(いちいち確認していないが)。

 このような産経新聞の論調が、大阪の自民党が橋下徹の対立候補を支持していることと関係があるとすれば、産経(大阪)もまた、まともな感覚をもってはいない。ますますもって「大政翼賛会」的、あるいは<左翼ファシズム>的になっている。
 〇その「独裁(的)」だが、橋下がつぎのような旨を言ったのはそのとおりだ。何度もテレビ報道がなされている。
 <政治で一番重要なのは独裁です。
 とくにこの部分を捉えて、橋下の「独裁」(的)政治手法批判に結びつけている者たちやメディアもあるのかもしれない。
 だが、一度だけ、テレビで見た(聞いた)が、上の部分にすぐ続けて、橋下徹は次のような旨を言ったのだった。
 <独裁と言われるような(ほどの)、強いリーダーシップが必要なのです。>

 かりに上半分のみを捉えて「独裁(的)」か否かが争点だとしているのだとすると、マスメディアや反橋下の人々は、じつは「強いリーダーシップ」が必要か否かが争点だとしていることになり、または「強いリーダーシップ」に反対していることになることを知らなければならない。
 マスコミ、とりわけテレビとは怖ろしいものだ。ほとんどの場合、橋下自身は「強いリーダーシップ」に少なくとも近い意味で用いている「独裁」を、後者の言葉を使った部分のみを(後続部分をカットして)放映してきたのだ(最近は減っているかもしれない)。
 橋下がおそらくはこの点について、マスコミの報道ぶりに反発しているらしいのもよく分かる。
 〇大阪の自民党の愚劣さ(「バカ}・「アホ」ぶり)については、すでに書いた。
 とくに大阪市長選について、その愚劣な選択はさらに際立つことになった。日本共産党が独自候補を(予定変更して)立てず、民主党・自民党とともに平松某を支持することに決めたからだ。
 11/07か11/08の夕方のテレビで途中から、府・市の有力?候補5人がナマ出演して討論しているのを視聴したが(府知事3名、市長2名)、その中で、日本共産党の府知事候補某は、市長選での平松某支持について<反ファシズム(反ファッショ)統一戦線ですよ>と言い放った。
 平松某を積極的に支持してきたわけではないが、「ファシスト」橋下徹の当選を阻止することを優先して、自党候補を立てず、平松某を応援する、というのだ。
 コミンテルンは社会民主主義者を「社会ファシスト」とか呼んで批判してきたところ、それを改めて、社民主義者とも<統一戦線>を組んでドイツ・ナチスと対抗しようとした。主唱者は、ディミトロフだった。
 中国における<国共合作>もこれと同じまたは類似の戦略だったが、それはともあれ、日本共産党は橋下陣営と橋下徹をファシズム・ファシストと見なし、これを敗北させることを最優先課題と位置づけたわけだ。
 橋下陣営・橋下徹についての「ファシスト」という性格づけはそもそも問題で、厳密には十分に検討する余地がある。「強いリーダーシップ」の必要を訴えて、あるいは教育行政への「政治(首長)関与」の増大を訴えて「ファシスト」と呼ばれたのでは、たまらないだろう。だが、「ハシズム」という造語に見られるように、反橋下陣営は「ファシズム(・ファシスト)」という語を自分たちに有利に使おうとしている。
 旧東ドイツの政権党(実質的に共産党)が「社会主義統一党」(SED)という名称だったのは、元来の共産党と社民党の合同・統一政党だったからに他ならない。
 そのような、もともと「左翼」の戦略としての「統一戦線」に、今日の日本の大阪では、「保守」または「自由主義」政党のはずの自民党(自由民主党)までが入っている。
 これはもはや「お笑い」・「大笑い」としか言いようがない。
 大阪の自民党は共産党とともに、元来は民主党推薦だった現職候補を支持する、というのだ。
 大阪の自民党諸氏は恥ずかしくないのだろうか。奇妙だとは感じないのだろうか。
 京都や大阪では(東京等とともに)共産党の力が強く、1970年代途中まで社共連合の(社共統一候補による)「革新」知事が続いた。社会党の離反によりそれは消滅したのだったが、代わりに生じたのは(きちんと確認しないで書くが)<非共産>連合による府知事だったように思われる。つまり、自民党と旧社会党は、非共産という点で一致し、ともに与党であり続けてきたわけだ。
 それは国政と全く同じではないが、一種の<55年体制>であっただろう。自民党と旧社会党がそれなりにうまく<棲み分けて>きたのだ。
 今回の<反維新>・反橋下の自民党の行動も、そのような意識を引きずっているように見える。
 つまり、民主党系・公明党とうまく<棲み分けて>市議会や府議会を構成して、その「既得権」を守りたいにもかかわらず、橋下徹らの「維新の会」が誕生し、その地域政党が自分たちの「既得権」を侵そうとしていることに、自民党の市議たちは我慢ができない、ということなのではないか。
 そこでは、もはや<反共>政党という理念などは忘れ去られている。国政の小選挙区とは異なり複数の定数をもつ地方議会選挙において、自分たちが他党と<うまく棲み分けて>当選してしていきたいのに、それを邪魔するのが橋下徹・「維新の会」だと感じているのではないか。
 政策論もあるかもしれないが、むしろ自民党(大阪)が優先したのは市議会・府議会議員の「保身」だと思える。
 今からでも遅くはない。<共産党と同じ候補を支持するわけにはいかない>という勇気ある、そしてまっとうな声は、大阪の(とくに大阪市の)自民党内からは出てこないのか。
 〇最近に書いた、<赤(コミュニズム)か自由か>、および反・反共=「反ファシズム」という表現については、補足しておきたいこともあるので、別の機会に書く。

1031/片山杜秀「ヒトラーの命がけの遊び」新潮45/8月号と菅直人。

 産経新聞7/24の稲垣真澄「論壇時評」は、新潮45の2011年8月号の、片山杜秀「国の死に方2/ヒトラーの命がけの遊び」にほとんどを費やして注目し.要約的な紹介もしている。
 この書評記事を読む前に上記の片山杜秀の新潮45論考を読んで感心していたので、あらためて印象に残った。
 稲垣真澄の文章から離れて(それに依拠しないで)片山の文章の一部を紹介してみるが、菅直人・菅内閣という言葉はどこにもないにもかかわらず、つまりヒトラーに関する文章であるにもかかわらず、菅直人・菅内閣を強く想起させるものになっている。以下、一部の要約的紹介。
 ・ナチス時代のドイツは無統制的で責任の所在不明確で役割分担が曖昧だった。平時にも非常時にも徹しきれず、中途半端。ヒトラーは何か失敗したのか。いや、すべてが計算づくだった。「ヒトラーは意図的に国家を麻痺させていった」。ハンナ・アレントはこれを(のちに)「無秩序の計画的創出」と呼んだ(p.83-84)。
 ・なぜそんなことをしたのか。「ヒトラーは一日でも長くドイツ国家の頂点に居座りたかっただけ」だ。しかも、自らの権力を単なる調整ではない実のあるものにしておきたかった。それには、「ワイマール共和国の作り上げたいかにも近代国家らしい複雑精緻で能率的な機構」が邪魔だった。政治・経済・文化・科学の専門組織がきちんと機能すれば、各分野の専門家が実権を握る=「官僚等が幅を利かせる」。独裁者・権力者も調整役に甘んじ、専門家たちを統制できず、権力の上層は空洞化する(p.84)。
 ・いやならば専門組織を機能させなければよいが、「いきなり壊しては国家が即死する」だけなので、近代国家の「精密なメカニズムを怪奇なポンコツへとわざとゆっくり時間をかけて」変貌させる。党と政府の組織をすべて「二重化」し、党と政府の中に「似た役割の機関を増殖させる」(p.84)。
 ・その果ては「国家の死」だが、ヒトラーにはそれでよかったのだろう。彼は中下層の実務家に降りていた権力を上へと回収し、裁量権を拡大した。「法律の裏付けも実現可能な根拠もない思いつきの命令」を「唐突に」発しても、組織が多すぎて批判すべき部署が分からなくなり、「権力の暴走」を止められなくなった(p.84)。
 ・ここに「ヒトラーの政治の肝腎かなめ」がある。古代ローマの「一時的独裁」とはまるで異なる「ファシズム」なのだ。軍国主義・戦争を連想するように、平時にはファシズムは成立し難い。しかし、非常時は戦争に限らず、軍隊が登場しなくてもよい。「経済危機でも大災害でも電力不足」でもヒトラーの掲げた「共産主義の恐怖」でも何でもよい。そうした「非常事態に対処するためと称して、社会の見通しを悪くし、人々から合理的な判断の基盤を失わせ、世の中が刹那的な気分で運ばれてゆく」ようになれば、もう「立派なファシズム」だ(p.85)。
 ・ヒトラーは「命がけの遊び」を続けた。「日々に新しい組織を仕立て、次々と非常事態的新事態を引き起こした」。何が根本的問題でどう解決すべきなのか、彼はナチス党員にも国民にもゆっくり考える暇を与えなかった。そして、「目先の混乱状況をエスカレートさせては、それだけでいつも人々の頭を一杯にさせた。そうやって一日一日と綱渡りで延命した」(p.85)。
 以上、どう考えても、どう読んでも、菅直人(・民主党内閣)が念頭に置かれていないはずはない文章だ。
 例えば、大災害・原発不安等々の「非常事態に対処するためと称して、社会の見通しを悪くし、人々から合理的な判断の基盤を失わせ」ているのは菅直人そのものであり、ほとんどのマスメディアも本質的なことは報道しないで、ヒトラー、いや菅直人のお先棒を担いでいるだけではないのだろうか。
 思えば、ナチス党の正式名称は「国家(民族)社会主義労働者党」なのだった。ナチスあるいはファシズム=「右翼」と多くの人々は理解している(感じている)のかもしれないが、「社会主義」・「労働者」を冠した、立派な<左翼>政党だったとも言える。
 もともとハイエクやハンナ・アレントが指摘したように、あるいは旧民社党が「左右両極の全体主義を排し…」などと言っていたように、コミュニズム(共産主義)とナチズムは「全体主義」という点で共通性がある。
 「左翼」・菅直人がヒトラーによる「ファシズム」的政治・行政手法を採っていても、何の不思議もない。

0760/実教出版の高校教科書・世界史B(2007、鶴見尚弘・遅塚忠躬)を一読。

 実教出版高校/世界史Bの教科書(2006.03検定済み、2007.01発行)。執筆・編修代表者(表紙掲記者)は鶴見尚弘遅塚忠躬
 ・「フランス革命の意義」をこう書く(p.238-9)。
 「旧体制を打倒」して「資本主義に適合した社会をもたらしたという意味で」、「市民革命(ブルジョワ革命)の代表的なもの」だった。イギリスとは異なり「広範な民衆や農民が積極的に革命に参加」したので「自由の実現」だけでなく「社会的な不平等」の是正の努力がなされた。「そのような意味で、…民主主義をめざす革命」で、「民主主義」理念は19世紀以降の「革命運動」に大きな影響を与えた。「しかし…深刻な問題もあった」。「反対派を暴力で排除しようとする恐怖政治がうまれた」からだ。同じ状況は「20世紀のロシア革命でくりかえされる」。(以下の6行分省略)
 基本的には「市民革命」と位置づける従来型と変わらない。「社会的な不平等」の是正を目指したという意味で「民主主義をめざす革命」だった、という叙述は、「平等(主義)」と「民主主義」の関係がよく分からない。あるいは、「民主主義」をいかなる意味で用いているのかがよく分からない。
 但し、「恐怖政治」という「深刻な問題」があったこと、それがロシア革命で繰り返されたこと、をきちんと書いている点は積極的に評価できるだろう。
 執筆・編修者に私の知るようなマルクス主義者はいないことも、上のような叙述につながっているのかもしれない。但し、この教科書に限らないと推測されるが、マルクス主義や社会主義国「ソ連」等に対する批判がやはり弱いままだし、日本にとっての<自虐的>な叙述もなお多く残ったままだ。
 ・マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」、前者の「資本論」は、「労働運動と社会主義」の項の中で、「後世に大きな影響を与えた」ものとして記述される(p.253)。
 肯定的評価をしているように読めるし、少なくとも後世にとっての<悪い>大きな影響だった可能性を考慮していないかの如き書きぶりだ。
 ・「現代の文化」、多くの潮流のある「20世紀の思想」等として明記されるのは、つぎの4つ(p.391)。①「レーニンらが発展させたマルクス主義」、②「ベルクソンに代表される生の哲学」、③「サルトルらの実存主義」 、④「フロイトの精神分析学」。
 ・ソ連解体と東欧諸国の変化に当然に触れてはいるが、その原因らしきものとして書かれるのは、「社会主義体制下での政治的自由の欠如、経済の停滞」のみ(p.375-6)。
 これでは「世界史」は理解できないだろう。一方ではマルクスらの著や「レーニンらが発展させたマルクス主義」を肯定的に叙述しているが、これらの<誤り>こそが<ソ連解体>等の基本的原因ではないのか?。
 ・「全体主義」との概念はいっさい用いられていない。ドイツ・ナチスとイタリア・ファシスト党が「ファシズム」の担い手として語られている(p.334。日本は?)。
 ・「日本軍」による1937年の「市内外での多数の捕虜・民衆など」の「虐殺」を「南京大虐殺事件」と表現して、事実として書いている。注記では「女性・子どもを含む非戦闘員や武器を捨てた兵士も虐殺…。犠牲者は20万人以上といわれるが…他の説もある。中国ではその数は30万人以上としている」と記述(p.338)。
 これでは、被「虐殺」者数が20~30万人と読まれてしまうだろう。
 ・「日本の植民地支配」につき、朝鮮で「徹底した日本への同化政策をおしすすめた」とし、「台湾でも同様の政策を強行した」とする(p.344)。
 また、「日本は、太平洋戦争遂行のために植民地・被占領地の人的、物的資源を収奪した」との一文のあと、「70万人に及ぶ朝鮮人が強制的に…連行され」、少なくない人が「従軍慰安婦として戦場に送られた…」等と書く(p.344)。受動態になっていて隠されているが、主体は「日本」(国家)としか読めない。
 さらに、日本軍は中国で「三光政策」を採ったと書く(p.345)。
 朝鮮や台湾はかつて日本の「一部」であり、そうなったことは合法的という意味でも(非難されるいわれのない)正当なものだった。そうした地域について、なぜ「収奪した」などという表現が使えるのだろうか。
 こうした、日本や日本軍に関する叙述は、この教科書が突出して「左翼的」あるいは「自虐的」だからではないだろう。おそらくはほとんどの教科書が同様なのだろう。ここにむしろ、恐ろしさがある。
 こんな教科書を読んでいると<反日・自虐>は、当然の<マナーとしての心情>になってしまうに違いない。
 じわじわと形成されているのが感じられる<左翼全体主義>は、こうした教科書による学校教育によるところも大きいと考えられる。
 NHKの濱崎憲一らもこうした教科書を学んだのだろう。また、自民党の国会議員の中でも(相対的に若手の)相当数の者が、学校教育の結果として、こうした<反日・自虐>「史観」に嵌っていると思われる。推測だが、石原伸晃山本一太片山さつき佐藤ゆかりも。稲田朋美は異なると思われるが。

0737/自由社・日本人の歴史教科書(2009)を一瞥-「市民革命」・「全体主義」。

 藤岡信勝編集代表・日本人の歴史教科書(自由社、2009.05)に収録されている最新版<新しい歴史教科書>(中学校用)の近現代部分を概読して、とりあえず印象に残ったことが二つあった。
 一つは、「市民革命」に関する叙述が、従来のもの、つまり私が学習した頃と何ら異ならないようであることだ。
 上の教科書では、17世紀後半から約100年間に欧州政治に新しい動きが起こったとし、イギリス、アメリカ、フランスについて述べたあとこう書く。「これら国々の政治の動きは、王や貴族の政治独占を認めず、人々が平等な市民(国民)として活動する社会をめざし、近代国家を生み出したので、市民革命とよばれている」(p.130、太字はママ。執筆者不明)。
 ここには「フランス革命」は「革命」ではなく支配層の中での権力の移動だった等々の<修正主義>の影響はない。のちのロシア革命(暴力革命)と共産党独裁につながるような「フランス革命」の一時期の<怖さ>、「フランス革命」の<影>の部分への言及又は示唆もない(のちのロシア革命についてはある)。
 アメリカの独立と合邦との間の理念の違いへの言及もなく、アメリカ「革命」とフランス「革命」が異なる性質のものだったとの言及・示唆もない。
 「市民革命」の「市民」の意味の詳しい説明はない。また、上の三国にのみ「市民革命」は起こったのか(そうだとすれば何故か)、他の国々も「市民革命」はあったのか=普遍的なのか(そうだとすれば、例えばドイツ・イタリア・日本はいつが「市民革命」だったのか)、といった疑問に答えてくれるところはなさそうだ。
 中学生用の簡潔な叙述なので、やむをえない、と言えるのだろうか。少なくとも、イギリス、アメリカ、フランスを例として「市民革命」を語るのは、何ら「新しい」ものではなく、かつ従来のマルクス主義的歴史学による理解・叙述と何ら矛盾していない。
 もう一つは、欧州で生まれた二つの政治思想が1920~30年代に台頭して世界に広まったとし、その二つとして①「共産主義」と②「ファシズム」を挙げて、「どちらも全体主義の一種」だと明記していることだ。その部分の項の見出しは「二つの全体主義」で、左欄には「20世紀の歴史を動かした共産主義とファシズムにはどのような特徴と共通点があったのだろうか」という文章もある(p.192)。
 このように①「共産主義」と②「ファシズム」が同種のものとして明記されていることに、よい意味で驚いた。かかる理解は、必ずしも日本人の「通念」になっているとは思えないからだ。
 かつて民社党は左翼全体主義(=共産主義)・右翼全体主義(=ファシズム)という言い方をしていたと思われる。だが、日本の戦後「思想」界・「歴史学」界等々で、かかる理解は少数派ではなかったかと思われる。
 外国では、ハイエクやハンナ・アレントなど、「共産主義」と「ファシズム(とくにナチズム)」を同列のものと扱う傾向が日本におけるよりも強かっただろう。
 日本では、例えば丸山真男は(あるいは「戦後民主主義」者のほとんど全てが)「民主主義」と「ファシズム(・日本軍国主義)」を対置させたが、その際、「民主主義」の中に、「人民民主主義」という言葉が今でも残るように、「民主主義」の徹底した形態又は発展形態としての「社会主義(・共産主義)」を含めていたように解される。
 そのような日本の戦後<進歩的文化人>にとって、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」が「どちらも全体主義の一種」などという理解は耐えられるものではなく、「全体主義」という語を使うとしても、「ファシズム(・日本軍国主義)」のみを意味させたものと思われる。
 そして、彼らにとっては、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」は両極にあって対立しているものであった。後者の<復活の阻止>こそが最大目標だった(そして「民主主義」の擁護・徹底による日本の「社会主義(・共産主義)」化こそが<隠された>目標だった)のだ。
 丸山真男に対して、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」のどちらを選ぶかという<究極の>選択を要求すれば、丸山真男は間違いなく後者ではなく前者を選んだと思われる。丸山には、「社会主義(・共産主義)」も「ファシズム(・日本軍国主義)」も<同じ全体主義>などという考えは、露も浮かばなかったのではないか。
 「民主主義」対「ファシズム(・日本軍国主義)」というあの戦争の把握の仕方はアメリカ・GHQのものであり、丸山真男および戦後<進歩的文化人>は占領期当初のアメリカ・GHQの「歴史認識」あるいは<パラダイム>に少なくとも客観的には<迎合>していたと考えられるが、この点は別の回でもあらためて触れる。
 ともあれ、「二つの全体主義」とかつて学習した記憶はなく、「新し」さを感じさせた。これで教科書検定を合格するのだから、決して悪い方向にばかり動いてはいない、という感もする。
 ところで、上掲書には教科書部分のほか、寛仁親王殿下のほかに、櫻井よしこ・加瀬英明・高山正之・黄文雄・西尾幹二・中西輝政・石平等々の15名の2頁ずつの文章を収載している。
 <新しい教科書をつくる会>分裂騒ぎに関する知識も大きな関心もないが、「自由社」版の他に産経新聞社グループの「扶桑社」の子会社「育鵬社」版の、殆んどか全くか同じの教科書も刊行されているらしい。
 上の15名の名前を見ていると、八木秀次、渡部昇一、岡崎久彦あたりの名前がないことに気づく。西尾幹二と八木秀次の間に確執があるのは知っているので、どうやら八木秀次らが「育鵬社」グループらしい(屋山太郎は?)。
 だが、15名の名前の連なりはなかなか重厚だ。いわゆる<保守派>というのがあるとすれば、八木秀次らのグループはその中の少数派なのではないか。そうだとすると、八木秀次と渡部昇一の二人への信頼度は私には相対的には上の15名の平均よりずっと低いので、悪い印象ではない。些末なことながら。

0723/カール・ポランニー「ファシズムの本質」等、佐伯啓思。

 〇 週刊エコノミスト5/5・12合併号(毎日新聞社)で、佐伯啓思がインタビューに答えて、同・大転換-脱成長社会へ(NTT出版)の要旨のようなことを述べている。最近に言及した読売新聞の記事より詳しい。
 全く余計だが、同誌同号の巻頭の斉藤貴男のコラムは東京都の五輪誘致活動につき石原都政が「切り捨てた福祉や教育、小児医療等」の予算を財源とする「許されざるカネ儲けの典型」と批判。さらに、石原慎太郎は「何かと言えば戦争だ戦争だと喚き立て、女性や在日外国人や障害者や、社会的弱者に罵詈雑言を浴びせては居直った」等とそれこそ<罵詈雑言>を浴びせている。九条2項護持派・「左翼」は石原慎太郎のやることはみんな憎いのだろう。毎日新聞は朝日新聞の亜流、第二朝日新聞なのかもしれないが、その発行する雑誌の巻頭には、もう少しはまともな神経の持ち主の、上品な文章を掲載してほしいものだ。
 〇 佐伯啓思・大転換(NTT出版)の書名が、カール・ポランニー(1886~1964)の『大転換』に倣っている又はヒントを得ていることは、佐伯も記している。
 その『大転換』ではなくカール・ポランニー・経済の文明史(ちくま学芸文庫、2003。初出単行本は1975)の訳者・平野健一郎「あとがき」によると、ポランニーは「社会主義者」だっともされるが大学卒業後にハンガリー急進党書記長を務めたほかは「非政治的」だった(p.416)。但し、ソ連のフシチョフに「人間的社会主義」を見い出して「平和共存」のための理論誌の創刊を複数の者とともに企図した(没後刊行)とされる(p.418)。『大転換』の刊行は在米中の1944年。
 上掲書の解説者・佐藤光「解説/ポランニー思想の今日的意義」によると、ポランニーは「社会主義者であった」ともされるが(p.432)、彼へのマルクスの影響は「元来限定的なもので」、『大転換』における資本主義批判は「マルクス主義的」というよりも「ユダヤ=キリスト教的」なものだった(p.434)。また、晩年の著作には、「人間的自由の全面的な実現を過激に求めて失敗したロシアのボルシェビズムをはじめとする思想や運動への、そして、それを支持したかつての自分自身への、苦い反省の思いが込められている」、という(p.440)。そして、上掲書所収の一論文は、「キリスト教にまで行き着く」、「西欧世界に伝統的な個人主義
」を基調として、ファシズムはそれを「踏みにじり」、「社会主義こそがその理想を…実現する」と強調するが、晩年にはそのような「個人主義的理想の事実上の放棄」を説くはずだった、しかし、「愚かさ」を自他に語りつつ「近代的個人主義の理想」は「理想」であり続けたのではないか、とされる(p.440-1)。
 単純ではないポランニーの「思想」が、ある程度は、何となく、わかるような気もする。
 〇 上の上掲書所収の一論文とは「ファシズムの本質」(1935)で、少なくともその一部には、興味深い叙述がある。以下は、翻訳を通じてだが、ポランニーの一部の文章のかなり思い切った(従って厳密さを欠く)要旨又は抜粋。
 ファシズムの「哲学大系」をウィーンのオトマール・シュパンはある程度は作りだしており、その体系の基礎には「反個人主義の観念」がある。「普遍主義」を採るシュパンによると、ボルシェヴィズム(共産主義)は「個人主義」の理念を政治から経済領域へと拡張したもので、マルクスは「完全に個人主義者」・「無政府主義的ユートピアニズムとさえいえるまでに、個人主義的」だ。「歴史的にみれば、民主主義と自由主義を経過して、個人主義はボルシェヴィズムへと到達する」(p.172-3)。
 エルンスト・クリークも、「社会主義」への諸力は「個人主義」的性格をもつとしつつ、一八世紀の個人主義と「社会主義に具現される」個人主義の二段階を語る。クリークによると、社会主義においては個人主義にかかる「重点の移動」が生じるだけだ。そして、「社会主義」は「民主主義」の中で用意されており、「個人主義にほかならない」(p.174-5)。
 ヒトラーも、「西欧民主主義はマルクス主義の先駆」
で、前者なくして後者はない、と言った。ローゼンベルクによっても、「民主主義運動もマルクス主義運動」も「個人の幸福」に立脚する(p.176)。
 ボルシェヴィズムは個人主義の封殺、「個性の終末」とするのがこれまでの社会主義(・共産主義)に対する批判の仕方だったが、ファシズムはかかる「単純な批判派」との連合を拒否し、「社会主義は個人主義を継ぐもの」、「個人主義の実質を保存しうる唯一の経済体制」だと主張して批判する(p.176)。
 「社会主義と資本主義」はいずれも「個人主義の共通の所産」だと非難して、ファシズムはこれら二つの「不倶戴天の敵の姿を装う」(p.179)。
 だが、「社会主義」が拠り所とする「個人主義」と、シュパンが実際に議論の対象とした「個人主義」は全く異なったものだ。そしてたまたま、彼のおかげで、「社会主義とキリスト教が共通にもつ個人主義の意味」が明晰になってくる(p.180)。
 シュパンが主観的には批判しようとするのは「社会主義の内容としての個人主義」で、これは「本質的にキリスト教的」だ。だが、彼が実際に批判しているのは「無神論的な個人主義」だ。「絶対者」との関係を前者は肯定し、後者は否定する。これらを混同すると「有効な」結論には達しない(p.181)。
 「キリスト教的個人主義」と「無神論的個人主義」はまったく反対だ。前者は「神」の存在のゆえに「個々の人格は無限の価値」をもつ、「人間みな同胞」という考え方で、「共同体」の外では「個人の人格」は現実化しない、とする。これ(キリスト教的個人主義)は<社会主義(・共産主義)>と親和的であるのに対して、ファシズムが闘っているのは「人間と社会に関するキリスト教の観念全体」で、「キリスト教とファシズムはまったく両立しない」(p.183-4)。
 以上の程度にしておく。
 ドイツ・ファシズム(ナチス)がまだ敗北していない(そしてソ連「社会主義」は現存した)時代の論文だけに、理解し難い面もある。
 だが、骨格だけを抜き出せば、①ファシズム(ファシスト)は、より一般的な批判の仕方とは違って、「社会主義」は「個人主義」の発展型だと批判する、②たしかに「社会主義」は「個人主義」と親和的だ。③しかし、その場合の「個人主義」は「キリスト教的個人主義」であって、その反対の、ファシズムに親和的な「無神論的個人主義」ではない、ということになろう。
 上記の解説等によるとポランニーは親社会主義的で、ここではファシズムによる批判から社会主義(「ボルシェヴィズム」)を守ろうとしているようだ。その際の決め手は「キリスト教的個人主義」であり、ファシズムはこれに敵対的だとみている。
 さてさて、種々の議論があったものだと、人間の知的営為の蓄積にあらためて感心する。
 そして、まだソ連「社会主義」の実態が明らかになっていない段階で、反資本主義意識のあったポランニーはその「理想」を「社会主義」に求めたかにも見える。だが実際の「社会主義」はキリスト教を含む「宗教」に対して苛酷な態度をとり、かつ実質的には「個人主義」あるいは「個人の尊重」の理念を無視するものだったのではないか。
 また、ファシズムの側が、「近代」への幻滅・批判を前提としてだが、「社会主義」を「近代」個人主義・民主主義を継承するものとして捉えた(そして批判した)という点も、マルクスやレーニンによるルソーやロベスピエールへの肯定的評価を併せ
観ると、一面では的確な見方をしていると考えられ(じつはさらに奥底ではルソー・ロベスピエールの「全体主義」性を継承し発展させたのが「社会主義」だと捉えていたとも理解できる)、この点も興味深いところがある。ポランニー自身も、この1935年の論文では、「社会主義」は近代の「(キリスト教的)個人主義」を継承するものと見ていたのだ。
 「キリスト教」が理解できていないと、欧米の、こうした(社会・政治・経済の)文献は理解し難い面があることもあらためて感じる。

0517/菅孝行ブックレットにおける丸山真男と樋口陽一。

 一 反天皇主義者らしい著者による菅孝行・9・11以後丸山真男をどう読むか(河合出版・河合ブックレット、2004)は、丸山真男を分析し部分的には批判的なコメントを付してはいるが、全体としては、丸山真男の問題関心・分析を受けとめ、<右派>の批判から丸山真男を<戦後民主主義>を標榜する代表者として<護る>というスタンスの、<政治的>プロパガンダの本だ。
 1 「多くの丸山非難言説に反対して、擁護の立場に立たなければならない」(p.70)を基本的立場とし、佐伯啓思西部邁の名をとくに出してこの二人をこう論難する。
 「国家主義的視点から丸山の進歩主義や左翼性を非難する…」、「丸山を非難したい、と決めた彼らは自分のアタマの中に、勝手放題な丸山の像を歴史的な文脈も事実関係も無視して描き出し、レッテル貼りをやってのけた…」(p.79-80)。
 佐伯啓思・西部邁の主張・論理(図書新聞と新潮45の紙・誌上のようだ)が簡単にしか紹介されていない(p.48-49)ので論評しようもないが、菅孝行のこういう反批判の仕方は、きっと同様の論法で反論されるだろう。つまり、<丸山を擁護したい、と決めた菅孝行は自分のアタマの中に、勝手放題な丸山の像を…>という具合に。
 2 菅孝行によると、「戦後丸山は、マルクス主義が生み出すであろうと当時予測されていた政治的現実への必然性と正当性を意識しつつ、認識の問題や政治倫理の問題としてはこれに抵抗して独自の立場を保持するという二面作戦をとった」(p.63)。
 これはおそらく適切な指摘だろう。「当時予測されていた政治的現実への必然性と正当性」とは<社会主義への移行>の「必然性と正当性」であり<革命」の「必然性と正当性」だった。丸山真男はこれを肯定しつつ、ファシズム(の再来)かコミュニズム(社会主義・共産主義)か>という選択を前にすれば、当然の如く後者を採った人物だと思われる(=「反・反共主義」)。一方で、組織的・運動的には岩波「世界」等に活動の場を求めることによって、政治的セクト・「党派」性の乏しいイメージの<進歩的文化人>として、日本共産党員たることを公然化していたような<進歩的文化人>よりも、より大きな影響力をもったのだと考えられる。
 二 主題である丸山真男のことよりも関心を惹いたのは、菅孝行がときどき樋口陽一に言及していることだ。しかも共感的・肯定的に。
 1 「普遍的人権論や人間中心主義」への疑念を列挙したうえで、なお樋口は「『近代』を擁護するだろう」、と書いた。樋口は「『虚構』の『近代』の『作為』を有効とみなしている」。「丸山の軌跡の延長に樋口の立場があ」る(以上、p.25-26)。
 2 樋口陽一は「日本人は一度は強者の個人主義をくぐれ、ルソー・ジャコバン型民主主義をくぐれと執拗に提唱している」(p.88)。
 聞き捨てならないのは上の2だ。続けて菅孝行自身はは次のように主張する(「喚く」)>-樋口の「提唱に意味があるのは、丸山の構想した『自由なる主体』が成立してないままに戦後五二年が経過してしまったから…。決着がついていないなら何十年でも何世代でも延長戦をやるしかないではないか」(同上)。
 上の「自由なる主体」は、1946年の丸山真男「超国家主義の論理と心理」に出てくる。-「八・一五の日は…、国体が喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民…」(丸山・新装版/現代政治の思想と行動(未来社、2006)p.28)。
 丸山真男の議論はさしあたりどうでもよい。
 丸山の「自由なる主体」とはおそらく<西欧近代>流の<自立した自由な(主体的)個人>を意味するのだろう。だが、冗論は避けるが、菅孝行は勝手に「何十年でも何世代でも延長戦」をやるがよいが、おそらく確実に、<勝てる>=<西欧近代>的な<自立した自由な(主体的)個人>に日本人がなる日、は永遠に来ないだろう(日本人が西欧人になれる筈がないではないか。別の回に書くが、「永遠の錯覚」)。
 気になるのは、菅孝行などよりも、樋口陽一だ。樋口陽一とは、私が想定していたよりも、遙かに<左翼>又は<親マルクス主義>者のようだ。回を改める。

0479/佐伯啓思・諸君!5月号における「社会主義」・「共産主義」。

 某の連載があることを理由に諸君!(文藝春秋)の購入をやめていたが、佐伯啓思の最新の文章が読みたくなって、20日ほど遅れて同・5月号を買った。
 佐伯啓思「アメリカ文明の落日と『世界史の哲学』の構築」(p.26~44)。新聞のコラムと比較するのは無理があろうが、朝日新聞の若宮啓文の駄文を読んだあとでは、知的刺激を感じる、豪奢な食事の如き論稿だ。
 佐伯啓思・日本の愛国主義(NTT出版、2008)についてと同様に、筆者(佐伯)の主題とは異なる(佐伯にとっては)瑣末であろう事項・問題についての叙述を要約的に記しておく。すなわち、「社会主義」あるいは「共産主義」について。
 ・<「冷戦の主役である社会主義という実験」も「西欧近代主義の極限的な形態」だった。20世紀初頭の「西欧知識人たち」は「新たな価値創造」に賭けるとすれば、「ファシズムかボルシェビズムかという選択に迫られた」。>
 ・<「社会主義という人間理性の極端なまでの過信」と「歴史を導く正義という理念への過剰な期待」は、「あまりに独断的な価値創出」で、「世俗化された疑似宗教というべきもの」だった。>
 ・<20世紀「西欧社会」の「ニヒリズム的状況」を「不透明に覆い隠した」のは、「ナチズムとスターリニズムの蛮行」だった。「ナチスによるユダヤ人虐殺とスターリンによるおそるべき粛清、さらに共産主義による驚くべき虐殺」は、「自由・民主主義、ヒューマニズム、人権などの近代主義の理想をもう一度、呼び覚ますに十分」だった。>(以上、p.38)
 「社会主義」・「共産主義」に言及があるのはこの部分だけだと思われる。そして、以上の諸点に反対はしないし、逆に基本的にはそのとおりだろうと相槌を打つ。
 但し、上の最後の文は、そのために「自由・民主主義」あるいはアメリカの「歴史観」や「価値観」が検討されずに「聖域」化された、という論旨につながっていき、全体としてアメリカニズム(「アメリカ文明」)の問題点・限界を指摘することが主題になっている(その帰結として、最後に「日本の精神」の再発見の必要を説いているが)。
 そして、(上のカッコ内を除いて)どこか違う、「思想的」にはともかく「現実的」には、日本の現在の焦眉の論点ではないのではないか、という感想をもってしまった。別の機会に少しはより詳しく書こう。

0434/佐伯啓思・<現代文明論・下>(PHP新書)における「世論」。

 佐伯啓思・<現代文明論・下>-20世紀とは何だったのか・「西欧近代」の帰結(PHP新書、2004)をp.149(第五章の途中)くらいまで読んだ(半分を超えた)。
 第二章はニーチェ、第三章はハイデガー、第四章はファシズム、第五章は「大衆社会」が主テーマ。論旨は連続して展開していっているが、省略。
 前回書いたことにかかわり、「大衆社会」における、又は大衆民主主義のもとでの「世論」なるものを佐伯が次のように表現・説明しているので書き記しておく。
 「世論」とは「国民の意思」=「民意」と言い換えてもよいだろう。昨年の参院選後に<ミンイ、ミンイ>と叫んでいた者たちに読んで貰いたい。佐伯の本を聖典の如く扱っているわけでは全くないが。
 ①「世論」は、「人々の個性的な判断や討議の結果というよりも、もともとはひとつの情報源から発したものが多量に複製された結果というべきもの」(p.140-1)。
 ②「世論」は、「人々のさまざまな独自の意見の結集ではなく、人々がお互いに相手を模倣しているうちに、ひとつの平均的な意見に収斂してしまったものにすぎない」(追-「発信源になるものは多くの場合、新聞やラジオといったメディアでしょう」)(p.145)。
 ③「世論」は、「人間がある集団のなかで、その集団に合わせるために、その集団の平均的見方で物事を考えているだけだ」(p.148)。
 以上。なお、佐伯は、これらを現代日本を念頭に置いて書いてはいない。20世紀に入って生成した「大衆社会」(大衆民主主義)の時代における「世論」について一般論として(欧米の議論を参照しつつ)書いている。だが、むろん、現代日本もまた「大衆民主主義社会」だ。

0349/デモクラシーに再言及すると。

 デモクラシーとは元来は讃えられるべき状態又は理念を意味したのではなく、悪い状態又は忌むべき理念だったことは、長谷川三千子の文春新書にも書いてある。
 長谷川三千子・文春新書だから信用できない、という(朝日新聞・岩波シンパにはいるかもしれない)人は、かの<権威がある、正しいことが書いてあるはずの>岩波新書、福田歓一・近代民主主義とその展望(1977)のp.3にさっそく次のように書かれているのを知るとよいだろう。
 ヨーロッパの場合はどうかというと「実はここでも民主主義という言葉ははなはだいかがわしい言葉であって、それが間違いなく正当な言葉、いい意味をもった言葉として確立したのはこの第一次大戦のときだったのであります」。
 単純・素朴な<民主主義>礼賛者は、マスコミの中にいる人も含めて、こんな単純なことも、おそらくは知らないのだろう。
 もう一点、別のことに触れておくと、第二次世界大戦は<民主主義対ファシズム>の闘いだったという理解の仕方も、戦勝国側の後づけ的な説明によることが多大であることを知っておく必要があると思われる。
 日本はいかなる意味で<ファシズム>国家だったかという基本的な問題がまずあって、丸山真男のそもそもの出発点が誤っている可能性が大だが、その点は別としても、社会主義・ソ連を含めて<民主主義>陣営と一括して理解することに、相当の欺瞞があったと言うべきだろう。
 かかる<民主主義>概念の曖昧さ、「人民民主主義」とか称して社会主義は「民主主義」と矛盾しないと説かれた、その<いかがわしさ>は、1929年のケルゼン・デモクラシーの本質と価値(岩波文庫、1948)の序文の中にも実質的にはすでに論及されている。

0228/鶴見俊輔とは何者か-九条の会呼びかけ人。

 かつて司馬遼太郎の幕末・維新の時期の小説を読むようにしてフランス革命の経過を楽しみながら知ることはできないかと思って、マリー・アントワネットに関する小説を買ったりしたが、読むに至らず、結局は世界の歴史21・アメリカとフランスの革命(中央公論社、1998)の後半(フランス革命の部分=福井憲彦執筆)を読もうと思い立った。
 その本には月報の小パンフが入っていて、2名の著者と鶴見俊輔の三名の座談会が載っている。そこでの鶴見俊輔の発言内容がまずは印象に残った。
 鶴見俊輔(1922-)の本など読んだことなく、小田実や日高六郎に近いような、非政党の「市民派的左翼」というイメージしかない。
 ひょっとしたらと思って今確認したら、何と九条の会の呼びかけ人9人の一人だった(そんなに大物なのかね?)。九条の会のサイトには、彼自身の文かどうかは分からないが、「日常性に依拠した柔軟な思想を展開」と紹介してある。
 さて、フランス革命後のナポレオンが世界で初めて国民皆兵制(徴兵制)を導入したらしい。
 たぶんこのことにも関連して、上の座談会中で鶴見は次のように言う。ナポレオンは偉大な個人だったが、「ここで国民国家ができる…。この国民国家の枷がいまもある…。この枷は、ファシズムのときにものすごい力を発揮した。国民国家が打って一丸とするかたちで、均質に兵役を強制してしまう」等。
 ここまでなら何気なく読み飛ばしていたかもしれないが、つづく次の文章には目が止まった。
 「ここに現在の日本の問題がある…・偶然、アメリカの力によって憲法に不戦条項をもっているけれど、これが「普通の国家」になるなんてことになったら、「普通の国家」とは国民国家だから、個人としてこの戦争はまちがっているなどという場所はなくなる」等。
 1998年の座談会だが、こんなふうに「国民国家」概念が使われるのだとは知らなかった。正しい用法かどうかは分からない。
 それはともかく、この鶴見の発言によると、現在の日本は「憲法に不戦条項をもっている」がゆえに、「普通の国家」=「国民国家」ではないのだ。しかも、鶴見の発言には、「国民国家」の(少なくとも重要な側面・要素)を毛嫌う気持ちがこもっている。さらに言うと、けっこう重要だと考えられる問題を、よくも簡単に片付けるものだ、という感想も湧く。
 推測になるが、この人は、近代諸国で成立したとされる「国民国家」に批判的で、それに同質化されたくないという心性のもち主のようだ。
 また、ひょっとすると<国民国家>の国民ではなく<地球市民>でいたいのではないか。九条の会の呼びかけ人の一人に名乗りを上げている心情も、理解できそうな気がする。

0050/丸山真男は職業差別者、まともな政治学者ではない。

 田原総一朗・日本の戦後上-私たちは間違っていたか(講談社、2003)の中で、田原は、60年頃、昔風にいうと「革新」勢力を支持した反政府・反自民の知識人として、「向坂逸郎、丸山真男、清水幾太郎、末川博、田畑忍」の5名を挙げている。そして、これらを含む500人以上の学者・文化人が1957.03には「安保条約再検討声明書」を発表して不平等条約改正等と主張していたのに、この5名は「後に反安保の理論的中軸」になった、という(p.243-4)。田畑忍は土井たか子の「師匠」だ。
 以上の5名の中では丸山真男が最も若そうだが、70年頃はすでに昔の人で、私は彼の本を1冊も20代には読んだことがなかった。
 丸山の指導教授は南原繁らしい。南原-丸山ラインだ。諸君!2007年2月号の「激論」によると、中国社会科学院近代史研究所々長が「若き日の大江(健三郎)氏は丸山真男氏や、その師の南原繁氏の戦争に関する反省の意に大きな影響を受けた、と告白…。このような戦後日本の知識人たちの考え方を、私は評価し尊敬します」といったらしいが(p.42)、彼らの考え方を日本人が「評価し尊敬」できるかは別問題だ。
 丸山真男については、再評価・再検討の本も出ているようだ。竹内洋・丸山真男の時代(中公新書、2005)は、確かな記憶はないが、決して丸山を賛美しておらず、皮肉っぽい見方をしていたのではなかっただろうか。また、そもそも、遅れて読んだ丸山の、「日本ファシズム」の「担い手」はこれこれの職業の人々だったという議論などは、これでも社会科学・政治学・政治思想史なのかと思った。きっと反発する関係者がいるだろうが、適当な「思いつき」を難しい言葉と論理で、さも「高尚ふう」に書いた人にすぎないのでないか。それでも社会的影響力を持ったのは、東京大学(助)教授という肩書、岩波「世界」等の発表媒体によるのだろう。
 もともと昭和戦前の日本を「ファシズム」と規定してよいのか、その意味の問題はある。
 かつて中学・高校の授業で又は歴史の教科書で、第二次大戦は民主主義対ファシズムの闘いだったと習った気がする。だが、「民主主義対ファシズムの闘い」という規定(・理解)の仕方は正しいのだろうか。まず、ソ連が「民主主義」陣営に含められていて、この国の本質を曖昧にし、又は美化すらしているのでないか。次に、日独伊は「ファシズム」というが、そして日本には「天皇制ファシズム」との表現も与えられたが、そのように単純に「ファシズム」と一括りできるのか。後者は無論、「ファシズム」とは何か、日独伊に共通する要素・要因はあったのか、あったとすれば何々か、という疑問に直ちにつながるわけだ。そして、上のような理解は占領期(少なくとも東京裁判「審理」中を含む初期)の米国によるもので、そうした「歴史観」が日本人の頭の中に注入されたように思える。
 こんな難しい問題がそもそもあるのだが、丸山の、「日本ファシズム」の「担い手」論をより正確に書くとこうだ。
 丸山真男の増補版・現代政治の思想と行動(1964)という有名な(らしい)本は所持しているのだが室内での行方不明で別の本から引用するが、この本の中には1947.06の講演をもとにした「日本ファシズムの思想と運動」も収められている。この中で、丸山は日本の「ファシズム運動も…中間層が社会的担い手になっている」と断じ、かつ中間層・「小市民階級」を二つの類型・範疇に分け、前者こそが「ファシズムの社会的基盤」だったと断じた。
 その前者とは、「たとえば、小工業者、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校職員、殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官」で、「疑似インテリゲンチャ」又は「亜インテリゲンチャ」とも称する。
 一方、「ファシズムの社会的基盤」でなかったとされる後者は「都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、その他自由知識職業者(教授とか弁護士とか)及び学生層」で、「本来のインテリゲンチャ」とも称する。
 一瞬だけは真面目に言っているようにも感じるが、ふつうに読めば、上の如き職業・階層の二分と前者のみの悪玉視は、端的に言って<職業差別>ではないか。むろん自分の職業・自由知識職業者は除外だ。これは学問ではない。酒飲みの雑談、しかも質の悪いレベルのものだ。何故こんな男が多少は尊敬されてきたのか、馬鹿馬鹿しい思いがする。

0049/阿比留瑠比の最近のブログ・エントリーの中で目を惹いたこと。

 阿比留瑠比氏のブログ・エントリーは熟読ではないにせよ、目は通しているつもりだ。近日のもののうちから、いくつか目を惹いたものを取り出して、何がしかの感想を記しておく。
 1 2007/03/26-「国会議員会館内で開かれた反日慰安婦問題集会」/2005年2月1日に、衆院第2議員会館で「女性国際戦犯法廷に対する冒涜と誹謗中傷を許さない日朝女性の緊急集会」という集会があった。その内容の紹介だが、当時すでに社民党委員長だったはずの次の福島瑞穂の発言が目を惹いた。
 「福島氏 (前略)この女性戦犯国際法廷につきましては、もともと私自身も、いわゆる従軍慰安婦とされた人たちの裁判を担当する弁護士で、この女性国際法廷にも、傍聴人として一般の市民として、あそこの会館のところに出席しておりました。今回、ものすごい危機感を持っております。ファシズムというのは、こういう形で起きていくのだということを痛感しております。(中略)/今回のケースは、もちろんNHKもしっかりしてほしいとか一杯思いもあります。ただ、政治権力によるメディアへの介入の問題である、政治家によるパワハラだと思っております。こういう形で恫喝をし、メディアの問題を私物化していくこと、安倍晋三さんがこれで何も問題はなかったと居直ることを許してはいけないと。(後略)
 上の発言のうち最もスゴいのは、「ファシズムというのは、こういう形で起きていくのだということを痛感…」だろう。仰々しいが、日本はファシズム・軍国主義へと向かっていっている、という時代認識が、この人やこの党(社民党)にはあるのだろう。「ファシズム」をどう定義しているかのかと突っ込みたくもなるが。
 次に、「
こういう形で恫喝をし、メディアの問題を私物化していくこと、安倍晋三さんがこれで何も問題はなかったと居直ることを許してはいけない…」。完全に朝日新聞と同じ認識ですなぁ。こういう認識から出発して、安倍氏や同内閣への見方が「真っ当な」ものになる筈がない。
 2 2007/03/31-「河野衆院議長のふざけた新「河野談話」と教科書検定」
 これは長くてとてもまともなしっかりした文章で、河野洋平という人物がますますいやになる。それはともかく、本来の主題ではないが、彼の次の文章が目を惹いた。
 「私も長年取材していますが、文部科学省は日教組などと馴れ合い、左派からの攻撃を恐れる一方で、保守派が大人しいのをいいことに、甘く見ているように感じます。
 これは見過ごせない情報だ。自社さ連立政権のおかげで文部省と日教組が仲良くなった旨の指摘も別の日にあったが、それよりも「保守派が大人しい」と見られていることも大問題だ。何が「保守派」かは難しいが、日本の「保守派」なるものが必ずしも強くはないこと、たしかに国民は自民党等を与党とする政権に政治を委ねているが、自民党に投票する国民の全員が「保守派」と意識しているかは疑わしいし、自民党の国会議員すら、全員が自らを「保守派」と自覚しているとは思えない。別言すれば、自民党の国会議員すら、全員が明確な「保守」理論=「保守」思想に支えられているとは思えないのだ(ただ政権与党だから、選挙区国民のために仕事がしやすい党だから程度の理由で自民党員である国会議員もいるのではないか)。
 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間、1998)p.55のグラフは、「思想」の分布・割合につき(私の目分量だが)、英米では保守(真性自由主義)が4:リベラル(左翼的自由主義)が5:社会主義(全体主義)が3なのに対して、日本では、保守(真性自由主義)が1:リベラル(左翼的自由主義)が4:社会主義(全体主義)が5だということを示している。
 ソ連等社会主義国崩壊後もかかる分析又は印象がなおある(そして私も相当程度現実でもあると感じている)ことについては別に論じる必要があるが、ともかく、日本にはきちんとした「保守主義」が強くは育っていないのではないか。これはむろん、「きっこ」?氏が出てくるような、戦後「平和・民主主義」教育と無関係ではない。阿比留氏の何気ない一文に、色々なことを考えさせられる。
 3 2007/04/07-「民主党の立派な「慰安婦議連」と岡田克也元代表」
 民主党は雑多な人たちの政党で、改憲が現実的争点になってくるときっと分裂する、と私は想定している。
 それはともかく、このブログ中では、「慰安婦問題で謝罪と反省を表明した平成5年の河野官房長官談話の見直しを求める動き」が民主党内にも出たという3/10の記事が引用されていて、その議員連盟「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」の呼びかけ人メンバー全員の名が記載されているのが目を惹いた。次の16人だ(前原誠司の名はない)。
 衆議院-「石関貴史、市村浩一郎、河村たかし、北神圭朗、小宮山泰子、神風英男、鈴木克昌、田名部匡代、田村謙治、長島昭久、牧義夫、松原仁、三谷光男、吉田泉、笠浩史、鷲尾英一郎、渡辺周
 参議院-「大江康弘、芝博一、松下新平」。
 松原仁と河村たかし(+西村真悟)くらいしか名を憶えていなかった。自民党の某、某、等々よりもむしろ、こうした特定の民主党議員は、選挙でも当選させるべきではないか。
 岡崎トミ子、平岡秀夫らは落選させなければならない。

0033/掛谷英紀・日本の「リベラル」-自由を謳い自由を脅かす勢力(新風舎、2002)を全読了。

 先日、掛谷英紀・学者のバカ(ソフトバンク新書)に肯定的に言及した。著者に興味をもったので、続いて同・日本の「リベラル」-自由を謳い自由を脅かす勢力(新風舎、2002)という計79頁の、冊子のような本を29-30日の一晩で読み終えた。
 「リベラル」とは何か。大きなテーマだが、掛谷氏は「リベラル」を1.人権尊重+法の下の平等、2.他者の権利を侵害しないかぎりでの個人の諸選択の自由の尊重、3.これらの保障のため相応の責任分担、を要素とするものと捉える(私の簡略化あり)。
 また、a個人的(・政治的)問題とb経済的問題のうち、「リベラル」は、aへの国家介入をゼロに近づけること、bへの国家介入が100%へ接近することを容認するもので、逆にaへの国家介入を期待しbへの国家介入を最小にしたいのが「保守」と位置づける。さらに、aとbともに100%に近い国家介入を認めるのが「権威主義」(リベラルに振れれば「社会主義」、保守に振れれば「ファシズム」、一方、その対極にあってaとbともに国家介入を最小又はゼロにしたいのが「リバタリアン(無政府主義)」と位置づけている。
 もともと欧州と米国とで「リベラル」の意味は違うのだが、掛谷の概念用法は米国的だろうと思われる。それはともかく、かなり参考になる一つの分類の仕方で、「社会主義」と「ファシズム」の近似性の指摘も納得がいく。もう一つ、c軍事・平和軸(憲法九条や日米安保同盟の評価)を加えれば、(「思想」は大袈裟だとすれば)「基本的な考え方」の分岐が整理できるのではないか。また、リベラルと社会民主主義(社民主義)の違いも、この本を読んでに限らず、従来から気になっているところだ。(私は自らの立つ位置をなおも模索しているところがある。つまり、経済的自由への国家介入・政策的介入については基本的には「自由」優先だが、介入の程度、介入の態様、介入する場面・論点等の問題は、永遠の課題で、他の点はともかく、簡単には答えられないように感じているのだ…。)
 具体的には、仔細には立ち入らないが、介護・保育制度、薬害エイズ報道、夫婦別姓論等について、「リベラル」派と自己認識していると思われる知識人やマスコミ等がじつは上のような意味での正しい「リベラル」的主張をしておらず、むしろ「(選択の)自由」を制限する矛盾を冒しているとして、(「合理的」かつ「客観的」なリベラリズムを目指すというのが主観的意向のようだが)批判している。ここでのリベラル派マスコミの中には朝日新聞も入ると思われ、とすると、朝日新聞批判の著でもありうることになる。
 頭の体操的にも、前に読んだ著と同様に面白い。公的資金を投入した保育サービスの提供は自分で育児をしたい母親に不利に働き、子どもを保育所に預けて外で働くという選択肢を強要する傾向を持たざるをえず、選択の自由というリベラルの理念に反する、とか、ほぼ同じ意味だが、自分で育児したいとの女性(母親)の「自由」を抑圧・制限する方向に働く制度設計は誤りだなど、本格的なフェミニズム批判又は男女共同参画的施策批判につながりそうな指摘もある。
 新風舎刊ということは原稿持ち込みの半分自費出版的なものだろうか。掛谷英紀氏、32歳になる年の書物である。

-0023/上野千鶴子にとって日本社会は居心地がいいはず。

 26日付朝日の続き。保阪正康は「無機質なファシズム体制」が今年8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」との情緒的表現で終えているが、「無機質なファシズム体制」の説明はまるでない。解らない読者は放っておけというつもりか。編集者もこの部分を「…を憂う」と見出しに使っている。執筆者・編集者ともに、良くない方向に日本は向かってる(私たちは懸命に警告しているのに)旨をサブリミナル効果的に伝えたいのか? 訳のわからぬ概念を使うな。使うなら少しくらい説明したまえ。
 今年のいつか、喫茶店で朝日新聞をめくりながら今日は何もないなと思っていたら、後半にちゃんと?大江健三郎登場の記事があったことがあった。26日付も期待に背かない。別冊e5面の「虫食い川柳」なるクイズの一つは、「産んだ子に〇紙来ないならば産む」(〇を答えさせる)。
 月刊WiLL10月号で勝谷誠彦が朝日新聞の投書欄に言及し、同様の傾向は一般の歌壇にもあるらしいが、「築地をどり」の所作は周到にクイズにも目配りしているのだ。
 小浜逸郎・ニッポン思想の首領たち(1994、宝島社)の上野千鶴子の部分を読了。小浜の別の複数の本も含めて、関心の乏しかったフェミニズムに関する知見が増えた。
 詳しく感想を述べないが、一つは上野の唯一?の、小浜が酷評する理論書(1990)でマルクスが使われていることが印象的だ。マルクス主義(この欄ではコミュニズムとも言っている)やその概念等の悪弊が上野そしてたぶんフェミニズム全般に及んでいる。今日ではマルクス主義は学問的にもほぼ無効に近いことを悟るべきだ。
 1990年本の執筆時点ではまだソ連もチェコスロバキアもあったのかもしれないが。
 二つは戦後のいわば男女平等教育の影響だ。小浜は触れていないが、男らしさ・女らしさや男女の違いに触れない公教育の結果として、社会に出る段階で(又は大学院で)「女だから差別されている」と初めて感じる優秀な女子学生が生じることはよく分かる。
 フェミニズムなるものも「戦後民主主義」教育の不可避の所産でないか。一般人の支持は少ないだろうが、現実政治・行政への影響は残存していそうなので注意要。フェミニストたちには尋ねてみたい。「搾取」・「抑圧」をなくし人間を「解放」しようとしているはずの中国・ベトナムで(又は旧ソ連等で)女性は「解放」へ近づいている(いた)のか、と。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
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  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
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  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
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  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
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  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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