「『国家と個人』の関係が危機に瀕するとき、その危機を克服すべく全体主義が登場する素地が醸成される。/
マルクス主義的な傾向の左の全体主義は、国民国家の作られた "伝統" を破壊して、プロレタリアート独裁の革命政権を作ろうとする。/
右の全体主義は、"伝統” を純化することによって強化しようとする。」
現在の日本の「観念保守」派は、「 ”伝統" を純化すること」を意図していないだろうか。
あるいは、<純化した伝統>なる「観念」を、ことさらに主張してはいないだろうか。
つぎに、1945年2月のいわゆる<近衛上奏文>には、以下の表現がある。近衛文麿の認識を全面的に肯定するのではないが、存在しうるものだとは思える。
「軍部内一部の者」を「取巻く一部官僚及び民間有志」、「之を右翼と云うも可、左翼と云うも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり」。
「国体の衣をつけたる共産主義者」も存在しうる、ということを、現在の日本の「観念保守」論者たちは、意識しているだろうか。
さらには、引用を省略してしまうが、1937年に刊行された文部省編纂<国体(國体)の本義>に書かれていることは、相当に櫻井よしこ等が最近に述べていることとよく似ており、部分的には酷似するところがある。両者の間に関係はないのだろうか。ここでの<国体>観を全体として否定するつもりはないものの、「観念」論、歴史の「事実」に反した日本史理解が多分にあると見られる。
櫻井よしこも渡部昇一も、この書物の名前と内容に直接には言及していない。知らないのだろうか。知ったうえでのこととすれば、あるいは参考にしている、影響を受けているとすれば、その論述方法は、もしかすると、いささか卑怯ではないのだろうか。
正確に確認はしないが(その関心、傾注の努力が惜しいと思っている)、4人のうち八木秀次以外(つまり、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこ)は、日本の「国体」について言及し、「国体」の維持の主張を、その<天皇>観とともに披瀝していたと思われる。
はたして、彼らのいう「国体」とは何か。日本に固有・独特の歴史・伝統があるだろうことを、むろん否定しているのではない。