秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ノーベル文学賞

1539/B・パステルナークとドクトル・ジバゴの「レーニン時代」。

 「だが、第一に、十月〔1917年〕以来に説かれている全般的な完成化(allgemeine Vervollkommnung)の理念は、ぼくを燃え立たせない。/
 第二に、全てが実現からほど遠いのに、その理念を語るだけでも、これほどたくさんの血の海(Stroemen von Blut)が代償として必要だった。目的は手段を正当化するって、ぼくには分からない。/
 第三に、これが肝心なことだが、人間の改造(Umgestaltung des Lebens)という言葉を聞かされると、ぼくは自分をどうも抑制できなくなって、絶望へと陥ってしまう。//
 人間の改造だって! こんなことは、なるほど多くのことを体験しているが、人間とは何かを実際にはまるで知ってはいない者たちだけが、考えることができる。人間の呼吸=精神(Geist)や人間の搏動=魂(Seele)を感じたことのない者たちだけが。/
 そういう者たちにとって、人間の存在というものは、彼らがまだ触って磨き上げていない、もっと加工が必要な、原材料の塊なのだ。/
 しかしね、人間は決して、かつて一度たりとも、材料や素材ではない。/
 きみが知りたいのなら、人間は永遠に自らを作り直している原理体だ。人間は、絶えず自らを更新しており、永遠に自らを形成し、変化させているのだ。それは、きみやぼくの愚かな考えなどを際限なく超越したところにある。//」
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 ボリス・パステルナークの小説・ドクトル・ジバゴで、パステルナークは、パルチザン(親ボルシェヴィキ=親レーニン政権)の捕虜となって医師として働いている主人公(ユリイ・ジバゴ)に、上のように語らせている。あるパルチザンのリーダーに対して、「人民軍兵士のあの態度」は、「…とほとんど全く同じ」で「ぼくの少年期全体の、あの尊き時代の憧れだった」、と語らせたあとでだ。
 Boris Pasternak, Doktor Shiwago (独語, Thomas Resche 訳, 2011/初版ロシア語1957) p.422.
 江川卓訳・ドクトル・ジバゴ/下巻(新潮文庫, 1989/原版・時事通信社1980)p.113-4も大いに参考にした。第11章(編)の第5節。/は原文には改行はない。//にはある。
 ボリス・パステルナーク(Boris Pasternak)、1890年~1960年。
 ずっと、シベリア・ウラルを含む意味でのロシアで生きて、死んだ。
 小説・ドクトル・ジバゴは第二次大戦後すみやかに書かれ始めたようで(1946年に第1章の「読書会」)、1956年(昭和31年)に完成した。
 1958年(昭和33年)にノーベル文学賞授賞が決定され発表されたが、ソヴィエト政府(フルシチョフ)によって受賞辞退を迫られた。
 この小説は1905年「革命」以前のユリイやラーラの生い立ちから始まっているが、とくに新潮文庫の下巻の時代背景は、大戦勃発、1917年10月政変と、それ以降の「内戦」、飢饉・飢餓だ。つまり、<レーニン時代>の物語だ。
 ただの<小説>にすぎないとはいえ、ソヴィエト政府がこの小説を国内では発表させず、ノーベル文学賞も辞退させて、その後はパステルナークを批判し続けたのは、よほど<ソヴィエト体制>には危険な内容が含まれていたからに他ならないだろう。
 答えは、まさに推測だが、レーニンとロシア10月「革命」を美化してこそ、スターリンを含むその後のソ連指導部の正当性をも肯定する(国民には肯定させる)ことのできる後継政権にとって、パステルナーク(Boris Pasternak)のとくにレーニン時代の「内戦」・飢餓の状況を描き方が(あまりにも真実に近すぎて)きわめて<危険>だったことにあるだろう。
 パステルナーク、1890~1960。レーニン、1870~1924。スターリン、1978-1953。
 ついでに、カール・コルシュ(Karl Korsch)、1886~1961。
 ロシアのとくに知識人、詩人・作家、あるいは経済力があったり国外に近縁者がいる人々だと、①意思による亡命もありえた。②意思によらざる国外追放もありえた。しかし、いずれでもなく、パステルナークは、レーニン・スターリン時代を生き延びた。
 対ドイツ「大祖国戦争」が勝利した際には、喜んだともされる。
 奇妙に ?「政治」の世界に入ってしまうと、粛清(暗殺すら)される危険がある。
 「共産主義」思想とその体制に完全に馴染んでいたわけではないが、パステルナークは、ロシアの大地とロシアの言葉を愛するナショナリストでもあったのだろう。
 この人が、戦後も含めてどのような思いでソヴェト体制下の日々を過ごしていたのだろうと、複雑な感慨が生じる。一人の人間としての宿命や悲しさや美しさを感じる。
 もうたぶん50年も経っているのだ! 映画・ドクトル・ジバゴを観てから。
 この小説は、小説だが、<レーニン時代>がどんなだったかを、詩人・作家が思い出して書いている、<レーニン時代>に関する貴重な史料でもあると思われる。
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 「さようなら。もう終わらなければいけない。
 ああ、ユーラ、ユーラ、私の愛する人、大切な夫、私の子どもの父親、どうしてこんなことになったの ?
 私たち、もう二度と、もう二度と、決して会うことがないのよ。
 あなた、こう書いたことの意味が分かる ? 理解できる ? 理解できる ?」
 ユリイの妻・トーニャの手紙から。 
 Boris Pasternak, Doktor Shiwago, p.521. 江川卓訳・上掲書p.252。
 パステルナークについて、以下を参照した。
 前木祥子・パステルナーク/人と思想(清水書院、1998)。

-0032/鷲田小弥太他二名・大江健三郎とは誰か(1995)。

 大江健三郎については鷲田小弥太他二名・大江健三郎とは誰か(三一新書、1995)という本がある。
 雑読?したが、鷲田以外は文学系の人のためか目次にある天皇制・戦後民主主義との関係等は内容が貧弱だ。同じ年刊行の昨日も言及した谷沢の本の方が大江を広く読んでいて、論評として勝れている。但し、鷲田の大江への厭味は十分に伝わり、大江が天皇制に批判的であることも明記してある(p.259)。
 それにしても鷲田によれば-私自身の経験と印象ともほぼ合致するが-大江の小説は「ある時期から特定の文学評論家や研究者以外には、読まれなくなった…。特殊のマニア以外には、買われなくなった…。難解なのか、つまらないのか。私にいわせれば、その両方である」。ノ-ベル賞で重版が続いたらしいから「売れない、というのは当たっていないだろう。しかし、売れたが、読まれなかった、読もうとしたが、冒頭…で断念した、という人がほとんどだった、といってよい」(p.261)。
 これらが事実だとしたら(そのように思えるが)、そもそも大江にノ-ベル文学賞の資格はあったのか、「文学」とは何かという疑問も生じる。ふつうの自国々民に愛読者が少なくて、何が世界の文学賞様だ、とも思える。
 司馬遼太郎や松本清張等々の方がふつうの日本国民にはるかに多く読まれ、かつ意識に大きな影響を与えたことに異論はないだろう。この二人については、生前から「全集」が刊行されていた。三島由紀夫にもある。大江作品・エッセイを網羅した個人全集はなぜかまだない。大江は実質的には将来に影響を与えない、名前だけ形式的に記憶される作家になる可能性があるのでないか。
 大江は東京大学文学部入学・卒業を「誇り」にしていただろうが、いわゆる現役ではなく一浪後の合格だったことにコンプレックスを持っていたようだ。というのは、手元に元文献はないが間違いない記憶によれば、一年めに数学(か英語、たぶん数学)ができなくて途中で放棄して不合格だったがその年は例年より数学がむつかしくそのまま最後まで受験していたら合格した可能性が十分にあった旨をクドクドと書いてあるのを何かで読み、何故こんなにこだわっているのか、何故長々と釈明するのか、自分の「弱味」意識が強く内心の翳にある、と感じたことがある。意外に、いや平均人以上に、「世間」を強く意識している自意識過剰の人物かもしれない。
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