秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ネオ・リベラル

0296/小沢一郎とは何者か。同・日本改造計画(1993)を読む-その2。

 小沢一郎という人は、1.十数年前の考え方を今はすっかり変えてしまったか、2.変えてはおらず現在はウソをついているか、のいずれかだろう。
 大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書)p.59によれば、小沢・日本改造計画(講談社、1993)は<「新保守」の立場を鮮明にした>もので、その主張の中には、1.地元利益・職業利益によらない「党中心の集票」、2.「ネオ・リベラリズム」も含まれていた(7/17参照)。この2.の方に焦点を当ててみよう。
 小沢・日本改造計画p.4-5は、世界を含む時代と日本社会の変化に対応した「変革」の目標として「政治のリーダーシプの確立」、「地方分権」につぐ第三として「規制の撤廃」と明記し、「経済活動や社会活動は最低限度のルールを設けるにとどめ、基本的に自由にする」と書く。そして、次のように連ねる。
 「これらの究極の目標は、個人の自立である。個人の自立がなければ、真に自由な民主主義社会は生まれない。国家として自立することもできない…。国民の”意識改革”こそが、現在の日本にとって最も重要な課題といえる。そのためには…個人に自己責任の自覚を求めることである。
 十数年前に小沢はこのように主張していた。現在の彼は、国民・有権者に「個人の自立」・「自己責任の自覚」を訴え、国民に<意識改革>を求めているだろうか
 国家(政府)と国民(個人)の関係にかかわり、上の本p.185-6は、「個人を解放することを提案」して個人の「五つの自由」の最後に「規制からの自由」を挙げ、次のような叙述をしている。
 「個人に自由が与えられれば、結果的に選択肢の多い社会になる。多様な生き方が可能になる……不要な規制は一刻も早く撤廃すべきである。…要するに、まず国民を保育器から解放することである。もちろん、それによって国民は自己責任を要求される。しかし、それでよいと私は思う。自己責任のないところに、自由な選択など存在しない。…政治が個人の選択に口をはさむべきではない。政治に求められることは、国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない。…障害を取り除き、環境を整備することだ」(p.186-7)。
 また、次のような文章もある。
 「自由主義社会では基本的に自由放任であるべきだ。そのうえで、どうしても必要なところに必要最小限の規制があればよい」(p.244)。金融機関の「利用者にもある程度の自己責任原則を要求する。…自分の判断で選び、その結果に責任を負うようにするのである」(p.248)。「民間の知恵とアイディアと活力を生かすために、民営化努力は今後も続けていかなければならない」(p.249)。
 以上のような考え方は、大嶽の指摘のとおり、<ネオ・リベラル>=<新自由主義>と称してもよいものだ。そして、<空白の~年>のあとの橋本内閣以降、規制緩和・民営化という<ネオ・リベラル>志向が基本的な政策課題になってきた、と言ってよいだろう(厳密な議論はしない)。<規制緩和>・<民でできるものは民で>は小泉純一郎首相のキャッチコピーの如くですらあった。<構造改革>と言われることもある。
 具体的に日本における<規制緩和>・<構造改革>の問題・評価に立ち入ることはしない。問題は、上のように書いていた小沢一郎は、いま何を言っているかだ。
 小沢は、この選挙戦中に、<小泉改革のおかげで「格差」が拡大した>と明確に述べて批判していた。それを聞いて、私はかつての小沢の主張の基本的なところは知っていたので、奇異に感じ、<ウソをつくな>と思ったものだ。
 なるほど、小沢の1993年の著書には<格差拡大容認>とは書いていない。しかし、規制緩和・自己責任領域の拡大とはじつは、「格差」の発生・拡大に他ならないことは常識的に考えても明らかなことだ。
 小沢一郎は、「国民を保育器から解放」すべきと明言していたのだ。また、「政治に求められることは、国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない」とも明言していたのだ。
 国民を「保育器」から解放するとは(規制緩和等により)自己責任領域を拡大し、<国家の保護>を縮小させることだ。当然に既得権益は少なくなり、<格差>も発生する。そのような<格差>を埋めるのがごく簡単には社会保障政策ということになるが、小沢はかつて、政府に求められるのは「国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない」と明言していた。
 私は1993年の著書の考え方が小沢一郎の本音だろう、と推測している。彼の考え方はじつは、彼が逃げ出した自民党与党政権によって少しは実現されてきているのだ。
 しかし、小沢は民主党の代表だからこそ自民党を批判するために<格差の拡大>なんていうことを問題にしているのだ(<格差拡大>か否かの客観的認識の正しさを私は知らない)。選挙対策として、言葉だけの主張をしているわけで、私には何とも奇妙に、かつ小沢一郎を可哀想にすら思う。
 小沢はかつて主として外交・軍事面で<普通の国家に>と主張し(上の本第二部p.101以下のタイトルは「普通の国になれ」だ)、新党さきがけの武村正義が「小さくともキラリと光る国に」と応じたりしていたが(当時も今も、前者・小沢の方がまともだと考える)、あの頃は彼はまだ輝いていた。
 現在は民主党代表という「役割」を演劇・芝居の如く演じているだけではなかろうか。民主党の議席数の増加だけを自らの「役目」として、彼の元来の理念・主張と無関係に、精一杯頑張ろうとしているだけではないのか。
 もう彼も六〇歳代半ばで、心臓に疾患があるという<噂>もある。小沢の心境を想像するとき、ある程度は憐憫の情も、じつは生じる。
 しかし、小沢一郎は、本能的な<選挙>観にもとづいて、国民に自分の本来の理念・主張とは異なる<ウソ>をついていることは間違いない。
 何が<小泉改革による格差…>だ。何が<生活が第一>だ。笑わせるな、と言いたい。自らこそ、かつては<ネオ・リベラル>な主張をし、かつ政府に求められるのは「国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない」と明言していたではないか。さらに普通の国家」としての自立を強調していたではないか。
 ついでに言えば、彼の本来の「民営化」論は、民主党の支持基盤の重要な一つの公務員(労働組合)の利益と衝突するものだ。
 選挙戦術としての小沢一郎の発言に、この<政略家>の言葉に、騙されてはいけない。この<政略家>が率いる政党を支持し勝利させれば、日本に歴史的な禍根を遺すだろう。

0287/大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書)を少し読む-その3・小沢一郎。

 小沢一郎とは、かつて、いかなる人物だったのか。大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書、1999)p.57以下の叙述を読む。
 小沢は竹下内閣(1988~89)の副官房長官、海部内閣(1989~91)の際の自民党幹事長として日米経済摩擦・湾岸戦争をふまえた現実的危機意識を持ったが、財政的危機は遠のき福祉政策にもまだ猶予がもてた(要するに、日本経済は底力をもつと判断されていた)時期に、それを前提として「日本がより積極的な国際的役割を果たすことが不可欠との認識」を確たるものとした。彼は、「選挙制度改革」を通じての「改革」を追求し、自民党と新保守的新党の「二大保守党制」が望ましいと考えた。その著・日本改造計画は「新保守」の立場を鮮明にしたものだった(p.58)。
 小沢の改革実現のための戦略は、次のようなものだった。第一に、日本「社会党に、小選挙区制度によって壊滅的打撃を与える」、第二に、新選挙制度による地元利益・職業利益によらない「大政治」により「党中心の集票」を可能にする。これは「党を中央集権的に党首を指導の下に置く」ことを意味する。第三に、「農村を過大に代表している議員定数の大幅な変更」により、上の第二点を補強する。つまりは選挙制度改革を通じて地元利益・職業利益を個別に代表するシステムを根絶し、「ネオ・リベラリズム」とそれに反対する「大きい政府」との政党対立に再編し直すことだった(p.59)。
 小沢と違い多くの識者は第二党として社会党を中心とする社民(社会民主主義)勢力を想定していたが、93年の総選挙(宮沢内閣)での社会党大敗北・日本新党大躍進により小沢の想定シナリオに近くなった(→1993.08非自民・細川連立内閣)。
 しかし、選挙制度改革後の選挙で、「小沢の率いる新進党は、「政治改革」に動員した支持を、ネオ・リベラル的な「改革」支持に転換し、政党として定着させることには完全に失敗した」。新進党(1994.12-)は「既成政党の寄せ集めという実態」がそのままイメージになった。旧新生党・旧公明党・旧民社党等の統一イメージはなく、旧新生党議員自体に「新保守主義」を訴えて闘う力がなかった。
 かりに新進党が「新保守」路線を明確に示していたとしても、旧新生党支持者においてすら「ネオ・リベラル」な争点に関する同党の主張は正しく理解されなかっただろう(1996.10総選挙で自民239、新進156、民主52、社民15、さきがけ2)。
 さきがけ・社会党は小沢の国際貢献論を<軍事大国>路線と批判しはじめ、両党はこれを「ハト派の代表たる河野洋平をリーダーに戴いた自民党との連立」のために利用した(→1994.06村山内閣)。<新保守>は<旧保守>と同一視されたのだ(p.65)。
 小沢はどの時期でも、「新保守主義的な彼の主張を有権者に直接アピールして、安定的な政党支持を形成することには、それほど熱心ではなかった」、むしろ「既存の政党を分裂させ、新たに離合集散させるという…政治家たちを再編することに腐心していた」。「彼の手法は、…集権的な党の指導体制を作り上げることで、有権者から一種の白紙委任を受け取れるようなシステムを作ることにあったと思われる。…「大政治」への有権者の政策関心をを動員することに、ほとんど無頓着であった」(p.66)。
 さて、大嶽の分析を全面的に支持する姿勢で読んでいるわけでは全くないが、90年代の半ば頃の数年間を中心とする活躍時期、その後の目立たない時期(自由党党首→鳩山・菅の民主党に吸収される)それそれにおいて、小沢一郎とはいった何者だったのか。
 1942年生れの小沢は90年代の半ば頃は50歳代前半でまだ<健康>だったのだろう。それもあって、自民党幹事長等の要職経験から傲慢=自信過剰になっていたかもしれない。
 問題意識としては<ネオ・リベラル>・<新保守主義>主張に親近感を覚え、勝谷誠彦がテレビでいつか明確に言っていたように安保・外交面では<安倍さんよりも右です>という面もあった。
 そういう意味でなかなか面白い、重要な政治家の一人だったと思うが、やったことと言えば、政党の離合集散を促進し、政界を混乱させ、政治家がじっくりと冷戦後の体制、21世紀の新体制を論じる余裕を与えなかったことだった、と思う。
 せっかくの細川連立政権を成立させながら社会党を敵に回すというような戦略的稚拙さをもち(社会党抜きの羽田内閣の成立)、海部俊樹元首相をかついでも、自・社・さ連合に敗北したのだった。新進党成立の頃が絶頂で、その後はもはや<過去の>政治家になった、と思われる。
 その彼が今や衆院第二党・民主党の代表となって<政権交代への一歩を>とか言っている。自民党と民主党でどのような<対立軸>の政党間対立になると、彼は説明できるのだろうか。今の民主党とは、彼がかつて夢見た(大嶽によるとだが)、<ネオ・リベラル>・<新保守主義>の政党なのだろうか。大嶽によると、かかる政党に自民党という<大きな政府>党が対峙することを小沢一郎は想定していたようだが、橋本・小泉・安倍内閣という自民党与党内閣こそがむしろ、<ネオ・リベラル>・<新保守主義>的な「改革」を主張し、ある程度は実施・実現させているのではないか。また、防衛・外交面での小沢一郎の「右」ぶりは、安倍首相によってもかなりは代替されているのではないか。
 私には、小沢一郎は、自分の想定の如く政界と政治を動かすことをとっくに諦めているように思われる。民主党が負ければ次期衆院選には立候補しないとの(言う必要もない)発言は、私には彼のもう<政治家>を辞めたいとの想いの吐露としか感じられない。
 前原前代表がコケた後で思わずめぐってきた民主党党首という<晴れの舞台>にいるのが、現在の彼なのだ。居候の如く民主党に入れてもらって温和しくしていたところ、<昔の名前>でもいいから登壇してほしいと頼まれて<昔の名前で出ている>わけだ。
 そういう彼だから、彼のかつての政策との整合性あるいは民主党自体の政策との整合性すらどうでもよくなっている。彼の頭にあるのは、いつかも書いたが、<選挙に勝つ>ことだけ、に違いない。政策・理念など彼にはもはや全くないだろう。日本をどういう国にしたいかのビジョンを彼は語れないだろう。語れるのはただ、<政権交代(への一歩)を>ということだけだ。
 そして<政権交代>すれば、又はそれに近づけば具体的にどういう価値・理念が実現され、現在・将来の国民の利益になるかも、彼は全く語ることができない。むしろ、彼が<仕組んだ>かつての<政権交代>の実例をふり返ってみれば、小沢のいう<政権交代>なるものが、日本の国家とその政治をただ混乱に巻き込むだけだ、ということが分かる。
 彼の功績は、日本社会党を消滅させたことだ。にもかかわらず、民主党内では他グループよりも旧社会党グループ(横路ら)と親近的であるとも聞く。不思議で、奇妙な人物だ。
 こんな人が率いる政党が、参院選で<勝利>してよいのか。2月にすでに明瞭になっていた社会保険庁の<問題>を5月になってマスコミに取り上げさせて、参院選の<争点化>を図る策謀をした、とも言われる。
 上の大嶽の指摘によれば、小沢一郎とは、「党を中央集権的に党首を指導の下に置く」こと、「集権的な党の指導体制を作り上げる」こと、「有権者から一種の白紙委任を受け取れるようなシステムを作る」こと目指した人物だった。元「居候」の立場では民主党内部でさほどの強引さは示していないかもしれないが(但し、対自民党対決姿勢・容共産党姿勢は小沢色だとも言われる)、元来この人には、<集権的>又は<強権的>イメージがある。安倍首相を<強権的>と批判する向きもあるようだが、小沢一郎がかりに衆院300議席を擁する政党のオーソドクスな総裁だったら、安倍首相と比較にならないくらい<集権的>・<強権的>・<独裁的>手法をとるだろうような人物にみえる。
 また、成功した細川連立や失敗した海部擁立等で<黒子>として働いたように(その前には「ミコシは馬鹿な方がよい」との発言もあった)、<策略>・<陰謀>に巧い政治家という臭いもする人物だ。むろん、田中・金丸直系の<金権体質>のあることは安倍首相と比較にすらならない。
 再度いうが、こんな人物が率いる政党に、参院選で<勝利>させてよいのか

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