秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ナショナリズム

2348/西尾幹二批判024—根本的間違い。

  西尾幹二における人格、自我、自己認識の仕方も、おそらくは他の時代や国家では見られない戦後日本(の社会、学校教育界・出版業界)に独特のものがある。この点も、きわめて興味深い。
 西尾は2011年に自ら「私の書くものは研究でも評論でもなく、自己物語でした」と発言し、かつ「私小説的な自我のあり方で生きてきた」のかもしれないと明言しつつ、大江健三郎には「私小説的自我の幻想肥大」があると批判した。月刊WiLL2011年12月号(ワック)。
 「私小説自我」のあり方で生きるのとその「幻想肥大」の間に、明確な境界はない。あるとすればほとんど<言葉の違い>だけだ。別の者から見れば、西尾幹二の「私小説的自我」にも、十分に「幻想肥大」がある。
 以上は冒頭の文章に関連して言及したもので、今回の主題ではない。
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  西尾幹二がとった<政治的立場>・<立ち位置>の根本的誤謬は、つぎの文章のうちに示されている。西尾に限らず、日本会議を含むかなりのいわゆる保守または「自称保守」が冒してきた、根本的誤りだ。
 立ち入ると長くなるので、まずは、一括して引用だけする。「つくる会」自体またはその全体が本当に以下のとおりだったかは問題にしない。
 1991年のソヴィエト連邦解体後の日本と世界を基本的にどう把握するか、という問題。一文ずつ改行する。
 「グローバリズムは、その当時は〔1990年代後半−秋月〕『国際化』というスローガンで色どられていました。
 つくる会は何ごとであれ、内容のない幻想めいた美辞麗句を嫌いました。
 反共だけでなく、反米の思想も『自己本位主義』のためには必要だと考え、初めてはっきり打ち出しました。
 私たちの前の世代の保守思想家、たとえば竹山道雄や福田恆存に反米の思想はありません。
 反共はあっても反米を唱える段階ではありませんでした。
 国家の自立と自分の歴史の創造のためには、戦争をした相手国の歴史観とまず戦わなければならないのは、あまりにも当然ではないですか。
 三島由紀夫と江藤淳がこれに先鞭をつけました。
 しかし、はっきりした自覚をもって反共と反米とを一体化して新しい歴史観を打ち樹てようとしたのは『つくる会』です。
 われわれの運動が曲がり角になりました。
 反共だけでなく反米の思想も日本の自立のために必要だということを、われわれが初めて言い出したのですが、単に戦後の克服、敗戦史観からの脱却だけが目的ではなく、これがわれわれの本来の思想の表われだったということを、今確認しておきたいと思います。」
 2017年1月29日付「同会創立二十周年記念集会での挨拶(代読)」西尾幹二全集第17巻・歴史教科書問題(国書刊行会、2018)712頁所収。
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  設定されていた問題は、反共だけか、反共+反米か、というような単純な問題ではなかった。グローバリズムかナショナリズムか、という幼稚な問題でもなかった。
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2064/L・コワコフスキ著第三巻第13章第2節①。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻・最終章の試訳のつづき。
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 第13章・スターリン死後のマルクス主義の進展。 
 第2節・東ヨーロッパでの修正主義①。
 (1)1950年代の後半以降、共産主義諸国の党当局と公式イデオロギストたちは、党員またはマルクス主義者であり続けつつ多様な共産主義教条を攻撃する者たちを非難するために、「修正主義」という語を用いた。
 この言葉には、厳密に正確な意味はなかった。あるいは実際には、スターリン後の改革に反対する党「保守派」に対して、「教条主義」という語が用いられた。
 しかし、原則としては、「修正主義」という語が示唆していたのは、民主主義的かつ合理主義的な傾向だった。
 従来はこの語はマルクス主義に対するBernstein の批判について用いられてきたので、党活動家たちは新しい「修正主義」をBernstein の考え方と連結させようとした。しかし、これら両者の関係は隔たっていて、そうした関係づけは馬鹿らしいものだった。
 積極的な「修正主義者」のほとんど誰も、Bernstein に関心を持たなかった。
 1900年頃のイデオロギー論議の中心にあったものは、もはや話題にならなかった。
 当時に激しい憤懣を掻き立てたBernstein の考えのいくつかは、今では正統派マルクス主義者たちに受容されていた。社会主義は合法的手段で達成し得る、という原則的考え方のように。-全くの戦術上の変化だけれども、イデオロギー的には重要でなくはない。
 「修正主義」はBernstein の読解に因っていたのではなく、スターリンのもとにあった時代に由来していた。
 しかしながら、党指導者がこの用語をいかに曖昧に用いたとしても、1950年代と1960年代には、本当の、能動的な政治的および知的な運動が存在した。その運動は、当面の間はマルクス主義の範囲内で、あるいは少なくともマルクス主義の語彙を使って活動しはしたれども、共産主義の教理に対してきわめて破壊的な効果を持った。//
 (2)1955-57年に共産主義イデオロギーが解体するにつれて、システムに対する攻撃が広がった。
 この時期の典型的な特質は、現存する条件の批判にとどまらず、きわめて活発で目立っていて、全体としてきわめて有効だった、ということだ。
 このような優勢的な力には、いくつかの理由があった。
 第一に、修正主義者たちは「既得権益層」に帰属していたので、大衆メディアや非公開の情報に接近することが十分に容易だった。
 第二に、事柄の性質上、彼らは他のグループよりも、共産主義イデオロギーとマルクス主義について、また国家と党機構について、多くのことを知っていた。
 第三に、共産主義者たちは全ての問題について指導すべき考え方に慣れ親しんでおり、結局のところは党が、活力と主導性をもつ多数の党員たちを取り込んでいた。
 第四に、そしてこれが主要な理由だが、修正主義者たちは、少なくとも相当の期間、マルクス主義の語彙を用いた。すなわち、彼らは共産主義のイデオロギー的ステレオタイプとマルクス主義の権威に訴えかけ、社会主義の現実と「古典」に見出し得る価値と約束の間の差違について、驚かせるほどの比較を行った。
 このようにして、修正主義者は、民族主義または宗教の観点からシステムに反抗した他の者たちとは違って、党内見解について訴えかけたのみならず、党の周囲に反響を与え、覚醒させた。
 彼らの意見には党機構員も耳を澄まし、そしてこれが政治的変化の主たる条件だったのだが、その結果として党機構のイデオロギー的混乱を招くこととなった。
 彼らは、ある程度は共産主義ステレオタイプをまだ信じているがゆえに、またある程度はそれが有効だと知っているがゆえに、党の用語を用いた。
信仰と慎重な偽装(camouflage)の割合がどうだったかは、現在の時点では査定するのが困難だ。//
 (3)生活の全分野に影響を与え、共産主義の全ての神聖さを徐々に掘り崩した批判論の大波の中で、一定の要求や観点は修正主義に特有のものだったが、片方で、一定のそれらは非共産党または非マルクス主義の体制反対者と共通していた。
 提示された主要な要求は、つぎのようなものだった。//
 (4)第一に、批判論の全ては、公共生活の一般的な非中央化、抑圧と秘密警察の廃止、あるいは少なくとも、法に従い、政治的圧力から自立して行動する司法部に警察が従属すること、を求めた。
 プレスの自由、科学と芸術の自由、事前検閲の廃止も、要求した。
 修正主義者たちは党内民主主義も求め、ある範囲の者たちは党内に「分派」を形成する権利も要求した。 
 これらの点で、彼らの間には最初から違いがあった。
 ある者たちは、一般的要求にまで進めることなく党員のための民主主義を要求した。彼らは、党は非民主主義的社会の中にある孤立した民主主義的な島であり得ると考えているように見えた。
 彼らはそうして、明示的にであれ暗黙にであれ、「プロレタリアートの独裁」原理、すなわち党の独裁の原理を受容し、支配党は内部的な民主主義という贅沢物を提供できると想定していた。
 しかしながら、そのうちに、修正主義者のほとんどは、エリートたちだけのための民主主義は存在することができない、ということを理解するに至った。
 つまり、かりに党内グループが許容されれば、そのグループは、そうでなければ発言を否定される社会的勢力のための発言者となり、党内部の「分派」制度は多元的政党制度の代わりになるだろう、ということをだ。
 したがって、政治的諸党の自由な形成とそれに伴う全ての結果か、それとも党内部での独裁を含む一党による独裁か、を選択する必要があった。//
 (5)民主主義的要求の中でも重要なのは、労働組合と労働者評議会の自立性だった。
 「全ての権力を評議会へ」との叫びすら聞こえてきた。-たしかに声高ではなかったが、賃金や労働条件の問題のみならず産業管理にも重要な役割を果たす、労働者評議会の党からの独立という考えは、ポーランドとハンガリーの両国で頻繁に提示された。のちには、ユーゴスラヴィアの例が引用された。
 労働者の自己統治は、当然に経済計画の非中央化につながるものだった。//
 (6)非政党界隈で望まれた重要な改革は、宗教の自由と教会への迫害の中止だった。
 ほとんどが反宗教的である修正主義者たちは、この問題を傍観していた。
 彼らは教会と国家の分離を信じており、その間に拡大していた、宗教教育の学校への再導入という要求を支援しなかった。//
 (7)一般的に提示された要求の第二の範疇は、国家主権と「社会主義ブロック」諸国の間の平等に関係していた。
 全ての社会主義ブロック諸国で、ソヴィエトの監督は多数の分野できわめて強かった。とくに軍と警察は特別で直接的な統制のもとにあり、全ての問題について長兄〔ソヴィエト同盟〕の例に従う義務は、国家イデオロギーの基盤だった。
 民衆全体が鋭敏に感じていたのは、それぞれの諸国の恥辱、ソヴィエト同盟への従属、それによる隣国に対する不躾な経済的搾取、だった。
 しかしながら、ポーランド民衆は全体としては強く反ロシア的だった一方で、修正主義者たちは一般的には伝統的な社会主義諸原理を主張し、民族主義(nationalism)の語法を用いるのを避けた。
 修正主義者たちや他の人々が頻繁に主張した要求は官僚機構員たちが享受している特権の廃止であり、収入の問題というよりも、日常生活の困難さから彼らを解放している超法規的な取り決め-特殊な店舗や医療機関の利用、居住上の優先、等々-にあった。//
 (8)批判論の第三の主要な領域は、経済の管理だった。
 産業を元のように私人の手へと移すという要求はほとんどなされなかった、ということには注目しておかなければならない。
 ほとんどの人々は、産業が公的に所有されていることに慣れ親しんでいた。
 しかしながら、つぎのことが要求された。
 強制的な農業集団化の停止、極端に負担の多い投資計画の縮小、経済への市場条件の役割の拡大、労働者への利潤分配、合理化された経済計画、非現実的な全包括的計画の廃止、起業を妨害している基準や指令の減少、およびサービスや小規模生産の分野での私的および協同的活動の容認。
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 ②へとつづく。

1480/ムッソリーニとレーニン④-R・パイプス別著5章2節。

 前回のつづき。[第5章第2節は、p.245-p.253。]
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 第2節・ムッソリーニの『レーニン主義者』という根源④。
 ムッソリーニが社会党から除名される原因になったこの転回について、さまざまな説明が提示されてきた。
 最も好意的でない見方によると、ムッソリーニは賄賂で動かされた。-彼は、その新聞< Il Popolo d'Italia >〔イタリア人民〕を発行するための資金を提供してくれたフランスの社会主義者から強い圧力をかけられていた。
 これが示唆するのは、実際に、ムッソリーニは破産状態にあったことだ。
 しかしながら、ムッソリーニの動機は政治的なものだったというのが、もっとありえそうだ。
 ほとんど全てのヨーロッパの社会主義政党が平和主義の公約を破って政府の参戦を支援したのちに、ムッソリーニは、ナショナリズムは社会主義よりも力強いと結論したように見える。
 1914年12月に、彼はつぎのように書いた。
 『国家は消失しなかった。われわれは、国家は絶滅すると思ってきた。
 そうではなく、われわれは目の前で、国家が立ち、生き、躍動しているのを見た。
 当たり前だが、そうなのだ。
 新しい現実は、真実を抑え込みはしない。すなわち、階級は国家を破壊できない。
 階級は利益の集合体であるが、国家は、情緒、伝統、言語、血統の歴史だ。
 国家の中に階級を挿入することはできるが、それらが互いに破壊し合うことはない。』(29)
 このことの帰結は、社会党はプロレタリアートだけではなくネイション全体(the entire nation)を指導しなければならない、ということだ。すなわち、『<ナショナルな社会主義(un socialismo nazionale)>』を生み出さなければならない。
 たしかに、世界的(インターナショナルな)社会主義から国家の(ナショナルな)社会主義への移行は、野心ある西側ヨーロッパのデマゴーグについてよく理解させる。(30)
 ムッソリーニは、一つのエリート政党が指導する暴力革命という考え方に忠実なままだった。しかし彼はこれ以降は、ナショナルな革命を目指すことになった。//
 ムッソリーニの転回はまた、戦略的な思考だったと説明することもできる。すなわち、革命には国際的な〔international=国家間の〕戦争が必要だとする確信からだ。
 こういう見解はイタリアの社会党創設者たちの間では共通していた。それは、極左のセルジオ・パヌンシオ(のちファシズムの主要な理論家)が戦争開始の二ヶ月後に新聞<前へ!>で書いた、つぎの考察文にも見られる。
 『<私は、現在の戦争だけが-かつより激しくて長引く戦争が-ヨーロッパ社会主義を革命的行動へと解き放つだろうと確信する。>(中略)
 国外での戦争には、国内での戦争が続かなければならない。前者は後者を準備しなければならない。そして、その二つが一緒になって、社会主義の偉大で輝かしい日を用意しなければなならない。(中略)
 われわれ全てが、社会主義の実現は<求められ>なければならないと確信している。
 今が、<求めて> そして<獲得する>ときだ。
 社会主義が緩慢でかつ…<中立的>であれば、明日には、歴史的状況は現在の状態と類似の情勢を再確認するだけにとどまるかもしれない。しかし、客観的には、社会主義からはより離れた、しかしかつ逆の意味での転換点でありうる。(中略)
 われわれは、われわれの全てが、<全ての>諸国家が-<いかなる程度>にブルジョア国家であろうと-勝者と敗者のいずれであろうと、戦争の<あと>では、粉砕された骨とともに衰弱して横たわっているだろう、と確信する。(中略)
 資本主義は深い損傷を受けるので、最後の一撃(< coup de grace >)には十分だろう。(中略)
 平和の教条を支持する者は、無意識に、資本主義を維持する教条を支持しているのだ。』(*)//
 戦争へのこのような肯定的態度は、ロシアの社会主義者たちに、とくに極左の立場の者たちに、もう少しは率直さを抑えて語られたが、知られていなかったわけではない。
 レーニンが第一次大戦の勃発を歓迎し、それが長く続いて、破滅的になることを望んだ、という証拠資料がある。
 世界の『ブルジョアジー』を大量殺戮者と攻撃する一方で、レーニンは個人的には、その自己破壊を称賛していた。
 バルカン危機の間の1913年1月に、レーニンはゴールキにあてて、つぎのように書いた。
 『オーストリアとロシアの戦争は、(東ヨーロッパ全体の)革命にとってきわめて有用だ。しかし、フランツ・ヨゼフとニコラシュカ(ニコライ二世)は、われわれにこの愉しみを与えてくれそうにない。』(31)
 レーニンは、大戦中ずっと、ロシアおよびインターの社会主義運動で、平和主義に関するいかなる宣明をすることも拒否した。社会主義者の使命は戦争を止めることではなく、戦争を内乱へと、つまり革命へと転化することだと主張しつつ。//
 ゆえに、つぎの旨のドメニーコ・セッテンブリーニ(Domenico Settenbrini)の叙述には賛同しなければならない。すなわち、ムッソリーニとレーニンの戦争への態度には、一方は自国の参戦に賛成し、他方はともかくも表向きは反対しているとしても、強い類似性がある。彼はこう書く。//
 『(レーニンとムッソリーニの二人は)以下のことを悟っていた。党は大衆を革命化し、その反応を形成するための道具ではありうる。しかし、党はそれ自身によっては、革命の根本的な前提条件-資本主義的社会秩序の崩壊-を生み出すことはできない。
 プロレタリアートの自己啓発によって自動的に出現する革命精神、その結果として弱体化する市場に資本主義者が商品を売れなくなること、についてマルクスがいったい何を語っていようが、プロレタリアートはますます貧窮化し、革命精神は欠如していることが判り、資本主義秩序は破滅に向かうどころか拡張している、というのが事実だ。
 したがって、マルクスによって自動的に起動すると想定されたメカニズムには、それを補完するものがなければならない。補完するものとは、-戦争だ。』(**)
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  (29) ムッソリーニ, オペラ・オムニエ, Ⅶ (1951), p.101。また、Gregor, ファシスト信条, p.171 も見よ。
  (30) ムッソリーニ, 同上。Gregor, ファシスト信条, p.168-171。
  (*) フェリーチェ, ムッソリーニ, p.245-6 から引用。この論考の正確な著者はムッソリーニ自身である可能性が指摘されてきた。
 1919年にムッソリーニは、イタリアの参戦に関して、『革命とその始まりの最初のエピソードだ。革命は戦争の名のもとで40ヶ月続いた』と語った。これは、A. Rossi, イタリアファシズムの成立, 1918-1922 (1938), Ⅱ に引用されている。
  (31) レーニン, PSS, 第48巻, P.155。
  (**) G. R. Urban 編, ユーロ・コミュニズム (1978), p.151。
 セッテンブリーニ(Settenbrini)は、つぎの興味深い疑問を提出している。
 『かりに1914年のイタリア政府のようにロシア帝制(ツァーリ)が中立のままにとどまっていたとすれば、レーニンはいったい何をしただろうか。レーニンが熱心な干渉主義者(Interventioist)にならなかったとは、確実に言えるのではないか?』
 Settenbrini, in : George L. Mosse 編, 国際的ファシズム (1979), p.107。
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 ⑤につづく。

1248/オリンピックを<ナショナリズム発揚>と忌避する「左翼」。

 月刊正論(産経新聞社)は編集長・編集部が変わってかなりマシになってきたようだ。
 部員として安藤慶太・上島嘉郎という、信用の措けそうなベテランが入っていることも大きいのかもしれない。
 そろそろ数ヶ月遅れて中古本を読むのはやめようか、という気にもなってきた。
 月刊正論7月号で目に付くのは、元週刊朝日編集長・川村二郎の朝日への「決別」文だ。だが、読んで見るとほとんど朝日新聞社グループ内のもめ事の程度のようだ。すなわち、川村二郎は、朝日新聞社の「左翼」性あるいは「容共」性を日本国家・日本国民の立場から批判しているのでは全くない。せいぜいのところ、論説委員等の文章力への嘆きとか自分に対する処遇のうらみごと程度では、まったく迫力がない。
 それよりも、朝日新聞を毎日読むという精神衛生に良くない習慣のないところ、朝日新聞の昨年10/13付けの曽我豪(当時、政治部長)のコラムが一部引用されていて。その内容に興味を持った。川村によると、2020年東京五輪について曽我はこう書いた、という。
 「国民の和合の礎となる」よう「昇華していけるのか、国威発揚の道具に偏して無用な対立や混沌を生むのか」、これがこの7年の「日本の政治の課題なのだろう」。
 川村の批判に含まれているかもしれないように、二つの選択肢を挙げて、どちらを主張することもなく、「日本の政治の課題」だと言うのは、日本語文としても厳密には奇妙だ。「無用な対立や混沌」なるものの意味もよく分からない。
 そのことよりも、朝日新聞の政治部長がオリンピックについて「国威発揚の道具に偏して無用な対立や混沌を生む」可能性に言及していることが興味深い。明確に書くことなく(例のごとく?)曖昧にはしているが、オリンピックを「国威発揚の道具」に少なくともなりうるものとして批判的に捉える、という朝日新聞らしい感覚が見てとれる。
 オリンピックは、あるいはサッカー・ワールドカップは、客観的には「国威発揚」の場となり、国民「統合」の方向に働くことは否定できないと思われる。いちいち述べないが、やはりかなりの程度は、オリンピックでの成績(メダル数等)は<国力>に比例していることを否定できないと思われる。スポーツをできる余裕のある国民の数やスポーツに財政的にも援助できる金額等々は、国(国家)によって異なり、<格差>のあることはほとんど歴然としていると思われる。
 だが、そのことをもって「国威発揚の道具」視するのは、何についても平等でなければならず、<競争>の嫌いな、従ってまた<国家間の競争>についても批判的・諧謔的に捉えようとする「左翼」のイデオロギーに毒されている、と感じざるをえない。
 国家間の武力衝突・戦争に比べれば、平和的でルールに則った、可愛い「競争」ではないか。
 だが、「日本」代表とかいうように、個別「国家」を意識させざるをえないことが、朝日新聞的「左翼」には不快であるに違いない。
 先日言及した、<共産主義への憧れをやはり持っている>と吐露した人物は、<国威発揚の場となるようなオリンピックはやらない方がよい>と言い切った。あとで、オリンピック一般ではなく「国威発揚のために使われる」それに反対だと言い直していたのだが、趣旨はほとんど変わらないだろう。上述のように、客観的に見て、オリンピック等の「国家」を背負ったスボーツ大会は「国威発揚の場」にもならざるをえないからだ。
 何年かに一度、「日本」代表選手又は選手団の勝敗や成績に関心をもち、応援して一喜一憂する国民が多くいることは悪いことではないと思う。
 「地球」や「世界」ではなく個別の「国家」を意識させざるをえないオリンピック等に朝日新聞的「左翼」はもともと警戒的なのだ。彼ら「左翼」は、むろん日本国民の中にもいる「左翼」は、サッカー・ワールドカップのパプリック・ビューイングとやらに何万人、何千人もの人々が集まることに批判的、警戒的であるかもしれず、あるいは<ナショナリズムを煽られた>現象だと理解するのかもしれない。
 だが、そのように感じる意識こそが、どこか<倒錯>しているのだ。「国家」を意識したくなく、(本来のコミュニストはそうだが)「国家」を否定したい、というのは<異常な>感覚なのだ。「日本」代表を応援するのが<ナショナリズム>だとすれば、それは何ら批判されるものではないし、批判的に見る<反・ナショナリズム>の方がフツーではない。しかし、一部にはそういう者もいて、<大衆は…>などと批判していそうなのだから、異様で、怖ろしい。

1198/資料・史料-1993.08.04河野談話・1995.08.15村山談話。

 資料・史料-いわゆる<河野談話>・<村山談話>

 

 1.<河野談話>

 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

 平成5年8月4日

 「いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。」

 

 2.<村山談話>

 村山内閣総理大臣談話

 「戦後50周年の終戦記念日にあたって」
 
平成7年8月15日

 「先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 『杖るは信に如くは莫し』と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。」

0980/自民党は「民族系・容共ナショナリズム」-中川八洋・民主党大不況(2010)から③。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.300以下の適宜の紹介。逐一のコメントは省く。

 ・細川・村山「左翼」政権は二年半にすぎず、自民党が「保守への回帰」をしておけば「自由社会・日本」の正常路線に戻ることは可能だった。だが、自民党は村山「左翼」路線を継承し、「日本の左傾化・左翼化」は不可逆点を超えた。2009年8月の自民党転落(民主党政権誕生)は、自民党が主導した「日本国民の左傾化」による、同党を支える「保守基盤」の溶解による。「マスメディアの煽動や情報操作も大きい」が、橋本以降の自民党政権自体こそが決定的だった(p.300-1)
 ・自民党内の「真・保守政策研究会」(2007.12設立)には①~⑦〔前回のこの欄に紹介〕の知識がない。①の「マルクス・レーニン主義」すら「非マルクス用語に転換」しているので、知識がなければ見抜けず、民主党が「革命イデオロギーの革命政党」であることの認識すらない(p.312)。
 ・彼ら(同上)が理解できるのは、①外国人参政権、②人権保護法、③夫婦別姓がやっとで、1.①「男女共同参画社会」、②「少子化社会対策」、③「次世代育成」、④「子育て支援」が共産主義(「共産党」)用語であることを知らない。2.「貧困」・「派遣村」キャンペーンの自民党つぶしの「革命」運動性を理解できず、3.過剰なCO2削減規制が、日本の大企業つぶし・その「国有化」狙いであることも理解できず、4.「地方分権」が「日本解体・日本廃絶の革命運動」であることも理解できない(p.312-3)。

 ・彼ら、「民族系自民党議員」は正確には「容共ナショナリスト」で、チャーチル、レーガンらの「反共愛国者」・「保守主義者」とは「一五〇度ほど相違」する。自民党が英国のサッチャー保守党のごとき「真正の保守政党になる日は決してこない」。それは自民党ではなく「日本の悲劇」だ(p.313)。

 今回は以上。西部邁の言葉を借りれば、日本について「ほとんど絶望的になる」。

 中川八洋によれば、安倍晋三の「極左係数」は「98%」で(p.295)、明言はないが、平沼赳夫も「真正保守」ではなく「民族系」に分類されるはずだ。安倍晋三についての評価は厳しすぎるように感じるが、平沼赳夫の-そして「たちあがれ日本」の-主張・見解がけっこう<リベラル>で、<反共>が鮮明でないことを、最近に若干の文献を読んで感じてもいる。

 ナショナリズム(あるいは「ナショナル」なものの強調)だけでは「保守」とは言えない。反共産主義(=反コミュニズム)こそが「保守」主義の神髄であり、第一の基軸だ、という点では中川八洋に共感する。
 さらに、機会をみて、中川八洋の本の紹介等は、続ける。

0946/「戦後」とは何か⑥-佐伯啓思・日本という「価値」(2010)より2。

  佐伯啓思・日本という「価値」(2010、NTT出版)によると、自民党内部に、「顕教的価値」重視勢力と「密教的価値」重視勢力の二つの「政治文化」が形成された。①「護憲的勢力と改憲派」、②「国際主義とナショナリズム」、③「国連中心主義者と親米派」、④「非核三原則とアメリカの核のカサ」、⑤「普遍的な人権論者」とそれへの「反対勢力」、⑥「自由競争路線と福祉重視派」、⑦「都市化論者と地方主義者」、「すべてがあった」(p.166)。
 個々の自民党員や国会議員が上のすべての項についてきれいに前者か後者のいずれかに分類されるとは思えないが、自民党が「国民政党」という名の、これらの「包括的政党」だったとの趣旨は分かる。

 そして次のいくつかの文章は、少なくとも1990年頃までの「戦後」を、じつに的確にかつ簡潔に描いているように見える。

 自民党の内部対立が顕在化することなく推移したのは、「戦後憲法の平和主義を(暫定的であれ)受け入れ、日米関係を堅持し、そのもとで経済成長を達成し、…その成果をできるだけ国民に広く配分する」という「現実主義的妥協」だった(p.166)。

 この妥協はときに「吉田ドクトリン」と呼ばれるが、どこまで自覚的だったかはともかく、この妥協によって日本人は「あの二重性のもつ亀裂や分裂に頭を悩ませる必要から解放」された。「亀裂はうまく隠蔽」され、顕教も密教も「その時々においてすみ分けつつ配備」され、日本人は「特に痛痒を感じることなく過ごす」ことができた(p.166-7)。

 「大多数のサラリーマン」は「日本的」企業で「一生懸命働けば、所得が増加し、家族が満足し、そして、日本全体としても豊かになっていった。その時に、一体誰が日米関係の変則性や憲法のもつ矛盾に頭をなやます必要があるだろうか」(p.167)。

 「経済成長のもと」で「個人、家族、地域、企業、日本」は一本につながり、「あえて難問を思考するという不協和音」を入れる余地はなかった。「吉田ドクトリン」は1951年以降の自民党の「政治原則を示すキーワード」だろうが、これは自民党政治の象徴のみならず、「戦後日本を覆う精神状況そのもの」だった。自民党政権の長期継続は、自民党の体質が「戦後日本人の平均的な精神状態を表していた」からだろう(p.167)。

 「吉田ドクトリン」なるもの、つまり吉田茂の<思想と政策>についてはなおも検討の余地があるだろう。だが、少なくとも1990年頃までの、あるいは今日もなおも維持されている「戦後」日本の基本的体制(?)は、A・日本国憲法のいう「戦力」不保持条項のもとでの「平和」または「軽装備」主義とそれを補う日米安保条約を通じたアメリカ(の核を含む軍事力)による日本の「保護」、B・これを前提または与件とした「経済成長」または「経済的・物質的富」の追求、だった、とさしあたり理解している。

 自民党の長期政権の背景には、「顕教」と「密教」のいずれかを上手く分担してくれる政党が他になかったこと、つまり、少なくとも表向きは、上のAの要素である「日米安保条約を通じたアメリカ(の核を含む軍事力)による日本の『保護』」に反対して、日米安保破棄を主張していた日本社会党が野党第一党だったという不幸な事態があった、ということは記しておいてよいだろう。この点に佐伯啓思は明示的には言及していないが、ともあれ、「(A①)戦後憲法の平和主義を(暫定的であれ)受け入れ、(A②)日米関係を堅持し、そのもとで(B)経済成長を達成し、…その成果をできるだけ国民に広く配分する」、あるいは国民は物質的・経済的利益を「配分」される、という政策、意識あるいは「体制」が継続した―基本的には今日も継続している―のが、日本の「戦後」だった、と思われる。

 佐伯は上で、①「日米関係の変則性」と②「憲法のもつ矛盾」を簡単に語っている。佐伯のいう「冷戦(構造)の終わり」のあと、おおむね1990年代初め以降、本当はこれらがより強く意識され、まともに論じられ、改められる必要があった。これらについては、また触れる機会があるはずだ。

0913/中西輝政・ウェッジ2010年10月号を読む②。

 中西輝政・ウェッジ2010年10月号論稿は「危機が現実化し本当の破局に立ち至」ってようやく国民が気づいて「政治が大転換する」、という「破局シナリオ」を語る。

 中西によると「教育やモラル、社会の劣化」は国家の「全面崩壊」の状況を「はっきりと見せる」ものではなく、「安全保障問題の破局が先に来る」とする。そして、最も可能性があるのは、「中国に実質的な外交権を委ねて生きるしかないという、いわば『日本族自治区』のごとき状況を招くという破局」だ、という(p.31)。
 日本が、中華人民共和国日本省または中華人民共和国日本族自治区(あるいは日本の東西でそれらに二分)になる可能性(=危険性)が語られてきているが、中西輝政もまたそれを明示しているのが注目される(見出しにも使っている。p.31)。

 だが、中西も言うように、上の可能性(=危険性)はないとは「誰にも言えない」にもかかわらず、日本国民の多くは、そのように(危険性はないと)「信じている」。ここに本当の恐ろしさがあるだろう。マスメディアの主流によって、そのような可能性(=危険性)はあっても極小なものだとのデマ的空気が撒き散らされている。何も積極的には知ろうとはせず、情報ソースを一般新聞とテレビだけに頼っている多くの国民は、相変わらず、能天気のままで、(本当は)<朦朧としながら>生活している。

 中国の<覇権>はまずは台湾に及び、続いて尖閣諸島から始まって沖縄全体に及ぶと見るのが常識的だろうが、<日本は沖縄を「侵略」して併合した>などという歴史認識をもっている「何となく左翼」も沖縄県民も含めて少なくはないようなので、沖縄の日本からの自立・独立を中国はさしあたり狙うかもしれない。

 先日言及した関口宏司会の番組で、中国人船長(ではなくおそらく兵士又は工作員)釈放について何人かの日本人の街角コメントを紹介したあと、関口宏は「冷静な見方もあるようですが」と述べて、中国(と弱腰の日本政府側)に憤慨するのではなく<冷静な>対応が望ましいかのごとき反応を示した。

 中国・共産党独裁国家と闘わないと日本は生きていけない(日本列島は残っても「日本」は消滅する)ことは明らかだと思われるのだが、ナショナリズムを刺激しそれを発揚することを回避・抑制しようとするマスメディアの姿勢は、必ずや日本の「亡国」に導くように思われる。<左翼>人士・メディアは、<戦争をしたがっている保守・反動・右翼が騒いでいる>との合唱をし始めるだろうから、バカは死ななきゃ直らない、と言う他はないだろう。

 中西が上に書くような「破局」がいったん起これば、立ち戻ることはもうできないのではないか。「もはや中国の脅威に抗しえない」という状況(p.31)の発生自体を阻止する必要がある。今の民主党政権にそのような力は、意思自体すら、ないことは明らかなのだが。

0905/月刊正論11月号・中西輝政論文等-冷戦。

 一 月刊正論11月号(産経、2010)の巻頭、中西輝政「中国の無法を阻止する戦略はあるか」
 巻頭言にしては長い。p.33-44の二段組み、計12頁。
 「東アジア全体が、…『冷戦』に突入しているのである。今回の新たな冷戦では、東西冷戦とは異なり、日本が否応なくその最前線に立たされる。…」(p.41)

 欧州ではともかくとしても、日本ではソ連崩壊後も<冷戦は継続している>ということは、近時の主張しておきたいところだった。
 同上誌のp.316で水島総は「既に世界は変わり、ポスト冷戦から、ポストポスト冷戦に様変わりした」、と書く。
 ニュアンス、厳密な意味は同一ではなさそうだが、現在の日本が「冷戦」の真っ只中にあるという認識では共通しているだろう。
 水島が言っているだろうように、ソ連崩壊によって「資本主義」あるいは「保守(・自由主義)」が勝利した、と単純に考えている「戦後保守」がいるとすれば、とんでもない間違いだ(但し、この人のこの号の叙述には感覚的に合わないところもある)。
 いずれにせよ、「保守」の側はともかくとしても、中国・北朝鮮(論じ方によっては韓国も)という近隣諸国に断固として立ち向かう必要がある、と漠然としてであれ考えている国民が多数派ではないようであることが、現在の日本の怖ろしいところだ。

 新憲法によって日本は平和で自由なよい国になった、それは基本的には今日までずっと継続している、と何となく考えている(私に言わせれば勉強不足の、あるいは主流派的マスコミに騙されたままの)国民はまだけっこう多いのではないか。

 そのような人々は、中国等の脅威(・異様さ)を正当に指摘し、例えば日本の「ナショナルなもの」の保持の必要性を語るような議論を、<偏っている>とか<右翼・民族派>とか言って無視するか軽蔑しがちだ。
 説明する必要もないほどだが、そのような人々とはもはや「口をきく気にもなれなくなっている」。

0903/TBSよ、ナショナリズムは悪か-尖閣問題を扱った「サンデー・モーニング」。

 何度か「死んだ」はずのTBSはまだしつこく生きていて、<左翼>信条にそった番組作りをしている。
 最近の朝日新聞の尖閣諸島問題に関する二つの社説は「ナショナリズム」という語を使っていないようだ。これに対して、TBSの9/26の「サンデー・モーニング」は正面から「ナショナリズム」を問題にしてきた。
 コメンテイターの発言はそれぞれニュアンスは異なり、単色のイメージで番組を作ろうとしていたわけではない。
 だが、局(この番組担当者)自体が作成したと見られる「ナショナリズム」に関する説明・コメントは、明らかに<左>に傾いている。つまり、断定的ではないにせよ、「ナショナリズム」=悪、というイメージを撒いている。
 コメンテイター以外に登場させた佐高信は<愛郷心ならよいが、ナショナリズムは「国家」と結びつくと「必ず排他的」になる>と発言した。はたしてそうか。こんなに一般化して言えるのか? ともかくも反「国家」心情がここには示されているだろう。
 コメンテイターの一人・岸井某(毎日新聞政治部記者だったか?)は他にまともなコメントもしていたが、<歴史の教訓からして、ジャーナリズムの責任は、ナショナリズムを煽らないことだ>と発言した。朝日新聞・若宮啓文の、<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>との有名な文章を思い出す。ナショナリズムを刺激せず、沈静化するのがジャーナリズム、マスメディアの義務とでも考えているならば、とんでもない誤りであり、思い上がりだと言うべきだろう。そもそもが、ナショナリズムとの関係をさほどに強く意識していることこそが、戦後のジャーナリズム・マスメディアの奇妙なところだとは思わないのだろうか。
 短い時間の番組に期待しても無理なのだろうが、あるいは、だからこそ、「ナショナリズム」に関する単純な理解にもとづくイメージ作りをしてほしくはないものだ。
 具体的な担当者は、世界で残念ながら(?)現実化していないが<グローパリズム=善、ナショナリズム=悪>という意識・観念をもっていて、賢(さか)しらに(?)、意図をもって、番組自体のナショナリズムに関する説明等を準備したのではないのか。
 加えて、番組自体の説明・コメントとコメンテイター類の発言に共通していたのは、具体的な尖閣問題を具体的に論じることなく、一般的レベルの<ナショナリズム>に関するコメントにほとんど終始していたことだ。これも、上記番組の一種の(気のつきにくい)特徴であり、いやらしいところだった。
 日中関係問題一般に遡及することもまだ一般的抽象的すぎるところがあるが、さらに日中(・日韓)問題を念頭においたような<ナショナリズム>の問題に格上げ(?)することも、本質を覆い隠す役割を果たしている。
 尖閣諸島は日本の領土なのかどうか、その領海で中国人(たんなる船長ではない可能性がある)は何をしたのか、中国政府と日本側(政府・外務省、那覇地検)の主張の内容と対立点はどこにあるのか、等々の具体的なことをおさえずして、<ナショナリズム>の是非等をほとんど一般論レベルで語らせることは、反復するが、問題の本質を視聴者が把握することを困難にさせただろう。
 この番組は必ず観てはいないが、ときにたまたま見ていると、司会の関口宏を筆頭に<戦後教育の影響を強く受けた「何となく左翼」(これが現今の日本の多数派だ)臭>を感じて、辟易することがあった。今回も同様にうんざりするところがあったので、書いておいた。
 TBSや毎日新聞は、朝日新聞と同様に、基本的なところでは、日本(人)のナショナリズムを「刺激」したり「煽動」したりしないような「冷静な」、つまりは<中国をできるだけ批判しない>、結果的には<親中>・<媚中>の報道姿勢をとり続けるのだろう。

0897/内田樹は高橋哲哉にはついていかない。

 内田樹は「卑しい街の騎士」と題する2005年の文章の中で、1995年の高橋哲哉の文章に言及している。
 高橋哲哉は1995年に簡単にはこう(も)書いたらしい。
 ・<自国の「汚れた死者」(日本人戦死者)の哀悼よりも(アジア諸国への)「汚辱の記憶」を引き受けることが優先されるべき。
 ・「侵略者である自国の死者」への責任とは「哀悼や弔い」でもましてや彼らを「かばう」ことではなく、「彼らとともにまた彼らに代わって」、被侵略者への償い=「謝罪や補償を実行する」ことだ。
 内田樹は、高橋の「理路は正しい」、しかし思想とは「こんなに、鳥肌の立つようなものなのか」とコメントしている。
 「鳥肌の立つような」とは、感動したときにも用いられる、好意的・賛同的な意味での表現でもありうるが、内田によると、「…高橋自身が日々ゆっくりと近づいている『結論』に私の身体が拒否の反応をした」ということを意味するようだ。つまり、拒否的・消極的な反応の表現として使っている。
 つづけて、内田は高橋哲哉・靖国問題(ちくま新書、2005
)に言及する。高橋のこの本は読まないままでどこかに置いているのだが、高橋は、この書の結論部でこう書いているらしい。
 ・国家によるそのために死んだ者(戦死者)の「追悼」は、つねに「尊い犠牲」・「感謝と敬意」のレトリックが作動して、「顕彰」にならざるをえない。
 ・国家は「戦没者を顕彰する儀礼装置をもち、…戦死の悲哀を名誉に換え、国家を新たな戦争や武力行使に動員していく」 。
 内田樹は次のようにコメントする。
 ・高橋の主張は「正しい」が「正しすぎる」。すなわち、これは「現存するすべての国民国家」等に適用されねばならない。つまり、「靖国神社を非とする以上、世界の共同体における慰霊の儀式の廃絶を論理の経済は要求する」。
 ・だが、中国も韓国もイスラム過激派もアメリカも欧州諸国民も受容しないだろう。それは「倫理的に十分に開明」的でないためかもしれないが、「世界中の全員を倫理的に見下すような立場に孤立」することが政治への実効的なコミットだとは思えない。
 ・「高橋哲哉の論理はそのまま極限までつきつめると、いかなるナショナリズムも認めないところまで行きつく」し、すべての民族等の否定にまで行きつく。例えば、①アジア諸国への日本の謝罪もそれを「外交的得点」とすることをアジア諸国政府に禁じる必要がある。それらの国の「ナショナリズムを亢進」させるから。②謝罪等をすることにより「倫理的に高められた国民主体を立ち上げた」という意識を日本人がもつことも禁じる必要がある。「ナショナルな優越感の表現」に他ならないから。
 高橋哲哉の原文を読んではいないが、なかなか鋭い分析と批判だ。
 だが、むろん、高橋哲哉の見解・主張の「理路は正しい」のか、「正しすぎる」のか、高い<倫理>性をもつものかは、本当にそうなのか、レトリックだけの表現なのか、という疑問が湧く。
 それに、そもそも、上の一部だけ問題にするが、高橋哲哉は本当に「いかなるナショナリズムも認めない」のか否かは検討されてよいだろう。論理的にはそうならそざるをえない、という指摘は重要だが、高橋哲哉がそのことを意識しているかどうかは別問題だとも思われる。
 すなわち、高橋哲哉は、日本国家についてのみ「ナショナリズム」の否定を要求しているのではないか。日本国家についてのみ、戦没者「慰霊」施設の廃絶を要求しているのではないか。それが高橋の本音ではないか(そして朝日新聞の若宮啓文も同様ではないか)。
 その意味で高橋はきわめてご都合主義的であり、きわめて<政治的>なのではないか。さらにいうと、論理・理論の世界に生きているようでいて、じつは(日本とその国家に対する)何らかの怨念・憤懣を基礎にして言論活動をしているのではないか(さらにいえば、それは日本「戦後」のインテリたちの基底にある心情ではないか)。
 以上は、内田樹批判ではない。内田は次のように文章をまとめている。
 「高橋哲哉の説く透明な理説」が一基軸として存在しえ、「思想的には重要」であることは認めるが、「私はこの『案内人』にはついてゆくことができない」。
 前段部分は褒めすぎのように思えるが、内田が結論的に高橋哲哉の議論を支持していないことは明らかだろう。
 内田樹の上記の題の文章は、加藤典洋・敗戦後論(ちくま文庫、2005)の「(文庫)解説」として書かれたもの(p.353-362)。
 内田は、加藤典洋は「熟練の案内人」、「正しい案内人」として肯定的に評価している。そして、高橋哲哉という「『案内人』にはついてゆくことができない」と結んでいるわけだ。
 加藤典洋の書の本体も読みたいものだが、はたして閑があるかどうか。

0803/鳩山由紀夫の過去の発言-8/17阿比留瑠比ブログによる。

 本イザ・ブログの産経・阿比留瑠比の8/17のエントリーに、民主党代表・鳩山由紀夫の過去の発言のいくつかが紹介されている。
 この人物が九月には次代の内閣総理大臣の国会で指名されるのだろうか。以下に阿比留の紹介そのままに再引用させていただく。再確認をして又は最近の言辞と比較等をして、面白く、また恐ろしい。
 この人は総理大臣を辞したら議員(政治)から身を引く旨をすでに!!述べて、自らの<老後>のこともすでに考えている。戦後<個人主義>者の徴し。
 ①「選挙に言動を左右されない志を持った政治家の集団を生み出すことが日本の未来を導く可能性をもたらすのである。常に選挙を念頭に行動し、世話になっている団体に頭が上がらず、本音が言えない政治家を政治家と呼ぶべきではない」(平成8年1月16日付朝日、新党さきがけ代表幹事、「論壇」欄に寄稿して)

 ②「あまり苦労知らずに今日まで政治の世界にいて、無理をしてきてない。それだけ市民の発想に近いところに身を置くことができるんじゃないか。政治家は 目指して苦労を重ねていると、例えば、金銭的に危ない橋を渡らないといけない。しかも一度得たバッジは絶対失いたくないということで、わりと国民に迎合的な政策しか打ち出せなくなる恐れがある」(平成8年5月3日付読売、新党さきがけ代表幹事、世襲議員のメリットについて)
 ③ 「日本と北朝鮮は体制が違うことを前提に相互理解を深めるべきです。北朝鮮へのコメ支援でも、隣国として支援の手を差し伸べれば、わだかまりを減らすことができます。ただ、こういう発想をすると北朝鮮ロビーと思われる日本の風土があります」(平成8年7月18日付日経、新党さきがけ代表幹事、インタビュー)
 ④「大変強いリーダーシップを持たれるときもあったが、逆に自分の主張を遂げるために民主主義の基本的原則を超越、無視してきた部分があって信奉者が離れていった」(平成10年4月11日付産経、「旧」民主党幹事長、自由党の小沢一郎党首に対する評価で)
 ⑤「私は創価学会さんのヒューマニズムを追求する姿勢は非常に大事だと思っております。我々と公明党さんとの距離が一番近いぞ、ということを選挙で示すことはできるだろうと思っていますし、(公明党との)連立政権のところまで導くことが必要だ」(平成11年1月22日付毎日、民主党幹事長代理、公明党との選挙協力に関して)
 ⑥「結局、小沢氏が五年前に自民党を飛び出したのは、派閥内や自民党内の権力闘争に敗れて飛び出しただけで、国民にそれを悟らせないために『政治改革』の旗を掲げていただけ--としかいいようがありません」(平成11年2月25日付夕刊フジ、民主党幹事長代理、自身のコラム「永田町オフレコメール」で)
 ⑦「日本としては日米韓の安全保障体制を基軸としながら、韓国の太陽政策の線で協力すべきだと思います。現在、日本と北朝鮮の間で交渉のテーブルがないことがお互いを疑心暗鬼にしています。確かに、わが国は拉致疑惑といった特殊事情を抱えていますが、真っ先に拉致疑惑を持ち出せば交渉は成立しません。まず、何の前提もなく協議の場を設けるべき」(平成11年3月11日付夕刊フジ、民主党幹事長代理、コラム「永田町オフレコメール」で)
 ⑧「『対話と抑止』より韓国の包容政策(太陽政策)のような方向にすべきです。拉致疑惑や不審船事件があると日本は硬化しがちだが、冷静に対話の道を切り開くことが大切」(平成11年4月25日付朝日、民主党幹事長代理、インタビュー)
 ⑨「私は核武装は絶対反対ですが、国会でそういう議論があってもいいと思うのです」(平成11年10月28日付夕刊フジ、民主党代表、コラム「永田町オフレコメール」で)
 ⑩「東北選出のある議員が、知事にかけ合って地元の有料道路を無料化させたのに、喜ばれたのは二日間だけで『どうせ税金から出すんでしょ。それなら使う人だけ払った方がいい』と批判されている」(平成12年1月6日付夕刊フジ、民主党代表、小泉元厚相との対談で)
 ⑪「(ドイツと比べて歴史の総括が不十分だったことが)今でも日本への信頼を勝ち得ていないことを事実として認めたい。もし、首相となる機会に恵まれれば、歴史認識の問題は皆さんの前でしっかり話す」(平成12年12月14日付産経、民主党代表、北京市内の中国人民大学で講演して)
 ⑫「偏狭なナショナリズムに基づくような教科書が日本の子供たちに影響を与えないよう努力していきたい」(平成13年5月4日付産経、民主党代表、韓国の金大中大統領との会談で扶桑社のの教科書の不採択を働きかける考えを伝えて)
 ⑬「私は、憲法や安全保障といった最も基本的なテーマについてマニフェストが機能していないのが最大の問題だと思っている」(平成15年9月4日付毎日夕刊、民主党前代表、インタビューで)
 ⑭「政権交代に向けて次期衆院選に憲法改正を掲げて挑むべきだ。政権党が当然やるべき改憲を自民党に先駆けて実現させるという意欲が必要だ」(平成15年9月12日付産経、民主党前代表、インタビューで)

0788/資料・史料-2006.12.25朝日新聞・若宮啓文<風考計>コラム。

 資料・史料-2006.12.25朝日新聞・若宮啓文<風考計>コラム
 平成18年12月25日

 
//言論の覚悟 ナショナリズムの道具ではない
 教育基本法に「愛国心」が盛り込まれ、防衛庁が「省」になることも決まった日の夜だった。
 「キミには愛国心がないね」学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。
 いわく、首相の靖国神社参拝に反対し、中国や韓国に味方したな。
 卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱に従わなかった教職員の処分を「やりすぎ」だと言って、かばったではないか。
 政府が応援するイラク戦争に反対し続け、自衛隊派遣にも異を唱えて隊員の動揺を誘うとは何事か。
 自衛隊官舎に反戦ビラを配った者が75日間も勾留(こうりゅう)されたのだから、よからぬ記事を全国に配った罪はもっと大きいぞ、とも言われた。「そんなばかな」と声を上げて目が覚めた。
 月に一度のこのコラムを書いて3年半。41回目の今日でひとまず店じまいとしたいのだが、思えばこの間、社説ともども、小泉前首相や安倍首相らに失礼を書き連ねた。夢でよかったが、世が世なら落第どころか逮捕もされていただろう。
    ◇
 「戦争絶滅受合(うけあい)法案」というのを聞いたことがあるだろうか。
 条文を要約すれば、戦争の開始から10時間以内に、国家の元首(君主か大統領かを問わない)、その親族、首相や閣僚、国会議員らを「最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし」というものだ。
 いまならまずブッシュ大統領に読んでもらいたいが、長谷川如是閑(にょぜかん)がこの法案を雑誌『我等(われら)』で書いたのは1929年のこと。第1次世界大戦からしばらくたち、再び世界がキナ臭くなり始めたころである。
 デンマークの陸軍大将が起草して各国に配ったという触れ込みだったが、それはカムフラージュの作り話。「元首」と「君主」は伏せ字にしてきわどく検閲をパスした。
 それより11年前、日本のシベリア出兵や米騒動をめぐって寺内正毅内閣と激しく対決した大阪朝日新聞は、しばしば「発売禁止」の処分を受けた。さらに政府糾弾の集会を報じたところ、記事にあった「白虹(はっこう)日を貫けり」の表現が皇室の尊厳を冒すとして筆者らが起訴され、新聞は廃刊の瀬戸際に立たされた。ついに大阪朝日は村山龍平社長らが辞職して謝罪し、政府に屈することになる。
 これが「白虹事件」である。かつて「天声人語」の筆者でもあった如是閑は、このとき大阪朝日の社会部長だった。言論の敗北に無念を抱きつつ退社して『我等』を創刊したのだ。
    ◇
 こんな古い話を持ち出したのも、いま「言論の自由」のありがたみをつくづく思うからにほかならない。現代の世界でも「発禁」や「ジャーナリスト殺害」のニュースが珍しくない。
 しかし、では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。
 靖国参拝に反対した経済人や天皇発言を報じた新聞社が、火炎ビンで脅かされる。加藤紘一氏に至っては実家が放火されてしまった。言論の封圧をねらう卑劣な脅しである。
 気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている。
 私はといえば、ある「夢想」が標的になった。竹島をめぐって日韓の争いが再燃していた折、このコラムで「いっそのこと島を韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた(05年3月27日)。島を「友情島」と呼ぶこととし、日韓新時代のシンボルにできないか、と夢見てのことである。
 だが、領土を譲るなどとは夢にも口にすべきでない。一部の雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーなどでそう言われ、「国賊」「売国」「腹を切れ」などの言葉を浴びた。
 もとより波紋は覚悟の夢想だから批判はあって当然だが、「砂の一粒まで絶対に譲れないのが領土主権というもの」などと言われると疑問がわく。では100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権はどうなのか。小さな無人島と違い、一つの国がのみ込まれた主権の問題はどうなのか。
    ◇
 実は、私の夢想には陰の意図もあった。日本とはこんな言論も許される多様性の社会だと、韓国の人々に示したかったのだ。実際、記事には国内から多くの共感や激励も寄せられ、決して非難一色ではなかった。
 韓国ではこうはいかない。論争好きなこの国も、こと独島(竹島)となると一つになって燃えるからだ。
 そう思っていたら、最近、発想の軟らかな若手学者が出てきた。東大助教授の玄大松(ヒョン・デソン)氏は『領土ナショナリズムの誕生』(ミネルヴァ書房)で竹島をめぐる韓国の過剰なナショナリズムを戒め、世宗大教授の朴裕河(パク・ユハ)氏は『和解のために』(平凡社)で竹島の「共同統治」を唱えた。
 どちらも日韓双方の主張を公平に紹介・分析しているが、これが韓国でいかに勇気のいることか。新たな言論の登場に一つの希望を見たい。
 日本でも、外国の主張に耳を傾けるだけで「どこの国の新聞か」と言われることがある。冗談ではない。いくら日本の幸せを祈ろうと、新聞が身びいきばかりになり、狭い視野で国益を考えたらどうなるか。それは、かつて競うように軍国日本への愛国心をあおった新聞の、重い教訓ではないか。
 満州へ中国へと領土的野心を広げていく日本を戒め、「一切を棄つるの覚悟」を求め続けた石橋湛山の主張(東洋経済新報の社説)は、あの時代、「どこの国の新聞か」といわれた。だが、どちらが正しかったか。
 最近では、イラク戦争の旗を振った米国のメディアが次々に反省を迫られた。笑って見てはいられない。
 だからこそ、自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ。//

 *ひとことコメント-いわゆる村山談話は「独善的なナショナリズム」を排すべきと述べるが、この若宮コラムでは「ナショナリズム」にそのような限定すらない。

0776/資料・史料-1995.08.15村山談話。

 資料・史料-1995.08.15村山談話(村山富市首相)

 //村山内閣総理大臣談話
 「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
 平成7年8月15日
 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。//

0729/佐伯啓思「『政治の品格』取り戻すには」-産経新聞5/28。

 産経新聞5/28佐伯啓思の一文「日の蔭りの中で/『政治の品格』取り戻すには」がある。
 「二大政党政治」につき、英米にはそれなりの背景があるが、日本には「存在しない」、あったとすれば冷戦下の<保守>・<革新>の対立だ、今の対立は「政策選択にも二大政党政治」にもならず「兄弟政党政治」(=親(国民)に向かっての兄弟の悪口の言い合い)に過ぎない、との指摘に、ほとんど異論はない。
 但し、完全な兄弟ではなく、民主党の一部には明確な(元?)社会主義指向者=「左翼」がいるので、相対的には<左・右>の違いが少しはあるだろう。また、安倍晋三らと鳩山由紀夫とではやはり少し違うだろう、<戦後レジーム>の評価の仕方が。といっても、現在、こうした対立点がどの程度有権者国民に意識されているかは疑わしい。
 佐伯啓思は、「見方によっては、方向は明瞭」とも書いて、①<「グローバル・スタンダード」への適応>と②<崩壊してゆく『日本的なもの』の保守>の対立(日本の「近代以降」の二つのモメント)を語る。
 これは、<グローバリズム適応>と<ナショナリズム志向(「日本的なもの」擁護)>が対立軸又は争点たりうる、という趣旨だろうか。
 但し、佐伯は明確には書いていないが、民主党と自民党を明確にこれら二つの対立軸の片方ずつに位置づけることが困難なことも厄介なところだ。自民党の中には、<グローバリズム適合>と<ナショナリズム志向(「日本的なもの」擁護)>が入り混じっているように見える。民主党は前者かもしれないが、後者に属する者もほんの一部はいるかもしれない。
 加えて感じるのは、<グローバリズム適合>と<ナショナリズム志向(「日本的なもの」擁護)>が対立軸又は争点だとした場合、あるいは近い将来にかかる観点から<政界再編>が生じた場合、後者に立つ政党は勝利する=有権者国民の多数派の支持を受ける、だろうか、という心配だ。
 朝日新聞はおそらく明確に<国際主義=グローバリズム>の立場に立つだろう。そして、<ナショナリズム志向(「日本的なもの」擁護)>派を執拗にかつ陰湿に攻撃するに違いない。
 はたして将来、日本国民はそのような朝日新聞的発想から離れることができるだろうか。

0707/民主党・鳩山由紀夫の外国人地方参政権容認発言について。

 一 産経新聞・阿比留瑠比のブログによると、民主党・鳩山由紀夫幹事長は、こう発言した、という。順番に、一部抜粋。
 1.「永住外国人地方参政権付与問題、日本人にどういうメリットがあるのか」との問いに対して
 ・「日本人が自信を失っていると。自信を失うと、他の国の血が入ってくることをなかなか認めないという社会になりつつあるなと。それが非常に怖い」。
 ・「定住外国人」は「税金を彼らが納めてるわけですよね。地域に根が生えて一生懸命頑張ってる人たちがたくさんいるわけです。度量の広さをね、日本人として持つべきではないか」。「自信があれば、もっと門戸を開いていいじゃないか」。
 ・「出生率1・32とか低いところにあるわけですから、この出生率の問題だけ考えても、もっと海外に心を開くことを行わないと、世界に向けても尊敬される日本にならないし、また日本の国土を守ることもできなくなってくる」。
 2. 「地方参政権と国政参政権は違う」ことに関して
 ・「地域に根ざして頑張ってる」、「彼らが地域の行政、参政をする、参画をする必要がある」。「ただ、国政になると、まさに国益の議論をもっと深刻に議論しなければいけないときがあると思うので、そこまでいま広げる必要はない」。
 3.その他
 ・「アメリカの良さはそういう度量の広さ、色の白黒の問題もありますけども」。
 ・「自信のあるなしの問題なんですよ。自信があれば、もっと度量を広く持てば、日本列島は日本人だけの所有物じゃないんですから。もっと多くの方がたに参加してもらえるような、喜んでもらえるような、そんな土壌にしないとダメです」。
 ・「日本人がアメリカに何か憧れたりするわけでしょ? 私は例えばオバマ大統領を生んだアメリカってのはすごいと思いますよ。絶対にそのようなことは日本では起こりえないですよ、今のような発想では。もっともっと心を広く持たないと。仏教の心をね、日本人が世界でもっとも持っているはずなのに、なんで他国の人たちが、地方の参政権一つを持つことが許せないのかと。少なくとも、韓国はもう認めているわけですよね。彼らが認めていて、我々が認めないというのは非常に恥ずかしい」。
 阿比留や百地章のコメントは省略。
 二 以上を知って、こんなことを言う、又はこんなことしか言えない人物が民主党の幹事長であることに(そして政権を担う一人になる可能性があることに)慄然とする。細かなことには触れないで、基本的なことのみまず指摘する。
 具体的なことを言えば、第一に、この人は外国人(の一部)が<帰化>して日本人になること(そして日本人として参政権をもつこと)と、外国人のままで(地方)参政権をもつことを混同しているか、同様のことと考えている。つまり、概念的・論理的に上の二つが区別できていない。すなわち、例えば、以下のごとし。
 ①出生率に言及しているのはおそらく人口減を防止するために…、という理由づけだろうが、それは<帰化>者増加による「日本」国民の数の減少防止に関する話で、外国人の参政権の問題とは全く関係がない。
 ②アメリカへの言及があるが、アメリカが多様な人種から成り立っているとしてもそれは基本的には全て「アメリカ」国籍者の出自の多様性を意味しているだけで、「アメリカ人(国籍者)」から見て外国人の参政権の問題とは全く関係がない。
 第二に、国政参政権と地方参政権の区別がきちんと整理されていない。すなわち、鳩山由紀夫がいう、①税金支払い、②日本人は自信(包容力)をもて、という根拠は、地方参政権のみならず、国政への参加権の付与の根拠になりうる。
 なぜなら、外国人でも(少なくとも「定住」者は)所得税や消費税という<国税>を納めている。彼らが負担しているのは、住民税・固定資産税等の<地方税>だけではない。
 また、「度量の広さ」をもて、「心を広く持たないと(いけない)」と主張するならば、国政参政権も認めないと論理的には一貫しない。
 したがって、国政参加権は別だという鳩山の理由づけは、次のように曖昧になっている。
 「まさに国益の議論をもっと深刻に議論しなければいけないときがある」と思うので、そこまで「いま」広げる必要はない。
 国会議員による議論・法律制定等は全て「国益」に関係するのであり、「…ときがある」というような程度・範囲ではないだろう。また、鳩山は、「いま」広げる必要はない、と述べて、将来的には認めても構わない、認める可能性がある、という含みを残している。
 最高裁判決を確認しないが、一定の外国人への国政・地方参政権の法律上の否定は違憲ではない、但し、地方参政権に限っては法律で(現行法上は地方自治法ではなく公職選挙法の改正により)それを認めることもできる(「立法裁量」の範囲内)、という重要な傍論つきだった、と思われる。
 上の国政参加権に関する鳩山由紀夫の発言のニュアンスは、 この最高裁判決に反対する趣旨を含んでいる(最高裁判決批判自体が悪いわけではないが)。
 三 鳩山由紀夫の上記発言は、マクロ的にみると、結局、日本は開放的で寛容な<国際主義>に立つべきで、閉鎖的で偏狭な<ナショナリズム>を持つべきではないという、戦後日本の<主流>派的な、空気のように感じられている、独特の<意識>にもとづくものと考えられる。
 戦後教育を受け、自民党にかつていて共産主義(・社会主義)社会を目指すわけではないが、「さきがけ」を結成したように、とりわけ大都市部の「市民」の<進歩的な>(そして「国際主義的」な>)意識を鳩山(兄)は無意識にせよ形成してきたものと思われる。
 閉鎖的で偏狭な<ナショナリズム>こそがかつての日本を「戦争」に追いやり「敗戦」をもたらした、と(GHQらの史観と基本的に同様に)思い込んだままなのではないか。おそらくはこのとおりなので、鳩山(兄)は、いくら批判されても、疑問視されても、基本的な考え方を変えないだろうと思われる(鳩山由紀夫と同様の地方参政権付与賛成者の多くもそうだろう)。
 したがって、基本的な問題は、現在において、開放的で寛容な<国際主義>と、閉鎖的で偏狭な<ナショナリズム>(あるいは「愛国」主義・「国益重視」主義)、という対立軸を潜在的な意識の上で立ててしまってよいのか、にある。
 あるいは、<国際主義>は「開放的・寛容」で善、<ナショナリズム>は「閉鎖的・偏狭」で悪、という基本的な考え方・意識そのものに問題はないのか、をまず問わなければならない。この点を解きほぐして、基本的な立脚点たる<イメージ>と称してもよいと思われる意識を変えさせないと、鳩山由紀夫は変わらないし、自らの議論の非を認めることはないだろう。
 上のようなア・プリオリな価値判断は抜きにして、<国際主義>か<ナショナリズム>(愛国主義・国益優先主義)かが、それぞれの意味内容自体の議論も含めて、きちんと検討されなければならない(この区別は従来にいう「左翼」・「保守」の区別と必ずしも一致するわけではないと考えられる)。

0663/佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)を読む・その2。

 たぶん2/05か2/06に佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)を全読了。
 1 何となく感じていたこと又は他の人も書いているようなことを、佐伯自身の文章で読むと、新鮮な感がするところがある。
 p.142以下。21世紀は各国の争い・闘いの時代(ジョン・グレイの言う「帝国主義」時代)だ。日本の立場・国力・意思・価値観が問われる。「国力」にとって最も重要なのは「文化・価値の力」だ。
 しかし、「日本特有の事情」により、日本の「価値」は「今のわれわれ」には見失われている。「日本特有の事情」とは、「戦後の日本の、事実上のアメリカへの追従」だ。
 あの戦争でただ負けたのではなく「価値観の上で負けた」、負けたのは「道徳的に間違っていたから」だ、というのが「公式」的理解になった。「左翼進歩派」のみならず「戦後の日本政府」も基本的にはこの理解だった。
 「自主的な」戦後の構築を日本はせず、日本の「戦後政治」は「アメリカの占領政策の基本構造」の受容から始まる。「あの戦争についての、押しつけられた歴史観に抵抗して、自国の立場を主張することなく、…エネルギーを経済に振り向け、…奇跡的な経済成長を遂げた」。日本人の生活のほとんどはなおも「日本的な」習慣によるが、「根本的なところは、アメリカによって『骨抜き』にされてしまっている」。かつての価値が否定され、「精神的な空白」が生じ、「アメリカ的なもの」への「精神的従属」が生まれた。
 2 日本の独自性・「愛国心」 に触れつつ、次のことも明言している。
 p.164以下。「実際、今日の日本は、ある種の崩壊と言ってよいような、すさまじい過程に入っている気がする」。
 「今、日本の政治はまったくの機能不全に陥って」いる。今の日本には「国民の意思」がほとんど確かなものとしては存在しない。
 近年の選挙で示されたのは、「まともな民主主義」とは言えない。民主主義の機能のためには国民に「自国に対する責任」感、広義での「愛国心」が必要だが、今の国民には見あたらない。某調査によると自国に「誇り」もつ国民の割合は日本は74国中71位、戦争への参加は59国中「圧倒的に最下位」で日本は15%(中国90%、韓国75%、アメリカ64%)。
 3 姜尚中のナショナリズム・パトリオティズム概念の曖昧さを指摘したのちの、丸山真男への言及が新書本にしてはやや長い。
 p.175以下。「ナショナリズム、愛国心」対「自由、民主主義、平和」という構図を典型的に表明したのが、丸山真男の戦後の諸論文だった。アカデミズムの「権威」を背景にジャーナリスティックな場でも活動した「左翼系オピニオンリーダー」、「左翼思想におけるカリスマ的な人物」。丸山の民主主義論等は「権威主義」を排除するものの筈だが、「丸山門下や丸山信者は、丸山さんを絶対的な権威にしてしまっているのが、面白い」。
 途中だが、もう一回つづける。

0636/佐伯啓思・国家についての考察(2001)を読む-「朝日新聞」の「大きな欺瞞」。

 一 佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)p.76以下は「『他国への配慮』と国益」との節名で、前回紹介したようなことを、再述又は別論している(この本全部は、12/15に読了した)。
 7 ①「国益」観念が背後にない「他国への配慮」・「国際的友好」は無意味だ。そして「国益」が意義あるためにはその国の「正義」あるいは「共有価値」で支えられている必要がある。「正義」・「共有価値」は「生活上の習慣や文化的様式の中に暗黙のうちに表出」されるものだろう。
 しかし、「今日の日本」のように「暗黙裡」のものであれ「正義」あるいは「共有価値」の「存在そのものが怪しくなっている」場合には、「ナショナル・アデンティティ」の名のもとに「日本という国家を構成する精神的基盤について論議するのは当然のこと」だ(p.76)。
 ②「他国への配慮」・「国際的友好」を唱える者たちもかかるナショナリズムを前提としている筈だが、この「進歩主義的立場に立つ国際主義者」は「反国家主義」を標榜し「インターナショナリズムをナショナリズムと対立させる」ために自らの「インターナショナリズム」を骨抜きにしている。「国益」・「ナショナル・アデンティティ」を排除した「国際主義」は「ただ空疎な美辞麗句」にすぎない。
 彼らの「国際主義」は「反ナショナリズム」から発しているがゆえに、その「国際主義」自体が「『自己陶酔的で排他的な』ナショナリズムの単なる裏返し」となり、「『自己卑下的で追従的な』インターナショナリズムへと転化」している。その対中国姿勢、対国旗・国歌法姿勢等こそ、「まさに『自己陶酔的で排他的』なナショナリズムをただ裏返しただけに過ぎない」(p.76-77)。
 ③彼らの「友好」・「配慮」は「きわめて独善的」で「一国主義的」でもある。「ナショナル・アデンティティ」を排除した「国際主義」は「真の意味での国際主義=国家間主義(インターナショナリズム)とはなりえない」。「友好」・「配慮」は、「奇妙なことに『自己卑下的で追従的な』国際主義を『排他的で自己陶酔的に』追求するという結果となりかねない」(p.77)。
 ④「朝日新聞」社説が「ナショナリズム」や「ナショナル・アデンティティ」を「根本から否定」しているとは思わないが、それを語ることを「躊躇」しているために、五輪ナショナリズムはよいが「現実のナショナリズムは危険」だなどという「トンチンカン」な論説を展開している。「過激なナショナリズムを高揚させるほどの国家への切迫した思いも一体感も現代の日本人は持ってはいない」。五輪ナショナリズムは過激だが「国家意識は低調」ということは「通常は考えにくい」(p.78)。
 ⑤既述のように「朝日新聞」社説の「反ナショナリズム」は「裏返された」ナショナリズムで「隠された」ナショナリズムを背後にもつ。ナショナリズムあるいは「国家という『主体』」なくして「他国への配慮」・「国際的友好」を語り得ないのは自明のことで、朝日新聞」社説も「戦後進歩主義者」もこれを前提とせざるをえない筈だ(p.78-79)。
 ⑥しかし、「今日の日本」ではこの「国家という『主体』」という「自明性が見えなくなってしまっている」。小林よしのりの本も新しい教科書の会の運動も「戦前復古ではなく、現在の『主体』をいかに構成するかという関心」に導かれていると考える。
 「朝日新聞」社説もかかる「主体」の必要性を前提とする筈だが、しかし、「この『主体』がほとんど崩壊、もしくは溶解しつつあるとき、その主体の構成を図るための議論をナショナリズムと規定して排斥するのは一体なぜなのか?
 「ナショナリズムを隠蔽した反ナショナリズム」、「反ナショナリズムの内に潜むナショナリズム」、「この奇妙な二重構造」・「顕揚と隠蔽」あるいは「無意識の検閲」、「ここに大きな欺瞞があるのではないか?」 そしてそれこそが「『戦後的なもの』を内側から溶解させてしまった根本」要因ではないか?(p.79-80)。
 ⑦この「二重性」・「無意識の検閲」は後述もするが、そもそも「反ナショナリズムの思想的拠点は何」なのか。次にこれを扱う(p.80)。
 二 以上でp.57-80のメモは終わり。この部分は、この著の序章「なぜ『国家』を論じるのか」の次の第一章「現代日本の国家意識」の1「『戦後的なもの』の溶解」の後半ほぼ3/4にあたる。
 このあと、2「『世界市民主義』とは何か」、3「逆立ちした国家意識」とつづき、第二章「『二重言説』の戦後日本」以降へと移っていく。いずれも<朝日新聞>と無関係ではないが、覚書的紹介はとりあえずここでやめる。
 のちに丸山真男宮沢俊義(・日本国憲法)に触れるところや佐伯自身の「国家」観・論の展開が見られるところがあるので、別の機会にこの欄で言及したい。
 三 それにしても、朝日新聞、そして若宮啓文は、上のような朝日新聞的「反ナショナリズム」批判(又は批判的分析)にどう反応する(又は反応した)のだろうか。若宮啓文が佐伯啓思のこの著を一顧だにすることなく単純な「ナショナリズム」批判をしている(した)ことは明瞭だ。彼らがしていることは本能的・感覚的な「ナショナリズム」嫌悪感の表明にすぎないだろう。朝日新聞の社説執筆者やその一人だった若宮啓文の思考の<驚くべき底浅さ>は、佐伯啓思の丁寧な(そしてこの人にしては珍しく朝日新聞と明示しての大胆な?批判を含む)論述と比べると、きわめてよく分かる。
 若宮啓文はもう遅いかもしれないが、より若い世代の「戦後進歩主義者」は、佐伯啓思の上掲書を一度きちんと読んでみたらどうか。

0635/佐伯啓思・国家についての考察(2001)を読む-朝日新聞批判・その4。

 一 11月の半ば以降だったのだろうか、佐伯啓思・国家についての考察(2001、飛鳥新社)を再び読み出して、計320頁のうち、300頁を読み了えた。もう少しだ。
 先週金曜日あたりからの数日間で、竹内洋・学問の下流化(中央公論新社、2008.10)をほぼ2/3のp.196まで読んでしまった。小論を集めてまとめたもので読みやすいが、読後感の<軽さ>は、この人の他の本にも見られるわかりやすい文章のためだろうか。それとも、この人の思考・思想自体の<軽さ>によるのだろうか。けっこう面白い本であることは確かだが。
 二 さて、佐伯啓思の上掲書のメモのつづき。全体についての紹介的覚書を記すつもりはないが、佐伯が<朝日新聞>という名を明示して所謂<進歩派>を批判又は分析するのは珍しいと思われるので、もう少し続ける。
 朝日新聞らの<反ナショナリズム>の分析は前回までにも紹介した。佐伯は「『国益』とは何か」と節名を変えて、朝日新聞らの<反ナショナリズム>または<ナショナリズム批判>を、「他国への配慮」という点に着目して次のように批判する。
 6 ①<反ナショナリズム>に「裏返され、萎縮し、隠されたナショナリズムを見る思いがする」。
 国際関係は基本的には「国益」をめぐる対立の場だ。この対立は常に「力」のそれや「紛争」になりはしないが、1.「他国への配慮」は「国益の追求」のためにも不可欠で、前者は後者の「手段の一つ」となる、2.諸国家の利害調整のために国際ルール・国際機関が形成され、かかる「制約条件」のもとで「相互に国益を追求する複数国家のシステム」こそが「国際秩序」というものだ(p.71-72)。
 ②「国益」とは次の「二つの側面の適切な結合」だ。1.「国民生活の豊かさの追求や安定の確保という…物質的側面」、2.「比較的長期に」「歴史性に根ざし」て「共有している文化的価値を実現してゆくという…精神的次元にかかわる側面」。「国民の統合」を前提とする「近代国家」は何らかの「価値の共有」を必要とし、その「価値を実現」する「条件を作り出す」ことが「長期的な『国益』」になる。
 「国益」は「共有する価値の裏づけとその実現」という「理念的・精神的支え」を必要とする。しかもその価値は「歴史性」と「普遍性」をもつ必要がある。「国益」とは「少々おおげさ」には「その国の『正義』」、「他国に対する自国の正当な言い分」だ。「正義」なき「利益」追求は他国に正当化されないし、「利益」と結合しない「正義」は「宙に浮いた」もので国民に支持されない。要するに、「国益とは、国民の幸福や生活の向上という功利的な『利益』と、国際的に主張しうる自国の立場や価値という『正義』の結合」に他ならない(p.72-73)。
 ③従って、「国益」を議論するにはその国の「価値」・「正義」の議論が必要で、これは「広い意味でのナショナル・アイデンティティ」に関する議論となる。しかし、この議論が「今日の日本」では「きわめて困難」だ。その理由は、この議論が「戦後を疑う」ことから
出発せざるをえないことにある。「戦後を疑う」のは「否定する」と同義ではないにしても、「戦後の価値観の中で否定され隠されたものを再び明るみに出し、…日本にとっての『正義』とは何かを改めて問い直す作業」だ。これは「『戦後的なもの』の中でタブー視された価値をいったんはすべて解放する」という「困難な作業」を伴う(p.73-74)。
 ④「ナショナル・アイデンティティ」は「作り出された」ものだとしても、かかる「フィクション」を想定できないと「国益」観念は定義できず、国際社会での「確かな立場」は取れない。そうなれば、憲法前文にいう「国際社会で名誉ある地位を占める」ことも、そもそも「他国への配慮」とか「国際的に友好的」という観念さえも無意味になる(p.74)。
 ⑤「戦後的なもの」の擁護者は「自由主義、民主主義、平和主義、人権主義など」を「正義」とし、この点に「議論の余地はない」と考えるが、本当にそれが「国民の正義」で実際に「共有された価値」ならば「ナショナリズムの復興」を怖れる必要はない。
 「ナショナリズム」とは「国民の共有された価値の実現を図ろうとする運動」だ。「国民の共有された価値」が「自由主義、民主主義、平和主義、人権主義など」ならば、これらの実現を図る「国民運動」になる。
 にもかかわらず、「朝日新聞」社説等の「戦後的なもの」の擁護者は、「明らかにナショナリズムの高揚に恐怖し、それを復古主義だと唱える」。それは、「戦後的なもの」が「国民の正義」、「共有された価値」になっていないからだ。「彼ら自身がそれを認めている」。
 「ナショナル・アイデンティティ」、「正義」、「価値」に関する議論の余地は存在している。それは「戦後的なもの」という「枠を解除した」議論である必要がある(p.74-75)。
 ⑥「戦後的なもの」の擁護者-「戦後進歩主義者」-は「ナショナル・アイデンティティ」・「日本の国益」といった観念は「政治的に構成されたフィクションにすぎない」と言うかもしれない。「その通り」だが、「民主主義や人権主義という観念」も、「平和主義」も、同じく「政治的に構成されたフィクション」だろう(p.75)。<次の節へとつづく>

0634/佐伯啓思・国家についての考察(2001)による「朝日新聞」的<反ナショナリズム>の分析。

 佐伯啓思・国家についての考察(2001)のつづき。
 「他国」とりわけ「アジア諸国」への「配慮」の障害となるのは「危険なナショナリズム」だと言うときに、「実際に隠蔽されるものは何か」。佐伯は節名を「『戦後的なもの』の崩壊」と変えて、さらに論述を展開していく。
 5 ①「実際に隠蔽される」のは「戦後の歴史の『歪み』そのもの」だ。この「歪み」は後述するが、若干言い換えると、「排除され隠蔽され」ているのは、「今日のナショナリズム」が置かれている、「戦後日本」という<文脈>、さらに言えば「近代日本」の、「『日本』という歴史性を持った」「文脈」だ。この「文脈」の中で「『国家』をいかに理解するか」が「排除され隠蔽され」ている(p.68)。
 ②日本に限らず、ナショナリズムはその国の「独特の歴史的特性や文化的固有性」と関連があり、「ナショナリズムが歴史や文化を強調するのは当然」だ。「自己陶酔的」では全くない(p.68)。
 ③だが、日本は「戦後の歴史と戦前のそれ」との間に「大きな断層」があり、それが「文化の次元まで及ぶ」という、「いささか特異な立場」にある。「断層」は主として「ものの考え方、価値観、文化なるものの表現」にかかわり、「端的」には「戦後の、自由主義、民主主義、平和主義などという価値によって、それ以前の価値や文化的な様式はほとんど全体的に否定された、という特異な時代経験」を指す。この「断層」によって否定されたものの上に「戦後日本」という「特徴的な世界」が成立したのだ(p.68-69)。
 ④したがって、日本の「歴史意識」はこの「断層」を不可避的に問題にする。ここに、「今日の日本のナショナリズム」が「断層」を意識して「戦後を疑う」という「表現形態」をとらざるをえない「理由」がある。それは「回顧的」・「復古的」ではなく、「『断層』によって何が隠されたのか、その上に成立した『戦後』とは何か」と問うことは現代日本の「ナショナリズムの当然の姿勢」だ
 「断層」によって「見えなく」されたものは「葬り去られ」てはおらず、「今なお…ここにある」。だから、それを「掘り出す作業は歴史的『文脈』を追う」。ナショナリズムが依拠する「ナショナル・アイデンティティの意識」は「歴史的継続性と文化的共有性」(という「文脈」)の「再発見」・「再定義」によって形成される、ということが「重要」だ。だとすれば、「戦後を疑う」という表現形態は不思議ではなく「戦前への回帰」ではない。「まさに今日的な営み」だ。
 「進歩主義者たちのナショナリズムへの過敏なまでの拒絶反応」は、ナショナリズムが「時代はずれ」の「復古」ではなく「まさに今日的問題」であることを「本当は気づいているからであろう」。たんなる「時代はずれ」の「復古」ならば、「放っておけば自然に忘れ去られるはず」だ(p.69-70)。
 以上もかなり引用の密度が高いが、この部分のまとめ的な次の段落は、ほとんど引用ばかりになる。
 ⑤「『朝日新聞』社説に示されるナショナリズム批判は、今日のナショナリズムの根幹を封じようとしている」。「頑として封印」しようとするのは、「『戦後を疑う』という姿勢そのもの」だ。「『戦後を疑う』という姿勢」を許せば、「ナショナリズムはその芽を吹くことになる」。なぜなら、「戦後を疑う」ことは、敗戦・連合軍の占領以降の「自らの文化的アイデンティティの破壊、勝者が押しつけた価値のもとでの被抑圧感情、こうしたルサンチマン的感情」を「すべて表面に解き放ってしまいかねないから」。
 「朝日新聞」や「『朝日新聞』的なもの」が「その上に自らの立場を築き、地歩を確保してきた『戦後的なもの』」を彼らは「死守しなければならない」のだろう。そのためには「ナショナリズムの一切の芽を摘むことが必要不可欠となる」(「戦後的なもの」を「保守」せんとする「ナショナリズム批判者の言説が、ナショナリズムを戦前回帰として片づけようとすることは当然だ」が、それは「見当はずれ」だ)(p.70)。
 以上で今回の紹介は終わり。「戦後的なもの」の「死守」を図る朝日新聞(や意識的「左翼」)が、「ナショナリズム」言説に過敏に反応しそれを抑圧・封印しようとする背景が説得的に語られている。若宮啓文もまた<本能的・感覚的に>そうした抑圧・封印の意識を形成して(形成し終えて)いると思われる。
 こうした過敏で、本質的な問題を素通りして決めつける、<(左翼)ファシズム>的反応は、最近の田母神論文に関しても顕著に見られたことだ。田母神はまさに「戦後を疑う」、「戦後」の通念に矛盾する、「ナショナリズム」的文章を発表したのだった。今日の言論空間・「知的」空間の<主軸>または「構造」を、なおも簡潔にだが、佐伯啓思は語っていると考えられる。なおも続ける。

0633/佐伯啓思・国家についての考察(2001)を読む-朝日新聞批判・その2。

 朝日新聞社説が前回の3④で示すこと(複数)が何故「荒っぽいナショナリズム」の動向なのか、近時(2008.12上旬)の中国の領海侵犯にしても、それへの「感情的反発」は「健全」そのものではないか、と思うが、さておく。
 佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)に関する前回のつづき。
 3 ⑤「ある場合には」ナショナリズムは「自己陶酔と他者の排除」を伴う「荒っぽい」ものに先鋭化しうる。それは日本だけの問題ではない。ナショナリズムは、アメリカ、中国、台湾、フランス、イギリス、クロアチア、セルビア、イスラエル、アイルランドではより強い。これらの国々のナショナリズムは「健全」なのか「危険」なのか。中国、フランス、アイルランド、ロシアのそれはどちらか、朝日新聞の「社説はどう答えるのだろうか」。外国のナショナリズムは「健全」で日本のそれは「危険」だとでも言うのか(p.63-64)。
 ⑥ どの国にもナショナリズムはあり、それが「自己陶酔と他者の排除」となるか否かは「あくまで状況の中で」決まることで予め「健全」なそれと「危険」なそれとが存在するわけではない。
 「現実政治と結びついたナショナリズムが常に陶酔的で排他的となると考える」のは「あまりに短絡すぎる」。この「短絡」は、「ナショナリズム」を常に「インターナショナリズム(国際協調)」と対立させて理解する思考だ(p.64-65)。
 つぎに節名が「なぜ議論を深めようとしないのか」へと移る。これまでに増して、引用部分を多くする。
 4 ①朝日新聞社説が挙げる「荒っぽいナショナリズム」の台頭の事例は私(佐伯)にはそう思えないが、それはともかく、朝日新聞社説には「特徴的な思考パターン」がある。それは、「日本における『荒っぽいナショナリズム』の台頭の危険というテーゼが、より本質的な議論を一切回避したまま提起されている」ことだ(p.65)。
 ②1.「中国への感情的批判を危険視する前に」、「なぜ中国がこのような挑発的行動に出るかを論じないのか?」
 2.「日米安保体制への批判を危険視する前に」、「なぜ安保体制という特異な関係性のもとに日本が置かれてきた歴史を検討しないのか?」
 3.小林よしのり・戦争論を「無条件で危険視する前に、なぜ小林よしのりが…を書くに至ったのかを問題にしないのか?」
 4.「『国旗・国歌法案』を批判する前に」、「国旗や国歌とは何かをなぜ論じようとしないのか?」
 5.森首相の「教育勅語評価発言や『神の国』発言を論難する前に、なぜ彼がそのような発言を行ったのか」、なぜ「教育勅語」や「神の国」が「今頃になって想起されるに至ったのかを論じようとしないのか?」。さらにいえば、「教育勅語の内容の何が一体問題なのか、日本はどのような意味で『神の国』ではないのか」に関する議論をなぜ深めようとしないのか(p.65-66)。
 ③問題は社説のスペースの広さではなく「その姿勢」だ。ここに、朝日新聞に限らない「今日の日本のナショナリズム批判の大きな問題」がある。朝日新聞社説が典型を示す「議論の布置、問題の設定の仕方」、そこに「今日の日本の(反)ナショナリズム論の貧困」を見る。
 「ナショナリズムの復興を批判することが戦後体制を守る基本的な課題」だとすると「進歩主義的サヨク」のかかる立論は当然かも。だが、「それでは問題の所在にはいつまでたっても踏み込めないし、不毛な議論が続くだけ」だ。なぜ小林よしのりが支持されるか、なぜ「神の国」発言が出たか、なぜ教育改革・教育基本法見直しが課題となったか、「そこにどういう事情と時代的意味があるのか」、これを論じないと「単なるイデオロギー批判が続くだけ」だ(p.66-67)。
 ④朝日新聞社説は「根本にかかわる問いを一切封印した上で、ナショナリズムの危険性を説く」。「端的にいえば、自国の歴史や固有のあり方にこだわることは他国への配慮を怠ることになる」と言わんばかり。これが「ナショナリズム批判」が「露呈」しているものだ。どの事例にせよ、「しばしば提出されるのは、それが『他国への配慮』、とりわけ『アジア諸国への配慮』をないがしろにするという批判」だ。
 1.中国の領海侵犯は不問に。「問題は、…批判が中国に対する友好的配慮を崩してしまうこと」だ。
 2.「新しい教科書」が国民の関心を呼んでいることは不問に。「問題は、それが中国や韓国を刺激すること」だ。等々。
 「要するに現下の状況のもとで他国へ配慮すること、それこそが彼らの考えるインターナショナリズムであり、この配慮に対する障害は『危険なナショナリズム』とされる」(p.67)。
 なかなかの論旨又は分析ではないか。つづきは、次回に。

0632/佐伯啓思・国家についての考察(2001)を読む-朝日新聞批判・その1。

 「市民革命」はあるが「国民革命」は聞いたことがないことを「市民」概念を愛好する理由の一つとするような朝日新聞・若宮啓文の本と文章に触れたのは、朝日新聞を批判する、あるいは朝日新聞をはじめとする<進歩的>マスコミの論調を批判的に分析する佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)のとりあえずは一部を紹介的にメモしておきたいためだった。
 佐伯啓思の論旨は前の論述を前提に後に累々と続いていくので途中から紹介的引用をするのでは正確に理解したことにはならない。だが、最初から言及するのはやめてあえて中途からにする。「今日のナショナリズムの『歪み』」との節名のp.57以降だ。次のように論じられる。
 1 ①「本来性」というフィクションの大地に根ざした「国家意識」が必要だ。しかし、日本の現今のそれは「ほど遠い」もので、「国家」をめぐる言説は「奇妙にねじ曲げられている」(p.57)。
 ②いくつかの運動や議論が日本の「ナショナリズム」の代表として「しばしば進歩派の攻撃にさらされる」が、私(佐伯)には攻撃される「ナショナリズム」は理解しやすい。「全面的に賛同」はしないが、言いたいことはよく分かる。それは「決して復古的意図やまして戦争賛美」ではなく、「戦後の、そして現在の日本を問題視し批判」している。それは端的には、今日に「支配的な影響」をもつ「進歩主義的言説に対する強い疑念」だ。その意味で、彼らの「ナショナリズム」は分かりやすく「歪んでいない」(p.57-58)。
 ③問題は、明言されない「伏在したナショナリズム」の方にある。今日の「ナショナリズム」の問題は、一見「反ナショナリズム」・「反国家」心情にもとづく言説の形をとる、「国家意識」の「歪み」にこそある(p.58)。
 ④なぜ「歪み」が生じているかに、「戦後日本の言説空間の特異性」がある。この「特異性の構造」を分析することは、現代日本の「国家意識」の「歪み」・「ねじれ」を理解するためには重要だ(p.58)。
 ⑤90年代の日本の全般的「失調」のもとは、「きわめて不透明で歪んだ国家意識」に求められるのでないか(p.58)。
 ⑥90年代の日本の「危機」は「グローバル化や情報化」に対応できなかった日本の「守旧的体質」に原因があるというのが「定説」だが、「問題の根ははるかに深い」。究極的には「戦後の歪んだ国家意識にこそ今日の「危機」の源泉があった。「国家意識」の「歪み」をいくつかの局面で見てみる(p.58-59)。
 次に、節名が「オリンピック・ナショナリズム」に変わる。
 2 ①シドニー五輪を前に2000.09.14朝日新聞社説は、「国家」意識に縛られずに「あなた」自身のために参加せよと説いた。だがここ十数年、日本選手が「過剰な」期待を背負っているとの印象はなく、むしろ選手の「私」意識の強さ、「国の代表」意識の希薄さが論議されたくらいだった(p.59-60)。
 ②五輪は「形を変えた国家間競争」で、「国家や地域」の威信がかけられていることを前提に「国家間協調」が謳われる。「個人間の競争と同時に国家間のルール化された競争」があるのであり、「国家間協調」が可能になるのも、そもそも個人が「少なくとも部分的には」「国家を背負っている」からだ(p.60)。
 ③上を書いたのは「ナショナリズム」と「国際協調(インターナショナリズム)」とは「決して対立するものではない」ことを確認するためだ(p.61)。
 ④にもかかわらず、「個人の競争」・「インターナショナリズム」はよいが(「善」だが)、「国家間競争」・「ナショナリズム」は「危険」だという「二者択一」の議論がある。朝日新聞の社説にも「その傾きが見て取れる」(p.61)。
 次に、「『荒っぽい』ナショナリズム」との節名に変わって、引き続いて朝日新聞社説への論及がなされる。
 3 ①朝日新聞2000.09.24社説は再び「ナショナリズム」を取り上げ、自国の選手が勝利して「君が代が流れ、日の丸が上が」るのを見て誇らしいのは「ごく自然な感情の発露というべきだ」と書いた(p.62)。
 ②先の論調からの後退とも見えるが、同社説はこう続ける。「抑制のきいた健全なナショナリズム」はよいが、「居丈高な自己主張」の「ナショナリズム」ほど「危なっかしい」ものはない、と。つまり、「健全なナショナリズム」と「危なっかしいナショナリズム」の区別がある、という(p.62-63)。
 ③上に続けて朝日新聞上記社説は、日本が「危なっかしい」又は「荒っぽい」「ナショナリズム」に席巻されようとしているとの危惧を示す。五輪で示されるようないわば「遊びごと」の「ナショナリズム」はよいが、「本物の(現実の)ナショナリズム」は危険とする。「何とも妙な、そして煮えきらない主張」だ(p.63)。
 ④「荒っぽいナショナリズム」として具体的には、1.中国の調査船・軍艦の日本水域への侵入への「感情的な反発」、2.日米安保にかかる「思いやり予算の削減要求」、3.小林よしのり・戦争論への「若者の共感」、4.「国旗・国歌法」の制定、5.森喜朗首相(当時)の教育勅語評価、5.石原慎太郎都知事の「三国人」発言、等が挙げられている。そして、これらの動向は「固有の伝統への回帰」を訴えるあまり、「自己陶酔と他者の排除」を伴うから危険だ、とする(p.63)。
 3の途中だがここで区切る。朝日新聞・若宮啓文はこの佐伯啓思の著をまったく知らずに(手にとって読んだこともなく)、「ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ」と幼稚に宣言したものと思われる。
 このあと、朝日新聞の論調に対する批判または批判的分析がつづく。たぶん、次回に。

0487/朝日新聞の最近の社説-親中国・二重基準、鉄面皮の「政治」集団。

 朝日新聞の最近の社説を読む。
 1.朝日新聞4/25社説「北京五輪―いよいよ、聖火が走る」。
 「混乱をできるだけ抑え」て、何とか無事に日本(長野)での聖火リレーが終わってほしいとの気分に溢れている。
 それに、「聖火リレーに対する暴力ざたや大きな混乱が長野で起きれば、複雑な過去を持つ日中関係だけに、中国人のナショナリズムに火をつけかねない」とはいったい何を寝ぼけたことを言っているのか。
 第一に、「中国人のナショナリズム」に限っては、<火をつける>方が悪い、という言い方だ。そんなことが一般論としても言えるわけがない。
 第二に、「中国人のナショナリズム」のそれも過激で排外的なそれは、フランス等ですでに<火がついてる>ではないか。日本に至るまでの聖火リレーの状況をこの社説子は全く知らないかの如くだ。
 <できるだけ中国には優しく>という社是は、この社説にも表れている、と思う。
 2.朝日新聞4/26社説「高齢者医療―このままでは台無しだ」。
 山口県で朝日がどの程度読まれているか知らないが、翌日の衆院補欠選挙を意識し、最も手軽に?有権者の<実感>をくすぐって民主党に有利にするために選んだテーマだろう。
 朝日新聞に限らず、マスメディアの大半は<高齢者医療制度>の分かりにくさや後期高齢者の負担増等を書き立てている。
 だが、この制度は数年前に国民を代表する国会で法律によって導入されたもので、施行がたまたま今年4月だった。不思議に思うのだが、この制度が理解しにくいのであれば(政府・厚労省は勿論だが)マスメディアもまた分かりやすくなるように読者に対して詳細かつ丁寧に報道すべきだったのではないか?
 また、問題があるというなら、今年3月くらいになってからでは遅いのであり、それこそ根拠法律案の審議中に又は法律の成立後に(つまり施行前に)マスメディアは大きな声を上げて問題点を指摘し批判して、法律案反対、法律改正又は少なくとも施行の延期を主張すべきではなかったのか? いったいどのマスコミがそのような報道・コメントの姿勢を示したのだろうか?
 自分たちはほとんど何もしないでおいて(成立法律の名前だけ小さく掲載する程度で済ませておいて?)、施行され現実化するとなるとたちまち文句を言い出すというのは、一般国民ならばともかく、マスメディアに許せることではない。
 野党も奇妙だ。法律が成立しており施行された以上、行政部としてはそれを執行しなければならないのは立法-行政の関係からしても当然のことだ。にもかかわらず、<制度の廃止を>とはいったいどういう了見なのだろう。正確には、問題があると主張している後期高齢者医療保険制度を定めている法律自体を廃止するか改正するかの法律案を、立法府の一員として国会に自ら提出すべきなのだ。それもせず、文句だけを言い、国民の不安・政府に対する不満だけを(政略的に)煽るつもりなのか。朝日新聞は、こうした野党(とくに民主党)のお役に立ちたいのに違いない。なお、何らかの法案を既に提出している又はその予定の可能性はあるが、きちんと報道されてはいない。
 なお、朝日新聞4/19日社説「山口2区―日本中が見つめている」は、民主党の菅直人が述べた二つの争点、①ガソリン代値上げ問題、②高齢者医療制度問題、をそのまま争点として採用することを前提とする文章だった。
 3.朝日新聞4/27社説「偽装請負判決―進まぬ正社員化に、喝」。
 正社員化しない、「偽装請負」を批判し、「大企業はまず先頭を切って、正社員を増やす努力を加速すべきだ」と結んでいる。であるならば、まず率先して、朝日新聞社が請負や派遣社員などをいっさい止めて、「正社員を増やす努力」をすべきことは当然のことだ。朝日新聞は、自社の現状と<努力>状況、そして<改善>状況を、定期的に紙面で報告すべきだ。大きな口を叩くなら、自社の姿勢からまず正すべきだ。まさか、朝日新聞社は上にいう「大企業」のうちに入らない、という詭弁を弄することはないだろう。
 4.朝日新聞4/28社説「自民敗北―『再可決』への冷たい風」。
 民主党の中でも<最左翼>に位置する平岡秀夫が当選するという朝日新聞が期待した結果が出たあと。「補選はあくまで補選」では困る、という趣旨を最後に述べている。
 だが、朝日新聞の気にくわない結果であれば、そのようなことを書くだろうか。<補選はたかだか一地域のこと、日本全体にとって大切なことは……>ととくとくと説教を垂れそうなのが朝日新聞だ。この新聞ご都合主義・ダブルスタンダードは切りがない。
 やや古いが、イラク特別措置法による航空自衛隊の派遣を一部違憲とする名古屋高裁判決が出たあと、朝日新聞4/18社説「イラク判決―違憲とされた自衛隊派遣」は、最高裁ではないが、「それでも、高裁の司法判断は重い」と書き、勝訴者・国が上告できないためにこの件で最高裁の審査があるはずもないのに、「憲法の番人であるはずの最高裁は重く受け止めるべきだ」と記した。
 自社に都合の悪い判決(違憲としない判決、そもそも合憲性に触れないで結論を出した判決)だったとしたら、朝日は「それでも、高裁の司法判断は重い」と社説で書いただろうか?
 裁判・判決も、一部運動団体にとってと同様に、朝日新聞にとっては自らの<政治>活動の世界の一部だ。これからもご都合主義・ダブルスタンダードの社説が続くだろう。恥ずかしさも自覚しない、鉄面皮の新聞、朝日新聞。  

0478/朝日新聞・若宮啓文の駄文、産経新聞・武田徹の「サヨク」・反日文。

 (2008年)4月の何日かは特定できないが、朝日新聞紙上で若宮啓文が「風考計」コラムを再開させて、何やら書いている(日付を特定できないのは、切り抜きのコピーでそこには日付が含まれていないため)。
 社説2つ分(従って一日の社説欄)以上の字数を使っていると思うが、「アジアの頼れる受け皿に/地図に見る日本」との大文字のあるこの文章で、若宮啓文はいったい何が言いたいのだろう。趣旨不明のこんな文を月に一つ二つだけ(?)書いて多額の収入が得られるのなら、結構なご身分だ。
 真面目に印象を書いているが、本当に趣旨がつかめない。アジアの地図を逆に見ると日本が「ふた」のようだが、改めて正しく見ると「アジアを支える」「お皿」のようだ、というのがタイトルの由来?らしい。だが、そもそも<アジアの受け皿>とは何の意味か? いちおうは何やら書いてはいるが、言葉又は観念の遊びの文章の羅列だ。
 むしろ、かつて「アジア支配に野望を燃やした」、「台湾や朝鮮を植民地とし」などと簡単に書いているのが若宮らしいし、何となく、日本が「四方に後遺症を抱えた国」であるために現在の周辺諸国との間の懸案もうまく解決できない(つまり今日の諸問題の責任は日本にある)のだ、と言いたいようにも読める。
 「やれやれ…である」、「悩ましき外交である」等とだけ書いて、具体的かつ現実的な解決方途を展開しているわけではない。こんな駄文を頻繁に読まされる朝日新聞の読者は気の毒だ。
 唖然とするのは、産経新聞4/24の「ジャーナリスト」武田徹のコラム(「複眼鏡」)も同様だ。但し、こちらは若宮コラムと違って、趣旨は比較的によく解る。問題は、この、<哲学的新左翼>で<フーコーの言説を引用できる>らしい武田徹の書く内容だ。
 重要ポイントの全文を引用したいし、すべきかもしれないが、二点を要約させていただくと、次のとおりだ。
 1.<「チベット問題の遠因は、実は日本にあるという説」がある。それによると、日清戦争での日本勝利→清国での「国民国家的統一を目指せ」との「ナショナリズム」発生→蒋介石・中華民国や毛沢東・共産中国への継承→「チベット同化政策」という連関があり、最後のものは結局(日本が火をつけた)「ナショナリズムの産物」だ。>
 これは風が吹けば…の類の妄言だろう。そもそも「説がある」とだけ書いて誰の説かも明らかにしていないが、その説に武田は同調的だ。
 疑問はただちに、いくつも出てくる。すなわち、「国民国家的統一」の範囲・対象に民族・宗教・文化等の異なるチベットを何故含めなければならないのか? あったのは「統一」ではなく、<膨張>であり<侵略>ではなかったのか?  かりに日清戦争で日本が敗北していたら、現在のチベットは中国の一部になっていなかったのか? 現在もネパールで<間接侵略>をしているが、ベトナムやインドと戦争を実際にしたりして領土拡張志向を示したのは、日清戦争とは無関係に、1949年に政権を奪取した中国共産党の方針そのものではないか?。
 2.<「今でも親日家の多い台湾は、日本の植民地経営が珍しくうまくいっていた」と評価されることがあるが、それは、「『精神の征服』まで果たされた結果だったのかもしれない」。
 まさに<そこまで言うか>という感想が生じる内容だ。「植民地」(という概念自体に疑問をもつが便宜的に使う)の経営がうまくいかなかったとすればそれはそれで批判し、うまくいけば「精神の征服」まで果たした、とこれまた自虐的に日本を批判しているのだ。台湾の人々はこの文章を読んでどう感じるだろうか。李登輝元総統は、日本に「精神の征服」をされた代表的人物なのだろう、武田から見ると。
 以上のようなことを書きつつ、最後に武田はこういう。-「チベット問題は…だろう。だが、その一方で、翻って自分の『国』がどのように作られてきたか、周辺諸国にどのように働きかけてきたか、この機会にそれを省みることにも意味がある」。
 武田徹は中国(「共産中国」)に対する批判を一切しない。逆に、チベット問題の遠因は日本にあるとの「説」に実質的に同調し、「この機会に」自国=日本の行動を「省みる」ことに意味がある、と主張している。
 このような、何かに「精神の征服」をされたとしか思われない内容は、上に偶々取り上げた若宮啓文のコラムとも通底する所があるようであり、朝日新聞に掲載されていたら、奇妙に思わないかもしれない。
 だが、なぜ、こんな<親中国的・反日的・自虐的>な内容の文章が産経新聞に載っているのだろうか。産経は「この機会に」じっくりと「省みて」=反省していただきたい。
 なお、武田徹のコラムに言及したものとして、以下も参照。→ http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/370928/ 

0446/佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版、2008.03)を半分近く読了。

 佐伯啓思・日本の愛国心-序論的考察(NTT出版、2008.03)をたぶん4/01から読み始めて、p.152まで、数回に分けて一気に読んだ。「あとがき」も読了しているので、すでに半分近い。
 佐伯の本には読み残しが多いが、「愛国心」は今日的テーマでもあり、最新の彼の本でもあるので、これを次に片付ける。
 内容をフォローしないが、1.「ナショナリズム」、「国民」および「愛国心」に関する概念の分析は、シェーマ的すぎると感じるほどに、かつ唖然とするほどに、見事という他はない(p.92、93、p.107参照)。
 朝日新聞コラムニストの若宮啓文は「ナショナリズム」概念について、きちんと何かを理解した上で<ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではない>と書いたのだろうか。佐伯著をじっくり読んで理解できる能力が若宮啓文にあるかどうか。
 2.佐伯は日本人の固有名詞を出して批判することが全くか殆どなかったように思うが、この本の第一章のうち30頁くらいは明確に丸山真男の名を出してのその論理・概念・理論の批判だ。その内容にも納得がいく。
 あらためてこんな学者=丸山真男に「呪縛」された「知識人」たちを罪深いと感じるし、こんな学者の全集や書簡集等が今だに刊行されていることを異様だとも思う。
 3.ホッブズ、ルソー、フランス革命、アメリカ革命等に関する話が(私には再び)出てくる。何度も読んだような、しかし新しい別のことも教えてくれているようだ。
 余裕があればいつか、内容の一部を紹介・要約する。疑問点もある。

0414/「ナショナリズム」に関する佐伯啓思の短い叙述。

 佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社)を読んでいる。掲載してメモ化しておきたい整理が一点出てきたが、その前に、「ナショナリズム」に関する論述を要約して記す。
 朝日新聞・若宮啓文は<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>と言い放った。「ナショナリズム」の箇所に「左翼リベラリズム」・「進歩主義」・「地球市民主義」等のいずれを挿入してもよい筈なのだが、彼はなぜか、「ナショナリズム」だけを持ち出して、その<道具じゃないんだ>と書いたのだ。この若宮啓文は佐伯著をじっくりと読むがよい。
 佐伯は上の本のp.275-6で、次のように述べる。
 1.「国家」とは「ひとつの主権をもつ政治社会」という一つの事実をいう。「ナショナリズム」と呼ばれるものは(「国家主義」ではなく)「国民主義」で、「国民形成についてのイデオロギーや神話を含み」もつ。国民は「言語、文化、価値観を共有した集団」だというのは「神話」で、ルナンが言う如く、「国民」を作り上げるのは「国民であろうとする」「日々の国民投票」だ。それ以上の「国民」観念はフィクションだが、「国民国家」成立のためには何らかのフィクションが必要だった。
 2.「国民」は自生的には形成されず、「主権国家」の形成とともに又はその後で作られたフィクションだ。だが、どのようにしてこのフィクションが作られるかは「国と歴史状況によって」大きく異なる。「同質性」と「多様性」のいずれを強調するかも「状況によって異なっている」。だから、「かりに『国民』というフィクションを固定化したものとして強調するナショナリズムが危険かどうかも、実は、状況によって異なっている」。「ナショナリズム一般が常に危険極まりないなどということは言えないはず」だ。
 前段に少しわかりにくい箇所はあるが、「ナショナリズム」に関する至極常識的な論述ではないか。
 朝日新聞・若宮啓文は、「ナショナリズム」に「国家」の蔭を見て、「戦後日本の知識人の良心と見なされた」「反国家主義」(p.258)の立場又は「隠された」イデオロギーにもとづいて上のような反「ナショナリズム」の言辞を吐いたのだろう。佐伯啓思が指摘するとおり、「反国家主義」・「反権力主義」は<戦後民主主義>思潮の重要な内容だった。

0004/朝日新聞の若宮啓文さん、返答できるなら返答してみなさい。

 朝日新聞のサイトの「コラム」にはまだ、恥ずかしげもなく、2006年12月25日の若宮啓文・風考計「言論の覚悟・ナショナリズムの道具ではない」が載っている。
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 教育基本法に「愛国心」が盛り込まれ、防衛庁が「省」になることも決まった日の夜だった。
 「キミには愛国心がないね」
 学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。
 いわく、首相の靖国神社参拝に反対し、中国や韓国に味方したな。
 卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱に従わなかった教職員の処分を「やりすぎ」だと言って、かばったではないか。
 政府が応援するイラク戦争に反対し続け、自衛隊派遣にも異を唱えて隊員の動揺を誘うとは何事か。
 自衛隊官舎に反戦ビラを配った者が75日間も勾留(こうりゅう)されたのだから、よからぬ記事を全国に配った罪はもっと大きいぞ、とも言われた。「そんなばかな」と声を上げて目が覚めた。
 月に一度のこのコラムを書いて3年半。41回目の今日でひとまず店じまいとしたいのだが、思えばこの間、社説ともども、小泉前首相や安倍首相らに失礼を書き連ねた。夢でよかったが、世が世なら落第どころか逮捕もされていただろう。
 「戦争絶滅受合(うけあい)法案」というのを聞いたことがあるだろうか。
 条文を要約すれば、戦争の開始から10時間以内に、国家の元首(君主か大統領かを問わない)、その親族、首相や閣僚、国会議員らを「最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし」というものだ。
 いまならまずブッシュ大統領に読んでもらいたいが、長谷川如是閑(にょぜかん)がこの法案を雑誌『我等(われら)』で書いたのは1929年のこと。第1次世界大戦からしばらくたち、再び世界がキナ臭くなり始めたころである。
 デンマークの陸軍大将が起草して各国に配ったという触れ込みだったが、それはカムフラージュの作り話。「元首」と「君主」は伏せ字にしてきわどく検閲をパスした。
 それより11年前、日本のシベリア出兵や米騒動をめぐって寺内正毅内閣と激しく対決した大阪朝日新聞は、しばしば「発売禁止」の処分を受けた。さらに政府糾弾の集会を報じたところ、記事にあった「白虹(はっこう)日を貫けり」の表現が皇室の尊厳を冒すとして筆者らが起訴され、新聞は廃刊の瀬戸際に立たされた。ついに大阪朝日は村山龍平社長らが辞職して謝罪し、政府に屈することになる。
 これが「白虹事件」である。かつて「天声人語」の筆者でもあった如是閑は、このとき大阪朝日の社会部長だった。言論の敗北に無念を抱きつつ退社して『我等』を創刊したのだ。
 こんな古い話を持ち出したのも、いま「言論の自由」のありがたみをつくづく思うからにほかならない。現代の世界でも「発禁」や「ジャーナリスト殺害」のニュースが珍しくない。
 しかし、では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。
 靖国参拝に反対した経済人や天皇発言を報じた新聞社が、火炎ビンで脅かされる。加藤紘一氏に至っては実家が放火されてしまった。言論の封圧をねらう卑劣な脅しである。
 気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている。
 私はといえば、ある「夢想」が標的になった。竹島をめぐって日韓の争いが再燃していた折、このコラムで「いっそのこと島を韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた(05年3月27日)。島を「友情島」と呼ぶこととし、日韓新時代のシンボルにできないか、と夢見てのことである。
 だが、領土を譲るなどとは夢にも口にすべきでない。一部の雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーなどでそう言われ、「国賊」「売国」「腹を切れ」などの言葉を浴びた。
 もとより波紋は覚悟の夢想だから批判はあって当然だが、「砂の一粒まで絶対に譲れないのが領土主権というもの」などと言われると疑問がわく。では100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権はどうなのか。小さな無人島と違い、一つの国がのみ込まれた主権の問題はどうなのか。
 実は、私の夢想には陰の意図もあった。日本とはこんな言論も許される多様性の社会だと、韓国の人々に示したかったのだ。実際、記事には国内から多くの共感や激励も寄せられ、決して非難一色ではなかった。
 韓国ではこうはいかない。論争好きなこの国も、こと独島(竹島)となると一つになって燃えるからだ。
 そう思っていたら、最近、発想の軟らかな若手学者が出てきた。東大助教授の玄大松(ヒョン・デソン)氏は『領土ナショナリズムの誕生』(ミネルヴァ書房)で竹島をめぐる韓国の過剰なナショナリズムを戒め、世宗大教授の朴裕河(パク・ユハ)氏は『和解のために』(平凡社)で竹島の「共同統治」を唱えた。
 どちらも日韓双方の主張を公平に紹介・分析しているが、これが韓国でいかに勇気のいることか。新たな言論の登場に一つの希望を見たい。
 日本でも、外国の主張に耳を傾けるだけで「どこの国の新聞か」と言われることがある。冗談ではない。いくら日本の幸せを祈ろうと、新聞が身びいきばかりになり、狭い視野で国益を考えたらどうなるか。それは、かつて競うように軍国日本への愛国心をあおった新聞の、重い教訓ではないか。
 満州へ中国へと領土的野心を広げていく日本を戒め、「一切を棄つるの覚悟」を求め続けた石橋湛山の主張(東洋経済新報の社説)は、あの時代、「どこの国の新聞か」といわれた。だが、どちらが正しかったか。 
 最近では、イラク戦争の旗を振った米国のメディアが次々に反省を迫られた。笑って見てはいられない。
 だからこそ、自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ。
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 やはり若宮啓文という人は「おかしい」。こんな人が論説主幹の朝日も「おかしい」。教育基本法改正・防衛省設置法成立の日の夜、「キミには愛国心がないね」/学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。」だと。-ウソを書くな。最低限の心得だろう。
 古い話を持ち出したあと言う。「では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。…気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている」。-ヌケヌケと書いているが、朝日は「気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言」を浴びせたことはないのだろうか。朝日の論調のために「つい発言を控える人々」はいなかったのだろうか。そもそも歴史の捏造をし事実の虚報を放って「言論の「不自由」」以前の状態を作り出して、例えば慰安婦問題につき政府(河野)談話まで出させてしまったのはどの新聞社だったのか。若宮さん、恥を知りなさい。
 「100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権…」。-平気でこんなことを簡単に書けるとは呆れる。若宮さん、歴史を勉強しなさい。竹島を「いっそ…韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた有名な(いや悪名高い)050327コラムを、韓国の某氏も「共同統治」を唱えたと言い訳するが、その人は韓国の大統領・首相・外交通商相それとも大手新聞論説主幹のうちいずれに含まれる人なのか。はっきりさせて貰いたい。一若手学者にすぎないではないか。
 ほぼ最後にこう言う。「自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ」。-この文に彼の真骨頂が表れている。日本人ではない「無国籍」者であることの宣言だ。かつ、ナショナリズムに一切の限定を付けずに自分=ジャーナリストは「ナショナリズムの道具ではない」という。これは、いかなる意味においても「ナショナリズム」には反対する、との宣言だろう。若宮さんはきっと北朝鮮拉致被害者家族会に何ら共鳴しない「冷酷」な人物に違いない。このコラム欄は今回で最後らしい。朝日新聞の減紙のきっかけが少なくなって、朝日には喜ばしいのではなかろうか。
 週刊新潮1/18号(新潮社)によると、若宮啓文さんは社長を狙っており、一方現秋山社長は若宮を切ると後任がさらに左派になる怖れがあり躊躇しているのだ、とか。恐るべし、いや驚くべき朝日だ。東京大学卒かつ長年の経験で、あの程度の文章しか書けない人物が、社長を狙えるとは!!
 万が一、上の「ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではない」との言明が適切だとしても、次のようにも語って貰いたい。「ジャーナリズムは左翼運動の道具ではないのだ」、「マルクス主義及びその亜流の道具ではないのだ」、「空想的・観念的平和主義の道具ではないのだ」、「国家を忘れた地球環境主義の道具ではないのだ」、「フェミニズム(又はジェンダー・フリー運動)の道具ではないのだ」。これらのどこに誤りがあるだろうか。若宮さんは、何故、なぜ「ナショナリズム」のみを問題にするのか。返答できるなら返答してみなさい。朝日新聞社の言論の「政治」的偏向又は極偏は、このコラムで典型的に吐露されている。

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