=John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。=<わらの犬-人間とその他の動物に関する考察>。
邦訳書からの要約・抜粋または一部引用のつづき。邦訳書p.127-p.133。
第4章・救われざる者(The Unsaved)。
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第2節・大審問官とトビウオ(The Grand Inquisitor and the Flyingfish)。
・ドストエフスキー・<カラマーゾフの兄弟>で、大審問官はキリストに言う。
「人間はあまりにもひ弱で、自由の恵みには耐えられない。
人間は自由を必要とせず、求めるのはパン、それも<中略>当たり前のこの世のパンである」。
D. H. ローレンスによると、大審問官の発言は「決定的なキリスト教批判」で「痛烈な寸言」だ。キリスト教による「幻想」に「現実」を突きつける。
ローレンスは正しい。科学技術は「窮乏、貧困」を絶滅し人類を「不死」として、「かつてのキリスト教と同様」、科学信仰は「奇跡の希望」を伸ばす。しかし、「科学が人類を変えると思うのは魔術を信じるに等しい」。科学は「暴政の強化と戦争拡大」に利用されるはずだ。
・ドストエフスキーの真意は、「人類が自由を求めた例はかつてなく、この先も考えられない」ということだ。
現代の世俗信仰は人間は自由を望み束縛を嫌うというが、「隷属と引き替えの安逸以上に自由を尊重」するのは稀だ。
J. J. ルソーは「元々自由に生まれたはずの人間が至るところで鎖に繋がれている」と言う。しかし、「時として自由を求める少数がいるからといって、人間がみな同じだと思うのは、トビウオを見て空を飛ぶのは魚類の習性であると断じるに等しい」。
・「自由社会」がいずれ出現するだろうが、「めったにないことで、それも無政府状態か、専制君主制の変形が定石」だろう。独裁者は混乱に乗じて権力を手にするが、つねに庶民に「沈滞や閉塞を打破すると暗黙の約束を掲げる」。
・大審問官の偽りは自分を「悲劇の主人公」視していることだ。彼がどんなに気を揉んでも人類を救えないし、人類もそれを当てにしていない。彼の「自己満足」だ。
宗教裁判官は「気高くも悪魔じみた信念」をもつと考えるのは誤りで、「腹のうちは、恐怖、怨恨、それに弱い者いじめの快感である」。
・「科学は人類の知識を増進するが、真理を尊重することは教えない。
かつてのキリスト教と同じで、科学は権力の網に搦め捕られている。
生存競争と業績(survival and success)の達成に汲々としている科学者の世界観は、旧弊な思考の貼り混ぜである。」
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第3節・多神教礼賛。
第4節・キリスト教が行き着く果ての無神論。
<この両節は全体として省略。後者に明記はないが、R・ドーキンス的「無神論」の批判・揶揄を含むだろう。>
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第5節以降へ。