樋口陽一・「日本国憲法」/まっとうに議論するために(みすず)を読んでいて、気になる箇所がある。以下、二、三点だけ挙げる。
第一は日本国憲法の成り立ちに関係する。
樋口は「だれにとっての「おしつけ」?」という見出しを付けた文章の中で、新憲法は国民一般に抵抗なく受容されたが(日本国民自身の)「広範囲で強い動きの結実」としてできたものではないとしつつ、「当初は受け身で歓迎された」憲法がその後「借り着が…だんだん合ってくるように、人びとの間でなじんできたという積極面を、重んじたい」と言う(p.30、p.32)。
「おしつけ」られたとは言わなくとも、樋口もまた日本国憲法が日本国民にとっては受動的に与えられたものであることを肯定している(と見られる)ことにまずは着目したい。だが、そのような憲法が「人びとの間でなじんできた」というのは何故「積極面」と評価されることになるのかは必ずしもよく解らない。日本国憲法(の内容)を「積極」的に評価したいという結論が先取りされているような気もする。
気になるのは上の点ではなく、むしろ次の点だ。
樋口はつづいて「外来のものが定着した例」という見出しを立て(p.32)、憲法についてもそのような例はあるとする。
まずは、日本国憲法が「外来のもの」であることを樋口自身も肯定していると読める見出し・内容になっていることが注目される。
問題は、憲法について「外来のものが定着した例」として西ドイツ憲法を挙げていることだ(そのようにしか読めない)(p.33)。
西ドイツ憲法はドイツ人自らが(ヘレン・キーム・ゼー湖畔又は島で)議論して草案を作ったのであり、日本国憲法の場合のマッカーサー草案なるものに該当するものがあったわけではない。決して「外来のもの」ではないのであり、この点では明らかに誤った叙述をしている。
もっとも、東西統一後も旧東独地域にそのまま適用され「しっかりと定着して」いることをもって、旧東独国民にとっての「外来のもの」が旧東独国民に「定着」している、という趣旨なのかもしれない。
だが、後者のように理解するとしても、元来は同一又は同様の文化・歴史をもちワイマール憲法という同一の憲法下にあった国民のうちの旧東独国民にとって西ドイツ憲法=「(ボン)基本法」が「外来のもの」だというのはかなりの牽強付会だろう。ましてや、その例だけを示して<外来の憲法が定着した例>だとし、かつ日本国憲法にあてはめて、「借り着をぬぎ捨て」るか「自分自身の自己表現のシンボルにまで高める」か(p.33)、と後者の方向を主張するための論拠とするのは(そのようにしか読めない)、相当に無理がある、論理展開に飛躍がありすぎる、と論評すべきだろう。
第二は、改憲論にかかわる。樋口は随所でそれとなく改憲論を批判する又は皮肉る表現を用いているが、p.144では、「九条改憲の論拠は、世の中の流れに応じて少しずつ変わってきました」と述べたうえで、こう続けている。
<「戸じまり」論からはじまって、「西側陣営の一員」、「シーレーン防衛」(〔略))、「邦人救出」(〔略))、「国連協力」……というふうに。今では武力行使を正当化する最大のものは「人権・人道のため」です。>(p.144)
これが「九条改憲の論拠」だと樋口が理解しているとすれば、かなり皮相的で、憲法改正論の基本的趣旨・立脚点を―ここでは立ち入らないが―理解できていない、と評してよいように思われる。そして、そのあとの叙述も含めて、批判しやすいように対象を歪めて描いておいてから、実像ではないものに唾を吐きかけている、というような印象が―やや下品な表現となったが―ある。
第三に、ついでに加えておくが、司馬遼太郎の議論又は認識の理解に誤りがあるように思われる。
樋口によると、司馬遼太郎は(日本を愛していたからこそ)「日本の近代」をあえて「異胎」と呼んだ。
たしかに引用されている司馬の文章からすると(p.148。正確かどうかは確認していないが、正確なことを前提にする)、上のように理解できる。
だが、司馬が(かりに明治維新以降から昭和戦前を「日本の近代」と称するならば)「日本の近代」を丸ごと、あるいは全時期にわたって<異様な>ものだったとは理解していないことは、彼の文章・小説を読めば容易にわかることだ。
「日本の近代」すべてを「異胎」だと感じる一方で、幕末から日清・日ロ戦争頃までについて長短ともに多数の小説を書き、その時代の諸人物を情熱をかけて描く作品を生み出すことなどできるわけないだろう。
司馬が批判し嘆いていたのは「日本の近代」全体なのではなく、端的にいえば<昭和・戦前期>だった、と間違いなく思われる。その趣旨の指摘・文章を彼は多数残している(このような所謂<司馬史観>に対する批判も少なくないのだが、立ち入らない)。
したがって、樋口が引用する司馬の『この国のかたち』の中の文章でいう「日本の近代」という語は形式的に理解されてはならず、一種のレトリック、あるいは「日本の近代」の中の特定の時期を実質的には指している、と読むべきものと思われる。
樋口は自説・自分の論述の流れに都合のよいように司馬の文章を利用している可能性が高い。
むしろ、樋口自身に対して訊いてみたいものだ。日清・日ロ戦争も<非難されるべき「侵略戦争」だった>のか?、明治期の主流派政治家の動きはすべて<非難されるべき「日本帝国主義」を生んだものだった>のか?、つまりは幕末期に明確な萌芽が出現してきた<「日本の近代」全体が―少なくとも「基本的」・「本質的」には―「異胎」だった>と考えているのか?、と。
ドイツ統一
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