遺伝子群を内包するDNAの最小単位は「ヌクレオチド」だが、塩基対を形成した二本のビーズ状の紐が「ヒストン」の周りを左巻きに(らせん状に)巻きついた場合の一つの単位は「ヌクレオソーム」という。ヒストンの「八量体」の周りを1.7回ぶん巻きついたものだとされる。
「ヌクレオソーム」の全体を「染色体」と称するとかりにしても、「ヌクレオソーム」は「ヒストン」部分を含む概念なので、少なくともこの点で、DNAと染色体は同じ意味ではない。
既述のように、染色体は細胞「分裂」の過程で「核」内に<出現>する。一方で、DNAは「核」内につねに格納されている。この点でも、DNAと染色体は異なる。
但し、存在する・存在しない、見える・見えないの対比を染色体とDNAの間で用いることは、厳密には、「存在する」や「見える」は何を意味しているのか、「見えないから存在しない」のか、といった<哲学>や「認識」論に関係する(?)問題を惹起させるかもしれない。
細胞分裂過程で「染色体」が「見える」ようになると言っても、ヒトの通常の「肉眼」で見えるわけではない。一方で、「染色質」が元になっている旨すでにこの欄に記したことがあるが、「見える」ことがなくとも、「染色体」は元々「存在」しているのかもしれない。
この辺りの微妙な?現象を、本庶佑・ゲノムが語る生命像(2016)は、こう叙述している。
「通常の細胞では、染色体は比較的ゆるやかに伸展した形となり、光学顕微鏡で見てもはっきりとした構造体としては観察されず、核の中にDNAとタンパク質の複合体として存在する。
しかし、細胞分裂のときには、はっきりと染色体という光学顕微鏡下で見える構造体として凝縮する。」
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凝縮した「染色体」は、エンドウ豆の「鞘(さや)」のような形をしている。ちょうど真ん中ではないが、中央部が「くびれて」細くなっている。
「常染色体」の場合、そのような染色体1本と全くか同じ形のもう1本が向かい合って、中央部の「くびれ」部分で接着しているか、その部分でほとんど「くっつき」そうになっている。その結果として、2本(1対)でアルファベット文字のXになっているように見える。Xの中央の交差部分が「くびれ」で、左と右が各1本ずつの染色体だ。
「くびれ」部分、Xの中央部分は、少し離れているように図示されていることが多いように思われる。しかし、本庶・上掲書の、約10000倍に拡大したという写真では、その部分は明らかに「接着」している。
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染色体の数は生物種で異なるようだが、ヒトの場合は「常染色体」が22対44本、「性染色体」が計2本だ(XX型かXY型か)。計46本と確定したのは、1956年だとされる(第二次大戦後。68年前)。
上の前者は1対ごとに、「大きさ」の順に「1番」、「2番」、…、「22番」と称される(世界的に統一されている)。この「大きさ」は「長さ」であって、重さでも、内部に含む遺伝子数でも塩基対(・塩基)数でもない。もっとも、「21番」と「22番」の順は実際には逆だともされる。
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染色体(「常染色体」)の1対2本は、エンドウ豆の「鞘」が向かい合って、「X」を形成しているように見える。「ビーズに糸がついたもの」が2本あるというのはDNAのことなので、混同しないよう注意する必要がある。
左右の染色体1本の「くぼみ」部分は、「セントロメア」(centromere)と呼ばれる。ちょうど真ん中にあるのではないので、染色体1本を短い部分(「短腕」」,p)と長い部分(「長腕」,q)に分けることになる。
興味深いのは、つぎのことだ。
既述のように、「染色体」が二倍化して「赤道」に「整列」したあと、上下(左右)の一つの側が「極」へと徐々に「引っ張られる」。その際に活躍するのは「紡錘体」の要素である「紡錘糸」(spindle fiber)で、この「紡錘糸」は、染色体の「セントロメア」部分に接着して「両極」へと「引っ張る」。つまり、「紡錘糸」は細くなっている「セントロメア」部分を<引っ掛けて>、「両極」へと移動するのだ。
左右(上下)の染色体1本の二つの「先端」部分または「両端」部分は、「テロメア」(telomere)と呼ばれる。固有のDNA配列を持つ。ともされる。染色体の一部だと理解しておくが、先端にくっつく別のものだと理解できなくはない。
この「テロメア」部分が重要と見られるのは、細胞は永遠に「分裂」して「複製」されるのではなく、「分裂」ごとにこの「テロメア」部分は短くなっていく、とほぼ考えられている、ということだ。これはつぎのことを意味する。
「染色体」の先端の「テロメア」の長さが、細胞の、ひいては個体全体の「老化」や「寿命」=「死」に影響を与えている可能性が高い。
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「ヌクレオソーム」の全体を「染色体」と称するとかりにしても、「ヌクレオソーム」は「ヒストン」部分を含む概念なので、少なくともこの点で、DNAと染色体は同じ意味ではない。
既述のように、染色体は細胞「分裂」の過程で「核」内に<出現>する。一方で、DNAは「核」内につねに格納されている。この点でも、DNAと染色体は異なる。
但し、存在する・存在しない、見える・見えないの対比を染色体とDNAの間で用いることは、厳密には、「存在する」や「見える」は何を意味しているのか、「見えないから存在しない」のか、といった<哲学>や「認識」論に関係する(?)問題を惹起させるかもしれない。
細胞分裂過程で「染色体」が「見える」ようになると言っても、ヒトの通常の「肉眼」で見えるわけではない。一方で、「染色質」が元になっている旨すでにこの欄に記したことがあるが、「見える」ことがなくとも、「染色体」は元々「存在」しているのかもしれない。
この辺りの微妙な?現象を、本庶佑・ゲノムが語る生命像(2016)は、こう叙述している。
「通常の細胞では、染色体は比較的ゆるやかに伸展した形となり、光学顕微鏡で見てもはっきりとした構造体としては観察されず、核の中にDNAとタンパク質の複合体として存在する。
しかし、細胞分裂のときには、はっきりと染色体という光学顕微鏡下で見える構造体として凝縮する。」
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凝縮した「染色体」は、エンドウ豆の「鞘(さや)」のような形をしている。ちょうど真ん中ではないが、中央部が「くびれて」細くなっている。
「常染色体」の場合、そのような染色体1本と全くか同じ形のもう1本が向かい合って、中央部の「くびれ」部分で接着しているか、その部分でほとんど「くっつき」そうになっている。その結果として、2本(1対)でアルファベット文字のXになっているように見える。Xの中央の交差部分が「くびれ」で、左と右が各1本ずつの染色体だ。
「くびれ」部分、Xの中央部分は、少し離れているように図示されていることが多いように思われる。しかし、本庶・上掲書の、約10000倍に拡大したという写真では、その部分は明らかに「接着」している。
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染色体の数は生物種で異なるようだが、ヒトの場合は「常染色体」が22対44本、「性染色体」が計2本だ(XX型かXY型か)。計46本と確定したのは、1956年だとされる(第二次大戦後。68年前)。
上の前者は1対ごとに、「大きさ」の順に「1番」、「2番」、…、「22番」と称される(世界的に統一されている)。この「大きさ」は「長さ」であって、重さでも、内部に含む遺伝子数でも塩基対(・塩基)数でもない。もっとも、「21番」と「22番」の順は実際には逆だともされる。
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染色体(「常染色体」)の1対2本は、エンドウ豆の「鞘」が向かい合って、「X」を形成しているように見える。「ビーズに糸がついたもの」が2本あるというのはDNAのことなので、混同しないよう注意する必要がある。
左右の染色体1本の「くぼみ」部分は、「セントロメア」(centromere)と呼ばれる。ちょうど真ん中にあるのではないので、染色体1本を短い部分(「短腕」」,p)と長い部分(「長腕」,q)に分けることになる。
興味深いのは、つぎのことだ。
既述のように、「染色体」が二倍化して「赤道」に「整列」したあと、上下(左右)の一つの側が「極」へと徐々に「引っ張られる」。その際に活躍するのは「紡錘体」の要素である「紡錘糸」(spindle fiber)で、この「紡錘糸」は、染色体の「セントロメア」部分に接着して「両極」へと「引っ張る」。つまり、「紡錘糸」は細くなっている「セントロメア」部分を<引っ掛けて>、「両極」へと移動するのだ。
左右(上下)の染色体1本の二つの「先端」部分または「両端」部分は、「テロメア」(telomere)と呼ばれる。固有のDNA配列を持つ。ともされる。染色体の一部だと理解しておくが、先端にくっつく別のものだと理解できなくはない。
この「テロメア」部分が重要と見られるのは、細胞は永遠に「分裂」して「複製」されるのではなく、「分裂」ごとにこの「テロメア」部分は短くなっていく、とほぼ考えられている、ということだ。これはつぎのことを意味する。
「染色体」の先端の「テロメア」の長さが、細胞の、ひいては個体全体の「老化」や「寿命」=「死」に影響を与えている可能性が高い。
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