Frank M. Turner, European Intellectual History -From Rousseau to Nietzsche (2014).
第15章の試訳のつづき。
——
第5節。
(01) さて、ニーチェのソクラテスへと辿りついた。
ニーチェが〈悲劇の誕生〉でソクラテスについて書いたとき、Hegel とGrote の著作と見解を十分に知っていた。
ニーチェが攻撃したのは、Hegel のソクラテスとGrote のソクラテスだった(厳密には同じでなかったが、多くの点で共通性があった)。
言い換えれば、彼は、ソクラテスを攻撃することによって、つぎの像型を攻撃していた。すなわち、半世紀前に、古代世界の科学を推進した主観的かつ批判的合理性や哲学的表象を用いる象徴になった者たち。//
(02) ニーチェは、19世紀の者たちの中で最も、Grote の解釈の多くを受容し、承認した。
宣教師というソクラテスについての比喩を受容し、ソクラテスは自らの死をもたらすように積極的に協力したとの見方を受容した。
彼はまた、ソクラテスは古代ギリシャの批判的で科学的な精神性を具現化していた、と考えた。
だが、これらをGrote に依っているにもかかわらず、ソクラテスについてのニーチェの見方は、自分のものでなければならなかった。
ソクラテスを近代思想の中心的人物、近代文明批判について参照されるべき中心地点にしたのは、他の誰よりも、ニーチェだった。//
(03) 既述のように、ニーチェは、ギリシャの最大の惨禍はDionysus 的のものを排除しようとしたことだと叙述した。
これについて罪責がある劇作者は、エウリピデスだった。しかし、ニーチェによると、エウリピデスはソクラテスの声に他ならない。
Aeschylus やSophocles の悲劇を破壊し、ギリシャ文化を合理的頽廃への途へと歩ませたのは、これら二人の連携だった。
ニーチェは、こう宣言した。
「我々は、エウリピデスはApollon の基礎の上でのみ劇作をすることに全く成功しなかった、彼の非Dionysus 的な傾向は自然主義的で非芸術的なものの中に落ち込んだ、と見るに至った。
我々はゆえに今や、その至高の法則は、大まかにはつぎの審美的ソクラテス主義の本質に接近することができる。すなわち、その本質とは『美しくあるためには、全てが合理的でなければならない』。—これは、『知る者のみが有徳である』というソクラテスの格言と並立するものとして形成された宣告だ。」(注4)//
(04) ソクラテスの影響を受けて、エウリピデスとその後のギリシャ文化の問題は、ニーチェが「あの徹底的な批判過程」、「あの大胆な理性の応用」(注5)と称したものになった。
悲劇を不可能にしたのは、この合理性だった。//
(05) こうした解釈においては、ソクラテスはギリシャ文化におけるDionysus の大きな敵、対立者として現れる。
しかし、ニーチェにとっては、ソクラテスが行ったことはもっとはるかに急進的だった。
彼は、こう書いた。
「ソクラテスは、同じ尺度でもって現存の芸術と現存の倫理を非難する。
検討の凝視をどこに向けようとも、洞察の欠如と妄想の力を見ているのであり、現存するものには内部に間違いと不快なものがあると、その欠如から推断する。
ソクラテスは、この一地点から出発して、自分は現存するものを是正する義務があると考えた。
個人である彼が、完全に異なる文化、芸術および道徳性の先駆者として、我々がその套いに畏敬をもって触れるならば最高に幸福だと感じるだろう、そのような世界に、傲岸さと優越意識の面貌をもって踏み込んでいる。」
ニーチェは、つづける。
「Homer、Pindar、Aeschylus として、またPhidias、Pericles、Pythia、および Dionysus として、あるいは最も深い深淵または最も高い絶頂としてのいずれであれ、驚愕する崇敬対象であることが確実な、そのようなギリシャの本性を、あえて否定しようとするこの個人は、いったい誰なのか?」 (注6)//
——
第5節、終わり。
第15章の試訳のつづき。
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第5節。
(01) さて、ニーチェのソクラテスへと辿りついた。
ニーチェが〈悲劇の誕生〉でソクラテスについて書いたとき、Hegel とGrote の著作と見解を十分に知っていた。
ニーチェが攻撃したのは、Hegel のソクラテスとGrote のソクラテスだった(厳密には同じでなかったが、多くの点で共通性があった)。
言い換えれば、彼は、ソクラテスを攻撃することによって、つぎの像型を攻撃していた。すなわち、半世紀前に、古代世界の科学を推進した主観的かつ批判的合理性や哲学的表象を用いる象徴になった者たち。//
(02) ニーチェは、19世紀の者たちの中で最も、Grote の解釈の多くを受容し、承認した。
宣教師というソクラテスについての比喩を受容し、ソクラテスは自らの死をもたらすように積極的に協力したとの見方を受容した。
彼はまた、ソクラテスは古代ギリシャの批判的で科学的な精神性を具現化していた、と考えた。
だが、これらをGrote に依っているにもかかわらず、ソクラテスについてのニーチェの見方は、自分のものでなければならなかった。
ソクラテスを近代思想の中心的人物、近代文明批判について参照されるべき中心地点にしたのは、他の誰よりも、ニーチェだった。//
(03) 既述のように、ニーチェは、ギリシャの最大の惨禍はDionysus 的のものを排除しようとしたことだと叙述した。
これについて罪責がある劇作者は、エウリピデスだった。しかし、ニーチェによると、エウリピデスはソクラテスの声に他ならない。
Aeschylus やSophocles の悲劇を破壊し、ギリシャ文化を合理的頽廃への途へと歩ませたのは、これら二人の連携だった。
ニーチェは、こう宣言した。
「我々は、エウリピデスはApollon の基礎の上でのみ劇作をすることに全く成功しなかった、彼の非Dionysus 的な傾向は自然主義的で非芸術的なものの中に落ち込んだ、と見るに至った。
我々はゆえに今や、その至高の法則は、大まかにはつぎの審美的ソクラテス主義の本質に接近することができる。すなわち、その本質とは『美しくあるためには、全てが合理的でなければならない』。—これは、『知る者のみが有徳である』というソクラテスの格言と並立するものとして形成された宣告だ。」(注4)//
(04) ソクラテスの影響を受けて、エウリピデスとその後のギリシャ文化の問題は、ニーチェが「あの徹底的な批判過程」、「あの大胆な理性の応用」(注5)と称したものになった。
悲劇を不可能にしたのは、この合理性だった。//
(05) こうした解釈においては、ソクラテスはギリシャ文化におけるDionysus の大きな敵、対立者として現れる。
しかし、ニーチェにとっては、ソクラテスが行ったことはもっとはるかに急進的だった。
彼は、こう書いた。
「ソクラテスは、同じ尺度でもって現存の芸術と現存の倫理を非難する。
検討の凝視をどこに向けようとも、洞察の欠如と妄想の力を見ているのであり、現存するものには内部に間違いと不快なものがあると、その欠如から推断する。
ソクラテスは、この一地点から出発して、自分は現存するものを是正する義務があると考えた。
個人である彼が、完全に異なる文化、芸術および道徳性の先駆者として、我々がその套いに畏敬をもって触れるならば最高に幸福だと感じるだろう、そのような世界に、傲岸さと優越意識の面貌をもって踏み込んでいる。」
ニーチェは、つづける。
「Homer、Pindar、Aeschylus として、またPhidias、Pericles、Pythia、および Dionysus として、あるいは最も深い深淵または最も高い絶頂としてのいずれであれ、驚愕する崇敬対象であることが確実な、そのようなギリシャの本性を、あえて否定しようとするこの個人は、いったい誰なのか?」 (注6)//
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第5節、終わり。