NHKの番組批評のつづき。
NHKの2024年8月下旬の<クローズアップ現代>で、戦時中に(国籍上の)イギリス人を収容する「抑留所」が日本にあった、ということが取り上げられていた。
そういう事実を伝え、当時の関係者の「証言」を伝えて残すことに反対しはしない。いや、必要なことかもしれない。
だが、この問題の教訓?を今日にどう具体的に生かすかは、議論がありうるだろう。
NHKのサイトを覗いてみると、この番組の制作意図として、「戦争が絶えない世界と国際化が進む日本へのヒントを探りました」、と書かれている。この文章は、当日の放送でも冒頭にあったのかもしれない。
はて、どういう「ヒント」をNHKの製作者は探りあてたのか?
これではいけないと秋月が感じたのは、番組のたぶん最後にキャスターの桑子真帆が語った、つぎの言葉だ。
「属性よりも、個人ですね」。
これが「ヒント」だとすると、桑子、番組製作者、NHKは「狂って」いるだろう。
両親がイギリス人だった子供で戦時中の日本の学校に通っていて、〈日本が好きだった〉者も、いただろう。
しかし、問題は、「属性」と「個人」を対比させて、後者を最大限に優先させれば解決する、というものではない。
NHK自体が日本の法律にもとづいて設立された法人で(「特殊法人」等々の範疇論議は、言葉・概念の問題)、その名のとおり「日本」という属性を背負っている。
NHKはなぜ、アメリカ・大リーグの、大谷翔平選手等が所属する球団の試合をほとんどもっぱら中心にして、生放送・中継をえんえんと繰り返したのだろうか。大谷等の「個人」に注目した、とでも言うのだろうか。
誰もが純粋な「個人」ではおれず、種々の「属性」があることはあまりにも当然のことだろう。
にもかかわらず、平然と、堂々と、いわゆるゴールデンタイムの放送で、「属性ではなく、個人ですね」と言い放つ人物がNHKにいる、あるいはNHKが起用している(桑子真帆の雇用形態を知らない)ことに、きわめて驚き、危険性すら感じた。
こういう曖昧さ、緩さは、関連団体の中に中国政府主張そのままの見解を生放送中に発言した(国籍上の)中国人がいたとかのニュースがあったことと(詳細は知らない)、どこかで関係しているのではなかろうか。
元に戻ると、70年以上前の日本政府の行動をいくら批判し続けたところで(それを一般に否定はしないが)、今日の、現在の日本に役立つ「ヒント」を提供できるわけでは絶対にない。
何やら偽善家ぶった、あるいは「政治的コレクトネス」を追求しているがごとき番組や人々が、NHKにはときにある、または存在しているようだ。
美しく虚しい言葉で、貴重な電波を使わないでいただきたいものだ。
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NHKの2024年8月下旬の<クローズアップ現代>で、戦時中に(国籍上の)イギリス人を収容する「抑留所」が日本にあった、ということが取り上げられていた。
そういう事実を伝え、当時の関係者の「証言」を伝えて残すことに反対しはしない。いや、必要なことかもしれない。
だが、この問題の教訓?を今日にどう具体的に生かすかは、議論がありうるだろう。
NHKのサイトを覗いてみると、この番組の制作意図として、「戦争が絶えない世界と国際化が進む日本へのヒントを探りました」、と書かれている。この文章は、当日の放送でも冒頭にあったのかもしれない。
はて、どういう「ヒント」をNHKの製作者は探りあてたのか?
これではいけないと秋月が感じたのは、番組のたぶん最後にキャスターの桑子真帆が語った、つぎの言葉だ。
「属性よりも、個人ですね」。
これが「ヒント」だとすると、桑子、番組製作者、NHKは「狂って」いるだろう。
両親がイギリス人だった子供で戦時中の日本の学校に通っていて、〈日本が好きだった〉者も、いただろう。
しかし、問題は、「属性」と「個人」を対比させて、後者を最大限に優先させれば解決する、というものではない。
NHK自体が日本の法律にもとづいて設立された法人で(「特殊法人」等々の範疇論議は、言葉・概念の問題)、その名のとおり「日本」という属性を背負っている。
NHKはなぜ、アメリカ・大リーグの、大谷翔平選手等が所属する球団の試合をほとんどもっぱら中心にして、生放送・中継をえんえんと繰り返したのだろうか。大谷等の「個人」に注目した、とでも言うのだろうか。
誰もが純粋な「個人」ではおれず、種々の「属性」があることはあまりにも当然のことだろう。
にもかかわらず、平然と、堂々と、いわゆるゴールデンタイムの放送で、「属性ではなく、個人ですね」と言い放つ人物がNHKにいる、あるいはNHKが起用している(桑子真帆の雇用形態を知らない)ことに、きわめて驚き、危険性すら感じた。
こういう曖昧さ、緩さは、関連団体の中に中国政府主張そのままの見解を生放送中に発言した(国籍上の)中国人がいたとかのニュースがあったことと(詳細は知らない)、どこかで関係しているのではなかろうか。
元に戻ると、70年以上前の日本政府の行動をいくら批判し続けたところで(それを一般に否定はしないが)、今日の、現在の日本に役立つ「ヒント」を提供できるわけでは絶対にない。
何やら偽善家ぶった、あるいは「政治的コレクトネス」を追求しているがごとき番組や人々が、NHKにはときにある、または存在しているようだ。
美しく虚しい言葉で、貴重な電波を使わないでいただきたいものだ。
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