橋下徹に対する単純で性急な批判を批判してきているが、自民党を全面的に支持しているわけではないのと同様に、橋下徹のすること、言うことを、全面的に支持しているわけでは全くない。
何かのきっかけで、橋下自身が政治に関係するすることをきっぱりと止めてしまうことがないとは言えないと思っている。それは、彼が恥ずかしいと思うくらいの、何らかの蹉跌を明らかにしてしまったときだろう。
最近に気になるのは、<脱原発>への傾斜ぶり、大飯原発再稼働(現時点での)反対論だ。
<保守>か否か、といった大上段の議論の対象になる問題ではない。だが、政策論として、きわめて重要な問題ではある。
撃論第4号(オークラ出版、2012.04)に掲載されている田母神俊雄=中川八洋(対談)「避難県人を全員ただちに帰宅させよ」の他、中川八洋・脱原発のウソと犯罪(日新報道、2012)、池田信夫・原発「危険神話」の崩壊(PHP新書、2012)を多少は読んだことの影響によるのかもしれないが、安全性の確保=脱原発の方向に傾斜しすぎているのではないか。
詳細な紹介は差し控えるが、池田信夫の分析・説明は、なかなかに冷静で、客観的のように感じられる。
田母神俊雄や中川八洋らの指摘が正しいとすれば、菅直人を「反原発」始祖とする「左翼」民主党政権は、一部の(だが相当数の)福島県民から「ふるさと」を奪う、という大犯罪を敢行中であることになる。
宮城県にあり、震源には福島第二よりも近かった女川原発は何ら支障なく存続し続けた、ということ、そしてそれは何故か(つまりなぜ福島第二では事故になったのか)について、テレビ等の大手メディアが全くかほとんど触れないのはいったい何故なのだろう。
櫻井よしこの週刊ダイヤモンド3/31号の連載は、「放射線量の低い所から高い所に川内村の人たちは避難させられ」ていることを述べている。低い所とは、川内村いわなの里で0.178マイクロシーベルト(毎時放射線量)、高い所とは福島県の郡山駅で0.423マイクロシーベルト(同)、だ。
こういう正確なデータに言及することなく、中島岳志「トポス喪失への想像力」西部邁=佐伯啓思ら編・「文明」の宿命(NTT出版)という「保守派」(??)の<反原発>論は書かれている。
この生硬な「保守主義」に立つという<反原発>論の思考方法については別に言及したいが、ともあれ、中島岳志は、「原発という過剰な設計主義的存在」による、「トポス」、「生まれた土地や伝統、…歴史的・集合的価値観」の喪失の蓋然性を理由として脱原発論を説いている。だが、「生まれた土地」等の喪失の原因が原発にあるのではなく、政治的判断にあるのだとしたら、この中島岳志の論考は後世に残る「大嗤い」論文になるだろう。
元に戻ると、橋下徹がいくら有能な人物でも、顧問等々の意見・見解に全く左右されない、ということはありえないだろう。
この点で、特別顧問(のはず)の、民主党政権に冷や飯を食わされで有名になった、古賀茂明はやや気になる。古賀茂明・日本中枢の崩壊(講談社、2011)を半分くらい読んで止めたのだったが、それは、細かな動きはよく分かったものの、古賀の基本的な政治観・国家観がよく分からなかったからだ。それにそもそも、古賀茂明とは、民主党による「公務員制度」改革に期待していた人物なのであり、民主党という政党・同党の政治家がいかなる政党でありいかなる政治家たちであるかに無知な人物だったのではないか。要するに、民主党の「改革」に<幻想>を持った人物であったのだ。民主党の危険性に無関心だった者を、無条件に信頼することはできない。
環境経済学者という触れ込みの植田和弘(京都大学教授)も、冷静できちんとした「保守」派であるか否かがよく分からない。原発について、正確な科学的知見にもとづいて判断するという「政治的・行政的感覚」を持っているだろうか。
橋下徹自身についても、総選挙の争点化する、などの発言はまだ早すぎ、焦りすぎで、<前のめり>し過ぎている印象がある。
せっかくの、可能性を秘めた人物を、<取り巻き>が誤らせないように、早まって腐らせてしまうことのないように、うまく誘導し、「盛り立てて」?ほしいものだ。
参照、池田信夫ブログ→ http://ikedanobuo.livedoor.biz/
オークラ出版
〇水島総が、「撃論+(プラス)」という雑誌(oak-mook。2012.04)で、「今、最も問題なのは、反日メディアや反日政治家、反日財界なのではない。『戦後保守』と言われる言論人の一種の頽廃というべき姿である」と書いている(p.171)。
現在の「保守」派がかなり混乱していることは確かだと思われ、「頽廃」という形容が的確かは悩むが、私とも問題関心に共通するところはあるだろう。
このようなブログだから「保守」派のあれこれに対して批判的な言辞も吐いてきた。100%信頼できる人物はいないと(残念ながら)感じているので、テーマ、論点に応じて、櫻井よしこ、西尾幹二、佐伯啓思等々を批判したこともある。だが、<このようなプログだから>影響力は微々たるものだとの自覚があるからなのであり、保守派内部の対立・軋轢を拡大する意図はない。
産経新聞社も(以前から)意図しているようである憲法改正にしても、現憲法を前提にすれば(なお、石原慎太郎の「破棄」論は精神論としてはともかく、現実的には無謀だ)国会内に2/3以上の改憲勢力を作らなければならず、有権者国民の過半数の支持を受けなければならない。
産経新聞3/31に論説委員・皿木喜久が書いているように(この人にはまともな文章が多い)、かりに憲法を軸にした「保守合同」を展望するとしても、それは「命がけ」で取り組まれなければならない課題だ。
そうした状況において、「保守」派内部において、「自称保守」とか「エセ保守」とか言い合っている余裕は本来は十分にはないはずだ。あるいは個々の論点について対立してもよいが、憲法改正、正確にはとくに現憲法九条2項の削除と「国防軍」の設置(「自衛軍」という語よりもよいと思う)、についてはしっかりと<団結>しておく必要があろう。
憲法・国防といった国家の基本問題に比べれば、橋下徹・現大阪市長をどのように評価するかなどという問題は「ちんまい」テーマだ。
にもかかわらず、産経新聞社の月刊正論5月号は、3/31の大きな広告欄によると、「橋下徹は『保守』ではない!」という一論考のタイトルを最大の文字の惹句にしている。
「国民の憲法」起草委員会を作ったのだったら憲法改正大特集でも不思議ではないが、上の文字を最大の謳い文句にする感覚は(私には)尋常とは思えない。
上の論考の執筆者らしい適菜収は冒頭掲記の「撃論+」にもたぶん似たようなことを書いているので、―今回は立ち入らないが―主張内容はおおよその推察ができる。「評論家」の佐伯啓思にもむつかしい問題に「哲学者」が適切に対応できるとはとても思えないが、この、よく知らない適菜収という「哲学者」にとっては、またとない「売名」の機会になったことだろう。あるいはまた、橋下徹をテーマにすれば(とくに批判すれば)<売れる>という月刊正論編集部の<経営的>判断に乗っかかっているだけなのかもしれない。
ついでだから立ち入るが、「撃論+」の中の小川裕夫「検証/橋下改革は本当か?」(p.150-)の方が、橋下徹について冷静にかつ客観的に判断しようとしており、性急な結論づけをしていない。
このような性急に単純な結論・予測を述べない姿勢の方が好感をもてる。「撃論+」よりも数倍の(十倍以上の?)読者をもつだろう月刊正論の編集部が、<橋下徹は保守ではない!>と訴えたいらしいのはいったいどうしてなのだろうか。まだ民主党政権のゆくえや解散・総選挙問題を直接のテーマにする方が時宜にかなっているように思われる。
〇水島総の文章に戻ると、しかし、水島がいう「戦後保守」の「頽廃」の意味、したがってまた水島の考えている「(真の)保守」の意味は必ずしも明確ではない。水島は次のように書く。
・保守を標榜しつつも「TPP参加や増税、女性宮家創設等で分かるように、GHQ日本国憲法内閣と言ってもいいほど」なのが野田民主党内閣の本質であり、「日本の国体そのものの解体を目ざしている」にもかかわらず、「戦後日本意識」を脱し切れず、有効に批判できていない。「戦後保守と呼ばれる言論人は、野田内閣の『改革路線』を批判出来ず、野田内閣に一定の支持を与えたり、政権権力にすり寄る、まことに見苦しい迷走を続けている」(p.171)。
ここで批判されている「戦後保守」言論人とはいったい誰々なのだろうか。
「TPP参加」を批判されるべき野田内閣の政策の一つとして挙げているところを見ると、櫻井よしこ、竹中平蔵あたりなのだろうか(きちんと確認しないが、岡崎久彦もこれに反対ではなかったようだ)。政権権力に「すり寄る」とは厳しいが、櫻井よしこは野田内閣への期待を明確に(産経新聞紙上で)述べたことがある。
だが、「TPP参加」に反対するのが「(真の)保守」とは私は考えないし、「保守」か否かで簡単に判断できるものでもないように思っている。
月刊正論に連載欄を持っている水島総の「保守」派性を(その内容から見て)微塵も疑いはしないが、具体的問題となると、私とまったく同じように考えているわけでもなさそうだ。
急いで書かれただろう文章にあまり拘泥するのもどうかとは思うが、いま一つ、水島の論述には分かりにくいところがある。
水島は、「アメリカ拝跪から中国拝跪へ」という時代の変化を語りつつ、いずれも「主権国家意識の欠如した戦後意識」に由来する点で共通する、と批判的に指摘している。
この点はまだ分かるのだが、次の文章との関係はどうなるのだろう。
・「親米反中だから、保守内閣であるとの誤解は、冷戦構造が世界的に終焉した現在にあっては全く通用しない」(p.171)。
後半の冷戦構造の終焉うんぬんは、そのままでは支持できないことは何度もこの欄で書いた。よく分からないのは、野田内閣を「親米反中」内閣と性格づけていることだ(なお、「保守」内閣だなどと私は「誤解」したことはない)。
まず、「中国拝跪」意識を水島が批判しているところからすると、野田内閣の「反中」性を批判し難いのではないだろうか。
つぎに、野田・民主党内閣は本当に「反中」内閣なのだろうか。なるほど、鳩山由紀夫、菅直人と比べると<中国拝跪>性は弱いようにも思えるが、「反中」とまで言いきれるのかどうか。具体的に<南京大虐殺>の存在を肯定しているわけでもない村山談話を継承すると(河村たかし名古屋市長発言問題に関連して)官房長官が答えるような内閣は「反中」なのだろうか。
〇「保守」派を攪乱する意図はないし、そのような力もないが、いろいろと考え方あるいは表現の仕方が異なるのはやむを得ない。ひょっとすれば、水島総における「反米」性(TPP参加反対はこちらだろう)と「反中」性との関係がよく分からない、ということかもしれない。
だが、早晩憲法改正の具体的展望が出て来たときには、水島総が、その先頭に立つ運動家の一人だろうことは疑いえないだろう。この点では「思想家」佐伯啓思らよりもはるかに信頼が措けそうだ。余計ながら、西部邁と中島岳志はまるであてになりそうもない、という印象を抱いている。中島岳志は、憲法改正、正規の軍隊保持などという「ラディカル」な変化の追及は、「保守主義」と適合しない、などと言い始めるのではないか(??!)。
〇西部邁・佐伯啓思グループの隔月刊・表現者(ジョルダン)は、橋下徹批判特集の最新号からは購読しないこととした。駄文につき合っているヒマはない。前の「発言者」時代の古書を購入したことすらもあったのに、ある意味では寂しく、ある意味では爽快でもある。
このグループの橋下徹批判よりもレベルが落ちていると疑われる適菜収論考が<売り>の論文として宣伝されている月刊正論5月号(産経)も購入したくないが、はて、どうしたものだろう。
昨年10/26と11/08のエントリーで、雑誌・撃論第3号(オークラ出版)に言及している。
同・撃論第4号(2012.04)を最近に概読した。
前号では背中に<月刊WiLLは国益に合致するか>と書かれていて、その特集が主張したいほどではあるまいと感じた。但し、今回の号を読んで、月刊WiLL批判が当たっていると感じる程度は、少しは大きくなった。
それは、月刊WiLL(ワック)が東谷暁や藤井聡という<西部邁・佐伯啓思グループ>メンバーに橋下徹批判を書かせていることに関係しているが、この撃論は再び(背表紙に謳ってはいないが)、橋下徹批判をしている東口暁の<TPP亡国論>を指弾する中川八洋の論考を掲載しており、かつ中川は「民族系月刊誌『WiLL』」をも大々的に批判しているからだ。
中川は「TPP賛成派はバカか売国奴」とまで銘打ったこともある月刊WiLLにお馴染みの雑談話の堤堯と久保紘之も批判していて、久保を「テロリスト願望のアナーキスト」、堤を「無国家主義者・非国民であるのを公然と自慢」などと批判している。また、よりまともな?TPP反対論者の中野剛志も批判している。
堤らに大した関心はないし、中野の議論には関心はあるがその本を読んでいないので、ここでは紹介はしない。
といって東口暁のTPP亡国論批判をそのまま紹介するつもりもないが、中川八洋は東口について、こう言う。
「TPP加盟を『日本は米国の属国になる』などと叫びながら、大中華主義に従った、日本の中共属国化である『東アジア共同体』を批判しない論など、非国民の危険な甘言にすぎない」(p.109)。
また、「左右に巧妙に揺れる”マルクス主義シンパ”東口暁」、「『中共の犬』が本性か?」などと題して東口の論述内容を批判している(p.119-)。
もともと東口の経済論議を信頼性が高いとは思ってはいなかったが、関心をとくに惹くのは、橋下徹はTPP賛成論者である一方、東口暁は同反対論者であり、その東口を中川八洋が、「非国民」、「マルクス主義シンパ」等と批判している、ということだ。
中川は月刊WiLLには論及しているが、<西部邁・佐伯啓思グループ>に言及しているわけではない。だが、西部邁は橋下徹と違ってTPPに反対だと明言してもいるのだ(最近の週刊現代3/17号p.183も参照
グループとして一致しているかは確認していないが、西部邁と東口暁はTPPについて(も)同じような考え方に立っていると理解してよく、従って中川八洋は西部邁(さらに佐伯啓思らとのグループ?)とも対立している、ということになろう。
さらに関心を惹くのは、中川八洋は東口を、米国には厳しく中国(中共)には甘い、反共よりも反米を優先している、という観点から糾弾しているのであり、このような批判または疑問は、<西部邁・佐伯啓思グループ>に対して私が感じてきたものと基本的に同じだ、ということだ。
「東口は”中共の犬”で、日本国の安全保障を阻害する本物の売国奴と考えてよいだろう」(p.122)とまで論定してよいかどうかは別としても、西部邁、佐伯啓思、東口暁らは、反米自立(または反近代西欧)の重要性をそのかぎりではかりに適切に強調してきているとしても、中国またはコミュニズムに対する批判を全くかほとんど行わない、という点で見事に?共通している。
彼らについて、「左翼」と通底しているのではないかと(やや勇気をもって)書いたこともあった。この点を、中川八洋は明確に指摘し、論難しているのだ。中川からすると、東口などは「マルクス主義シンパ」の「左翼」そのものであるに違いない。
中川八洋が共産党員・共産主義者(コミュニスト)というレッテル貼りを多くの者に対してし続けているのは、少なくともにわかには賛同できないが、しかし、中川の「反共」(少なくとも中川にとっては=「保守」)の感覚は鋭くかつ適切ではないかと私は感じている。
<西部邁・佐伯啓思グループ>は、「保守」主義を自称しつつもじつは「反米的エセ保守」ないし「民族的左翼」、もしくは「合理主義的(近代主義的)保守」とでもいうような(同人誌的)カッコつき「思想家集団」であって、本来の<保守>陣営を攪乱している存在なのではないか、という疑念を捨て切れない。
別に佐伯啓思にからめて書きたいが、西部邁・佐伯啓思らは、「日本的なもの」・「日本の伝統・歴史」なるものを抽象的ないし一般論としては語りつつも、国歌・国旗問題に、あるいは「天皇制」の問題に(皇統継嗣問題を含む)、じつに見事に、具体的には論及してきていない。中共、北朝鮮問題についても同じだ。
なお、このグループの橋下徹批判、TPP反対論、これら自体は、日本共産党の現在の主張と何ら異なるところがない。ついでに、このグループの中島岳志は依然として、「左翼」週刊金曜日の編集委員のままだ。
中川八洋の批判は月刊WiLLにも向けられていて、月刊WiLL=世界=前衛=しんぶん赤旗であり、「赤色が濃く滲む、保守偽装の論壇誌」と「断定して間違ってはいまい」とまで書いている(p.113)。
これをそのまま支持するものではないが、月刊WiLLは、そして同編集長・花田紀凱は、かかる批判・見方もあることを自覚し、かつ中川八洋もまた執筆陣に加える(中川に執筆依頼をする)ことを考慮したらどうか。
蛇足ながら、東口暁は月刊正論の「論壇時評」の現在の担当者でもある。月刊正論(産経新聞社)だからといって、すべてがまっとうな「保守」論客の文章であるわけではないことを、言わずもがなのことだが、読者は意識しておく必要がある。
再び撃論第3号(オークラ出版、2011.11)に触れると、先に言及した「編集部」名義の「月刊誌『WiLL』は、日本の国益に合致しているか」(p.74-)は、「民族系」という語を何度か利用していることも含めて―「中川八洋教授に寄稿をお願いした」という書き方をしているにもかかわらず―、文体が中川八洋のそれにかなり似ている。
また、「本紙編集部」名義で書かれている原発・放射線恐怖から「正気を取り戻すための良書リスト」も(p.116-)、中川八洋は原子力問題に技術的にも詳しいこと、菅直人を「済州島出身のコリアン」と中川が別の本で書いていたと思われる表現を用いていることなどから見て、中川八洋が執筆している可能性がある。
あくまで憶測にすぎないが、万が一でも当たっているとすれば、出版業者・雑誌編集者としては邪道であることは論を俟たないだろう。
オークラ出版、雑誌・撃論が、興味を惹きそうなテーマを背表紙に打っての、月刊WiLLについていう「ただ『儲かればよい』一辺倒の商売至上主義」に自ら(も)陥っていないことを願う。
さて、この雑誌上掲号には中川八洋による「脱原発」西尾幹二批判の論考もあり、中川は西尾幹二を「民族系論客」と位置づけ、「非知識人」と称し、「嘘つき評論家」、「論壇ゴロ」と罵倒し(p.91-92、p.99)、「実質的共産党員」、「北朝鮮の代言人」とも評している(p.91、p.97)。
原発問題については分からないとしか言いようがないが、また、西尾幹二のこれまでの見解・主張の全てに同感してきたわけでもないが、このような批判・罵倒の仕方は、小林よしのりの対敵表現をも上回るかもしれないほどで、やや乱暴過ぎるだろう。
中川八洋が「コミュニスト」・「共産党員」という断定を好んで?することは前回にも紹介したとおりで、少なくとも一部については、当たっているだろう。だが、「コミュニスト」ではなく「共産党員」という認定の正しさは、日本共産党の名簿?でも見ないと証明できないことで、厳密には推測にすぎない(そして対象人物によって確度の異なる)もののように思われる。
そういう意味での推定にすぎないが、中川八洋が言及してはいないが、私は、たしか今年に逝去した井上ひさしは日本共産党員でなかったかと疑って(推測して)いる。
不破哲三=井上ひさし・新共産党宣言(光文社、1999)における、不破に対する井上の「へりくだり」ぶりは尋常ではない。また、井上は、井上ひさしの子どもに伝える日本国憲法(講談社。絵は共産党国会議員だった松本善明の妻・いわさきちひろ)、二つの憲法―大日本帝国憲法と日本国憲法(岩波ブックレット)の著者でもある。政治性、マルクス主義者性を感じさせない作品等も多いのだろうが、「左翼」・憲法改正反対論者であったことは間違いなく、何よりも、大江健三郎や奥平康弘等々とともに<九条の会>の呼びかけ人だったのだ。
井上ひさしはとくに国政選挙の際に、日本共産党を「支持(推薦)します」という学者・文化人の一人として名を出していなかっただろうか。
「支持者」だから「党員」ではない、ということにはならない。日本共産党は学者・文化人には党の基本的な路線に矛盾しない限りでの(他の一般党員とは異なるより広い)「自由」を与え、世間・社会での名声あるいは知名度を自らのために利用してきている。
かつて、哲学者・古在由重は日本共産党の「支持(推薦)者」の一人として日本共産党のパンフなどに名前を出していたが、この人物は最晩年まで日本共産党員そのものであったこと(党籍のあったこと)、そして原水禁運動に関する日本共産党中央との考え方の違いによって離党したか、離党させられたことが、古在由重の葬儀または「お別れの会」の世話をした川上徹の本でも、明らかにされている。
井上ひさしも、(こちらは最後まで)日本共産党の党員だった可能性はあるものと思われる。
世間一般の人々が想定しているよりもはるかに、日本共産党員である者は多い、と見ておく必要がある(ついでながら、今は民主党国会議員の有田芳生は元日本共産党員。父親は日本共産党国会議員だった)。
そのような推測からすると、「国民的」映画の映画監督で、NHKが「家族」関係名画100とやらを選択させている山田洋次も、十分に怪しい。この人物は<九条を考える映画人の会>とやらの重要メンバーだが、かなり以前から、日本共産党のパンフ類に同党を「支持(推薦)」する学者・文化人の一人として名を出していたような気がする。
そのような想いで渥美清主演映画を観ると、そうではない場合よりも違った感想も生じるのだが、今回は立ち入らない。
少し元に戻ると、井上ひさしの葬儀の際に「弔辞」を述べたのは、先にこの欄で言及した直後に文化勲章受章者として名を出した丸谷才一だった。丸谷が共産党員だとはいわないが、「左翼」ではあるだろう。
これに関連して続ければ、丸谷才一は素直に?受賞したが、文化勲章受章を「戦後民主主義者」であることを理由に拒否したのが、大江健三郎だった(翌年に杉村春子も拒否)。
これは数年前に(たぶん)この欄で書いたことだが、大江健三郎は、とりわけ、自らが嫌悪する「天皇陛下」と対面して、陛下から勲章を授けられることを嫌悪し忌避したのだ、と思っている。
再び雑誌・撃論第3号に戻ると、これには、西村真悟「沖縄戦を冒涜する大江健三郎は赤い祖国へ帰れ」も掲載されている(p.164-)。
西村は最後のあたりで、日本に帰化した(日本人となった)ドナルド・キーンと大江健三郎を対比させ、大江に対して「あこがれの人民共和国にでも帰化し移住されたらどうか」と勧告?している。趣旨は十分によく分かる。
日本の天皇からの叙勲を拒否し、外国の国王(やフランス政府)からの勲章は受ける、という「心性」でもって、よくもぬけぬけと日本に、日本国民として(しかもたしか世田谷区の高級?住宅地に)居住して生きていけるものだ、と感じるのは私だけではあるまい。
雑誌・撃論から始め、最後に同じ雑誌の別の文章に触れて、この回は終わり。
中川八洋・小林よしのり「新天皇論」の禍毒(オークラ出版、2011)は、かなり前に読了している。
いつか既述のように、小林よしのり批判が全編にあるのではなく、小林の天皇論・皇位継承論の由来・根拠となっていると中川が見ている論者、あるいは<民族系>保守への批判が主な内容だ。
目次(章以上)から引用すると、田中卓は「逆臣」、高森明勅は「民族系コミュニスト」、小堀桂一郎は「極左思想」家・「畸型の共産主義者」、平泉澄「史学」は「変形コミュニズム」(最後は?付き)。
本文によると、一部にすぎないが、吉川弘之が「共産党のマルクス主義者」とは「合理的推定」(p.177)、園部逸夫は「教条的な天皇制廃止論者のコミュニスト」(p.192)で「共産党員」(p.194)、園部逸夫・皇室法概論は共産党本部で「急ぎとりまとめられ」、「園部は著者名を貸しただけ」(p.197)、園部逸夫を皇室問題専門家として「擁護」した小堀桂一郎や、小堀に「唱和」した大原康男・櫻井よしこは「共産党の別働隊」(p.192)。小堀は共産主義者を防衛する「共産党シンジケートに所属している可能性が高い」(p.193)、小堀は「正真正銘のコミュニスト」(p.207)。宮沢俊義・杉村章三郎は「コミュニスト」(p.199)、中西輝政は「過激な天皇制廃止論者」(p.278)、小塩和人・御厨貴は「共産党員」(p.287)、杉原泰雄は「共産党員」(p.298)。
これらの断定(一部は推定)には(西尾幹二批判はp.287、p.310)、ただちには同意しかねる。「コミュニスト」等についての厳密な意味は問題になるが。
但し、永原慶二(p.213)と長谷川正安(p.298)を「共産党員」としているのは、当たっていると思われる。
また、中川八洋のような、反米自立を強調・重視しているかにも見える西部邁らとは異なる、<英米>に信頼を寄せる保守派または「保守思想」家もあってよいものと思われる。かなり乱暴な?断定もあるが、<反共産主義>のきわめて明瞭な書き手でもある。反中国、反北朝鮮等の「保守」派論者は多くいても、「思想」レベルで明確な<反共>を語る論者は少なくないように思われ、その意味では貴重な存在だ、と見なしておくべきだろう。
中川八洋の他の本でも見られるが、中川のルソー批判は厳しく、鋭い。ルソーの「人間不平等起原論」は「王制廃止/王殺しの『悪魔の煽動書』」であり(p.255-)、この本は「家族は不要、男女の関係はレイプが一番よい形態」とする「家族解体論」でもある(p.263)、また、中川は、ルソー→仏ジャコバン党〔ロベスピエールら〕→日本共産党→<男女共同参画><〔皇室典範〕有識者会議>という系譜を語りもする(p.259-)。
さらに、つぎの二点の指摘はかなり妥当ではないかと思っている。
一つは、「男女共同参画」政策・同法律に対する保守派の反対・批判が弱い(弱かった)、という旨の批判だ。「民族系」という語はなじみが薄いが、以下のごとし(p.268)
「民族系の日本会議も、櫻井よしこの『国家基本問題研究所』も、共産革命のドグマ『ジェンダー・フリー社会』を非難・排撃する本を出版しようとの、問題意識も能力もない。民族系は、フェミニズム批判など朝飯前の、ハイレベルな知を豊潤に具備する英米系保守主義を排除する」が、それは「自らの知的下降と劣化を不可避にしている」。
急激な少子化という国家衰退の一徴表は、(とくにマルクス主義的)フェミニズム(「男女共同参画」論を含む)に起因するのではないか。若年女性等の性的紊乱、堕胎(人工中絶)の多さ、若い親の幼児殺し等々につき、<保守>派はいったいいかなる分析をし、いかなる議論をしてきたのか、という疑問も持っている。別に書くことがあるだろう。
もう一つは、憲法学界に関する、以下の叙述だ(p.298)
「日本の大学におけるコークやバークやアクトンの研究と教育の欠如が、…、天皇制廃止の狂った学説が猖獗する極左革命状況に追い込んだ…。女性天皇/女性宮家など、今に至るも残る強い影響力をもつ、宮澤らの学説を日本から一掃するには、コーク/バーク/アクトン/ハイエクの学説をぶつける以外に手はない」。
なお、1952年の日本の主権回復後の「約六十年、日本人は米国から歴史解釈を強制された事実は一つもない。問題は、歴史の解釈権が、日本人の共産党系歴史学者や日本の国籍をもつ北朝鮮人に占有された現実の方である」との叙述がある(p.288)。後半(第二文)はよいとしても、前者のように言えるだろうか、という疑問は生じる。「強制」という語の意味にもよるが、「共産党系」等でなくとも、日本人の<歴史認識>の内実・その変化等に対して、米国は一貫して注意・警戒の目を向けてきた、とも思われるからだ。
撃論ムック30(西村幸祐責任編集)・反日マスコミの真実2011(オークラ出版、2011)中の江藤剛「なんとなく左翼芸能人の群れ」(p.76-)で名指しされている<何となく「左翼」芸能人>のマスメディア発言リスト。<何となく左翼>とは、戦後教育(とくに戦後憲法教育)を受けていると少なくとも<何となく左翼>にはなる、といった具合にこの欄で使ったことのある表現だ。以下は紹介で、すべてを確認しているわけではない。
・品川格-外国人参政権につき「別にあげてもいいんじゃない」
・東ちづる-「自衛隊も米軍もいらない」
・黒田福美-韓国への思い入れは常軌を逸する。
・吉永小百合-確定申告手続中に大蔵大臣に「この税金は戦闘機をを買う費用に使ったりせず、もっと国民のためになることに使って欲しい」
・愛川欽也+うつみ宮土里-「近隣諸国…のお爺さんやお婆さんは日本を嫌っている。私たちの先祖が悪いことをした」
・小山力也 ・阿川佐知子 ・桂南光-「竹島は韓国にあげたらよい」 ・坂本龍一 ・桜井和寿
以上のうち吉永小百合は、「なんとなく芸能人」の域を超えた人だと思われる。かなり前に、岩波ブックレットに登場して文章を寄せるかなり<確信的な左翼>の人物であることを書いたことがある。
毎日放送「ちちんぶいぶい」の角淳一の発言も採り上げている。角淳一は過去に「外国人参政権は無条件に与えるべき」と述べたらしい。近時の尖閣問題でも海保職員のビデオ公開について「海保職員が面白がってユーチューブに流した」と繰り返して発言したようだ。
角淳一は、2009総選挙の前に、明言はしなかったのだが、自民党ではなく民主党に投票するのは自明・当然のことというニュアンスで発言・会話をしていた。
この角淳一を見ていると、大学を特段の専門的勉強をすることなく卒業してテレビ局に入り、特段の専門的勉強もすることなく、「何となく」マスメディアの表面的報道によって得た情報・知識や<業界>内部での同僚たちとのやりとりで得た情報・知識だけでもって<ある程度は十分な知識と識見をもった大人・日本人になった>と勘違いして自覚している、典型的なマスコミ人を想起させる。自分は決して左にも右にも偏っていない常識人だと勘違いして自認しており、そうでない可能性をおそらくは微塵も考えていないだろうから、始末が悪い。それでいて、一般視聴者からちょっとだけ上の目線でしか語っていない(「国民」・「市民」目線)という<庶民性>で人気があるらしいのだからさらに始末が悪い。この程度のレベルの人物たちによって、ワイドショー<世論>は作られていくのだ。
西村幸祐責任編集・撃論ムック/世界を愛した日本(オークラ出版、2009.06)の<中学歴史教科書2009年版徹底比較>(p.42-。編集部執筆)によると、計8種の中学歴史教科書(自由社と扶桑社は一つと見ている)の順位と点をつけると、良い方から、①自由社(扶桑社)80、②東京書籍53、③大阪書籍48、④日本文教出版45、⑤教育出版42、⑥帝国書院38、⑦清水書院35、⑧日本書籍26。
叙述・評価の細部に立ち入らない。自由社(・扶桑社)も「近代至上主義から自由ではない」とし、「近代に対する懐疑の念が僅かなりとも存在していない」、西欧文明至上の意味で「自虐的」だと批判しているのが注意を惹く(p.64-65)。
次の「司馬史観」批判には俄には賛同しかねる。
明治維新により輝かしき明治日本を築き上げた、というのは「司馬史観とでも呼ぶべき、俗悪で通俗的な歴史解釈に過ぎない」。「実は、司馬史観とは左翼的な進歩史観と殆ど違うことのない歴史観にほかならない」(p.62)。
司馬遼太郎の「史観」、とくに昭和の日本軍に対する見方について問題がないとは思わないし、井上ひさしがしゃしゃり出ているように「左翼」に利用される面がないとは思っていないが、上のような「司馬史観」の単純化と司馬遼太郎にレッテルを貼って<敵に追いやる>ような論述はいかがなものか。疑問だ。
上のような各教科書分析・点検(?)活動は、小山常実・歴史教科書が隠してきたもの(展転社、2009.06)でもなされている(これも2009年版を対象にしていると見られる)。
小山によると、分析項目(40件)ごとの評価の合計点(満点200)は、良い方から順に次のとおり(p.204)。
①自由社154、②清水書院93、③帝国書院90、③大阪書籍90、⑤東京書籍86、⑥日本文教出版81、⑦教育出版79、⑧日本書籍59。
上の撃論ムックの評価と同じでないが、<最悪>とされるのは日本書籍(新社)のものであるのは共通している。
この本によると、2006年度の各教科書採択率(%)は、高い方から次のようだ(p.206。カッコは1997年度)。
①東京書籍51.2(←41.2)、②大阪書籍15.4(←19.3)、③帝国書院14.2(←1.9)、④教育出版11.8(←17.8)、⑤日本書籍3.1(←12.9)、⑥清水書院2.4(←3.5)、⑦日本文教出版1.4(←3.5)、⑧扶桑社(0.4←未)。
東京書籍の優位化、帝国書院の増加、日本書籍の減少(そして扶桑社の極小さ)といったところが特徴だろうか。
より古い版を対象とする、三浦朱門・全『歴史教科書』を徹底検証する/2006年版教科書改善白書(小学館、2005)という本もある。
以上を通覧して感じることは、大きく三つある。
第一に、扶桑社・自由社版で採択率が計1%にも満たないのでは、中学生段階における<歴史認識>での勝敗は明らかだ。憂うべき状態。かりに1980年代から<より左傾化>したのだとしても、多くの日本国民・有権者が「左翼」的な土壌の<歴史認識>を持って成人している。これが、行政官僚・専門法曹・マスコミ人を含む社会人の意識や政党選択等に影響を与えていないはずはない。
「左翼」は~適当な数字を使えば~+50から出発し、「保守」は-50から出発しなければならない状態なのではないか。国民が成人した段階で、両者にはすでに100の差(ハンディ)がついているのではないか。<全体主義>化しつつある「左翼」の渦中で、「保守」を堅持しかつ拡大するのは容易ではない。
第二に、中学用歴史教科書ではなく、高校用教科書を、「歴史」(日本史・世界史)のみならず「政治」や「倫理」も含めて<徹底分析・評価>すべきではないか。
高校卒業者の割合を考慮すると、日本国民にとって、高校時代の、「歴史」(日本史・世界史)、「政治」、「倫理」教科書こそが、成人して以降の基礎的な意識・知識・イメージを形成させる決定的な役割を果たしているように見える。前回触れたように、鳩山由紀夫の基礎的な「歴史」・「政治経済」の知識・イメージは高校卒業までに形成されていると見られる。
第三に、各教科書を執筆しているのは誰かというと、上掲のような出版社の社員であるわけではむろんない。多くは、少なくとも代表的な執筆者は、大学教授だ。上に紹介したような会社名ではなく、執筆者(便宜的には代表執筆者、複数いる場合には筆頭の代表執筆者)によって教科書を区別すべきだと思われる。また、書物ならば一度くらいは執筆者全員の氏名(・所属)を明記しておくべきだろう。
例えば、まだ言及をし終わっていない、実教出版の高校用「政治経済」教科書だと、<宮本憲一ら・高校用「政治経済」>とでも書いて執筆者を特定すべきだ。そして、本文中のどこかに執筆者全員の氏名(・所属)を記しておくべきだ。
執筆内容は各出版社に実質的な責任があるのではない、と思われる。執筆者こそが実質的な責任主体だ。執筆者である大学教授等が「左翼」又はマルクス主義者だからこそ、教科書の内容がマルクス主義的又は「左翼」的(あるいは<反日・自虐>的)になっていることは明らかだろう。
いわば無機質な出版社名によって特定すべきではない。執筆者・代表執筆者・筆頭代表執筆者を明記し、その違いによってこそ区別し、特定すべきだ。
西村幸祐責任編集・撃論ムック/NHKの正体(オークラ出版、2009.07)p.150-1による、「NHK売国反日プロデューサー列伝」。執筆主体は「本誌『NHKデビュー』取材班」。
・長井暁 所謂「女性国際戦犯法廷」を取り上げた番組「問われる戦時性暴力」のチーフ・プロデューサー。2005年01月〔13日〕、「涙」の会見。2009年退職〔この退職を親友あるいは同志の朝日新聞はわざわざ報道した〕。東京学芸大学出身。同大学「史学会」所属。同会は「反君が代・日の丸・反つくる会教科書」を会是とし、中心教授は君島和彦。
・池田理代子 「問われる戦時性暴力」を実質的に仕切った。早稲田大学出身。上記「法廷」を仕掛けたバウ・ネット(VAWW・NET)の運営委員。
・塩田純 NHKスペシャル「日中戦争―なぜ戦争は拡大したか」で名を馳せた。2005年に海老沢会長辞任に触れて「これで作りたい番組が作れる環境になった」と発言。
・濱崎憲一 <JAPANデビー>チーフ・ディレクター。1992年入局。「血も涙もないNHKディレクター」とも評される(p.25、林建良)。
<JAPANデビー>第一回に関する日本李登輝友の会等からの質問状に対して「被取材者からクレームはきていない」と嘘をつく。柯徳三(台湾)は放送直後に電話で濱崎にこう言ったという-「私は濱崎さんに言うたんだ。あんた、中共の息がかかっているんだろう。私が聞くところによると、朝日新聞とNHKは、北京に呼ばれてチヤホヤされて、貢物を持って行ったんだろう!」(p.34、井上和彦)。上の柯徳三の抗議に対して濱崎は番組を支持する視聴者のコメント(のみ)をファクスで柯に送ったが、濱崎は「ファクスを送ったことは内緒に」と頼んだ(p.26、林建良)。別の文章によると、濱崎は柯への電話で「さっきのFAXは、柯さんだけに留めてほしい」と「泣きついてきた」(p.32、井上和彦)。
顔だけの印象では殆ど何も言えないだろうが、少なくとも、思慮深い、聡明な、という印象は、全くない。この程度の人物が
・高橋昌廣 ハングル講座プロデューサー。民団・総連との関わりも「噂されている」。
本名(戸籍名)は上田昌廣。2005年に「団体職員・上田昌弘(53)」の名で娘「Sちゃん」渡米手術費用の寄付を国民に呼びかけ、二億円を集める。妻もNHKディレクターで夫婦で年収4千万円。
「Sちゃんを救う会」メンバーには、例えば以下も含めて、NHK「エリート職員」も多数いた。
①永田恒三(会代表、長井暁とともに「女性国際戦犯法廷」問題に関与)、②倉森京子(「新日曜美術館」プロデューサーで、姜尚中を司会者とした)、③塩田純(前掲)、④濱崎憲一(前掲)。
〔なお、サンデー・ブロジェクト(朝日系)を観るのを止めたあと、「新日曜美術館」をしばしば観ていたのだが(壇ふみ司会の時代)、今年たぶん4月から姜尚中(と局アナ)に代わって、完全に止めた。姜尚中起用は上の倉森京子の「意向」のようだ〕。
西村幸祐責任編集・世界を愛した日本(撃論ムック、2009)の「中学歴史教科書2009年度版徹底比較」を読むと、自由社(・扶桑社)のものは問題もあるがおおむね合格点とされているのに対して、それ以外の教科書は厳しく批判されている。採点結果が最低なのは清水書院発行のものだ。
前回書いたような関心からすると、出版社ではなく、執筆・編修者(の代表者)名も記してほしかった。
上の点はともあれ、「左翼」的なひどい教科書で殆どの中学生が「歴史」を勉強していることを知り、背筋が寒くなった。
戦後64年、現在75-70歳以下の者たちは戦後「平和と民主主義」教育を受けてきた。すでに人口又は有権者の大部分になっている。
教科書検定にかかる<近隣諸国条項>の付いた検定基準ができたのは1982年末だった。
いちおう1983年を基準とすると、この年に中学生になった者の多くは1970年生まれ、高校三年生になった者は1965-66年生まれで、現在それぞれ38-39歳、44-45歳になっている。従って、<近隣諸国条項>のある検定基準にもとづく教科書で教育を受けたのは、おおよそ現在40歳代前半以下の者たちだ。
40歳代前半とはもはや<中年>に近い。そのような者たち以下の若い世代は、「団塊」世代よりもいっそう<自虐的>・<反日>的な教育を受けたようだ。
学校教育、正確には学校教育のための教科書がこれでは、狭くは<思想>戦、甘く言っても<イメージ>戦略で、「保守」派・「愛国」派はとっくに敗北している、と言ってよいような気がする。
成人になってから、かつて刷り込まれた<自虐>・<反日>意識を変えさせるのは(努力の意義を否定はしないが)相当に困難な作業だ。大学の「社会」系・「人文」系学部に進学することによって、ますます<自虐>・<反日>意識に磨きをかける?(=親マルクス主義的になる)者もいるに違いない(そして官界・マスコミ界・法曹界等に入っていくのだ)。
田母神俊雄・田母神塾(双葉社、2009.03)p.188-191によると(他の本でもよく引用されていると思うが)、某調査(アンケート)では、<戦争の際に「国のために戦う」>と答えたのは、中国76%、韓国72%、米国63%、フランス52%、そして日本15%。
<自国民であることに「誇り」を感じる>と答えたのは、米国・イタリア・韓国89%、フランス84%、中国76%、そして日本57%。
日本国民の日本国家に関する「意識」は異様だ。かかる意識の形成に間違いなく、中学校や高校の教育(日本史・世界史・政治経済・現代社会等の教科書)は影響を与えている。怖ろしい。
このままではきっと、「日本」はなくなるだろうと、半分は諦め気味だ。
ところで、上の撃論ムック(オウク・ムック284号)では、「編集部」名による独特の「歴史認識」又は「歴史観」が展開されている部分があるように感じた。とくに<近代日本の「哀しみ」>の部分。機会・余裕があればいつか取り上げよう。
一 西村幸祐責任編集/撃論ムック・沖縄とアイヌの真実(オークラ出版、2009.02)は10日ほど前に入手し、気を惹いたものはすでに読んだ。
民族問題の特集のようだが、佐藤優批判がいくつか揃っている。若杉大のもの(p.114-)は小林よしのり対「言論封殺魔」佐藤優論争の紹介・整理だが、櫻井よしこ「『国家の罠』における事実誤認」、高森明勅「佐藤優『護憲論』のトリック」(各々p.118-、p.126-)は明らかに佐藤批判だ。
櫻井よしこによると(初出は2005)、佐藤優の上の本が新潮社・ドキュメント賞の候補作になったとき、事実誤認を理由としてゼロ採点した、という。むしろ興味深いのは高森論考で、佐藤優は、天皇制度擁護のための護憲派なのだ、という。つまり現憲法1~8条改悪(削除)阻止のために「護憲の立場」を採るのが「真の保守」だ、と佐藤優は言っているらしい。
高森明勅はあれこれと1~8条死守と9条改正は矛盾しない旨等を述べているが、なかなか面白い、聴くべき<護憲論>だ。天皇制度の歴史に無知・無関心の圧倒的多数の国民(主権者)は、皇室に何か大きな不肖事でもあると、もともとひそかに天皇・皇室制度解体を目論んでいる朝日新聞等のマスメディアの煽動しだいでは、天皇は多忙でお気の毒、天皇・皇族にも人権を、皇室に対する国費支出額が大きすぎる、皇居を国民公園に、等々の理屈に納得して天皇制度廃止(憲法1~8条削除)の提案があれば、過半数の賛成票を与えてしまいかねないのではないか、という不安を私はもつ。そのような国会議員の構成にならなければよいのだが…。
そのような憲法改正に対して私は反対の<護憲>派になるだろう。
上のように、当たり前のことだが、何をどう変えるかが問題で、一般的な改憲論・護憲論の対立などは存在しない。現在<護憲論>とふつうの場合には言われているものは、憲法9条改正(とくに2項削除)に反対して9条を護持する、という意味での護憲論なわけだ。
憲法9条改正と憲法1条以下改正と、どちらが先に国会で発議されるか、といった心配をしなければならないことになるとは、情けない。中国(共産党)は究極的には、天皇制度解体を望んでおり、神社神道も邪魔物と感じているだろうということは間違いないと思われる。日本国内には今でも、そのような中国(共産党)に迎合する<売国奴>団体・個人が絶対にいる。
三浦小太郎「ハーバーマスとその誤読」(p.140-)も、短いが興味深く読んだ。
二 ところで、「匿名コラム/天気晴朗」(p.179)を読んでいて最後の三段めに入って驚いてしまった。
「秋月映二というブロガー」が「闘わない八木秀次の蒙昧さと日本共産党・若宮啓文との類似性」というエントリーで八木を「こき下ろしている」、「まさに秋月の言うの通り…」。
これはこの欄での私の文章のことであるに違いない。私は秋月瑛二で「映二」ではないのだが。上のエントリーは今年1/08のものだ。
さらにところで、「秋月瑛二」で検索すると-検索サイトによって違い、異様と思える並べ方をするものもあるが-、中身を読まず、冒頭又はタイトルを見ただけだが、①「秋月瑛二」を産経新聞記者と誤解している人がいる。私は産経新聞社とはいっさいの組織的関係がない。②私を「媚東宮派」と呼んでいる者がいる。皇室問題での西尾幹二批判がそのような呼称になっているのだろう。何と呼ぼうと勝手だが、「媚東宮派」という語を使うからには、それとは異なる「派」の存在を想定しているに違いない。それは「反東宮派」だろうか、「親秋篠宮派」だろうか。どちらにせよ、そういう対立を持ち込み、拡大しようとすること自体が、天皇制度の解体につながっていく可能性・危険性を孕んでおり、朝日新聞等の「左翼」が喜んでいそうなことだ、ということくらいは感じてほしいものだ。
一 いつになるときちんと読めるのか分からないが、岩田温・チベット大虐殺と朝日新聞(オークラ出版、2008.09)を入手。
帯にある目次(内容見出し)を見るだけでもなかなかにスゴい。以下、丸うつし。
「はじめに-朝日新聞の呪縛から自由になるために
第1部 朝日新聞のチベット報道
第1章 豹変する朝日新聞(1945~1956)
第2章 無神論集団・朝日新聞の暴走(1956~1959)
第3章 口をついて出る朝日新聞の「嘘」の数々(1960~1980)
第4章 中立を装う悪質な偽善集団・朝日新聞(1980~2008)
第2部 朝日新聞が伝えないチベット問題の真実
第5章 朝日新聞が報道しないチベット侵略の歴史
第6章 中華思想という侵略イデオロギー
第7章 中国に媚び諂う恥ずべき政治家の面々
第8章 日本が赤旗に侵略される日~長野「聖火リレー」レポート~」
帯にはまた、「1945年からの朝日新聞のチベット報道約6000件を徹底検証」ともある。
著者は今年、25歳。
二 朝日新聞といえば、月刊雑誌・論座は10月号で休刊した。同号の表紙には「進化を続ける『論座』的空間」とあるが、「『論座』的空間」が「進化を続け」ていれば月刊雑誌・論座が休刊(廃刊)する筈もなく、この雑誌の最後の<大ウソ>。
要するに、売れなかった、購読者が少なかったのだ。
週刊朝日、アエラ、そして朝日新聞本体も、「休刊」していただきたい。そして朝日新書も。いずれは朝日新聞社自体の消滅を。そうなれば、将来の日本に期待が持てる。
テレビ朝日-1365万円(41.3歳)、朝日放送-1587万円(39.8歳)、東京放送=TBS-1560万円(49.5歳-ママ)、毎日放送-1518万円(40.8歳)、フジテレビジョン-1575万円(39.7歳)、日本テレビ網-1432万円(39.8歳)、等。
適正な給与・報酬の額の判断はむつかしいし、その額に値する内容の「仕事」をしていれば、文句をつける筋合いのものでもあるまい。
だが、40歳前後で各局の社員とも上のような年収額があるのは、少し多額すぎはしないか。統計資料を持たないが、感覚としていうと、平均年収ですらすでに、50歳代の中央省庁の局長クラス、50歳代の都道府県・政令指定市の部長・局長クラスと同じ程度ではないか。
民放各社の収入は基本的には民間企業等の広告費であり、その広告費の一部は、最終的には当該企業等の(製品・サーピスの)消費者・利用者多数によって負担されている。特定の製品・サーピスを提供する個別企業に比べて、民放各社はより多数の視聴者国民によって経済的には支えられている。
民放各社は-新聞社もそうだが-税金を最大の資金源にしていることを理由に公務員の収入や<厚遇ぶり>を批判することが多い。各社労組又は民放労連と当局の労使交渉で決められることとはいえ、自らの民放各社の年収額や<厚遇>(職員厚生施設等々)には無意識・無批判だとすると、自分の収入はいったいどこから来ているのだとマジメに考えてもらいたいものだ。<格差>を批判し、<格差是正>とかを主張する資格は<高収入>のマスコミ社員にはないと思われる。そしてまた、こうした民放各社の番組制作者の多くの最大の愛読・愛用新聞が、先日言及したように、朝日新聞だとは……(絶句)。
ついでに、宝島社ではなかったが、西村幸祐責任編集・誰も知らない教育崩壊の真実(撃論ムック、オークラ出版、2008.05)。
ジェンダー・フリー教育(フェミニズム教育)のおぞましさについては既に食傷気味だが、社会(・歴史)系の教科書や教育のヒドさに呆れて、「日本」という国に住むのがイヤになる気分すらする(本の具体的内容は省略)。私自身がある程度は実際に読んでみたことはあるのだが。
こんな状況では、日本史等の社会系科目を中学・高校で必修化したり、履修科目数を増やしたりするのは、むしろマイナスになる可能性が高い。
日本共産党員が、あるいはマルクス主義者が、あるいは<左派リベラリスト>が「大学教授」の肩書きに隠れて、自らの「価値観」・「歴史観」を教科書に忍ばせていることがあるのは明らかだと思われる。「共産党が書き、社会党が教え、自民党がお金を出す」(p.82、田中英道)という実態は、「社会党」を「社民党又は民主党」に替えれば、現在でも間違いなくあるだろう。「教え」るのも「共産党」(員)である場合もあるに違いない。
愉しくならない話・文章を読むことが多い。多分に厭世的にすらなる。
TBSはいろいろヒドいことをしてきて、TBS「報道テロ」全記録(晋遊舎、2007)という本もあり、西村幸祐氏編・「反日」マスコミの真実(オークラ出版、2006)でも論及されている。
繰り返しを避けて一件だけ例示すれば、白髪某・筑紫哲也のニュース23は昨年6/29に、米下院議員(外交委員長)の、I don't feel strongly that the PM shouldn't visit the shrine.(「私は首相が(靖国)神社を訪れるべきではないとは強くは感じていない」)を、「靖国神社に行くべきでないと強く思っています」と訳して字幕に載せた。中学生でもしそうもないこの誤訳はおそらく意図的に違いない(7/05にTBSは謝罪したようだが「故意」を認めたのではあるまい)。
かかる誤訳による報道は、、放送法3条の2が定める放送事業者の番組編集基準のうち「三 報道は事実をまげないですること」に違反している。
放送事業者への免許は電波法に基づきなされるが、同法76条等により総務大臣は放送の一時停止命令等をすることができ、明文はないようだが、免許権をもつかぎりは重大な「公益」違反があれば、当初の免許権限にもとづいて、免許を撤回(取消し)できる筈だ。TBSの多数の不祥事はその程度にまで至っているのでないか。
電波法等の関係法制の改正が現在問題になっているようだ。以下は現行の条文だが、免許取消しの明文規定をおくこと、業務改善命令権限の法定、勧告・警告権限の法上の明定等が考えられる。また、下記13条1項の厳格な運用(最長でも5年を経過すれば免許を更新しない=無免許となる=放送できなくなる)も考えられてよいように思う。
電波法第十二条「(免許の付与) 総務大臣は、第十条の規定による検査を行つた結果、その無線設備が第六条第一項第七号又は同条第二項第一号の工事設計(第九条第一項の規定による変更があつたときは、変更があつたもの)に合致し、かつ、その無線従事者の資格及び員数が第三十九条又は第三十九条の十三、第四十条及び第五十条の規定に、その時計及び書類が第六十条の規定にそれぞれ違反しないと認めるときは、遅滞なく申請者に対し免許を与えなければならない。」
電波法第十三条抄(第一項のみ)「(免許の有効期間) 免許の有効期間は、免許の日から起算して五年を超えない範囲内において総務省令で定める。ただし、再免許を妨げない。」
電波法第七十六条抄・第一項「総務大臣は、免許人等がこの法律、放送法 若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、三箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ、若しくは第二十七条の十八第一項の登録の全部若しくは一部の効力を停止し、又は期間を定めて運用許容時間、周波数若しくは空中線電力を制限することができる。」
同第二項「総務大臣は、前項の規定によるほか、登録人が第三章に定める技術基準に適合しない無線設備を使用することにより他の登録局の運用に悪影響を及ぼすおそれがあるときその他登録局の運用が適正を欠くため電波の能率的な利用を阻害するおそれが著しいときは、三箇月以内の期間を定めて、その登録の全部又は一部の効力を停止することができる。」
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