一 小学生高学年か中学生の頃、つぎを聴いて何と「美しい」音楽・旋律なのだろうと感じた。
①Tchaikovsky, Swan Lake Suite op.20a, Scene.(白鳥の湖/情景)
同じ頃、つぎも、よく耳にした「美しい」音楽・旋律だった。
②Beethoven, Bagatelle in A-moll WoO59.(エリーゼのために)
少し長じて、Beethoven, Mozart, Tchaikovsky の三人のいわゆるクラシック曲は、オーソドクスなものとして、ある程度は馴染んだ。あくまで、ある程度は、だったが。
中間の期間が永くあって、近年に多少意識的にさまざまのクラシック又はヨーロッパ音楽を聴いてみると、何となく聞いたことはあったが作者や曲名を知らなかったものや、初めて聴く曲の中に、とても「美しい」ものがあることを知り、大仰には、生きていてよかったと思う。
例えば、以下の小曲だ。
③Brahms, Hungarian Dances Nr.4 in F sharp-moll.
④Chopin, Nocturn #20 in C sharp-moll op.72-2.
⑤Dvořák, Slavonic Dances Nr.2 op.72 #2 in E-moll.
⑥Saint-Saëns, Introduction & Rondo Capriccioso op.28.
⑦Schubert, Schwannengesange D947, Nr. 4 Ständchen in D-moll.
⑧Shostakovich, Jazz Suite #2-6 Waltz 2 (=the Second Waltz).
もう少し長い、本格的なものの中では、世間的には特別に有名でないかもしれないが、例えば、以下は好ましく感じる。
⑨Schumann, Cello Concerto in A-moll op.129.
⑩Mendelssohn, Symphony #3 in A-moll op.56.
ほかに、Bach や別のBrahms の曲等々もあるが、今回は省略する。
なお、上の①〜⑩は全て、短調ミ始まり。
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二 音の高さ・低さ、大きさ・小ささ、旋律の速さ(テンポ)はヒト・人間がおそらく早い時代から聴き分けてきたのだろう。
不思議に思うのは、音楽・旋律を「美しい」とか「好ましい」とか、あるいは「厳粛だ」とか「メランコリックだ」とか等々と感じる聴感覚・大脳感覚はどうやって発生したのだろうか、ということだ。
加えて、ある程度はヒト・人間に共通しているのだろうという側面があるとともに(例えば、陽気・活発と陰鬱・悲嘆)、個人(個体)によって、あるいは人種・民族によって「感じ方」が異なる部分があると思われるが、それは何故、どのようにして生じたのだろうか、ということだ(例えば、ドイツ系・ロシア系・東欧系・ラテン系等々)。
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三 現在に日本で聞く種々の曲・音楽のほとんどは、つまるところ、西洋音楽を起源としている。一オクターブを13のいわゆる「半音」で区切り、動きをいわゆる「五線譜」で表現できることは、演歌系・ポップス系等を含めて変わりはない。
もちろん、Abba やBeatles 等々の歌・曲も、ジャズ等々も、西洋のいわゆるクラシック音楽の系譜の中にある。新奇さの程度の違いはあるとしても。
日本人には「懐かしく」感じられる戦前や大正時代の<にほん唱歌>も、明治期以降の「西洋化」の過程で吸収され、生まれたものだろう。
音楽の世界で、日本は(も)ほぼ完全に<西洋の侵略>を受けたわけだ。
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四 仏教上の声明(しょうみょう)とか日本の「雅楽」(あるいは三味線や琴)など、日本(またはアジア)に独特の音楽・旋律の世界があったし、あるようであることにも関心はある。
だが、それに増して興味があるのは、すでにこの欄で少しは触れているが、周波数(Hz)が2倍になるごとに1オクターブ高くなる、その1オクターブが、A〜一つ上のAまでの(あるいはド〜一つ上のドまでの)8音で区切られ、かつE・FとB・C間だけは「半音」で、1オクターブは13音の「半音」で成り立っているのは、いったい何故か、どのような経緯でか、ということだ。
これは当然のことでも、自然なことでもない。
だが、普遍性があったからこそ、近代以降に日本も含めて、たぶん世界的に受容されたのだろう。
だがしかし、それは<西洋音楽>の発展の程度のほか、一種の技術的な導入の容易性のゆえである可能性が高いと思われる。
というのは、Bach 等によるバロック・クラシック古典派の成立は賛美歌等々の教会音楽を、そしてキリスト教(またはキリスト教的合理性)を背景にしているとされる。そして、キリスト教世界以外の諸国・諸民族は、そこまでも含めて<西洋音楽>(標語的には、「五線譜」と「1オクターブ13半音」=「十二平均律」)を受容した(その侵略を許した)のではないだろうからだ。
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①Tchaikovsky, Swan Lake Suite op.20a, Scene.(白鳥の湖/情景)
同じ頃、つぎも、よく耳にした「美しい」音楽・旋律だった。
②Beethoven, Bagatelle in A-moll WoO59.(エリーゼのために)
少し長じて、Beethoven, Mozart, Tchaikovsky の三人のいわゆるクラシック曲は、オーソドクスなものとして、ある程度は馴染んだ。あくまで、ある程度は、だったが。
中間の期間が永くあって、近年に多少意識的にさまざまのクラシック又はヨーロッパ音楽を聴いてみると、何となく聞いたことはあったが作者や曲名を知らなかったものや、初めて聴く曲の中に、とても「美しい」ものがあることを知り、大仰には、生きていてよかったと思う。
例えば、以下の小曲だ。
③Brahms, Hungarian Dances Nr.4 in F sharp-moll.
④Chopin, Nocturn #20 in C sharp-moll op.72-2.
⑤Dvořák, Slavonic Dances Nr.2 op.72 #2 in E-moll.
⑥Saint-Saëns, Introduction & Rondo Capriccioso op.28.
⑦Schubert, Schwannengesange D947, Nr. 4 Ständchen in D-moll.
⑧Shostakovich, Jazz Suite #2-6 Waltz 2 (=the Second Waltz).
もう少し長い、本格的なものの中では、世間的には特別に有名でないかもしれないが、例えば、以下は好ましく感じる。
⑨Schumann, Cello Concerto in A-moll op.129.
⑩Mendelssohn, Symphony #3 in A-moll op.56.
ほかに、Bach や別のBrahms の曲等々もあるが、今回は省略する。
なお、上の①〜⑩は全て、短調ミ始まり。
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二 音の高さ・低さ、大きさ・小ささ、旋律の速さ(テンポ)はヒト・人間がおそらく早い時代から聴き分けてきたのだろう。
不思議に思うのは、音楽・旋律を「美しい」とか「好ましい」とか、あるいは「厳粛だ」とか「メランコリックだ」とか等々と感じる聴感覚・大脳感覚はどうやって発生したのだろうか、ということだ。
加えて、ある程度はヒト・人間に共通しているのだろうという側面があるとともに(例えば、陽気・活発と陰鬱・悲嘆)、個人(個体)によって、あるいは人種・民族によって「感じ方」が異なる部分があると思われるが、それは何故、どのようにして生じたのだろうか、ということだ(例えば、ドイツ系・ロシア系・東欧系・ラテン系等々)。
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三 現在に日本で聞く種々の曲・音楽のほとんどは、つまるところ、西洋音楽を起源としている。一オクターブを13のいわゆる「半音」で区切り、動きをいわゆる「五線譜」で表現できることは、演歌系・ポップス系等を含めて変わりはない。
もちろん、Abba やBeatles 等々の歌・曲も、ジャズ等々も、西洋のいわゆるクラシック音楽の系譜の中にある。新奇さの程度の違いはあるとしても。
日本人には「懐かしく」感じられる戦前や大正時代の<にほん唱歌>も、明治期以降の「西洋化」の過程で吸収され、生まれたものだろう。
音楽の世界で、日本は(も)ほぼ完全に<西洋の侵略>を受けたわけだ。
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四 仏教上の声明(しょうみょう)とか日本の「雅楽」(あるいは三味線や琴)など、日本(またはアジア)に独特の音楽・旋律の世界があったし、あるようであることにも関心はある。
だが、それに増して興味があるのは、すでにこの欄で少しは触れているが、周波数(Hz)が2倍になるごとに1オクターブ高くなる、その1オクターブが、A〜一つ上のAまでの(あるいはド〜一つ上のドまでの)8音で区切られ、かつE・FとB・C間だけは「半音」で、1オクターブは13音の「半音」で成り立っているのは、いったい何故か、どのような経緯でか、ということだ。
これは当然のことでも、自然なことでもない。
だが、普遍性があったからこそ、近代以降に日本も含めて、たぶん世界的に受容されたのだろう。
だがしかし、それは<西洋音楽>の発展の程度のほか、一種の技術的な導入の容易性のゆえである可能性が高いと思われる。
というのは、Bach 等によるバロック・クラシック古典派の成立は賛美歌等々の教会音楽を、そしてキリスト教(またはキリスト教的合理性)を背景にしているとされる。そして、キリスト教世界以外の諸国・諸民族は、そこまでも含めて<西洋音楽>(標語的には、「五線譜」と「1オクターブ13半音」=「十二平均律」)を受容した(その侵略を許した)のではないだろうからだ。
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