秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

イギリス革命

2429/F・フュレ、うそ・熱情、幻想⑨。

 François Furet, Lies, Passions & Illusions —The Democtratic Imagination in the 20th Century.
 (The University of Chicago Press/Chicago & London、2014/原仏語書、2012) 
 ——
 第5章・革命の過去と未来②。
 (6)ソルボンヌの学生たちは、70年間、フランス革命はロシア革命のための控えの間(antechamber)だった、と教えられた。
 博識溢れる大学—Georges Lefebvre はフランス革命に関する素晴らしい学者なのだから—にいた世代は、ほとんど比較不能であるこれらの事件を、比較できたのだろう。
 フランス革命は社会を創設し、農民とブルジョアジーを豊かにし、ネイションの中にすぐに著しく堅固な社会的基盤を見出した。
 ロシア革命は、社会全体を粉砕し、農民層を破壊し、単一党を打ち立てた。
 ジャコバンを除いて、二つの革命に関して比較し得るものは何もない。//
 (7)これとの関係で、イギリス史とフランス史を比較してみよう。
 イギリス人は17世紀に革命をもち、彼らの王を処刑し、短期間の共和制のあと、正統な王朝の復古があった。この王朝はすみやかに1688年に、新しい王室の招聘によって遮られた。
 少なくとも部分的にフランス革命と比較することのできる一連の出来事。—これは、テルミドール9日から今日まで、行われてきた。
 それにもかかわらず、イギリスの歴史学の伝統は、マルクス主義者を除いて、イギリス革命を祝福しないで、それを抹消する傾向にあった。
 Tory であれLiberal であれ、歴史家が祝福するのは1688年、革命の終焉だ。これは、先行した大反乱(Great Rebellion)と名づけられたものと区別するために名誉革命(Glorious Revolution)と称されることになる。
 一方、フランスの歴史家は2世紀の間一貫して、フランス革命を創設的事件たる地位にまで昇らせてきた。
 フランス革命を呪詛するときですら、歴史家たちは、その例外的性格だけを強調する。
 そうして、右であれ左であれフランスの人々は、その時期のきわめてナショナルな冒険譚でもって、動じることなく過ごすことができ、フランスの文学で継続的に英雄視した。
 なぜ、こんなにも対照的なのか?//
 (8)いくつかの要因が、考慮されなければならない。
 17世紀のイギリス革命は、宗教に傾斜していた。
 それは、聖書文化が染み込んだ闘士によって起こされたもので、きわめて平等主義的な特徴をもつにまで至った。
 1789年のフランス革命とは異なり、イギリスの革命家たちは、伝統に直面した際に白紙(tabula rasa) を提示しようとはしなかった。そうではなく反対に、聖典の黄金時代への回帰を追求した。
 イギリスの歴史の中で、革命はノルマン人の侵略に先立つ時代からその方向を見出した。かくして、フランスの1789年とは違って、起源についての卓越した威厳がなかった。
 イギリス人は一つに、O・クロムウェル(Oliver Cromwell)以前の彼らの歴史を奪われなかった。
 二つに、彼らは国家プロテスタント教(state Protestantism)のかたちで自分たちの宗教的基盤を再確認し、更新してきた。
 さらに、1688年に彼らの革命は幸運な結末を迎え、その時代にあった暴力と内戦を消滅させた。
 1649年の国王殺しの記憶ですら、新しい王朝によるネイションの再統合によって抹消されたことだろう。
 イギリスは、革命を手段として、咎めるというよりもむしろ、その伝統を強固なものにすることができた。//
 (9)フランスの歴史では、革命思想は民主主義思想と不可分だ。
 これらを分離することはできない。
 民主主義思想、構築主義思想、人間の自己創造という思想。
 これらは全て、革命思想の中に刻み込まれている。
 我々が今日に不幸であるのは、もはや革命思想を有していないことが理由だ。
 まるで我々の政治的文明は切り取られたかのごとくだ。
 社会主義者たちは、革命を実現することができなかったために、20世紀のあいだずっと、共産主義者たちよりも劣っていると見なされた。
 第二次大戦が終わり、私が青年だったとき、改良主義者であり得るという考え方は、私には理解不能だった。我々が経験している諸事態と対比して、不適切だと思われたからだ。—あまりにも狭隘で、平凡で、魅力に欠ける考え方のように思えた。
 赤軍がベルリンを奪取してナツィズムを粉砕したとき、ボルシェヴィキの革命思想には比類のない、真に普遍的な輝きが、復活されなければならない想像力が、あった。それは、歴史家へも求められるべきものだろう。そのような想像力は、我々のソルジェニーツィン(Solzhenitsyn)後の時代には、もはや考え難いのだから。//
 ——
 第5章、終わり。

1816/クリストファ・ヒル(英国)のレーニン「幻想」。

 英国の歴史研究者・クリストファー・ヒル(Christopher Hill、1912~2003)は、80歳を過ぎて、英国紙Independent の1994年1月15日号の<文化>面らしきところに、以下の文章を寄せている。同紙のサイトによる。全文を訳してみる。一文ごとに改行して、本来の改行箇所には//を付す。
 ----
 「私は1945-46年に、<レーニンとロシア革命>を執筆した。今日では考え難いけれども、戦争中の英国とソ連との間の友好関係が成長し続けるかのごとく見えた、短い期間の間にだった。//
 外務当局が政府の承認を得て、両国の学生たちを定期的に交換留学させるという大規模な企画を考えるために、学識者の有力な委員会を立ち上げていた。
 冷戦によって、これは終わった。そして、ソ連に関して何か良いことを発言するのは、流行らない、かつある分野ではその人の評判を危うくするものになった。
 冷戦の終焉によって、イギリスとロシアの関係をより良く修復し、レーニンと彼の革命を再評価することが、いずれも可能になった。//
 本を執筆しているとき、私は、17世紀のイギリス革命、1789年のフランス革命および1917年のロシア革命の間にある共通性を抽出することを旨としていた。
 1660年の後のイングランド、1815年の後のフランスには、先立つ革命に対する苛酷な反動があった。
 しかし、イングニンドで1688年、フランスで1830年に、それらは旧体制の復活ではないことが示された。
 イギリスの革命は存続して、18世紀のヨーロッパ啓蒙時代の基礎を形作った。クロムウェルのもとでイングランドがアイルランドに従属するという恐怖があったにもかかわらず。
 テロルがあったにもかかわらず、フランス革命の理念(理想)は世界を覆い尽くした。//
 ロシア革命の元来の理念(理想)-男女の平等、諸民族の平等、働いてそれが生んだ富の配分を公正に分け合うという誰もが有する権利、怠惰な遊休階級は望ましくないこと-、これらの理念(理想)のいくつかは、ソヴィエトの現実では見られなくなった。しかしなお、これらは有効性を保っている。
 スターリニズムの虚偽と歪曲が忘れられるときに、それらの理念(理想)は思い起こされるだろう。-とくに、第三世界では。//
 毛沢東がフランス革命について語ったように、ロシア革命を適切に評価するにはまだ早すぎる。
 しかし、すでに我々には、西側資本主義の最悪の特質を真似ようとする猪突猛進行動はロシアで継続していないことが確実だ。
 失業、急騰する物価、社会保障の欠如、富のひどい不平等、統制されない民族および人種の敵対感、財産と人身に対する犯罪-これらの全てが、多くの者を、ソヴィエト体制がもったより良き展望を郷愁をもって(nostalgically)回顧させている。
 安定が最終的にやって来たときにはじめて、レーニンと彼の革命の公正な評価に至ることが可能だろう。
 スターリンのゆえにレーニンを責めるという罠(trap of blaming Lenin for Stalin)に陥らないようにするのが重要だ。二人の間に、いかなる連環(links)を見ようとも。//」
 ----
 このCh. Hill は1947年(35歳の年)に<レーニンとロシア革命>と題する書物を刊行した。
 もっとも、ロシア・ソ連史が専門ではなく、17世紀イギリス史がそれだとされる。
 しかし、上の<レーニンとロシア革命>は邦訳されて、岩波新書の一つとして1955年に刊行された。
 この岩波新書を、レーニンの「生い立ち」やその青年時代の思考を記述するために使っているのが、つぎの本だ。
 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 上のように、ロシア革命やレーニンをなお見ているヒルの本を、江崎はどのように<参照>しているだろうか。
 実質的に、江崎著指弾へと続く。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー