秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

アテネ

2458/Turner によるNietzsche ④。

 Frank M. Turner, European Intellectual History -From Rousseau to Nietzsche (2014).
 第15章の試訳のつづき。
 ——
 第4節。
 (01)  George Grote は銀行家、政治的な急進派で、議会議員であるとともに、J. S. Mill の友人だった。
 彼は、1846年から1856年にかけて、12巻本の〈ギリシャ史〉を出版した。
 1865年には、3巻本の〈プラトンとその他のソクラテスの仲間たち〉を公刊した。
 これらの著作によって、Grote は、ヴィクトリア期のおそらく最も影響力のあるソクラテス解釈者になった。//
 (02)  Grote は、活発かつ厳格に、古代のSophists を擁護した。
 彼は、the Sophists は二つの理由で良くない評価を受けている、とした。
 第一に、「sophist」や「sophistry」〔詭弁〕という近代の侮蔑的な意味が、遡って古代のSophists を叙述する際に投影されてきた。
 第二に、より重要だが、the Sophists に関するプラトンの叙述が表面的にだけ受容され、歴史的および批判的に検証されなかった。//
 (03)  Grote は、先行する詩歌や叙事詩の教育者たちと比べて—二つの例外を除いて—the Sophists は実際にはほとんど何の基本的違いはない、と主張した。
 彼らは先行者たちよりもより良く教育し、それに値する報酬を得ていた。
 プラトンは、古代の哲学で自分が嫌悪するもの全てをthe Sophists と結びつけた。
 さらに、プラトンの対話の多くにおいてすら、the Sophists は根本的に不道徳なことを述べていない。//
 (04)  The Sophists が行ったのは、そしてこれがGrote にとっては彼らが名声と称賛を要求できることなのだが、若いアテネの人々が民主政の市民生活に参加できるように準備させたことだった。
 彼が書くように、the Sophists は、アテネの青年たちが公的にはもとより私的にも、アテネで積極的で高潔な生活をする資格を与えるのを本職としていた。//
 (05)  この点で、the Sophists は基本的に保守的で、民主政が賢明に作動するためには重要だった。
 そしてGrote は、ソクラテスの声でもって財産維持、結婚、子供の養育の急進的な再構築を主張したのはプラトンだということを、読者に思い起こさせた。
 (06)  Grote の解釈は、それを彼が最初に書いたときは気づいていなかったと私は思うのだが、Hegel の解釈にある程度は似ていた。
 二人ともに、the Sophists は個人主義を促進したと見た。
 しかし、Hegel にとっては個人主義は危険なものだった。 
 Grote にとっては、個人主義は民主政の適切な作動のための基礎的なものだった。//
 (07)  Grote が読者を最も驚かせたのは、彼がソクラテスに向かったときだった。
 彼は、Peloponnesian 戦争の半ばにアテネの人々がその都市にいる主要なSophists の名前を尋ねられたときに全員が躊躇することなくソクラテスの名前を挙げただろうと主張することによって、ソクラテスをSophists の一人だと見なした。//
 (08)  なぜソクラテスは不人気だったのか、Grote によると何が Sophists たるソクラテスの任務だったのか?
 それは、主として、アテネ市民に科学的方法と批判的で合理的な知性を持ち込むことだった。
 そして、Grote の見方では、このことが不可避的に科学と宗教のあいだの衝突をもたらした。
 アテネ文化、伝統的価値、ふつうはthe Sophists と結びついている宗教を否定的に批判することが、現実には市場で教えを説くソクラテスの主要な役割になっていた。
 ソクラテスは、アテネの一般的な世論に対する大きな批判者だった。
 とくに、ソクラテスが科学を擁護したことによって、アテネの宗教と直接に対立するに至った。//
 (09)  では、Grote はソクラテスの死をどのように説明したか?
 世論に対する個人的挑戦の不可避的な結果だったと、彼は見たのか?
 Grote は、友人のJ. S. Mill の〈自由について〉と同じく、ソクラテスは敵対する世論の犠牲者だと考えることはできなかった。
 どのようにすれば、Grote はそうできただろうか?
 結局、彼は、古代アテネの民主政を擁護するヴィクトリア期の最大の人物だった。
 素晴らしいのは、アテネの人々がソクラテスを処刑したことではなかった。そうではなく、彼らが半世紀以上、ソクラテスが小うるさい批判者の役割を果たすことを認めたことだった。//
 (10)  Grote は、著作で別の悪役を見つけた。
 それは、宗教だった。
 ソクラテスの死の原因となったのは、アテネの人々の宗教の力と信仰だった。
 Grote は、ソクラテスはデルフォイの信託(Delphic oracle)に由来する彼の信念に関して完全に真摯だった、神たちはソクラテスに仲間の市民たちを改善する使命を与えて送り込んだ、と考えた。
 ソクラテスは「たんなる哲学者ではなく、哲学の仕事をする宣教師だった」と、Grote は書いた。 
 ソクラテスは批判的哲学を普及宣伝するための、目に見える宗教的狂信者だったと、彼は考えた。
 Grote から見ると、ソクラテス自身の個人的な、宗教に根ざした狂信こそが、彼の死を惹起した。 
 Grote はソクラテスに対する非難と処刑の責任を神たち自体に負わせようとしている、と感じる者がいるかもしれない。
 別の評論家のAlexander Grant は、Grote はソクラテスを「判決による自殺」へと向かわせた、と書いた。//
 ——
 第4節、終わり。

2456/Turner によるNietzsche ③。

 Frank M. Turner, European Intellectual History -From Rousseau to Nietzsche (2014).
 第15章の試訳のつづき。
 ——
 第3節。
 (01)  Hegel のソクラテスに関する主要な解釈は、死後の1832年に出版された、彼の〈哲学史講義〉に見られる。
 彼の哲学書の多くと対照的に、ソクラテスの扱いは比較的に明瞭で率直だった。だが、それは莫大な数の反応を惹き起こした。
 (02)  Hegel にとって、ソクラテスとthe Sophists はいずれも、ギリシャ思想の大きな転回地点を代表した。 
 彼は、the Sophists は詩人や文化を組織する力としての伝統的知識の主張者に替えてギリシャにその思考を組織する新しい方法を与えた最初の集団だ、と考えた。 
 また、18世紀の哲学者たちに似ていて、その影響は一種の古代の啓蒙思想にまで昇るに至った、とも考えた。
 Hegel によると、the Sophists が獲得した報償は、悪(evil)に対する一般的に不当な評価だった。
 しかし彼は、the Sophists は本当は何も悪いことをしなかった、と考察した。
 The Sophists はギリシャ人に推論と思索(reflective)の方法を教えた。
 このような思考は不可避的に、伝統的な信念や道徳を疑問視することへと導いた。
 換言すると、彼らは懐疑主義(scepticism)を推奨したのだ。
 これは実際に、彼らの誤りではなかった。
 当時の思考や精神(mind)の発展状態の結果にすぎなかった。
 Hegel によると、the Sophists は、懐疑主義に限界はないと判断していた。//
 (03)  Hegel にとって、ソクラテスはthe Sophists が始めた運動のつぎの一歩を進めた人物だった。
 ソクラテスが行ったのは、伝統的価値と伝統的宗教を超えて発展する思索的(reflective)な道徳を生み出すことだった。
 Hegel はこう書いた。
 「精神の思索的動き、精神それ自体の転換にもとづく道徳は、まだ存在していなかった。
 その存在は、ソクラテスの時期からのみ始まる。
 しかし、思索が発生し、個人が自分自身の中へと隠退し、自分の望みに従って自分自身の生活をする確立した習慣から離反するやただちに、頽廃と矛盾が生起した。
 しかし、精神は対立の状態にとどまることができない。
 統合を探し求めるのであり、この統合のうちに、より高次の原理があるのだ。」(注3)//
 (04)  ソクラテスはこの過程を通じて、ギリシャ人が彼ら自身の主観性の中に道徳的指令を見出そうとするように導いた。
 ソクラテスとプラトンは、the Sophists とは違って、この主観的性を通じて、伝統的道徳と結びつくだろう客観的な道徳的真実を発見し得るだろう、と考えた。
 しかし、Hegel は、ソクラテスはこの移行に困惑さを与えており、彼自身に出現する主観性を彼の声または悪魔(daemon)が再現する、と考えた。
 彼の声または悪魔に語りかけることで、ソクラテスは誘導と道徳的指令を求めて、本当は自分自身に語りかけ、自分自身を見つめているのだ。
 ソクラテスが仲間のアテネの人々と対立するようになったのは、この強烈な主観性のゆえにだった。
 彼の悪魔は事実の点では新しい神だった。—主観性という神であり、これに執着すれば、4世紀の〈都市(polis)〉は解体する。//
 (05)  したがって、Hegel にとって、ソクラテスは彼に向けられる責任について実際に罪状があった。
 だが、その罪責は、ソクラテスの死の理由ではなかった。
 アテネの陪審員の決定は、必ずしも処刑を要求しなかった。
 ソクラテスが妥協を拒み、道理ある別の選択肢を提示できなかったあとではじめて、死刑判決が下された。
 彼による妥協の拒否は、集団的道徳心とアテネの伝統よりも上に彼自身の良心—彼自身の主観性—を置くということになった。
 これは、彼の基礎的な主観性への訴えの、論理的な帰結だった。//
 (06)  ゆえにHegel にとって、ソクラテスの死は、彼がこう書いたような理由で、本質的に悲劇的だった。「真に悲劇的なものには、衝突するに至った両者のいずれにも、根拠のある道徳的な力が存在しなければならない。これは、ソクラテスの場合にも言えた。」
 ソクラテスとアテネの人々には、それぞれの側の道徳性があった。だが、その道徳性は異なるものだった。
 Hegel の解釈に隠されている—但し、さほど隠されていない—のは、道徳の相対性を暗黙に承認していることだ。
 だがなお、Hegel は、ソクラテスの究極的な目的は、そしてプラトンや結局はキリスト教のそれは、安定した(settled)道徳性を見出し、the Sophists が開けた人間の心の懐疑主義に限界を付すことだった、と主張することによって、そのような相対性とは距離を置いた。//
 ——
 第3節、終わり。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー